2020年7月12日
音声テキスト画面礼拝VIDEO
三代王権・サンクチュアリ教会
三代王権・こころの聖殿:三原
六マリアは聖殿キリスト人の誇り
<その一>
まず、3日行事の重要な説教の紹介をしたいと思います。
六マリアの蕩減路程があったからこそ、人類は3日行事を通して、サタンの子から神の子に、血統転換できるようなりました。
次のアドレスは六マリアも理解する上でもとても重要な二代王様の礼拝です。
◆イエス様の種、再臨主の種と六マリア
何故、神様は一人御子イエス様を送って下さったのか?何故、肉体を持って来られたのか?何故男性であるのか?再臨のイエス様は肉体は必要ではないのか?六マリアを理解するにあたりまずその理解が必要です。イエス様のその救いの具体的な目的を見ていきます。
その前に六マリアを説明するためには、「キリストの花嫁」ということを説明したいと思います。なぜなら、二代王様が「キリストの花嫁」を上げて六マリアを説明していおられますが、この「キリストの花嫁」というキリストの概念が分からないと六マリアはおろかイエス様を新郎とするキリストの概念も理解出来ないことになるからです。
家庭連合で、真の御父様よりも韓オモニを重要視するのは、イエス様を新郎であることを理解していなこと、つまり再臨主も新郎であることの意味を理解できていない事が大きいのです。
簡単にいえば教会はキリストの花嫁であり、当然ながらその信徒もキリストの花嫁であるということなのです。
ここに取り上げられていない「子羊の花嫁」「キリストの花嫁」に関する聖句を見てみます。
コリント人への第二の手紙
コリント11:2わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとりの男子キリストにささげるために、婚約させたのである。 11:3ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。
ここで明らかにパウロは、コリントの信徒達に教会が花嫁というだけでなく、「あなたがたは男子キリストにささげるために、婚約させたのである。」つまり、人々はキリストの花嫁であると言っています。
もちろんこれは二代王様が言われるように、男性までも花嫁にすることによりキリスト教が弱くなったという問題があります。キリストにおいて、本来男性はキリストをまといし者であり、勇敢な者であるからです。
ローマ人への手紙にこうあります。
ローマ人への手紙13章14節
ローマ書13:14あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。
先ほど紹介した金沢中央教会の説教にもありましが、「キリストの花嫁」に対してイエス様はその信仰姿勢によっては婚約しても花嫁になれないことを言っておられます。
マタイ25:1そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。 25:2その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
この「キリストの花嫁」を信仰姿勢として捉えるのは、キリスト牧師(神父)の一般的解釈です。
ところで花婿であるキリストはお一人です。
そのお一人の花婿に対する10名の婚約者、これは信仰姿勢では無く、実体的な救いのあり方であるということを二代王を言っておられます。
その御言を見てみます。
(注:二代王の御言は理解しやすいように文章を整えています。リンク先で確認下さい。)
二代王:イエス様はマタイの福音書25章で、新婦たちに対して答えておられるではないですか。10人の処女たちがいたが、5人の処女がイエス様の婦人になります。
マタイ25:1そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。 25:2その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
この話は何でしょうか?イエス様が再び来られるとき一人の女を捜すためではありません。全世界の女たち(を捜すためです)。
準備されている女たちは自分のイエス様の夫人になることができ、準備されていない女たちは主の新婦になることはできないのです。
カトリックの数多くの修道女たちは何故イエス様と結婚をするのでしょうか?なぜならキリスト教の歴史はキリスト教の神学は全て知っています。イエス様は新郎であり、教会だと言うでしょう?教会が新婦だと言います。修道女も数万名の修道女が、自分はイエス様と結婚したと思っています。
主は一人の女性を探すための摂理ではありません。主は全ての女性、全てのエバたちを、堕落したエバたちを神様の新婦に創ります。
全ての堕落した男性たち、天使長を神様の息子に創ります。
それが三日行事と祝福式の驚くべき役事です。
➡堕落したエバたちを神様の新婦に創りかえるわけですから、全世界の女性がその対象になります。そして全ての堕落した男性たち、天使長を神様の息子に創るということなのです。これが三日行事の内容なのです。
六マリアを理解するためには、この三日行事と使われる聖布の意義を知る必要があります。
それを次の御言で再確認します。
二代王:
このお父様の下半身。私達はお父様を恥ずかしいと思うのではなく、お父様のすべての歴史は神様が必要とされた歴史だということを知り、信じ、保護する天の勇士になるのか?それとも詐欺師達、偽りの信仰持つ者達、お父様を恥ずかしいと思っている偽りの信仰を持つ者達なのか?終末はこういう時なのです。
人々は知りませんがお父様はそのような歴史を歩みながら、その基盤の上にお母様を立てられました。そしてお父様は天の道を開かれました。それが三日行事なのです。
ローマ人への手紙13章14節
あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。
私達は主イエス・キリストの服を着なければなりません。
三日行事の時、聖巾で拭きました。
その聖巾で皆さんは罪を清めるものだと考えていましたが皆さんは間違っています。
その聖巾は主イエス・キリストでした。主である神様でした。それはお父様だったのです。皆さんはその聖巾で体を拭いた時、実は拭いているのではなかったのです。皆さんはキリストの服を着ていたのです。
➡ 三日行事の時、聖巾で拭くということは、キリストをまとうということです。それは、キリストにより血統転換される、サタンの血統から神の血統に産みかえられるということです。つまり、聖巾で拭くということは、キリストに繋がれキリストの血統になるということなのです。そのような血統をもたらして下さるが故にキリストは新郎なのです。
キリストが神の血統をもたらす新郎であることを、もっと端的に表す聖句があります。それが次のヨハネの黙示録19章5節、イザヤ書53章5節なのです。
(注:理解しやすいように文章を整えています。)
「ヨハネの黙示録19章15節」
19:15その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
19:16その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。
(韓国語直訳)19:16その服とその脚に名前が書いてあったが「萬王の王、萬主の主」と印されていた。
二代王:ヨハネの黙示録19:16に、万王の王、万、万主の主(日本語の聖書では「王の王、主の主」)という名が脚(日本語の聖書では「もも」)に印されて(書かれて)います。
もも、脚という単語はコイネーギリシャ語でメロス(méros)です。ヘブライ語で、「ヤレク」です。
ヤレクの意味は陰嚢、聖書で太もも、ある場合ヤレクと言う時、これは種(精子)が詰まっている陰嚢の事です。
ですから主の陰嚢に、主の種に万王の王、万、万主の主(「王の王、主の主」)という主のアイデンティティ(自己存在価値性)が、刻まれていたということです。
主の万王の王というアイデンティティはまさに神様から来るのです。
そのアイデンティティをイザヤ書53章を見てみます。
キリストの私達を救うために受難の道を行かれる場面を克明に預言している個所です。
イザヤ書53:5しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
(韓国語訳:その種を見ることができ、その命をながくすることができる。その手によってヤハウェ様が喜ばれるみ旨を成し遂げられる。)
英語聖書KJV訳:
Isaiah 53:10 Yet it pleased the LORD to bruise him; he has put him to grief: when you shall make his soul an offering for sin, he shall see his seed, he shall prolong his days, and the pleasure of the LORD shall prosper in his hand.
彼が種(子孫)を見るようになれば種を見るようになる。
(日本語聖書「子孫」、韓国語聖書「種」英語聖書「種」)
その方を通して、ヤハウェ様が、神様が喜ばれる御旨が成しとげられる(かつ主のみ旨が彼の手によって栄える)。このように出てきます。
➡ このイザヤ書53章10節の意味は「イエス・キリストの種(精子)を受けた子孫を見る事ができ、ヤハウェの神が喜ばれるみ旨を成し遂げられる」と言う事なのです。
ですから、イエス・キリストは死ぬために来られたのではなく、神の王国、神の種、神の血統、神の家庭、神の王権を立てるための使命があったということです。
一般キリスト教神学では、このような事には触れもしません。話もしません。ところが、まさにイザヤ書53章10節を見るならば、イエス・キリストの種が出てきます種。キリストの血統の預言が出てきます。
そのように有名なイザヤ書53章ですがユダヤ教では、イザヤ書53章は禁断の章にされています。なぜならユダヤ教では、これはあまりにもイエス様と似ているからユダヤ教はこれが嫌いなのです。
この53章は苦難を受ける主に対しての預言ですが、しかし、続けて読んでみると、10節でイエスの種について出てきます。
男性から出てくる種。その種を通じて女性が妊娠します。その次に子孫が出てきます。
ですから皆さん、私たちは聖書を深く掘り下げれば掘り下げるほど、このような驚くべき秘密と内容をさらに発見するようになります。
➡ つまりイエス様の血筋、血統が神の目的であり、イエス様が肉体を持っておられる意味であることを私たちは発見することが出来ます。
実際、神様の摂理は血統の戦いではないですか。聖書を読むと、全て血統の戦いです。タマルの路程を見たら、自分の義父と寝て、義父の子供を産むではないですか。ユダヤの伝統で、そのようにしたら死刑になります。死刑!
しかし、神様がどうしてそのようにさせましたか?
なぜなら、これは神様の目的、血統が絶える非常事態になったので、タマルにそのように神様はさせられたのです。
これは「神様の目的論的な倫理の一時停止」、神様の律法を超える非常状態に、神様の目的を追求する非常状態なのです。
これはお父様の六マリアの問題と同じです。
お父様が、「お父様の気持ちと六マリアの問題を理解したければ、タマルの道を理解しなければならない。」とおっしゃいました。
六マリア問題の摂理を理解したければ、タマルの道を理解しなければならないということです。
➡ 二代王が言われる「神様の目的論的な倫理の一時停止」その観点で見るのならば、アダムとエバの堕落とは、つまりアダムとエバの堕落以降の人類は神様の目的、血統が絶える非常事態にあるという事になるのです。
この観点でみると人類歴史とは「神様の目的論的な倫理の一時停止」、神様の律法を超える非常状態にあるのです。
神様の目的を追求する非常状態です。では神様のその非常状態で成さなければならい神様の目的とは何でしょうか?
つまり、その神の目的、神の血筋、神の血統を成すのがイエス・キリストの目的であるという事なのです。
このイエス・キリストの目的を子供達にも子孫にも伝えていかなければならないのです。
それが六マリアの摂理であるという事なのです。
その六マリアの摂理がどうして必要なのか六マリアの真実を次に見ていきます。
▼六マリアの真実
(注:理解しやすいように文章を整えています。)
二代王:六マリアに関してどう思うかと、人々はそれをタブーとします。私がそれを言ったところ子供たちがみんなオドオドします。
これは親が子供と話すべきものでした。タブーにすべきものではありませんでした。
國進様がいつも話されるのですが、まずテーブルに三角形の絵をかきます。三角、ピラミッドを描いてピラミッドの頂点、時代の初めに最初はアダムとエバです。ピラミッドの一番下に子供がたくさん出来てたくさん出来ます。大きい底辺ベースが出来ます最初は二人。今は76億人になります。
ですから三角形の頂点ではなく再臨主が底辺に再び来られて、対処しなければならない。
何のためでしょうか?血統のためです。血統です。血統が鍵です。
(注:理解しやすいように文章を整えています。)
二代王:ですから、すべての女性の責任は堕落したエバとして、再臨主を通じてキリストの新婦になり、再臨主の新婦にならなければなりません。
その次に全ての堕落した男達は天使長の立場で再臨主を通じて、神様の息子にならなければなりません。
ですから全世界の女性たち、35億の女性たちは再臨主の新婦にならなければなりません。再臨主は女性たちの新郎だからです。そして35億の男性が天使長から息子にならなければなりません。再臨主は真の父として来られたからです。
どのようにして?
血統を通して。血統で連結されて。
サタン圏において神圏に養子になるのではなく、神様の直系の息子、娘にならなければなりません。
信仰だけでなく、神様の血筋によって、種、血においてです。
ですから、再臨主は実際、神様はすべての女性が神様の夫人になりながら、産まれた子供たちが神様の息子にならなければなりません。
ところで、それは肉体的に不可能な内容です。
ですから、一人の代表として再臨主、真のお父様が夫人を立てられるということなのです。
➡ 神様は「一人の代表として再臨主、真のお父様が夫人を立てられる」ということはどういうことでしょうか?國進様はこれをより直接的に端的に次のように言っておられます。
國進様: 六マリアについての質問ですが、簡単です。
お父様は「花婿」としてこられました。エデンの園では花嫁はエバ一人でした。
エバだけが神様と相対していればよかったのです。
問題はこの世界は個人レベルから拡大して世界まで殖え拡がったことです。何十億の人が存在する世界になっていることです。メシアが来られるときすべての女性、何十億という女性を一人に代表させるということをしなければならないわけです。
これがお父様の抱えられた問題です。お父様は御一人なのにエバは30億人もいる。世界を救うためにはその30億の女性が真のアダムの種を受けなければならないのです。それによって神の血統が根付くからです。
ですから六マリアは30億の全女性を代表する立場として立たされるわけです。それによって世界を救うことができるのです。すべての女性が真のアダムの精子を受けることができるようにすることが六マリアの摂理の重要性です。
お母様の立場というのは「花嫁」の長、代表だということです。
神学的にいえばその花嫁の長は最もサタン的な血統から迎えなければならない。神様の血統は、神様の精子を最もサタン的な子宮を通じて産み出さなければならなかったのです。
六マリアの摂理は再臨主がエバを復帰するために避けることができない路程であったのです。エデンでは一人であったエバが30億になっていたからです。
神の摂理の中で再臨主として越えなければならない摂理であったということなのです。
➡ 神の摂理の中で再臨主として越えなければならない摂理、それがいわゆる六マリアの摂理ということなのです。即ち六マリアは30億、40億もいる全女性の全てが、エバとして復帰出来るようにする具体的な条件を立てるための数理的な内容と、基準的内容があったという事なのです。
その具体的条件の内容は明らかにされていませんが、それなりの具体的数、基準、条件があったという事なのです。
そして、この再臨主がエバを復帰する条件の内容は、その対象となる選ばれた女性達に、はっきりと伝えられたということなのです。もちろん韓氏オモニにも伝えられました。
その内容を次に見てみます。
▼2015年5月10日 「キリストを身にまといて (六マリアをどう説明するのですか。)」より
(注:理解しやすいように文章を整えています。)
二代王:メシアはサタンの血統を断つために来られたのです。
サタンの血統を切るために剣をもって来られたのです。それが目的でした。
神の血統をもつ千年王国を確立させる最も早い方法はキリストを送り花嫁を迎えることです。
キリストが全ての女性を花嫁として迎えることです。
そしてすべての女性が子供を産むことです。
そうすることでサタンの血統を切ることができます。
これがサタンの血統を消し去る最も早い方法なのです。
だからメシアは花婿として来るというのです。メシアはサタンの血統を切る役目をもっています。それを断ち切らなければなりません。神様が被造世界を主管できるよう、サタンの血統を切らなければなりません。
聖賢夫人:左から、マホメット夫人 李貞玉님、ソクラテス夫人 金明熙님、イエス夫人 張貞順님、孔子夫人 李京俊님、アウグスチヌス夫人 姜賢實님(後の康賢實真のお母様)、円内 釈迦夫人 崔元福님
ソウルでお父様の自叙伝を出版された時、お父様は4大聖人の妻(相対者)たちを呼んで前に来させました。イエス夫人、ブッダ夫人、ムハンマド夫人、孔子夫人、全てです。お父様は自叙伝はご自分の生涯路程の80%しか描いていないとおっしゃり、4大聖人の妻を前に出されました。
それらの婦人は六マリアだった方たちです。誰も悟りませんでした。
韓お母様がお父さまに嫁がれた時、お父様はお母様に六マリアについてはっきりと説明されました。
そして韓お母様はこの路程を歩むことを同意されたのですが、韓お母様がこの(六マリアの)問題で苦しんでこられたのです。
➡ この聖賢夫人たちが、全ての女性たちがエバとして復帰出来るようにする具体的な条件を立て下さったのです。それはタマルの信仰、マリアの信仰以上の、神様の血統を残すための、神様の律法倫理道徳を超える非常状態にある壮絶な信仰でした。
そのような壮絶な信仰を立てて下さったがゆえに、これ以降は、そのようなことはする必要なく、神様の律法倫理道徳である男女唯一の絶対性の中で、再臨主をメシアとして受け入れ三日行事を行い聖布で体を拭くことにより、キリストをまといキリストに繋がれキリストの血統になれるようになったのです。そのような血統をもたらして下さるが故にキリストは新郎なのです。
ですから、この六マリアの方々にはタマルの信仰を私たちは讃える如く、いや、それ以上に私たちをサタンを分立し、サタンの血統から神様の血統に産みかえる道を開いて下さった事に感謝しなければならないということになるのです。
そのように見るならば、韓氏オモニは真の母の立場、つまり再臨主の正妻ですが、六マリアの一人だと言えます。
ところが、真のお母様として立てられたこの方は、このこと故に悩み苦しんで行きました。
恐らくは、どのような信仰のある女性でも、越えられない愛と心情の十字架であったことでしょう。
しかしその苦難の愛の十字架は、サタンを分立し、サタンの血統から神様の血統に産みかえるために絶対的に必要な愛と血統の蕩減復帰路程であったのです。
天は、お父様はこれを願われたのです。
残念ながらこの愛の十字架を韓氏オモニは越えられず、この愛の十字架は積年の恨みとなってしまい、この六マリアの内容はお父様のキリスト性と、再臨主の種を否定し、ご自分がそのキリストの目的であるその血統さえ否定し、法統を立てることになったのです。
また、この内容を理解し勝利してくださった六マリアの方々が、韓氏オモニが失敗した後の真の母として立つ候補であったのですが、康お母様だけが最後まで勝利され、このような大きな功労を立てた他の方々は韓氏オモニと同じ道を選ぶという大きな悲劇にもなってしまったのです。
ですから康お母様が六マリアの愛と心情の十字架を越え、ただお一人、タマルの信仰を勝利してくださり、完成祝福を私たちに下さった、そのキリストの新婦としての信仰がどれ程偉大で感謝であるのかというのです。
それはイエス様がどのようにして生まれになられたのか、その女性の役割、キリストの新婦とは何であるのか、康お母様が誰よりも理解しておられたからと言う事が出来ます。
一方、他の六マリアの方々は康お母様のように信仰を立てることが出来ず、失敗した立場に立ったということになりますが、ここに重要な問題が発生します。
真のお父様とイエス様は神様と一緒にキリストの役事を復活され聖霊をもって役事しておられます。
そうでありますから、本来であれば、最初に来られた救世主イエス様の奥様が、イエス様に対する新婦としての信仰、真のお父様に対する信仰を、康お母様のように立てなければなりません。
ですから、イエス様の妻となられた張貞順先生が三代王権に戻ることが出来なければ大変な問題になることがわかります。
康お母様は同じ六マリアとして張貞順先生に二代王と國進様の聖殿に来ることを望まれましたが、受け入れられなかったと聞いています。
しかし、いつまでも時が許すということも無いでしょうから、それが叶わなかった場合の新しい祝福もあるかも知れません。
時の時までには、張貞順先生が真のお父様の権限圏に戻ってこられることを心より願います。
▼20年5月3日 英語日曜礼拝 ◆六マリアの真実<全編>文亨進二代王
(注:理解しやすいように文章を整えています。)
➡ 神様が、その神様の血統を残すため、つまりイエス様が生まれるようにされた、神様の律法倫理道徳を超える非常状態の血統的内容を次に見てみます。
二代王:タマルもイエス様の4人のお母さん(タマル、ラハブ、ルツ、バト・シェバ)の一人です。バト・シェバ(バティシバ)はダビデの愛人的な立場です。彼女の血統からイエス様が来ます。
マタイ書1:1アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
1:2アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、 1:3ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、 1:4アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、 1:5サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、 1:6エッサイはダビデ王の父であった。
ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、
➡ 簡単にイエス様に至るマタイによる福音書に出てくる女性たちを見てみます。
・タマル:ヤコブの血統を残すため義父ユダを騙しゼラとベレツを産んだ
・ラハブ:エリコ城にヨシュアの斥候を受け入れた娼婦
・ルツ:モアブ族、異邦の民
・バト・シェバ:ダビデ王の部下ウリアの妻、ダビデが妊娠させウリアを殺し妻とした。
このように神様の律法倫理道徳を超える非常状態の女性たちです。このような女性たちの功労により、この血統からメシアである神の一人御子キリスト・イエスが来られたのです。ですからのこの四人の女性たちがイエス様のお母さんということが出来るのです。
そして、このことは12支派をメシアが作らなければならない内容につながるのです。
二代王:神様が不倫が良いと言っているのではありません。ある所で神の王権の一族が消えてしまう。その時には血統を続けないといけない。血統がなくなると王権の目的は達成されません。
ですから問題は私たちのアイデンティティ(自己存在価値性)が分からないことです。ですから簡単に低いレベルのイデオロギーに惑わされます。
私たちの国も同じです。もしそういう壮大な危機がある時、戦時時代の緊急要望がある時、普通の論理は適用されません。
お父様は、いつも12支族をまた作らないといけないと教えていました。
ですからこの女性たちは、お父様と契約を結びました。彼女らは知っていたはずです。主の妻になれるので、自分の自由意思で結びました。そして12人の子供を作ってイスラエルの12支族を作る責任もありました。
1983年に言われた事なのですが、御父様の相続者によって憲法が発表され王国を作ると言われました。そしてそれは韓マザーの子供が12人全員産まれた後に言われた言葉です。私は79年に生まれ、妍進は81年、情進は82年。タイミングが興味深いのです。
ですからサタンがお父様の血統を止める事が出来たのなら今見る(天一国)憲法を見ることができません。その王国の一部となる国を見れなかった。一生見る事はなかったのです。それが現れたのはお父様のおかげです。12支族を作ってお父様の血統を繋げないといけなかったのです。
➡ このような神の血統を残すための壮絶なユダヤ・キリストの内容があったこと、そのようなサタンが讒訴できないサタン血統圏から神血統圏への道を開いてくださる道が、タマルの神の血統復帰の内容、六マリアのようなイエス様の神の血統復帰の内容があったということ、その事によって、私たちはキリストに繋がれキリストの血統になれるようになったということを理解すれば感謝しかないのです。
そのようなお父様の神の血統復帰の内容があったがゆえに、私達はユダヤ・キリストの神様の血統に授かることが出来た、そのような壮絶な神とサタンとの血統の戦いの末に神の系列に加わることができたという、それが故に私達はこのキリストの血統のアイデンティティを誇りに思うことができるのです。
この重要なアイデンティティ(自己存在価値性)を確立しなければ簡単に、一般的倫理やイデオロギーで惑わされ信仰を失ってしまうことにもなるのです。それどころかそのような大切な自分の神の血統性を簡単に捨てることにもなるのです。
六マリア、その事に心から感謝し、必然的にそのようにして接ぎ木された、このキリストに繋がれキリストの血統になったというアイデンティティ、キリストの神様の血統のアイデンティティを大切にしていかなければならないのです。
ですから12人(13人)の子を残しその天が願われた12支派の基準を勝利して下さり、お父様の相続者が天一国憲法を発表し王国をつくることが基準を立ててくださった、そのような相続者を生んでくださったということ自体において、天宙の堕落をしたといえども韓氏オモニへの感謝はあってもよいのかも知れません。
しかし極めて残念ながら、本来、相続者となった真のアベルと真のカインを中心に集まるべきご子女様たちは、韓氏オモニとともに、このキリストの神の血統圏からサタン主管圏の血統に堕落してしまったのです。
ですから三代王権を生んでくださったことは感謝であっても、その後の裏切りにより人類にもたらされた災禍の罪の重さが減免されないことは理解しなければなりません。
それは正にイスラエル民族の12支派の内、北朝イスラエル10支派が歴史から消え去り南朝ユダ2支派だけが残ったことと同じ摂理歴史が起きたということなのです。
このようにイスラエルの12支派の観点からタマルからイエス様に至ったことを見れば、御父様の六マリアという内容が、どれほど重要であり感謝で有り、キリストに繋がれキリストの血統になったというアイデンティティが誇りであるかということが分かります。
そしてお父様の六マリアの中からエバの堕落以降、全人類の全女性が果たせなかった「ルーシェルの誘惑、嘘に屈服してしまったという、全人類の堕落の原点の原点」を勝利した女性、つまり完成エバが、この六マリアの中から誕生することになるのです。
同時に先ほど言いましたように、イエス様の相対者、妻が重要です。イエス様の妻となられた張貞順先生がお父様の権限圏に戻ることが出来なければ、お父様は、新しい次の摂理を展開をするしかなくなるのではないかと思います。
▼20年5月3日 英語日曜礼拝 ◆六マリアの真実<全編>文亨進二代王
《 真のお父様の指示により新たにアウグスティヌスの新婦となられた友美さん 》
友美さんも真のお父様の姿がわかる霊能者です。
➡ 康お母様も六マリアの一人でした。
そして韓氏オモニは真の母の立場に立ちましたが、韓氏オモニもキリストに繋がれキリストの血統を人類にもたらすという意味では、六マリアの一人ということが出来ます。
天のお父様はその六マリアの中から、完成期真の父母の、真のお母様として勝利するようにされたということ、それはタマル、ラハブ、ルツ、バト・シェバ、そしてマリアの路程を見れば、このような女性たちの心情の十字架を越えていくべき立場が韓氏オモニの立場、責任分担だったのです。
ですから完成期真の父母としての、完成期の真の母に至る路程で、これを越えられず真の母を担った中心人物が失敗した場合、その残りの路程を歩む次の真の母は、六マリアの中から真の母になる方が選ばれるしかないということが分かります。
何故ならば再臨主との愛の、その心情の十字架を越えて、ただひたすらにイエス様の新婦であり続け、その貞操、その信仰を貫いた女性でなければ、真のエバとなり、真の母となることが出来ないからです。
「ルーシェルの誘惑と嘘に屈服してしまったという、全人類の堕落の原点の原点」を勝利するということが、そのようなサタン屈服の路程が、どれ程の愛と心情の十字架を越えなければならない想像を絶するに余りある内容です。
真の父母としてお生まれになた真のアダムが、完成期の真の父母になるためには、エバの責任分担で「ルーシェルの誘惑と嘘に屈服してしまったという、全人類の堕落の原点の原点」を勝利したエバ無くして、完成期の真の父母になることは出来ないのです。
その意味において、全人類を救うことが出来る、生命の書入籍祝福式を私達にくださった、その六マリアというエバの十字架の道をキリストの花嫁として完全に勝利された康お母様がどれほど、全人類にとって、とくに女性たちにとって、全女性たちの代わりとなって、そのような壮絶な女性の道を歩み最後までキリストの花嫁の信仰と貞操を貫いた康お母様が、どれ程の天宙的エバの勝利であり、感謝でしょうか。そのような康お母様がどれ程の誇りでしょうか。
同時に、康お母様と同じ位、イエス様の相対者、妻が重要です。しかしイエス様の妻となられた張貞順先生が今のところ三代王権に来ようとしません、祈って行かなければならない内容です。
そのような真のお母様の観点から見ても、私達がキリストに繋がれキリストの血統になったというアイデンティティ(自己存在価値性)がどれ程の誇りであるか、どれ程の感謝であるかということなのです。
ですから一般倫理か見ると破廉恥であっても、そのような神様の律法倫理道徳を超える非常状態でなければ人類をキリストに繋げキリストの血統することができなかったという血統転換において、そしてそれ以降、愛する夫と妻が絶対性の愛を育むことが出来るという男女の真の愛において、この六マリアはむしろ、大いなる感謝であり誇りなのです。
そのようなキリストの血統になったというアイデンティティがヨハネの黙示録に書き記されています。
私達はヨハネの黙示録をもって、キリストに繋がれキリストの血統になれたというアイデンティティ(自己存在価値性)を私達は誇りに思うことができるのです。
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