2021年8月19日木曜日

天地創造神は両性具有神なのか? 原理原相論試論(問題提議編)

 これは2016年12月に問題提議した内容です。

聖霊が男性であるのか女性であるのかの論議が最近されていますが、では天地創造神のお姿は男性であるのか男性と女性の二性性相なのか、これが問われます。
このことについて、再び問題提議しますので、一度考えて見て頂ければと思います。

2021年8月19日 fanclub三原
原理原相論試論(問題提議編) 


真のお父様は原理本体論の次に原理原相論が必要だと言われた。
原理本体論は弟子の劉先生にお教えになられた。
原理原相論については相続者であり真のカイン・アベルである亨進様・國進様にお教えになられ、今お二人が語ってくださっている新しい内容がその原理原相論であると考える。

従って亨進様・國進様お二人のマルスムから論を補強しながら原理本体論ではなく原理原相論における創造原理の神様について考察したい。

まず最初に原理講論及び原理本体論の問題点を提議し、原理原相論の必要性を提案する。

1.性相的男性格主体と二性性相の中和的主体の関係が曖昧である。

ここでは文誉進女史の論文、家庭連合や反統一教会の論を取り上げ原理講論や原理本体論の限界性を明確にし亨進様・國進様の言われる神学、原理原相論の必要性を提案していく。

1-1:神様を天の父母様と言ってはいけない理由が明確でない。

原理本体論の劉正玉講師は、神様を天の父母様ということは適切ではないと言われた。
真のお父様は、原理本体は絶対にお一人でなければならないと仰いました。
また、お父様が話された原理原本にも宇宙の創造は一つから全体へと記録しています。
数を数えるときも1から数えてるのであり、2から数えません。
したがって原理本体であられる神様は、絶対、唯一、不変、永遠の真の父である。
神様を天の父母様を言うことは、原理本体論で見たときに適切な表現ではない。

「原理本体論 神は絶対主体 男性」の画像検索結果2016年10月19日 劉正玉講師

ところが、原理本体論には神様を父母と呼ぶことを認めざるをえない記述が多くある。
<原理本体論(日本語)>
・根本を問い詰めるなら、神様は父だけでもなく、母だけでもありません。
神様は父の性稟と母の性稟をすべてもっている私たちの父母です。(P84)

・神様は万王の王であり、真の父母です。(p102)

・結論的には、神様は人間の父母であり、人間は神様の子女なので、(P134)

・もちろん「絶対性」の精子をもって真の父は、真の父母であられる神様の中にある真の父であり、「絶対卵子」の卵子をもった真の母は、真の父母であられる神様の中にある真の母です。(P232-P233) 

・本来、男性格主体なので、父と呼びますが、本体として見るときは真の父母です。(P234 )

・神様は無形の真の父母であり、心であり、実体の真の父母は体です。(P236)

これ以外にも「神様は父母である」「父母である神様」という表現が随所に出てくる。

このように原理本体論では「神様とは根本的に私達の父母であり、真の父母であり、人間の父母であり、本体は真の父母であり無形の真の父母である。」つまり「神様の本体・根本は無形なる真の父母である。」と定義する。

そうであるなら父母様と呼ぶことは何らの問題はないのではないか?という疑問が生じるのは自然である。

天とは霊界、無形を意味するのでこの定義で神様のことを「天の父母様」と呼ぶことは何ら支障もないということになりはしないか?
キリスト教の伝統である「天にまします我らの父よ」ではなく「天にまします我らの父母よ」と呼べば原理本体論で見たときにも適切な表現になるのではないか?

原理本体論の神の定義、
神様とは
父の性稟と母の性稟をすべてもっている私たちの父母であり、
本体として見るときは真の父母であり、
無形の真の父母である。
そして、
「絶対卵子」の卵子をもった真の母は、真の父母であられる神様の中にある真の母である。

父母も親も英語ではParentであるが、真の母が神様の中にある真の母から来たと、原理本体論が定義するならば単数形Parentでなく複数形Parentsとして神様を天の父母と呼んでも、何ら問題は無いではないという意見が出てくるのは至極当然である。


夜の神様に対して天の父母様と呼ぶのは正しいとするならば、これだけ明確に原理本体論は「神様は父母である」と定義しているし、お父様も「天の父母」と言っておられるのも事実であるから、原理本体論的に神様を「天の父母様」と呼ぶことは適切でない理由を明確にしないといけない。

また劉正玉講師は天の父母という表現は二神論であり、原理本体は絶対に一人でなければならないというが、家庭連合はニ神論ではなく、二性一神論をもって原理本体は絶対に一人であるという神学である。

文誉進女史は、創造を開始していなかったとき、神は一人(唯一神)であるから神を単数形で天の父母(Heavenly Parent)と呼ぶべきであるという二性一神論を説いた。

この文誉進女史の論文の問題点指摘は拙稿

つまり文誉進女史は原理本体は、ニ神論ではなく絶対に一人だという主張である。
この家庭連合の神学は、天地創造神そのお一人である方は、父親という男性と母親という女性の二性中和体の一体であるから天の父母様と呼ぶのが相応しいという原理本体は絶対に一人であるという二性一神論を主張した。

このように劉正玉講師が説かれる天地創造神も、家庭連合が主張する天地創造神も、神学的には同じ「原理本体は絶対に一人であるという二性一神論」を主張している。

ところが、天地創造神を天の父母と呼ぶか呼ばないかの部分に於いては
劉正玉講師:神は一なる父と母である。しかし天の父母と呼ぶのは間違いだ。
文誉進女史:神は一なる父と母である。しかるに天の父母と呼ぶ。

このように同じ「神は一なる父と母である」の次に、天の父母と呼ぶかよばないかという部分て一方は否定し一方では肯定しているという、真逆の違いがある。

この主張の違いは性相的な男性格主体という原理講論の記述に対する見解の違いから来る。
(原理講論)
神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、
本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。

この原理講論の原理本体論の解釈は
「本来、男性格主体なので、父と呼びますが、本体として見るときは真の父母です。(本体論P234)」
と、神は男性格主体だから父と呼ぶと主張し、その本体は父母(父と母)であるという。
しかし本体が父母(P234)であり、根本が父母(P84)であるなら父母と呼ぶことの方がより本体的であり、より根本的であると言う反論も可能である。

一方、文誉進女史はこの部分において、
「男性と女性の二性性相であるにも関らず、神は男性格主体という驚くべき結論を導き出したのは家父長的キリスト教神学と儒教文化の影響であり、神の本質は父母二性格主体であり従って天の父母様である」と主張し家庭連合はこれを賞賛した。

この考えは「原理講論は主体だから男性という論は主体=男性という既成の固定概念に囚われ客観性を失っている。父親という男性と母親という女性の二性を一体でもっているのだから天の父そして天の母を合わせ天の父母と呼ぶべきだ」という論理である。
更には蕩減復帰時代は主体=男性だったが真の父母が勝利した今は女性の時代だから主体=女性であるという思想も見え隠れする。

このような絶対唯一神なる父母二性の神を「天の父母」であると呼ぶアプローチは原理講義・原理本体論から、さらに本質に迫った原理原相論であると評価し、家庭連合ではこのような父母二性の唯一神、その神の絶対性精子・絶対性卵子を論ずる原理本体論は「天の父母様」論を支える神学として再評価する動きが始まっている。

更に家庭連合側は、「神は唯一神にして男性、女性の二性であるから、神はお一人でありながら男性性器と女性性器の二つを持っている。よって明らかに男性性器(絶対性精子)を持つ父であり、女性性器(絶対性卵子)を持つ母である唯一神を天の父母様、英語では単数形(Heavenly Parent)」と呼ぶことは正しいとする。
つまり「一人で男女二つの生殖器を持つ神=両性具有神」論を唱える。

ところで原理本体論も本体である神様は男性と女性の二つの生殖器を持つ。絶対性精子と絶対性卵子を持つから父母なる唯一神であると言っており家庭連合の主張と極めて類似する。

原理本体論のその記述を見てみる。
男性と女性が実体として現れる前に、神様の中にあった陽性と陰性は、神様の二つの生殖器です。神様が二つの生殖器を持っていらっしゃるという話です。人間が分立されて現れる時、男性と女性の生殖器が別々に出てきたのです。
(省略)神様は二つの生殖器をもっていらっしゃいましたが、その生殖器は使うところがありませんでした。

原理本体論(日本語)83ページ


このように原理本体論も神様は男性と女性の二つの生殖器を持っており絶対性精子と絶対性卵子の本体であり父母であるという論理は同じである。
つまり原理本体論は、むしろ家庭連合が「天の父母」と呼ぶことを神学的に支持していることになる。

このように原理本体論が規定する神は「絶対精子と絶対卵子そして男性、女性それぞれの性器を持ち、根本本体が父母である、無形の真の父母」であるから、天地創造神を天の父母様と呼んで何ら問題ない、むしろ天の父母が根本本体であると言っていると言える。

そうであるから原理本体論が本来、男性格主体なので、父と呼ぶ」という論を展開するとき、男性格だから天のお父様」という論理展開は、どうして男性格なのかという説明がつかない。原理本体の規定する神が「絶対精子と絶対卵子そして男性、女性それぞれの性器を持つ」であるならば「二性一体格主体なので父母と呼ぶ」という論理転換が正しい。

ところで、真のお父様も神様は男性と女性の、二つの生殖器を持つと言われた。

その凸凹は誰の凸凹ですか?神様は男性格ですか、女性格ですか?(「男性格です」)神様が男性格であれば生殖器がありますか、ありませんか?(笑)前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついていると考えなければならないというのです。振り向いてもこれも生殖器であり、振り返ってもこれも生殖器なので、男性と女性に分けて出てきたため凹凸が必要というのである!わかったの、わからないの!(「わかりました!)

그 오목 볼록이 누구의 오목 볼록이에요? 하나님이 남성격이에요, 여성격이에요?「남성격입니다.」하나님이 남성격이면 생식기가 있겠어요, 없겠어요? (웃음) 앞에는 남자 생식기, 뒤에는 여자 생식기가 달려 있다고 생각해야 된다구요. 돌아서면 이것도 생식기고 돌아서면 이것도 생식기이니, 남자 여자로 갈라놨기 때문에 오목 볼록이 필요하더라! 알싸, 모를싸!「알싸!」
(「文鮮明先生御言選集」306巻より)

このように原理本体論も「一人で男女二つの生殖器を持つ神=両性具有神」であり、真のお父様も「一人で男女の二つの生殖器を持つ神=両性具有神」を言っておられる。
そして家庭連合も同じく「一人で男女二つの生殖器を持つ神=両性具有神」を言っている。

家庭連合はこのように神は「一人で男女二つの生殖器を持つ神=両性具有神」である。
男性生殖器を持つから天の父であり女性生殖器を持つから天の母である。
そして分立しない一なる神、唯一神であるから天の父母を単数形で呼ぶのは何ら問題ない
という神学である。

これに対し、「原理本体論は神様は絶対性卵子・真の母・女性生殖器を持つ父母であるが女性格主体では無く男性格主体なので父である。神を父とだけ呼ぶのではなく、母と呼ぼうというのは原理がわかっていない。根本を問い詰めるなら私たちの父母ですが神様は男性格主体なので「父」と呼ぶのです(本体論P84)」という。

れだけ原理本体論は、「神様の本体根本は父母である」「神様は男性と女性の2つの男性性器を持っている」と定義しながら、「神様を父母と呼ぶのは原理では無い、神は男性格主体だから父と呼ぶと」いう論理展開は、神は男性女性格主体の父母であり、それが根本本体と論理展開し、いきなり神は男性格主体だとする主張は明らかにこじつけであることが明白である。

従って、「神様は男性格主体だから父」ではなく、「なぜ神様は男性女性格主体ではなく、男性格主体であるのか?」を明確にする神学が必要になる。また、『「神様の本体根本は父母である」のに何故、父と呼ぶべきなのか?』という説明も無ければならない。

誉進女史はこの主体=男性という神学を、驚くべき結論と批判したが、これに対して原理講論・原理本体論・天聖経に主体=男性だと書いてあるからだ、それが秩序だからだ、だから神様の本体は父母であり父母であることが根本であるが父だ」という理由では論理の飛躍があり、こじつけ、結論が決まっているから無理やり立てた論理であることが明確であるため、なぜ神は男性格主体なのかを明確にし論証しなければならない。
それが、原相論の役目でもある。

真のお父様のみ言に次のようなマルスムがある。
教会に入って初めて、神様のことを「お父さん、お母さん」と呼べるようになったのに、一、二回呼んだだけで、それきり呼ばない人たちがいます。どれほどやるせないことでしょうか。また、私たちは神様を口先だけで呼ぶのではなく、心の奥から呼べなければいけません。
皆さんが信仰者ならば、「父なる神様」、「母なる神様」、「真の父母様」と語りかけながら、毎日毎日、神様に喜んでいただかなければなりません。

「神様が惚れ込む者となれ」 第一章 天地を結ぶ絆 第一節 孝心の道
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「母なる神様」映像御言葉集

神様の性相は、男性格である父なる神様と女性格である母なる神様から成っています。ですから神様から造られた人間と被造世界が、男性と女性の二性の神様でもあります。

罪と蕩減復帰  第2章 罪、人間堕落の内的意味 
1)換父易祖(注:父が換わり、先祖が替わったこと)がすなわち堕落

真のお父様は『神様を「お母さん」「母なる神様」「真の父母様」と呼び、語りかけ神様に喜んでいただかなければなりません。』と言っておられるが、それにも拘わらず何故、夜の神様を指して天の父母様と呼ぶことに大きな問題があるのか、その理由を明確にしなければならない。
そのためには天の父母様とは一体何かを明確にする必要性がある。

1-2:神様は両性具有神でなく男性であることを明確にしなければならない。

両性具有者(ajndrovgunoV)

キプロス島の両性具有者アプロディトス


この天の父母呼称論以上に共通する大きな問題がある。
それは上述した、神様の姿は男性生殖器・女性生殖器の二つを持つ両性具有神とする原理本体論の神学についてである。
これはキリスト教界はおろか世間一般的にも非常に問題視する神学である。

キリスト教ではこのような両性具有神を忌み嫌ってきた。
この原理本体論の神学は、父親の霊-母親の霊、その霊からなる両性具有神を唱えたキリスト教グノーシス派の教義とその根幹神学が非常に似ている。しかしキリスト教からは異端としてカトリックからもプロテスタントからも忌み嫌われてきた。

真のお父様は「神様は前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついている」と言われたが、天のお父様は、そのような姿の両性具有神なのだろうか?
我々はそのような前は男性生殖器、後ろは女性生殖の両性具有神を天のお父様と呼んで尊敬し賛美しているのだろうか?

悪魔バフォメットは両性具有神であるが天のお父様もそのようなサタンと同じ姿の両性具有神なのだろうか?

カトリックもプロテスタントも、上記の、原理本体論やお父様の、男女の性器に関する記述やみ言に対してはグノーシス派よりもさらに神を冒涜する異端神学として排斥するのは間違いない。
この神様の姿に関する解釈は神学的に明らかにキリスト教会では受け入れられない。

そうであるからこのキリスト教会が邪教、異端教、サタン悪魔として忌み嫌うこの原理本体路運、お父様の御言にある両性具有神神学に対する解明と、キリスト教神学で見ても、天地創造神は男性一性である天の父であることを、十分に説明できる神学が絶対的に必要である。

以上のように大きく二つの問題点を上げ次の章「夜の神様は圧倒的究極的な父である」にて神の根本本質、夜の神様は「天の父」であることを明確にして行く。その内容を原理原相論の試論として提案したい。
2016年12月9日 fanclub三原

以下もご参考ください。

原理原相論試論.創造原相論堕落論夜の神昼の神

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2021年8月16日月曜日

選民の歴史キリスト教編 <第1講> 残虐宗教へ変貌するキリスト教 S講師

 S講師による裏摂理史ともいえる『選民の歴史』のキリスト教編・第1講です。

第一選民ユダヤ人の摂理史、そして今回の第二選民キリスト教の講義です。

共産主義はキリスト教の中から生まれましたが、共産主義の変形であるBLM運動はキリスト教徒の有色人種迫害から生まれたと言えます。

それは権力の虜となったカトリックの罪の歴史でもあります。

その表の歴史の裏にある真実。是非、ご覧下さい。


S講師はブログ現在 過去 未来でも発信しておられます。


選民の歴史キリスト教編

<第1講>

残虐宗教へ変貌するキリスト教

S講師



選民の歴史ユダヤ人編では、今世界の危機を創出している表と裏の2つの勢力、つまり表としては共産主義勢力が存在し、もう一つは裏で世界を操る国際金融勢力が存在し、それぞれがいつどのようにして生まれたのかについて解明しました。


共産主義はユダヤ人ラビの家系に生まれたマルクスによって完成したものであり、ユダヤ人国際金融勢力は、世界的な反ユダヤ主義によって公職に就けないユダヤ人たちが、生きる術を金融の世界に求めることによって誕生したということを解明しました。


つまり今世界の脅威を演出している二つの勢力は、どちらも選民ユダヤ人が由来であったということを明らかにすることができたと思います。


結局第一イスラエルであったユダヤ人は、神の子イエスをメシヤとして迎え入れることができず、十字架へ付けることによって神の摂理は失敗し、選民ユダヤ人はサタンによって奪われ、神の摂理を妨害するサタンの先兵としての役割を担うようになってしまったのでした。



そして今回の選民の歴史キリスト教編では、ユダヤ人に代わり第二イスラエルとなったキリスト教は、2000年間どのような路程を辿ってきたのかについて解説していきたいと思います。


再臨主を迎えるための中心宗教キリスト教ではありましたが、キリスト教もやはり一度摂理に失敗していました。


中世暗黒時代キリスト教は堕落し、アダムに侵入したサタンを分立するためにアベルとカインに分かれたように、キリスト教理想によって作られたキリスト王国も摂理に失敗し、東西の王国に分立されました。


さらにキリスト教自体もカトリックとプロテスタントに分立され、神の摂理はプロテスタントを中心に展開されるようになります。


カインの立場に立つカトリックは、本来プロテスタントに屈服し、一体となることによって神の摂理を担うことができました。


しかし固陋な信仰姿勢を悔い改めることなく、さらに白人キリスト教徒のみが真のキリスト者であり、白人以外の有色人、異教徒は人間ではなく家畜同様の存在だという極端な人種差別主義に陥り、大航海時代を通し世界中で現地人の大量虐殺を繰り返し、数百年もの間サタンの所業を繰り返すに至りました。


そのような極端な人種差別主義もいわば選民思想の変化したものであり、神の選民が陥りやすいサタンの誘惑の一つであったと言えるでしょう。


つまり第二イスラエルとして立てられたキリスト教徒たちも、摂理に失敗することによってサタンに蹂躙され、サタンの先兵として人類に恐怖と災厄をもたらしてきたのです。



今回選民の歴史キリスト教編第一講では、キリスト教が摂理に失敗していく流れを復習するとともに、サタンによって蹂躙されたキリスト教が、世界でどれほどの恐怖を有色人種にもたらしたのかを、具体的にイメージできる形で紹介しました。


私たちは漠然と、大航海時代スペイン・ポルトガルが新大陸を発見することによって、インカ文明、マヤ文明などの文明があっという間に征服され、滅んでしまったなどと知識としては知っていましたが、具体的にどのようなことが起きていたのかということについては何も知らないのが現実でした。


その具体的な内容を知ることは、彼らは確かに神の使いなどではなく、サタン側の存在だったということをはっきりと認識させてくれるものだと思います。


それはキリスト教イコール無条件神側という定義を覆すものであり、そこにはもっとしっかりした分析が必要であるということを示唆してくれるものです。


神の摂理を担うキリスト教の流れが明らかとなるユダヤ人編に続くキリスト教編、まずは第一講を是非ご覧いただければ幸いです。


2021年8月8日 講師S


選民の歴史<第一講>ユダヤ選民裏摂理史

選民の歴史<第二講>共産主義とロスチャイルド

選民の歴史<第三講> カール・マルクスの正体
選民の歴史<第四講> 選民共産主義と戦った日本