The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series
キリスト再臨アドベント28
神の復帰計画とノア家庭が出会うとき、何が起こるのか?
What Happens When God's Plan of Restoration Meets Noah's Family?
神の復帰計画とノア家庭が出会うとき、何が起こるのか?
[復帰摂理において、神は常に中心人物を選び、その人物を軸として神が働かれるのを見ました。
このエピソードでは、神が選び、信仰基台を立て一体化するように責任を課した、ノア家庭の物語を取り上げます。
神がノアの生涯においてキリストを遣わそうと、どのように御計画されていたかを理解するためにご覧ください。
ノア家庭は成功するでしょうか?ご覧になって確かめてください!]
アダム家庭の失敗の後、世界は、最初の人類の祖先が犯した神に背くセックスと殺人の罪を繰り返しながら、螺旋を描いて混沌へと落ち続けて行きました。
アダムの家族の中では、復帰されなければならない人々の数は、まだほんのわずかでしたが。
しかしながら、カインがアベルを殺したために、神はこれ以上アダム家庭の中で働くことができなくなりました。
アダムから1600年後のノアの時代まで、中心家庭は多くの部族や民族に広がっていました。
人類の拡大とともに人間の邪悪さも増大し、ついには、「主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。(創世記6:5)」という頂点に達しました。
もちろん、これは神の当初の御計画ではありませんでした。
神が意図された創造世界は、罪と悪が完全にない世界であり、神の子女たちが神との間において、人と人お互いの間において、そして被造物と完全に関わり合う事の出来る、神の真の息子娘となる調和の世界でした。
しかしながら、堕落の結果、この美しい希望は満たされることなく残され、神は人間を創造したことに対する大きな後悔と悲しみに陥りました。
(創世記6:6, 6:11)
「主は、地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、」
なぜなら
「世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。」
しかし、神は、堕落した人類の中でも、人類を見捨てませんでした。
「神の前に正しく、かつ全き人(創世記6:9)」ノアは、復帰摂理においてアダムを代身する中心人物として選ばれました。
神は公正で義なる神であり、復帰の壮大な御計画の中で、常に善と悪、麦と籾殻を分けられます。
私たちは前回、まさにこの考え方を目の当たりにしました。
「神がカインを拒絶した衝撃的な理由(God's Shocking Reason for Rejecting Cain)」
神は象徴的にアダムを善と悪、アベルとカインに分けなければなりませんでした。
ノアの時代にも同様でした。
そのように、神は悪に終止符を打つために、ノアの家族に願いを託し、サタンに奪われた人類と被造物を再創造することに決めました。
悲嘆に暮れた神は、人類を洪水にあわせる計画をされました。
しかしながら、サムエル記下にあるように、悔い改める機会がなかったわけではありません。
(サムエル記下14:14) 神は、追放された者が捨てられないように、てだてを設ける人の命を取ることはなさいません。
一方で、ノアが建造していた巨大な箱舟は、人々が罪から立ち返るための視覚的な表示としての役目を果たしました。
同時に、ノアは120年間、「義の宣伝者(ペテロ第二の手紙2:5)」として伝道しました。
悔い改めて神のもとに立ち返るように呼びかけたのです。
何十年にもわたったノアの警告を人々が聞き入れたならば、彼らは罪のために流されることはなかったでしょう。
さて、「復帰の方法」に話を戻しましょう。
摂理的な中心人物として立ったノアは、神に導かれて、信仰基台を築くための条件を立てなければなりませんでした。
思い起こせば、信仰基台と一体化の上にこそ、メシアは来られるのです。
箱舟の建造は、まさにその信仰の条件でした。
視界内には水のない乾いた土地に巨大な船を建造するという、神の命令を信じるために必要な信仰を想像してみてください。
嘲笑や迫害を受けながらも、ノアは何十年もの間、神への信頼を揺るぎないものとし、箱舟を完成させ、信仰基台を築きました。
この一連の出来事をもう少し詳しく見てみましょう。
堕落の際、人類の最初の祖先であるアダムの生得権をサタンが強奪した時、宇宙全体がサタンによって奪われたことを私たちは知りました。
従って、人類の第二の祖先として立つためには、ノアは宇宙を象徴する犠牲を捧げなければなりませんでした。
ゴフェルの木で作られた箱舟は、ノア家庭を住まわせ、洪水を生き延びられない動物を一組ずつ保護するために3層で構成されていました。
箱舟の3つの階層は、成長期間の3段階を経て創造された宇宙全体を象徴していました。
聖書に繰り返し登場するこれらの数字が、なぜそれほど重要なのかは、後のビデオで説明します。
続けますが、蕩減条件により復帰されたノアの8人家族はアダム家庭の8人であり、人類を代表しています。
最後に、箱舟に乗った動物たちと食糧は、万物と被造物を表していました。
したがって、ノアの家族と動物たちまでの箱舟の層、箱舟全体として、サタンの支配下に落ちた古い宇宙から分立されつつある新しい宇宙を表していました。
箱舟が完成し、居住者が無事に中に入ると、大洪水に備えて箱舟の扉は閉じられました。
40日間にわたり、見渡す限りの水が氾濫し、すべてのものが水没しました。
私たちは、「3」という数字が復帰摂理において非常に重要な意味を持つのを見てきました。
では、「40」という数字にはどのような意味があるのでしょうか。
聖書に出てくる40という数字は、聖別、つまりサタンから分立するための数理期間を表しています。
いくつか例を挙げると、「イスラエルの民が荒野をさまよった40年間、ヨナが悔い改めのために与えた40日間、イエスの40日間の復活」などが挙げられます。
こうして、「神の40日間の大洪水の審判」によって、サタンから分立する条件が整えられました。
箱舟とノア家庭がサタンから分立されることによって、神は事実上、世界を再創造したのです。
水が引き、箱舟が乾いた土地に停泊した後、ノアとその家族は神に感謝を捧げ、祭壇を築き、動物を生け贄として捧げました。
彼らの生涯を通じての信仰を認め、神は彼らの上に、アダムに最初に語られたのとまったく同じ三大祝福を再確認されます。
「実を結び、増え、地に満ち、地を治めよ」(創世記1:28)。
神は、人間との契約のさらなる確認として、虹は、二度と地球を氾濫させないという約束を表しているとおっしゃいます。
復帰摂理において、メシアが来られるためには、信仰基台と実体基台の両方が立てられなければならないことを私たちは見ました。
アダム家庭の場合、アダムを象徴する立場にあったアベルは、中心人物として信仰基台を立て、そしてカインと一体となってメシアのための基台を築かなければなりませんでした。
しかしながら、ノア家庭の場合は、ノアが信仰基台を立てました。
従って、実体基台を立てるためには、神によってアベルの立場に選ばれた、セムの弟であるハムがまずノアから信仰基台を受け継ぎ、次に3人兄弟の中で最も年長のセムと一体化しなければなりませんでした。
アベルの立場に立つ中心人物がカインの立場に立つ人と一体化することによって初めて、実体基台が立つことを思い出してください。
創世記の物語が突然、ノアと彼の家族との関係に移り、創世記9:20から28の最重要項目となるのはこのためです。
ノアは農夫になりブドウ畑を作ります。
ある日、彼はワインを飲み過ぎ、天幕の中で裸で意識を失っています。
ハムは父の天幕の中で、酔っぱらって床に倒れているノアを偶然見つけます。
ノアの行動を完全に無視すべきではありませんが、このような驚くべき信仰を示した後、ハムはノアの名誉を守ろうと努めるべきでした。
しかしながら、ハムはノアを恥ずかしく思い、不名誉な振る舞いをしました。
傲慢にもノアに対する間違った見方を彼の兄弟に広めたのです。
そのため、セムとヤペテは、自分たちの父親がそのような恥ずべき状態にあるのを見ないようにするために、反対側を向いて後ろ向きに歩いたのです。
さらに重要なことは、ハムの行動は象徴的に再び堕落をもたらす意味合いを含んでいました。
罪のない純粋な状態のアダムとエバは、裸でいても恥ずかしくありませんでした。
しかし堕落後、アダムとエバは下半身を恥じるようになったと書かれています。
それが堕落の原因であったので、彼らの感情は、彼らが犯した罪の結果としての良心の呵責を表していたのです。
したがって、ノアの場合、彼はアダムの立場に立つ中心人物であったので、ハムがノアを恥じた時、それは事実上、堕落の同じ感情がハムを支配した実証でした。
さて、余談ですが、裸を恥じることは普通なら罪にはならないでしょう。
ノア家庭は、神の復帰歴史において、メシアのための基台を築くという摂理的な役割を担っていたという点で、ユニークな存在でした。
だからこそ、ハムが不名誉な行動をとった結果、ノアは激怒してハムとその子孫を呪いました。
ノアと信仰において一体化したならば、神の計画は、アベルの立場にあるハムが、カインの立場にある兄セムと一体となって、カインアベルの一体化、すなわち実体基台を完成することでした。
しかしながら、ハムが父から信仰基台を受け継ぐことができず、アベルの立場に立つことができなかったため、実体基台を確立する方法がありませんでした。
メシヤを降臨させる摂理は、ノアの驚くべき信仰条件によって当初は有望に見えたにもかかわらず、残念ながら失敗に終わりました。
神が、その中心人物がたった一家庭を復帰するだけで成功する理想的な条件を用意しておられたにもかかわらず。
しかしながら、肝心なときに人間はその責任を果たすことができませんでした。
人間の失敗にもかかわらず、神はもう一人の中心人物が現れるような適切な状況の再現に邁進し続けていらっしゃいます。
次回は、「信仰の父」アブラハムの希望に満ちた生涯を取り上げます。
神は再び、その中心人物に信仰基台と実体基台を築く機会を与え、ひとり子を遣わす土台を築かせるのです。
それでは、次回までご期待ください。
ご視聴ありがとうございました。祝福された一日になりますように。
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