LIVE:第66回_真の子女の日
第38回_天宙統一国開天日
天基15年天暦10月1日 2024年11月20日
日本語通訳付き LIVE訳無し
訓読
『天聖経』
「真の家庭」第11章 家庭は永遠の幸福の土台
7)家庭を通して人間が行くべき天道
人間は、自分の父母を愛するように隣村の父母を愛し、自分のおじいさんを愛するように隣村のおじいさんを愛さなければならず、自分の息子、娘を愛するように隣村の息子、娘を愛さなければなりません。そのようにすれば、上下関係が広がり、左右が広がり、前後関係が広がるのです。それが繰り広げられ、この縦的な心情の基準が築かれて天道が生じるのです。ですから、それを実践しようというのです。
私たち統一教会は、それを実践するために理想的な家庭を建設するのです。そのようになるのです。
教会という所は、その縦的な基盤を横的に四方化させ得る所です。その数が多くなるほど良いのです。なぜ多いと良いのですか。家庭時代から氏族圏を越えて、氏族圏から民族圏を越えていくからです。ですから、伝道をたくさんするほど天的な基盤が自分を通して繰り広げられるので、神様の前に人格的価値の基準が前進するのです。
ですから、私たちは、この縦的中心で何をしなければならないのですか。これを横的に再現させようというのです。(70-152,1974.2.9)
お父さんとお母さんが一つになる日には、その家庭は発展し、子女と父母が一つになる日には、より次元の高い家庭に発展することを知らなければなりません。それでは、家庭と親戚間において一つになる日には、どのようになるのでしょうか。そこには新しい民族の意気が高まることでしょう。
それがより高い次元に向かっていこうというときには、環境的にすべて結束し、国家基準まで忠臣の血族として残されるようになるということを忘れてはなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-921)
もう先生は、遠からずおじいさんになります。皆さんも年を取ると、おばあさんやおじいさんになります。同じです。息子、娘に生まれ、結婚してお母さんやお父さんになり、おばあさんやおじいさんになっていくのが一生です。ですから、おばあさんやおじいさん、次にお母さんやお父さん、その次に自分たち夫婦、その次に息子、娘、これが人生の公式的路程なので、それを愛さなければ天道に外れるのです。これを根本的に結んでおかなければ、世界を収拾する道がありません。
西洋に行ってみると、おばあさんやおじいさんがかわいそうです。彼らは東洋の風習がどれだけうらやましいか分かりません。「ああ!東洋思想は、おばあさんやおじいさんたちに神様のように侍り、70、80歳の老人のすべての世話を息子がするのだから、それがどれだけ良いだろうか」とそのように思っているのです。ですから、おばあさんやおじいさんを愛することが分からない人は、神様を愛することができないのです。
一番年を取ったおじいさんは誰でしょうか。そのお方は神様だというのです。おじいさんよりも、お年寄りの方が神様であり、赤ちゃんよりも若い方が神様なので、すべての人を愛さなければ神様を愛することができないのです。
ですから、神様が年を取っていらっしゃるとすれば、一番年を取っていらっしゃる方であり、未来に対する青春ならば、誰よりも青春です。その方を私が愛そうとするならば、その中にいるいかなる人類も私が愛さなければならず、歴史時代に霊界に行っている方たちも、今その圏内で希望を求めて生きようとしているので、その方たちまでも愛さなければなりません。それでこそ神様に倣って愛することのできる道に至るというのが理論的なのです。(70-152,1974.2.9)
8)統一教会は家庭天国を築こうとするもの
私が今、教会を建てないのは、すべて考えがあってのことです。教会にたくさんの人が必要なのではないからです。天国は、教会から成されるのではなく、家庭から始まるのです。
家庭、すなわち新郎新婦から始まるのです。女性は男性に巡り合うために生まれ、男性は女性に巡り合うために生まれました。
赤ん坊が眠りから覚め、初めて目を開けながら呼ぶのが「お母さん」です。赤ん坊がお母さんを呼ぶ以上に、夫は妻を呼ばなければなりません。このように呼んでみなかった人は、かわいそうな人です。
また、妻も夫以上にそのように呼ばなければなりません。互いにそのようにできる夫婦として接しなければならないのです。琴瑟之楽(きんしつのらく、注:夫婦仲がとても良いこと)の夫婦として、互いにそのように呼び合いながら暮らさなければならないというのです。そのように千年、万年暮らせば、老いても青春がうらやましくないというのです。(23-54,1969.5.11)
男性と女性は、み言の時代を経て、実体の時代を経たのちに初めて、主との出会いのひと日が成されるのです。そして、出会いのひと日が成されたのちに初めて、天国生活をすることができるのです。
出会いのひと日には、彼の心が私の心であり、彼の心情が私の心情であり、彼の姿が私の姿であり、彼の困難が私の困難であり、彼の傷が私の傷として感じることができる境地にまで入らなければなりません。そのような境地に入って、彼の心も私の心、彼の心情も私の心情となってこそ、天国家庭が成されるのです。これがこの地上で完結されてこそ、天国家庭が生まれるのです。(19-250,1968.1.15)
真の愛とは何でしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。愛は、互いが犠牲になるという伝統を備えなければ、長く持続することができずに壊れるのです。
父母が子女のために犠牲になるがゆえに、父母が子女を愛する因縁は壊れないのです。
そして、真なる父母の愛を受けて育った息子、娘なら、自分の父母に絶対に不孝をすることができないのです。
また、夫は妻に、妻は夫に対して、「あなたは私のために生きた」という立場で互いが与え合い、一層犠牲になる立場が広がるようになるとき、その家庭には福が訪ねてくるのです。そのような家庭が、神様が訪ねてこられる福地なのです。(43-308,1971.5.2)
天国生活はどこから始まるのでしょうか。家庭からです。ほかの所から始まるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけであり、家庭圏を外れたものではないのです。
ですから、皆さんが自分の妻や夫を抱くときに、これは世界の男性と女性が一つになるのだという考えをもたなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立て得る場が、正にこの家庭です。(30-82,1970.3.17)
今、先生は、家庭に対する規範、天国家庭としてもつべき生活に対する規範を教えてあげなければならないということを感じています。統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を主とするのです。(22-333,1969.5.11)
これからは、統一教会で礼拝を捧げるのも、説教形式ではなく、報告形式でしなければなりません。報告の内容は、その家庭が誇り得るものでなければなりません。ですから、家庭全体が来て礼拝を捧げなければならないのです。
そのようにしながら、立派な家庭の報告は倣い、遅れた家庭の報告は、うまくいくように導いてあげなければならないのです。そして、家庭天国を建設しようというのです。家庭天国を先に成すことができなければ、地上天国は成せないことをはっきりと知らなければなりません。(23-62,1969.5.11)
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