トランプ大統領が失敗しても新エルサレム創建はなされる
◆2026年7月9日台湾聖殿 韓国語木曜礼拝<1>
文亨進二代王
監修:fanclub三原
Translation: son of Mihara
今日は何ですか?今日は韓国語の礼拝ですか? ({ はい、韓国語の礼拝です。」)
私たちの英語の礼拝、早く早く、メッセージを早く始めないといけないですね。5分。5分の英語メッセージ。
さあ、まずは英語のメッセージから始めましょう。
トランプ大統領が失敗しても新エルサレム創建はなされる
<英語礼拝>
皆さん、おはようございます。私たちは極東から祈りを捧げています。
もちろん、世界はますます厳しい状況に追い込まれ、停戦も失敗し続けています。
私たちは、ますます多くの災害や対立へと巻き込まれていくのを目の当たりにしています。
もちろん、トランプ大統領は、あのジェノサイドを企てる、好戦的で血に飢えたイスラエル政府から距離を置こうとしています。
しかし彼らはおそらく彼を脅迫できる材料、あるいは彼が手を引くことができないような深刻な状況を握っているのでしょう。
ですから、もし彼がこのまま続けていけば、世界の王としての自らの使命に失敗する可能性があります。
誰もが5%の責任を負っているのですから。
ダビデも神に背き、その結果、王国は崩壊へ向かい、彼自身もその中で死を迎えました。そういう可能性もあるのです。
私たちはトランプ大統領のために祈っています。世界中の誰もがトランプ大統領のために、平和のために祈っています。
しかし同時に、神は悪い状況さえも用いることができ、それが神の摂理を完全に止めるわけではないことを理解しなければなりません。
ただ、その進行を遅らせるだけです。
もちろん、この対立にはさまざまな側面があります。この戦争ではアメリカ国民は完全に反対している一方で、中国は経済的に壊滅的な打撃を受け、甚大な被害を被っています。
しかし、その反面、イランは当然ながら、はるかに多くの交渉材料を手に入れ、世界の地政学的舞台においてより強固な立場を築きつつあります。
そしてもちろん、これは善と悪の戦いであり、霊的な領域での戦いも反映していることは周知の事実です。
だからこそ、若者たちがここで賛美歌を歌い、賛美を行う際、彼らは武術の演武も披露しているのです。それは、善と悪の戦いが霊的な領域から物理的な領域へと反映されていることを象徴しているのです。
これらはすべて祈りの一部であり、神学の教えの一部でもあります。
特に、数千年の歴史を持つ極東のような古代の地においてはなおさらです。
もちろん、あらゆる古代の宗教には、文字が普及する以前の時代があったことを理解しなければなりません。
残念ながら、現代が「より近代的」になるにつれて、私たちは実際には識字能力を失いつつあり、もちろん、世界中で識字率は低下しています。
Chat GPTやAIの普及も影響しているのでしょうが、人々はもはや本を読まず、要約だけに頼り、AIシステムを信頼するようになっています。
もちろん、それは非常に危険なタイプのシステムです。
現在、世界中で識字率が崩壊しつつあることで、人類はまるで古代の「文字以前」の世界へ戻りつつあります。
そこでは当然、神学は音楽や賛美、踊り、パフォーマンス、そして数千年にわたって続く祭典を通じて教えられており、それらは神学の中核的な教えを伝える文化遺産の一部となっています。
つまり、古代世界のどこへ行っても、そのようなシステムが存在するのです。
そして私たちも今、数千年の歴史を持つ古代の地に立っているのです。また、今の若者たちは、賛美歌だけでなく、武術を通じても、真お父様の物語や再臨の奇跡的な誕生などを語って、神学を教えているのです。
そうしたあらゆるものには、善と悪の壮絶な戦い、そして神の摂理を攻撃し、破壊しようとするサタンの姿も含まれています。しかし最終的には、神の生ける臨在、私たちを罪から清める血、聖酒、そして聖酒を受け取り、祝福中心家族となることこそが、敵の武器を打ち破り、勝利するための力と霊的な権威を与えるのです。
つまり、そうしたパフォーマンスや、ダンス、武術の演武は、そういう意味を持っているのです。私たちが賛美を歌っている間、「勝利された天地人真の父母様に賛美あれ」と。
ですから、今、本当に多くの精誠が捧げられています。
三代王もまた、神の摂理の勝利のために、今まさに1万2千回の敬拝訓練を行っています。
もちろん、それで完璧になるわけではありませんが、彼が若い今のうちにこれを行うのは、実に素晴らしい修行です。
私は彼に、これは肉体的に非常に過酷なことなので、若い頃にやっておく方が良いと伝えました。
現在は1日2,000回程度の礼拝から始め、最終的には12,000回まで増やす予定です。彼の健康のためにもお祈りください。
私が彼の年齢だった頃、私たちは1万2000回や2万1000回の礼拝を行っていました。
それを何らかの魔法のような呪文だと信じる以上に、もちろんそんなものではありませんが、心を鍛え、神という北極星に向かって自らの位置を正し、正しい摂理的な視点を持つように心を形作るための素晴らしい訓練なのです。
同時に、神はそうしたことを認識しておられます。神は、ご自身の子供や孫たちが、いわゆる「知的領域」ではなく、献身や感情、芸術の領域に属するような行いをしているのをご覧になります。それらは神にインスピレーションを与え、もちろん、神が様々な形で行動を起こすきっかけとなります。それは、私たちのジーニー(ランプの魔人)としてではなく、子供や孫たちが示す献身と愛に感化された、主権者なる主としてです。
ですから、私たちは神の御業、そして摂理の勝利を祈っています。同時に、今は台風の季節でもあります。これは、世界が直面している状況を象徴するものでもあります。
今、この世界には巨大な台風と嵐が襲いかかっています。しかしもちろん、それはバビロンの大娼婦の堕落によるものであることを私たちは知っています。
神は韓鶴子に対してわずか13年足らずの間に裁きを下されました。今や彼女は実際に牢獄に囚われています。
彼女は自己崇拝と悪魔崇拝に取り憑かれ、自分が神であり、すべての人々や国家、民族を支配できると信じていました。そして当然ながら、彼女と主を裏切った組織たちの上に裁きが下りました。これは神の神聖な怒りと正義であると同時に、悔い改めへの呼びかけであり、悔い改めの心を持ってキリストのもとへ戻るよう招くものです。
ケノーシス(kenōsis、自分を無にして)、キリストに完全に身を委ねることです。そうすれば、キリストが船を操り、道を導き、私たちを間もなく訪れる約束の地へと導いてくださるでしょう。
ですから、私たちは今、嵐の真っ只中にいますが、どんな嵐の向こうにも地平線の先に新しい日の出があることを覚えておいてください。それは、この時代に物事が加速しているように、間もなく到来する新しいエルサレムなのです。ですから、どうか祈り続けてください。
どうか、こうした嵐の中でも、精誠と献身、そして賛美の声を神へと上げ続けてください。私たちは、これまで以上に熱心に神を賛美し、言葉に尽くせない喜びを心の奥底で響かせ、その喜びを唇から溢れ出させて、神を賛美し、神の聖なる地、天の園へと入っていくのです。
今日、私たちは神に賛美と栄光と誉れを捧げます。そして、皆様の祈りに感謝いたします。私たちも皆様のために祈っています。神の祝福がありますように。御国が来ますように。ハレルヤ。では。
<以上英語礼拝>
辛い時苦痛の時もアボジカムサハムニダ
さて、英語は、このように英語の礼拝をほんの少しだけ取り入れたら、英語の食口たちは喜んでくれました。
ヨンナムが今日は元気ですね。最近、たくさん話そうとしているようです。
パパが感情をたくさん込めているから。パパの横で「パパパ、パパパ」と励ましているみたいです。そうですね。
さて、先週は詩篇100篇を見ましたね?
賛美について、この「ゴールデン・ボタン」も本当に良いです。この賛美について、私たちは勉強しましたね。。研究しましたね。その賛美に対するパワー、特に、賛美するとき、これは歌ではなく、4節、
(詩篇100篇4節)
感謝しつつ、その門に入り、
ほめたたえつつ、その大庭に入れ。
主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。
とありますね。
感謝と賛美は同じ部分で、同じ聖霊の鳩の翼、感謝と賛美です。そうですね。同じ聖霊の鳩の翼。そうですね?その感謝と賛美は分離することができません。なぜ?根本的な賛美、すべての真の賛美、すべての真の賛美は感謝です。そうですね?
すべての感謝の賛美歌、近くで見ると、その歌詞を分析してみると、真の賛美とは何ですか?感謝の祈りです。感謝の祈り。そうですね?感謝の祈り。
だから私たち、平和軍警察、心と体を一致させる訓練をする時も、私たちも何をするのですか?「生きていますアボジカムサハムニダ」「生きていますアボジカムサハムニダ」「生きていますアボジカムサハムニダ」これは何だ、これも感謝、これも賛美だ。これも感謝の瞑想ですが、これも賛美です。歌っていないだけで、呼吸で賛美していると言うことです。
だから、すべての呼吸に、胸の鼓動と、リズムもそうだろう?
私たちは今、「アボジカムサハムニダ」としなければなりませんね。しかし、私たちは罪人だから、これができないのです。もちろん、呼吸のたびに「ああ、神様、アボジカムサハムニダ。」とはできませんね。よく忘れてしまいます。
しかし、訓練すればするほど、これが私たちの普段の日常生活の中でも「アボジカムサハムニダ。」と、自然とあちこちで現れてくるのです。そう、そうでしょう?そうよね?お前たちも、それが見えるでしょ?
訓練すればするほど、何かをするたびに「アボジカムサハムニダ」このようにパーンと出てきますね。お前たちが笑っているのを見ると、お前たちもそうだったんだね?
だから、感謝の門に入るようになれば、賛美によって宮廷に入るのです。私たちはどのようにして神の宮廷に入るのでしょうか。
もちろん、私たちはただ自分の力だけで、感謝と賛美だけでできるわけではありません。何を受けますか?
聖酒はアボジの実体、正教会のように
見てください。これは何ですか?聖酒、聖酒は何ですか?御父様の実体です。
だから、カトリックや正教会はこのようなことをよく知っています。プロテスタントより。
プロテスタントは、パンとぶどう酒を飲むとき、これは単にイエス様を象徴しているだけだと言います。
しかし、正教会とカトリック教会はそれを信じません。ミサのとき、イエス様のパンはイエス様の実体の肉だと信じ、ぶどう酒を飲むときはイエス様の実体の血を飲んでいると信じています。
なぜ?イエス様がそうするように言われたからです。
そうして、カトリックはあの、無酵パン、発酵していないパン。カトリックは発酵させていないパンを使い、正教会は発酵させたパンを使います。正教会は酵母があるから、復活を象徴するパン。
だから、とにかく、このような微妙な違いは少しあるけど、しかし、古代キリスト教はミサの時に信徒たちがパンを食べた時、これは実際にイエス様を食べるのです。
このぶどう酒も、だから実体のイエス様がおられるのです。これは英語で「realpresence(実体的現存)」と言います。realpresence。
そうして、今やインターネットのせいで、プロテスタント、正教会、カトリックが多くの論争をするではないですか。互いにインタビューをしたり、ポッドキャストであれこれと、自分のポッドキャスト、あなたのポッドキャスト、私のポッドキャストと、互いに自分たちの神学や思想、違いについて分かち合いません。インターネット、どのような世界より一般の人々がみるではないですか。
そうして、プロテスタントの神学者たちや教会も、古代キリスト教のように、血と肉をより実体的なイエス様として信じるようになっています。特にアメリカや西洋では。
これはどういうことかというと、2,000年前の主を再び触ることはできません、今。
主はすでに天に昇られましたから。キリスト教の立場で。主に触れることはできません。会うこともできません。そうですね?
しかし、カトリック、正教会の神学を通じて、そのパンと肉とぶどう酒、血に会うことで、2,000年前のイエス様に会っているのだと信じているのです。そうですね?
私が到底会うことのできない主に、主が与えてくださったその儀式で会うのです。これは、どれほど意味が深いですか。実際。だから、キリスト教にはこれがないので、多くの若者が「キリスト教は浅すぎる」「深みがない」と言って離れていき、今古代キリスト教へと行っています。
プロテスタントより、主を慕う古代キリスト教、正教会へ
なぜですか?古代キリスト教にはこのような、イエス様へ慕わしさがあります。だから、プロテスタントにはもちろん、活気ある音楽や、主は生きている主で、私たちと毎日毎日共に生きておられるといった良い面もありますが、別の面では主を懐かしみません。実体の主。地上を歩かれる主。
古代キリスト教は、この人たちは賛美は少し遅いが、主を慕う気持ちや、実際に主に触れたい、このような部分がずっと強いのです。不思議ですね?
今やインターネット世界のおかげで、御父様が望まれたように、正教会やカトリック教会、プロテスタント、多くの神学者たちが、今や一緒に討論をたくさんして、プログラムもたくさんあり、これを通じて一つになろう。友達になろう。
お互いに『異端だ』とか『お前は地獄に行く』なんて言わずに、このような超宗教、超キリスト教宗派、キリスト教神霊協会のような役事が、インターネットの世界で今起こっています。
プロテスタントは地獄に行くという正教会、カトリック
だから、次の若い世代は、プロテスタントで育ちましたが、今は正教会、とカトリックをもっと好んでいます。多くの若者が改宗しています。
しかし、改宗するのですが、両親がまだプロテスタントにいるではないですか。「プロテスタントの両親が地獄に行く」、これは信じることができません。正教会はそういうことを信じます。カトリックは今やそれを信じません。そうですね?カトリックは今や、バチカンのせいで……御父様には啓示があったけど、バチカンのせいで……1900年、いつだったかな?
とにかくバチカンのせいで、教皇の決定のせいで、今やカトリックはプロテスタントが地獄に行くと、以前はそのように信じていましたが、今はそうではありません。そうですね?
その正教会だけが、今、・・・正教会だけではなくて、東洋や中東の正教会もあります。そうですね?ギリシャ正教会、ロシア正教会をはじめ、様々あります。エジプト正教会など、違います。互いに異端だと言い、互いに「地獄に行く」と言います。
この争いは、本当に古代からこうです。だから、正教会はその部分が激しいです。
だから、プロテスタント教会から出てきた子供たちが今、正教会に入っていますが、正教会がプロテスタントに地獄に行くと言うのですが、これを信じません。
どのみち三位一体を信じているのだから
だから、もっと中立的な立場から、そういうことよりも、どのみちみんなイエス様を信じているので、どうみちイエス様が神様だと信じてるので、どのみち私たちは三位一体も信じているから、だから、こう言っているのですね。
もし、韓鶴子バビロンの淫婦のように、「イエス様はメシアではない」と言ったら、これは別の宗教ではないですか。それも違います。カトリック、プロテスタント、そして正教会は、みんなイエス様がメシアだと考えています。そうですね?
だから私たちはそういうものをすべて統一するから、「和合しよう」と一緒に活動しましょうと言いました。
<フランシスコ教皇とバルソロメオス1世(コンスタンティノープル総主教)>
それで、数日前、教皇と、コンスタンティノープルの正教会の総主教、・・・簡単に言えば教皇ですね。その人とローマ教皇が、聖ペテロのバシリカ聖堂で、何かの儀式を行ったではありませんか。その一ヶ月ほど前でしたか?
そういう部分が今、超宗教・超キリスト教神霊協会、あるいは初期キリスト教宗派といった、そういう運動がインターネットのおかげで、はるかに自然に現れています。
そうして、それでも正教会は今、学んでいるわけです。