2019年10月6日日曜日

書籍 鉄のつえの王国<全文> ROD OF IRON KINGDOM  


今回、kijoksoriのブログGive me some truthで5章途中までの残り訳を掲載いただきました。これで全文翻訳完了になりますので、一挙全文をまとめて転載させていただきます。前半、1章から5章途中まではサンクチュアリNEWS で連載されたもの、後半6章~11章はkijoksoriのブログGive me some truthで連載されたものです。まことに、ありがとうございます。
ROD OF IRON KINGDOM
書籍 鉄のつえの王国 全文  文亨進  著 
翻訳:1~5章 HARRYⅡ 5~11章 kijoksori


第1章 フロリダ州 パークランド 
Parkland,Florida

2018年2月14日のバレンタインデー、心を病んだニコラス・クルーズという若者がフロリダ州パークランドにあるマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校の前で車を降りた。午後2時19分だ。その2分後、ストーンマン・ダグラス高校元生徒のクルーズは、ドラムバッグとバックパックを背負って12号館へ入って行った。その数秒後、撃ち始めた。
ブロワード郡保安官代理のスコット・ピーターソンはその時キャンパスの事務所にいた。

午後2時22分、火災報知器が作動し、学校中に鳴り響いた。コーラルスプリングの緊急派遣センターを経由して最初の911番への通報がなされた。
午後2時23分、「通知する。ひょっとして・・・爆竹の可能性もあるが、発砲された可能性がある。1200号館で発砲の可能性。」ピーターソンが無線連絡を入れた。
その時にはピーターソンは12号館の南東の角の到着していた。
「120号館だ!ホルムバーグ・ロードを隔てた建物だ」数秒後、ピーターソンは半狂乱になって叫んだ。
銃の乱射は、最初は廊下、さらに、1階と2階にわたって5つの教室で繰り広げられた。911コールセンターに電話が殺到しはじめた。キャンパスから生徒たちが逃げ出してきた。ピーターソンは「校舎の中に入らないように!」と放送する。
校舎内で銃声が聞こえていたにもかかわらず、ピーターソンは校舎の外に居続けた。

午後2時27分、クルーズが12号館に入って6分後、銃声は止まった。自分のAR-15ライフルとベスト、そしてすこしばかりの銃弾を3階の階段に置いたまま、その場から立ち去った。

午後2時32分、銃撃が始まってから11分後、コーラルスプリングの警官4名とブロワード郡安全公安官補2名が「犠牲者を現場から連れ出す」ため、警官として最初に現場に到着した。
通りの先、クルーズはウォールマートに入りサブウェイで飲み物を買っていた。

午後3時40分、ココナッツクリークの警官がクルーズを発見し、抵抗を受けることなく逮捕した。翌日、クルーズは17件に上る第1級殺人と17件の殺人未遂で起訴された。

犠牲者は—
スコット・ベアイジェル: 地理教師で銃撃が始まったとき生徒たちを自分の教室に戻るように手招きしているときに射殺される。

アーロン・ファイス: アシスタント・フットボールコーチ、飛んでくる銃弾から生徒を守ろうと生徒の前に身を投げたときに射殺される。

クリス・フィクソン: ダグラス高校体育局長
アリッサ・アルハデフ 14才
マーチン・アンギアーノ 14才
ニコラス・ドレット 17才
ハイメ・ガッテンバーグ 14才
ルーク・ホイヤー 15才
キャラ・ラウラン 14才
ジーナ・モンタルト 14才
ジョアキン・オリバー 17才
アライーナ・ペティー 14才
メドー・ポラック 18才
ヘレナ・ラムゼー 17才
アレックス・シャクター 14才
カーメン・シェントラップ 16才
ピーター・ワン 15才

悲しみにくれる生徒と両親は「なぜ、こんなことが起きたのか」と問うた。武装した警官がキャンパス内にいたのに。
また、他の者は犯行に使用されたAR-15セミオートマチックライフルに意識を向け、アメリカ国内での販売の禁止を求めた。
難を逃れたパークランド高校の生徒はCNNが御膳立てした集会、その他のテレビニュースに出演してAR-15の販売制限ないし禁止する法律を即時制定するよう求めた。

高校生たちは憲法修正第2条を支持する国会議員はNRA(全米ライフル協会)のいいなりになっていると非難した。

俳優のジョージ・クルーニーとその妻は、全米の銃暴力反対運動のために50万ドル寄付した。クルーニー夫妻の主張は他の有名人たちに同様の行動を促した。そこで繰り返し叫ばれた題目はこれだった。
「NRAに死の責任がある」
銃規制の法律が事件を防ぐ、ということに懐疑的な他の生存者は、CNNの集会で話もさせてもらえなかった、あるいは意見が事前にCNNのスタッフによって没にされた、と不満を述べた。
国民の生命を守れなかった政府 Government’s Failure to Protect Lives

今回の銃撃事件は市民の生命を守るべき政府の無能を、まさに悲劇的な形で証明した。いかなる理由があったにせよ、ブロワード郡の保安官代理スコット・ピーターソンは学校の中に入り、犯人と交戦あるいは制止することができなかった。他の警官が到着したときには銃撃は終わっていた。

この事件以前に、地元の自治体はニコラス・クルーズの常軌を逸した、暴力的な挙動について(当局に)39回も通報していた。伝えられるところによれば、クルーズは「人々を殺し、全身に血を浴びる」夢を見たという。また、動物を虐待したり、銃弾を詰めたバックパックを教室にもって行ったり、暴力をふるう脅しをかけたりしていた。警察当局はクルーズが危険であるという警告を再三受けていたが、対処しようとはしなかった。
FBIもクルーズに関する2つの情報について対応し損ねた。一つは、インターネット上でクルーズが残した次のようなコメントだ。
「俺はプロの学校射撃手になる」

暴力の脅迫はそれだけで重犯罪であり、逮捕および銃器購入を禁止することが許される。
いったいなぜこれらの脅迫にもかかわらず彼は逮捕されなかったのか。その答えに読者は驚くだろう。5年前にブロワード郡の公立学校は、問題のある学生の逮捕を減らす趣旨のオバマ政権の政策を受け入れていたのだ。2013年にブロワード郡の学校はその指導方針を改めた結果、問題ある生徒が、薬物使用、暴行、その他の犯罪行為などの問題行動をとっても停学、退学、逮捕することが実際できないようになっていた。

その理由は?
学内で犯した犯罪のために刑務所送りになる少数派(マイノリティ)の学生の数を減らすためというのがその理由だ。

第1章
この(オバマ政権による)13にのぼる報告義務のない犯罪を認める懲罰政策の積極的推進者がブロワード郡保安官のスコット・イスラエルだった。彼は高校での乱射事件の責任を回避して、全米ライフル協会に責任をなすりつけた。scott israel   Google 検索.png
スコット・イスラエル
この新しい政策がとられて以後、数年間で、多様な民族を抱えるブロワード郡での不良学生の逮捕率が、フロリダ州で最も高いとことろから、学生の収監率に関してフロリダで最も低い地域になった。学生の停学、退学処分の数も急激に減少した。
法を破った生徒に対して、(オバマの)PROMISEプログラム、すなわち機会、メンタリング、介入、支援、教育を通して再犯を防ぐプログラムが、刑務所送りとカウンセリングにとって代わったのだ。
オバマ政権はブロワード郡の改革に賛辞を送った。
2015年、ブロワード方面の地区の警察本部長はホワイトハウスのRETHINK DISCIPLINE(規律の再考)行事に出席した。そこで、ブロワード郡の目覚ましい「方針の転換と学内環境」が行事の目玉となった。
ニコラス・クルーズはストーンマン・ダグラス高校から停学処分を既に受けていた。実際、学校に銃を持ち込んで追い出されたこともあった。しかし、(オバマの政策のおかげで)逮捕歴が付かなかったので自由に銃を買うことができた。
パークランドの高校での銃撃事件以前に、幾度となく逮捕に相当する行為を行ってきたにもかかわらず、ニコラス・クルーズは警察によるマークを逃れ、身元調査を免れた結果、3名の教師と14名の生徒を殺す銃を手に入れることができたのだ。

これらすべては、オバマ政権の教育省の指導を採用した結果である。クルーズの学校地区はブロワード郡の他の十数地区の学校と並んで、この戦略的政策の第一線を走っていた。そこでは心理的障害を抱えた者、ときに犯罪行為を抑制できない生徒たちが、法的責任を免除されているのだ。その狙いはただ、「学校から刑務所へのパイプライン」を通りにくいものにするということだった。

連邦政府補助金への申請からわかったことは、ブロワード郡教育長ロバート・ランシーの計画こそがオバマの教育長官アーン・ダンカンの教育省から数千万ドルの連邦補助金を引き出したということだ。このロバート・ランシーがキーパーソンとなった。
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(写真左 アーン・ダンカン 写真右 ロバート・ランシー)

今回の事件は、政府が市民を守ることにかけていかに無能であるか、そして、「進歩的」な連邦政府の政策が地方レベルで、いかに常識外れなものになり得るかということを知るための典型的な先例になった。

地元の学校関係者も地元の捜査当局もクルーズという少年が時限爆弾であることを知っていた。しかし、郡の教育長と郡保安官が連邦補助金を増額することで合意していた以上、なすすべがなかった。学校犯罪を減らす彼らの解決策は、「報告するな」(なかったことにする)だったのだ。
もし仮に、銃を使ったまずい事件が起きればどうする? NRA(全米ライフル協会)を非難せよ、だ。

第2章 ペンシルバニア州ニューファンドランド 
Newfoundland, Pennsylvania

ペンシルバニア州ニューファンドランドは小さな静かな町だ。私たちのコミュニティはメイン・ストリートにある、空き家になっていた教会を購入した。イエス様と私の父、文鮮明師の教えに基づき、毎週日曜の礼拝を行い、幾度か聖婚祝福式を現地のメンバーと世界各国のメンバーと共におこなってきた。そこにはメディアの関心も問題も何もなかった。

パークランド銃撃事件で、それが劇的に変わってしまった。何カ月も以前に計画していた行事がいきなり1面のニュースになったのだ。20以上の報道機関から、40名を超えるジャーナリストが2月28日の「生命の書」祝福行事を録画するために集まってきた。新聞とテレビの放送によって、世界の大陸に住む10億人以上の人々、すなわち各メディアの視聴者と読者に「AR-15の祝福」という見出しで、けばけばしく伝えられたのだ。
Couples lug AR 15 assault rifles to Pennsylvania church blessing1
Sanctuary Church to Hold Gun Rights Dinner WNEP com
いくつか、私たちに届いた「控えめな」電子メールを紹介しよう。

あなたとあなたの教会はフロリダのパークランドの学校で命を落とした17人の学生と教師の死について共に責任を負うべきだ。あなた方はネバダ州でのコンサート乱射事件の犠牲者の死について共犯だ。オーランドのナイトクラブ乱射事件の犠牲者の死について共に責任を負うべきだ。あなた方は共犯者だ。戦争兵器を一般人が所有、使用、乱用するのを容認するあなた方はアメリカの罪なき人々の死に責任を負うべきだ。 キャサリン・S

あなた方のような人びとこそが、宗教が死んだと今いわれる理由だ。馬鹿々々しくて、あなたたちのような類の者は早く消え去ればいい。あなたの教会の気違いが他の気違いにアサルトライフルを互いに発砲すれば、あなた方に消えて欲しいと願う、すべてのまともなアメリカ人にとってそれが解決策になるだろう。あなた方は全員、精神障害者で見下げ果てた者たちだ。全員、恥を知るべきだ。 アダム・C

一人のキリスト教徒としていうが、あなた方全員の魂は永遠に罰を受ける地獄行きだ。何と哀れで病んだ人々なんだ。あなたたちのために祈る。神の助けがあるように。 ラス・M

何か正当化することがあるのだろう・・・そこまでひん曲がっているなら。イエスはどんなサイズでも好みの人殺し道具を認めるというのか。お前たちは病んだ、危ないくそ野郎だ。KD

非良心的で、驚くほどの愚行! RTB

これで、少しはお分りだろう。メディアの報道や怒りのメールはさておき、そもそもわれわれは「銃を祝福」などしていない。2月28日、数百名のカップルが世界から集まってきたのはそれぞれの結婚をお互いに、そして何よりも神様に献呈するためだ。

私たちは銃、われわれのいう「鉄のつえ」を崇拝などしていない。われわれが崇拝するのは私たちを似姿として造ってくださった神様であり、神様がわれわれ一人一人と個人的関係を持ってくださることを切望するのだ。
私たちの結婚に神様の祝福を求めるのは、夫婦の愛の中、親子の愛の中にこそ、神様が深く住まわれることを信じるからである。このような祝福結婚は、力強い社会と地上天国の礎石になる。

神様の人類に対する願いは創世記1章28節に人類始祖に対する言葉として表現されている。

神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」

神様の人類に対する願いは創世記1章28節に人類始祖に対する言葉として表現されている。

神は彼らを祝福して言われた、

「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」

私たちにとって第1の祝福は「生めよ」これは霊的に成熟することを意味します。第2の祝福は「ふえよ」、これは神を中心とする結婚、神を中心とする家庭を確立するということです。第3の祝福は「すべてを治めよ」これは人類すべてが、神の原理と本性に基づく神の主権を打ち立てる権利を持っているということです。
残念ながら、私たちの最初の先祖は堕落の罪ゆえにこの「3つの祝福」を成就することができませんでした。彼らの堕落には自己中心的な肉的交わりが関わっています。

個人の霊的成熟と、祝福された結婚、地上に対する神の主権、という神様の理想が成就しなかったということです。統一教会のメンバーにとって、聖婚祝福式は単なる結婚ではありません。キリストの堕落と縁のない王の血統に結婚と家庭が接ぎ木されるのです。黙示録19章9節にある「子羊の婚宴」です。

黙示録では、キリストは繰り返し「鉄のつえの支配(黙示録2:27)」について述べています。しかし「支配」という言葉は本来「導く、世話をする」あるいは「保護する」という意味のギリシャ語のポイマイノが語源です。したがって、この聖句はわれわれに神様が子供たちを鉄のつえで保護する、群れを独裁者のようではなく、愛する父として護ってくださるということを語っているのです。

同様に、私たち一人一人も「鉄のつえ」の力を用いるように求められています。それはこの世のサタンの王国が行ってきたように、人を傷つけたり抑圧するのでなく、神の王国とその住民を守るために用いるのです。

あなたと私には家族と社会、そして究極的には国まで守る責任があるのです。「鉄のつえ」は男にも女にもそして老人にも自分達と他の人を略奪者から守る能力を与えてくれます。
射撃魔から生徒たちを守るために、体一つで校舎に飛び込んだフットボールコーチが銃を持つことを許されていたならば、彼等の命を含む多くの命を救うことができたでしょう。

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生徒を守ろうとして命を落とした3人のフットボールコーチ

生きるか死ぬかという状況で、第一対応者になるのは、たいていの場合、警官ではありません。それはあなたや私なのです。危機的状況で、警官が到着し、事態を掌握し、誰が関わっているのか特定し、とにかく、どんな対策を取るかを判断するまで10分から20分、ときにはもっと時間がかかります。

パークランド銃撃事件の場合、ほとんどの警官は到着が遅過ぎて、被害の拡大を防ぐことができませんでした。彼らにできた事といえば、せいぜい負傷者を手当てし、死体を運び出し、事件の報告書を書くことだけでした。
真の神の信仰は、妄想の世界のおとぎ話ではありません。神を愛し隣人を愛することの責任を男も女も引き受けるということです。他の人を守るためには、よろこんで自分の命さえ危険にさらす。これは、私の父が亡くなる前、私に教えてくれたことです。だから私も自分の子供とサンクチュアリのコミュニティにこれを教え、訓練しているのです。

父は現在の北朝鮮で生を受けました。ですから、人びとが無防備でいるとき何が起きるのかを十分に理解していました。共産主義の支配が及んだ時、父はキリスト教の説教をしているという理由で逮捕され、興南の死の強制労働所に送られました。そこで囚人は飢えに苛まれながら、死ぬまで働かされるのです。ダグラス・マッカーサー将軍率いる陸軍が父と他の囚人たちの命を助け、解放してくれました。父の家族の多くも数えきれない他の同国人とともに命を落としました。

私の父は、自分を拷問し、親族を殺した男たちを許しました。独裁者金日成に会いに行き、北朝鮮の近代化のためにと援助の手まで差し伸べました。

父はまた、朝鮮戦争後、韓国とその国民が決して無防備でいてはならないと、韓国で銃器の会社を立ち上げました。

神様はわれわれに地上天国における、父の共同相続者、共同後継者になることを願っておられるのです。(ロマ書8章、詩編2章をみよ)

これが、私が2月28日の祝福式に参加するカップルに、自分の「鉄のつえ」を持参しなさいといった理由です。鉄のつえの目的は人を傷つけることではなく、無垢な命を守ることです。

私の父はこう言いました。
「保護圏がなければ、命が脅かされます。そして命が脅かされるとき、愛は現れることができません。」

第3章 西側世界の内乱 
Civil War in the Western World

アメリカは徹底的に分断された国です。それは4年ごとに行われる大統領選挙での民主党の強い州「ブルーステート」と、「レッドステート」と呼ばれる共和党の強い州での、有権者を巻き込んだ戦いを見れば火を見るより明らかでしょう。

しかし、この分断は単なる政府の役割や政策などに関する政治論争、それ以上のものなのです。本質的にもっと根源的性格をもつ論争です。すなわち超越した存在、すなわち神の存在と権威を受け入れ肯定する者と、神への信仰など無知に根差す未熟さだと主張する「専門家」の「啓蒙された」階層のいうことを信じる者との間の争いなのです。

18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントはこう言いました。

啓蒙とは人間が自ら招いた未成年状態から抜け出ることである。未成年状態とは、他人の指導なしには自分の悟性を用いる能力がないことである。

啓蒙運動以来、多くの者が宇宙は「神の摂理」ではなく物理法則に支配されたものであるとみなすようになりました。科学の進歩に伴い、道徳の源としての神あるいは宇宙の秩序の源としての神はもはや必要ないと人類は考えるようになったのです。理性それ自体と科学で十分だと。

そのような(信仰という)義務から免れることを多くの者たちは喜びました。

フリードリッヒ・ニーチェはこう書き記しました。

「まことに、『年老いた神が死んだ』との知らせに、われら哲学者と「自由な魂」は新しき曙(あけぼの)に照らされる思いがする」

この解放を喜ぶニーチェだが、その暗い裏面も予知しています。

「キリスト教信仰を捨てるとき、その者はまさに自分の足の下からキリスト教的道徳を引っこ抜く。道徳は決して自明ではない。・・・キリスト教は一つのシステムだ。一つの全体として捉えられるものだ。その中の、神への信仰という、一つの主要な概念を壊すなら、全体を破壊することになる」
いいかえれば、至高の神への信仰を失うなら、もはやキリスト教的価値観、または道徳を維持する哲学的基盤が現実に存在しなくなるということです。
ニーチェ   Google 検索.png
殺人は悪か?   誰がそう決めたのか? 人殺しはいつの時代も悪いことだとあなたは思うかもしれませんが。別の人は違った見方をするかもしれない。盗みは悪いことか?  殺人も窃盗もそれを取締る法律がある。では、法が変わればどうか。道徳は法律が求めるものを基礎とすべきなのか。法と人々の現実の価値観と実践との間に不均衡が生じたときにはどうするればいいのか。

個人的には無神論者であったニーチェも、脱キリスト教ヨーロッパの未来は困難で、むしろ悲劇的であると予知した。

「私が関わるのは次の2世紀分の歴史だ。何が起きるのか、もはや起こらないことは何であるか、それを描く。ニヒリズムの到来・・・これまでかなりの間、われわれの全ヨーロッパ文化は大惨事に向かうかのように動いてきた」
「神が『死んだ』」とするなら、次のようなものを信じる他ありません。

ニヒリズム
人生には本質的に何の意味も価値もないとする主義(虚無主義)

物質主義
思考、自由意志による選択、意識を含むあらゆるものは物質的相互作用の結果にすぎないと考える。

優生学
人の生命に固有の価値などなく、進化が支配的な種を生み出したのだから、ある人種は他の人種より「優れている」と考える。その結果、「劣った」亜種/人種の数を減らし、「優れた」人種を増やす行為は正しいことだとする。

ニーチェは人びとが「神は死んだ」という結論を下すとき、彼らが世俗的な大義や制度を崇拝することを予知していました。例えば、国家(民族)社会主義-自分達の民族の利益を崇め、守ろうとする国家であり、他の民族に対して力、暴力を行使することもいとはないような国。

あるいは、共産主義-「労働者階級」の利益を代表すると主張するマルクス主義独裁。「階級間の憎み合い」「階級闘争」に訴えることで、その合法化を追求する。

人びとが神への信仰と世俗のイデオロギーとを置き換えた場合、何が起こるかについては、20世紀は十分すぎるほどの証言を提供してくれます。民族のアイデンティティを掲げる国家社会主義ドイツ労働者党は1930年代に政権を取り、1300万から2100万人の命を奪いました。共産主義イデオロギーは20世紀だけで、推定1億5000万人の命を奪ったといわれます。20世紀の、政府による大量殺人、「デモサイド(民衆殺戮)」は国外、国内の戦争で死んだ人の数の6倍以上、2億6千2百万人に上ります。

政府が好ましくない国民を始末したいと思う場合、国民が武装していると厄介であることは言うまでもありません。大量殺戮、ジェノサイドに先立ち、銃器の押収と登録を行うというゾッとするようなパターンを見ることができます。その例は次のようなものです。

・1915年、アメリカ人の大量殺害に先立ちトルコ政府は銃規制を強めた。

・ ドイツは1938年、ユダヤ人に対する銃の販売を禁止した。1939年から1945年まで、総計千3百万人の丸腰の武装解除されたユダヤ人と他民族が強制収容所に送られ、処刑された。

・ 1929年、ソビエト連邦は銃規制を開始し、それまで重武装していたソビエト市民から武器を押収した。1929年から1953年まで、もはや自衛手段を持たない約2千万人の反体制派が、集められ虐殺された。

・ 中国の銃規制政策は中華民国によって1938に開始された。1948年から1952年にかけて、2千万人の反体制政治家が自衛手段も何もない中、共産党政府によって皆殺しにされた。また加えて、5千3百万人が、大量の餓死者を発生させることになった政府の政策で殺される。

・ カンボジアは1956年に銃規制を開始。1975年から1977年に百万を超える国民が西側の価値観と文化にの教育または触れることで、それに「汚染された」とみなされ、殺された。

・ グアテマラは銃規制を1964年に導入し、その後、10万人のマヤ人を殺害した。

・ ウガンダでは銃規制政策を1970年に導入。8年間の恐怖政治が終わるまでに数千人のキリスト教徒が殺された。

これらの惨劇は脱キリスト教イデオロギーとその政治運動に根深い原因があります。異なる民族、宗教、階層の人々を人間とはみなさないのです。
これらのイデオロギーは、国家は、悪者とみなされた者達を排除する正当な機関だ、とみなします。
主流メディアは政府の計画した大量殺戮に加担しました。国のイデオロギーや大義に賛同しているジャーナリストたちは、国の行為を、どんな方法を使ってでも良いものとして描き出すのです。

これらのイデオロギーでは、国家は悪者とみなされた者達を排除する正当な機関とみなします。主流メディアは政府の計画した大量殺戮に加担しました。国のイデオロギー、大義に賛同しているジャーナリストたちは、国の行為を、どんな方法を使っても良く描き出すのです。

・・・・・・・
ひとつ恥ずべき例として、ニューヨーク・タイムズ特派員のウォルター・ドゥランティを挙げることができます。彼はソビエト連邦の「革新的」な共産党指導者を讃える一連の記事を書いて、1932年に権威あるピューリッツァー賞を受賞しました。ドゥランテイの記事はウクライナ農民約4百万の(スターリンによる)強制された餓死について、ニューヨーク・タイムズの読者を欺きました。

残念ながら、全体主義の大義や政府についての真実性に欠いた報道が蔓延しています。最近の例でいうと、かつては豊かな国であったベネズエラで起きた、飢餓と栄養失調による多くの国民の苦しみと大量の死者に関する報道です。民主主義的な反体制派が選挙人名簿の監査を嘆願したにもかかわらず、社会主義者のウゴ・チャベスは、テログループのヒズボラだけでなくイラン政府、シリア政府の助けを借りて秘密(警察)のネットワークをつくり出しました。それに止まらず、キューバの秘密警察まで連れてきてベネズエラ市民をひそかに監視したのです。

チャベス独裁の後継者、ニコラス・マドゥロはキューバ、イラン、ロシア、シリアから支援を受けました。民主主義的反体制派を排除する策が講じられ、共産主義体制の支持者だけにしか食料を供給しないということまでしたのです。ハイパー・インフレーションと価格統制は危機的な物不足をもたらし、基礎的な医療用品すら店の棚から消え、人々は簡単に治療できる病気でさえ死にかけています。
チャベス Google 検索マドゥーロ大統領 Google 検索

ファシストは気に入らない民族集団の人間性を奪います。共産主義者は、「アンチ・ファシスト」を自認しながら、自分たちの政策に協力しない者たちを「労働者階級の敵」となじります。

二つのイデオロギーが共に見落としていることは、どんな民族や階級にも、極端な善人も極端な悪人も存在するという事実です。自分たちのグループ、階級、民族を自己崇拝することは、神を畏れぬ考えであり、その結末は、道徳的な人なら誰も望まない血塗られた歴史の跡を残してきたのです。

その一方で、2018年の始めに発表された報告は、「キリスト教徒はいまだかつてない迫害に直面している」と警告しています。「迫害され、忘れられ(Prosecuted and Forgotten)」(訳注:世界各国のキリスト教徒の迫害を調査報告している団体ACNの報告書)では今のままキリスト教徒に対する暴力が継続するなら多くの国のキリスト教徒は生き残れないと警告を発しています。この報告書は北朝鮮を含む世界各国での「言語に絶する暴虐」ぶりを浮き彫りにしています。北朝鮮ではキリスト教信者は「強制的な飢餓、中絶、また報告書によると信仰の強いものは十字架につるされて火あぶりにされ、スチームローラーで轢き殺される者もいる」といいます。
Aid to the Church in Need Persecuted and Forgotten
報告書は続けて:

(報告書から引用)
他のどの多宗派よりもキリスト教徒が迫害を受けているだけでなく、非常に酷い迫害を受ける信徒が増加し続けています。中東での迫害はもっぱらイスラム過激派によるものですが、ナイジェリアでも、イスラム主義者ISISとも提携するボコ・ハラムによって2百万人近いキリスト教徒が追放されたという報告があります。

・・・この広範囲にわたる迫害。証拠から見て、西側諸国と貿易や戦略的なつながりのある国の体制が、迫害を受ける少数派、特にキリスト教徒のために西側諸国が影響力を行使するのが当然である(訳注:自国の反体制派に対する軍事介入を願う)としているように見える。

これ以上キリスト教徒を、戦略的ご都合主義と経済的利益のために祭壇の供え物にすることは許されない。
(報告書引用以上)

一方で、アメリカ人の大半はそのような現在進行中の、キリスト教徒や宗教的少数派への残虐行為の事実を全く知らないか、ほとんど知らないのです。大学のキャンパスでは、キリスト教徒や他の宗教少数派に対する大量虐殺に反対するよりも、多くの学生は、自分たちが気になる「自覚なき差別」(マイクロ・アグレッション)などのために闘っているのです。

人が現実の善と悪の存在が見えなくなるとき、闘う大義として新奇な世界、「ミクロ」の幻想を思いつくのでしょう。これは全体主義者にとっては喜ばしい知らせです。なぜなら彼らの飽くなき野望は、世界中のユダヤ人とキリスト教徒を追放し、ユダヤ・キリスト教的思想を排除することなのだから。
3章終わり

第4章 左翼ファシストの西側への脅威 

The Leftwing Fascist Threat to the West

20世紀半ばまでに共産主義者に殺された者の数が数千万人に達し、マルクス主義者、資本主義批判者は、宣伝活動による攻勢が必要となった。それに好意的な主流メディアの助けを得て、左翼は大衆の注意を、ナチス・ドイツによる集団虐殺に誘導した。その一方で、ソビエト連邦や、中国、ベトナム、カンボジア、キューバでの膨大な数の、そして増加の一途をたどる死者の数については最小限に見積もった。

共産主義独裁や、社会主義を支持する左翼に対して公然と疑問を呈する者は、誰かれ問わず「ナチ」のレッテルを貼った。イタリアのファシズムの研究者、アンソニー・グレゴーが指摘するように、キリスト教徒を公言する者、減税を主張する者、政府規制の緩和を求める者、人為的な「地球温暖化」に対して疑いをもつ者や、「絶滅危惧種」の衰退に関心のないものたちには決まって「ファシズム(ファシスト)」のレッテルが貼られる。皮肉なことだが、本物のファシストは上に述べたような立場は一切取らない。

「ナチ」という名称は「国家社会主義(ドイツ)労働者党」の党員を指す。ナチスはアーリア民族に傾斜した民族主義的な行動計画を有する社会主義者だ。彼らは国民の生活に対してより大きな政府のコントロールと規制を求めるが、決してそれを軽減することはない。

信じられないかもしれないが、ニューディール政策の民主党のアメリカ大統領、フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、ムッソリーニと、彼の中央集権政府による計画と行動を称賛していた。

1933年5月7日、ルーズベルトの大統領就任の数か月後に、ニューヨーク・タイムズの記者アン・オヘア・マコーミックは当時のワシントンの雰囲気について「黒シャツ隊の行進後の最初の1週間の雰囲気、あるいは、5か年計画を開始したモスクワの雰囲気と妙に似ている。・・・現在のアメリカはまさに命令を求めている」と書いた。また「ルーズベルト政権は、イタリアの組合国家風の産業、労働、政府の連合を構想している」と続けた。。
1930年代を通して、知識人やジャーナリストは「ニューディーと、ファシズム、国家社会主義が収束する領域」をよく口にした。この3つのものは、個人主義、自由市場、地方分権という「古典的な英仏の自由主義」をしのぐものとみなされていたのだ。

「3つのニューディール:ルーズベルトのアメリカ、ムッソリーニのイタリア、ヒトラーのドイツについての回想1933-1939」という著書の中でヴォルフガング・シーヴェルブッシュが書いているように、「アメリカ人の進歩派たちはドイツの大学で学び、無秩序な自由主義原理による支配などによらない、現代社会を組織する最も効果的なやり方として、強力な国家とプロイセン軍国主義というヘーゲルの理論を評価するようになった。」 

ルーズベルト自身が、ムッソリーニを「称賛に値する」といい、「ムッソリーニが成したことに深く感銘を受けた」公言した。ムッソリーニもこの称賛に報いた。1933年のルーズベルトの著作「Looking Forward」によると、ムッソリーニは、ルーズベルトに手紙でこのように書き送ったという。
「国はもはやそれ自身の働きに任せておくことができないという(ルーズベルトの)原則はファシズムを想起させるものです。・・・確かに、この大転換に伴うムードはファシズムが持つそれに似ています。」

ナチの主要機関誌、「フェルキッシャー・ベオバハター(訳注:「民族的観察者」の意)は「ルーズベルトが国家社会主義的思想の特質を彼の経済、社会政策に採用したこと」と、「個人的利益の前に集団的な善を優先させる必要性」に基づいた「権力国家に向けての進展」に対して繰り返し賛辞を送った。 
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ナチの機関紙「フェルキッシャー・ベオバハター」
1944年、「隷属への道(The Road to Serfdom)」の中で、経済学者F. A. ハイエクは、計画経済は全体主義をまねく恐れがあると警告した。ハイエクは、アメリカ人とイギリス人に対し、ドイツ人の魂の中に何か固有の悪が潜んでいると考えるべきではない、とくぎを刺した上で、ハイエクは国家(民族)社会主義は、何世代もかけて西側世界に沁み込んできた集産主義者の考えに依存するものだと述べた。

ロナルド・レーガンや、現在ではドナルド・トランプ大統領などが、国家権力を限定するための多くの政策をとっているにもかかわらず、主流ニュースメディアはいつも、彼らを新しい「ヒトラー」だの「ナチ」だのと非難する。政敵を簡単に怪物に仕立てようと、無配慮のまま「ファシスト」と呼ぶ前にどうして政策について議論をしないのだろうか。

 

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アメリカ建国のビジョンは、その国章に刻まれています。「E Pluribus Unum」。その意味は「多数から一つへ」。人種、宗教、国籍が何であれ、「生命、自由及び幸福追求に対する侵すことのできない権利をもつ」という保証のもと、皆がアメリカン・ドリームへの参加を歓迎されるのです。

マーチン・ルーサー・キングの有名な言葉に、人は「肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される」べきだ、というものがあります。

「多様性」を意識するあまり、左翼は国章のモットーを「一つから多数へ」と逆にしています。彼らのポストモダンの「多文化的な」言い方をすれば、建国の理念は単に「白人男性の特権」をごまかすためのものだ、といいうことになります。彼らの見方では、私たちは一つではないのです。私たちは、「多様な」人種の集合であり、増加の一途をたどる、人種/性別/トランスジェンダー/LGBTQのグループなのです。そして政府の権力を使って「平等」を押し付け、かつての犠牲者から奪い取ったお金を再分配させることを求めているのです。
全米の大学で広く使われている言葉に「白人の特権」というものがあります。テキサス州立大学の学内新聞の論説には「あなたの(白人の)DNAは忌まわしいもの」の見出しで「合衆国で白人であるということは人種差別者の権力システム永存させてきた構成概念だ」とし、記事はこう続けています。
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「白の死は全員にとって解放を意味するだろう・・・それが成るまでは、これを覚えていてほしい:あなたたちは存在すべきではなかったから、私は憎む。あなたたちは地球上の支配的機構であり、あなたに出会った他のすべての文化をその内で殺す深い淵だ。」

しかし、アメリカがもしそのような白人優位主義の怖ろしいところであるなら、どうしてこれほど多くのアフリカ人、アジア人や、ラテン・アメリカ人が、ときには命懸けでこの国にやってくることを望むのでしょうか。世界のそれらの地域から移民してきた第一世代が何世代もアメリカで住み続けている平均的アメリカ人よりもいい暮らしをしているのはどうしたことなのか。おそらく、彼らはアメリカの大半の大学生が知らないアメリカについて何かを理解しているのかもしれません。それは、アメリカで一生懸命働くならば本国では想像もできないようなチャンスに出会うことができるということです。
確かに、どの国にも多数派にはそれなりの特権があるでしょう。日本にいる日本人もそうでしょうし、中国に住む中国人もそうでしょう。またアメリカに住むヨーロッパ人を祖先に持つ人々にも言えるでしょう。しかし、民族ベースの政治論信奉者たちは「少数民族」であるアメリカ在住のアジア人の平均所得が他の民族を抜いて最高の、81000ドルで、「白人」を33%上回っていることをどう説明するのか。

神が世界で最も自由が豊かな国として祝福して下さった国を蔑むように教え込む大学に自分の子供たちを行かせるかどうかについて、私はじっくり考えることにしたい。

反ファシズム ANTIFA
全米各地で開かれた「反ファシスト」の集会で、黒い服を身に着け、共産主義のシンボル「鎌(かま)と槌(つち)」を派手に描いたスカーフで顔を覆ったANTIFAというグループのメンバーたちが、横断幕を掲げて行進しながらアメリカ人に「白人至上主義を倒せ」と叫んでいた。この「ANTIFA」という名称は、普通「反ファシスト(anti-fascists)」や、「反ファシストの活動(anti-fascist action)の省略したものと思われがちですが、じつはAntifaschische Aktion(反ファシスト行動)という、1930年代に活発だったドイツの共産主義運動からとったものです。下の写真の中央ではANTIFAのデモ隊が共産主義のシンボル「鎌と槌」の入ったケープをまとっているのが見えます。
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作家で映画製作者のディネシュ・ドゥスーザはこう指摘しています。

「・・自称反ファシズムと、ファシズムの間の密接な関係は、ANTIFAの主要なスポンサーであるジョージ・ソロスの知られざる一面に見出すことができる。ハンガリー生まれのソロスは、その抜け目ない世界的投資と為替操作で億万長者になった。ソロスのクォンタム・ファンド(訳注:ヘッジファンドを運用するジョージ・ソロスが総帥を務める投資会社)は世界最初の民間ヘッジファンドのひとつだ。ソロスは200程の左翼グループの主要な支援者であり、その中にはプランド・ペアレントフッド、ムーブオン、ブラック・ライブズ・マターなどが含まれる。

ソロスはまた、自称、反ファシスト・グループにも支援している。今年、ソロスが支援する団体アライアンス・フォー・グローバル・ジャスティスは、リフューズ・ファシズムに関係する戦闘的なチンピラどもに5万ドルを寄付している。

ソロスは単に何かの活動に資金を投入しているだけではなく、破壊的暴力援に援助しているのだ。ソロスの、特有の衣装を身に着け、棒切れを振り回す戦隊はまさに私設軍だ。イタリアの黒シャツ隊や、ナチの突撃隊と同じように、金で雇ったチンピラの傭兵をつくり出した。ソロスの戦略は十ないし数百のグループを送りだして、どれが一番効果的か見極めるといいうものだ。投資資本の市場からお金を借用して、私に言わせれば、ソロスは金で雇ったチンピラをつかって「ベンチャー暴力」を行使している。」

ドゥスーザは、1998年CBSの60ミニッツ(アメリカの人気ドキュメンタリーテレビ番組)でソロスにインタビューに注目する。その中でソロスは十代の頃ハンガリーでユダヤ人の資産と所持品を没収するのを手伝ったとき、何の罪の意識も感じることはなかったと語っていました。ドゥスーザはこう結論します。「ソロスと左翼による自称、反ファシズムは詐欺行為だ。なぜなら彼らが闘っている相手、ファシストなど存在しないからだ。彼らの活動で、走ズムを見つけるとするなら、それは彼らの活動そのものがそれだ。」

メディアは左翼の語るものが辺りによろこんで加担し、そのファシスト的傾向を覆い隠しました。ユーチューブは、最近、南部貧困法律センターにその「ヘイト監視リスト」に入っている他のチャンネルと共にサンクチュアリのユーチューブ・チャンネルを停止しました。
停止されたリストには元大統領候補や、アメリカ合衆国住宅都市開発省長官のベン・カーソン、それにソマリア生まれの男女同権主義者アヤーン・ヒルシ・アリなども含まれています。アヤーン・ヒルシ・アリは、イスラム世界での女性の権利を唱え、強制的結婚、名誉(暴力)殺人、子供の結婚、女性器切除に異を唱えている人です。

南部貧困法律センターの「ヘイト監視リスト」には、家族調査評議会やルス・インスチチュート、アライアンス・ディフェンディング・フリーダムや、自然な結婚を支援する団体、アメリカの人権宣言に保障された信仰の自由を支援する団体も含まれているます。南部貧困法律センターは悪意をもって、南部民主党がその創設に関わったクー・クラックス・クランなどの正真正銘の人種差別団体と同列にそれらの団体を扱っているのです。

作家で、フィランスロピー・ラウンドテーブルの副会長でもあるカール・ジンスマイスターはこう説明しています。

「自分と意見が異なるものを黙らせる、これは最もアメリカ的でない。厳密な討論と、誠実な話し合い、考え方の、オープンなやり取り、これがアメリカのやり方だ。しかし自由な思えと言論が、耳障りのいい名前を付け、その悪辣な意図を隠した団体によって脅かされている。その団体とは南部貧困法律センター(SPLC)だ。」

ジンスマイスターは南部貧困法律センターのリーダー、マーク・ポトクが支持者に語っている内容を撮ったビデオを指摘しています。

マーク・ポトク「・・・マスコミはわれわれが「ヘイト団体を監視する」と言っているが・・・私ははっきりいっておきたい。われわれの人生の目的は、それらの団体を壊滅すること、完全に壊滅することだ。」

南部貧困法律センターの背後の首謀者は、ヘイトを無くすのではなくむしろそれを煽っているのです。
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南部貧困法律センター
このような「マッカーシズム(訳注:1950年代にアメリカ合衆国で発生した反共産主義に基づく社会運動、政治的運動)的な」戦術ゆえに、南部貧困法律センター自身が地球上で最も大きな左翼ヘイト団体とみなされるべきでしょう。

これもユダヤ・キリスト教的価値を嫌うジョージ・ソロスや他の金持ち左翼が資金援助しています。南部貧困法律センターの攻撃に同調するグーグル、YOUTUBE、フェイスブック、ツイッターなどによる、アメリカ建国のビジョン、すなわち小さな政府のビジョンを支持する保守系団体への攻撃は、自由を愛する者たちの背筋を寒くします。

4章終了

第5章 イスラム主義の挑戦 

The Challenge of Political Islam


父がまだ生きている時、互いに異なる信仰を持つ指導者を招いて、「神様のもとの一つの世界」というテーマのもと何十回となく国際会議を開催しました。これらの宗教指導者たちが神の子である人間として、それぞれが互いの尊厳と価値を認め合うこと、そして彼らが神を中心とする結婚と家庭を確立する中心的重要性を認めることが父の願いでした。父は、指導者たちが各自、国に戻って、彼らの門人もこういう価値を実現するよう励ましてくれることを望んでいました。

そういう超宗教イニシアティブを積極的に促進しながらも、私の父は主であり救い主であるイエス様のその比類なき立場をはっきりと理解していました。父はイエス様の3年間の宣教がいかに人類の歴史を形づくったかを何度も繰り返し話しました。

父は表現の自由、信教の自由の権利は、神から与えられたと宣言する建国の文書を有し、政府の権力を抑制する権利の章典をもつ国、アメリカ合衆国を、ユダヤ・キリスト教の教えの結実と見ていました。アメリカは世界の中の善の勢力として召命された国だと信じ、北朝鮮の監獄から自分を解放してくれたアメリカ軍への感謝を幾度となく繰り返し口にしていました。

全人類は共通の神聖な源をもつという聖書の教えに基づいて、アメリカは異なる信仰をもつ人々、信仰をもたない人までも受け入れ、彼らが良心の自由を行使することを歓迎しました。しかしまた私の父は多くのアメリカ人が、この国と世界に対する思想的、政治的脅威の正体をわかっていないことを知っていました。

そのために、ワシントンタイムズの設立を通して、莫大な費用を投入しながら国民を教育し、他の国にも新聞社を作り、その一方で共産主義の弁証法的唯物論を批評し反対提案をするためのセミナーを主催してきました。父は大統領選挙ではロナルド・レーガンを強力に支持し、彼の「力を通した平和」戦略を支持しました。
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レーガンの政策は数多くの共産党政府を没落に導き、その結果何億という人々を圧政から解放しました。

父はまた、政治的イスラムの挑戦もはっきりと見て取っていました。率直な議論はむしろ封殺して、この問題を見ないようにすることの方を好む人が多くいますが、私の父は不都合な真実について声を上げることを恐れませんでした。
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誤解のないように言うと、キリスト教徒のなかにも良いクリスチャンも悪いクリスチャンもいますし、ユダヤ教徒にも良いユダヤ教徒と悪いユダヤ教徒がいます。イスラム教徒も同じです。私たちは各自、毎日の生活の中で良いこと悪いことのどちらかを選択して生きています。しかし、これらの宗教の率直な議論をする場合、議論がどのようなものであれ、その本質的な世界観の違いを考慮しなければなりません。
翻訳:ここまでHARRYⅡ、ここから kijoksori

 

イスラムテロの最近の犠牲者

私たちは皆、3,000人近くの人を殺した9月11日の世界貿易センターへの恐ろしい攻撃について知っています。また、2002年のウォール・ストリート・ジャーナルのジャーナリストであるダニエル・パールのパキスタンでの斬首、2012年にISISのメンバーによるシリアでのアメリカ人ジャーナリストのジェームズ・フォーリーの斬首、2015年にカリフォルニア州サンバーナディーノで14人が殺害されたこと2016年にフロリダ州オーランドのゲイナイトクラブで49人が殺害されたことも覚えています。
フランスでは、2015年1月にフランス風刺雑誌「チャーリー・ヘブド」の事務所で12人が殺害され、2015年11月にはパリで自爆テロにより130人が死亡しました。ブリュッセルでは、2016年3月の3回の自爆テロで32人の民間人が死亡しました。2016年7月、フランスのニースで19トントラックを運転したモハメド・ラウアイエジ・ブーヘルによって、通りを歩いていた86人の男性、女性、子供が殺害され、458人が負傷しました。これらの罪のない犠牲者は、仏教の僧侶、カトリックの修道女、または正統派のユダヤ教指導者によって殺されたのではありません。彼らはイスラム過激派によって殺害されたのです。

しかし、イスラム主義の犠牲者の最大数は、シリアのヤジディスやコーランの「容認できない」解釈を持つ他のイスラム教徒など、彼らの直接の支配下に住んでいる人々です。 2000年の間中東に住んでいたクリスチャンも特に攻撃対象にされました。

2017年のパームサンデー(イエスの「イスラエル入城の日」)で、エジプトのコプト正教会のクリスチャン・コミュニティは、ISから送られた自爆テロに見舞われ、44人が死亡しました。その血まみれのエピソードは、中東のクリスチャンのコミュニティに対する暴力的な攻撃の全てに共通する一般的な例でした。その後まもなく、エジプト北部で、ガンマンがコプト正教会のキリスト教徒たちの車両を攻撃し、 26人が死亡しました。ニューヨーク・タイムズで以下のように報告されています。
「迫害の波は依然として非常に厳しいので、2千年前に生まれた地域でキリスト教の終焉をもたらすのではないかとの懸念もある。」

これらの野蛮な行為は、すべてのイスラム教徒を代表するものではありませんが、イスラム世界の多くに宗教の自由に対する憎悪と無視がどれほど広範囲に及んでいるかを無視するのは愚かです。

2014年、102カ国の52,100人を対象に行われた世論調査によると、北アフリカと中東の住民の74%が反ユダヤ主義的憎悪と信念を表明しています。 アラブ・イスラエル紛争から遠く離れたイスラム諸国でさえ、大多数の住民がそうした見方を表明しています。イスラム教徒が多数を占めるマレーシアでは、61%が反ユダヤ主義的な態度をとっていますが、近隣の仏教徒が多数を占めるタイでは、13%だけが反ユダヤ人です。

アメリカでは、ISの指導者ルイス・ファラカンは、ユダヤ教は「最も低俗な宗教であり、アドルフ・ヒトラーは偉大な人物」であったと同様の見解を表明しています。私の父が、いかにして、ファラカン氏に手を差し伸べ、彼と彼の信奉者たちが、私たちは全員が神の子供であるという事実を受け入れたのか、私はよく覚えています。残念ながら、ファラカンの言葉はその真実を反映していません。


殺人者を「英雄」と「殉教者」として称える

このような偏見を持った態度は、無知で無力な人々の見解を反映していると思うかもしれませんが、パレスチナ解放機構と関連するパレスチナ自治政府は、ユダヤ人、イスラエル市民の殺人者を殉教者とみなすことを考慮してください。その結果、パレスチナ自治政府は、その殺人者の家族に報酬を与えるのです。

例えば、2016年、ヘブロン郊外で、モハメド・タライラは13歳のユダヤ人の少女、ハレル・ヤッファ・アリエルを、彼女はまたアメリカ市民でしたが、彼女がベッドで寝ていた時に刺殺したのです。ブルームバーグ・ニュースの報道によれば、「この刺傷事件は、ソーシャルメディアや人気曲の励ましを受けたパレスチナ人が、ユダヤ人を撃って、刺して、追い詰めた7ヶ月間の攻撃の一部だった」。

パレスチナの与党ファタハ党は、後に治安警備員によって殺害された暗殺者を祭り上げたのです。 タライラの母親は、フェイスブックの公式ページで、地元メディアに対し、「息子は英雄だ。 彼は私を誇りにした。 私の息子は、エルサレムとアル・アクサー・モスクを守る殉教者として死んだ。」最も高い報酬は、少なくとも1人のイスラエル人を殺すことをやり遂げた加害者に対して支払われて、最も低い報酬は誰かを殺傷することをしなかった人に支払われるとでもいうのでしょうか?

イスラエル人の中には、イスラム教徒の民間人に対して凶悪な犯罪を犯す人がいますか?残念ながら、そうするイスラエル人もいますが、彼らは「殉教者」として政府の役人によって、褒め称えられることはありません。その家族は、彼らの殺人行為に対する報酬を受け取るわけではありません。彼らの家族は彼らを「英雄」と誇るわけではないのです。例えば、2014年7月2日、パレスチナ人のモハメド・アブ・クデイルを殺害したとして、イスラエルの裁判所で、3人のイスラエル人が有罪判決を受け、終身刑を言い渡されました。


イスラム教の離脱者に対する死刑への広範囲にわたる支持

厄介な数のイスラム教徒が、特にシャリアを土地の法律にすることを支持する人々の間で、イスラム教を離れることを選択した人々の死刑を支持しています。背教者の殺害は、エジプト(86%)とヨルダン(82%)で最も広く支持されています。ピューリサーチセンターによると、「おおよそ、シャリアをその土地の法律にしたがっている約3分の2の人も、パレスチナ領土でこの罰を支持しています。」 。マレーシアとパキスタンでは、62%が別の宗教に改宗するイスラム教徒の命を奪うことを支持しています。同様の数の人々が、姦通を犯した人々を石打ちし、ムハンマドやイスラムを批判する人々を厳しく罰し、窃盗のために手を切り刻むことを支持しています。

中央アジアやヨーロッパに住むイスラム教徒の間では、このような見解に対する支持はあまり一般的ではありません。しかし、イスラム教の多くの信奉者とユダヤ教やキリスト教の信徒間には大きなギャップがあります。ユダヤ人とキリスト教徒にとって、その信仰を離れる人が処刑されるべきかどうかという質問さえ、笑えることでしょう。

イエスと彼の弟子たちは、人々を強制的に改宗させたり、キリスト教の信仰を離れた人々を処刑という形で罰したりすることを主張しませんでした。残念ながら、良心の自由は、シャリア法に基づいて国家を確立したい多くのイスラム教徒の価値システムの一部ではないのです。

もちろん、すべてのイスラム教徒がこの過激派の型に適合するわけではありません。 刺激的な例を挙げます:

1943年のドイツ占領後、アルバニアのイスラム教徒の大多数の国は、国境内に住むユダヤ人のリストを譲渡せよというナチの命令に従うことを拒否しました。 アルバニアのさまざまな政府機関は、ユダヤ人の家族に偽の文書を提供し、他の人々と混ざることを許可しました。 アルバニア人は、イタリアの統治下にあり、強制収容所への強制送還の危険を冒しながら、彼らの国に到着したユダヤ人難民にも保護区を提供したのです。


イスラム主義拡大の概要

多くの評論家は、イスラム教の支配から「聖地」を奪い返そうとしたキリスト教の十字軍を批判しています。 しかし、ヨーロッパを征服するために、4世紀にもわたるイスラムの冷酷な取り組みの後の11世紀後半に、十字軍が起こったことを思い起こす価値があります。 イスラム教は、軍の征服と剣によって広まりつつあったのです。

イスラム教の拡大は、ムハンマドの積極的な軍事的リーダーシップによって始まりました。 著者ダン・マクラフリンのまとめによると、
西歴630年のメッカの崩壊は、アラビア半島の西側におけるムハンマドの支配を固めました。634年のアジナダインの戦いでの決定的なイスラム教徒の勝利は、現代のイスラエルにイスラム教徒の支配を広めました。634年から689年の間に、イスラム軍はキリスト教徒、ビザンティンが支配するシリアと北アフリカを征服しました。

7世紀半ばから、イスラム教の侵略はヨーロッパに移りました。イスラム軍はスペイン、フランス、イタリアを征服し、あるいは征服しようとしました。東のコンスタンティノープルからコーカサスのジョージアのフロンティアまで、地中海の島々が最前線になり、戦いが激化しました。
イスラムのヨーロッパと西部に対する取り組みは、十字軍の後、1453年のコンスタンティノープルの崩壊から、1571年のレパントでの海軍の侵略が最終的に止まり、1683年のウィーンの包囲戦まで続きました。(これらは後に、イスラムのオスマン帝国とクリスチャン・ハプスブルクとの間の流血戦争として、別の世紀まで続いたのです。)

しばしば指摘されているように、ムハンマドの軍事指導者としての歴史と征服の原動力としてのイスラムは、軍事運動を主導しなかった殉教者によって設立された、迫害された信仰であるキリスト教の初期の歴史とはまったく対照的です。イスラム教徒は帝国主義の独占権を持っていませんが、キリスト教十字軍が以前のキリスト教徒とユダヤ人土地にまたがり、数世紀にわたって拡大してきたイスラム教徒対する防御的対応であったことは否定できません。その歴史を見ると、それが「平和」の宗教であったとは言い難いのです。


イスラム世界における改革の動き

世界に対する一筋の希望は、彼らの信仰を改革し、他の人々にイスラム教、あるいは「イスラム主義」の暴力を拒絶するよう説得したいイスラム教徒がいるということです。1つの例は、イスラム教改革運動です。

我々はイスラムの魂のために戦っている、そして、イスラムの再建は、イスラム主義、ならびにイスラム教のカリフ支配権を求めている、イスラム教、あるいはイスラム主義のイデオロギーを打ち負かさなければならない。イスラムの名の下に(行われている)テロ、不寛容、社会的不正の脅威に直面しながら、私たちは平和、人権、非宗教的な統治という3つの原則に基づいてコミュニティを変革する方法を考えました。私達は、全ての人々は平等であり、基本的人権以外の生得権(生まれながらに有する権利)を有さないと考える。

私たちは冒涜的な法律を拒絶する。彼らは言論と宗教の自由の制限していることを隠蔽している。我々は、すべての個人がイジュティハード( アラビア語:特定の活動に費やされる肉体的または精神的な努力)、または批判的思考に平等に参加する権利を確認する。

私たちは、脅迫、迫害、差別、暴力の脅威なしに、宗教の自由とすべての人々の信仰、または非信仰を表現し、実践する権利を信じている。背教は犯罪ではない。私たちのウンマ(コミュニティ)はイスラム教だけでなく、人類のすべてです。

悲しい現実は、このような改革者は文字通りイスラム世界に変化をもたらすために彼らの命を危険にさらしているということです。彼らは善意のすべての人々の支持に値します。これらの改革者の多くがアメリカの大学で話すことを歓迎されていないということは衝撃的です。

その一例が、エジプトで育った軍事指導者であり、研究者であって、イスラム改革を求めているフセイン・アブバクルです。2015年2月、彼は、イスラムに対する批判は受け入れられないと信じさせられた学生たちによって、ペンシルベニア州のスワースモア・カレッジでの講演で怒鳴られ、罵られ、話すことをを阻止されました。

もう一つの例は、ソマリア生まれの元オランダ議員、アヤン・ヒルシ・アリです。彼女はブランダイス大学より、彼女のイスラム社会における女性と少女の利益の擁護した功績に対して、名誉学位を授与されたが、学生、教員活動家、アメリカ・イスラム関係評議会のような圧力団体からの圧力のために撤回されました。暴力とイスラム原理主義との結びつきを熱心に批判する彼女は、強制児童結婚、女性の生殖器切除、家族に不名誉をもたらしたと思われる少女や女性の「名誉殺害」に対して絶えず声を上げています。彼女の講演への招待や、彼女の名誉学位の撤回理由は?彼女自身の直接的な、個人的な知識に基づき、痛みを伴う、政治的に間違った真実を語るからなのか?

アフリカの研究のある教授は、彼女は「中東とアフリカの人々が文化的に遅れていて、西洋の文明の影響が必要だと描写する時代遅れの人種差別的な論理」を吐き出していると非難した。だから女性の生殖器切除や、強制的な児童婚や名誉殺人、といった現実に対処するのではなく、「メッセンジャーを殺す」、または少なくとも、イスラム世界の多くで、行われている女性と少女の抑圧に関する醜い真実を、彼女がブランダイス大学の学生に伝えるのを邪魔しよう。


イスラム教に関する欧州批評家の沈黙

ヨーロッパの多くでは、イスラム主義に関する、率直な議論は行われず、沈黙しており、しかも、その状況はさらに悪化している。ゲートストーン研究所からは、次のように報告されている。

フランスでは、イスラムを批判する人、あるいはイスラムテロの結果を示すだけの人々は、激しい起訴の犠牲者です。
2018年3月、フランスのマクロン大統領は「偽ニュース」に対する法律を望んでいると述べました。もし彼の計画が法律に適用されたなら、政府が「真実のニュース」と定義していることを放送しないフランスのすべてのオンライン雑誌は、直ちに政府の措置を受けることになるかもしれません。(その状態で)オンライン出版物がフランス国外に発信された場合、それらの出版物へのアクセスはブロックされます。
イスラムのオンライン雑誌やウェブサイトは、「偽ニュース」プロバイダの提案されたリストにありません。どのようなオンライン雑誌やウェブサイトが(その)リストのトップになりますか。イスラムを疑問視する人たち?

2015年11月と2016年7月に、フランスで発生したテロ事件の後、フランスを攻撃するテロリストはイスラム教徒であり、「イスラム主義」はイスラム教徒に無関係ではないと述べたジャーナリストと作家は、法廷で起訴され、数千ユーロの罰金を科されました。

スウェーデンでは、状況は同じくらい深刻です。2015年のゲートストーン研究所のレポートでは以下のように報告されています。

スウェーデン議会が1975年に全会一致で、かつて(文化的に)同種であったスウェーデンを多文化国家に変える決定を下してから40年後、暴力犯罪は300%増加しました。スウェーデンは現在、南アフリカのレソトに次ぐ強姦国のリストの第2位です。

1975年には421件のレイプがスウェーデン警察に報告され、2014年には6620件でした。 これは人口が40年間で19%だけ増加したにもかかわらず、(レイプは)1472%の増加率なのです。

この恐ろしいレイプの増加に対応して、スウェーデン民主党の地元の政治家、マイケル・ヘスは、スウェーデンのジャーナリストに、その基準に従って服を着ない女性に対するイスラム教の見解を知るように勧めました。

「あなた方ジャーナリスト達は、それ(レイプの増加)がイスラムの教えに従うことを拒否する女性をレイプし、残虐にするイスラム文化に深く根ざしていることに、いつ気付きますか。スウェーデンのレイプと中東アフリカ及び北アフリカからの移民の数の間には強いつながりがあるのです。」

この発言は、マイケル・ヘスが「民族集団の中傷」の罪で起訴されるに至りました。2017年5月、執行猶予付きの刑と罰金を言い渡されました。

長年にわたり、ヘス氏はイスラム諸国に住んでおり、イスラム教と彼らの女性の見方をよく知っています。裁判では、シャリア法がレイプにどのように対処しているかの証拠と、イスラム教徒がスウェーデンのレイプの主な加害者であることを示す統計を提供しました。しかし、裁判所は、その事実は無関係であると判断したのです。

驚異的な事件の数で、スウェーデンの裁判所は強姦犯に同情を示し、(その容疑者の供述では、被害者の)少女が6人、7人、8人の男性とセックスをしたいと主張していた容疑者に無罪を言い渡したのです。

インターネットラジオ局のグランスクニング・スヴェジは、主要新聞のアフトンブラーデットとエクスプレッセンを呼び出し、彼らが実際にスウェーデンの市民権を持たないソマリア人だったとき、なぜ加害者をスウェーデン人と表現したのか尋ねた。これらのジャーナリストは、スウェーデンの女性に対して、ある男性に近づかないよう警告する責任を感じるかと問われると、非常に怒った。1人のジャーナリストは「なぜそれが彼らの責任なのか」と尋ねた。

近年、中東アフリカ及び北アフリカ諸国から100万人以上の移民を受け入れたドイツの国でも、シャリアの基準に従って服を着ないドイツ人女性のレイプが増加している。ケルンで2016年の大晦日に起こった悪名高い事件は、数十人の女性たちが、当局によれば、「北アフリカやアラビア人の風貌をした男性のギャング」によって「強姦と強盗」されたというものだった。ニューヨーク・タイムズ紙は、「何百人もの若い男性がグループを作り、若い女性たちの周りに輪を形成し、彼女らを逃がすまいとした。.襲われた女性たちは悲鳴をあげて、彼女たちなりに戦おうとしたが、ガールフレンドを守ろうと奮闘していた男がドイツの公共テレビに語った。

同様に不穏なことは、ドイツ連邦難民移民局が、イスラム教からキリスト教への改宗者からの亡命申請のほとんどを拒絶している、と国際人権協会のトーマス・シルマッハー会長が伝えています。彼は、「信仰テスト」を受けるとき、「難民及び移民のための連邦事務所」は、多くの場合、キリスト教徒や改宗者を犠牲にして、故意に誤訳するイスラム教徒の翻訳者に依存していると言いました。「それは、ほとんどすべてのイスラム教からキリスト教への改宗者が亡命を拒否されているというスキャンダルです」と、シルマッハーが言いました。

イスラム諸国からの大量の移民を吸収するという非常に現実的な課題を解決しながら、西洋文化にそれらを同化する方法は、これらの問題の率直な議論が抑制されているので、うまく行っていません。左翼の「進歩主義者」とフェミニストは、彼らが人権を支持していると主張することに誇りを持っていますが、イスラム世界における女性と少女の弾圧に関する彼らの沈黙と、イスラム教の教えに従うことを拒否する女性へのレイプの正当化は、彼らの耳が聞こえなくなっているかのようです。また、それは、共産主義の下で行われた大量殺人に関する彼らの沈黙を思い起こさせます。言論の自由を心配する人は誰でも、政治的に間違った発言を罰するために、政府の権力を使う彼らの意欲に対して警戒するべきです。

イスラム主義に挑戦し、それによって犠牲になった人々の生活を改善するために命を危険にさらす改革者は、世界中で経験した中傷や追放ではなく、善意を持ったすべての人々の支援に値するのです。


第6章 我々のユダヤ・クリスチャン基盤は全ての人のために自由を保護している

16世紀になると、はげ頭の僧は、キリスト教徒は神と直接交流でき、彼らのために(神に)とりなすと教皇は必要としないと主張しました。ちょうど殉教者のジョン・フスが100年前に宣言していたように、マーティン・ルターはそれが神の言葉である聖書であり、その切望された中心的地位に値すると宣言したのです。

私は、聖書の証言や明確な理由によって確信していない限り、(教皇や評議会だけでは信用できないためである。というのも、彼らがしばしば罪を犯したり、彼ら自身矛盾していることが知られているので)、私は聖書に拘束され、私は神の言葉を引用し、私の良心は神の言葉に魅了されています。良心に逆らうことは安全でもなく、また、正しくもないので、私は何も取り消すことができず、また、そうするつもりもありません。

すべての信者の聖職者の地位に対する考えの中のルターの信念は、個人と彼らが住む階層構造との関係の新しいパラダイムを生み出しました。ドイツのヴィッテンベルクにあるキャッスル教会の扉に彼の95の論文を釘付けにすることで、マーティン・ルーサーはキリスト教の信仰の基盤を、カトリック教会の中央集権的権威から個人に移した、精神的な潮流を起こしました。それは、ジョン・ロックのような政治思想家の世界が、宗教的自由に関する考え方が、米国の起草者に大きな影響を与えたようにです。

憲法は、ルターの行動によって形成された大きなもので、1世紀以上前に制定されたものです。建国の父は様々な宗教的信条を持っていましたが、大多数は国王に支配されたくないという信念を保持していました。

「建国の父たち」が拒絶したのはイギリス国王の権威だけではなく、中央集権的な権力そのものの権威でした。キリスト教徒であろうと、理神論者であろうと、彼らは皆、聖書の文化とその物語を完全に認識していました。例を挙げると、後に米国の第2代大統領となったジョン・アダムスは、1776年に同僚に手紙を書いたが、米国の植民地のように、非常に複雑で強大な機械の管理には、モーセの従順、ヨブの忍耐、ソロモンの知恵、更にダニエルの勇気に加えたものが要求されます。建国の父たちは、なぜ執行、立法、司法の部門に権力を分割することを主張したのか?彼らは中央集権的な専制政治がどのようなものかを経験し、ヨーロッパでは一般的な王の「神聖な」権利を全く望んでいなかったのです。

しかし、彼らはまた、全ての男女が堕落の結果として罪深いものとなったという聖書の見方にも精通しており、腐敗に向かいやすい人間の傾向性を防御するためにチェックと均衡を持つアメリカ政府を体系化しました。
「建国者たち」は、同じ理由で国家政府の範囲を制限した。連邦政府にはっきりと与えられていないすべての権限は、州や地方自治体に留保されました。

建国者たちの中には奴隷を所有していた者もいましたが、これはアメリカ史上、最も血まみれの戦争を引き起こした国家的な罪であったのです。しかし、独立宣言で明確に述べられた原則は、奴隷制の廃止を要求した廃止主義者が主張した内容でした。

それらの内容は、ほぼ2世紀後の、1963年にマーティン・ルーサー・キングがワシントン・モニュメントで話したとき、彼によって引用されました。

ある意味では、我々は小切手(約束)を現金化(現実化)するために、私たちの国の首都に来たのです。私たちの共和国の建築家(建国者)が憲法と独立宣言を、壮大な言葉を書いたとき、彼らはすべてのアメリカ人が相続人を倒すはずだった宣言書に署名していました。このメモは、すべての人間(そう、白人と同じく黒人も)が、生命、自由、幸福の追求する、奪うことができない権利が保証されるという約束だったのです。


なぜ、アメリカは「誰にもチャンスがある国」なのか。

過去1世紀にわたり、世界中から何百万人もの移民が祖国を離れて、この国にやってきました。「誰にもチャンスのある国」と考えて。なぜアメリカは繁栄の地域なのですか。その憲法による共和国の政治形態は、たとえしばしば「乱雑な」政治であっても、世界中の国々によって模倣されています。

(それでは)なぜ、アメリカの民主主義の外部の形を模倣しようとする多くの国々が、繁栄し、活気に満ちた国にならないのでしょうか。
この国の枠組みを整備した者たちは、ユダヤ・キリスト教の価値観に根付いている共有された文化が、共和国政府が仕事を進めて行くのに必要なものであることを知っていたのです。 ジョン・アダムズはこう書き込みました。

道徳と宗教に縛られない人間の情熱と闘うことができる力で武装した政府はない。 欲望、野望、復讐、または勇敢さは、クジラが網を通過する際に私たちの憲法の最も強い綱を壊すであろう。私たちの憲法は、道徳的および宗教的な人々のためにのみ設計されている。 他にはまったく不十分だ。

ホリンズ大学のエドワード・リンチ教授が説明したように、憲法に基づく共和国が働くためには、信頼、希望、そして「私には自分の人生と大切な人々の生活を改善する力がある」という3つのことが必要です。

しかし、腐敗は、これらすべてを破壊します。 腐敗を成功させるためには、人間の貪欲、権力の独占、そして匿名性が求められます。 最初の要素を削除することは個人の選択ですが、政府は最後の2つに関しては、良いことも、また悪いことも、多くのことを行うことができます。 リンチは、世界の多くの「民主主義」の中で、貧困と機能不全の持続性は、権力の集中化と関係があると主張しています。 独裁政権や寡頭制は腐敗を育む、というのは、匿名性のベールの下で彼らの意思決定を簡単に隠すことができるからなのです。

例えば、ペルーの社会学者ヘルナンド・デ・ソトは、ペルーのリマとフロリダ州マイアミで、それぞれの地域で起業するというケースを比較することにしました。マイアミでは1日で新しいビジネスのために必要なすべての許可を完了し、提出することができました。リマでは14ヶ月かかりました。3つの必要不可欠な賄賂を支払わなければ、ビジネスを始めることはできなかったでしょう。

誰かが新しいビジネスを始める場合、そのリスクを、どの国で喜んで引き受けることになるかは、簡単にわかることです。 中央政府は腐敗を促進し、信頼と自発性を破壊するのです。

地方分権された権力は、より多くの競争を可能にします。 ある地域が堕落しているとすれば、その人は単純に他の場所に自分のビジネスを動かすことができます。ほとんどの決定は地方レベルで行われているので、匿名性は問題にはなりません。 誰がそれらの決定を下すかを知る可能性がずっと高いのです。。

アメリカ人は独立性と自発性で知られており、新しい企業、慈善団体、教会、ビジネスを建設しようとする(そして失敗する)ことを可能にします。

マタイによる福音書25章のタラントのたとえは、起業家精神についての物語として見ることができます。旅に出るアマンは召使いを呼び、銀の袋を預けました。最初の二人の召使いは与えられたものを倍増させ、主人から賞賛されました。三番目の召使いは預かった銀の袋を土の中に埋め、それを増やそうと努力しなかったとして主人から厳しく裁かれたのです。

我々は出生の状況をコントロールすることはできないが、我々は、与えられたものに対して責任があります。 マダム・C J ウォーカー(1867-1919)は素晴らしい例です。ヒストリー・チャンネルの説明によると、彼女はヘアケアー製品を成功させたことで、「アメリカで初めて黒人女性の億万長者」として賞賛されました。ボム・サラ・ブリードラブは、20歳の時に未亡人となり、クリーニング店の店員として働くことになりました。脱毛治療を受けた後、「ウォーカー・システム」を開発し、黒人女性に直接、自家製の製品を販売しました。 自己宣伝のための才能が、ブームに沸く企業を築く助けとなりました。 ウォーカーはタスキーギ研究所に、女性のための奨学金の資金を提供し、NAACP、黒人のYMCA、その他数十の慈善団体に巨額を寄付しました。


進歩主義ー失敗したモデルへの回帰

アメリカにおける20世紀の進歩的な政治運動は、第4章で説明したように、アメリカの建国者たちが拒否した中央集権モデルへの回帰です。少数の人々の手に、権力を集中化することにより、人々は、自分達の問題を解決するために、大きな政府に目を向けるように促されます。コミュニティの困難に(自ら)対処するよりも、代わりに、人々はワシントンD.C.から配給された資源と利益を求めて競争します。

教育の資金調達と規制は、創設者が連邦政府の役割として思いもよらなかった別の活動でした。教育への政府支出の増加が学生の成果を改善したという証拠はほとんどありません。アメリカの進歩主義者たちは、アメリカの公立学校制度を事実上完全に制御しており、その結果は明らかです。アメリカはかつて学術基準で世界をリードしていましたが、現在、学生は読書、数学、科学のスコアで多くの国に大きく遅れをとっているのです。

最上級の得点を記録した国の中には、30年前と比べてかなり貧しかったことは注目に値する国もあります。高校を卒業した生徒は、祖父母よりもアメリカの歴史について知りません。これは、政府が管理する教育がアメリカの若者の多くにとって、あまりうまく機能していないというより多くの証拠なのです。さらに、建国の父たちは州が基金を創設することや、政府に権威付けられた教会に反対していたが、創造主やユダヤ教・キリスト教の教えへの言及を不毛にされた公共の場や政府を思い描いていなかったのです。


政府の統制から解放される

教会と国家の分離に対するトーマス・ジェファーソンの信念は、公共の場に宗教を関与させるべきではないという信念として、誤って理解されることがよくあります。ジェファーソンは伝統的な意味では、キリスト教徒ではなかったが、イエスの教えは「人間の口から落ちた(語られた)、最も崇高な道徳のシステムの輪郭」を構成すると信じていました。彼の同時代の多くと一緒に、彼はいくつかの植民地では、牧師が英国教会によって確立された教義に従って、聖職者が説教することを義務付けられているという事実に反対しました。市民は、しばしば日曜日に教会に出席するように法律で義務付けられました。税金は、教会の牧師のための賃金を提供するだけでなく、新しい教会の建設のために制定されたのです。

メリーランド州は、1649年に「寛容法」(三位一体のキリスト教徒に対する宗教的寛容を義務付ける法律)を可決しました。これにより、カトリック教徒は信仰を実践できましたが、キリストを信じないユダヤ人や無神論者には死刑を科したのです。
ジェファーソンは、政府が創造主と人々の関係に関与することはできないことを理解していました。 政府には市民に官僚的で懲罰的な命令を課す権利はなかったのです。

私たちが提出したことのない良心の権利は、提出できなかった。 私たちは、良心に私たちの神に向かう良心に対する回答を持っている。 政府の合法的な権限は、他者に有害な行為のみに及ぶ。しかし、20の神がいる、または神がいないと言うのは、私の隣人にとって何の危害も及ぼさない。 ポケットを拾ったり、足を折ったりしない・・・

ジェファーソンの心の中で最も重要だったことは、あらゆる、全ての政府の統制から解放された、宗教的思想の多様性を可能にする社会の創設でした。

しかし、私たちは、公共の場で自由に表現されている思想の多様性を見るでしょうか。政府は、個々の表現を許すのではなく、ますます抑圧的な政権となり、宗教的言論を抑制し、独自の世俗的な国家宗教を促進しています。米国のほぼすべての公立学校は聖書が置かれていない地域であり、幼稚園の幼い子供たちはいつでも性別を自由に選ぶことができます。

国家権力の濫用の衝撃的な例は、より厳しい銃に関する法律を要求する、最近の「学生抗議」に見ることができます。2018年3月、米国内の何万人もの公立学校の生徒が、より厳しい銃に関する法律を要求するために屋外でのラリー(決起集会)に集まりました。

これは学術的な演習ではなかったのです。この決起集会は、学校での銃撃での苦悩を、補正第2条の擁護者に対する敵意へと、向け直すことによる学生の感情の大胆な操作だったのです。

公立学校の青少年たちは、合法的な銃の所有者とその権利を保護するために働く組織である全国ライフル協会に責任を負わせるために、主催者によって指名されました。 パークランド校の襲撃を阻止したり、止めようとする政府機関の完全な失敗など、反対の観点からの意見を提供するための努力がなされたのでしょうか。そうではありません。

あなたが銃論争に関して立っている立場、ここはポイントではありません。 問題は、政府が規制し資金を提供している学校が、ある一つの政党の発言のポイントを促進する権利を削るかどうかなのです。

真実は、アメリカは彼女のユダヤ・キリスト教の価値に強く固執せずに自由を維持することはできません。そして、そこから、私たちの性別、肌の色、国籍、宗教に関係なく、あなたと私は平等であるという確信が生まれます。私たちには、自由意志で私たちを創造した共通の天の父がいるという信念は、他の背景を持つ人々を平等に扱うための最も強力な基盤なのです。建国の父たちはこれを認識し、合衆国市民が自由に選択して礼拝できるように自由を与えながら、宗教的慣行を管理、または操作する国家の力を制限する憲法を創設したのです。

私の父は、国家ではなく、神と強い家庭が平和なコミュニティ、平和な国家、平和な世界の構成要素であると広く教えました。真実は、フリーセックス、被害者意識、責任転嫁、妬みを奨励する「多文化」の教えは、外国の侵略者よりも我が国に対するより大きな脅威なのです。

アメリカはかつて、十戒が、すべての市民が今日までに生きようとするべき、より高い真理として尊敬される文化であった。(しかし、今)アメリカは、その共有された市民文化が構築された基盤から遠ざかってしまったのです。私たちの国の統一の目的が破壊されている間、私たちは黙って立ってはいけません。私たちは、私たちの子孫に対して義務を負っています。建国者たちの遺産が彼らに、そして、今後数世代にわたって、受け継がれていくことを確実にするという責任を。


第7章 彼(キリスト)は鉄のつえで彼らを支配しなければならない

イエスの福音は王国の福音である

「良い知らせ」は、伝統的にイエス・キリストの十字架、死と復活のみとして説明されてきました。しかし、イエスは良い知らせについて何と言っていますか? キリストの言葉をじっくりと見ると、福音は王国の福音であることが分かります。マタイによる福音書の中だけで、キリストは彼の周りに集まる群衆に対し、40回以上にわたって、来るべき王国のメッセージを説いているのです。

対照的に、彼は弟子たち、内部に対して、個人的に3回だけ、彼の差し迫った十字架のことを話しています。

新約聖書の至るところで、イエスの説教は、神が主権を有する統治のメッセージを中心にしています。

この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。
(マタイによる福音書 第4章17節)

イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。(マタイによる福音書 第4章23節)

行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。(マタイによる福音書 第10章7節)

そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。(マタイによる福音書 第24章14節)

そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。
(マタイによる福音書 第25章34節)

ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。
(マルコによる福音書 第1章14節)

マタイによる福音書 第6章33節では、イエスは、私たちが何かをする前に、明日を心配する前に、まず神の王国を求める必要があることを明らかにしています。イエスは「まず始めに、民主主義を求めなさい」とは言わなかったし、「まず、共産主義を求めなさい」とは言わなかったのです。また、彼は「まず、価値の無い卒業証書を求めなさい」と言わなかった。彼はこう言った。あなたがたは、まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

マタイによる福音書 第9章35節では、イエスはすべての町や村を回り、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)で教え、王国の福音を説き、人々の中のすべての病気を癒しました。

ルカによる福音書 第4章43節で、イエスは人々に「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われました。十字架の福音や死の福音、あるいは、3日目の復活の福音を説くために遣わされたとは語られなかったのです。それどころか、イエスは神の王国を説く目的で送られたと語ったのです。

イエスはまた、彼の王国が精神的であることと同じくらい肉体的であることも明らかにしました。「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイによる福音書 第6章9~10節)
それは、ただ単に、私たちが死んだ後でのみ、入る天上の王国ではありません。キリストの王国は、キリストがこの地上に導かれる正義と善良さの王国になるでしょう。


鉄のつえ

私たちは終末の時代に生きているので、王国の約束は今、成就されようとしています。多くの人々が聖霊から啓示と霊感を受けています。イエスは新しい名前を持って来られて(参照:ヨハネの黙示録 第3章12節)、そして、彼は、善良なる人々がキリストと共に、鉄のつえで支配する治世を確立するでしょう。

わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。(詩篇 第2篇8~9)

彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。(ヨハネの黙示録 第2章27節)

女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。(ヨハネの黙示録 第12章5節)

その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。(ヨハネの黙示録 第19章15節)

キリストが再臨する時、彼は統治者となって、そのみ言で国々を審判するでしょう。

ヨハネが黙示録を書いたとき、剣は戦争の一般的な武器でした。それは主権者が権力の地位を維持する手段であり、それは彼らの君主制に対するサタン的な支配を確かなものにしました。神の王国が地上に来るためには、キリストを中心とする信心深い人々が、悪の勢力よりも強い「火力」を行使できなければなりません。(参照:ヨハネの黙示録 第20章)新約聖書の最後の本の聖句には、鉄のつえを重要な着装品として描いており、これは、キリストが再臨したときに、どのように統治するかを示す重要な物理的アイテムなのです。彼の王国は、鉄のつえの正しい使用によって安全に保たれ、維持されます。ヨハネの黙示録第20章では、キリストは「海の砂のようにたくさんの」邪悪な者に対して、火の力(または「火力」)を使い、罰のためにサタンを火の湖に投げ入れました。

しかし、現代の人々にとって、キリストを武器と関連付けることは、しばしば困難です。 2つの存在は相互に排他的に見えるかも知れません。さらに、人々はその致死力のために、必然的に銃器を恐れています。死を引き起こす物に対しては、決まりきった、反射的な反応を引き起こす傾向があり、結果として、一般市民は銃を所有するべきではないという信念をもたらすことが多いのです。「平和主義者」信者は、神だけが生と死に対する力を支配していると主張するかも知れません。しかし、その主張には疑問があります。目に見えない神はどうやって武器を制御できるのでしょうか。それは実生活でどのように機能するのでしょうか。

信心深い人々が自分自身を守る力に欠けているとき、悪が暴れ狂うという例を探すのに、あまり遠くを見る必要はありません。たとえば、中央政府は過去100年間で2億2千万人以上の非武装の一般市人を殺害し、その多くは神への信仰のために殺されました。

正統派キリスト教作家で、ロシアの反体制派のアレクサンドル・ソルジェニーツィンは、ヨセフ・スターリンが創設したグラグ労働収容所の囚人として8年間を費やし、中央政府によって生み出された惨めさを直接経験した人物でした。ソルジェニーツィンは、ロシアの文学の巨人で、共産主義によって引き起こされた6000万人のロシア人の死の主な理由を説明すると、簡単に述べました:「人は神を忘れてしまった。それで、すべてが起こったのだ。」


クリスチャンはより高い権威を認めている

キリスト教徒として、私たちはサタンは国家の力を使い、神の子供たちを支配し、奴隷化し、殺害してきたことを理解しています。キリスト教は、特に、キリスト教は個人の価値を高めるので、国家のアイデンティティへの脅威として認識されています。それは人々の間に絆を生み出し、連帯を促進し、困っている人々を助けます。政府は、キリスト教が社会的な反抗勢力が力を得ることができる情報などの伝達経路になることを、当然のことながら恐れています。

イエスの生涯と教訓を研究するとき、聖書は国家の忠誠に相反する教えを示しています。イエスは生涯において、政治的な役職を持っていなかったが、それでも、彼はローマ帝国にとって潜在的に危険であると考えられていました。ヘロデ大王は、「救い主」の誕生時に、すべての若い男性の子供たちを虐殺することを命じたとき、「ユダヤ人の王」としてのイエスの立場の正当性を、無意識のうちに確認していたのです。最初の3つの福音書で、キリストは繰り返し、神の差し迫った君主制の支配ついて話しました。イエスが神の化身であり、ユダヤ人の王であるという主張は、彼がユダヤ人とローマ人の両方の階層から受けた敵対的な反応の重要な要因であったのです。

イエスは、イエスのみがユダヤ人たちの忠誠に値する主権者であるという宣言によって、ユダヤ人の支配エリートに衝撃を与え、怒らせた真の革命家でした。イエスに従うことは、ユダヤ人たちがローマの指導者よりも、反逆者のラビに敬意を表さなければならないことを意味しました。忠誠心における、このシフトは、ユダヤ人指導者を不安定で、生命を脅かす状況に置いていたことでしょう。ローマは氾濫の可能性を迅速かつ断固として対処しました。奴隷や反政府勢力に対処する際、国家は通常の慣行として、拷問と磔刑を採用することを躊躇しなかったのです。大勢の人々を動員することができた、奇跡を起こすカリスマ的なユダヤ人の預言者は、現状に対する脅威として、容易に認識されました。


イエスは力の行使を拒絶しなかった

イエスが平和主義者であったと言うことは正確ではありません。彼は、神殿にいた貪欲で、自分勝手な両替商を攻撃し、追い払うために鞭を作ったとき、彼は彼自身の力を増加させる武器を製造したのです。ルカによる福音書 第22章36節で、イエスが弟子たちに言ったとき、軍レベルの防衛兵器の権利を肯定しました。

そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。

イエスは、マタイによる福音書第18章6節で、次のように言われたとき、死刑に対する支持を示唆されました。

しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。 

真実は、イエスが王国の福音でユダヤ人とローマの指導者に脅威を与えたということです。それは彼らの中央政権を転覆するメッセージだったので、彼らはますます怒り、彼のメッセージによって脅かされたのです。

再臨のこの時代に、イエスが戻って来られるとき、私たちはどんな種類の支配者を期待できるのでしょうか?一部のクリスチャンは、神の独裁政権に服従する時代に、神の国が到来するかどうか疑問に思っています。一部の人々は、キリストの統治は明らかに圧制的であり、すべての人々を神の絶対的な意志で支配する、王の王が統治する場所であると推測しています。おそらく、一部のクリスチャンは、ひそかに、全体主義的な支配の一つであると推測される、神の国ではなく、自由なアメリカに住むほうがよいと個人的に考えています。


自分の命の危険を顧みない羊飼い

しかし、ヨハネの黙示録の「支配」に使われているギリシャ語を調べると、聖書はキリストが戻って来たとき、以前と同じ性格を持つことを示しています。第2章で述べたように、ギリシャ語のポイマイノは、黙示録の鉄のつえの聖句にあるキリストの支配を指す言葉です。鉄のつえの支配は、ポイマイノの支配です。ポイマイノとは文字通り、独裁者ではなく羊飼いとして行動することを意味します。羊飼いは世話をして、群れで移動させ、保護して、そして、指導します。良い羊飼いは羊を怖がらせたくありません。彼は、害や危険から羊たちを守るために鉄のつえを使うのです。「あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。」(詩篇 第23篇)

ポイマイノの支配は、正しくて慈悲深い神を中心とした思いやりのある支配です。彼の群れを知っている、王の王である王国の良き羊飼いなのです。イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。(ヘブル人への手紙 第13章8節)、と聖書にあるように。神は、悪の力が彼らを破壊できないように、神の子供たちが強くなることを願う、守ってくれる父なのです。

邪悪を克服するためには、正義を守ること不屈で、確固たる、善良で道徳的な人々が現れなければなりません。鉄のつえだけが、キリストに従う者たちに、暴君に対して「ノー」と言う能力を与えます。中央政府、貴族、そして「法の上」のエリートの最高階級によって、人々が苦められ、支配され、何度も「税が形成された」無限のサイクルがあったのです。

しかし、過去の君主制とは異なり、神の王国は逆さまの王国です。それは根本的に異なっています。神の王国では、かつて、「こころの貧しい人たち」、奴隷、農奴であった人々は、彼と共に共同統治者になるために、キリストの王国の権威と権力を継承します。(参照:マタイによる福音書 第5章)。キリストは全体主義者として支配するつもりはなかったし、彼がトップとして君臨している間、私たちは王国の共同相続人であるべきです。

あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。(ローマ人への手紙 第8章15~17節)

イエスの苦しみと栄光を分かち合うということは、わたしたちが「キリストを着る」人生を過ごすことを意味し(参照:ローマ人への手紙 第13章14節)、堅実さと正義と同様に、愛と慈悲をもって、大きな力を行使できると信頼される人々になるということです。
参上の垂訓では、イエスは単に個々の信者を教えるだけではなく、彼はまた、来るべき王国の継承者の文化についての人間性を教育していたのです。

こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
(マタイによる福音書 第5章3節~12節)

時代を超越した知恵をもって、イエスは主権者であり、武装した人々の王国に、必要とされる特質を教えていました。謙虚さ、思いやり、慈悲、純粋さ、義、これらは王国の美徳です。そして、天の王国は、キリスト教の枠組みの中で鉄のつえを活用します。鉄のつえは、道徳的なキリストを熱望する市民によって、王国を適切に維持するためにのみ、使用することができます。チャールズ・キャロルのような創設者の父は,この点を理解していました。

道徳がなければ、共和国はいくばくも存続することはできません。それゆえ、キリスト教という、その道徳性が非常に崇高で純粋な、宗教を公然と非難している人々は、自由な政府の最高の安全保障である、道徳の強固な基盤を蝕んでいるのです。

キリストの主権を分かち合う神の王国の市民は、自分自身の鉄のつえで自分達の家族、隣人、そして、国家を守る責任を負います

鉄のつえを持っている人々は、かれらが個人的レベルと国家レベルの両方で、これらの王国の価値を体現できるように、身体的トレーニングと同じように、精神的トレーニングとを受けるように召集されます。それは、道徳的な共和国が維持され得るには、この方法しかないからです。武装した防御者として繁栄する私たちの能力は、唯一の福音の完全な体現者である、キリストに本質的に依存した、継続する訓練と学習に左右されます。

鉄のつえは、王国の市民が力を通して平和を維持することを可能にします。キリストの共同相続人は、自制心と「怒りをおそくする」ことを通じて、強さを維持しながら、王国を保護する者になります。武器を所有する人は、高いレベルの規律と警戒を維持しなければなりません。市民が鉄のつえを所有する時、とてつもない力を持つことになるので、自分自身を主管する方法を学ぶことが不可欠となります。一度、弾丸が発射されると、絶対に元には戻らないのです。

責任のあるすべての親は、自分たち自身の命の危険を冒してでも、自分達の子供を保護するという本能を持っています。神の王国は、私たちが隣人の「守護者」であるという文化を表すのです。鉄のつえは、より身長の低い人、年齢の高い人、あるいは、障害を持つ人にとって、自分たちの威厳のある主権を維持するための最も効果的な方法です。鉄のつえの文化の基本原則は、神を愛すること、そして、隣人を愛することです。

武装した市民は、悪人、暴君、サタンの勢力によって駆り立てられた人々に「NO!」と言う能力を持っています。武装した市民だけが「NO!私を支配したり、殺したり、コントロールしたり、奴隷にしたり、レイプしたり、私や私の隣人に悪を仕掛けたりすることはできない。あなたが私に破壊的な力を行使しようとするなら、私は、私の愛する人々、または私の王国を守るために、致命的な力でもって対応するだろう。」

神の家族の一部として、そしてキリストの主権を分かち合いながら、神の王国の市民は、誇りをもって王冠を身に着けています。私たちの忠誠はキリストの神に対するものであり、国家の神に対するものではありません。それで、イエスはこう言われたのである。「あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。」(ヨハネの黙示録 第3章11節)

私たちの王冠をかぶることで、私たちはすべての神を否定する暴君に反対し、神の王国の市民として立ちあがります。

18世紀のアメリカの反逆者の精神には、入植者たちがただ一人の君主に仕えたという感情が吹き込まれていました。英国に任命された知事が述べていたように。

もし、アメリカ人に、あなたの主人は誰ですか、と聞けば、彼は、誰でもない、いかなる知事でもない、ただイエス・キリストのみである、と答えるであろう。

同様に、英国のピトケアン少佐がミニッツマンの集められた連隊に叫んだとき:「解散しなさい。お前ら、悪党どもよ。英国のジョージ王の名において、武器を下ろせ」それに対して、ジョナス・クラーク牧師は答えました。

私たちは神以外の主権を、イエス以外の王を認めない!

アメリカが、その神聖なルーツから逸脱していることは深刻であるが、神はこの特別な国を手放してはいません。アメリカ革命は、アメリカ人がまだ武器を所有する権利を持つという、高貴な価値観を中心にしているからです。私たちが何かを使う場合、その目的は、神か、あるいはサタンが権力を持っているかどうかによって決まります。武器は力であり、または力を増幅させるものです。脅威として、容易に認識されました。私たちが、圧制からの解放や自由の保護等のように、義にかなった目的のために銃を使うならば、神がその銃に対する権威を有するのです。

キリストが、詩篇第2篇8にあるように、私たちに地の果てまでも所有を与える理由は、私たちが利己主義者になれるようにではなく、私たちがキリストに代わって、管理責任を遂行できるようにするためです。神の男女が鉄のつえを持って、地球を自分達の所有物として管理しているとき、世界の邪悪な暴君たちは恐れるでしょう。武器を持つ「羊の番犬」はオオカミに驚愕をもたらすが、羊には慰めをもたらすのです。彼らは神を知り、神の声を認識する人々を保護するのです。

神の子供として、私たちはそれを偶像のように崇拝するのではなく、鉄のつえを支配権を取るように召命されています。私たちは、神から私たちに与えられた王冠と鉄のつえの装着品に感謝しているが、私たちはそれらを崇拝するわけではありません。私たちは神を崇拝し、神が私たちに与えてくださった主権と権威に感謝しているのです。


 第8章 合法的な銃器所有は、生命を救う

すべての複雑な問題には、明確で、シンプルで、間違った答えがある。H.L. メンケン

驚くべき速さで、デビッド・ホッグ、エマ・ゴンザレス、キャメロン・カスキーなどのストーンマン・ダグラス高校銃撃の学生の生存者は、ナショナル・パブリック・ラジオ、ABCニュース、CNN、その他多くのケーブルテレビチャンネルなど、全国のメディア、また、3月24日の「私たちの命のための行進」で、情熱的なスピーチを行いました。

カスキーさんは、「革命」について語った。それは「この国の若者たちのための、この国の若者による、この国の若者の革命なので、力強い。」彼は警告しました。

政治家は、国民を代表するか、出て行くかのどちらかだ。人々は襲撃用兵器の禁止を要求している。人々は、大容量の弾倉の販売を禁止することを要求している。私たちと一緒に立ち上がるか、または用心しろ。有権者がやって来る。

デビッド・ホッグは、修正第2条を支持する銃砲店の所有者と国会議員を告発しました。

・・・もっと多くの銃を売り続けたい、もっと子供を殺害し続けたい、と思っている、いかれた野郎どもが、実際のところ、再選されたいと思ってるんだ。 どんな種類の人間がそんなことをするのか。 彼らは、自分達の顔いっぱいに、子供たちの血をはねかけることもできたが、行動しなかった。なぜなら、彼らは皆、まだこのドル記号を見ているから。

別の学生は「国家政策立案者は、子どもたちの命よりもNRA(全米ライフル協会)の血の金を大切にしている」と非難しています。

「国民」が銃に関する法律について幅広い見解を持ったり、議員が補正第2条を支持する原則的な理由を持つという可能性は、これらのティーンエイジャーの間では起こらないようです。彼らの目には、修正第2条の擁護者は、単に間違っているだけでなく、彼らは悪なのです。これらのティーンエイジャーが「人々」の利益について語る主張は、率直に言って、18世紀のフランス革命家が、「人々の敵」を大量処刑する前に語った言葉を連想させます。

私自身の自説に固執していた若いときを思い出してみると、私はこれらの若者たちに合格を与えても構わないと思うが、彼らの背後にいる大人たちはどうでしょうか。ニューヨーク州の上院議員のチャック・シューマーのような左翼政治家達は、すべての共和党員は銃好きな擁護団体に言いなりの邪悪な政治家であると、信じるように説得された若い有権者達の世代を見て、シャンパンボトルの栓を抜いて(祝いあって)いるに違いありません。3月24日の集会でシューマーは以下のように語った。

毎回、これらの何人かの政治家の首を、全米ライフル協会(NRA)がしっかりつかんでいることが成功しているが、今回はうまく行かないだろう。何故だかお分かりでしょうか。私たちには、皆さんがいるからです!

シューマーは、ブレイディ法と襲撃兵器禁止を立案したと誇らしげに指摘したが、銃登録と「襲撃用兵器禁止」は命を救うことに成功したのでしょうか。この章の研究を調べると、その答えが「いいえ」であることがわかります。

銃規制の話に反対していたということで、CNNのタウンホールや、「私たちの生命のための行進」で、あるいは、ナショナル・パブリック・ラジオで話すことを許されなかった、ストーンマン・ダグラスの他の学生たちはどうでしょうか。

例えば、フロリダ州パークランドの高校虐殺の生存者でもあるカイル・カシュフ。CBSの「フェイス・ザ・ネーション(国家に直面する)」で彼は言いました。

そして、昨日の行進で見たのは、私が本当にイライラしたのは、私が異なる視点を持っていることですが、本当に気になるのは、私たちは皆、異なる視点を持っているアメリカ人として、(認め合うべきなのに)なぜ私が行進に招待されなかったのかという点です。そして、そういった人々の意見を平等に表現することが重要です。

カシュフは、「襲撃用兵器」と大容量の弾倉の禁止では、問題を解決しないと主張します。 代わりに、彼は、法執行機関が既存の法律と慣行を執行できなかったことに、大量殺害の責任があると非難して、次のように 彼は結論付けました。

皮肉なことに、これだけ多くの政府の失敗を見てきましたが、政府をさらに信頼したいのです。

これらの学生は全員、情熱に満ちていますが、私たちの生活を治める本当の公共政策と法律を作ることになると、大人は暴力事件を減らすために、憲法的であり、効果的な法律の両方を行う責任を負わないのではないですか。 3月24日の「スチューデントウォークアウト」などのイベントを支持した学校にとって、政治的な目的のために、若者の情熱を武器にしたと解釈できる、一方の意見に偏った集会ではなく、さまざまな意見を表明するイベントを支持することは重要ではありませんか。


“襲撃用兵器”の禁止?

「銃規制の強化」の最重要課題は、「襲撃用兵器」の禁止を復活させることです。上記のデビッド・ホッグの言葉が示すように、これを疑問視する銃所有者と選出された役人は、「もっと多くの銃を売り続けたい、もっと子供を殺害し続けたい、本当に再選されたいと思っているいかれた野郎ども」と呼ばれます。

補正第2条を支持する国会議員たちは、銃を責任を持って使用する多くの有権者の意見を代表するのではなく、全米ライフル協会(NRA)に自分達の首をしっかりと掴まれて屈したと非難されています。

カリフォルニア州下院議員のエリック・スウォールウェルは、半自動「襲撃用」兵器の所有を禁止し、そのような武器を、その新しい法律に従うことを選択したすべての人から買い戻し、「武器を保持することでそれを無視することを選択した人」を刑事訴追するように求めました。

ジョージア州のエリカ・トーマス下院議員も、「襲撃用ライフル」の禁止を支持し、たとえ、彼女がジョージア州選出の議員として「ジョージア州捜査局は、任意あらゆる襲撃用兵器、大容量の弾倉、装甲貫通弾または50口径の焼夷弾を押収し、所持しなければならない」という法案を支持しているにもかかわらず、合法的な銃所有者から押収されることを否定している。と述べています。 彼女のダブルスピークは典型的であり、また、米国司法省によって行われた研究に関する無知を示しています。

カリフォルニア州選出のファインスタイン上院議員や、その他の銃規制支持者は、1994年に可決され、2004年に失効した連邦「襲撃用兵器禁止法」の復活を緊急に提唱しています。その法律は、10発以上の銃弾を装備する弾倉だけでなく、ピストルグリップなどの「軍事スタイルの特徴」を持つ半自動小銃の製造と販売を禁止しています。

しかし、2004年の司法省の資金提供による調査では、その法律が、銃犯罪全体を減らしたり、銃撃による致死性を減らしたという証拠は見つかりませんでした。これは驚くべきことではありません。なぜなら、殺人の約3%だけはライフル(AR-15のような半自動のものを含む)で犯され、銃関連の犯罪の3分の2は拳銃で犯されています。銃犯罪事件の10件中8件で、犯人は合法的な銃所有者ではなかったのです。その「法律」は、犯罪者にほとんど違いがないことを明らかにしています。

これらは、銃規制支持者が、言及しないように注意している「不都合な真実」の一部なのです。



「銃の無い地域」、それは、犯罪者の銃を除いて、銃が無いということだ。

防犯研究センターが指摘したように、過去60年間の銃公衆乱射事件の98.4%が、合法的な銃器の使用が認められていない「銃の無い地域」で起こっています。1998年から2015年までの最近の20年間を見ると、96%の銃公衆乱射事件が「武器のない」地域で起こっています。

「銃の無い地域」を確立することによって、学校、商業地域、公共のオープンスペース、政府の土地建物、礼拝所、医療施設などで「銃の数を減らす」というこの広範なアプローチが、機能していないことは明らかです。それどころか、法律を守る市民が銃器を持ち歩くことを禁じられている場所を探している犯罪者にとっては、非常に効果的に機能します。武装した警備員を持つことは、いくつかの保護を提供しますが、そのような人の正確な位置を知ることは、多くの場合、彼は簡単な標的になります。

例えば、コロラド州オーロラで2012年に12人を殺害し、70人を負傷させたバットマンの映画館の殺人者、ジェームズ・ホームズの日記は、彼が空港と映画館を攻撃する間に議論していたことを明らかにします。彼は、しっかりとした警備を理由に空港のオプションを捨てて、ホームズは代わりに、(アパートの近くの7つの)映画館で、「他人に見えない状態で銃を携帯する許可証の保持者の銃」を禁止する標識を掲示していた唯一の映画館を攻撃することを選んだのです。

もう一つの悲しい例は、2016年にフロリダ州オーランドのゲイナイトクラブでの銃公衆乱射事件です。少なくとも50人が死亡し、53人が負傷しました。イギリスのデイリー・メール紙のコメントにあるように「事態を悪化させたのは、襲撃の時から警察が建物に入るまで3時間かかったことだ」。これは、法執行官が命を救うために時間内に到着する可能性が低いという、さらなる証拠です。

防犯研究センター(CPRC)の報告書に記載されているように

襲撃者は通常、制服を着た警備員や、居合わせた警官を最初に撃ちます(昨年のパリでのチャーリー・ヘブドの襲撃はその点を示しています)。あるいは、制服を着た警官がいなければ、別の場所に移動します。オーランドの襲撃で最初に撃たれた人物は、ナイトクラブを警備していた非番の警官で、オマー・マティーンがナイトクラブに入る前に撃たれました。この特定のケースでは、襲撃が発生した後にのみ警察が現場に到着しました。それは別のポイントを示しています。つまり、警察がすべての襲撃対象になり得る者を保護することは単に不可能だということです。

これらの銃公衆乱射事件の襲撃者が、自分自身を守ることができないとわかっているターゲットを意識的に選択していることを無視することは困難です。そして、隠された拳銃許可証保有者によって止められた銃公衆乱射事件の数から得た理由を元に、彼らはそうするのです。

その他の考慮事項:

警察の81%は、適切な訓練と審査を受ければ、教師や学校管理者の武装を支援しています。ユタ州とオハイオ州は教師を武装させ,訓練してきました。現在州議会に所属しているコロンバイン銃撃事件の生存者は、教師の武装を支持していて、今、コロラド州が許可するようになりました。

1974年にテロリストが学校を襲撃した後、イスラエルは学校で武装警備を義務付け、教師に武器訓練を提供し、頻繁に効力のある射撃訓練を行いました。それ以来、学校での銃撃は2件のみで、どちらも教師がテロリストを殺害して終わっています。

ベネズエラのマルクス主義政府は、国民から銃を没収し、現在、その飢えに苦しむ国民の完全な制御は言うまでもなく、世界で最も高い犯罪率を持っています。


銃の防御的な使用

銃器の防御的な使用については、より厳重な銃規制(or  銃規制強化)を提唱する人々によって議論されることがほとんどありません。2つの包括的な研究により、米国では毎年150万から250万の銃の防衛的な使用が行われていることがわかりました。 これは、銃器が、市民の命を奪うよりも、その命を守るために80倍以上の頻度で使用されていることを意味します。 その研究の著者は以下のように説明しました:

研究は一貫して、銃やその他の武器で抵抗する犠牲者が、強盗事件や住居侵入で自分の財産を失う可能性が他の犠牲者よりも低いことを示しています。

銃で抵抗する犠牲者は、他の方法で抵抗する人よりも負傷する可能性が実質的に低く、まったく抵抗しない人よりも、少し傷つく可能性が低いです。

レイプの場合、ある種の武器で抵抗した被害者は、レイプの試みが彼女らに対して完了する可能性は低くなった。「実際、毎年20万人の女性が性的虐待から身を守るために銃を使ったことがある。

銃規制対策について、研究者らは、銃の合法的な使用を制限する法律や、その使用を阻止する法律は、「命を救ったり、怪我を防いだり、レイプの試みを阻止したり、泥棒を追い払う」可能性を低くすると警告した。

一般市民による銃の防御的な使用が非常に多いならば、なぜ我々は彼らについて聞いたことがないのか、と尋ねるかもしれません。いい質問!この知識の不足を補うために、私はいくつかの例を紹介しましょう:

2018年3月27日 テキサス州ヒューストン。50代の女性が車道にいた時、マスクを着けた武装した3人の男に待ち伏せされた。彼らは彼女を殴り、顎を折り、財布を取った。しかし、彼らが彼女の家に入ろうとしたとき、彼女は彼女のピストルで彼らを撃つことができ、彼らは車で走り去った。

2018年2月14日、カリフォルニア州ヘメット。銃は、南カリフォルニアで暴力犯罪歴のある住居侵入者を撃退するために、高齢のカップルによって使用されました。

スティーヴン・ウィルフォードは、2017年11月5日にテキサス州サザーランド・スプリングスのファースト・バプティスト教会において英雄的に介入しました。犯人のデビン・ケリーは、教会員を撃っていた。その時に元NRAのインストラクター・ウィルフォードが彼の家から裸足で走りながら通りを横切り、AR-15半自動小銃で、ケリーに襲撃を止めさせた。20人の、おそらくはもっと多くの人の命を救いました。

2016年6月30日、サウスカロライナ州ライマン。オーランド大虐殺の2週間後、32歳のジョディ・レイ・トンプソンが別のナイトクラブで発砲しました。 彼は銃を隠し持っていた人から撃ち返されたが、足を負傷させられる前に3人を撃つことができてしまった。

2015年5月31日、コンヤーズ、ジョージア。男は酒屋で2人を殺害し、(銃の)携帯許可証を持った者が、中に走って行って交戦するまで、他の人に発砲を続けた。犯人はその後、店から逃げ去った。ロックデール郡保安官エリック・レヴェットは、「私の意見では、あの店で彼はあの店で他の人の命を救いました。」

2015年3月22日、フィラデルフィア、ペンシルベニア州。 40歳の男が床屋で人々を撃ち始めた。 銃撃戦を聞いた通行人は中に駆け付け、攻撃者を撃った。 「対応した人間は、合法的な銃の許可証を持っていた。 (そして)彼は対応した。私は彼はそこの多くの人々を救ったと思う。」とフィラデルフィア警察のフランク・ルウェリン警部は語った。

2013年1月4日、ジョージア州ローガンビル。2人の子供と一緒に屋根裏部屋に隠れている女性は、安全な場所に逃げる前に、侵入者を複数回撃ちました。

米国では年間250万件の銃器の防御的な使用が確認されているということは、毎日6,800件以上のこのような事件が発生しているということを示唆している。


<注記>

現在、アメリカでの銃の携帯の許可には、以下の2つがあるそうです。

① Open carry(ホルスターあるいは生身など他人に見える状態で携帯)
② Concealed Carry(衣服の下やかばんの中など他人に見えない状態での携帯)

この章では、Concealed Carryという単語が頻出するが、適当な日本語訳を見つけられていないため、「他人に見えない状態での銃の携帯を許可する法律」、あるいは英語の頭文字を取って、「CC法」という言葉等を使用していますが、いずれも翻訳者の「造語」です。


「他人に見えない状態での携帯を許可された銃」が犯罪を減少させる

民間の銃使用の反対派は、共通に、平均的な市民によって広範囲に広がった「他人に見えない状態での携帯を許可された銃」が、必要の無い不慮の死者をもたらしたり、未熟な使用者によって悪い事態が引き起こされるかもしれないと恐れている。しかし、真実は、膨大な犯罪学の研究の大多数は、最小限の制限で「他人に見えない状態で銃の携帯を許可する法律」(以下、「CC法」)の「許可証の発行」が犯罪を減らすことを明らかにしました。これらの研究は、暴力犯罪は、「CC法」が採用された後に、(犯罪件数が)落ちることを示しており、結果として、「CC法」が長期間運用されればされるほど、犯罪件数が減少することを示している。

防犯研究センターは、オバマ大統領の最初の7年間で、「CC法による許可証」が3倍になったが、その同じ期間に殺人率が16%減少したと報告している。。

考慮すべきその他の事実:

「CC法による許可証を受けた人たち」は、警察や一般市民よりも犯罪を犯す割合が低いので、私たちの社会の最も安全な階層です。

フロリダ州の殺人率は、「CC法」が制定された後の15年間で52%減少した。

ジョージア州ケネソーは、世帯主に銃器を所有するよう要求した。住居侵入罪は89%減少した。10年後、住宅強盗率は、その法律が可決される前よりも72%低かった。

英国やカナダなどの銃規制国では、アメリカよりも犯罪者の自宅侵入率が高いことが明らかになっています。2018年2月と3月のロンドンの殺人率は、イギリスの首都でナイフの襲撃が劇的に急増したため、ニューヨーク市を上回りました。

予想通り、島国では「ナイフ規制」の要求へと繋がっている。ロンドン市長のサディク・カーンは、暴力の高まりに応じてナイフの取り締まりを発表し、「言い訳はしない:ナイフを持ち運ぶ理由はない」と述べた。(本気なのか?)「そうする者は誰でも捕まり、彼らは法律の完全な力を感じるだろう」

英国での銃規制法の「成功」を考えると、「ナイフ規制」の見通しについて、か固唾を呑んで、待ってはいられません。しかし、狂気はどの国にも限定されません。ここアメリカではカリフォルニア州知事のジェリー・ブラウンは、犯罪を犯すために銃を使用する犯罪者に対する強制的な最低刑を廃止する法律に署名しました。言い換えれば、法を遵守する市民にはより厳しい法律が必要ですが、暴力犯罪のために意図的に武器を使用する犯罪者には、より多くの寛大さが必要なのですか。もちろん、あなたが左翼で、銃規制を擁護する立場の政治家でない限り、それは意味がありません。

第9章 銃規制法の人種差別主義者の起源

規律ある市民軍は、自由国家の安全保障にとって必要なものであるので、国民が武器を保有し、携行する権利はこれを侵してはならない。補正第2条

武器を保有する権利は、補正第2条からは始まったのではありません。アメリカ合衆国が存在する前の1775年4月19日、武装した入植者で構成された地域の民兵がコンコードとレキシントンでイギリス兵に立ち向かい、敗北しました。多くの入植者は、彼らが神聖だと見なした権利を守りながら、彼らの命を失いました。

イギリスのコモン・ローは、武器の所有権を保護し、義務付けさえしました。武器の所有権は、狩猟の道具だけでなく、「攻撃用の武器または防御用の鎧」であると理解されていました。1181年の武器の大規模化において、ヘンリー2世は、イギリスのすべての自由人が王国を守るために武器を所有し、保有する義務を宣言し、主人を「部下から引き離す」ことを禁じました。

もちろん、この権利はアメリカの奴隷には与えられておらず、自由黒人にも与えられていませんでした。初期の植民地時代から銃器をアフリカ系アメリカ人の手から遠ざけるために銃規制法が使用されていました。新世界では、スペインの植民地支配を維持するために、現在のメキシコで1500年代に最も早い銃規制法が制定されました。 「同様に、16世紀のニュースペインの植民地は、黒人奴隷の反乱を恐れ、「自由」と奴隷のすべての黒人が武器を持ち歩くことを禁じていた。」ルイジアナ州では、フランスの入植者たちは、黒人の中での武器の所有を不法としたのです。

最も初期のアメリカの銃規制法は、最初のイギリス植民地が設立されてからわずか数十年後に制定されました。 1640年、バージニア州のこれらの海岸で、初めて施行された銃規制法が可決されました。黒人、さらには自由市民でさえ、銃を所有することを禁じていました。

銃器は南北戦争後の数年間で容易に入手可能になり、新たに解放された黒人と貧しい白人によって手に入れることができました。また、連合軍で南北戦争を戦った黒人たちは、自分たちの銃を持つことが許されました。白人至上主義者たちは、これを脅威とみなし、黒人を武装解除する法律を可決したが、その法律だけでは十分ではなかったのです。黒人の武装解除を遂行するために、クー・クルックス・クランが1866年に組織されました。彼らは南部中にギャングを作り、夜、集団で移動して、黒人の家族を恐怖に陥れ、彼らの銃を奪い去ったのです。銃を取るために大きなグループで夜に旅行した離れて。銃器を持たない黒人市民は、反撃できなかったのです。

テネシー州やアーカンソー州を含む、いくつかの州は、ほとんどの黒人居住者が持つことができる安価な拳銃の販売を禁止しました。アラバマ州とテキサス州は同じ理由で拳銃の販売に重い税金を課したのです。

1900年代の初頭、フロリダ州やサウスカロライナ州などの他の州は、保安官とその「特別代理人」、「ならず者達とKKK(クー・クルックス・クラン)」を意味するが、それらを除き、拳銃とリピーティング・ライフルの持ち運びと所有を禁止しました。

このような銃規制法は南部に限ったものではありませんでした。1911年のサリバン法は、ニューヨークの銃所有者が警察から許可を得ることを義務付けました。南ヨーロッパや東ヨーロッパの移民、カトリック教徒、ユダヤ人、黒人など、賛同してないグループにとって、これは不可能でした。

「1967年と1968年のゲットー暴動」をきっかけに、議会は「パニック」に陥り、1968年の銃規制法を可決しました。

黒人への武器アクセスを遮断し、彼らはゲットーの黒人と安価な銃を関連付け、安価さが特に、輸入された軍事物資の黒字と通販売買の特徴であると考えていたので、彼らは、富裕層への店頭購入は解放したまま、これらのソース(黒人たちへの販売)を遮断することを決めました。


アフリカ系アメリカ人による銃器の防御的使用

アメリカ公民権連合が報告書「銃規制、人種差別、大量殺戮に関する真実」で指摘したように、アフリカ系アメリカ人による自己防衛のための銃器所有には、強い歴史があります。

銃規制とは対照的に、武器を持つ自由は、南北戦争の前後の両方で、何度もアメリカの黒人コミュニティが、自衛することを可能にしました。民間の銃の所有権は、1800年代、北部の都市で黒人コミュニティの防衛に役立ちました。都市の市民軍は、プロビデンス(1831)、ニューヨーク(1834)、ピッツバーグ(1839)、ボストン(1843)、フィラデルフィア(1849)で、黒人を攻撃する白人暴徒を抑圧しましたか?

黒人は通常、公式な州の市民軍から除外されたが、いくつかの都市では黒人コミュニティが彼ら自身の民兵を育てた。黒人民兵は、フィラデルフィア(1835)とシンシナティ(1841)の黒人居住区に対する白い暴徒の攻撃を撃退しました。

1891年のメンフィスでは、黒人民兵グループが、3日間(3夜間)、リンチされるのを恐れる100人の男性を保護しました。民兵が家に帰った夜、白人の暴徒が刑務所を襲撃し、黒人男性の3人をリンチしました。

1960年代初頭のクー・クラックス・クランの公民権活動家への連続した暴行と殺害に続いて、武装した黒人たちは活動家を護衛し、彼らの家を守りました。 1964年から1965年に、ルイジアナ州、ミシシッピ州、アラバマ州で黒人と公民権活動家を保護するために、「防衛と正義のための執事」が結成されました。

厳格な銃規制法を持つ多くの都市部では、犯罪率が高いことはよく知られています。アメリカ公民権連合の報告書に記載されているように:

ワシントンD.C.は、かつて米国の殺人の首都として知られていた大多数の黒人都市だが、修正第2条が、市民軍への参加を除いて、銃器を持ち、保管する個人の権利を確立していると判決が下された最高裁判所の2008年のヘラー判決に続いて、犯罪率の急落を享受していた。ヘラーは、コロンビア特別区の非常に制限的な銃法を違憲と裁定した。その銃法というものは、自宅で長い銃に弾を装填することが重罪となり、事実上、自衛のための銃の使用を禁止するものであった。

この判決は、2018年3月27日のニューヨークタイムズのオプエドで、元最高裁判事John Paul Stevensによって非難されました。 また、彼は修正第2条を廃止するよう求めました。

ACRU レポートは続きます。

銃規制の専門家であるジョン・ロット博士によると、ヘラーが亡くなったとき、72,000人以上の成人がワシントン D.C.で長い銃を所有していました。ロットは次のように述べています。「その判決後、成人人口のほぼ4分の1が突然、自衛のためにこれらの銃を合法的に使用することができました。 「ヘラーの判決後の5年間で、その地区の犯罪率は急激に低下しました。銃を使用した犯罪は特に大幅に減少しました。銃を使用した強盗は11.3%減少し、銃を使用した襲撃は30.9%減少しました。 そして、殺人率は、なんと52.3%も低下したのです。

ロットはまた、最高裁判所が2010年にシカゴの拳銃の制限を撤廃した後、「禁止が撤廃された後、殺人と銃の犯罪率は上昇しなかった、それらは急落した」と指摘します。それらは国の犯罪率よりもはるかに低下しています。」

レポートの結論は次のとおりです。

銃規制は、合衆国で政治的および文化的に黒人を抑圧するのに有用なツールであることが証明されていると同時に、彼らを犯罪者に対して脆弱にしている。 対照的に、法を遵守する市民の手にある銃は、少数民族を繰り返し保護している一方、最も危険な都心部の犯罪率を低下させています。


銃規制とナチスドイツ

スティーブン・ハルブルックが、彼の著書『第三帝国における銃規制:ユダヤ人の武装解除と国家の敵』で指摘したように、私たちの現在の銃規制の議論は何も新しいものではありません。1931年にすべての銃器の銃登録を制定したドイツ・ワイマール共和国の混沌とした時代の1920年代に、(銃器所有製に対する)賛成、反対の同じ議論が行われました。

ハルブルックによって説明されているように

1933年、アドルフ・ヒトラー率いるナチスは権力を握り、政治的な敵やユダヤ人を特定し、武装解除し、攻撃するために「銃登録」記録を使用しました。憲法上の権利は一時停止され、銃や反体制派の出版物の大規模な捜索と押収が続きました。警察は社会民主党や「政治的に信頼できない」人々の銃の免許を取り消したのです。ゲシュタポは独立した銃クラブを禁止し、彼らの指導者を逮捕しました。ゲシュタポの法律顧問のヴェルナー・ベストは、ユダヤ人に銃器許可証の発行を禁止する指令を、警察に出しました。

1938年、ドイツ系ユダヤ人はすべての武器を引き渡すように命じられ、警察は彼らを登録したすべての人に関する記録を持っていました。自発的に武器を捨てた者でさえ、ゲシュタポに引き渡された。

ヒトラーは国民啓蒙・宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルスに「水晶の夜」を最大の効果を挙げるように仕組むことを指示しました。 武器の捜索として行われたと、伝えられているこの大規模な作戦には、家屋や企業の略奪、およびシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)の放火が必要でした。

SSのハインリッヒ・ヒムラー長官は、銃器を所持する、あらゆるユダヤ人は、強制収容所で20年服役すると定めました。第一次世界大戦のさびたリボルバーと銃剣は、分けられて奉仕していたユダヤ人の退役軍人から没収されました。 2万人のユダヤ人男性が強制収容所に投獄され、身代金を支払わなければ、解放されませんでした。。

フランスが1940年にナチスの侵略に陥落したとき、ニューヨーク・タイムズ紙は、フランス人はドイツ人と同じように、言論の自由や銃器所有などの権利を奪われたと報じました。24時間以内に銃器を放棄しなかったフランス人は、死刑の対象となりました。

ほとんどの読者は、ナチスが統治する間に、武装解除されたユダヤ人と、「政治的に信頼できない」ことの次に何が起こったのかをを知っています。 今日のようなドイツのワイマールの善意の人々は、特定の武器の禁止や登録など、銃の所有に厳しい制限を主張しました。 彼らは、地獄のような未来への道が、彼らが合理的な法律だと信じていたものによって、どのように舗装されているのかを予見できなかったのです。

第3章で指摘したように、前世紀の他の主要なデモサイド(大量殺戮)で、イスラム教徒のトルコ、ソ連、共産主義の中国、共産主義のカンボジア、グアテマラ、ウガンダで、これらの国々の一ヶ国、一ヶ国において、銃の登録と没収は、(その後の)大量殺戮の前に行われたのです。

わが国の建国の父たちは、すべてのアメリカ市民が武器を保有する権利を含め、神に由来する、奪うことのできない権利を有していることを、権利章典で明確に述べました。 これは狩猟やスポーツ射撃の目的ではなく、自衛のためのものでした。 私は彼ら、建国の父たちが信じていたことを信じています:

武器の所持と保管は神から与えられた権利であり、人間や世俗的な権威は取り消す権利を持ちません。 これは単なるアメリカ人の権利ではありません。 自分と家族を守る能力は、地球上のすべての人々の人権なのです。

第10章 平和警察平和軍

「平和警察平和軍」とは、私の父が、市民がいかに神の王国を守るかを説明する際に使った言葉です。平和警察平和軍は、私たちの貴重な神が与えられた自由を守るために、私たちが、神の王国の市民として責任を取る方法です。それは、力を通して平和を確保するという古くからの原則に基づいて、地域レベルでキリストの愛を明らかにしています。平和警察平和軍は、我々が羊の考え方からライオンの考え方へと変化させることを要求しているのです。

悪しき者は追う人もないのに逃げる、正しい人はししのように勇ましい。
(箴言第28章1節)

王国を戦って守ることができるということは、神と神の民を愛する表現なのです。自衛権は市民の自然な権利というだけではありません。それは私たちの道徳的責任の一部なのです。

私は常に根拠に基づく武道に情熱を持っており、ブラジルの柔術、ムエタイボクシング、カリ/エスクリマ、サムライ剣芸術、銃器芸術の実践者です。この情熱は、若い頃に相撲をしていたこともある父、熱烈な釣り師、狩猟家でもあり、武術と自己防衛の推進者でもあった父から来ています。多くの人は知らないが、私の父は、エアガンを製造する銃の会社を、韓国で最初に立ち上げ、最終的にM1カービンとバルカン砲を韓国の軍隊のために生産したのです。

創造の中で最も快適な屋外、彼はどんな状況でも生き残ることができる人でした。彼は悪名高い北朝鮮の死の収容所の生存者でした。彼は朝鮮占領中の日本帝国による虚偽の投獄と拷問の生存者でした。これらの恐ろしい経験のおかげで、彼は私たちに自立しているだけでなく、他の人の保護者になれる人々になるように強く主張したのです。

私のミニストリー(聖職)の中心は若者と一緒に働くことです。私たちの教会の中で、私と他のインストラクターは、ブラジル柔術、カリ・エスクリマ、ムエタイ、および銃器の訓練を含む格闘技を教えています。訓練の目的は、神を愛し、あなたの隣人を愛するためのより良い装備になることだと私は強調しています。私たちが王国を愛しているなら、そのために喜んで戦います。一部のクリスチャンは、王国が来るとき、キリストがすべてをするでしょう、そして私たちはただ座って天国での生活を楽しむことができると考えるかもしれません。あるクリスチャンは、すべてのことがあなたに提供される準福祉国家を心に思い描いています。しかし、イエスがマタイによる福音書 第19章28節で私たちの責任を説明しているように、これは、地上の神の王国に対する非聖書的な見解です。

イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。」

そして、マタイによる福音書第24章(45~47節)では、

主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。 

コリント人への第一の手紙 第6章2節に、パウロは書いている。

それとも、聖徒は世をさばくものであることを、あなたがたは知らないのか。そして、世があなたがたによってさばかれるべきであるのに、きわめて小さい事件でもさばく力がないのか。

キリストと共に共同相続人であるということは、正義を守り、邪悪で神を敬わななものを追放することによって、キリストの王国の支配に参加することを意味します。 神は彼の子供たちに自由意志を与えました。(それが無ければ、) 私たちが神を本当に愛することができないロボットになるので、彼はそれ(自由意志)を取り去りません。 愛は、「愛される」という選択を要求します。キリストが再臨したときでも、自由意志のために、常に悪の可能性があります。 悪の冬眠と目覚めについては、ヨハネの黙示録 第20章7~10節で説明されています。 ゴグとマゴグの戦争は、地上でのキリストの治世の1000年後に起こります。 邪悪な者たちが集まってキリストと戦う。 キリストの共同相続人は悪魔的な力に打ち勝つ準備ができていなければなりません。


武装解除に対する抵抗

人々を武装解除すること・・・彼らを奴隷にすることが、最も有効な方法です。-ジョージ・メイソン。
ペンシルバニア州知事、ウィリアム・キースが英国議会に与えた助言を参考にしながら。

1788年6月14日、連邦憲法の採択に関するいくつかの州条約での議論。

常設軍が統治する前に、人々は武装解除されなければならない。なぜなら、彼らはヨーロッパのほとんど全ての国にいるから。アメリカの最高権力者は剣によって不当な法律を執行することはできない。なぜなら、人々は全身を武装しており、通常の軍隊のどの一団よりも優れた力を構成しているからです。

ーノア・ウェブスター、連邦憲法の主要原則の検討,1787年10月10日

自由のための戦いは、アメリカの入植者がイギリス軍の武装解除に抵抗したことから始まりました。入植者とイギリス人との関係は、アメリカ人が(英国)王室の支配権を否定し、完全に自律的な民兵組織を作り始めるというところまで悪化したのです。

1775年にレキシントン・グリーンとコンコードで民兵が勝利した後、英国は植民地時代の銃器を押収し、抹消することによって報復しました。

バージニア州では、ウィリアムズバーグの公共の弾倉から20バレルの火薬を押収し、銃の発射メカニズムを取り除き、撃つことを不可能にしたのです。

1777年までに、入植者は敗北する可能性が最も高いようでした。植民地の次官ウィリアム・ノックスは、これ以上の暴動を防ぐことを切望し、命令しました。

民兵法は廃止されるべきであり、再制定に苦しむ者はいません。そして、すべての人民の武器は取り去られるべきです...また、武器、火薬、または好戦的な店の創立者、あるいは製造業者は、 アメリカで被害を受けたりするべきでなく、また、あらゆる火薬、鉛、武器、軍需品は、ライセンスなしで輸入されるべきではありません。

最終的に勝利することを可能にしたものは、個人レベルおよび集団レベルの両方で武器を放棄することをアメリカ人が断固として拒否したことです。

専制的な政府に対して、軍備を持ち、民兵を形成する権利は、我々のアメリカ人のDNAの一部です。

民兵の使用とは何ですか。常設軍の樹立、 自由の破滅...を防ぐためです。政府が国民の権利と自由を侵略しようとする時はいつでも、彼らは常に民兵を破壊し、それらの廃墟に軍隊を召集しようとするのです。

マサチューセッツ州、エルブリッジ・ジェリー議員、議会年報750、1789年8月17日

銃の禁止に反して、1792年の民兵法は、銃の所有権と民兵のメンバーシップを自発的な選択肢ではなく法的な義務にしました。

修正第2条は、将来のいかなる独裁者たちからも、アメリカ市民を守るための保護措置として書かれました。必要に応じて、国民が政府を引き受け、市民が最後の手段として武力を行使できるようにするためであったのです。地域の民兵は政府の権力に対する実質的な制御の手段でした。憲法の著者は民兵の形成に焦点を当てており、それにより、以前は連邦の常駐軍が満たしていた必要性を果たしています。 建国の父たちのほとんどは、常備軍を専制政府の分身と見なしていました。

連邦政府は憲法によって明確に付与された権限のみを有していることを明確にするために、補正第10条が権利章典に含まれています。

この憲法によって合衆国に委任されておらず、またそれによって州に禁じられていない権限は、それぞれの州または人民に留保されている。

それは、中央集権化された権力の癌の成長を促進する力に対する独立したリマインダー(注意)と警告として意図的に置かれました。 どうやら、それは十分ではなかったのです。

 修正第10条が可決されて以来、連邦政府は憲法のどこにも見当たらない品目に数兆ドルの納税者ドルを費やしてきました。 憲法のどこで、何万もの規制を持つ連邦機関を創設する権限が、行政機関に与えられていますか? これらの規制には法律の影響がありますが、新しい法律を作成する権限を持つのは議会のみです。 この縮小の兆しがほとんどない、肥大化した官僚制度に立ち向かうことができるのは誰ですか。



ネバダ州南部のバンディ家を見ると、連邦政府が限界を超えたときに、連邦政府に抵抗するのに必要な種類の性格を垣間見ることができます。

アンモン・バンディと彼の兄弟は,ネバダ州クラーク郡にある牛の大牧場の一家で育ちました。その大牧場は1877年に彼らの高祖父によって設立されました。5世代にわたり、バンディ家はバンカービル山に沿って牛牧場を経営してきました。彼らの自衛農場は、ラスベガスに住んでいる人が1人もいないときに設立されました。ネバダ州は州になって13年しか経っていませんでした。

バンディの祖先は、牛に水を供給するための水槽と貯水タンクを建設しました。 アンモンの父であるクライヴンバンディは、水系を拡大しました。これは砂漠の野生生物に多大な利益をもたらし、狩猟とキャンプがさらに可能になりました。 彼の努力は、納税者に1ダイムも費やすことなく、国営産業に利益をもたらしました。

1890年、ネバダ州は、牧場主やその他の人々が水と放牧権を行使できるように、登録所を創りました。 このようにして、放牧権はネバダ州によって記録され、保護されました。 これらの家畜と放牧の権利は、付与された財産であり、今もそうです。ー自宅への権利の譲渡と同様です。 これらの権利は、売却、取引、または逆に借用することができます。 これは、政府が補償なしでそれらを取ることができないことを意味します。 それらは牧場の生命線であり、バンディ家の貴重な遺産です。

1989年に砂漠のカメを絶滅危惧種に指定した行政機関の機関である、米国魚類野生生物局の登場です。 1年後、その状態は「脅威にさらされている」と説明されました。

(次は)行政部門の別の機関である土地管理局(BLM)の登場です。 主に砂漠のカメを保護するために、ラスベガス近郊の数十万エーカーの連邦の土地を厳重な保護努力に指定しました。 彼らが要求した保全対策の中には、家畜の放牧をやめ、保護されたカメの生息地でのオフロード(公道ではない脇道など)の車両の使用に強い制限を設けることが含まれていました。

1990年代初頭、土地管理局(BLM)はバンディの所有地に不法侵入し、その土地からのすべての牧場活動の排除を要求しました。 彼らはバンディに、連邦政府は放牧権を認めておらず、すべての牛を排除しなければならないと語ったのです。

土地管理局(BLM)は牧場にオフィスを設立し、次のような掲示物を出しました。

“No more Moo by ’92” and “Cattle Free by ‘93!”
92年までに牛の鳴き声(Moo:モー)を無くし、93年までに牛をなくせ!

クライブン・バンディは、彼ら(BLM)には、家族の遺産を引き継ぐ権限はないと答えました。 実際には、これらの連邦政府機関は、州内の土地を管理する法的憲法上の権限を持っていなかったため、彼を不法侵入または起訴する管轄権はありませんでした。

2014年8月、BLMは他の4つの連邦政府機関と協力して、その牧場を破壊するために違法な不法侵入を強制したのです。 その区域に巨大な軍事施設が射程に設置され、200人の人間が雇用され、銃器で武装しました。 彼らはバンディの家族をテーザー(電気ショック器)で制圧し、地面に叩きつけ、彼らに犬を放しました。 牛はヘリコプターで残酷に寄せ集められ、死に絶えました。 生まれたばかりの子牛は喉が渇いて死ぬか、コヨーテに食べられました。 死んだ牛は、連邦のバックホウ(掘削機)によって作られた巨大な墓に捨てられました。 BLMは、100年以上前にバンディが建設した水インフラの破壊も始めました。 彼らが何らかの方法で抵抗した場合、別のウェイコ包囲またはルビーリッジ事件になると言われました。

間もなく、言葉が広まり、バンディ家はすぐに活動家、民兵、立憲主義者、および主権市民運動のメンバーから支持を得ました。 サポーターは、苦境に立たされた牧場主を支援するために、全国を何百マイルも走り抜けました。

オレゴン州の退役軍人のブランドン・ラポラもその中にいました。 「私は敬虔なクリスチャンです」と彼は言いました。 「私は非常にひどく祈りました。 そして、24時間以内にギアを準備し、そこに向かいました。」

連邦政府はある程度の抵抗を予想していたが、現場の連邦政府捜査官を圧倒的に上回る数百人の民兵メンバーを予想していませんでした。

BLMは最終的に、神の与えられた権利のために立ち上がる、ほとんど武装した男女の平和的だが屈服しないグループに直面したとき、去る以外に選択肢がなかったのです。

しかし、BLMは介入を止めませんでした。彼らはバンディの教訓を教える必要があったのです。一匹のアリが抵抗できると思うなら、入植地全体が抵抗できると思うかもしれません。彼らの次のステップは、バンディの男性を投獄し、妻と子供たちだけで牧場を維持させることでした。CNNによって報告されています。

...裁判所の書類によると、バンディと彼の息子、ヒアンとアンモン・バンディを含む数人の他の人々は、2年前のバンディの牛が放牧され、飼育されていた放牧地での連邦土地管理者との対決の後、2016年に連邦大陪審によって起訴されました。

2017年12月、米国地方裁判所のグロリア・ナバロ判事は、誤審を発表して判決を覆し、彼らは刑務所から釈放されました。

バンディは、長期にわたるこう着状態の間、誰に対しても脅迫したり、傷つけたりすることはありませんでした。 一方、FBIは、家族の友人であるラヴォイ・フィニカムが、連邦政府機関の道路封鎖で車から出てきた後、両手を上げているときに、彼を撃ったのです。彼は銃を手に持たない状態で、背中を撃たれました。

ネバダ州では、連邦政府機関が5,072の水の権利を人々から奪い、それらを単独で譲渡しました。クライブン・バンディは、彼の地理的地域では、53人中最後の牧場主です。

建国の父たちの最善の意図にもかかわらず、憲法は、その強要の方法がアメリカの植民地のジョージ三世の範囲をはるかに超えている連邦政府の膨張を防ぐことはできなかったのです。

バンディ家は、連邦権力の乱用と権利章典で保証された自由のために、立ち向かうために必要な性格と勇気の素晴らしい例を提供しました。 言うまでもなく、彼らは修正第2条なしでは、牧場を救うことができなかったでしょう。


王国の擁護者

私の意見では、バンディは平和警察平和軍の精神を表しています。 彼らは神の王国を守る種類の人々です。 王国は、しばしば不可解であり、その憲法上の限界をはるかに超えて行くことを熱望し、貪欲な中央集権化された権力に対して、自分達の自由を放棄した奴隷根性のクリスチャンで構成されることはないでしょう。 バンディ家と彼らの支持者は、地域の経済を支配し、反対者を逮捕し、さらには彼らを殺害することによって力を増やそうとする連邦軍に対抗するために、命をかけました。

平和警察平和軍のメンバーは、法律を遵守し、自由を愛する人々であり、彼らの正当なものを自発的に擁護しようとします。平和警察は、安全なコミュニティを維持するための責任を負います。平和軍は、国内外の敵から国を防衛する責任を負います。

政府は人類の献身的奉仕者であり、その支配者ではないことを意味します。政府がその従属的な立場にとどまることを確実にするのは、平和警察平和軍の責任なのです。

平和警察平和軍に参加することは、あなたのコミュニティと国家の保護者になることを意味します。神の命令に従うことによって、私たちは最も重要な戒め、「神を愛すること、そしてあなたの隣人を愛すること」、を実現しているのです。

第11章 選択

人々が神を信じるのを止めるとき、彼らは何も信じないわけではないー彼らはあらゆることを信じるのである。C.K.チェスタートン

1931年にすべての銃器の登録を進めたドイツのワイマール共和国の議員は、善意を持っていたかもしれません。 わずか2年の内にナチスが権力を握り、それらの記録を使用してユダヤ人と政治的敵を特定し、武装解除し、攻撃することを彼らはほとんど知らなかったのです。

アメリカの私たちの自由を当然のことと考えたくなります。私たちは、世界の多くの地域では、夢にも思わない自由と繁栄に恵まれてきました。アメリカの人々は、彼らの同意なしに、彼らの自由が奪われることは決してないだろうと想像します。しかし、多くの方法で、それはすでに起こっていると思われます。

2015年、米国最高裁判所は、1人の男性と1人の女性との間の自然な結婚に対する信念は不合理なバイアスの表現であり、したがって違憲であると、5対4で判決を下したのです。 その瞬間、数千万人の献身的なクリスチャンを含む自然な結婚を信じていた人々は、法律の目で突然偏屈者に変わりました。 ほんの数年前には、ほとんどのアメリカ人によって広く受け入れられ、理解されていたことが、今では悪意のある偏見の恥ずべき印となったのです。

もし、結婚と同じくらい根本的なことが、突然1回の最高裁判所の投票によって再定義できるとしたら、「進歩的」な解釈によって、捨てられないものがあるでしょうか。補正第1条はどうですか。補正第2条は、(補正)第4条は?

我々はすでに、元最高裁判所判事やその他の公人による補正第2条の廃止を求める声を見てきました。ある政党の指導者が銃の禁止や没収までも、求めているのを見てきました。

2018年4月、シカゴ郊外の1カ所で、半自動拳銃やAR-15のような半自動小銃を含む「襲撃用武器」の禁止が可決されました。イリノイ州ディアフィールドの18,000人の住民がこれらの銃器の1つを持ち歩いている、あるいは所有していることが判明した場合、彼らは1日あたり1,000ドルまで罰金を科すことができます。 1人の居住者で、銃の所有者は、市議会に宣言しました。「あなたたちはトーマス・ジェファーソンが私たちに警告した官僚です!」

私たちは、たとえ、繰り返し、銃乱射事件を防ぐ、あるいは止めることができなかった政府であったことが、いくつかのケースで明らかであったとしても、国のメディア組織の多くが、子供の手が血まみれになっていると、補正第2条の支持者を非難する若者に高い知名度を与えているのを見てきました。

これらの恐ろしい行為とは無関係の市民に対する非難が、このように移ったおかげで、アメリカは潜在的に1、2度の選挙で、何百万人もの法を遵守する銃所有者を、一晩のうちに犯罪者に変えることになる可能性があるのです。


私たちはあなたが言うことを見ています。

第5章で述べたように、ヨーロッパの複数の国で移民が犯したレイプや暴力について公に話すことをあえて行うことで、犯罪行為を犯した人たちではなく、正直に何が起こっているかについて報告しているジャーナリストやブロガーに対して「ヘイトスピーチ」の有罪判決が下されました。

昨年スイスのローザンヌで開かれた「防衛のための武器」会議に出席したとき、私はヨーロッパの言論の自由に設置された制限を目の当たりにしました。このトピックに関する専門知識を持つ何人かの人々は、彼らが公共のフォーラムで銃の権利について話すことでさて、彼らのキャリアを危険にさらすだろうと説明し、参加を辞退しました。

言論の自由は、米国の理論にはまだ存在しますが、実際にはますますそうではないのです。ミシガン大学やその他の大学のキャンパスでは、保守的な見解を持つ講演者がやじり倒され、脅迫と実際の暴力行為の両方によって話すことを妨げられました。その間、キャンパスの警備と警察は警戒態勢を解除させられ、これらの抗議者が私有財産を破壊したり、招待されたゲストがプレゼンテーションをするのを防ぐように命じられたのです。 キャンパスの左派たちはまた、保守的な学生グループの憲章を破棄し、「思想犯罪」のために保守派に対して法的措置を取るように行動しました。

私たちがそれを認めたいかどうかにかかわらず、独善的な「茶色のシャツ」の精神は、1930年代にヨーロッパでファシズムが成長することを認めた学校管理者の道徳的臆病を可能にしたのと同じように、多くの学校のキャンパスで生きています。

問題は講演者をキャンセルしただけではありません。 資金が豊富な「多様性」プログラムの主催にもかかわらず、アメリカの大学のほとんどは、教授の考えや政治的所属という点でまったく多様ではありません。 2016年の40の主要大学での有権者登録に関する調査では、7,000人を超える教授のうち、民主党は共和党を12対1で上回っており、学生が保守的な視点を体験する可能性は非常に低いことが明らかになりました。 分析された5つの部門のうち、保守派の学者にとって最も敵対的な要素が少ない分野は経済学であり、すべての保守派には(1人につき)4.5人の左翼教授がいました。 歴史は、最も保守的に対して敵対的な部門であり、左翼が保守派を33:1の比率で上回っていました。

私たちの過去の理解は、私たちの国にとって、何が価値があり、将来、どの方向に向かうべきなのかについての認識を形成します。 私たちの大学の、このような視点の不均衡により、ミレニアル世代の間での社会主義の人気の高まりは予測可能です。 真実は、多くの学生が社会主義の問題のある、そして致命的な歴史さえも学んだことがないということです。 ほとんど(の学生)は、彼らが当然と考える自由を確立するために、必要とされた莫大な犠牲については一度も聞いたことがないのです。

ヘリテージ財団の著名なフェロー(学術会員)であるケン・ホームズは、アカデミアにおける知的均質性の向上は、アメリカ共和政体の健康にとって良くない前兆だと懸念を表明しました。

それはもはや、人々に批判的に考えることを教えようとするのではなく、ある視点に彼らを無批判に教え込もうとしているということです。

自分に不快感を与えるようなアイデアを、避けるように教えられた学生は、言論の自由の権利を保護することについてあまり気にすることができません。 しかし、アメリカ人がアイデアを議論し、比較し、テストし、解決策を見つけることができるのはまさにこの権利なのです。 この権利がなければ、私たちはもはや自由な国ではなくなります。

問題は大学のキャンパスだけではありません。ユーチューブ、フェイスブック、ツイッターは、ソロスが出資する南部貧困法律センターなどの左派グループと連携し、保守派、クリスチャン、修正第2条派の組織の放送を「ヘイトスピーチ」と証拠なしに主張し、停止したのです。私たちの教会のYouTubeチャンネルは、ライブストリーミング機能を何ヶ月も取り除きました。ユーチューブは、私たちの動画は「スパム」だと主張しています。

ユーチューブは、米国のミレニアル世代がオンラインで視聴する動画の3分の2の会場です。その所有者のグーグルは、それが「オープンプラットフォーム」であると主張しています。しかし、40を超えるPrager University(保守的な観点から政治的なトピックスに関するビデオを作製する非営利団体)の動画が、ユーチューブの「制限付き」リストに掲載され、多くの若者がそれらのビデオにアクセスしたり、そういう団体があることを知ることすら、難しくなっています 。

「共産主義はナチズムのように憎まれないのはなぜか」「移民!逃げたものに投票してはいけない」などの制限されたビデオを、自分でチェックしてください。それらが危険だとラベルを付ける理由があるかどうかを確認してください。あなたが、左翼の「多文化的」なスピーチの支配に挑戦するいかなるものも、若者にとって、非常に有害であり、考慮することさえできないとあなたが思わない限り、その答えは「いいえ」です。

「政治的に正しい(ポリティカル・コレクト)」という用語は、1920年代後半にソ連の共産党によって、党員の見解をどのように調整させる必要があるかを説明するために造られた言葉です。アメリカの大学キャンパスの左翼主義者たちは、彼らの「党の路線」に従わない見解とスピーチに対して、似たような弾圧を要求します。

前述したように、私たち自身のニューファンドランド サンクチュアリ教会のユーチューブ・チャンネルは、2018年2月28日に閉鎖されました。この日は、私たちの生命の書入籍祝福式の日でした。このように、世界中の多くの教会員や他の人々が生放送を見ることを妨げられたのです。このようなイデオロギー主導の混乱が二度と起こらないように、代替の会場を開発していますが、最大の害は、ユーチューブによって、私たちの放送の存在を知ることさえ、防げられている人々に対してです。

言論の自由に対する左翼の攻撃は現実的かつ驚くべきものですが、少なくとも保守的で聖書に基づいた見解を表現できる代替メディアがあります。 私の父は、ワシントン・タイムズ紙を国の首都の代替声として設立するために、数億ドルを投資しましたが、父は、情報配信の左翼支配に挑戦しているのを見て喜んでいるでしょう。

インターネット上での言論の自由を制限する慣習に従っていることに対して、共産主義の中国が西側諸国を称賛するのを見るのは不安です。 中国の国営のグローバルタイムズは社説で「ソーシャルメディアの抑制は政府の傾向であるようだ」と宣言しており、「偽のニュース」や権限のない意見を抑圧しています。 これは、アイデアの長所と短所をテストおよび検査できるようにするのではなく、アイデアを地下に追い込むだけです。 もちろん、権威主義政府が最も恐れているのは、アイデアの真の競争です。

政府や、ユーチューブやツィッターの検閲ではなく、政治的なスペクトルの全ての端から人々に「フェイクニュース」とは何か、そうでないかを自分で把握させるべきです。


「多文化主義」に関する問題

アメリカへの移民たちは、圧倒的なアメリカ文化に順応することを熱望しているにもかかわらず、母国の文化と言語を実践し、褒め称えてきました。 私の家族の場合、両親はほとんど韓国語を話していましたが、父が夜遅くまで起きて英語をできるだけ勉強したことを覚えています。 彼は私の兄弟姉妹と私が英語を流暢に話せることを誇りに思っていましたが、アメリカを占領しているリベラルな「進歩的な」影響については、快く思っていませんでした。 米国への移住者が同化するという期待は、政府機関が少数民族の独自のアイデンティティを確認するために、積極的に取り組むことが求められ、1970年代と1980年代に変化し始めたのです。 このアプローチは「多文化主義」と呼ばれます。「社会内のいくつかの異なる文化的または民族的グループの存在に対するサポート」と定義されています。また、次のように定義されています。

..文化、人種、民族性、特に少数民族の文化は、支配的な政治文化の中での違いを特別に認容するに値するという意見。 認容は、政治共同体全体の文化的生活への貢献の承認、特定の文化グループの法律の下での特別な保護の要求、または特定の文化の統治の自律的権利の形をとることができます。

理論的には一見優れているように見えますが、実際の多文化主義は、すべての市民は法律の下で平等に扱われるべきだとする、憲法共和国の理想に対する挑戦として立っているのです。 多くのヨーロッパ諸国の政府による多文化主義の実践は、支配的な文化から疎外されたと感じる、同化されていない移民の大規模なグループの集中をもたらしました。 言論の自由と宗教の価値が適用されない領域を確立しています。

このアプローチはまた、政府がこれらの政策から生じる問題についての議論と報告を犯罪とすることにもつながりました。 同化されていない移民のリスクについて懸念を表明する人々は、「憎悪に満ちた」「人種差別主義者」または「イスラム恐怖症」であると非難されています。そのような告発に立ち向かうには勇気が必要であるが、それはいつも現状に疑問を持つ人々にとっては常にそうでした。

別の例を挙げると、「女性の行進」は、ドナルド・トランプの選挙をきっかけに開催され、「抑圧のシステムを解体する」ことと「自己決定、尊厳、尊敬に導かれた包括的な構造を構築する」ことを目的としています。 女性のための「尊厳と尊敬」に対する彼女らのコミットメントは、バックページのウェブサイトの閉鎖を公然と非難したときに、奇妙な方法で示されました。 バックページは、売春と女性と少女の人身売買を促進しますが、「女性の行進」の主催者は「セックスワーカーの権利は女性の権利です」と言います。

左翼は、彼らが女性の権利を本当に気にする人であるとすぐに主張します。 もしそうなら、なぜ彼らは性的人身売買と売春を促進する会場を支援するのですか? 多くのヨーロッパ諸国のイスラム教徒の男性が、生涯をかけて自分たちの近所の通りを自由に歩き回ることを望んでいる女性に嫌がらせ、レイプ、または暴行をすることについて、なぜ沈黙しているのですか?

これらの左翼主義者は、19世紀に英国、他のヨーロッパ諸国、および米国で反奴隷制度運動を主導した、廃止主義者キリスト教の歴史に気付いていないか、無関心のようです。 彼らは、イスラム化されたヨーロッパで攻撃され、投獄され、または排除された最初の人たちであることを認識していないようです。 パリのチャーリー・ヘブド風刺雑誌のオフィスでのジャーナリストの虐殺は、今後に起こり得る可能性のほんの一つです。

多文化政策はイスラム主義の過激主義に挑戦することは何もせず、代わりにそれが成長できる環境を固定化させるのですが、なぜ左翼主義者はそれらを促進し続けるのですか? 西部のユダヤ・キリスト教の基盤を破壊するという彼らの目標は、女性が嫌がらせやレイプを受けることなく、自分の選んだ服を着て街の通りを歩くことができる社会を維持するという想定よりも強いということでしょうか?

私が父から学んだように、左翼は常に強さを通して平和に反対してきました。 レーガン大統領の代わりに、1980年代に彼らの政策に従っていたならば、世界中に共産主義を輸出しているソビエト連邦がまだあったのかもしれません。 私の父は、聖書に基づいた道徳的価値観の基盤がなければ、西洋の自由民主主義国は、彼らの終焉を求める外部および内部の力に立ち向かうことができないと、いつも主張していたのです。


私たちはどちらを選択するのか?

この本で繰り返し述べたように、私たちはそれぞれ自己防衛に対する責任があります。政府が常に私たちを守る能力を持っていると考えるのは幻想です。彼らがそうしようとするなら、彼らはしばしば、ただ多くの警察国家を創るだけの戦術を採用します。

私は自由を守り、安全を提供する別のアプローチがあると信じていますが、それは私たちのセキュリティニーズすべてを「専門家」に「アウトソーシング」する代わりに、責任を取ることを意味します。もしも、家族が武装している場合、犯罪者や潜在的な暴君は、彼らを利用したり、抑圧しようとする前に躊躇します。すべてのスイス人が武装していたという事実は、ヒトラーがその国を侵略することを恐れた重要な理由でした。今まで、悪魔の王は力を独占してきたのです。誰かを抑圧する望みを持たない、神の息子や娘たちが、自分の家族、地域社会、そして「王国」を守る時なのです。

キリストの信者として,わたしたちは、神を愛し、自分を愛するように、隣人を愛するように命じられています。イエスは、彼が言ったとき、これが何を意味するかを明確にしました。

人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。 
(ヨハネによる福音書 第15章13節)

ストーンマンダグラス高校のフットボールコーチであるアーロンフェイスは、生徒を自分の体で保護したときにこの種の愛を示しました。 私の質問は次のとおりです。この種の人を、2人の生徒を保護するだけでなく、より多くの命を救う手段があると信じますか? 私は信じます。 フェイスが武装していたならば、彼はより多くの命が奪われるのを防ぐ手段を持っていただろう。

武器を持っており、防具を身に着けていた「専門の」政府が任命した保安官は、危険がなくなるまで学校に入らないことを選びました。 イエスは、「最大の愛は、911(警察)に電話して他の誰かが何かをするのを待つことだ」とは言わないのです。善良な人々が自分自身を守る能力を持っているとき、悪意を持った人々は自分の欲望と生き方を再評価しなければならないのです。

悪は弱さを食い物にします。 私たちは、他者を抑圧するのではなく、他者を保護するために、鉄のつえの道をマスターしようと努めるべきです。 鉄のつえは、実際の連合した悪と圧制に対する最大の「致命的な武器」であり、「力の増幅器」です。 唯物論者にとって、これは理解するのが難しいかもしれません。なぜなら、彼らにとって、銃は単なる暴力的な武器だからです。

しかし、精神的な観点からは、人(銃ではない)が問題です。 鉄のつえを持っている人は、キリストのように責任があり、名誉があり、騎士道的で犠牲的ですか? 人は友人のために自分の命を捨て、神を愛し、隣人を愛することをいとわないでしょうか? 鉄のつえによって支配されている王国は、神が彼のすべての子供たちに与えた自由と自由を尊重し、保護していますか?

政府が生活のあらゆる側面を中央集権化し、支配する時代は終わりました。 家族は、自分の健康、教育、生存の管理を、発言等に隠された意図が神の価値観と一致しない、または神の価値観を許容しない官僚に委ねるべきではありません。 キリストの共同の王として、女王として、悪魔的な指導者のように他人を抑圧するのではなく、この世界のすべての人々に力を与え、保護するために、私たちは神によって私たちに与えられた主権を主張しなければなりません。 神の祝福がありますように。成功を祈ります。そして、彼の王国が来ますように!
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★完成期祝福・先祖解怨を受け付けています。ミニ完成期祝福キットをお送ります!本部公認の冠婚葬祭・二代王より聖霊を賜った聖霊教会です。

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