2021年3月29日月曜日

お父様の生心は神の生心、 聖霊は対象だが男性◆キングスリポート3月23日,27日(2日分)

キングスリポート3月23日,27日(2日分)


2021年3月23日キングスリポート

お父様の生心は神の生心、

聖霊は対象だが男性

曖昧だった夜の神から来たという意味と聖霊が対象であるという意味を、明確に簡単に理解出来る素晴らしい神学です。


The King's Report 2021/03/23 (火)

英韓翻訳:イ・ヒジョン 韓日翻訳:yuko.morita  編集fanclub

御言:文亨進二代王


おはようございます。キングスレポートへようこそ。 

今日は2021年3月23日火曜日、天暦で天基12年2月11日です。

皆さん、今日、怠惰を殺す準備ができたら、この新しい鉄杖王国のマグカップをご覧ください。

「Thou Shall Kill Sloth(怠惰さを殺せ)」という文句が書かれています。今朝、怠惰を殺す準備ができたら #murderslothと書いて挙げてください。



そして新しいウェブサイトrodofironministries.orgを確認していただき、この新しいBlack Robbed Regiment (黒い服を着る牧師と祭司長の部隊)フードティシャツを確認してください!

最も愛国的な内容です。真の霊的な武士たちです。


ついにウェブサイトに黒のBlack Robbed Regimentフードティシャツが登場しました。一度見てみましょうか?私の娘の強くて素敵な姿です。続けてご覧ください。バイクがあります。とてもいいですね。


このサイトの背景も黒に変えて写真がよりよく見えるようにしようと思っています。もうすぐウェブデザイナーとミーティングがある予定です。楽しみにしてください。この愛国的な商品を選んでください。

「Murder Sloth(怠惰さを殺せ)」と書かれたマグカップとフードティシャツを確認してください。


今日のリマの御言葉は、テサロニケ第一の手紙1章です。


1 パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

2 わたしたちは祈の時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝し、

3 あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。

4 神に愛されている兄弟たちよ。わたしたちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っている。

5 なぜなら、わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである。わたしたちが、あなたがたの間で、みんなのためにどんなことをしたか、あなたがたの知っているとおりである。

6 そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、

7 こうして、マケドニアとアカヤとにいる信者全体の模範になった。

8 すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので、これについては何も述べる必要はないほどである。

9 わたしたちが、どんなにしてあなたがたの所にはいって行ったか、また、あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり、

10 そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。

(テサロニケ第一の手紙1:1-10 

KVJキングジェームズ聖書(日本語は口語訳55年から。) )


パウロは5節と6節で、聖霊について2回触れます。

1:5 なぜなら、わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである。わたしたちが、あなたがたの間で、みんなのためにどんなことをしたか、あなたがたの知っているとおりである。


1:6 そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、


これはとても興味深いのです。

先日、子どもたちと立派な議論がありました。そのうちの一人は神学と弁証論の内容を非常に上手に扱うようになりました。


ディスカッション中に、聖霊との関係についての質問が出ました。特にクリスチャン神学と比べて統一教神学で扱う内容に関するものでした。そして、より包括的に三位一体の関係についての内容も出てきました。


三位一体を理解するには原理の御言葉だけを見るわけにはいきません。なぜなら、お父様が亡くなる直前、お父様は「夜の神」と「昼の神」の神学を教えてくださいました。


お父様は夜の神、つまり創造以前の神(pre-creation God)から来たと言われました。そしてその他の人々は昼の神から来たと言われました。創造以後の神です。お父様はお父様ご自身を他の人と区分されました。


原理の御言葉にはメシアは神ではないと出ています。メシアは人だと書いてあります。これが、我々が統一教で伝統的に学んでいた内容でした。メシアは神ではなく人間だということです。そこで私たちはすごくレベルの低い神学内容を知ることになったのです。


しかし、キリスト教(Christianity)では、キリスト論(Christology)の内容があり、イエスを神として扱っています。非常にレベルの高いキリスト論です。

人(man)であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。

それがキリスト教で扱われている「神は愛である」という内容です。

三位一体のシステムそのものから「愛」を相互間応答(reciprocate)しているわけです。

それで愛を相互間で応答するために人類が必要ではなかったのです。そのため神が人類を作る必要がなく、したがって、これ(人類を作ったこと)は神の完全な恩恵になるのです。これが現代神学の主たる結論です。


ですから、原理講論の内容だけを見ると、我々はメシアに対する低いキリスト論を持っているのです。メシアを神として見なかったのです。女性から生まれた人としては見ましたが、神としては見なかったのです。


お父様が夜の神、昼の神の神学の内容を明らかにされた時、お父様はそのキリスト論を昇格させられたのです。


「いや、お父様はメシアなので特別だ。ただの人間ではない。お父様は神から来られたのであり、夜の神から来られたのだ。創造以前の神から来られた。」ということです。

つまり、キリストは創造以前から神と一緒におられたということなのです。


これはまさに我々がクリスチャン(キリスト教)のキリスト論に近づいた内容でした。


我々(統一教)は、レベルの低いキリスト論から大変レベルの高いキリスト論へと進みました。それで人々はとても驚いて混乱してしまいました。急に低いレベルの神学から、高いレベルの神学へと突然変わってしまったからです。

それで、人々は認知的な不調和ができて、それに適応するのが難しかったのです。


個人的に私はお父様がこのようにしてくださったことにとても感謝しました。

なぜなら、お父様が「キリストとしての父」の固有の特性を明確にしてくださり、強調してくださったからです。

それは勿論イエスも同じです。


これがなかったら、我々は常にキリスト教から分裂していたでしょう。イエスをただ他の預言者として見るイスラムに近くなっていたことでしょう。そして、キリスト教から分裂していたと思います。

いつも論理的な分裂がありました。振り返ってみると、これが我々をキリスト教から分裂させる理由だったと思います。

なぜなら、キリスト教は非常にレベルの高いキリスト論を持っているからです。私たちはレベルの低いキリスト論を持っていましたね。


お父様がなぜそうなさったのか?神はすべての事をなさるに理由があるということがわかります。最後にはもっと多くのことを悟るでしょう。

しかし、ここで申し上げたいことは、お父様がメシアに対するキリスト論を昇格してくださったということです。


私はこれに対して本当に感謝します。

この内容が本当に韓氏オモニを暴露させました。「メシアはただの人間にすぎない。それで私もメシアになれます。」見えますか?それがまさに韓氏オモニがしたことです。そのわなにかかってしまったのです。

キリスト教では絶対にそのようにはできません。メシアは完全に唯一無二のものです。


お父様から氏族メシアになるように言われた内容は、その救援者としてのメシアになるように言われたわけではありません。「その救援者」(神)になるのではなく、一つの氏族的メシアとしての出発点になるということです。人々を救いの道に導けるようにすることです。これは非常に重要で明確な違いです。メシアは特別で唯一無二でいらっしゃいます。


お父様はお父様のキリスト論を昇格させ、お父様は違うということを明かされました。そして韓氏オモニは夜の神、つまり創造以前の神から来なかったことを明かされました。


キリスト教では聖霊を見る二つの立場があります。

第一はローマカトリックとプロテスタントの見方、そして第二はギリシャ正教会もしくは東方正教会の見方です。これは大きな分裂でした。彼らの間には大きな神学的分裂がありました。


前者(ローマカトリックとプロテスタント)は、「聖霊」(holy spirit)は聖父(father)と聖子(son)から始まっているといわれています。聖霊は聖父と聖子の両方から始まっているということです。聖父と聖子は別人ですが、本質(substance)は同じだということです。ローマ·カトリックやプロテスタンス神学では、聖霊が聖父や聖子から始まったと見ているのです。


ギリシャ正教会においては、聖霊は聖父(father)からきていますが、聖子(son)からはきていないといわれています。面白くないですか?聖子から始まっていないと考えるのです。


原理で人は四つの部分に分かれています。原理で人は肉体的な体と心(肉体、肉心)、そして霊人体でなっています。ところが、皆さんの霊人体もまた、心と体(霊体、生心)に分かれています。理解できますか?

簡単に言って、もし皆さんが幽霊を見たとしましょう。皆さんは幽霊の霊的な体(霊体)を見るのです。


聖書においてもイエスが亡くなった後、復活して現れました。クリスチャンはイエスがより栄光の肉体で再び現れたと見ていますが、我々はイエスが霊的に復活されたと見ています。


私はいつもこれを次元の問題として説明しています。

高い次元(dimension)が低い次元で現れることもあります。例えば、3D状態で点(dot)が現れることがあります。その点は一次元です。そして、一つの線(line)も存在することができるのですが、これは二次元です。3次元(3D)の存在として私は点に触れることができます。そして線にも触れることができます。


それで3Dの事物では、我々は点と線の両方を経験できます。そして点と線を現わして作ることもできます。それで霊人体は霊的世界で、特に神の霊人体ならより低い次元でも現れることができるというのです。そうですよね?


それで聖書に天使たちが現れるのも、一例として見ることができます。天使たちも霊人体ですが、モーセの前に現れて孤軍奮闘したのです。

ソドムやゴモラでも、人々は天使との性関係を結びたがりました。彼らにはあまりにも現実のように、実体的に見えたのです。

新約聖書で弟子たちはイエスが亡くなった後、イエスの足につかまりました。しかしイエスは壁を通じて現れました。

理解できますか?このように聖書では、霊人体が現れる内容が多く出てくるのです。


原理の御言葉で肉体的な体と心、そして霊的な体と心があると言いました。では、例えばお父様の霊的な体と心(霊体、生心)と、一般人の霊的な体と心の違いは何でしょうか?お父様の霊体、生心とイエス様の霊体、生心の差とは何でしょう?


それで私は原理的な視点で見た霊人体の体と心について考えてみました。

我々が地上で息を引き取り、霊界に行った時、お父様とイエスに会うことになるでしょう。はい、もちろんお父様とイエスはお一人です。

ところで、どのように一つなのでしょうか?我々は明らかに真のお父様に会うでしょう。しかし、イエスにも会うのでしょうか?真のお父様の中に含まれている状態でしょうか?我々はこのような推測をすることができます。これらは推測です。皆が死ぬまではっきりと分からない内容です。


しかし原理的視点から見て、我々は真のお父様とイエスの違いは霊的な体(霊体)であると見ることができるでしょう。我々は霊界で真のお父様とイエスに会えるでしょう。しかし真のお父様とイエスの霊的な心(生心)は「神様」です。完全な神です。


一般の人々、我々は神とは異なる霊的な体と心(霊体、生心)を持っています。我々はメシアではないからです。我々は神と異なる個別の霊体と生心を持っているのです。例えば一般の人の幽霊を見たとすれば、その幽霊には霊体と生心があるはずです。それは神とは分離した霊体と生心です。どのように作用するのか見えますか?


イエスであれば、神と同じ生心を持っていらっしゃるということです。イエスの生心は神であるはずです。

お父様も同様です。お父様も現われるとき霊的な体(霊体)があると思いますが、お父様の霊的な心(生心)は神と全く同一だということです。

それで、もし我々が真のお父様とイエスと同時にお会いできることになっても、真のお父様とイエスの生心は神と完全に一つだということです。


さらに高い次元の話なので、明確に推測することが難しいのです。

まるでその点から線について話をしているのと同じですね。あるいは点が3Dについての話をするようなものです。ほとんど不可能ですね。

したがって、原理の御言葉がより深い霊的世界に対する理解を助けることができるのです。霊的世界に対するさらに深い領域です。これらはとても興味深い主題です。


我々は聖霊が対象の位置にあると見ているため、神が主体であられ聖霊を送られました。イエスと一つになるために聖霊を送られましたが、主体と対象の位置に送られたのです。


イエスが教会を導く父の位置にいらっしゃるとしたら聖霊は母のように教会に愛を与える側面だということです。

しかし、教会に侵入した多くのフェミニストたちは、聖霊を女性に変えようとしました。

もちろん、それは完全に異端的な内容であり、キリスト教的世界観を破壊する内容なのです。

そしてもちろん、女性神の崇拝や性的人身売買などの道を作っていくような内容にもなります。


聖霊は女性ではなく、イエスに対して対象の立場にあるものです。聖霊がイエスの妻という意味ではありません。そうでしょう?

カインとアベルも、カインがアベルの対象の立場にいるのです。カインはアベルの妻ではありません。理解できますか?


主体と対象の関係は結婚しない関係にもあります。多くの人が、これを勘違いしていますが。もう一度、聖霊は女ではなく、イエスの妻でもありません。しかし、神がイエスの霊人体の対象の立場として聖霊を送られたのです。ここでもイエスの霊人体と聖霊には違いがあります。同一のものではありません。


またイエスの霊体の中にも霊的な体と心(霊体と生心)があり、イエスの生心が神と一つになっているということです。


神が聖霊を送られたので、その聖霊は聖父(father)からきました。この部分はギリシャ正教会の視点に近いといえるでしょう。

聖霊は神からきました。しかしキリストとは分離されているのです。

否定的な見方から分離したということではなく、他の「人(person)」という意味です。この単語を使用するにあたって非常に気をつけなければなりません。


だから私は、我々の「人」を扱う人類学的な観点、原理の御言葉で4つに分かれる – 肉体(1.肉体、2.肉心)そして霊人体(3.霊体、4.生心)の4つの部分が、聖父、聖子、聖霊の関係をはるかに確実に理解できるよう助けてくれていると思います。


私も神学を専攻したので、これらの内容と大変孤軍奮闘しましたが、これほどはっきりした説明はなかったようです。

聖父、聖子、聖霊は一つになっていますが、同時にそれぞれ固有の存在だということになります。

原理から見る「人」に対する人類学的観点が、その解答に対する洞察力を与えてくれます。

しかし、もう一度言いますが、3D次元を超える高い次元の話なのでまだ制限された内容しか理解できないのです。


霊的な世界、その高次元の世界ではすべてのものが我々が想像したよりもはるかに美しく栄光であるということです。我々が想像できるものよりはるかに偉大でしょう。


三位一体の内容も同様だと思います。キリスト教では神の神秘性として扱っています。聖書ではパウロもそのように語っています。


我々の原理的な観点, 肉体と霊人体そして肉体の体と心、霊人体の体と心 – その観点が聖霊、イエス、真のお父様、そして父なる神との関係がどのような関係なのかをよりはっきり理解できるように手伝ってくれると思います。


もう一度言いますが、我々はみな死んで霊界に行った後、すべてのことをはっきりと知るようになるでしょう。

原理の御言葉では多くの内容を定義していますが、現在は3次元世界でより高い高次元の世界を完全に理解することは難しいということです。最後は、私たちの生心が神ではないので、完全に理解することは難しいのです。


しかし原理的な観点から見ると、聖霊は神がイエスの対象として送ってくださったのです。もう一度言いますが、絶対にイエスの妻だというのではありません。

人々は混沌とすることもあります。イエスの対象の立場なら、妻なのか?違います。カインはアベルの対象の立場でした。妻ではありません。


聖霊はとても大きな爆発的な力で来ます。ダイナマイトの爆発的な力と同じです。そして聖書では白い鳩(dove)のようにイエスを照らす光のように来るとおっしゃったこともあります。聖書で洗礼ヨハネは聖霊を鳩(dove)のイメージで見ました。そうですね?あの鳩はイエスではありませんでした。イエスの霊体でもありませんでした。なぜなら、イエスがその場所にいらっしゃったからです。だからその聖霊はイエスと他の人(person)ですが、同時に一つでもあるということです。なぜなら神の心とつながっているからです。


これは神学的に非常に豊富な内容であり、父なる神、真のお父様、イエスの関係を原理的観点でどのように考えるのかに対する内容です。イエスとお父様は違う時代にこの地上にいらっしゃったので明らかに二つの違う肉体があるはずです。そして原理からも分かるように、人類学的に神が人間を作る時、肉体を作ったなら霊体もまた作ったはずです。霊人体も作られたのです。


したがって、我々の原理的な観点で見た時、人間の肉体があれば魂もあるのです。なぜなら、神が人の肉体を創造した時、霊人体も一緒に創造されたからです。同時に創造されたのです。


とても深い内容です。続けて説明することもできると思います。しかし重要なことは、原理の御言葉で霊体を魂(spirit)だけで見るのではなく、霊的な体と心(霊体と生心)があると見るために、はるかに深い神学的内容が含まれているということです。より高次元的な内容を理解できるようにしてくれます。


これによって、我々は霊的な世界だけに留まるために創造されたのではないことが分かります。聖霊が我々に臨むこともありますが、我々の手と足がこの地上についたりもしているということです。

神が私たちがただ霊的な世界にだけいることを願ったなら、我々を霊人体にだけしてくださったかも知れないのですが、そうではありませんでした。それで、我々がこの地上にいるのです。


だからこそ我々は、この地上で現実にも戻らなければならず、この地上で神を守らなければならないのです。この地上で神の御心を実践していかなければなりません。

だから御言を勉強し、霊的な思慮熟考の時間も重要ですが、それは我々の霊的な生き方の一部分であり、「神の御心が天で成されたようにこの地で成されるだろう」とおっしゃったように、神の御心がこの地上で成さなければなりません。そして神の義と公義を求めなければなりません。これは神学的な内容を熟考したからといってできるものではありません。


最後には、現実世界に戻り、神の御心の効力を発生させなければならないのです。訓練すべきであり、神の王国で平和軍警察としてお互いを守る防御者にならなければなりません。


はい、皆さん!これを理解されたなら #God is greatを書いて挙げてください!

私たちには非常に深い神学的な伝統がありますが、それだけでなく、私たちはこの地上のこの世界で神のみこころを立てる伝統も持っています!

真のお父様が政治サタン主義と戦いながら大きく強調して作られた内容ですね!


キングスレポートを続けてご一緒してください!


2021年3月27日(土)キングスリポート

徳を失えば悪となり敗北する

The King's Report 03/27sat/21

翻訳:Yumi HOSHINO

 

私たちは闘う準備が必要なのですが、発展は全ての戦争が終わった後にしか訪れません。左翼は自由発言や銃器所有の権利を奪おうとしています。

白人至上主義を支持しませんが差別によって闘わせようとすることにも賛同しません。

ある人々は私たちが鉄の杖を崇拝していると言いますが、そうではありません。

お父様は共産主義に反対しましたが人を攻撃されませんでした。

私たちも中国共産党には反対しますが、中国人を嫌ってはいません。

私たちは中国政府を嫌いますが、中国人を愛します

 

次のお父様のみ言葉です。

クリスチャンはイエス様が彼らの為に死ぬために来られたと考えています。人々からこのような言葉を聞いた神様はどのように感じられるでしょうか?

キリスト教の設立は神の御心だったでしょうか?

世界中のクリスチャンたちが共になっても神の悲しみを慰める立場に立つことができたでしょうか?そうではありません

クリスチャンたちが神を慰めたいのなら、彼らはイエスのようになるだけでなく神の苦しみの頂点を超えていかなければなりません。

 

パンザー会長:ビデオをお見せしたいと思います。

ウオーレン フエローの興味深い話です。男性の特権についての話です。

彼は1960年から長い期間に渡って男女の違いについて研究してきました。

彼は男性で唯一国際女性組織で3回理事に選ばれた人物です。

 

司会:ウオーレン博士、この番組にお迎えできて光栄です

ウオーレン博士:多くの人々が見ているこの番組を私も愛しています。

司会:二年前にも素晴らしいインタビューを博士にしました。

 

(ビデオが途中で中断しました)

(休憩時間です)

パンザー会長:皆さんにブロードキャストの問題があったことをお詫びします。

 

ここにとても興味深い記事があります。

JRナイトクエストさんの記事ですが、彼は二代王様のインタビューを二回受けました

この記事を一緒に読んでみましょう。

 

大きな戦略パート2(中国 対 西側)の記事です

古代中国の偉大な戦略家である孫子は中国春秋時代、呉の司令官に”賢者”のアドバイスを提供しました。

彼の教えの中心は欺瞞の芸術でした。

孫子は全ての戦争は欺瞞に基づいていると言いました。

従って、孫子は誤った道の賢人、狡猾さの達人として説明されるかもしれません。

学者によれば孫子が欺瞞に重点を置いていることは従来の道徳の範囲を超えているという事です。

 

彼には道徳や名誉というのは見当たらず、すべてが勝利についてです。

孫子は皆さんが操作しようとする人が何を望んでいるのかを知っていればそれを利用できると言いました。

必要によって裏切ります。あらゆる機会には抵抗を最小限に抑えます

 

孫子の司令官は従来の市民のモデルではなく、彼は従来は容認される行為ではない可能性のあることを含めて勝利をもたらす為に必要なことは何でも喜んで行います。

彼はスパイを利用して欺き、彼の軍を死地に投げ込みます。

彼は勝利をもたらすものを除いては行動の基準を持っていません。

他の人の意見を気にしません。

孫子によれば賢者の司令官の冷酷さは人々を保護する事だけを求めると正当化しています。

ですから現代の共産主義にとって彼は人道主義者であり、小さな人々の英雄であり救世主です。

 

もう一つの重要な中国の政治思想家及び戦略家は中国の法学者の韓非です。

法家学校は全ての古代中国の学校の中でも最も過激でした。

それは儒教の道徳的基準を拒否しました。

そして権力を支持しました。

法家が認めた唯一の権威は強力な統治者の権威でした。

彼らは報酬と罰のシステムを利用して人口を管理するために厳格な法律を使用しようとしました。彼らの論理は侵略、戦争、政権は支配者の力に貢献する限りためらうことなく使用されるそうです。

 

パンザー会長:皆さんがポイントを得られたと思いますが、名誉のコードは西洋において促進されました。

戦士たちは名誉のルールによって導かれなければならないし、彼らの権力を誤って使用してはなりません。

それはとても重要で、道徳観無くして強制すればそれは悪になり、そのことは皆さんを非道徳的にするのです。

 

ベトナム戦争を見てみれば多くのアメリカの10台の青年たちは共産主義から国を守るために奉仕しました。そして、皆さんもご存じのようにアメリカはベトナムに負けました。

 

北ベトナムは南ベトナムの正当性を約束しまし、アメリカはもしも彼らが南を攻撃すれば、助けることを同意しましたが、メデイアによってアメリカがしたことが非道徳的だとされました。

自分たちのメデイアによってベトナムに行った軍人たちは殺人鬼にされたのです。

戦争から帰ってきた軍人たちは尊敬されませんでした。

そして民主党は議員たちを利用して南ベトナムを助けないようにしました。ですから民主党によって戦争に負けたのです。

 

戦争時に善と悪のモラルを失えば力を失います。

孫子が言っているように相手を打ち負かすことは出来ません。

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本部公認の冠婚葬祭・二代王より聖霊を賜った聖霊教会《イエスお父様聖霊役事と清平天使役事を相続した、聖霊役事天使役事聖殿教会

1 件のコメント:

  1. 二代王様のみ言葉をありがとうございます。

    いつも感謝しております。

    一点だけですが、今回のタイトルの「聖霊は対象だが男性」について少し気になりました。

    キングスリポートの中で二代王様は、【聖霊は女性ではなく、イエスに対して対象の立場にあるものです。聖霊がイエスの妻という意味ではありません。そうでしょう?】と何度か繰り返し言われていることはその通りです。

    この二代王様のみ言葉は、前後の文脈から補足すると・・・

    【聖霊は(妻、相対としての)女性ではなく、イエスに対して対象の立場にあるものです。聖霊がイエスの妻という意味ではありません。そうでしょう?】

    とのようにも私には読み取れます。【聖霊は(妻、相対としての)女性ではない】とすれば、聖霊は男性とはなりません。

    ただし、私には、どの解釈が正しいのかまでは分かりません。解釈の可能性が別にありうるということですね。

    ご参考にしていただければ幸いです。

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