2024年11月11日月曜日

キリスト再臨アドベント27 ◆マルクス主義のパラドックス: 善意と恐ろしい結果 ◆文信俊三代王: The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

キリスト再臨アドベント27

マルクス主義のパラドックス: 善意と恐ろしい結果

文信俊三代王

翻訳&提供:Michiyo H.

28. (20241023) 

The Paradox of Marxism: Good Intentions, Horrific Outcomes


マルクス主義のパラドックス: 善意と恐ろしい結果


 

[アドベントへようこそ!今日、マルクス主義(とその伸張)を簡単に見ていくと、血なまぐさい専制体制への一貫した軌跡が見えてきます。パラドックスは、この破滅的な結末がしばしば善意から始まったということです。]

  

「各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて/能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」(カール・マルクス)

 

搾取的とされる資本主義社会と対比し、マルクスが思い描いたのは、個人の貪欲さに縛られることのないユートピア的な同胞団、無私の同胞団でした。

そこでは、平等と無欲と慈愛に満ちたイデオロギーとして組み立てられた場合、すべての人が平等であることを可能にし、誰もが共同で財を分かち合うのです。

 

多くの人々がマルクス主義や共産主義に共感するのは驚くべきことではありません。

マルクス主義や共産主義は、すべての社会が抱える不正や貪欲、不平等を解決する方法として示されているのです。

 

しかしながら、ここに問題があります。

これらの信念は理論上はよく聞こえるかもしれませんが、これらの発想が実行に移されるところはどこにおいても、それはあらゆる場合において、より多くの不平等の苦しみと死をもたらし、歴史的に見て、それは完全にディストピア(反理想郷)社会を作り出してきました。

これらの考えが実践されたら、多くの人々が実現すると信じているユートピアの正反対です。

 

こうしたイデオロギーが常に失敗してきた主な理由を見てみましょう。

まず、ビデオの冒頭の言葉から始めましょう。

 

「各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて/能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」(カール・マルクス)

 

According to Who?


この主張の問題は、誰があなたの能力を決定し、誰があなたのニーズを決定するのかということです。

これらのイデオロギーでは、神が各人に与えたユニークな才能や個性、能力を完全に無視しています。

国家が、あなたの能力が何であって、あなたのニーズが何であるのかをコントロール(管理)するのです。

言い換えれば、国家が経済を完全にコントロールし、その資源をすべての人々に均等に分配しようとします。

このこと自体が問題なのです。

国家といえども、それぞれの願望を持つ人々で構成されているからです。

 

そのため、多くの場合、少数の権力者に財貨が一元管理されることになり、大衆は単なるパン屑に不満を抱くことになります。

さらに、経済を自然に活性化させるような、財貨の自由な交換が行われることもありません。

市場の中央政府による計画経済は常に経済の停滞をもたらしてきました。

その大きな理由のひとつは、人間の責任に対する動機付けを無視することにあります。

 

例を挙げましょう。

ジョーという人物は、長年たゆまぬ努力と練習を積み重ね、物事をわかりやすく伝える能力で、ついに全国的に著名で非常に評判の高い教師になりました。

ジョーは多くの生徒を教えながら、自分の家族を養えるだけの経済的安定も得ています。

一方、ビルはジョーと同じ機会があるにもかかわらず、意欲に欠けているため、青春を無駄に過ごすことに決め、意図的に失業したままです。

 

この例では、ジョーの勤勉さと先見の明と行動力によって、ジョーの方が社会に貢献していることは明らかです。

純粋に経済的な観点から、ジョーもビルも政府から同額を支給されるとしたら、それは公平でしょうか?

特に、彼らの行動が彼らを今に至らしめたのだとしたら。

もちろんそうではありません。

 

しかし、共産主義のもとでは、まさにそれが起こっているのです。

そうなれば、ジョーもビルも、より効率的な技術革新に励むインセンティブ(刺激や動機)がなくなってしまいます。

誰もがより広いコミュニティのために常に犠牲を払うだろうことを前提とするしかありません。

 

これは、緊密に結びついた小さなコミュニティではうまくいくかもしれませんが、

この共同体的共有をそれ以上の場所において推定することは、人間はある目標に到達するためのインセンティブ(刺激や動機)があればやる気が出るものなので、人間の本質を無視することになります。

 

共産主義にはもともとインセンティブ(刺激や動機)がないため、もし、働かない人が働く人と同じ成果を受け取るのであれば誰も働く理由がありません。

インセンティブは本質的に利己的なものであるとも言えますが、自由な物質交換と結びついたインセンティブは、ジョーがそうであったように、莫大な利益をもたらすことができます。

 

共産主義下の問題をさらに悪化させるのは、経済の一方的な支配は、最終的に市場の暴落を招くことです。

いわゆる専門家会議が経済全体を効率的にコントロールするのは不可能です。

これらの専門家たちは実際の現場経験がありません。

 

それは単にお金だけの問題ではなく、経済崩壊の危機に瀕すれば、多大な人的被害が発生することを言っているのです。

こうした悲惨なイデオロギーは、常に壊滅的な食糧不足と飢餓を引き起こしてきました。

何百万人もの人々を文字通り餓死へと導いてきたのです。

 

世界史上最悪の飢餓が起こったのも不思議ではありません。

[飢餓

中華人民共和国大飢饉 1959-1961年

ホロドモール(ウクライナ飢饉) 1932-1933年

ロシア飢饉 1921-1923年

クメール・ルージュ 1975-1979年]

 

共産主義によって進められた過酷な政策のために、食料を奪われた人々は必然的に泥の木の皮を食べるようになり、最も極端なケースでは最後の手段として自分の子供さえも食べなければならなくなります。

 

しかしながら、マルクス主義とその伸張の悲惨な結果は、それだけでは終わりません。

権力の中央集権化という理念のために、党に反対する意見を言う者を黙らせ踏みにじるという、不当な権威を統治機関は常に振りかざしてきました。


 

まず最初に、手に負えなくなる可能性のある国民の武装を解除する目的で、防衛武器に関する規制を可決します。

国家が事実上武器を独占している現在、国民を滅ぼそうとする政府に対して、国民がそれと等しい力を持って対抗し、彼ら自身を守る手段はありません。

その結果、銃口を向けられた市民(国民)は、国家が強要するものには何でも従わざるを得なくなります。

 

私有財産が廃止されるだけでなく、土地を守り維持する市民の責任も否定されます。

この時点で、秘密警察は国家と連携して働き、メディアのプロパガンダは恒久的な監視国家を設立するために展開されます。

抑圧的なディストピアを維持するために、国民のすべての言動を監視し、反革命分子とみなされた人々を弾圧するのです。

あなたが犯罪を犯していなくても、関係ないのです。

 

誰でも偽って逮捕することができるように、国家は意図的に曖昧なテロ法を成立させることができます。

これは、スターリンの秘密警察長官の悪名高い言葉の背後にある考え方です。


 

「人をくれ、そうすれば彼に合う罪状があるだろう/被告に罪状をあてがうの意」 -ラヴレンチー・ベリヤ

(ヨシフ・スターリン率いるソ連秘密警察長官)

 

一度逮捕されれば、その結果、政府によって用意された汚職裁判官と偽証人たちによって、いわゆる 「国家の敵 」となり、処刑されるか強制収容所に送られるか、あるいは、再教育されるか死ぬまで働かされることになります。

何百万人もの人々がまさにこのような方法で、彼らの夢や物語や人生は不正の大津波の中で暴力的に一掃され、忘れ去られてしまいました。

 

これが、共産主義が実行に移されたところで起こってきた、恐ろしい現実です。

結局、マルクス主義と類似したイデオロギーは、常に苛酷な監視国家を育てます。

そこでは、反体制派が情け容赦なく追いつめられ、不当に投獄され、残酷に処刑されるのです。

 

共産主義とマルクス主義の信念は、しばしば善良な動機から生まれることもありますが、地獄への道は善意で舗装されていることが多いのです。

この特別なケースでは、社会的影響があまりにもひどく、血なまぐさいものであり、無視することはできません。

共産主義は人間の苦しみを終わらせると約束しますが、実際には、人間の苦しみを前例のない規模に拡大し、地上に地獄の王国を作り上げるに過ぎないということを認識するのが重要です。

 

私たちは常に、執拗で独創的な方法に警戒を怠らないようにしましょう。

マルクス主義は社会に浸透しようとしています。

この破壊的で血なまぐさいイデオロギーの導入から自国を守ることは、われわれの義務です。

 

それでは、また次回。

ご覧いただきありがとうございました。祝福された一日になりますように。

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