訓師の道と訓師の生き方
◆2026年4月30日台湾聖殿 韓国語木曜礼拝<8>
文亨進二代王
監修:fanclub三原
数千年続く宗教には修行僧がいる
古代の数千年続く宗教には、常にこうした修行者の層があるのです。数千年続くその宗教は、修行者がいなければ、そんなに長くは続かないのです。そう長くは。
プロテスタントはカリスマ中心で進みます。牧師たちのカリスマ。カリスマ中心の教会は、一世代、一世代も持たない。いつも二世代から崩壊し始めます。
チョ・ヨンギ牧師も、その純福音教会も、チョ・ヨンギ牧師が引退した。亡くなったか?チョ・ヨンギ牧師が 亡くなった後、2世から崩壊し始めた。カリスマ中心の教会は長く続きません。
なぜ?カリスマを通して教会は大きくなりますが、教会が大きくなればなるほど不正、腐敗がもっと多く生じます。
宗教もそうです。宗教が大きくなればなるほど、あちこちで不正、腐敗がより多く生じます。
そうしてその不正、腐敗の宗教に次第に溺れていけば、滅びる様になります。
信徒たちの信仰と信頼感もすべて失わせて。
しかし、何千年も続く宗教を支えているのは修道士たちだ。修道士たち。修道士たちは純粋な精誠と祈りだけをしている。
宗教が大きくなっても、宗教の大きな本部に入らず、ずっと山で静かに精誠を尽くす。
なぜそれが長期的な、数千年続く宗教を生き延びさせるのか?
数千年続く道で、教会が大きくなり、不正や腐敗が大きくなれば、教会は次第に堕落していく。
しかし、純粋に精誠を尽くし、主を愛し、自分にはお金も名誉もないけれど、それでも毎日主を追い求めるような修行者たちがいなければ、再び正しい道に戻ることは出来ない。その組織が崩れるとともに、自分たちも一緒に崩れてしまう。
それゆえ、天主教、正教会、仏教、ヒンドゥー教といった数千年続く宗教を見ると、常に常に修道層がいる。修道士の層。
それがなければ、宗教が大きくなりすぎて、あまりにも、腐敗してしまった時、正すことが出来ない。再び正しい道、純粋な道へと戻すことはできない。
しかし、修行者がいれば、組織が堕落している中でも、信者たちは次第にその組織から離れ、修行者を支持するようになる。
なぜ?修行者たちは、本来の姿で精誠と祈りの生活を送って、本来の姿をしているから。
だから組織が大きくなり、不正や腐敗の中で組織が崩壊しつつある時、信者たちはそれを感じ取り、次第にその堕落した組織を信じなくなり、段々修道士たちを支持し、山へ行って修道士たちを支持するのです。
なぜ?修道士たちは純粋に主を追求する生き方を送っています。
だから、その宗教は再び生き返るのです。これが、分かりますか?
組織が崩壊しても、その信仰は死なないのです。なぜ?純粋な指導者たちがいるから。牧会をしながら金持ちになるために牧会した人ではなく、何もなくても主を求め、毎日苦難と苦行を自ら行い、眠る時も楽に眠らず、毎日辛い、精誠を尽くし。
だから、数千年続く宗教は再び正しい道を取り戻せるのです。再び。
プロテスタントにはそれがないから、プロテスタントの教会は次々と滅びていきます。カリスマのある牧師が亡くなった後に滅びるのです。
訓師の道は牧師よりも遥かに過酷な修道士の道
だから訓師層がそれなのです。訓師層は牧師層よりもさらに純粋な修道士活の層たちです。恐ろしい層。恐ろしい層です。
名誉を得るために、金をもらうために、栄光を受けるためにやってはいけません。そうすればサタンです。サタン!
若い連中も、二代王に仕え、今、修道士の道を歩んでいるではないですか。訓練。
これは一般的な牧会の道ではありません。これは牧会者よりももっと過酷な修道士の道。
こういう道はカリスマ中心の道ではありません。
修道士の道は、カリスマ、どれほど人々を泣かせるか、あるいはどれほど御言葉をうまく語るか、といったことではありません。
修道士の道は、どれほど純粋か、どれほど悔い改めるか、どれほど自分を絶えず殺せるか。
これは違います。
ですから、このような深刻な訓練や、こうした部分があるから、これから食口から多くの愛を受け、より多くの尊敬を受けるようになるのですが、しかしそこで溺れて道を外れてしまえば、サタンになってしまうのです。サタン。分かりますか?
だから常に気をつけなければなりません。いつも良い心で始めることはできますが、私たちがどう生きるかだけでなく、どう死ぬかが重要です。
死ぬのはどうせ皆死ぬことだから、実は私たちは、聖書の御言の通り、毎日死ななければなりません。毎日死ななければならないです。
ですから、修道士の道は別のレベルです。別のレベル。
江利川会長と李会長は、皆さん良い方だとおっしゃっていますが、良い方でもサタンになり得るのです。だから、常に気をつけなければなりません。
訓師の道を歩みながら、常に自分自身を殺さなければなりません。そうでしょう、違いますか?
そういう内容で、毎日自分を殺し、自分の欲望を捨て、自分を捨て続けなければならない。
そうしながら、主と御父様の宝血の恩恵が大きくなっていかなければならない。
そう、そうじゃない?
異端者は訓師をターゲットにする
だから異端派たちがいつも、宝物として掴もうとする人たちが、訓師たちです。一番多く攻撃を受けなければならない。
皆さんが訓師の道を歩むなら、皆さんは標的にされ、食い物にしようとする。
だから皆さんは常に、そういう部分に気をつけなければならない。
訓師の道を歩みながら、自分一人で動いてはいけない。常に、訓師の先輩たちに尋ね、カウンセリングを受けて、常に気をつけなさい。
すべての友人、家族、そして他の異端派には常に気をつけなさい。
異端派は皆さんの家庭を利用し、皆さんをコントロールしようとします。
皆さんの子供たち、特に一人の子供を捕まえ、父親に最も影響を与える子供を捕まえて、皆さんをコントロールし、異端派にしようとするのです。
分かりますか?常に注意しなければなりません。
訓師層は、本当の子女様ではありませんが、それでも子女様のようにターゲットにされます。
なぜならば、二代王様が直接訓練し、三代王権が身近に接する層だからです。
多く標的にされるのです。
だからただ、訓師の道を歩みながら、牧師のようにただするのではなく、常に、信仰の盾、盾を常に掲げなければいけない。訓師を誘惑しようとする人々が多いからそうだ。
あれこれと訓師を使って、二代王様が任命した総会長たちと戦わせようとして、そうするでしょう。ターゲットにするというのです。
そうしながら、私たちはどうなった?金勇力訓師も標的にされたじゃないですか。
自分の派を作って、二代王様が立てた李相烈総会長と喧嘩を仕掛けさせて。そうするんだ!
そう、そうじゃない?
二代王様が呼びながら、テネシーでみんなテントで一緒に寝かして、旅人たちみたいに、プラスチック、プラスチックの私たちはタープの下で、訓師たちと李会長と一緒にそこに住んで、みんなそこで一つになったじゃないですか。互いに悔い改めて。
「ああ李会長はこういう人だと思っていたけど、一緒に暮らしてみるとそうじゃなかった」。
訓師たちも気づかされた。
人々はそうするということだ!自分たちは二代王様、三代王様に影響を与えようとして、訓師たちをターゲットにするんだ。
分かりますか? 分かりますか?(「はい」)
訓師の道を歩む人たちは気をつけなければいけない。気をつけろ。そういう部分は常に気をつけなければいけない。
訓師が行く道は常に、御父様と三代王権に100% 忠誠を誓い、精誠を尽くす生き方は他の人々が誘惑しようとします。
人々を食い物にしようとし、影響を与えようとする、そういった部分を与えようとしても、遮断することができます。
ジョ・マンホやホ・ヤンといった詐欺師どもは堕落した連中だ。
分かりますか?そういうことには常に気をつけなければなりません。気をつけろ。
ですから、皆さんもこのような教育を受けなければなりませんし、二代王様も常に、信俊王も常にこのような教育を行っています。
訓師は詐欺師に気をつけろ
常に三代王と御父様、王権の責任者の座は、常に詐欺師にも気をつけなければなりません。
常に皆さんも詐欺師には気をつけなければならない。
訓師の道を行く人たちは、詐欺師に気をつけなければならない。最も気をつけなければならない。
皆さんを利用し、カインとアベルを分かれさせようとし、御父様の王権を分裂しようとする、そんなことをする連中が近づいてくる。
分かりますか?
一人の時は、純粋な精誠、そして苦行に感謝する心から出るべきであって、名誉や栄光、食口からの称賛を受けたら堕落、堕落です。
アイロニカルな内容だ。
食口の前での称賛、名誉、栄光、それらを捨てれば捨てるほど、かえってより多くの称賛と栄光を受けるようになる。反対、反対だ。
それを追求する連中は、堕落する。
かえって結末は良くない。
だから修道士の道は、神様が用いられるものであり、その宗教が不正や腐敗に陥り、どんどん大きくなればなるほど、そうした事態になる確率が高まるから、修道士たちは神様が修道士たちの純粋な精誠を用いて、その教会と、その国と、その宗教を再び蘇らせる働きをなさることができるのです。復帰。
その層がなければ、多くが散り散りになってしまいます。
分かるか、若者たち。 (「はい。」)
訓師は自分と戦い自分を殺す生活
ですから訓師の道を歩む人々は、常に自分の心が100%、純粋であることはできないので、自分自身の心も汚れており、罪も多く、欲も多いため、常に自分自身と戦わなければなりません。
毎日訓練、自分自身と戦うことです。自分が自分を殺すことです。
自分を消し去り、キリストをより大きくし、自分の黒い色が消え、キリストの赤い宝血がより輝けるように。
だから精誠を尽くす生活は、恐ろしい生き方です。なぜなら、精誠を尽くす生活は、単に私たちの人生に残るだけでなく、歴史に残るからです。歴史に。
人々がこの大混乱、韓鶴子バビロン淫女の堕落の混乱の時代を見て、御父様がどのように聖霊の役事を行われるかを見たとき、私たちの荒野の時代やトランプ大統領の時代、そして中国の摂理の時代をすべて研究し、訓師たちの事も研究する様になります。
どのように二代王様が、御父様、三代王権の訓師たちを用いられたのか、また訓師たちが誰だったのか、すべて研究するのというのです。
すでにそのような歴史的な、そのような誰も経験したことのない栄光、主を直接お迎えできるような栄光がありましたが、主が霊界と肉体の勝利をすべて成し遂げられ、霊界に移動される時、その後、神の王国と王、その王権が進んでいく中で、訓師たちが先頭に立ち、御父様の三代王権を開拓する、こうした姿をすべて研究するのです。
だから精誠は、皆さんが完璧だから、精誠やそのような栄光を受けるのではなく、その心が、毎秒ごとに新たな罪、黒い罪がたくさんあっても、御父様の宝血の力でそれをすべて覆うのです。宝血の力。その宝血の勝利と、その宝血の力と、その宝血の聖霊の力によってするのです。
朴牧師様もソ連で20年間宣教されながら、正教会もたくさん見てこられましたね。
正教会の都市の神父たちもいますが、山中の修道士たちもいます。
その方たちは違います。
都市に住む神父たちと、修道院で暮らす修道士たちは全く違います。
その正教会も、二千年の歴史があるのに、自分たちの教会が不正腐敗に陥った時、信徒たちは皆、都市に住む大司教たちのような人々を罵ったのに、信徒たちは山へ行き修道士たちを、その可哀想な修道士たちと修道女たちと修道士の神父たちに侍り、正教会の堕落を正したのです。
どうして?国が不正腐敗から始まってはいけないではないですか。出発点が重要です。出発点が。
二代王はお金を盗んで、そのようにしていたら、どのようにして国の文化を作ることができるというのですか?二代王は数十兆、御父様が御手で選ばれた後継者、相続者、代身者であっても、お金を全て失ったではないですか。
そうですか?そうではないですか?
お金は私の神ではない。お金はキリストではない。
だからこそ、御父様の勝利圏が、御父様とカインとアベルと三代王が一緒に行くことができるではないですか。
お金は私たちの中心ではありませんでした。韓鶴子バビロンの淫婦、郭グループの詐欺師たち、異端者たちはお金が自分の中心ではないですか。お金のために御父様を売り飛ばす。
それは何ですか?イスカリオテのユダではないですか。
どのようにして文化・文明を築くのですか?そのような出発点で。できません。
国をそのような出発点で立てることはできません。国は、善なる国は、善なる出発点から、善なる三代王権とカインとアベルと真のお父様の勝利権に現れます。
康賢實真のお母様は一番の修道女
だから、康賢實真のお母様も勝利されたではないですか。女性として。
どうして?純粋な康賢實真の御母様は、実は私たちの元老の中で一番修道女のようでした 。そんな方でした。
いつも栄光を避け、いつも深く遠い後ろに座りたがり、いつも一番遠くの開拓地、ソ連、もっとも寒い場所、1人の食口もいない、そのようなところを継続して尋ねて、そのような修道女の心がありました。康賢實真のお母様は。
だから、あの長老たちの中で、御父様を自分たちの数百万ウォンの給料のために売り飛ばした時、康賢實真の御母様はそうしなかったではないですか。
そんな純粋な愛の信仰に生きていらっしゃったではないですか。
だから、女性たちの中で一番、修道女のように生きていたではないですか。実際。
他の元老の女性たちはみんな、金持ちの家の奥様で、邪悪な女たちではないですか。お金だけが好きな女たち。サタンの女たち。
康賢實真の御母様は、はるかに修道女のように、はるかに一人で生きていらっしゃいました。一人で。修道女のように一人で。アウグスティヌスの妻だったから。一人で暮らし、金持ちのように暮らさず。
結局、そのような方が勝利したではないですか。
組織が大きくなりすぎると不正腐敗した組織になったら、そういう人たちがいなければ、バイバイ、死んでしまいます。
だから御父様がそれをご存知で、康賢實真の御母様を送られたではないですか。今や私たちは勝利された、完成された真のお母様になられたではないですか。
拍手を送らなければ。(拍手)
その純粋で清らかな信仰 が最も重要です。
それが宗教の不足感や脱落の滅亡を唯一救うことのできる力です。
その出発点、出発点の純粋な愛と信仰。神様がそれを用いてくださいます。
だから、訓師たちは体は老いますが、心は常に若くなければなりません。
それが何かといえば、最初に御父様を愛した、愛に落ちたあの心。
常に御父様との最初の出会いの時の学生にならなければなりません。再び。
そのような純粋で清い愛と信仰が精誠の中心とならなければなりません。
もちろん、私たちは完璧ではありませんが、完璧にはなり得ませんが、そして不十分な部分も罪も多いですが、それでも常に初愛の心に立ち返らなければなりません。
その訓練、訓練が重要です。
そうですか?そうではないですか?
だから、そのような純粋な、・・・私たちは完璧ではありませんが、それでもそのような純粋な精誠を香りのようにお捧げしようとする時、この全ての建物も全ての村も、その精誠の波動が出て行きます。次に、村から国家、世界へと。
だから、私たちが伝道する方々もここに来てその精誠を知らなくてもそれを感じた時、「ああ、この人たちは本当に毎日毎日、主と共に毎日悔い改め、毎日新しい心で共に生きようとしている所なんだな」と、そう感じるようになるのです。
そうですか?そうではないですか?(はい。)
台湾開拓はテネシー清平の開拓より遥かに楽な開拓
だから台湾、皆さんは台湾に来て、エアコンの部屋があってトイレがあって水が出てきて電気があって、この子達は若者たちは、テネシーにいた時深い山に入って水もない、シャワーもない、トイレもない、テントで暮らさなければならなくて、エアコンもない。ありません。何もありません。電気と納屋だけがありました。ハハハ。とんでもない。
1年半の間、御父様の三代王権がテント生活で暮らしました。1年半。軍隊に行っても、長ければ30日、40日テント生活をしますが、1年半しました。
そうか?そうではないか?若者たち。
この台湾中国摂理がどれだけ楽か。部屋もたくさんあるし、電気も全部通ってるし、ボタンを押せば明かりがつき、トイレのボタンを押せばうんちが飛んでいく。
私たちはうんちの穴を掘って、森の中でうんちを全部しなければならなかった。
シャワーも、一日中テネシー清平の木を切りながら、李会長もシャベルを持って一日中訓師様と一緒にやったではないですか。
そうですか?そうではないですか?
シャワーもない。真っ暗な夜に30分運転してガソリンスタンドでシャワーをしなければならないではないですか、私たちは。覚えてますか?訓師様?(「はい。」)
(「昔の話はもう出ないかと思っていました。」)
(「小さな車に詰め込まれて」)
ガソリンスタンドに行って危険なおじさんたちが行き来してるのに。そこでシャワーを。(ヨナ王妃「シャワー室の開けたら、おじさんがいてすごく驚いたではないですか。」)
だから、女性には危険です。鍵を渡されて入って行ったのに、裸の黒人のおじさんがいたではないですか。
だから、シャワー室 も前になくて、その後ろにあるではないですか。あれは実際、危険ではないですか。女性、特に女性は危険です。
だから若者たちは、お前たちはわからない。この台湾がどれほど簡単な、お金持ちの開拓です。何だこれは?どれほど・・・冗談ではありません。
私たちは、テネシーで開拓した若者たちもすごく苦労しました。自分の人生の中で忘れることができない開拓訓練。そういう子供たちは本当に苦労しました。1年、2年、3年。
だから今回も、私たちが日本に行った時、ベイビー御父様の石の作品を準備しなければなりません。その子達の家庭に一つずつ私が分けなければなりません。テネシーで苦労した子供達の家族たち。
訓師任たちも、三家庭の夫婦が李会長と一緒に小さな部屋で、プラスチックのゴミ袋を壁にして立てていたではないですか。ビニール。それはゴミ袋だろ。ゴミ袋はビニールではありません。
ビニールで壁を作って、完全に私たちは旅人のように。
私たちのソ訓師ニムも一生懸命山で汲んだ水を、山水が出てくる水から、それをした後にその下にあるパイプまで繋いで、私たちはそのパイプがあるから、水が来たから、ものすごく大きな助けになりました。あれがなければ、山に200m登って水汲みに行かなければならないのに。
しかし、私たちの清平、テネシーの地からあんなにきれいな水が出ることがどれほど大きなめぐみだったか、実際に。
いやぁ、本当に。
さあ、子供たちもそうやって毎日、1年半もテント生活を送ったから、次に、生涯の間自然が怖くありません。
どこに行っても自分のテントや、全て失っても「私は森の中に住むことができる」という自信が生まれる。
人生が辛くなった時、そして、自分が放棄したくなった時、その感覚がまた来ます。「ああ、私は1年半も水もなく、水道もなく、トイレもなく、電気もなく、シャワーもなく生活した。今の問題なんて何でもない。」このようになります。
自分の経験がパワーになります。わかったか?若者たち。
お前たちががそこにいたら、1週間も生き残ることができないだろう。
しかし、そのような訓練を通して、子供達は皆強くなりました。技術もたくさん学んで。そこで少しはお金も稼いで。
たくさんではないがそれでも技術も学んで、大工の専門家たちも、その技術をたくさん学んで、工事をするシステムも学んで。