2026年2月27日金曜日

クリストファニー、文鮮明お父様はイエス様とともに創造前からおられた神 ◆ 2022年7月31日英語日曜礼拝より◆ 文亨進二代王

 クリストファニー、文鮮明お父様はイエス様とともに創造前からおられた神

2022年7月31日英語日曜礼拝より

文亨進二代王

2022年7月31日英語日曜礼拝は、イエス様と文鮮明真の御父様がとともに一つとなって創造前から存在しておられたという文亨進師の神学です。

イエス様が生まれる前の旧約時代からイエス様と文鮮明真の御父様がともにおられたというクリストファニーをもってこれを説明しておられます。

この説教の時、翻訳掲載はしたのですが、これは従来の統一神学では到底受け入れられない神学であり、従って神学的に非常に重要な内容ですので、精度よく翻訳をする必要性があると思っていました。

今回サンクチュアリ・トランスレーションで英語の通訳翻訳をして下さっている二世に翻訳をして頂きましたので、二代王様の神学を学んで頂ければと思います。

1:39:00-2:12:00 翻訳:MAKO

安倍総理銃撃事件

そして後になって分かったのです。私はあの銃撃事件の現場からわずか1時間の距離にいました。もし健康だったなら、その場にいて、安倍総理と握手していた可能性が高いのです。もしそうであれば、あの狂った人物が私たちや王妃を撃とうとしていたかもしれません。どうなっていたか分かりません。

あの経験したことのないような激しい下痢は、馬肉を食べたことが原因でした。しかしそれさえも、神の目的のために用いられたのです。もちろん、今後自ら進んで馬肉を食べようとは思いません。(笑) 

しかし振り返ると、あらゆる出来事が整えられていたことが分かります。神の御手があったのです。神の王権の上に、神の御手がありました。神が私たちを守られたのです。

私たちは完全に無防備でした。銃を持つこともできず、身を守る手段もありません。何も持っていません。その環境の中で、文字通り神の御手だけが私たちを守ってくださいました。そして私たちはあの狂気の状況から守られました。

そしてあの安倍総理の出来事は世界的に大きく報道されました。メディアは毎日のように、家庭連合を取り上げて報道しています。

それで、韓国から電話がかかってきました。リーダーたちが報告してきたのです。「どうか、どうか、二代王を早く日本から出してください。すぐに出さなければなりません」と。彼らは心配していました。何が起こるか分からない、と。私たちにも分かりませんでした。

そして私に報告が来ました。「二代王、ここから出てください。あと5日か6日ありますが、今すぐ航空券を変更しましょう」と。

しかし私は言いました。「あなたの民が苦しんでいる時に、あなたは共にとどまるのです。逃げてはいけません。私たちは予定している日に出発します。航空券は変更しません。通常のスケジュール通りに出ます」と。

慌てて逃げることはしません。「この数日、神が何をなさるかを見ましょう」と言いました。神の御手は明らかにこの上にありました。神は悪魔の悪意や策略さえも用いられるのです。

若い皆さん、誤解しないでください。神が悪人に悪いことをさせる必要はありません。悪人は自ら悪を行います。神が命じる必要はないのです。しかし、その悪の行為の中から生じる結果を、神はご自身の栄光のために用いられるのです。

ですから、お父様の聖霊やイエス様の霊がその人物に取り憑いて何かをさせた、などということでは決してありません。そのようなことを考えてはいけません。

韓お母様は神の守りの垣根を離れました。すると何が起こるでしょうか。悪霊が入り込み、呪いが及ぶのです。私たちが警告してきた通りです。神は誰かに悪を命じる必要はありません。彼女が今や神の恵みの外に出たので、悪霊からの攻撃の対象となるのです。

そのような混乱の中で、ついに私たちは日本を出ることになりました。

神のかたち本体論

さて、ここで興味深いことがあります。私は皆さんに「クリストファニー(Christophany)」について学んでいただきたいと思っています。神学者がそう呼ぶ概念です。これは、イエス、すなわちキリストが旧約聖書に現れることを指します。まだ肉体を持って生まれる前に、「主の使い」として現れるのです。天使のごとく。

旧約の時代、受肉以前に現れるキリストの顕現です。

私たちは、お父様が語られた「夜の神、昼の神」という概念を知っていますね。創造以前の神、創造以後の神。同じ神ですが、時間が始まり、昼の神として記録されるようになります。しかしキリストは「夜の神」から来たと語られました。すなわち創造以前から来られたということです。他のすべては昼の神から来ています。

思い出してください。かつて原理を教えていた時、私たちはこの内容を教えていませんでした。しかしお父様は90代になってから、頻繁にこのことを語られました。それは韓マザーの裏切りに備えておられたからです。彼女が裏切る可能性がどんどん、どんどんと高まっていたからです。

当時、原理を教えていた人々の中には、「お父様は何を語っておられるのだろう」と戸惑う人もいました。しかし、お父様がしておられたことは、より高いキリスト論を明らかにすることでした。神学用語で言えば「より高次のキリスト論」です。

お父様は単なる人間ではありません。人であると同時に、神であられるのです。私たちは今、それを「ポンチェロン(本体論:본체론)」と呼んでいます。覚えていますね。

アメリカの学者たちは、それを「original substance of divine principle」と訳しました。

(注:強いて日本語でニュアンスをいうならば「原初の性質的な原理講論」のような響きです)

しかし韓国語では「ポンチェロン(本体論:본체론)」と言います。

では「ポンチェ(本体:본체)」という言葉はどこから来たのでしょうか。お父様が名付けられたその言葉は、どの書物から来ているのでしょうか。私たちが皆学んでいる書物です。そうです、聖書です。

その言葉は韓国語聖書から来ています。ポンチェ(本体:본체)。どの聖句でしょうか。ピリピ人への手紙2章6節です。

では西洋の欽定訳聖書(King James Version)を見てみましょう。ピリピ2章6節です。

2:6キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず」

ここにある「神のかたち(the form of God)」という言葉は、韓国語聖書では「본체(ポンチェ)」と訳されています。ここにいる韓国の方々、そうですね?

ですから、お父様が「ポンチェロン(本体論:본체론)」と名付けられたとき、それは聖書的な用語を使っておられたのです。本来なら「original substance of divine principle」という訳は適切ではありません。それでは聖書的な響きが全くありません。

本来は「神のかたちの原理(Form of God Divine Principle)」といった方が、はるかに聖書的です。「original substance of divine principle」という言葉からは、聖書の伝統やキリスト教的な香りが感じられません。どこか東洋思想や道教の古典のような響きに聞こえます。

しかしお父様が強調されたのは、血統、種、神の種、キリストの種です。世界全体をキリストの家族とするということです。それがこの「ポンチェ:本体」、すなわち「神のかたち」という聖句に由来しているのです。

「クリストファニー(Christophany)」

さて、クリストファニーとは、旧約聖書におけるキリストの顕現のことです。まだ中東のユダヤ人イェシュア(イエス)として肉体をもって生まれる前の顕れです。

もし旧約聖書の中にイエスの顕現を見ることができるならば、それをクリストファニーと呼びます。

イエス様は誰と一つですか? イエスは再臨のキリストであるお父様と一つであるのですから、つまり旧約の中にイエス様を見るならば、(キリスト教ではイエスのことを三位一体の第二位格と呼びますが)それはつまり、旧約の中にお父様の顕れを見ることもできるということです。

例えば、ヨシュア記5章です。エリコに入城する前、ラッパを吹き鳴らす前のことです。戦いの前夜、ヨシュアに何が起こったでしょうか。

ヨシュア記5章の終わりを見てください。エリコ攻略の直前です。ヨシュアが戦いに臨もうとしている時、彼はある幻を見ます。ある方が現れるのです。

ヨシュア記5章13節です。

5:13ヨシュアがエリコの近くにいたとき、目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身のつるぎを手に持ち、こちらに向かって立っていたので、ヨシュアはその人のところへ行って言った、「あなたはわれわれを助けるのですか。それともわれわれの敵を助けるのですか」。 5:14彼は言った、「いや、わたしは主の軍勢の将(captain of the host)として今きたのだ」。

欽定訳聖書(King James Version)では「Captain of the host」とありますが、これは古い英語表現で、「軍の司令官(Commander of the army)」という意味です。イスラエルの軍勢の将、シリアの軍勢の将、というように使われる表現です。英語での「司令官」のとても古い言い方ですね。

5:14彼は言った、「いや、わたしは主の軍勢の将(captain of the host)として今きたのだ」。ヨシュアは地にひれ伏し拝して言った、「わが主は何をしもべに告げようとされるのですか」。

 5:15すると主の軍勢の将はヨシュアに言った、「あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である」。ヨシュアはそのようにした。

なぜこれが神の顕現だと分かるのでしょうか。

聖書の中で、人が天使を礼拝しようとすると、天使は必ずそれを止めます。「わたしを拝んではならない。立ちなさい」と叱責します。黙示録にもその場面があります。天使は自分が礼拝を受けることを拒みます。礼拝を受けるのは神のみです。

しかしここではどうでしょうか。ヨシュアはひれ伏して礼拝しました。そしてこの方はその礼拝を受け入れました。それだけでなく、「くつを脱げ」と命じました。わかりますか。天使というのは普通そんな風に振舞わないんです。サタンでもない限り。

だから何が言いたいかというと、これは旧約聖書でのクリストファニーの一例であるということです。

ヨシュアの前に現れたこの方はその礼拝を受け入れましたね。それだけでなく、「くつを脱げ」と命じました。「あなたが立っている所は聖なる地である」「あなたは汚れている」と言って。神しかそんなことはできないでしょう。

だからクリスチャンがこの箇所を見るとき、「エリコの戦いの前に、イエスがヨシュアの前に立っておられた!」と理解します。ラッパが吹かれ、城壁が崩れ落ちる前に、主ご自身が共におられたのです。

これは美しいことです。素晴らしいことです。

そして私たちにとっても同じです。その方はイエスであり、再臨においてはお父様です。真のお父様は、旧約の中にも顕れておられます。ヨシュアに語りかけ、「わたしは主の軍勢の将である」と宣言された方です。

剣を手にして、「わたしはあなたと共にいる」と告げられたのです。

だからこそ、キリスト教徒が「イエスが聖書を書かれた」と言うように、私たちもまた、同じ霊的現実を見るのです。旧約の中にも、その御方の顕れがあるのです。

もしそれが真実であり、イエスが真のお父様であり、同じ霊、同じ存在であるならば、お父様もまた聖書を書かれたということになります。それは何と美しいことでしょうか。そのように見るとき、「ああ、お父様は聖書の至るところにおられる」と分かります。キリストとして、聖書全体におられるのです。旧約聖書の中にさえ顕れておられます。

出エジプト記33章にはこうあります。「誰も父なるヤハウェの御顔を見た者はいない。もし見るなら、必ず死ぬ」と。父なる神の御顔を見れば、人は死ぬのです。

しかしキリストは、私たちが生きるために来られました。アーメン。

主は来られましたが、ご自身の民に拒まれ、十字架の道を歩まれました。神はそれを霊的救いのために用いられました。しかしその王国は弟子たち、すなわち養子とされた者たちを基盤としていました。ですから王国は完全な形では立てられず、主は再臨を預言されたのです。

再臨のとき、主はご自身とご自身の実体の子孫によって王国を確立されます。その王国は主を代表する王国となります。そしてその王国は、父と子、すなわち王との間の忠誠によって支えられます。王の王への忠誠、それがすべてを結び合わせるのです。

それは天一国憲法――自由と責任の憲法――をも支える原理です。それは権威主義や全体主義ではありません。王の王である父と、その父を代表し、王国の憲法を守る使命を持つ天一国王との関係によって支えられるのです。

その王は、血統の相続者であるだけでなく、父をメシヤとして、主の主、王の王として愛し、その方のために生き、また死ぬ覚悟を持つ者です。アーメン。全能の主を賛美します。

寄生的考えをもつな

今は非常に激動の時代です。地平線には恐ろしい嵐の雲が立ち込めています。そのことを自覚しなければなりません。

私たちは韓国や日本でも勧めてきました。日常生活の中で責任を持ち、備える習慣を身につけなければなりません。スーパーに行くたびに、少し余分に買い、蓄えを作るのです。

なぜでしょうか。それは自分のためだけではありません。蓄えは自分だけのためではありません。最悪なのは、困難な状況で他人の重荷になることです。

若い夫婦の中には、「国進様はお金もあるし、備蓄もあるだろう。いざとなったら頼ればいい」と考える人がいるかもしれません。しかし、それは違います。決してそうではありません。そのような寄生的な考えを持ってはいけません。

各自が責任を果たさなければなりません。互いの重荷にならないことです。日常の中で、自分自身の備えの体系を築くのです。

本当に最後の最後の、最後の手段として、責任を果たしてきた人々が、どうしようもない最悪の状況に直面したとき、そのときにこそ守られるのです。しかし、責任を果たさず、他人に依存するつもりでいるならば、それは許されません。

これは非常に重要です。だからこそ「自由と責任」なのです。自由には責任が伴います。困難な状況においては、他人の重荷ではなく、むしろ資産となるべきです。

資産とは何でしょうか。自分が何かを持ち寄る者となることです。奪おうとする者ではありません。そうでなければ、それは悪なのです。

そして、その悪しき者たちは御国を受け継ぐことはありません。聖書にあるように、彼らは追い出され、外に投げ出され、王国の境界線の外で、犬たちと共に泣き叫び、歯ぎしりするのです。ですから、これは非常に重要なのです。

それらのことが起こり、近づいて来る中で、私たちのすべての人々も、世界中で、この意識を持たなければなりません。私たちには「応える自由」があります。そしてそれに基づいて行動しなければなりません。ただ知っているだけではいけません。「ああ、すばらしい。私たちには自由がある」と言うだけではだめなのです。それは、あなたに責任があるからです。

日本と韓国でも言いましたが、近所関係において、あなたはそこにおける「愛の王」にならなければなりません。それはどういう意味でしょうか。愛の王と王妃になるということです。それは、隣人を誰よりも愛さなければならないということです。

あなたが備えをし、人々を目覚めさせようとし、彼らのもとへ行って話し、ネットワークを作り、ラジオ無線機を与え、それについて訓練し、共にバーベキューをし、隣人と会い、彼らを愛するのは、単に悪い状況や戦時に彼らの協力が必要だからというだけではありません。もちろん、100%、助け合いは必要です。しかし、あなたが責任を果たすなら、あなたは彼らより一歩先に立てるのです。

サバイバル、戦時の伝道、将来のための投資

そうすれば、彼らを教育することができます。そして教育の過程で、彼らは気づくのです。「この人たちは愚かではない。神の栄光に導かれて、前もって知っていたのだ」と。そして「私より多くを知っているから、学びたい」と思うのです。

それは単に備蓄やサバイバルの方法を学びたいということだけではありません。「あなたが何を信じているのか、神がどのようにあなたを導いてきたのかを知りたい」と思うのです。皆さん、彼らはあなたの証しを聞きたがるのです。

そして何が起こるでしょうか。それが伝道の瞬間となり、福音を広める瞬間となり、キリストの愛を分かち合う瞬間となるのです。しかしそれは、あなたが「警戒している(vigilant)者」であったからです。何と言いましたか。警戒している者。怠け者のバッタではなかったということです。

冬に備えて勤勉に働くアリたちが準備している間、ギターを弾き、ヒッピー音楽を奏でて遊んでいたバッタではなかったということです。そのバッタがやって来て、「ごめんなさい、あなたの仲間を何匹か殺しました。遊んで、女の子たちと性関係を持ち、LGBTのくだらないことに関わり、ギターを弾いてヒッピーをしていました。ごめんなさい。今度は私の面倒を見てください」と言っても、そうはならないのです。

それが神の王国のやり方ではありません。自由と責任です。人々には慈善もあり、思いやりもあります。しかし、あなたが無責任であることを示し、自分の行動によって他人を搾取しようとしていることを示してきたなら、その人々はあなたを決して歓迎しないでしょう。あなたは排斥されるのです。

ですから、そのような人になってはいけません。アーメン。そのような人になってはいけません。責任ある人になりなさい。前もって備える人になりなさい。他の人々への祝福となる人になりなさい。限られた資源しかない中で、助けを求める人々を決定的な時に助けることができる人になりなさい。なぜなら、すべての人を助けることはできないからです。

もし無限の資源を持っているなら、神がそれをどう用いるべきかを示されるでしょう。しかし、資源が限られているなら――それはこの部屋にいるすべての人、インターネットで見ているすべての人に当てはまります――あなたはすべての人の面倒を見ることはできません。

私は韓国と日本で言いました。状況が本当に悪化し、第三次世界大戦が始まるようなことになれば、あなたの家族、あなたをこの10年間呪い、去っていった悪魔的な子どもたち、サタンに仕え、同性愛やLGBTの乱行にふけってきた者たちが、皆あなたのもとに戻って来て、赦しと資源を求めて懇願するでしょう。

その時、どうなるでしょうか。私は裁き主ではありません。あなたが裁くのです。聖書が言うように、キリストと共に相続人、御国の相続人となる者たちは、御使いたちをも裁き、またイスラエルの十二部族を裁くのです。黙示録20章5節にそれを見ます。

あなたが裁き主となるのです。そして、もし賢く裁かなければ、あなたのすべての備えは無責任な人々によって使い尽くされてしまいます。申し訳ありませんが、破壊されてしまうのです。あなたの投資も、努力も、無責任で利己的で邪悪な人々によって破壊されてしまいます。

裁判官の仕事がいかに困難で厳しいか、分かるでしょうか。裁判官は、単に家族だからという理由で判断することはできません。人々の行動に基づいて判断しなければなりません。

分かりますか。王や王妃であることは、いつも簡単ではありません。責任を伴うのです。

皆さん、私たちのコミュニティの殆どの人は責任ある人だと私は知っています。しかし、だからといって気を緩めてはいけません。状況が悪化したときに、他人にとって重荷となる存在にはなりたくないでしょう。そうではなく、将来のために投資し、正しい備えをしてきた人となり、いざ状況が悪くなったときに他の人々への祝福となれる人になりたいはずです。アーメン。

非常に重要です。本当に重要です。これは日本や韓国、そして他の全ての場所にとっても重要です。どこでも共産主義的な考え方があり、「政府が面倒を見てくれる」「教会が面倒を見てくれる」と思いがちです。しかし、私たちには無限の資源も資金もありません。分かりますね。

ですから、すべての人、一人一人に責任があります。そして、それは小さなことなのです。本当に小さなことです。たとえば、食料品店に行くたびに、三つ、四つ、五つ、余分に缶詰を買って蓄えておくことです。そのようにしていると、責任ある人々はそれを見て、「ああ、あなたは本当にやっているのだ。信頼できる。私のチームに入ってほしい」と思うのです。

しかし、それをしなければ、人々は見ています。そして気づくのです。「その人とは一緒に働くな。その人を共同体に含めるな。その人は共同体を壊してしまう」と。分かりますか。そうなるのです。

ですから、そのような人になってはいけません。絶対になってはいけません。責任ある人になりなさい。家族のことだけを考えるのではなく、他の人々のことも考えなさい。

一人か二人、三人、七人、もしかすると十人の面倒を見ることができるかもしれません。誰にも分かりません。しかし、たとえ一人か二人でも、あなたの備えと責任によって助けることができるなら、それはその人々にとってどれほど大きな祝福となるでしょうか。一人、二人にとっても、それは大きな祝福です。

そしてその時、あなたがどのような証しを語ることができるか、考えてみてください。分かった?(日本語で) 皆さん。非常に重要です。重荷になるな。資産となれ。資産となりなさい。

皆さん、本当に狂った時代です。しかし、強い頭脳、強い意志、そしてもちろん愛が必要です。神は隣人を愛せと言われます。助けることを選ばない人を無理に助けることはできません。彼ら自身が選ばなければならないのです。

困難な時が来たときには、自分の備えを適切に管理することが非常に重要です。管理を誤れば、備えはあっという間に消えてしまいます。私たちはそれが誰にも起こってほしくありません。すべての家族が患難の時代を通しても成功し、強くあってほしいのです。

しかし、恐れの霊で生きるべきではありません。これらのことは何一つ、恐れによって行うべきではありません。将来のための備えは、恐れやおののきの中で行うものではありません。

なぜなら、恐れやおののきとは何でしょうか。それはキリストを心から取り除き、代わりに恐れの神を心に置くことです。それは何を意味しますか。偶像礼拝です。恐れというサタン的な神と霊的姦淫を犯すことになります。

ですから、そのようなことをしてはいけません。姦淫を犯してはなりません。備えをするとき、将来のために責任を果たすとき、それを恐れからしてはなりません。愛から行うのです。人々を愛しているからこそ、状況が悪くなったときに何人かを助けたいと願うのです。アーメン。

ここにある違いが分かりますか。大きな、大きな違いです。恐れからではなく、愛から行うのです。恐れからではなく、愛から行うのです。そうでしょう?

もし、あなたを10年間ののしってきた子どもたちが、状況が本当に悪くなったとたん、急に戻ってきて懇願し、急にあなたの親友のように振る舞うようになったとします。しかし、あなたは思いやりがあるからこそ、彼らのためにも備えているのです。それもまた良いことです。あなたの子どもなのですから。人は悔い改め、変わることができるのです。アーメン。

しかし、そのようにするためには、備えがなければなりません。備えがなければ、そうはなりません。私は断言します。

そして、私たち共同体として持っている備えについても、それは絶対的に必要になるまでは使いません。それは最後の、最後の、最後の、最後の、最後の手段です。非常に重要なことです。

しかし覚えておいてください。私たちには備えが必要です。しかし決して恐れからしてはなりません。常に愛ゆえに行うのです。心の目的は、人々を助けることです。たとえその混乱と狂気の時代が来たとしても――それは来ます――その時に他の人々への祝福となるためです。

そして考えてみてください。そのような人々の共同体を。愛からすでに備え、他の人々への祝福となる準備ができている共同体は、これから来る非常に困難な時代の中でも、非常に、非常に、非常に強く、堅く立つことができる位置に置かれるのです。

私たちは世界のために祈ります。すべての人のために祈ります。しかし同時に、私たちは自分たちの5%を果たし、神の王国の責任ある市民とならなければなりません。アーメン。

共に祈りましょう。

王の祈り

父なる神様、このすばらしい日に、あなたの御言葉――マタイ22章、失礼、21章――そしてヨシュアの前に顕れたキリストについての学びを通して、あなたがずっと共におられたことを示してくださり、感謝いたします。

愛する神様、あなたがこの重大な時、人類史の中でも非常に危険なこの時に、私たちと共に立っておられることを私たちは知っています。今や韓マザーの呪いが全世界の上に及び、彼らの組織が崩壊する中で、それはもはや否定できないものとなっています。

私たちはそのようなことを喜びたくはありませんでした。そのようなことが起こるのを望んではいませんでした。しかしそれはあなたの御心です。そして最後には、あなたが勝利されます。あなたの敵は勝つことができません。陰府の門(gates of Hades)も打ち勝つことはできません。

神様、あなたの正義は真実であり、義であります。あなたの裁きは真実であり、義であります。ゆえに私たちはあなたを賛美します、ハレルヤ。あなたがなさっているすべてのことに感謝いたします。

堕落した人間が恐ろしい状況を作り出している中で、世界には呪いがあり、第三次世界大戦の影が東西において、そして全世界において、ますます近づいています。しかし私たちが恐れの霊によって備えることがないようにしてください。

私たちの心の王座から恐れという悪霊を追い出し、あなたを再びそこにお迎えし、心の中であなたが統治してくださいますように。そうすれば私たちは常に力を持ち、愛を持ち、未来と永遠のいのち、あなたが約束してくださった御国への希望を持つことができます。

同時に、私たちが互いにとって資産となりますように。互いに祝福となりますように。時がさらに厳しくなったときに人々を助けることができるよう、愛のうちに備えを行わせてください。そしてそのような時は必ず、到来します。

すべてが崩れ落ちるように見える患難の時代にあっても、その中で建て上げることができる賢い民とならせてください。その時代に福音を広め、伝道する民とならせてください。

すべての魂が悔い改めを求めてあなたに叫び、世界で起こっている避けることのできない現実を目の当たりにする中で、すべての心があなたへと向きを変えていくでしょう。

それらの心がイエス・キリストの福音によって触れられますように。聖霊の力によって触れられますように。救いと悔い改めを通して触れられますように。キリストにあって新しく造られた者として変えられ、そして立つことができますように。

原理を携え、鉄の杖と真理の剣で武装し、王の王、主の主、再臨のイエス、私たちの真のお父様と共に立つことができますように。お父様が先頭に立ち、軍の司令官としてかじを取り、サタンの軍勢と悪の群れを突き破りながら、闇を切り裂きつつ、自由と責任のあなたの栄光の御国へと前進していくことができますように。

この最も重大な時においても、これらのことを日々の生活の中で動員し、実現していくことができますように。

主よ、あなたがなさっているすべてのことに感謝いたします。そしてここに集っているすべての家庭を感謝いたします。彼らがこの御言葉を受け取り、今日から行動し、決して気を緩めることなく、愛と名誉をもって、あなたの御心と御言葉を守り続けることができますように。

今日ここに三代王権と共に集うすべての王権とともに、賛美と栄光をお捧げし、この祈りをあなたの尊い御名によってお祈りいたします。アーメン。アーメン。アージュー。

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2026年2月25日水曜日

天一国合衆国憲法における宗教団体(結社)の「宗教の自由と自治権」.

天一国合衆国憲法における宗教団体(結社)の「宗教の自由と自治権」


序文

お父様はこのように言っているとニセキリストを語る菅井教、聖臨連合はサンクチュアリ教会宣教本部でも祝福の相手が菅井派であることを理由に破談、或いは離婚することは正当な理由として認められている公認異端教です。参照:日本サンクチュアリ協会の菅井教に対するアナウンス

文亨進牧師(二代王様)は菅井派にたいする警告や啓蒙をしなさいと指導しておられます。これはその指導にもとづくものです。

文亨進師は騙されて地獄に行ったものが悪いと明確にいっておられます。騙されて地獄にいかないよう永遠の命を守ってください。


ペテロ第二の手紙第 2 章

1 しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。

菅井教はこの聖句の通りの”にせ教師”であり”自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている”異端です。

こうして菅井教に取り付いている堕落天使が彼ら彼女らの主管所有権をもつのです。

◆天一国憲法、あるまじき短絡思考で勝ち誇り小躍りする菅井教


お父様はこのように言っていると偽キリストを語る菅井教を真理とする聖臨連合、菅井派、支援者たちは、そのサタン尊大な天宙的傲慢ゆえに、天一国憲法をあるまじき短絡思考で、https://kuruto.muragon.com/entry/351.html にて、あるまじき勘違い勝ち誇り小躍りしています。

*「あるまじき」の由来と詳細はリンク先↓参照下さい。

 菅井教はキリスト神学センスゼロの超絶勘違い異端教

・短絡思考は菅井氏の『「政府によって排斥されない」が見えないのか!この短絡思考!』という批判に由来します

その天一国憲法に対する、あるまじき短絡思考を次に検証します。


菅井教:

国進様は「しかし、それは政府によって排斥されるのではありません。」と訴えられています。それこそが天一国と天一国合衆国憲法の肝心要なことではないですか。

天一国の主人は、政府ではなく天一国市民です。


これも政府に当たる日本本部このような排斥は、二代王様と国進様の指導に対しても、天一国憲法に対しても違反している事になります。

すべての判断は天一国市民である氏族メシヤ王王妃に託されるべきであり、日本本部として他者を排斥できるものではないのです。それも真のお父様と二代王様に従い侍ろうとする一人一人を、排斥するなどあってはならないことです

https://kuruto.muragon.com/entry/351.html


菅井教は、文國進監査総監の御言、

そしてもし悪を行うことを選ぶなら、すぐに排斥されてしまうでしょう。しかし、それは政府によって排斥されるのではありません。天一国の王たち、市民によって排斥されるのです。

2016年 10/31亨進様・国進様との質疑応答 【日本語訳】(全文)


この天一国憲法の説明を悪用して政府に当たる日本本部このような排斥などあってはならない」、つまり日本本部は政府である事実歪曲曲解します。


つまり

おい日本本部よ!國進様が政府によって排斥されるのではないと言っておられるこの文が見えないのか!」「政府にあたる日本本部は天一国憲法違反だ

と主張するのです。

これは

① 日本サンクチュアリ協会のリーダたちとその組織運営を政府だと決めこみ、

② そして菅井教に反対する独立聖殿たちを政府だと決めこんでいるのですが、


これは天一国憲法解釈においても菅井教のあるまじき勘違いあるまじきセンスのなさからくるものです。

そして今回はあるまじき短絡思考であることを暴露してしまいました。

今回はこれが主なテーマです。


ここで、天一国憲法における、文國進監査総監の憲法解釈、政府によって排斥されるのではありません。」「天一国の王たち、市民によって排斥されるのです。」の意味について言及します。


以下は、天一国憲法の該当条項です。

天一国合衆国憲法権利1:連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。


この天一国憲法でもっとも重要な信教の自由「自由な宗教活動を禁止する法律を制定してはならない」に関する文國進監査総監の憲法解釈とは、

國進監査総監:そしてもし悪を行うことを選ぶなら、すぐに排斥されてしまうでしょう。しかし、それは政府によって排斥されるのではありません。天一国の王たち、市民によって排斥されるのです。

2016年 10/31亨進様・国進様との質疑応答 【日本語訳】(全文)

つまり、政府ではなく、天一国の王と王妃、市民たちが悪を排斥する自由な宗教活動を保障していると言っておられるのです。


菅井教とその支持者たちは、このようなこの天一国憲法の「自由な宗教活動」の、その本質が恐ろしくて仕方がないのです。


何故なら菅井教は悪を行っている良心の呵責があるので、その自分たちが天一国の王たち市民たちに排斥されることを恐れているからです。


だから日本本部は政府だ、市民ではない、菅井教に反対する独立聖殿や市民たちは市民ではない!と決めつけて、「お前たちは政府だ!」叫ぶのです。

そうしなければ自分たちの天一国憲法解釈論が瓦解するからです。



◆日本本部が政府?無知馬鹿を曝け出す菅井教


この菅井教、菅井派の、このあるまじき勘違いあるまじきセンスのなさあるまじき短絡思考について、そして菅井教、菅井派のこの恐怖に対して


文亨進師は2020年2月に、

指導者たちは天使長ではない。教会は政府ではないアベル圏である。無知な馬鹿みたいな話を聞いて流されたら皆さんはバカだ。天一国憲法を理解できない馬鹿たちだ

と、既に激しく菅井派の天一国憲法に対する無知からくる主張に対して叱責されています。


その御言を次に引用します。


文亨進師:

皆さんは、聖殿、教会を運営するようになれば、その聖殿教会の指導者たちが政府ではありません。その様な馬鹿げた話が多く出回っていますね「李相烈(イ・サンヨル)会長は、天使長...」李相烈会長は教会を運営しています。政府を運営していません。こんなでたらめな馬鹿みたいな'天一国憲法'を理解できないことを言う愚か者は聞いてください。


イ·サンヨル会長であれ、イ·ホテク会長であれ、誰々、聖殿の下にいるお父様の権限権にいる指導者たちは天使長だ...どうして天使長なのですか?

政府の人員ではないではないですか。天一国で政府は天使長です。教会たちは自分たちで運営できる。教会たちがアベル圏教会たちはお互いに皆一緒に働いていませんが、それでもアベル圏です。政府圏、政府は、天使長です。

え?どうしてこのような無知がお父様の権限圏二代王に仕えると言いながら、このように無知で馬鹿なことを言うのか?え?政府は天使長です。


聖殿の指導者たちは誰も一人も聖殿の指導者ではいません。政府を運営する人は。政府は、強制と銃器で皆さんの税金を盗むことはできるのであって、イ·サンヨル会長、イ·ホテク会長、誰々江利川会長皆さんの金を強制的に銃で盗むことはできない。そうでしょう?考えろ。考えろ。無知な馬鹿みたいな話を聞いて流されたら皆さんはバカだ天一国憲法を理解できない馬鹿たちだ


教会、お父様も聖殿、お父様の権限圏にある教会、皆さんが嫌でも関係ない。皆さんがその指導者を嫌いでも関係ありません。

その方がお父様の権限圏の中にいて、三代王権を一緒に保護して一緒に出ていれば、皆さんが好きであろうとなかろうと関係ありません。彼らがアベル圏です。政府は天使長。政府。ん? 2020年2月5日韓国語説教


このように

李総会長や韓国聖殿のみならず、江利川会長、日本サンクチュアリ協会日本本部、そのリーダーたち、そして他の独立教会や教会長は天使長でないし、ましてや政府でもない、アベル圏である。政府を運営してない教会を運営している」と言っておられます。


菅井教、菅井派は日本本部は政府だ政府だと決めつけて宗教弾圧を叫び、

菅井教に反対する独立聖殿を、天一国市民たちを政府だ政府だと決めつけて宗教弾圧をするのですが、

いいえ日本本部は教会でありアベル圏です。

当然、宣教本部も教会でありアベル圏です。

当然、公認独立聖殿も教会でありアベル圏す。

当然、菅井教に反対する天一国民も天一国市民なのです。

彼らは明らかに天一国のアベル圏宗族王と王妃によるアベル圏市民たちです。

ですから菅井教やその支持者たちが日本本部は政府だ政府だと叫ぶその原因は、文亨進師が激しく叱責されるように、菅井教や菅井派が「天一国憲法を理解できない馬鹿たちだ」からといえるでしょう。

(馬鹿、バカと激しいですが、これは文亨進師が激怒されて使われた言葉ですので、ご了承ください。)


ですから菅井氏自身やKijoksori氏の「天一国合衆国憲法の精神」などの、菅井教、菅井派の天一国憲法に関する数多くの言説は、文亨進師が激しく「でたらめな馬鹿」「無知で馬鹿」「無知な馬鹿」と叱責されるほどの「天一国憲法を理解できない馬鹿」たちによる、それほどあるまじき勘違いあるまじきセンスのなさあるまじき短絡思考による無知馬鹿でたらめ天一国憲法解釈であるかがよく分かります。


このように菅井教、菅井派たちは自分たちだけが、そして自分たちに好意的な市民だけが天一国市民であり、菅井派に反対する者は天一国市民ではないという極めて尊大で傲慢なあるまじき勘違いあるまじきセンスのなさあるまじき短絡思考によって天一国憲法を解釈してしまうのです。


しかし、彼ら菅井派支援者たちは色々といつものパターンで、「文亨進師の言いたいことは、こういうことであって」とか、「日本本部は色々と問題があるから」「あの人は問題があるから」「私たちを無視して勝手に」などと、こじつけてきて「違う!日本本部は政府だ、市民ではない!」と叫ぶでしょう。


なぜなら

天一国憲法が保障する「もし悪を行うことを選ぶなら、すぐに排斥されてしまうでしょう。」「天一国の王たち、市民によって排斥されるのです。

この天一国憲法の本質が怖くて仕方がないからです。


天一国憲法の保障保護のする自由な宗教活動として、菅井教を悪だと判断する天一国のアベル圏宗族王と王妃たち、アベル圏市民たちサンクチュアリ教会宗教平和軍警察によって排斥されてしまうからです。


しかし、そのように、菅井教や菅井派支持者が、どうこじつけて詭弁を主張してきても「天一国憲法を理解できない馬鹿たち」による無知馬鹿でたらめ天一国憲法解釈に過ぎないのです。



◆天一国憲法は日本本部が菅井教を排斥することを保護保障する


お父様はこのように言っているという菅井教に対する御言

文亨進二代王:

お父様の後継者、相続者、代身者は全世界にいません。1人しかいません。

お父様が文亨進は私の後継者、相続者、代身者だ。これ以外は異端だ、爆破者だとおっしゃいました。

(中略)

他の人が来て、自分がイエス=キリストだと言えば、匂いをかいで、「これは違う」と、羊として自分の牧者のにおいが分かり、私の牧者の声が分かり、「お前は偽物だ。シッシッシ、悪い奴め」というふうにしなければいけません。霊通詐欺師よ!後継者文亨進以外は異端だ、爆発者だ!!◆2017年9月7日 二代王様とののQ&A


菅井教は「お父様はこのように言っている」「摂理は二代王様が導くが真理は私菅井が導く」という、完全な偽二代王、偽キリスト、偽メシア、偽お父様です。


それだから私たち王と王妃市民たちは、宗教平和軍警察として、

「(文亨進師)他の人が来て、自分がイエス=キリストだと言えば、匂いをかいで、「これは違う」と、羊として自分の牧者のにおいが分かり、私の牧者の声が分かり、「お前は偽物だ。シッシッシ、悪い奴め」というふうにしなければいけません。

というこの御言に従い、

天一国憲法が保障する自由な宗教活動として、

「(國進様)そしてもし悪を行うこと選ぶなら、すぐに排斥されてしまうでしょう。しかし、それは政府によって排斥されるのではありません。天一国の王たち、市民によって排斥されるのです

という、天一国憲法が保障する宗教平和軍警察活動として、

そして羊を守る牧者、宗教平和軍警察活動として菅井教を排斥するのです。


このように天一国憲法は悪、菅井教を排斥する宗教の自由を保障しているのです。


次に「排斥する宗教の自由」とは何かについて具体的に日本国憲法と米国憲法から検証します。



◆日本国と米国の憲法に見る宗教団体(結社)の「宗教の自由、自治自律権」


文國進監査院長の「それは政府によって排斥されるのではありません」とは、いわゆる「政府の宗教不介入主義(政教分離の原則)」「宗教団体内部の教義対立における司法権の限界」のことです。

しかし、菅井教はこの意味を完全にその特有のあるまじき勘違いによって「日本本部は介入出来ない!」と大いに誤解しています。


日本国憲法においても、米国合衆国憲法においても独自の教義を「信じる自由」と、それを「禁じる自由(団体の統制)」は、法的にはどちらも「宗教の自由」として認められており、その衝突には国家が介入しないことでバランスが保たれています

当然天一国合衆国憲法もこの衝突には国家は介入しません。


ところが、

菅井教、菅井派の天一国憲法解釈は、自分たち個人の宗教の自由だけしか見ていません。つまり、宗教団体(結社)の「宗教の自由、自治自律権」の観点が完全に抜け落ちています。


天一国憲法の自由な宗教活動とは当然ながら、宗教団体(結社)の「宗教の自由」を保障します。

当然ながらサンクチュアリ教会においても、この宗教団体(結社)の「宗教の自由」を保障します。


これを「宗教団体の自治権もしくは自律権」と呼びます。もちろん「宗教団体(結社)の所有権もあります。

このように天一国憲法は宗教団体(結社)にも「宗教の自由」つまり「宗教団体の自治権」を保障するのです。


<日本国最高裁判所は宗教団体の自治、教義の純潔性を保障>

天一国憲法と同じように信教の自由を保障する日本国憲法の「宗教の自治権」について二つの理念があります。これを最高裁の判決から説明します。


1️⃣.教義の正当性判断:

日本国最高裁判所は「何が正しい教義か」について裁判所が触れることは「信教の自由(宗教団体の自治)」を侵すことになるため裁判所が判断すべきことではない(法律上の争訟にあたらない)としました。

●例:創価学会、日蓮正宗の御本尊の真偽が争われた「板まんだら事件」(最判昭56.4.7) 


1️⃣ 教義の純潔性: これを教義の純潔性といいます。

その団体独自の教義を守るために、教義に反する考えを持つ所属員に対して「それは我々の教えではない」と否定したり、最悪の場合は「破門(除名)」にしたりする権利を持っています。


2️⃣日本国憲法は個人の信教の自由に対する宗教団体(結社)の「宗教の自由、教義の純潔性・自治権・自律権」を保障する:


日本国最高裁は、たとえ個人が「独自の解釈こそが正しい」と信じる自由があっても、教団が「それは我々の教えに反する」として排除する決定を覆すことはしません。つまり最高裁は教団の個人に対する排除を保障します。 


●例:「独自の教義」を信じたことで教団から処分(追放、破門)を受けた実例として、「蓮華寺事件」(最判平1.9.8)が挙げられます。 


2️⃣自浄作用: これを自浄作用といいます。

もし国家が教団に対し「独自の教義を信じている人を排除してはいけない」と命令してしまうと、それは国家による宗教への介入(政教分離原則への抵触)になってしまいます。 


このように1️⃣ 教義の純潔性、2️⃣自浄作用の理念に基づき

「特定の教義を禁じる(あるいは認めない)」という教団の判断も、

宗教の自由として尊重されるのです。



<米国は強力な宗教団体(結社)の「宗教の自由」と「自治権」がある>


米国では、憲法修正第1条に基づき、宗教団体(結社)に対して極めて強力な「宗教の自由」と「自治権」が認められています。

これらは主に

信教の自由の行使条項(Free Exercise Clause)」と

国教樹立禁止条項(Establishment Clause)

の2つに支えられています。 


では天一国合衆国憲法権利1と米国憲法修正第1条と文面を比較してみます。


・天一国合衆国憲法「権利1:連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。


・米国憲法修正第1条: 連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由 を制限する法律、ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請 願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。


天一国合衆国憲法権利1と米国憲法修正第1条はほぼ同じ文面であることが分かります。

つまり天一国合衆国憲法権利1も米国合衆国憲法と同じように、

信教の自由の行使条項(Free Exercise Clause)」と

国教樹立禁止条項(Establishment Clause)」

の2つに支えられているのです。 

この二つは次のように宗教団体の自治権の権利を保障します。


1️⃣. 宗教団体の自治権(Church Autonomy Doctrine) 

宗教団体がその信仰、教義、内部統治に関する決定を下す際、政府の干渉から保護されるという「教会自治の原則」が確立されています。


 ・内部統治の不可侵性: 

教団内の職制の決定、教義の解釈、規律、除名処分など、純粋に宗教的な事項については、裁判所は原則として介入できません。


 ・組織の自由: 

どのような信仰を持つ人々が団体を構成し、どのように活動するかを自ら決定する権利が保障されています。 


 ・信条の決定: 

どの教義を信仰し、何を「正統」とするかを、政府ではなく教団自身が決める権利を持ちます。 


2️⃣. 歴史的な重要判例

 ・Watson v. Jones (1871年)

裁判所は宗教的紛争に介入すべきではなく、宗教団体の最高機関の決定に従うべきであるという原則を確立。


 ・Kedroff v. St. Nicholas Cathedral (1952年): 

政府が教団の人事や内部統治を法律で決めることは、信教の自由を侵害するとして無効とした。


 ・Hosanna-Tabor v. EEOC (2012年)

宗教団体が信仰上の理由で雇用する教師を解雇した件について、政府の雇用差別法は適用されず、教団の人事決定権が優先される「宗教職の例外(Ministerial Exception)」を確立


このように、合衆国憲法を参考に作られた天一国合衆国憲法が、憲法修正第1条の解釈によって保障保護されている宗教団体の自治権のことを考慮していることは自明の理です。


実際、現実的に菅井教、菅井派や支援者たちが自分たちの信教の自由を主張して裁判を起こしても、

日本では、日本国の最高裁が先程の結論を出しているので、菅井教、菅井派に勝ち目はまったくありません。

しかも米国連邦最高裁は先程の結論を出し日本国最高裁よりもっと強烈に宗教団体(結社)の自治権を保護していますから米国で争っても、菅井教、菅井派に勝ち目はまったくありません。


もちろん菅井教、菅井派が言うように宣教本部や日本本部、菅井派に反対する独立聖殿が政府かどうかの審議もできるでしょうが、結果は火を見るよりも明らかです。


このように天一国が実体的に出来たとしても天一国憲法は、宗教団体の自治権自律権所有権を侵害することはありません

このように天一国憲法は、サンクチュアリ教会の教義の純潔さ、自治権自律権所有権を天一国国民たち個々人の考えで侵害することは出来ないのです。

このように天一国憲法は、サンクチュアリ教会内部の異端教と戦い分別する自由意志とその権利をサンクチュアリ教会信徒市民たちに保障しているのです。


◆ 子孫、血統を守る宗教平和軍警察、牧師平和軍警察


それだからこの宗教団体の自治権に基づいて、文國進監査院長の

もし悪を行うことを選ぶなら、すぐに排斥されてしまうでしょう。しかし、それは政府によって排斥されるのではありません。天一国の王たち、市民によって排斥されるのです。2016年 10/31亨進様・国進様との質疑応答 【日本語訳】(全文)

の御言があるのです。


そして文亨進師の「教会たちがアベル圏です。」の御言、

他の人が来て、自分がイエス=キリストだと言えば、匂いをかいで、「これは違う」と、羊として自分の牧者のにおいが分かり、私の牧者の声が分かり、「お前は偽物だ。シッシッシ、悪い奴め」というふうにしなければいけませ霊通詐欺師よ!後継者文亨進以外は異端だ、爆発者だ!!◆2017年9月7日 二代王様とののQ&A

という御言があるのです。


この文國進監査院長の御言、文亨進師の御言は、「宗教の自由」と「自治権」「宗教平和軍警察牧師平和軍警察」のことを言っておられるのです。


これらの御言の意味は、我々聖殿の王と王妃たちは、お父様はこのように言っているいう菅井教、山下美智代教団のみならず、今後同じように、雨後の竹の子のように現れてくるこのような対する宗教平和軍警察牧師平和軍警察市民兵たちになりなさいということなのです。

このように天一国憲法は、サンクチュアリ教会内部の異端教と戦い分別する宗教平和軍警察牧師平和軍警察民兵一人びとりになる自由意志と権利をサンクチュアリ教会信徒市民たちに保障しているのです。


文亨進師は、はっきりと

他人があー啓示受けた。ああだこうだと、これについていこうといって地獄に行ったら、皆さんが悪いのです霊通詐欺師よ!後継者文亨進以外は異端だ、爆発者だ!!◆2017年9月7日 二代王様とののQ&A


このようなお父様はこのように言っているというようなについていけば地獄に行くと言われました。つまり真のお父様、文鮮明師が「このような教団に行けば地獄に行く」と言っておられるのです。


それならば市民たち羊たち、子どもたち子孫血統が地獄に行かないよう神の正義を立て永遠の生命を守る、市民たち羊たち子供たち子孫血統と霊的生命を守る「宗教の自由」と「自治権」宗教民兵宗教平和軍警察牧師平和軍警察が自主的に立ち上がるのは自明の理なのであり、私たち聖殿の王と王妃たちの、なすべき責務なのです。そして実際に自主的に既に多くのアベル圏の市民たちが立ち上がっています。

これを天一国合衆国憲法は保障しているのです。



◆ 菅井教に同調黙認した者が行く末


もしも逆に、菅井教信者との祝福を勧めたり黙認した結果、その祝福を受けた者が真の御父様が言われるように地獄に行ったのならば、その勧めたり黙認した本人の自犯罪はもちろん、その代々の子孫たちは、この血統の痛恨の判断ミス、遺伝罪、連帯罪の苦しみ蕩減を償わなければならないのです。


菅井教の神は、本形状が存在していたことにも気づかず、絶対無、本形状に愛が存在したことにも気づかない程の未熟な天宙絶対バカ神です。絶対無も主管できない天宙絶対無能力神です。(菅井教自身が創造前の神は「未熟な極地にある生命体」であると定義付けていますhttps://kuruto.muragon.com/entry/36.html


黙示録20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。

このヨハネの黙示録20:10にあるように、

菅井教の天宙バカ神、天宙無能力神を、絶対有と絶対無をその全知全能を持って主管しておられる真の神様の御使いたちが、この天宙バカ神の首をへし折り頭全体を粉々に打ち砕いて永遠の「火と硫黄との池」に封じ込めるのです。

そこには菅井氏ら「にせ預言者」たちがいるのです。

それですから、これほどの悪なる彼らとの祝福を勧めた、あるいは黙認した市民たちの罪は、大変重大な罪であり、その子孫血統は重大な遺伝罪を背負い苦しむことになるのです。


黙示録3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。


このように、ヨハネの黙示録は、「宗族メシアの冠をだれにも奪われないよう堅く守りなさい」と警告しています。

これはそのようなお父様はこのように言っている」摂理は二代王様が導くが真理は私菅井が導く」と宣言する偽二代王、偽キリスト、偽メシア、偽お父様に、その背後のサタンに王冠を渡した堕落天一国市民と、その王冠を守る正統宗族王と王妃との戦い、そのような王冠を守る天一国市民との市民戦なのです。

堕落天一国市民と血縁関係を結び、天の血統を堕落汚し地獄に送ってはなりません。勧めたり黙認して子孫に重大な罪、蕩減を背負わせてはならないのです。


もちろん菅井教は個人の信仰の自由を宗教結社の自由や自治権よりも優先するのですから、菅井教はこの宗教団体の自治権自律権所有権を主張することは今後一切出来ません。

菅井教内部で異論を言って追放された人がいるようですが、そんなことは一切できないのです。菅井教内部で異端グループが出来てもそれを排除することはできないのです。


◆ 菅井教は別宗教でないことを証明しなければならない


菅井教、支援者、聖臨連合らは、そんなに「菅井教は宣教本部が離婚も認めるほどの異端、完全なる別宗教だ」というのはデタラメだと言うのならば、

台湾宜蘭聖殿に行って、堂々と菅井教はサンクチュアリ教会だ、別宗教ではない、離婚など言語道断だと、どうどうと雄弁に語ればいいのです。


そして、菅井教が言いたい本音、

文亨進師よ、俺と同じように創造前の一人の神様の、性相を神様自身に例え、形状を神様の体となるキリストである」と言いたいんだよな。イエスが、文鮮明が創造前に存在しただなんてありえないよな!なぁ文亨進!お父様は、お前には摂理、俺様には真理を導いておられる!わかっているよな文亨進!この菅井教こそが真のサンクチュアリ教会なのだ」

参考:

この本音を雄弁に語ればいいのです。


台湾宜蘭聖殿の皆さんは、『他の人が来て、自分がイエス=キリストだと言えば、匂いをかいで、「これは違う」と、羊として自分の牧者のにおいが分かり、私の牧者の声が分かり、「お前は偽物だ。シッシッシ、悪い奴め」というふうにしなければいけません』と言われる文亨進師のご指導の下、菅井教や支援者たちが台湾宜蘭聖殿に来るのを、いつ来るのかと期待に心を震わせて手ぐすね引いて待っておられるのですから。


これほどまでに聖殿の食口が台湾に来ることを望まれ、多くの食口が台湾に行っているというのに、どうしてブログ程度の場所でしか主張できないのでしょうか。

それは怖くて怖くて仕方ないからだという事がよく分かります。そういう天宙的卑怯者なのだからそうやって逃げ回るのです。


<参考>

菅井教、菅井派に対する記事インデックス

リンク先、菅井教、菅井派に対する記事の一覧です。菅井教対策の資料としてお使い下さい。


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