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2021年8月26日木曜日

原理原相論試論(創造原相論編)夜の神は両性具有神という天の父母神ではない

 某国会長や、神学に丈ている何人かのお方に、両性具有神一神論という問題提議編を読んで頂き、問題提議の代案を頂いた。

(問題提議詳細:天地創造神は両性具有神なのか? 原理原相論試論 問題提議編

要約すると大体次のような内容であった。


「神は本性相と本形状の中和的主体が本質で、陽陰の中和体はその属性だから一人であり主体だから男性格である」、

「被造世界との関係において神様は男性格である」、

「神様は創造主としてみた場合、男性格なので、父親として呼ぶのが自然である」ということであった。


これらは原理講論で説明している連語や単語、内容が男性格であるという結論が前提となって、神は男性格であるから父親として呼ぶのが相応しいと言っているということがわかる。


つまり頂いた複数の論証は、「本性相と本形状の中和的主体は男性格だから神は男性格である」、「神は主体格だから男性格である」、「被造世界との関係は男性格だから神は男性格である」、「創造主であるということは男性格だから神は男性格である」、「主体とは男性格だから主体である神は男性格である」と論証していることと同じである。要するに、これらの論法は、「男性格とは男性格であるから神は男性格である」と言っているといえる。


原理原相論試論 問題提議編では家庭連合(現:天の父母様聖会)は「神様が男性格というこの前提が間違っている」「原理講論は神が男性格であることを前提に書かれていることが間違っている」と主張しているから「神様が男性格である証明」が必要であるという問題提議をした。


つまり家庭連合(現:天の父母様聖会)は「本性相と本形状の中和的主体は両性格であるから天の父母である」「神の主体格は両性格である」「神の本性相と本形状は両性格である」「被造世界との関係において神は両性格であるので被造世界を創造された」「神様は創造主としてみた場合、両性格なので、天の父母として呼ぶのが自然である」という神学なのである。

よって、この家庭連合の神学に対して論証として求められる命題は「これら神様が男性格であることの根拠としている、中和的主体、本性相と本形状、神様の関係、創造主であること、これらの連語や単語が男性であることを証明せよ」ということなのである。

原理原相論試論 問題提議編はそういう問題提議であった。


ここで聖殿教会では、「神は男性格であるから父親として呼ぶ」としている神学は、原理講論で説明している連語や単語、内容が男性格であるという結論が先になって、それが前提となっているという論理的弱点があることが明確になった。

このように「神は本性相と本形状の中和的主体である男性である」ことを前提としている聖殿生徒には「神は主体格だから男性」という説明は通じるだろうが、キリスト教会や、家庭連合には論理的に極めて難しいことがわかる。


このように両性具有神一神論という問題提議の重要性、聖殿教会の論理的脆弱性を理解して頂いた上で、今回、これも5年前の2016年12月に書いた試論であるが、

原理原相論試論(創造原相論編)を参考に頂ければ幸いである。

これは5年前書いた内容であるが、二代王様の最近の、「神の本性相と本形状は、本性相的男性と本形状的女性より根源的である」「夜の神の無意識世界」「真のお父様の生心は夜の神様から来ている」というこれらの新しい御言の内容を、前もって神学として説明出来ていると思う。読んで頂ければ幸いである。

2021年8月26日 fanclub三原


↓↓ 以下2016年12月21日水曜日論文の再掲載                                         

原理原相論試論(創造原相論編)


前稿(原理原相論試論:問題提起編)において原理本体論は神が男性格主体だからという理由で神は天の父と規定することは、それを踏まえ反論している家庭連合の天の父母様論に対しては脆弱であることと、結局双方とも神は両性具有神であると規定しており、それがキリスト教から見れば異端教として排斥を受ける問題があることを論じた。ここではその問題を解決する論として、原理原相論の試論を論じていく。


原理原相論試論(創造原相論編) 

2.夜の神は圧倒的究極的に男性的な父である。

2-1:創造主の神は男性一人にして天のお父様であり父母である。


原理本体論に「神様は二つの生殖器を持っている」と記述してあることに対する國進様の見解を取り上げる。

國進様: お父様は天聖経の中で明確に神様は父であると言われています。神様は圧倒的、究極的な主体の存在であり、ご自身を圧倒的に主体的、あるいは男性的なものとして表され、示されています。
神様には女性的な性質もありますが、それはより小さな性質であって主要な性質ではありません。
神様が被造物と究極の対象的相対である女性を創造されたとき、女性は、女性器を持った圧倒的に女性的な、つまり対象的なものとして現わされました。
ですから神様は、二つの性質を持ちますが、圧倒的に男性的な父として表されるのです。
私達の立場は、基本的に天聖経に基づく解釈であり、お父様の解釈というのは、神様は男性的主体であります。それが答えだと思います。
男性的主体はペニスを持っています。

2016年10月31日 亨進様・国進様との質疑応答

國進様は明確に、神様は圧倒的主体であり男性である*と言われた。

この神学は、人間の男性と同じように女性的要素は男性誰しも持っているが男性は男性生殖器だけ持っ存在であるから男性であると規定できるように、神は女性的要素を持つが男性生殖器を持つから男性である。その神の女性的性質は被造物であり究極の対象である女性に女性器として現れた、つまり神には男性生殖器があるが神自身には女性生殖器は無く被造物である究極の対象女性に女性生殖器が現れたということである。

*拙稿夜の神様は圧倒的男性である。」参照


原理講論には神とは

本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体と書いてある。

これに対し國進様は神は圧倒的に男性だと言われる。


真のお父様が神様の具体的姿について

その凸凹は誰の凸凹ですか?神様は男性格ですか、女性格ですか?(「男性格です」)神様が男性格であれば生殖器がありますか、ありませんか?(笑)前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついていると考えなければならないというのです。振り向いてもこれも生殖器であり、振り返ってもこれも生殖器なので、男性と女性に分けて出てきたため凹凸が必要というのである!わかったの、わからないの!(「わかりました!)
(「文鮮明先生御言選集」306巻より)


このように前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついていると言われており、このような神を圧倒的男性と規定することは非常に困難である。


それでは國進様のこの神学は間違っているのだろうか?

この真のお父様が言われる前に男性器、後ろに女性器を持つ神はどのような神なのだろうか?

(原理講論)
被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。コリントⅠ一一章7節に、「男は、神のかたちであり栄光である」と記録されている聖句は、正にこのような原理を立証しているのである。このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである

ここに國進様が言われる「圧倒的男性・本性相的男性」が記述してある。


この原理講論の記述にある「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられた」という位相の神が國進様が言われる圧倒的究極的男性格主体である神のことである。原理講論の記述「男性格主体としてのみ」という表現を國進様は「圧倒的男性、圧倒的主体」と表現しておられに過ぎない。同じことを言っておられるのである。


このように被造世界が創造される前には、「神は性相的な男性格主体としてのみの存在であるので、この性相的な男性格主体としてのみの神以外の、創造後の一切全てが「形状的な女性格対象」であり、その一切全てがこの究極圧倒的男性格が究極圧倒的主体の立場で創造した被造物なのである。

また神は性相的な男性格主体としてのみの存在であるとは性相と形状の二性性相も陽性と陰性の二性性相さえも無い状態ということになる。


このような「究極圧倒的男性主体・究極圧倒的本性相的男性」である神の本性は何であろうか?

國進様: 
お父様が夜の神様をどのように説明されていたかといいますと、夜の神様は創造前に存在されていた神様だと言われました。それは永遠の神様であります。そして昼の神様については、創造の後で存在するようになった存在だと言われました。ですから昼の神様は創造された存在です。 
                 
2016年10月31日

國進様はこのように昼の神とは、夜の神が創造された被造物であると規定された。

つまり

この性相的な男性格主体としてのみ存在される神が夜の神の姿であり、この被造物である「形状的な女性格対象」は昼の神のことなのである。これが原理原相論の中核である。


原理講論「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。

この記述は原理講論のなかにおいて唯一と言える夜の神の姿に関する記述でもある。


このように究極圧倒的男性格主体である夜の神の真の父母思想とその思想による原理によって創造された形状的女性格対象が昼の神なのであり夜の神から見れば被造物なのである。


このことについて亨進様は

「夜の神様」は、超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の「無」の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様であり、「有」の状態、時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べるその存在が即ち「昼の神様」です。」

文亨進様:天基3年天暦1月7日(陽暦2012.1.29)天福宮

と説かれた。


時空間でさえも夜の神が創造された被造物なのである。

國進様は昼の神は被造物であると言われるが、亨進様はその夜の神によって創造された時空間に摂理の神として現われる夜の神の存在様相が「昼の神」であると言われる。


このように原理講論が「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられ」と記述するこの位相の神は時空間も光も創造される前の夜の神のことである。

そして明確に「形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである」つまり形状的な女性格対象は被造世界と書いてある。

夜の神はそのような形状的な女性格対象を創造せざるを得なかった。即ち「夜の神とは性相的な男性格主体としてのみの存在であり、形状的な女性格の一切を持たない存在である」と言い直すことができるのである。

これが國進様が言われる究極圧倒的男性という意味である。


コリントⅠ一1章7節に、「男は、神のかたちであり栄光である」と記録されている聖句は、正にこのような原理を立証している。

このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。(原理講論)


では次の記述の神の存在はどのような位相であろうか?

(原理講論)
神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、
本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。

夜の神は性相的な男性格主体のみの存在であり、形状的な女性格の一切を持たない存在である。しかしこの神は形状的女性を持っている。形状的女性は性相的な男性格主体の被造物である。

ゆえに明らかにこの「本形状的女性を持つ神」は「本形状的女性を一切持たない性相的な男性格主体のみの存在である夜の神」が創造した被造物である。


夜の神と昼の神の関係を真のお父様のマルスムから見てみる。

真のお父様

 神様とは、いったい誰ですか。神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。完成したアダムとエバは、真の愛を中心として横的な父母です。その二つの父母が一体となるのです。
愛するその場所で、縦横が一体になるのです。そこは愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮です。それが男女の生殖器です。
それによって、神様ご自身が神様の息子、娘を生むのです。神様の子女です。皆さんは、二つの父母から生まれたのです。
(250-38,1998.10.10)日本語天聖教2010年版P1662

 海を一つにし、陸地を一つにする、カインとアベルを一つにする統一的真理を教え、日と月が一つとなる統一的真理を教えてくれる方とは誰かというと、神様だというのです。神様は知恵の王です。知恵の王であると同時に、神様は父母なのです。
(268-289,1995.4.3)天聖教P1527

お父様のこの御言に従えば、神は真の愛の父母である。神は真の愛の根源である。

その真の愛の心情が父母であるということである。

そして統一的真理を教えてくれる方は神であり、神は知恵の王で有り父母であると言われる。

そして昼の神は夜の神の被造物であった。


よってこのように真の愛の根源である神は、真の愛の根源であるがゆえに男性である。何故なら愛は男性から始まり、その愛によって生命が始まるからである。

そうであるから、真の愛の父母である創造主とは昼の神ではなく夜の神であり、夜の神は男性であることはあまりにも明らかである

それが故に、真の愛とは、「一なる男性である夜の神の父母の心情によって創造された根源的愛」が真の愛であるということである


このように「神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。」と言われる、この真のお父様のみ言は夜の神の神性の関する神学なのである。


真の父母思想はこのような夜の神の創造物・被造物であり、真の父母思想により生み出された原理もまた夜の神の創造物・被造物なのである。


従って(原理講論)に記載される本形状的女性という性相を持つこの神の位相は三位一体論で観るならば、明らかに性相的な男性格主体としてのみ存在される夜の神が、被造世界を創造されるときに現れた昼の神としての位相であることが理解できる。


夜の神は真の愛の根源、真の生命の根源であるがゆえに、夜の神は究極的圧倒的男性格主体である。究極的圧倒的男性格主体である夜の神の真の父母思想と原理によって創造されたのが形状的女性格対象が昼の神である。

夜の神が自ら創造された時空間に摂理の神として臨在し働くために自らの存在様相を創造された、それが昼の神としての位相である。

その昼の神としての存在様相と位相も夜の神の創造物である。これは真の父母思想とそれに基づく創造原理が創造物でありその存在様相も位相も、その思想と理により創造された被造物であり、時空間における夜の神の属性なのである。これは夜の神の属性であるがゆえに夜の神と昼の神は一体である。


夜の神は、真の愛である。真の愛が夜の神である。真の愛とは真の父母の愛である。夜の神は真の愛であるがゆえに真の父母の愛の根源である。


性相的男性格主体である夜の神は真の愛であり男性としての真の愛の父母の、愛の根源であるがゆえに、昼の神はこの真の愛を中心に創造された。その男性として愛の父母ゆえに形状的女性格対象である昼の神は本性相的男性である父なる神と本形状的女性である母なる神との二性性相の中和的主体であり、全ての被造物に対しては性相的な男性格主体としていまし給う男性として愛の父母である神として創造されたのである。

このようにこの愛の父母なる神は夜の神の究極的圧倒的男性一人にして父であり、父でありながら愛の父母であるという神性の表出である。

昼の神である天の父母は「究極圧倒的男性であり一人にして父であり愛の父母である夜の神」の被造物として三位一体*なので性相と形状の関係から見れば形状的な被造世界に対しては性相的な男性格主体としていまし給うと言うことができるのである。


このように夜の神は、真の愛の根源であり、この真の愛の父母である。

それ故に夜の神を真のお父様は「天の父母様」と言わることもあったのである。

しかし男性一人にして父であり、父でありながら父母の愛であるという神性を讃え天のお父様というのである。


これがなぜその中和的主体を性相的な男性格主体として規定できるかという理由である。

つまりこの中和的主体を創造された夜の神が究極圧倒的本性相的男性主体であるからだ。


以上のように

夜の神とは真の父母思想により、本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の父母二性中和的主体である昼の神を創造され、昼の神を主体とする被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給う絶対的創造主であるという事実を知ることができる。


被造世界が創造される前には、夜の神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、父母二性中和的主体である昼の神をその存在様相位相として創造せざるを得なかったのである。

その夜の神の女性的性質は昼の神の究極圧倒的女性格対象であるエバに女性生殖器として現れたのであり、このエバを求めて夜の神の天地創造が始まったのである。


昼の神の位相における天の父母様とは被造物である我々から見れば昼の神であるが、昼の神は夜の神の存在様相・位相とはいえ被造物なので究極的創造主を呼ぶ場合は天のお父様と呼ぶことが正しい。

また夜の神の、究極的圧倒的男性一人でありながら父であり、父でありながら愛の父母であるという神性を讃え、天のお父様と呼ぶのである。


これが神が男性格主体であり父と呼ばなければならない理由であり、何故天の父母ではなく天の父と呼ぶべきかの理由である。


夜の神昼の神の三位一体論については拙稿

夜の神様と昼の神様からみる天の御父様の四位基台」参照。


2-2:昼の神は夜の神の被造物、夜の神は創造主であり男性である。


亨進様は

「夜の神様」は、超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の「無」の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様であり、「有」の状態、時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べるその存在が即ち「昼の神様」です。」

文亨進様:天基3年天暦1月7日(陽暦2012.1.29)天福宮

と説かれた。


これは時空間創造後に現れた昼の神も、創造主でありながら、縦的な真の愛の父母による統一的真理によって創造されたということであり、この真の愛の父母の心情が、統一的真理、創造原理、そしてその思想が創造される前に存在する心情であるがゆえにこの愛の父母とは夜の神である。


創世以前の神について聖書には次のように書いてある。

初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。
成ったもので言葉によらずに成ったものはひとつもなかった。
言葉のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は、光を理解しなかった。 
     
 (ヨハネ福音書 1:1~1:5 )

この聖句の内容は、

「神と共にあった始めにあった言葉とはこの夜の神による父母の心情による真の愛によって造られた真の父母思想であり、真の父母様は夜の神の父母の心情と真の愛による真の父母思想によって創造された昼の神である。」ということであり、その創造の過程で現れる「有」の状態、時空間の創造後の動きが昼の神であるということである。

時間も空間も無い「闇」の状態、夜の神は性相と形状の二性性相も陽性と陰性の二性性相さえ無い。

それらの二性性相は創造主である夜の神の「真の父母思想の位相、属性」が昼の神を通して現れるのである。


昼の神が本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、

本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体として創造されたのであるから、この夜の神の真の父母思想による創造された原理自体が本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和から構成されていることがわかる。


原理講論や原理本体論の創造原理に記述してある二性性相の神は太初の被造物である原理本体とそれを展開する時の、昼の神の姿であることは先の項「2-1:創造主の神は天のお父様であり、被造物の神は天の父母様である。」にて考察した通りである。


それだから真のお父様や原理本体論が言う男性生殖器と女性生殖器を持つ神とは、

「光と時空間創造以降」の父性と母性の二性性相の中和的主体として光と時空間創造後の展開の中で生じる神であるがゆえに昼の神と規定できる。

夜の神はそのような形状的な女性格対象である被造物、昼の神を創造せざるを得なかったのである。


國進様: 神様が被造物と究極の対象的相対である女性を創造されたとき、女性は、女性器を持った圧倒的に女性的な、つまり対象的なものとして現わされました。

2016年10月31日 亨進様・国進様との質疑応答


國進様が言われるように、神の女性的性質は、被造物であり究極の対象である女性に女性器として現れた。

つまり神には男性生殖器があるが神の本体には存在せず被造物でもある究極の対象的相対である女性に女性生殖器として現れたということである。

原理講論、原理本体論に記述してある創造原理の神学の殆どは結局被造物である昼の神についてである。

何故なら原理講論は神を作家と被造世界を作品に見立てて被造世界の共通様相、つまり二性性相から推論していったのであるがこの帰納法的考察の対象は創造主そのものではなく、あくまでも被造物である。

従ってその収斂し行きついた先が夜の神が光あれと創造された直後の被造物、あらゆる被造物の素材、元素でもある太初の創造物である原理本体を展開していく際の昼の神の姿であったのである。これが原理講論や原理本体論の言う神の姿、二性性相の神の中和的主体である。


よって次に何故そのような昼の神をこの創造主は創造されたのかを考察し、この創造主がどのような方であるかを考察する作業が残されていたのである。これが原理講論においては「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。」という記述なのである。この夜の神の部分を解き明かすのが原理原相論の使命でもある。


真のお父様はこの絶対的創造主について「神とは、いったい誰ですか。神は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。と言われた。これがこの中和的主体を創造された創造主を推論する大きな手がかりとなる。

夜の神はこの真の愛の父母として二性性相の原理を創造された。この夜の神の真の父母思想による創造された原理自体が本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和から構成され、その原理によって時空間とともに創造された被造物である昼の神は全ての二性性相、全ての被造物の素となるその太初、昼の神の原理本体として現れた。それが故にこの原理本体は男性と女性の両方の生殖器を持つ姿として現れたのである。


この被造物である昼の神の太初である原理本体の存在様相について真のお父様は男女二つの生殖器を持つ神と言われたのである。

原理本体論が言う男女二つの生殖器を持つ原理本体とはそのような被造物である原理本体を展開する時空間に現れた昼の神の太初の姿についてである。

よって原理本体論の位置づけはこのような昼の神についての神学であり、原理本体論の言う本体は夜の神ではなく、この昼の神が真の愛の父母であり絶対精子と絶対卵子の本体ということなのである。


聖書の目的はメシアについての証であり、原理講論が再臨主真のお父様についての証であった。

原理本体論は真の父母様が第二創造主なる昼の神であることを証すためのキリスト論的神学論であった。

その意味では原理原相論は、これはあくまでも考察の結果論であるが、夜の神の絶対精子と真のお父様が決めた相続者三代王権の正当正統性を証すキリスト論的神学であるとも言える。


亨進様はこのことを次のように言われる。

お父様の、神様の精子。お父様の原理本体論中心の神様の精子。精子。神様の精子!なぜ?メシアは新郎だ!神様の精子!皆さんもご存知でしょう?女はXX、男はXY、男の種は、息子も作り、娘も作ります。XX、2つXがあると女だけ出てきます。男が出て来れません。息子が出て来れません。種が下ろせません。種!精子!神様の王権は精子を通して降りていきます。父子関係。


夜の神の精子と父子関係、これが三代王権のキリスト論である。


精子は女性をつくるX染色体と男性をつくるY染色体の両方を持つ。これに対し卵子はXX、女性の染色体Xしかなく、精子に男性・女性の性別の決定権がある。

つまり精子単体でも愛の父母であると言える。しかし精子は男性である。

真のお父様がお一人で父母であり、圧倒的男性である夜の神がお一人でも愛の父母であるのはXYを持つ絶対性精子の本体である男性であるからだ。

母子関係(XX)では神の種が断絶する。父子関係(XY)の血統が天宙の根本原理なのであり、この父子関係が原理原相論のキリスト論である。


従って真のお父様が、

教会に入って初めて、神様のことを「お父さん、お母さん」と呼べるようになったのに、一、二回呼んだだけで、それきり呼ばない人たちがいます。どれほどやるせないことでしょうか。また、私たちは神様を口先だけで呼ぶのではなく、心の奥から呼べなければいけません。
皆さんが信仰者ならば、「父なる神様」、「母なる神様」、「真の父母様」と語りかけながら、毎日毎日、神様に喜んでいただかなければなりません。

●「神様が惚れ込む者となれ」 第一章 天地を結ぶ絆 第一節 孝心の道

と、このように言われるこの神は昼の神のことであり、昼の神の実体が真の父母様なので真の母として探し出された女性が真の母として勝利し、真の父母様が地上に出現したことを指して「父なる神様」「母なる神様」「真の父母様」、このような昼の神として天のお母様になるべき実体である真の母が現れたので「母なる神様」「真の父母様」と呼んで喜んで頂くべきだという意味で語られたマルスムなのである。


従って、原理原相論の究極の創造主である夜の神は父であり男性である究極的主体であるから、夜の神を母なる神様、天の父母様と呼ぶのは誤りであり、創造主である夜の神に対しては「天のお父様」と呼ぶのが正しいのである。


「私は夜の神様から、お前たちは昼の神様から出てきた。」と言われたみ言を易しく説明すると、​私たちは母の子宮を借りて生まれますが、真のお父様は神様の種、すなわち「精子」から出て来られたことを意味します。

文亨進様:天基3年天暦1月7日(陽暦2012.1.29)天福宮

このように原理原相論は夜の神の精子論でもあり、これが根本根幹である。アダム・イエス様・真のお父様はこのような夜の神の精子から生まれた真のアダムなのである。


このように真のお父様が言われる夜の神は究極圧倒的な性相的男性格主体であり、この夜の神まで二性性相の中和的主体と規定してしまった場合、キリスト教が忌み嫌うインドのシヴァ神などと同じ両性具有神化してしまう。そのような過ちを家庭連合の「天の父母論」は犯しているのである。

しかも、ここでは詳しい説明は省くがそのような両性具有神とエバは直接結婚し、

エバは神になれるという二元論の問題も持つ。*3家庭連合と韓お母様の誤謬参照


夜の神はそのような両性具有神ではなく、昼の神を二性性相の中和的主体として創造されたのはその真の父母思想によりそのような原理を創造されたのだから、夜の神はそのようなみ言を語る頭と口を持ち、その思想を具体的に作り出す手を持ち、真の女性・真の母を求めて、天宙を創造して走って行かれた足を持つ男性、このようにその姿を推論できるのである。男性は夜の神のごとくXY遺伝子の精子を持つ。


聖書「コリントⅠ一1章7節「男は、神のかたちであり栄光である」

とはこのことを言っているのである。


「コリントⅠ一1章7節「男は、神のかたちであり栄光である」

神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。(原理講論)」


これらの聖句と原理講論・原理本体論の解釈に対して、國進様は「神様は圧倒的、究極的な主体の存在であり、ご自身を圧倒的に主体的、あるいは男性的なものとして表され、示されています。神様は、二つの性質を持ちますが、圧倒的に男性的な父として表されるのです。お父様の解釈というのは、神様は男性的主体であります。男性的主体はペニスを持っています。」と表現されたのであり、父母の性相として霊的XY遺伝子の精子を持つただ唯一なる神は父であるということが原理原相論の根幹なのである。


このような究極圧倒的男性格主体である夜の神が真の父母思想と創造原理によって創造した被造物が形状的女性格対象である昼の神であり、夜の神の時空間における存在様相、位相なのでる。


また國進様は聖霊について女性神が存在するのではなく「みなさんが見ている聖霊の現れというものは、一人の神様の中にある、その性質の表れであり、それは神様の対象的な相対によって映し出されます。」と言われたが、これは究極圧倒的男性格主体である夜の神様が形状的女性格対象に映し出されたその夜の神様の姿が聖霊である、ということなのである。 *拙稿:聖霊父母二性三位一体神論参照



以上の内容をまとめる。


究極圧倒的男性主体である夜の神は、その真の愛の父母として心情による真の父母思想を持って父母二性性相の中和的主体思想により構成された原理を創造された。

その原理に基づき、時空間と同時に、夜の神が摂理の神として臨在し働くため自らの存在様相を形状的女性格対象である昼の神として創造された。


被造世界が創造される前には、夜の神は真の愛の父母という性相的な男性格主体としてのみおられたので、その究極的圧倒的一人の男性にして父であり、父でありながら真の愛の父母であるという夜の神の神性ゆえに自らの存在様相を形状的な女性格対象として、父母二性中和的主体である昼の神を創造せざるを得なかったのである。


昼の神は、夜の神の、真の愛の父母としての心情による父母二性性相の中和的主体思想である原理により創造された夜の神の真の愛の存在様相なので、父母二性性相の中和的主体として太初に原理本体として現れた。この原理本体は男性である夜の神の現れなので男性格である。


昼の神の太初である原理本体は、真の父母思想により太初に創造された夜の神の位相であり被造物であるため、その他の森羅万象の被造物に対しては本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性である父なる神としての現れと、本形状的女性である母なる神としての現れ、との二性性相の中和的主体である第二創造主である。この本形状的女性である母なる神としての現れは男性である夜の神の現れであるので男性格である。


完全無形なる夜の神は第一創造主としてこの昼の神と三位一体であるので全ての被造世界においては男性格主体として偏在され、形状的女性格対象に現れるとき聖霊として映し出されるのである。従って聖霊は女性的でありながら男性格である。


その夜の神の真の愛の女性的性質は究極の対象的相対である女性に現れたのであり、夜の神の真の父母思想による昼の神の創造の目的は、その昼の神が展開さる森羅万象の天地創造の最終的目的は、圧倒的対象であり夜の神の相対者である女性の創造と完成にあることを我々は知ることが出来るのである。


このような昼の神が展開していった原理本体としての絶対性卵子は女性に現れ、夜の神の絶対性精子は男性に現れる。

このように完成した男性と完成した女性の結婚、即ち夜の神御自身の結婚とその子女繁殖を目的として夜の神の天地創造が始まったのである。


論文:2016年12月21日水曜日 ファンクラブ

以下もご参考ください。

原理原相論試論.創造原相論堕落論夜の神昼の神

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