ダンベリー入監の御言
◆2026年4月15日 テネシー清平韓国語水曜礼拝
◆「私のために泣くのではなく、世界のために泣きなさい」<1>
權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師
翻訳minion監修fanclub
テネシー清平韓国語水曜礼拝 クォン教授 韓国水曜礼拝 2026年4月15日
はい、こんにちは。今日私がお話しする題目は、「私のために泣くのではなく、世界のために泣きなさい」です。
1.真の父母様の受難
皆さんはおそらく聞いたことがあるでしょう。真の御父様は、生涯で六度の無実の投獄を経験されました。日本統治下で一度、北朝鮮共産政権下で三度、大韓民国で一度、米国で一度、このように投獄され、その期間だけでも5年に及びます。真の御父様は、このような絶体絶命の危機の中でも、その苦難を大きな義を成し遂げるための試練と見なされ、神を慰められました。
特に、打たれて奪ってくるという天の摂理をご存知の真の御父様は、むしろ監獄を「神の愛をもっとも深く満たすための避難所」だとおっしゃいました。このような真の御父様の心情を、どうして測り知ることができるでしょうか。
結局、真の御父様は人類が受けなければならない蕩減を代わりに背負い、人類救済のための勝利の条件を立てられました。
2.ダンベリー刑務所入獄
真の御父様は1980年代、アメリカの救済摂理を積極的に進められました。しかし、これを阻止しようとする共産党などの反対勢力の攻勢に、アメリカ政府が加勢しました。彼らは真の御父様を、1981年10月15日、でっち上げられた脱税容疑でニューヨーク連邦地方裁判所に起訴しました。
当時、真の御父様は韓国におられました。そのため、米国の起訴に応じないで、米国に行かなくても何の問題もありませんでした。しかし、真の御父様は逃げることなく米国に渡り、法廷に出廷されました。
真の御父様は声明書を通じて脱税の容疑を否認されましたが、彼らは1982年5月18日、有罪判決へと押し込みました。その脱税容疑は、米国宣教資金10億ドルの利息10万ドルに対する税金1,000ドルでした。当時、韓国ウォンに換算すると76万ウォン程度でした。
しかし宗教活動は明らかな免税対象であるにもかかわらず、脱税したと無理やり主張して、このような判決を下したのです。真の御父様が76万ウォンを脱税するために嘘をついたという主張でした。すると、米国の宗教界で不当な宗教弾圧抗議集会が相次いで起こりました。
真の御父様は6月26日、米国国会上院司法委員会憲法小委員会の公聴会で堂々と無罪であることを明らかにされました。
私は潔白です。私はいかなる過ちも犯しておらず、ただ政府の権力乱用と迫害の犠牲者に過ぎません。全米各地の数千人の聖職者たちが、私に対する政府の迫害に抗議し、宗教の自由を守る名のもとに、一週間ずつ私と共に収監されることを決議しました。
神様は1971年、私に米国に来てキリスト教信仰の復興運動を展開し、この国の霊的基盤を回復せよと命じられました。米国において無信仰な生活の暗い霊的雰囲気と宗教的な偏狭が現れる時、霊的覚醒を起こすために私を遣わされたのです。
私自身は共産刑務所で死の直前の状況まで耐えました。私は、アメリカを霊的な死から目覚めさせるという神の御心のためであれば、むしろ刑務所に行くことを望みます。私の活動を理解してくださるなら、皆さんは本当に私が税金を詐取するためにアメリカに来たとお考えになるでしょうか?事件の発端は税金問題ではありませんでした。
これは、政府による教会内部の問題への侵害でした。私が有罪判決を受けたのは、私の宗教的な信仰と活動以外に、他のいかなる理由もありません。これから私は、教会世界本部がこの国のために続けて祈る、ダンベリー刑務所に移します。
私が神に感謝していることは、人類史上最も困難な時期に、私を宗教の自由を守る指導者として、アメリカの霊的覚醒運動に火をつける道具として用いてくださっているということです。神の祝福がアメリカに臨むことを祈ります。
1981年6月26日 米国国会上院司法委員会憲法小委員会公聴会
このような御言でした。1984年7月20日は、アメリカ史上最も恥辱に満ちた日として記憶されるでしょう。別の御言を見てみましょう。
私がダンベリーへ向かう時、世界中の統一教徒たちが「真の御父様がいなくなったらどうなるのですか」と言いましたが、「これから新しい世界が始まることを知らないのか?
ダンベリーの向こう側で天が何を準備しているのか、皆さんは知らないが、私は今日それを見ている。全米国民が頭を垂れ、世界の人類が屈服することができる希望の土台を築く太鼓の音が聞こえてくるのを、皆さんは聞いていないのか?
とおっしゃいました。
真の御父様は夢を抱いてダンベリーを訪れたのです。
次の御言を拝見しましょう。
真の御父様がどれほど恨が多いとしても、神様の恨に比べることはできません。たとえ刑務所に行くことになっても、滅びることはないのです。私が刑務所に行く日には、刑務所の壁を突き破って出てくるのです。
アメリカのダンベリー刑務所に入る日に、世界の統一教会員たちが来て、絶え間なく涙を流しすのを見る時、胸が詰まりました。皆さんはダンベリー刑務所の鉄の扉ばかりを見つめている。ダンベリーの壁の向こう側にある世界を見ることはできませんが、私はそれを見ている。
とおっしゃりながら、刑務所へ入られました。
解放のラッパの音が聞こえてきて、収穫できる収穫の歓声が聞こえてくるということです。
真の御父様は1984年7月20日、コネチカット州ダンベリー連邦刑務所に収監されました。ダンベリー連邦刑務所に入所される前、絶望に陥った食口たちに希望と勇気を与えて行かれました。映像を見てみましょう。
天のみ旨は、一つになるという意味だ。一つになることがみ旨です。堕落しなかったら、私たちの体と心が一つになり、男性の体と心が一つになり、女性の体と心が一つになり、二人が体と心の両方で一つになり、そのような家庭になれば、それは統一世界が現れたということです。この世界を見る時、世界は1つになっていません。それでは、この世界とは何でしょうか?男性と女性を拡大したところです。
それではこんにち皆さんの心を持って見る時、自分自身の心と体が生涯を通じて一つになったことがあるでしょうか?男性であれ女性であれ、自信のある人はいないでしょう。それが神が望まなかった世界であると、私たちは普遍的に結論を出すことができます。それゆえ、堕落した世界なのです。
ですから、一人の人がそのように一つになっている人が1人もいないため、そのような家庭はもちろんなく、種族、民族、国家、世界、天の地ももちろん存在しないということが結論です。このように見る時、一人の人の体と心が1つになれば、完全に一つになれば、神はその一人に対して神として現れたいということです。私たちはこのように考えます。
それでは二人が一つになれば、二人が一つになった神の主体として現れるだろう。このように見るのです。
それが一つの種族であれば、種族が一つになる時には、種族が一つになったそのような主体として現れるだろう。
このように見る時、全知全能の神であれば、この人間たち、私たち人間がこの地上に数億、数千万いたとしても、その数千万となった神、そのような人々の前に現れた数千万の主体として現れたいのが神だろう。
さて、それでは先生が行く道と先生がすることは何なのか、これが問題です。最終の目的は、世界人を一つにすることができる道を探すことが、神が愛する息子の立場にある息子が行かなければならない道、娘が行かなければならない道であると見るのです。
堕落していなければ、誰が一つにするのかと言えば、神が一つにするのではなく、人間が一つになって神に侍るということです。そうなれば、そこからは、千万億万であっても一つになるというのです。
ところが堕落によってすべてが壊れてしまったため、これは堕落を再創造歴史、復帰歴史としてため、これを誰が結んで一つの世界圏まで作り上げることを望まなければならないという神の立場になったという事実。サタンの世界であっても引きいて一つにしようとしたイエス様であったので、十字架にかけられ、ローマとユダヤの国がすべて分かれ、恩讐の前で全てが分かれることになっても、イエス様は一つになる心を持って、その望みを祈ったという事実を知らなければなりません。
それゆえ、十字架上で恩讐のために祈るという統一的な概念を持ったイエスであったからそうしたのだということを知らなければなりません。理解できますか?イエス様は十字架の時、一人、一人、一人、一人、一人で十字架にかかったのです。1人で、1人で。
その時はユダヤ教も失い、新しい理想的なキリスト教も失い、ローマも失い、世界も失ったが、今日のレバレンド・ムーンはどのような立場に立ったのか?レバレンド・ムーンがしていることは何か?
神が望まれることがわかるから、今日の統一教徒たちがしていることは何か。これをはっきりと知らなければなりません。皆さんのお父さんお母さん全てレバレンド・ムーンと引き裂こうとして四方から怒っています。ユダヤ教が引き裂こうとして、キリスト教が引き裂こうとして共産党が引き裂こうとして、米国政府が引き裂こうとして。それでも今「引き裂かれない」そうしているのです。今や、Unifier means united fire
レバレンド・ムーンは、アメリカが反対したが、アメリカを超えて、アメリカの理想の希望を持ち、これから探すことができる、米国までも受け入れることができる準備をしなければならない、そういうことです。昨日より明日は大きく、明日より1年後がさらに大きいでしょう。
そして神様の願いである40億の人類が一つになることができる道を整えることができれば、私はその道を選んで行こうとするのが先生の思想です。それゆえ、皆さんが最高裁の判決が出た時、「神様、次は何をくださろうとしているのですか」と言ったのですが、最高裁の判決が出た後は、キリスト教が統一教会に戻ってきたというのです。
今や、今回、法廷を経て刑務所へ行く道を通ることで、これから受け継ぐ大きな祝福とは何でしょうか?世界の人類が先生のもとへ戻ってくるでしょう。(拍手)
今や、私が行く道には、世界にない統一された別の家庭たちが付いてきており、私が行く道には統一された別の民族が付いてきており、私が行く道には統一された国が付いてきており、統一された世界が付いてくることを知っているのです。
それで、あの峠を越えて行くようになる時、その場所は統一された世界の群れが私を待っている場所であり、私がこの道を行くことは希望だと考えるのです。希望と歓喜の道に行こうとしているのです。
それゆえ、ここに集まっているムーニーたちは五色民族が集まって統一してついて来なければならず、家庭を持つ祝福家庭は家庭と一つになってついて来なければならず、あるいは民族と国に責任を持つ人は、一つになりついてきて、世界の全ての統一教徒が一つになってついて来なければならない道であることを知らなければならなりません。
ひたすら、こんにちがあることによって教一教会が統一することができる一つの伝統が父母様から息子や娘から、既成教会から、アメリカから、世界へと道を作って橋がつながっているという事実を私は知っています。
このように定めた道を出発しているこの日に、皆さんが涙で先生を送ってくれることは私は嫌です。涙を流すことは、先生の理想、10倍、100倍、先生が理想とするこの国とこの世界のために闘うための考えから涙を流したことは、先生も歓迎します。
心が痛み、悲しみがあるなど、私が出てきた時、千人を一つにし、万人を一つにして、会うことができる統一の役軍になることが、神様がこの時を選んで皆さんの前に、期待しているという事実を忘れてはならないというのです。
私は残された統一教会とキリスト教と残された世界が一つになることを信じ、刑務所で一つにできない群れたちを一つにする道です。そこも私たちの領土ですが、その領土に住む人々を一つにまとめる運動のために行くことをしかなければなりません。
ですから、あなたがたが外部で完全に一つにならなければなりません。1つになることができなければ、それを心配して、地獄の解放、地獄の門を開く解放運動もできないというのです。
ですから外で、皆さん達が外でまず統一されてこそそこが開かれるというのです。分かりましたか?これも私たちの領土です。
イエス様が十字架にかかった後地獄に行かれて門を開かれたのと同じことです。私は死にませんでしたが、生きて門を開いて行くそれと同じ最後の峠の道を行くので、これを開く日にはそこに復活が従ってくるというのです。
イエス様も十字架で死にながら「私のために泣くのではなくあなたの息子娘を、1つにならなければならないこの群れたちのためにしなさい」とおっしゃったのです。
イスラエルが1つになることができなかったため1つになった民族が、最も悲惨なローマと世界が1つになることができなかったので、未来に1つになるために悲惨状のためにイエスは泣きなさいとおっしゃいました。
ここをイーストガーデンでみことばを聞く群れは小さいが、今日のために皆さんが知らない外部の人たち、あるいは天を信じる人たちの中で涙を流す人がたくさんいるという事実を知らなければなりません。
どうして先生はその誰もできない世界的なことをしようと大騒ぎするのですか?このような時が来る時、世界が同じ道を行く涙の道を高くして新しい世界の祝福を受けることができるその日を見つめながら戦ってきたということです。
それで今から私が叫んだら全ての良心の心が飛び出して、1つになる運動が燃え上がっていくでしょう。もっと大きな統一の道を探していく道を前に 滅亡はありません。栄光と繁栄だけがあるという事実 を知らなければなりません。
この決心を皆さんがして、四方に足を広げて「私は今外に残って世界的統一運勢圏の前に足を置いてここにセメントの役割をする」と努力をしてみなさいというのです。
世界を見なさい。今は私たち統一教会もあって、キリスト教もあって、全世界に私たちの同僚がどれほどたくさんいますか?自信を持たなければなりません。
今までは無理だと嘲り笑っていたが今もそうですか?偉大なムーニーの主人を知って無理なことに自負心を持たなければなりません。それでは私たちの時のために新しく立ち上がらなければなりません。
個人の太陽に火をつけて立てることは家庭の太陽に火をつけて家庭的太陽を中心にして宗族的太陽に宗族的太陽を中心にして民族的太陽に、民族的太陽は世界的太陽にもっと火をつけて、このように大きな太陽の朝を迎えて出ていかなければならないというのです。
休む間がないというのです。悲しむ間がないというのです。涙を流す間が、失望する間が 。ただ前進、希望のために前進だけがあるというのです。今晩、私たちが苦しみますが私たちには前進だけがあります。
どうして?神様を解放するために。神様が思う通りに、そこから神様が思う通りに世界を主管することができる時代が来るために私たちは・・・。
神様が自由でいらっしゃればそこから地上天国が 成り立つことを私は知っているのでその道を探していくのです。その間私たちが精誠を尽くすことは全て 無駄なことではありません。それが器です。私がその器を抱いて前進していくことを知って、皆さん達が安寧にいることをお願いします。
そして先生はその器を持って先鋒に行くだけなのです。先生が先頭に立っただけなのです。皆さんのために行かなければならないというのです。
皆さんと私の間には世界統一という課題があります。その課題は皆さん達に任せて、私は地獄世界の門を開いていくのです。
統一されることであろう。統一されることであろうということが私たちの課題です。私たちはそのために前進するであろう。それを望む人は勝ちなさい。それによって前進するでしょう。アーメン!
はい。御父様は刑務所に行かれる前に、「悔しい」といった御言は口にされませんでした。悲しむ食口に希望と大きな勇気を与えて行かれたのです。