2019年2月26日火曜日

2019年2月17日英語説教<全文>聖霊のデュミナスパワーは罪を受け入れてこそ◆ 文亨進二代王


聖霊のデュミナスパワーは罪を受け入れてこそ

2019年2月17日 英語説教 文亨進二代王


案内文:聖霊の力(デュミナス)とイサクの信仰、罪人であることを認めることなど主題は同じですが英語説教と韓国語説教とではかなり違うようです。

2018年2月28日生命書入籍祝福式(鉄の杖祝福式)以降、世界のマスコミが注目しだしてから、同じ内容でも英語説教は対外的に広く一般に、韓国語説教は聖殿戦士向け(内輪話、英語では言えなかったこと)に、説教の質が明らかに変わりました。

韓国語はこちら→聖霊按手は自分を捧げるイサクの心で<全文> 2019年2月20日 韓国語説教 文亨進二代王


サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載です。字幕化は2nd Israelさん。いつもありがとうございます。

2019年2月17日英語説教 (全文)文亨進二代王

翻訳:BAMBOOS  

お知らせから

王妃とそのチームが動画を公開しています。先月始めたところですが、最初の動画が2万ビューを超えました。最初の動画としては非常に早く、大きな達成です。全て韓国語で、フェミニズムや、若い女性の未来を破滅させるフェミニズムの嘘に対して真剣に批判を行っています。
王妃はフェミニズムの嘘についてちょうどまた動画を上げたところです。これが韓国の大きなチャンネルで取り上げられました。自分たちのところで使用して良いか、と許可を求めて来ました。そして多少編集が入ったものの、何万人もの視聴者がいる大きなチャンネルで、ほぼ完全に彼女の動画を放送したのです。
それが広まって、サブスクリプションが急速に増えました。つまりこの30代、40代の女性たちが隙間市場を埋めることができ、フェミニストの母たちによって嘘を洗脳されている若い女性たちに方向性を示すことができたのです。王妃はいくつかの思想を掘り下げて、若い女性たちに驚くほどうまく示しています。
実際わずか数週間でこうして聴衆を引き付けたのは、目を見張るような結果であり、市場が成熟していて真実に飢えており、あらゆる大衆文化の言いなりになることにうんざりしていることを示すものです。それがとうとうセカンドオピニオンを得ることができたのです。
ユジンはすくに韓国に帰ってしまいますが、王妃に編集などで協力してくれました。彼女たちのチャンネルは韓国でもとても大きなものになっています。彼女は韓国に帰って、韓国の保守運動のために左翼と戦うつもりです。しかし王妃の動画はユーチューブでヒットしています。見てくれた人全員に感謝しています。メッセージは伝えられています。
今この場所から強い女性が現れたということは、驚くべきことです。世界について明確に理解している女性です。明確であり、洗脳されておらず、公立学校によってレベルを下げられていません。あらゆる機関の嘘を理解しています。結婚、子供、力と名誉などの社会の本当の価値を支持する、信仰を持った高潔な女性たちです。
人々がこうした女性たちのことをますます知るようになり、それに従ってくる人たちは弟子となり、キリストに近づくことになります。なぜならキリストに似た女性であり、信仰を持つ女性であり、羊飼いのような導き手であるからです。弱い女性ではありません。本当の守護者、導き手となるのです。この女性たちは、普通の女性に見えても普通の女性ではありません。普通の女性は弱く、思考停止に陥り、レベルを下げられています。ここにいる女性は訓練を受け、守護者となり、危険なことを学び、エピジェネティクスが解放されています。

デュナミスの力


イサクはアブラハムと歩んでいました。彼は父親を信頼し、父親のすることを信じていました。父の話、自分の命についての予言を信じていました。言い換えれば自分の命を父親の手に委ねていたのです。それは神様が我々に求めていることです。それが大きな試練です。
みなさんは誰かの手に自分の命を委ねなくてはならなくなります。それがポストモダニズムであろうと、あれこれ教える教師であろうと、誰かの手に命を預けることになります。神様が我々に問いかけるのは、どこで自分の命を神様に委ねるのかということです。アブラハムとイサクのように神様を信頼するのか、ということです。
我々がもしそのような考え方、心情、気持ちを備えるなら、空気が全て変わってきます。天使ですら何が起きているかを感じることができます。神様がその手を止めるよう言われた時、天使でさえもう為されたのだと分かりました。というのも、彼らはイサクの心、そして父親との一体化によって空気が変わったことを感じることができるからです。
我々が祈祷を受ける時これは重要です。我々の多くが熱心にお互いに祈っています。いい加減な祈りをする教会が多くあります。我々は床を叩きながら熱心に祈り、大声で神様に叫びながら、人々のために祈ろうとします。熱心な祈りです。熱心な祈りを捧げるために、人がどれほど自分の命を注いでいるか理解してください。
あなたのために人が祈る時、「彼のことを考えていますよ。あなたのことを祈っていると彼にメールで送りますので」というような態度で祈るのではありません。そうではなく、人のために祈る時は汗を流しながら、天に向かって叫んで、熱心に祈るのです。そのようにしてあなたのために祈っています。
自分が死ぬ間際に、「去る時が来ました。受け入れなさい」と、いい加減な祈りをして欲しいとは思いません。自分の命について真剣な人を望みます。
ある姉妹が激しく戦っています。リサです。彼女はあらゆることについて戦うだけの力を持っていないかもしれません。しかし、彼女のために霊的に熱心に戦っている人たちがいます。当然のことと思わないでください。あなたのために祈る人たちから、どれほどの努力と血と汗が注がれていることでしょうか。彼らの命からの真剣な精力と努力です。
我々は人々の祈りを軽々しく受けてはいけません。特に熱心に祈っている場合。そうした祈りに真剣に感謝しなければなりません。なぜならそれは、人が惜しみなくただ与えるものではないからです。熱心に祈っているなら、あなたのことを熱心に思っているということです。それが空気を変えるものです。霊界でも天使はそれを感じることができます。彼らはアブラハムとイサクについてもそれを感じました。イサクの熱心な信仰にそれを感じました。また父親に対する信頼にもそれを感じたのです。命令が来た時、手を止めるのだと分かりました。
ここにいる人の多くが他の人のために熱心に祈っていますが、それを軽々しく取ってはなりません。彼らも戦っています。彼らも戦いの中で祈りと支援を必要としています。
(使徒行伝10章)38節です。
神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
今度は11章(13節)に飛びましょう。
13:すると彼はわたしたちに、御使が彼の家に現れて、『ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。14:この人は、あなたとあなたの全家族とが救われる言葉を語って下さるであろう』と告げた次第を、話してくれた。15:そこでわたしが語り出したところ、聖霊が、ちょうど最初わたしたちの上にくだったと同じように、彼らの上にくだった。16:その時わたしは、主が『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によってバプテスマを受けるであろう』と仰せになった言葉を思い出した。
聖霊は無制限のキリストです。それはキリストの力であり臨在であり、無制限の力です。創造主、無制限のキリスト。「そこでわたしが語り出したところ、聖霊が、ちょうど最初わたしたちの上にくだったと同じように、彼らの上にくだった」。ペンテコステの瞬間、聖霊が降りた時・・・舌が分かれるようにして聖霊が彼らの上に降りました。
聖霊を受けた時、心の中で何かが変わります。依存を続けるとかいうことではありません。何かが内面で変わるということです。神様の火が触れると、神様の火が心を支配すると、何かが変わり始めます。何かが燃え尽き、破壊されます。そして再創造されます。世の中に対するかつての見方が、人々が変わり始めるのです。変化し始めます。
何かが内側で変わり始めます。ヨハネは水で洗礼を授けましたが、キリストは聖霊で洗礼を授けました。生きた神様の霊が我々の中に宿っています。我々の中にキリストが内在します。おなかの中に何かがあるのが分かります。腹の中に何かがあります。腹の中で何かを感じます。何かが間違っていたり、外れていたりする時、捕食者が木の陰から見ている時、腹の中からある種の感覚が出てきます。暴力的な対立を経験した人は、それが起こる前に何かが現れるのを感じると言います。第六感とかいろいろ呼び名はありますが、腹の中で警告する何かです。ヨハネ7章38節には、「腹から生ける水が川となって流れ出る」とあります。
中核が内面で変わります。言葉の知識のような物ではありません。知的な知識のような物ではないのです。聖霊によって洗礼を受けると何かが内面で変わります。物事の感じ方、直感での捉え方が変わり始めます。単なる頭の中の知識ではありません。
良心が刺激を受けて、呼び起こされます。善悪を判断する良心が我々の中にあります。聖霊の力が入ると、善悪をもっと強く分立することができます。悪に対して、敵を倒すことのできる火のように強くなることができます。善に対しては、保護する火になります。必要とする人をまわりから保護します。
聖書ではデュナミスの力と呼び、ダイナマイトの語源であるデュナミスと同じです。ダイナマイトのような爆発的な力です。聖書で神様の力のことをいう時、デュナミスの力という時は、爆発的な力のようなことです。爆弾は地形を変えます。爆弾を山に仕掛ければ山を低くすることができます。莫大な力を持っています。
鉄の杖はデュナミスの力を持っています。それは制御された力の爆発だからです。悪に対抗し、善のために使用すべきものです。聖霊の内在によって、爆発的な力を持つデュナミスの力が内側に生じます。安定して徐々に熱くなる力ではありません。爆発的な力のことです。門を爆破し、山を爆破してどけることのできる力です。力強い力が我々の内側にあり、我々の中を通ります。
手を置いて人のために祈る時、自分の精神や力が彼らに流れ込み、癒そうとするのではありません。それは神様の力です。我々はただ、水が流れる器となるべきです。その生きた水の源ではありません。我々はただ器になりたいのです。生きた水を流す道具になりたいのです。その人に触れますがどうなるかは分かりません。しかし、神様の力と神様はご存知です。神様は個々人の心配事を全てご存知です。全ての疑い、全ての心配をご存知です。この若者たちもそうです。彼らが出てきてみなさんのために祈る時も。
彼らは心の中で、この人のために自分の霊的エネルギーを奮い起こさなければならない、というように混乱しているかもしれません。違います。我々や自分たちのことが問題ではありません。それは神様が自分を通じて働かれるようにするということです。そのようにすればプレッシャーはありません。
自分が祈っている人が癒されなければならない、というように、プレッシャーを感じる必要はないのです。そう願うのは素晴らしいことですが、背負い込まないでください。青年たち、いいですか。それはあなたが負わなければならない重荷ではありません。ただ、神様があなたを器として使われるようにするだけで良いのです。
あなたが祈った人の中には、神様の奇跡によって癒される人もいます。神様に栄光を捧げなさい。しかし、その人のために祈る器とならなければなりません。どういうわけか神様は、その人を癒すために奇妙な方法であなたを用いることがあります。
我々は信じられないような癒しを見ました。科学と医者に反するものでした。しかし、やはりそれは我々ではなく、背負い込む必要はありません。自分の霊的エネルギーが治癒すると考えるのは妄想です。自分の霊的な力などではありません。ただ神様にからっぽの器にしてくださいと頼みなさい。

運任せにしないでください


我々はヘマをすることがあります。私は昨日やってしまいました。疲れていたのです。真剣さが足りませんでした。しかし悔い改めたので、また今度別の人に向けて頑張ります。
ただ我々と一緒にいるだけではだめです。キリストを他の人に広めたいという願望――これは、ただ我々の中に留まっているべきではありません。願望は行動に移す必要があります。
私の言っていることが全員分かると思いますが、ある人に会って、その人に(キリストについて)話さなければと思うことがあるのです。神様が完璧な状況を準備してくださって、イエス様について話さなければならないと感じます。みなさんの中で、特に古い勇士たちはきっと多くの人が分かる話だと思います。人生でこれを感じたことが必ずあるはずです。
そしてそのように行動しなかった場合、どうなったか分かりますか。後悔したのです。その人にはもう二度と会えません。しかしそのうち、起きたことを意図的に忘れようとし始めます。自分を断罪せずに、次は臆病にならないで前進しよう、その人に話すようにしよう、と。
素早く、十分に時間をかけてやらなければ失うことになります。そしてその願望を失い、聖霊は離れます。心は沈み空虚に感じるようになります。なぜならそれは、キリストによって永遠の命と喜びを感じ、人々が救いを受け解放されるということを、他の人に共有することを通じて出て来るものだからです。
それは、人々が救われることは、どんな癒しよりも良いことです。癒しは神様の存在と神様の働きに対する素晴らしい証人です。しかし、どんな癒しよりも素晴らしいことは、人が救われることです。地獄に行こうとしていた人が、今度はイエス様の隣にいるようになるということなのです。
我々の中で余りにも多くの人が神様の霊に圧倒され、満たされて、聖霊の洗礼をうけているに違いありません。
・・・願望を持っているのに・・・。思いがやってきて、もうできない、プライバシーの侵害になると言い訳を重ねて失ってしまいます。知らないうちに聖霊は去っていくのです。神様の臨在に対する感覚を鈍らせずにいれば、我々は人々が救われることを渇望するようになります。渇望、そして喜びです。
ここに新しいゲストを迎えることがあります。様々な場所から何人か若者が来ました。そしてキリストに命を捧げました。もう二度と彼らに会うことがないかもしれません。しかしその日、キリストに命を捧げたのです。
1カ月程前、体の大きな人がここに座っていました。その人に会うことはもうないかもしれません。しかし彼の人生で何かが変わり、自分の命をキリストに委ね、サタンから神様へと捧げました。そうしたことに興奮しなければなりません。外面では分かりませんが、その人に革命的なことが起きています。
どんなにおいしい持ち寄り料理よりも満足感を与えるものは、人が救いを受けることです。彼らがついに、自分の命をキリストに捧げようと約束することなのです。霊的な目が開いて、彼らの魂に喜びを見ることができます。喜んでいるのです。なぜなら、彼らが今永遠の命の賜物を与えられたからです。
小さなことのように思えるかもしれませんが、大きな物である必要はありません。自分の命を変化させたというその小さな出来事。その人に、これから他にどんなことが起こるのを神様が準備しているのかは分かりません。しかし始まったということは分かります。過程は始まったのであり、変化は起きたのです。そして変化の兆候はだんだん増えていきます。
誰かが命をキリストに捧げるということに、本当に胸が躍ります。それほど豊かなことはありません。誰かがついに自分を解き放ち、自分自身と自分の道を信頼し、行き止まりを自覚して・・・。最終的に自分を解放します。
なぜなら自分で牢獄に入っているようなものだからです。誰かが解放されるのを目撃します。悪魔によってまわりに築かれた牢獄から解放されるのです。いったん解放されると、彼らの命がどこへ行くのか分かりません。南に行くのか、北に行くのか、西に行くのか、東に行くのか。
どんな場合でも神様は彼らの人生に何か働きかけています。神様は人生を変えておられます。教師や講師であるなら、人々の人生を変えることがどれほど素晴らしいことか分かります。教師や講師として、人生が変わっていくのを見るのがどれほどの喜びとなるでしょうか。創造主である神様ならその喜びはどれほど大きなものでしょうか。
命の根源である神様です。人間に自由な世界を与えた神様にとって、どれほどのものでしょうか。神様は人間に自分を選択して欲しいと願っておられます。その選択がなされた時、どれほどの喜びとなるでしょうか。その瞬間を過ぎ去らせないでください。
もしかしたら、神様はあなたがある人に鉢合わせするような、あるいはある人が「イエス様を知っていますか」と尋ねて来るような時間を準備されたのかもしれません。
物を盗んだことはありますか。嘘をついたことはありますか。結婚しているのに浮気したことがありますか。女性に情欲を抱いて、心の中で姦淫を犯したことがありますか。神様の名前をみだりに唱えたことがありますか。それを自分で認めるなら、あなたは嘘をつき、盗み、姦淫を犯し、神を冒涜している人です。
それが当てはまる場合、そして神様が正義の神様であるなら、あなたは裁きの日に裁かれます。あなたは最終的にどこに行くと思いますか。あなたの話した通りなら、良い場所でしょうか悪い場所でしょうか。我々に神様が必要だと悟らせてくれるのは、自分たちの罪です。罪がそれを悟らせてくれます。
私はヒトラーではありません。人を殺していないし虐殺もしていません。でも神様はそのようには見ていません。嘘をついたことがあれば嘘つきです。罪を犯しました。神様の名前をみだりに使うなら、罪を犯したということです。情欲を持って女性を見たなら、罪を犯したのです。
公正な世界、公正な国では、犯罪は罰せられなければなりません。そうでなければ正義はありません。犯罪者はいつも罪を免れてしまいます。正義がなく、誰もが不満を漏らします。
我々に直面する罪の現実が、我々に衝撃を与えて自己満足から抜け出させ、こう悟るのです。私は本当にそういう人間だ。神様はご自分の完璧さと比較して私を裁かれるのだ。私は神様から遠い。少なくとも、嘘をつき、盗み、姦淫を犯し、冒涜した。神様の前に主要な罪を全て犯した。そうであるならば、裁きの日に私は裁かれる。
それは正しいですか。正義の世界なら正しいのです。
どんなに自分が完璧だと思っても、清い、罪のない神様に対して、我々は罪を犯しています。神様は嘘をつかず、盗みません。動物や他人と比べるのではなく、神様と比べます。すると自分が多くの罪を犯していることが分かります。
罪のない完璧な裁判官の前に出て、その人が私を見れば、私には罪があるのです。全ての罪は犯罪となり、公正な世界では罰せられます。しかし、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」のです。「それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るため」なのです。それが逃れる道です。
つまりたとえ我々が罪人であっても、キリストは我々の罪のために死なれました。もちろん、キリストは王国を説き、王国を築くことが目的でした。人々が失敗し、キリストを拒絶したのです。霊的救いをもたらすために、神様によってその道が用いられました。
罪人としてキリストから分かれた人たちは、十字架がもたらしたものを見ます。我々は自分の罪の対価を支払うべきでした。それが裁判所から自由に出てきました。キリストは、あなたたちを自由に行かせ、自分が罪を償うので、ただ私が生きるように生きてくださいと願います。今までのように生きてはいけません。あなたが完璧でないのは知っていますが、私が生きたように生きようと努めてください。それだけが私の願いです、といって。
キリストは解放者です。その願いは人々をサタンと罪から神様へと解放することです。私たちへの願いも解放されることです。人々が罪から解放され、神様に忠実であるよう助けることです。
しかし興味深いことですが、こうした会話をしてみると、気分を良くさせると思うでしょうが、死の運命や審判、正義、罪といったことについて最初から考えさせることになります。こういうことを言われたこともなかったかもしれません。
彼らが悔い改めないのはそういう理由からです。自分は良い人間だと考えています。誰も殺していません。それが重要ではありません。神様は他の人と比べているのではなく、ご自分と比べています。それが問題なのです。問題は、教会が罪についてあまり話さないことです。そのため人々は自分に救い主が必要であることを忘れます。
そして罪を受け入れ、救いの賜物を受け取ると自由が得られます。死んだときに訪れる、自分の目の前にぶら下がっていた罰から解放される、そういう自由が生まれます。いろいろなことを信じようとしたとしても、死ぬ時はもう逃げ場がありません。創造主に向き合い、審判されます。
ですから実際こうしたことを人々は初めて考えます。「そんな風に考えたことはありませんでした。あなたの気持ちは分かります。私を傷つけるつもりではないことは分かります。あなたの話には少しショックを受けましたが、私を傷つけるつもりはないですね」と。
そうして素晴らしい会話ができます。我々は、人をキリストに導き、彼らが祭壇で自分の命を初めてキリストに捧げるように導くことで、大きな恵みを受けました。素晴らしい恵みです。本当に大きな恵みです。若い時にキリストに命を捧げる人もいれば、年を取って逃げ場がなくなってから命を捧げる人もいます。永遠に逃げることはできません。
どのような場合であっても、そうすることで人生全体が、永遠が変わります。そしてそれを目にする時、必ず大きな喜びとなります。なぜなら、自分の時のことを考えてみてください。あなたは実刑判決を受けましたが、自由の身になりました。どれほど幸せなことでしょうか。問題は、多くの人が実刑判決を受けていることも知らないことです。気づいていないのです。
それが来ると分かっていれば、違った行動を取るかもしれません。違った行動を取るという選択肢もありますが、問題は教会が、人々の気分を良くしようとしてそのことを話していないことです。死の運命や罪を突きつけません。それでひどい仕打ちをすることになります。人の目には好かれても、魂に対してはひどい仕打ちをすることになります。なぜなら死んで地獄に行くからです。肉体が死んでも地獄に行くという意味です。
ですから私は、韓氏オモニを支持することができませんでした。魂が危機に瀕しているというのです。彼女がこれをすれば地獄に送られます。罰を受けるのです。私が電話をかけるのを止めようと選択したのではありませんでした。地獄に行くといけないので、これをやめるように電話で伝えようとし続けました。すると母は愚かな秘書に話をさせたのです。秘書と話をする必要はありません。母と話をする必要がありました。
だから本当に悲しいことです。あなたが最善を尽くしても、その人が頑なな態度で神様を裏切ることを選択するなら、それが彼らの選択であり自分で選んだことをするのです。人々は最後に自分の選択で神様を否定します。その人のことを嘆きます。あなたがそうするのは悲惨なことです。しかしその選択を尊重します。神様はそれを尊重し、そうなることを許されます。
しかし、全ての人が命を失い滅びることが神様の意図ではありません。我々の意図でもありません。しかし我々は、問題を提起することはできません。それは重大なことであり、死ぬ日のことを考えさせます。永遠に年を取らない人はいません。
大変なジャンプをして自分の体をいじめて、たくさん格闘技の訓練をして、ひざを痛めて、弱くなったと感じ始めています。先日息子たちをハイキングに連れて行って、大きな山までたった3マイルですが、少し勾配のある道を近道して行っていたら、下りで膝を痛めてしまいました。リオに私のストックをぶつけてしまいました。心配しないで、あなたのせいではありません(笑)。
彼らと同じ年齢の頃、山登りは簡単だと思っていました。下りは簡単だと。青年たちは上りと下りのどちらがきついですか。上りですね。下りで痛めてしまいました。鋭く刺すような痛みがずっとありました。2、3歩歩くたびに、「息子たち待って、お父さんは少し待たないといけないから」。それで私のバッグを持ってくれました。私が12歳とか14歳で、格闘技の訓練をしていた時に、ひざが痛むようになる日が来ると思ったことがあったでしょうか。全くありませんでした。
我々は誰もが死にます。自分の死の運命に向き合わなければなりません。その日に向き合わなければなりません。運に任せないでください。お願いです。命をキリストに捧げたことがないなら、それを運任せにしないでください。いつ死ぬかは分からないのです。今日家に帰る途中で死ぬかもしれません。運任せにしないでください。
キリストに命を捧げたことがないのであれば、今日がその日です。あなたがあと1日ただ頑固であろうとして、命を捧げずに家に帰る途中で死ぬことになれば、我々は永遠に苦しみ、悲しむことになります。あなたが苦しむのを見ると我々は本当に、永遠に悲しむことになります。どうかそうしないでください。神様に対してそうしないでください。あなたはもう十分に泣いてきました。
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《遺伝罪恨霊解怨、傍系解怨については、感謝できる方のみお問い合わせ下さい。

2019年2月25日月曜日

大勢がいても孤独な韓氏オモニ◆キングスリポート2月22, 23日(2日分)


キングスリポート2月22, 23日(2日分)
2/22(金)礼拝、訓読中、眠ても神の恩恵があります。
2/23(土)大勢がいても孤独な韓氏オモニ
チャット英韓訳:Jake Kwon  チャット韓日訳修正:Yuko Morita、  監修:ファンクラブ

閲覧数15万突破!!
御言レポート
王妃様がユーチューブにアップロードされた動画の閲覧数が急増しています。1週間で1万回つずつ閲覧数が上がりました。

他のキリスト教チャンネルで倫理的問題を扱うことについて、王妃様は"非常に退屈で若者たちの関心を引くことができない"と言われました。


今日のリマは使徒行伝20章です。
7節を見るとパウロが日曜日の朝から晩まで一日中話したことが分かります。

20:7 週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。

ここで重点は、我々は日に仕えるのではなく、人に仕えなければならないということです。
日が神聖なのではなく、イエス様が神聖であり、私たちが彼と一緒に送る人生も神聖になるのです。

日曜日の礼拝はキリスト教の初期から行われてきた行事でした。
この章でパウロが長い礼拝をしたということが分かりますが、この点がとても興味深いです。
これがキリスト教の真実な伝統だといえます。
日曜日に一日中御言を聞きました。

世界には非常に孤立した場所で暮している人々がおり、彼らはコミュニティを切望しています。
兄弟姉妹がいるコミュニティがあるということは非常に重要です。
我々には非常に強力で絆の強いコミュニティがあります。
今も孤立した場所で暮らし、苦難の中にいるサンクチュアリの食口たちがいますがとても残念に思います。
私どもの祝福を受けて、関節病、麻痺などが治ったという食口の話を良く聞きます。
治癒を受けることで彼らはイエス様に戻れる機会を得ます。

パウロは宣教的な精神を持って長い旅に出ます。
御言を世界のあちこちに伝えました。
ユテコという青年がパウロの礼拝に参加しましたが、彼は礼拝の途中で眠りました。
ユテコが眠って3階から落ちたので、それを見た人々は驚愕しました。
パウロは彼を起こして再び上がって参加した家族全員と食事をしたそうです。

訓読会(礼拝)がこれぐらい長いと一日のすべてのスタミナを使うような気分です。
脳機能にはたくさんの糖分が消耗されます。

長い訓読会をすると脳に大きな負担がかかります。
私も23時間30分の訓読会に参加したことがありましたが、脳がとても大変でした。出席した全ての人が4時半に気を失うように眠りにつき、6時か7時に起きて船に乗らなければならなかったのです。
皆が船酔いして吐きました。
その日も一日中釣りをしなければなりませんでした。

ここの句を見るとパウロは24時間以上礼拝を行ったことが分かります。
ユテコはとても信実な人でした。長い礼拝に疲れて3階から落ちたのですが、死んで再び生き返りました。
そして食事をした後、また日が明けるまで礼拝をしました。

もちろん彼は眠っていたのですが、説教時間に出席しているということは重要です。たまに私たちは怠惰で積極的に礼拝に参加しないときがありますが、神様はそのような私たちを抱かれ、祝福を与えられます。
ユテコは落ちて一度死んだのですが、神様の祝福でまた生き返ったのです。

ユテコが落ちたにもかかわらず、パウロは引き続き説教をします。
このような状況でも御言は続くのです。
もちろんユテコが目覚めていたらもっと良かったと思いますが、現実とかけ離れた話かも知れません。
一日中訓読をして眠らない人がどこにいるでしょうか?
私たちは御言の中では死んでも生きるのです。
死の恐怖がないのです。
私たちが眠かったとしても、怠けたとしても、また気持ちを新たにして神様に帰れば神様が保護してくださるのです。

ユテコの話はこの章でちょっとだけ取り扱っていますが、とても興味深い話です。
この話は短いですが、非常に強力な力を持っているのです。
私たちが訓読会(礼拝)の時間に居眠りをすることはありますが、神様の御言は私たちを保護してくださり、私たちが神様をもっと深く経験できるようにするのです。
さらに私たちが死の恐怖を超えて、御言を世界に伝えることができるようにするのです。

時事レポート
リサさんと一緒に2部を進行することにします。

◆多くのメディアがトランプとロシアとの共謀を扱っているのですが、新しい法務長官が上院によって確認されました。
さらに多くの人々が民主党はこの調査で何も得られないと思っているようです。それでも民主党は"世論は気にせず私たちが望む結果を出す"という立場です。
過去ペロシ議員は、オバマケアを通過させた当時"我々がこれを可決しなければこの内容について知ることはできない"と発言しました。

何人かの民主党議員は、ミュラー特検の最終報告書を見なくてもトランプの共謀が事実であることは明らかだと述べました。
CNNは報告書が公開されなかったにもかかわらず、これに対して衝撃的なミュラーの報告書というヘッドラインを書いたそうです。
結果は誰も知らないのに既に知っているように述べています。

左派たちはトランプが自分たちに何かしたと考えているために、これくらいのレベルの嫌悪を見せているのでしょうか?それが気になります。
彼らの考えが理解できません。

中国の問題など、現在展開されている実質的な問題は無視したまま、トランプを捕らえることだけに全神経を集中させています。
左派がとても小さな問題にだけ気を使っている中、世界各地で大きな騒ぎが起こっています。

左派たちはトランプの関税政策について猛非難しています。
トランプ大統領は新たな米朝自由武力協定を締結し、非常に肯定的な効果をあげています。
しかし懐疑論者たちは成果が立証されたにもかかわらず、非論理的に非難し続けています。

協定は昨年末に妥結されましたが、未だに下院を通過させていません。 通常、上院がこれを通過させるのに下院でひっかかっているのはおかしいと思います。

◆疾病対策センターが黄熱病ワクチンが非常に深刻で、たまに致命的な副作用があると明らかにしました。
英国と米国はアフリカまたは南米に旅行する生後9ヶ月以上の子どもに黄熱病ワクチンを接種させる予定です。
新しいワクチンは臨床試験を行い、結果を大衆に公開して大衆が選択できるようにしなければいけません。

◆CBS海外特派員だったララ・ローガン記者が、進歩主義者のターゲットになっているという主張をしました。
働いていたメディア社と同じ政治的性向を持たなかったという理由で被害を受けたそうです。

◆男性と女性は生物学的差異によってそれぞれ長所があります。
競争ではありません。一緒に協力し、神様の息子、そして神様の娘であるという事実を認めなければならないでしょう。

◆トランプ大統領が気候変動政策を後退させようとすることに対して、環境主義者グループが訴訟を起こしたのですが、連邦裁判所はこれを棄却したそうです。
コビントンの学生たちがワシントンポスト紙を相手に訴訟を起こしており、他のマスコミ各社にも訴訟を提起しているのですが、勝訴すれば大金を儲けることになるでしょう。

◆法王が数百人の司教を呼んで、性的虐待に関する問題を扱う会議を開きますが、自分たちが性的虐待問題について何か措置を取るように見せようという趣旨だと思います。
イエス様と実質的な関係を追求するカトリック信者たちは、これに対抗して立ち上がっています。
もし法王がまともな精神を持っていたら辞任したでしょう。
問題を認知しながらもどんな措置も取らなかったのです。
このような問題を抱えながら夜ぐっすり眠ることができたのか知りたいですね。
主流メディアとカトリックメディアは、この集まりを"summit 首脳会談"と言っていますね。
他ではセミナー、ワークショップなどと言っています。
この会議で結果を期待している人たちが何の結実も出ないのを見たとき、彼らは法王にどうやって辞任を要求するでしょうか?
彼らはサタンを神様と同じ位置にいるように崇拝しましたが、しかしカトリックの本人たちはこれを問題だとは考えていない点が、非常に驚くべきことです。

◆ジョン・ボルトン安保顧問が来週行われるトランプ大統領と金正恩の会談に先立ち韓国を訪問するそうです。
なぜわざわざボルトンが韓国に行くのでしょうか?
おそらく会談前に韓国が何か馬鹿なことをするという情報をアメリカが入手して、これを阻止しようとするのではないかと思います。

◆米軍がコロンビアとベネズエラ国境に密集しているという噂があります。
中国は東アフリカの港に対する干渉をさらに強化しています。
中国がアジアとヨーロッパ間の貿易航路入口の統制を握ろうとしています。
この港は中国船舶に貿易過程の優先権を与え、できるだけ多くの物を積めるような利点を与えています。トランプと多くの専門家がこの問題を取り扱わなければならないとしているにもかかわらず、現在ロシアの共謀問題にだけ集中し、重要な問題を逃しているのが現状です。

◆ブレグジットに反対するある英国人が、ブレグジットを準備していない状態で決定を下したため、多くの問題は避けられないと言いました。
トランプ大統領と諸外国は英国に助けの手を差し延べています。

◆左派がロシアをそんなに嫌っているのにもかかわらず、ヒラリーがロシアと共謀した事実はなぜ無視するのでしょうか?

時間になりましたね。キングスリーポートに出席していただきありがとうございました。

チャット英韓訳:Jake Kwon、クォン・イウン、  
チャット韓日訳修正:Yuko Morita、監修:ファンクラブ
御言レポート
キングスレポートへようこそ。
天一国2代王、文亨進様の代わりのティム・エルダーです。

現在、天一宮周辺の気温は華氏26度(ー3度)で曇りの天気です。
今晩の降水率は80%を越えます。したがって雨が降るのはほとんど確実です。
あるロシアの若者が健康のために氷の湖に飛び込むだけでなく、水泳もするそうです。
インスタグラムにあげました。女性は冬に一度も病気にならなかったそうです。 心臓と呼吸に問題がある方々は控えた方がいいそうです。
こちらのペンシルベニアでも若者が王様と一緒にしています。
したがってこれは世界的なトレンドです。

今日の聖書リマは再びエレミヤ哀歌が出ました。
神様が伝えたいメッセージがあるようです。

最初の2節を読みます。エレミヤの哀歌1章の最初の2節です。
1:1ああ、むかしは、民の満ちみちていたこの都、国々の民のうちで大いなる者であったこの町、今は寂しいさまで座し、やもめのようになった。もろもろの町のうちで女王であった者、今は奴隷となった。
1:2これは夜もすがらいたく泣き悲しみ、そのほおには涙が流れている。そのすべての愛する者のうちには、これを慰める者はひとりもなく、そのすべての友はこれにそむいて、その敵となった。

エルサレムの腐敗…神様が聖句をくださる時、私たちに直接おっしゃることを聖書を通じてなさいます。今日神様が私たちに御言を語られました。
そして特定の人と特定環境について言及されました。

一人の未亡人の物語です。摂理の中心は韓氏オモニではなく真のお父様です。
彼女は摂理において王女の立場にいました。だから今は何でもないのです。
韓氏オモニがお父様と一つになっていたら未亡人にならなかったと思います。 しかし今は霊的に生きておられるお父様から分離されたので、未亡人になったのです。お父様の役事は何も変わっていません。韓氏オモニはそこから分離されたのです。彼女は世界の王女でした。お父様は彼女を成長させたので王妃になりました。そのことは神様の主要摂理に含まれません。この聖句でお父様の感情が感じられます

お父様は韓氏オモニに50年以上投資されました。そしてずっと愛していらっしゃいます。神様の愛は裏切られたからといって変わりません。放蕩息子の話と同じです。息子が父親を裏切って出て行っても、父親の愛は変わりませんでした。 そして彼が戻ってきてから祝祭を行いました。お父様の愛は変わらなかったのですが、韓氏オモニが自ら破壊の道を選択し、苦しむ姿を見られるお父様は非常に悲しいだろう思います。

金石炳(キム・ソクピョン)は彼女をデートに連れて行く立場にいました。カサノバのような存在でした。韓氏オモニの周囲のすべての人が彼女を利用しようとばかりしている中、韓氏オモニはどれほどさびしいだろうかと思います。誰も彼女を慰めてくれないでしょう。金孝南(キム・ヒョナム)のような自分が信頼していた人たちは、結局韓氏オモニを去り敵になってしまいました。

それでこの一節が神様の心を代弁しています。韓氏オモニが大衆の前には強い顔をしていて、大都市に行って数百、数千人の前で演説をしますが、彼女のそばには誰もいないのです。これはお父様の心に苦痛を与えることです。

彼女は自分が犯した罪に対する責任を負わなければなりません。お父様は韓氏オモニが犯した罪を悔い改めるように導いてくださると思います。このような苦痛を経なければ救いはありません。神様の心はもっと痛いでしょう。彼女が受けたすべての栄光と祝福、それらをすべて失ってしまったのです。

天聖経リマ、236ページです。"真の父母""真の父母の苦労と我々の苦労"です。サタンは全部を持っていき、神様は一人一人分立されました。神様はキリスト教を野生のオリーブの木のように育て、神様の側に立てられました。

このリマを通してキリスト教基盤の重要性を考えました。2代王様は彼らを復帰しようとされています。神様に仕え、そして再臨主を待つすべてのキリスト教を復帰しようとしておられます。聖霊が1世紀に来た時が再臨だ、などキリスト教は"再臨"について異なる解釈があります。
ヨハネの黙示録に示されているにもかかわらず、です。

これにより再臨主が来ていないという失望を正当化させようとしています。
しかしまだ再臨主を待っているキリスト教徒がいます。何人かは偽りの理論によって偽りの理解と希望を持つようになった者がいます。グローバリストとエリートグループによって間違った考えを持つようになったのです。
しかしこれは正せます。

重要なことは再臨主に対する期待と希望を持ち続けることです。2代王様がこのようなキリスト教の基盤を統一しようとされています。ある人は2代王様が聖書を利用していると非難します。2代王様はお父様が導いていらっしゃいます。
これは民主主義ではありません。私たちは真のお父様に従っているのです。

霊的にそして地上でも役事をされています。お父様は2代王様を彼の手段として使っておられるのです。非常に驚かざるを得ないことです。他の人たちは他の意見を持っているのかもしれませんが、真のお父様は2代王様を直接主管されているので、2代王様はお父様の導きに従わなければならないのです。
そしてお父様は2代王様を正しい方向に導ける力がおありなのです。

私たちはこの重要な点を理解しなければなりません。もちろん我々が意見を提示することはできますが、すべての決定は2代王様と神様の関係に基づいて、2代王様が下されることです。宇宙の根本は父と息子の関係です。たまに親子関係と誤訳されますが、真実は父-息子の関係です。これがすべての宇宙の軸です。私たちはこの関係の核心を中心に活動しています。

私たちは2代王様に対する真のお父様の導きを後から助けなければなりません。
2代王様を真のお父様から引き離すのではなく。私が祝福を受けた時、お父様が私に視線を向けられましたが、その何秒にもならない瞬間、私は全ての宇宙が私に集中するのを感じました。とても驚くべき経験でした。お父様は2代王様に瞬間ではなくずっと集中されています。そして2代王様の周りで助けるすべての者は、お父様が導いておられる2代王様への支持を続けるべきです。

もし誰かがこの関係を阻害しようとするならば、決して賢明な行為ではありません。2代王様がお父様の導きに従われているにもかかわらず、それを妨げようとするのは人生最大の過ちでしょう。

今日は"哀悼の日"です。(中絶反対デモ)2代王様がニューヨークに行かれて食口たちと一緒に参加されます。赤ちゃんがこの世に生まれても親が望まなければ殺すことができるそうです。ドレスコードは黒です。それで私も今日は黒い服を着ました。そして今日はニューヨーク州で品物を買ってはいけません。
税金が中絶に使われるので今日はニューヨーク州で販売税を払わないでしょう。ニューヨークだけでなく他の州でも同じ政策を推進しています。各州では他の選択を考慮しています。1973年に最高裁判所によって判決された24週の胎児の堕胎を合法化する判決は変わるでしょう。新たな判決が出れば、これを適用させるか否かは各州の選択となるでしょう。

ニューヨークの法律はペンシルベアの法とは違うので、デモのためにニューヨーク州に行くなら、該当の法律を遵守しなければなりません。この哀悼の日は毎月23日に開く月例行事にしようとしています。このデモの趣旨の一つは、中絶法が通過することを黙認したことに対して、悔い改めることです。今日キリスト教徒たちと2代王様が前に出てきてお話されます。

このような乳幼児殺害行為に対して私たちは戦わなければなりません。これを持続させてはいけません。キリスト教は再び勇敢になり、こうした残酷行為を止めさせなければなりません。今日は性的虐待会談が行われる3日目です。私たちはイエス様と真実な関係を追い求める者を応援し、このようなサタン的な行為に対抗できるように願います。

バチカンで働く80パーセントの神父は同性愛者だそうです。神様はこのすべての人のそれぞれの心をご存じです。そして神様の側に立つ者と一緒に働かれます。神様がカトリック教会にどんな内容を実行されるかは神様だけがご存じです。
私が見る時、カトリックはこれ以上教会ではありません。

今日の天聖経の内容でも野生のオリーブの木も神の側にあるそうです。私たちも野生のオリーブの木です。罪人です。しかし私たちを使われます。したがって神様の前に謙遜でなければなりません。2代王様が指摘される人たちは傲慢な者に属しています。

神様に侍ると言いながら、2代様に反対する者は決して神様の側にいません。
私たちは罪人なので、いつも悔い改めをし、改善しなければなりません。たくさんの富を所有している者は、自分の否定的な行動を正当化させようとします。

時事レポート
◆株式市場が下落した時、経済が落ちていると騒いでいましたが、今は上がりました。市場は上がったり下がったりします。傾向は維持されません。誰にも未来は分からないのです。長期的な見方をすれば、いつも上昇傾向を維持しています。これは人間の本性です。うまくいけばずっとうまくと思い、うまくいかなければずっとうまくいかないと思うのです。

今年は株式市場に多くの流動性があると思われます。最近は、ブレグジットは話題になっていませんが、来月には大きな話題になるでしょう。私の個人的な意見です。不確実性が増加し、株式市場に反映されると思います。

◆民主党下院がトランプ大統領の所得申告書に対する写本を要求するそうです。トランプ大統領は神様の側にある野生のオリーブの木の良い例です。
彼は罪人なので真のオリーブの木ではありません。しかしもちろんサタンは彼を告発し続けており、彼はこれと引き続き戦っています。

彼が神様の御心のままに行動するように、私たちは祈りを続けなければなりません。2代王様はトランプ大統領のためにたくさんの精誠を捧げておられます。

彼が大統領になったのは国家が誤った方向に進んでいることを知り、正せると思ったからです。アメリカとキリスト教を神様の側に救うことを祈ります。

今がアメリカ南北戦争以来、最大の憲法の危機という記事がありますね。
トランプを嫌悪するメディアが、トランプを弾劾しようとする世論を続けて造成し、ロシアの共謀を浮上させているのです。

左派たちはトランプ大統領の支持者に対して虚偽の事実を伝えています。
先日あった事件で、コービングトン・カトリック学校の学生たちが、お年寄りに無礼に対応したなど、偽のニュースが幅を利かせています。メディアは引き続きトランプ大統領が大きな犯罪を犯したかのように偽りの報道をしてきました。

このような危機状況に対する認識なしには、米国は南北戦争後の最大の憲法危機から生存することはできません。大統領に反対する者もまた、左派による民主主義に対する大規模犯罪行為の批判に参加しなければならず、正当な根拠と論理を持って大統領を批判しなければならないと思います。

◆ジョージ・クック牧師と一緒に2部を進行することにします。

クック牧師:
2代王様は朝早く起きられます。3時か4時に起きて一日が始まりますが、私は正反対の生活習慣を持っています。
私は中絶という言葉も使いたくないです。これは乳児殺害です。
ニューヨークでは赤ちゃんが生まれてすぐに殺すことができるそうです。

彼らは"妊婦が危ない"などとあらゆる言い訳を並べます。既に出産した赤ちゃんの生命を消そうとしています。これは殺人以外にどんな単語でも説明できません。絶対的に純粋な生命を殺すことは殺人です。
どんな理由や医療過程でもこれは殺人というのが正しいのです。

私はある看護婦と話をしたことがあるのですが、現代医学によれば妊婦の生命が危険だというのはとんでもないことだと言いました。子宮外妊娠の場合、妊婦の生命が危険だというのは過去の話です。現代医学ではこのような場合にも妊婦と赤ちゃんを生かすことができるそうです。

私の弟の話です。医者が赤ちゃんがダウン症候群を持っていると言いました。そして医師は中絶を選ぶかと聞きました。その子は生まれました。 写真を見ると彼はいつも人々に向かって笑っています。彼が寝返りが他の子供より遅くなったとしても、歩くのが遅くなったとしても、この赤ちゃんは人々に幸せをもたらします。

この子はロケット科学者になりはしませんが、神様はその子を人々に喜びを与えるために送られました。赤ちゃんは一生一言も話せなかったのですが、指で指差したりしながら、自分の意思を伝えることができました。赤ちゃんの生存が難しいからといって堕胎を選択しなければならないのでしょうか?

用語一つを提案します。我々は”disable障害がある”のではなく”differently able違う方式で能力のある”という用語を使用しなければならないと思います。

エルダー本部長:良いメッセージに感謝します。私たちはデモで赤い線を引き、"私たちはこの線を越えることはできない"と言うつもりです。キリスト教徒はこれに反対して立ち上がっています。

クック牧師:
中絶法案には左派の目的が前提になっています。ローマと左派の目的は同じです。彼らは人口が多いほど統制しにくいと思っています。中絶は人口統制目標を達成するための過程である可能性があります。

出産過程を見守ると本当にすごい経験です。出産を見るとまるで皆さんは奇跡を見たような気がすると思います。子供が生まれたら赤ちゃんの体はべたべたしています。看護師が赤ちゃんの体を拭き、毛布で温かくくるんでくれます。子どもがダウン症ではなく他の疾患を持っている場合、医師は妊産婦とどのような措置を取るか相談します。

選択しなければならない時点にいます。私たちが子どもの生命に価値があるのかを決めなければならないのか、私たちが彼らが人間として正常に生活できるかどうかを判断しなければならないというのです。私たちにこのような選択権があるのですか? 誰がこのような選択権を持っていますか?

もし赤ちゃんの生命の価値を論ずるならお年寄りたちはどうですか?ティムさんは私より年上じゃないですか?
歯の状態はどうで、最近体の具合はどうですか?
病んでいるところはなく、髪の毛は多いですか?

エルダー本部長:何のことですか? 私にはまだ髪の毛がたくさんあります。(笑)

クック牧師:  もっとお若い頃の写真を見ました。

クック牧師:
私たちがどんな医療保険を持つか決めるのは政府です。私と妻は州の境界付近に住んでいます。近くにある病院では妻が持っている保険を認めてくれません。
それで他の州に越えて行き、遠く離れた病院に行かなければなりません。
政府が患者がどの病院に行くか決定するのです。
さらにはどのような薬を処方してもらえるかまた決めます。

政府は唯一の保険業者であり、どんな恩恵を受けるかを決定できるのです。
他の言葉で言えば政府がこの人の生死を決定できるということです。
これは暗い現実であり、これに対抗しなければなりません。
政府は市民を武装解除させようとしています。
所持できる武器と弾薬の種類と量を決めます。

聖書の予言では即刻起こる事と長期的な未来に起こる事、二つの事について扱っています。準備をしなければなりません。キリスト教を再び勇敢にさせなければなりません。ベータ男性は彼らにとって都合がいいのです。
でも私たちのような男性は彼らに都合が悪いのです。

テレビを見ると健全な黒人家庭を見付けるのは難しく、また馬鹿げたことをする東洋人のシーンがいつもあります。それで私はテレビを見ません。
皆さんがいろんな国籍の家庭が完璧に協力しているのを見たければ、サンクチュアリ教会へ来てください。韓国人、日本人、インドネシア、黒人、白人など、皆一緒に座って楽しい時間を過ごしています。

エルダー本部長:映像を一つ見ますが、非常に不便な場面がある可能性があります。
幼い人たちは親と一緒に見てほしいです。

クック牧師:
中絶した方々に方法を提示します。悔い改めなさい。悔い改めはつねに始まりとしてはいいです。そして人生をイエス様に捧げなさい。あなたの友人になってくれるはずです。そして周りの人に真実を告白してください。皆さんも映像を見たように赤ちゃんは人間の姿です。細胞のかたまりではありません。中絶をする時、薬物を投与して心臓を先に止めるようにします。
死んだ赤ちゃんを取り出す時、赤んぼうがずたずたに裂かれます。映像でもそんな写真が出てきました。これは殺人です。どうしてそんなことができるのですか? 私は人が好きで赤ちゃんが好きです。

皆さんはどのように操縦されているかを考えなければなりません。
もし不意に妊娠し、女性はまだ子供を持つ準備ができていないと思ったら、養子縁組をしてください。皆さんの子供を養子にしたい人はたくさんいます。

エルダー部長:トランプ大統領は黒人たちとヒスパニックの人々のためにさらにうまくやっています。今日はニューヨークでお金を使わないでください。商売をする方も今日は店を閉めてください。

この映像を見た方々はデモに出る方のために祈って下さい。保守が集まる所には敵が必ず来ます。皆の安全のために祈ってください。

一緒に参加できない方も、ライブ放送の映像を通じて中絶反対デモを見ることができます。
私たちには誰が生きて誰が死ぬという選択権はありません。神様が決められます。だから米国が目覚めるように祈らなければなりません。中絶を禁止しなければなりません。もし絶対性を実行すれば中絶は無くなります。私たちは絶対性のメッセージを伝えなければなりません。これは間違いなく殺人です。どんな赤ちゃんも殺されてはいけません。

視聴して下さってありがとうございます。
ニューヨークに行く時、合法的に行ってください。(銃の所有をしないでください)この地に神の王国が建てられるでしょう。

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