2015年6月6日土曜日

2015年6月2日韓国語説教「天の全身武具をまとえ」 文亨進 (全訳) 世界が滅亡する世紀が近づいてきています。



真の子女たちから末端食口まで、皆、罪人です。これを忘れてしまいました。
今やお母様も大罪人になってしまいました。
お母様が悔い改めなければ、再びお父様の愛の圏内に戻ることができません。
お一人で神になろうとされるので。
お父様は数千回話されたように 『お前、韓鶴子、離婚するぞ』 そのように話されたように韓鶴子女史が自分の栄光を追求したことでお父様から去りました。
私の母ですが今や、『真の母』ではありません。韓鶴子女史はお父様を去りました。
今や霊界の全ての審判を受ける女性です。
その罪を誰が蕩減するのか、これからは世界次元の蕩減がきます。
何故?お母様はお父様の隣りに、世界次元の位置で座っておられたから。
その失敗で、その蕩減は何処へ行きますか?その罪、蕩減は何処へ行きますか?
それは世界に来ます。世界に来ます。
世界が滅亡する世紀が近づいてきています。




2015年6月2日 “天の全身武具をまとえ”


食口の皆さん、こんにちは。
このように寒い冬の日に(笑)、夏の日にお会いできて嬉しいです。
韓国の食口の皆さん、お身体大切にしてください。
今日は“神の全身武具をまとえ”というタイトルで深く入っていきたいと思います。


準備聖歌を歌うときに妻が説明しましたが、お父様が聖和された後、どんな歌よりもクリスチャンたちがイエス様を慕いながら歌う愛の歌、ゴスペルソングを聴きながら、お父様を思いました。お父様の数多くの十字架の道、血で染まった拷問の道、愛の十字架の道、それらを思いながら、ゴスペルの中で主を賛美し涙が溢れ出て、胸が張り裂ける思いをしながら、イエス様の愛を感じ、再臨の主とイエス様の愛がこんなに偉大なのだなと感じました。


その内容をもとに今の若者たちを見るとき、世俗的な音楽、アイドルの歌や音楽プログラムなど、こういったものばかりを聴いて、愛とは一体何なのかを知りません。
“私が一番最高”、“愛はああだこうだ”という、とても幼稚な偽りのサタンの愛を繰り返し聴き、またその歌詞を暗記し頭の中で繰り返し歌うことによって洗脳されるのです。


主の深い愛、私はその愛を受けられるような者ではないのに、私のためにご自身を犠牲にされ、数多くの血の十字架の道にご自身を投げ打って、元来私がそこで死ななければならないのに、ご自身を投げ打って私を生かそうとされる、その愛。


この世にあふれている偽りの歌では、そのような愛を学ぶことはできません。
また、感じることができません。浅く刺激的な内容で惹きつけるだけの歌であり、
私のために血を流され、死のうとされる、私の魂を愛してくださる神様、これを知らないのです。


ですから、若者たちはもちろん、年取った人も同じですが、この世の浅い歌だけを聴いていては、宇宙的な深い愛を理解できません。
神様は栄光の中で全ての万物を創造されましたが、その万物よりも私を愛してくださる神様。私は神様の愛を受けられるような者ではなく、嘘をつき、罪を犯し、人を憎み、地獄に行かなければならない者なのに、神様は私を救ってくださる。
なぜ、なぜ救おうとされるのか・・・その愛のために。


あの歌は何でしたっけ?(ヨナ様に尋ねて口ずさむ)♪その愛はどれほど美しいのか♪
その愛とは、その愛です。感動、感激させる愛。
私たちは愛について語るとき、幼稚な、アイドルの何ですか、少女時代、
そのようなくだらない歌ではありません。その愛は血を流されながら、私を救おうとされる愛です。それを理解しなければなりません。


なぜ、お父様が聖和された後、私たちはゴスペルを歌うことのできる歴史が訪れたのでしょうか。なぜなら、お父様の真理は完成段階だったのですが、統一家の体はそれに続くことができずに、旧約時代でしかありませんでした。


私が素晴らしいので祝福を受けた、私が条件を立てたので祝福を受けた、私が一生懸命やったのでこうなった、、、このような、偉そうな顔をする詐欺信仰、これは旧約時代の信仰、パリサイ人の信仰です。そのような信仰からは主の愛を知ることができません。自分がどれだけ条件を立てたてのか、それだけを見、それだけに集中します。


真の子女たちから末端食口まで、皆、罪人です。これを忘れてしまいました。
今やお母様も大罪人になってしまいました。お母様が悔い改めなければ、再びお父様の愛の圏内に戻ることができません。お一人で神になろうとされるので。


このような悲惨な現実の前に、私たちはお父様の愛が何なのか、はっきりと知らなければなりません。幼稚なアイドルのパップソング、ヒットソング、くだらない歌ではありません。私のために十字架に幾度とかけられ、私のために幾度と死なれ、私のために幾度と拷問を受けられる、私が受けるべき侮辱と罰と憎しみ全てを、私を救うためにお父様ご自身が吸収されたのです。


お父様が私たちのために蕩減されるという内容は、数千回と聞きましたが、それが、どういうことか分かりませんでした。お父様がなぜ私たちのために、蕩減条件を幾度と立てなければならなかったのか。
私たちはこの世の愚かな歌ではなく、ゴスペルを聴くことによって、そのような心情世界を理解することができるというのです。


そうすれば旧約時代の偉そうな顔をしていたものが、心情世界、私は罪人であり、神様の愛が私を生かしてくださった、という段階にあがります。
しかし、それは新約時代です。その段階にいてこそ、私たちはクリスチャンたちを伝道することができ、彼らと兄弟姉妹となることができます。


その基準がなければ、成約時代に行くことができません。口先だけで成約時代、成約時代といっても、実践が伴いません。主を愛するその基台の上で、私を生かす恩賜、恩恵、恩寵を理解する基台の上で、その次に祝福式が何なのか、血統が何なのか、そして、三日行事が何なのか、それを理解したときに、私たちは新約時代にいるクリスチャンたちも成約時代に導くことのできる神の子女となるのです。アージュ!


私たちがゴスペルを歌うとき、歌詞にイエスという言葉がでてくると、その言葉が耳にひっかかります。なぜなら、私たちは心の中で、イエス・キリストと再臨主を分離させているからです。しかし、お父様はどんな方ですか。二千年のキリスト教の歴史の中で、クリスチャンたちが待望してきた再臨主です。つまり、再臨のイエスということです。再臨主は再臨のイエスということなのです。
私たちはそこからあまりにも遠ざかってしまい、異邦の神に侍る者となり、何某の会長に侍る者となり、、、これらは全て偽りの神です。神様はお一人です。


その神様はアダムを創造され、アダムの体を用いてエバを愛し血統を残さなくてはならないのに、その後、サタンの堕落の歴史が続き、次にイエス様が来られるとき、神様はイエス様の体を用いて地上に来られました。お父様は、ただ単にサンギョプサル(バラ肉)とテンジャンチギ(味噌汁)を召し上がる方ではなく、お父様の体を用いられた神様だったのです。


ですから、お父様は晩年、み言葉で、『夜の神様』として来られたとおっしゃったのです。『夜の神様』。全ての創造物と人は、『昼の神様』、つまり、神様が創造された後の歴史に現れましたが、夜の神様は創造の前、アダムとエバ創造の前、宇宙創造の前、時間と空間、次元が生まれる前の『夜の神様』として来られたのです。
私たちは、そのように偉大な創造主と生きていたというのです。自分も知らずに。


その方は私たちを救うために、地獄の底にご自分の体を投げ打たれ、私たちがサタンの口で裂かれ血を流さなければならないのに、ご自分の身を投げ出され、愛の十字架の道を幾度と歩かれながら、私たちを救ってくださり、天の血統と種を残されたのです。


この内容でもって、お母様も救われたのです。お母様も堕落の血統だったでしょう。神の血統ではありませんでした。韓氏の堕落の血統がお父様を通じて浄化され、新しく生まれ変わることができたのです。それは、原理本体論に明確に出ています。神様がアダムを創造されたように、また、アダムからエバを創造されたように、お父様は真のアダムとして、お母様の位置は真のアダムを通して現れなければなりません。あばら骨のようにアダムから出てくるのです。


自分は神様から特別に出てきた創造物、これはサタンの信仰です。原理から見つけることのできない内容です。お母様はこのような大失敗をされ、今やカインとアベル、息子たちから敬拝を受けることのできない女性となってしまいました。お父様を神聖冒涜し、サタンと手をつなぎお父様を削除する女性となってしまいました。歴史に残ります。
これは、本当に悲惨な内容ですが、摂理は止まりません。


お父様の三大王権を通して摂理が展開するためには、真なる母と女性の位置が絶対に必要でした。なので皆さんもご存知のとおり、2週間前に私たちが真のご父母様の権限と代身者、相続者として、私の妻がその条件を立てなければなりませんでした。お母様が失敗した内容を、私の妻が勝利しなければなりませんでした。そして、お父様は三大王権を通じて真の父母を完成するようになります。


もし、お母様がお父様のみ旨のとおりにされていたら、そして、お父様の種(子孫)の前に敬拝し、自分の栄光と欲心と恨みと虚栄心を全て振り切り、全ての栄光はお父様にありと言われ、“食口の皆さん、お父様が願われた三代を支えてくださり、天一国を共に建てましょう”と言われていたら、三代にわたる摂理の延長はなかったはずです。


しかし、“私はお父様から何も学んでいない、私が真なる血統である、お父様は堕落の血統からきた、私がお父様の後始末をした、私がメシア、神様だ”と!?
このようなサタン異端・爆破者の内容を前に出して滅んでいっています。霊界が今や、そのような偽りのサタン、臆病者のサラリーマンたちを、一人一人審判し消して行きます。そして、お父様の聖霊が降りて来られます。許しの聖霊ではなく、恐ろしい聖霊が降りて来ます。誹謗、中傷を浴びながらも、逆さ十字架にかけられながらも、お父様をしっかりつかんで、お父様を追い求める人は生かされますが、とんでもない異端爆破者の内容に愚かに従うものは、地獄へ行きます。


お母様も、贅沢、宝石、全ての栄光があった女性でしたが、サタンと手を結んでお父様を削除して、お父様が選ばれたカインとアベルと血統を捨てられ、ご自身が神様になろうとされながら、今や地獄に行きます。私の母でも、これが原理です。悲惨な内容ですが、摂理は止まりません。どのような人によっても止まりません。
韓鶴子女史のせいで止まりません。お父様は数千回話されたように 『お前、韓鶴子、離婚するぞ』 そのように話されたように韓鶴子女史が自分の栄光を追求したことでお父様から去りました。私の母ですが今や、『真の母』ではありません。韓鶴子女史はお父様を去りました。今や霊界の全ての審判を受ける女性です。


私はそれを見たくないです。息子だから。
それで私たちは願って願って願って、、お母様に願って願って願って願ったのですが、
サタンの言葉だけ聞いて自分の栄光だけを追い求めるので滅亡の道を行くでしょう。
審判の道と監獄の罵倒される道、そのような愚かなものを選択しました。
あきれ果てるような愚かな選択。


お父様は全てのことを準備されたのに。全て勝利されたのに。
お父様はアダムの責任を全て勝利されたのに。最後に4%、5%だけすればよかったのに。神の王国がもうすぐできたのに、ほとんどできたのに。
その恨と欲心と虚栄心のために、地獄の道へ審判の道を選択するようになりました


その罪を誰が蕩減するのか、これからは世界次元の蕩減がきます。
何故?お母様はお父様の隣りに、世界次元の位置で座っておられたから。
その失敗で、その蕩減は何処へ行きますか?その罪、蕩減は何処へ行きますか?
それは世界に来ます。世界に来ます。世界が滅亡する世紀が近づいてきています。


全ての経済国が滅亡する世紀、一番強い偉大な国が滅亡する世紀、
暴君の国が興起している世紀、それは戦争の世界が起こります。
愚かな欲心と天使長たちの言葉を聞けばよくなると考えましたが、世界を殺す選択をしました。お父様が預言されたように、韓国の半分以上が血の海になり、日本も海に沈むようになる、そのような預言が私たちの目の前で起こるようになれば、霊界に行けば、亡くなった多くの霊人たちが『韓鶴子女史!お前は何故、欲を出してお父様を捨てたのか!』となったならば、お母様は地上にいる時に悪く言われるのと霊界に行って悪く言われるのでは違います。完全に地獄で暮らすようになります。
その愚かな詐欺師の者たち、天使長たちの言葉を聞いて自分が神になろうとするから。一番大きな罪を作った女史になってしまう。


これは悲惨な天一国の時代です。お父様が逝かれた後に。なんということでしょうか。誰も想像できなかった悲惨なサタンの役事が繰り広げられました。
私があの愚か者たちのように口を閉ざして、ただサタンと手を結んで何も言わなかったとしたら全てお父様と関係ない愚かな異端世界になったでしょう。


お父様の全ての伝統、み言葉、お父様まで削除するサタンの手を掴んだ詐欺師たち。
何だって!お母様が亡くなればすべて変わるかもしれません!?
サタンと手を結んで黙っていたら、その後、お母様が霊界に行った後で変わるかもしれないだと!?愚か者たち!そうしたら私もサタンになってしまっていたでしょう!
私もお父様を削除した役事の側になっていたでしょう!
お父様の代身者と相続者、真の父母の代身者と相続者がお父様を削除する役事に同参することになってしまっていたでしょう!?そのようにしていたならば!
私たちは権限と資産と財を願う愚か者のサラリーマンではないから!
私たちは良心のあるサナイ、男だから。息子たちだから。
私たちはちゃんと言っただろう。他のものは求めないと。私の父の愛を捨てられないと。
・・・・


このような役事の中で、私たちの目でお父様の聖霊の役事を見て五感が開くようになり
お父様の役事が起こり、、そのような証が韓国内で沸き起こるのを見ながらお父様は韓国にいる食口たちを、日本にいる食口たちを、悪魔、サタンの魔法にかかっていた人たちを目覚めさせてくれるのです。お父様にまた戻って来たならば天一国が建てられるでしょう。偽りの天一国が何ですか!?お父様と関係ない、お父様を削除した天一国?何が天一国家?サタン国家でしょう。


今や毎週、数十名が再び、お父様の祝福問答に戻ってきている救援の役事が起こっていることを見るときに、世界が滅亡し審判を受けていくこれからの世界で、身もだえしながらお父様をしっかりとつかまえて生きる勇士たち、他の人たちを救い生かそうと身もだえしている皆さんは天一国の誇りです。
一度、お父様の大きな愛に大きな拍手を捧げましょう!アージュ!
救援の役事が今起こっています。
・・・・


お父様、イエス様は十字架にご自身を捨てられました。お父様は 数万の血の十字架の道を行かれ、私たちのために頭からつま先まで血を流された、そのような愛でした。
その愛、その血をお母様のために一生涯流されたのに、それを知らずに欲心と虚栄を追求して偽りの道、詐欺の道、滅亡の道を天使長と手を結んで行きました。
・・・・・・・


ですから三代王権を通して天一国が建つようになります。
アブラハムとイサクとヤコブのように三代にかけてイスラエルの国が建ったように
三代王権を通してを通して 天一国が建つようになるのです


・・・その失敗のために、その背信のために・・
権限と権力はどれほど恐ろしいものかわかりません。皆さん。
愚かな人たちは考えます。私がこの権力があれば立派にやれるだろうと思うでしょうが
愚かな考えです。それを願う人は100%サタンになってしまいます。
私が修行者の道を行きながら、末っ子だったので何の責任も与えられないだろうと、
期待もしませんでした。その権限も位置も願いもしませんでした。
結局、お父様はその権力を願わない人を選ばれるようになりました。


それからの私の人生は祝福されるのではなく、困難な道を行くようになりました。
楽に生きられません。私の評判や修行は捨てないといけません。
多くの罵倒を受けながらお父様のために立ちあがり、誰も言わないときに私が言わなければならず、私を産んでくださった母を叱らなければなりません。
それを私がしたいとでも思いますか?
私がただ気ままに生きてそのようなことを何も考えずに生きたらいいでしょう。
私が母を叱るのが面白いと思っていると考えますか?


三代王権の中に真の女性の位置を完成させる女性が必要でした。
真のアダムは完全に勝利しました。アダムの責任は全て成されました。
真の父母の責任は全てされました。カイントアベルも全ての責任は果たしました。
カインはアベルを殺しませんでした。アベルが真の父母の権限を授かったときに
国進兄さんは私を殺しませんでした。天一国の模範を見せてくださいました。


嫉妬しながら“こいつ!俺の位置なのに、なぜお前がとったのか!”という偽りの王子たちの歴史ではなく、天の王子の歴史を見せてくだったのが国進兄さんでした。
私の弟だが、私がその弟に敬拝すると。代々カイントアベルが戦かっていたときに、最初の先祖の文国進兄さんのようにアベルを愛さないといけないのだな、と生きた模範となりました。天一国に立てられました。生きた模範。


アベルは兄の元へ行き自慢せず、カインとアベルがお互いに愛し守り助けあう。
お父様の栄光のために。金や資産など、愚かなサラリーマンの詐欺のようなことはせずに。お母様は私たちを狂ったように解雇しようと努力し追い出そうとしたときにも、私たちが全て捨てて払いのけてきたように。今や天一国には模範があります。
男は一体どんな男として生きなければならないのか、模範があります。


権力と栄光だけ追求する偽りの子女たちでなく、全世界に光り輝く栄光を捨てても、
お父様は捨てない心情、天の祝福がそこにあります。偽りの詐欺サラリーマン、食口たちを奴隷に仕立てた、神になりたがった愚かなサタンの歴史はもう来ません。


しかし抜けていたものは女性です。お母様はこのような大きな罪を犯されました。
お父様は全て知っておられました。皆さん、あの字を見たでしょう?
“私の代身者、相続者は文亨進、それ以外の人は異端者、爆破者だ”
なぜ、お父様はお母様に『お前、韓鶴子!離婚するぞ!』と怒鳴り叱られたのか、
今、私は理解します。特別に最後にラスベガスで話されました。
詐欺師たちは 食口たちに全て隠しましたが。私たちは何度も見、聞きました。
お父様はご存知でした。お母様を真の母として立て高め上げられてきたのに。
お父様は多くの祝福をくださったのに。 未来のお母様を見つめて願われたのに


『お父様は何度も真の母と言われたじゃないですか』とこのように言います。
お父様は郭錠煥にも、郭家庭にも模範家庭賞もあげました。
それなのに、その背信の役事、異端者爆破者の役事を見たでしょう。
私が願ったと?そのみ言葉を書いてくれと願っただと?


お父様が祝福のみ言葉を与えてくださったら、それに従って向かって生きるべきなのに。 それに向かって発展して行くべきなのに。お父様はその人の未来を見て未来を祝福されるのに。しかし5%の責任分担があるでしょう。お母様をあれほど高められたのに、全ての栄光を受けられる女性だったのに、、その心にある恨を整理できずに。
女性は権力を求める姿だけ見せました。これは偽りの姿です。いくら私の母であっても。これは天一国の模範になれません。これは滅亡と非難される道でしかありません。


そのため、2週間前に妻にそれを説明し、妻が天の前に『私は何の問題もありません。
私はお父様のみ旨のために死ねる女性になります。』そのように2週間前に私が真の父母の代身者と相続者として妻を立てて、お父様が立てられた血統の三代王権を立てておいて、妻は真の母と真の女性の位置で、お父様が願い望まれた秩序と三代王権
の前に敬拝をしました。お母様ができなかったこと、失敗されたことを妻は象徴的に
条件を立てて行いました。自分の子供の前に敬拝しました。お父様が願われたので。


私が死ぬときに“3代目代身者・文信俊億万歳!”と言える女性にならなければ、食口たちに石を投げつけて私を殺してくださいと言った女性です。
真の王妃と、真の母と、真の新婦と、真の女性の姿を天の前に捧げました。
それはお父様が立てられた三代王権の永遠の勝利となります!アージュ!
これからは天一国女性の姿がどういう姿なのか、はっきり見ることができる歴史が始まるのです。


偽りの女性のように『男たちは退け、私が上からお前たちを踏んづけてやりたい、私たちは金と権限を追求する、皆が私たちに敬拝する』という、こんな詐欺ではなく!
詐欺サタンではない、真の女性。天の父が願われるみ旨の前に自分を捨てて自分の欲心と虚栄心を捨てて、お父様のために死ねる女性。真の女性。歴史に残る女性。
英雄的な女性。お母様がそのようにされていたならば、天一国の祝福の歴史が
地上天国建設の祝福の歴史が来たでしょうにお母様はその責任を失敗されて
これから世界審判の蕩減が来ます。


しかし、お父様が直接選ばれた三代王権の秩序が正しく立ったのでその位置に真の父母の代身者・相続者として妻の位置、母の位置としてお父様の三代の種(子孫)の前に敬拝したので、これからは天運が大きく変わり、直接主管圏でお父様の聖霊の役事が、私たちに直接降りてこられる驚くべき役事を私たちは経験して直接目で見ることになるでしょう!アージュ


悲惨な現実ですが摂理は止めることができません。どんな人によっても止めることはできません。ですから私たちは霊的世界で生き、霊界に行ったりきたりして五感が開き、お父様を求める神の息子たちと、新郎を求める新婦たちに、神様は私たちにどのような武器と武士としてのどのような武道をくださったのか理解しないといけません。


エペソ人への手紙(エペソ書)6章を見ると、今日は全部できません。時間がだいぶかかりました。少しだけしましょう。


<李ヨナ様>
10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての(全身)武具を身に着けなさい。
12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。


<亨進様>
ここまでにしましょう。このような内容を見ると『全身武具』よろいを身に着けろ。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、私たちは全身武具を身に着けないといけません。


この内容は古代ギリシャ語で見てみると『身に着けなさい』は『エンドゥオ』です。
『エン』『ドゥオ』は『身につけろ』という意味だけでなく、『それとひとつになれ』
『エンドゥオ』、』『ドゥオ』という意味は『ドゥノモス』という意味から派生しています。
『ドゥノモス』は『神の権限』です。力。能力。神の能力という意味をもっています。


私たちは全身武具を身につけた時に、その全身武具は神からじかに出てきます。
それで私たちはそれを身につけます。全身武具。『エンドゥオ』、神の権勢を受ける者になります。そして『ドゥノモス』という意味は一つの軍の力という意味です。
私は一人だが、神の全身武具を身につけた時、軍隊の力を持っている神の勇士だ!アージュ このような意味があります。


今やお父様を求め、しっかりとつかんでついて行く、侍ってお守りする天一国の民が立ち上がっているので。皆さんはこれから勇士になることを学ばなければなりません。
武士になることを学ばないといけません。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために”대적/ 敵として相対すること、韓国語だと、敵として相対する時、敵を眺めろとなってしまい、これは正しい翻訳ではありません。この意味は『エンティステナイ』という意味です。ただ敵を眺める、向き合うのではなく敵に向かって押し進めという意味です。ただ敵と向き合っているのではありません。敵を押して突き抜けて行けという意味です。違うでしょう?思っていたのと。
神の武士たちはそのような自信をもって敵を恐れてはいけません。
私たちは神の全身武具を身につけている者たちですから。


次は何ですか?
“私たちの格闘(*シルム/相撲)は血肉に対するものではなく”シルム(韓国の相撲)
韓国人はシルムといえば何を考えますか?裸でパンツだけはいている人を思い浮かべるでしょう?砂の上でシルムをして。このように投げて。これがシルムだと考えるでしょう?違います。このシルムがずっと恐ろしいのです。このシルムと訳した語は『パレー』という言葉です。『パレッストロム』にも出てきます。このシルムは何かわかりますか?


ローマで兵士たちを育成する場所があります。道場。そこで3つの武道を習います。
それは何かというと、シルム、それは韓国のようなシルムではありません。人を殺すシルムです。目を刺して首をとろうとする、そのようなシルムです。そのような武道です。
『パレー』から出る『パレッストロム』の意味は道場という意味です。武士たちが訓練をする道場。その道場でシルムもして、手で相手を殺すことを学びます。シルムで。
骨をへし折る方法、ひざを砕く技を学びます。それを闘いで行います。
それがまず1番目の武道です。


2番目の武道はボクシングです。最近のタイ式キックボクシングのようなものではなく、
どんなものかというと腕までの長い皮の手袋でこぶしのところにナイフが4つついています。これは私たちが見る一般のオリンピックのボクシングではありません。ナイフで戦うこぶしです。ですから古代ギリシャのかめを見れば、その絵の写真のボクシングをする人を見れば、鼻がなく耳がなく体中が切られ傷だらけです。なぜかというとナイフのあるボクシングで闘うからです。これは韓国シルムと違うでしょう?


シルムで闘って敵を殺して勝って、次にナイフボクシングで生き残った者は
最後に総合格闘技に入って行きます。そこでは全ての武器を使って相手を殺す武道です。生き残った一番強い武士が闘う武道でした。これは『ペェルー』から出た『パンクレッシィ』という意味です。 “私たちの格闘(*シルム(相撲)”  韓国でいうシルムで、2人でパンツだけはいて取っ組み合うそのシルムとは違います。私たちがサタンと闘うとき、目を刺し、首をとり、ナイフ・ボクシングをし、武器を使いながら敵に勝たないといけない、そのような恐ろしい武道です。理解できましたか?違うでしょう?考えていたのと。
このような強い恐ろしい武士でなければなりません。


私は高校生のとき、フィリピンのナイフと棒を使う格闘技をしながら、そのような武道を学びました。食口の皆さんは私が武道をするのも知らなかったでしょう?
私はいつも親切だから(苦笑)幼い頃からそのような格闘技、ナイフと武器とボクシングと柔術(ブラジリアン柔術)とシルムなど、、そのようなことをしているとは知らなかったでしょう?
お父様が「見せてあげなさい」とおっしゃる時まで。私がそれを隠していたので。お父様は私を武士として育てました。そのような恐ろしい武道を学ばせて喜ばれました。


何故そのようなことをさせたのか、そのとき私は理解できていませんでした。 私の人生を見たときに何故、神様は私をそのように導かれたのか。 そのときは知らなかったけれども今になってわかります。そのような武道の精神がなければならなかったということを神様はご存知でした。そして一番困難だったときに、全ての人たちがお父様を背信したときに、、その訓練したことを用いなければならないということを今はわかります。これは武士の精神です。実際の武道もよいですが武士の精神を学ぶことが重要です。武士の精神をです。


私たちは神様のために立ちあがるとき、お父様をお守りしようと立ちあがるとき、サタンが私たちを攻撃してきます。それゆえ、私たちは武士の精神が必要なのです。
『ペェレー』このような死ぬまで全ての武器を使って闘うシルムで血肉に対するものではなく主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。”その精神がなければならないのです。武士の精神が。
サタンの軍勢に対して4つの段階については次回にお話します。


14節を見ると
14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。



ここにある内容を見ると(後ろの画面、兵士の写真を見ながら)兵士たちの6つの武器を見ることができまます。その当時、聖書でいう内容はなにかというと、その時、パウロは牢獄にいたでしょう。ローマにいた、よろいを着けた牢獄の番人である兵士たちをずっと見ていたので神様から啓示を受けました。よろいが何なのか。


そして、かぶと。このように(写真を見ながら) 胸当て、帯、盾、剣、そして靴です。(写真を見せて)人々はローマ時代の履物がどのようにできていたのか知りません。これは人を殺す靴でした。一般の皮の靴ではありません。履物の底に尖った刃のような釘のようなものが出ていました。兵士たちが行進しているときに前に人が来れば靴の底に尖った釘がついている靴で踏みつけ蹴りつけます。そして胸を突きます。わかりますか?


この全ての全身武具で一番重要なものはベルトでした。これは人々は知りません。  何故ここで真理でお前の帯を締めろ”と言っていたのか。
ローマのよろいを理解するならばベルトが一番重要だということがわかります。
胸当てはベルトの上にあります。ベルトがなければ 胸当てがぐらぐらとずれます。闘うときに動きます。ベルトがそれをしっかり押さえてくれます。身体にフィットするように。次に真理のベルト、そこに何がありますか?剣があります。聖霊の剣があります。
真理のベルトは義の胸当てを支え押さえてくれます。真理は義を支えます。真理は聖霊の剣を、 聖霊役事も助けます。


ローマ人が行進するとき、盾もベルトに入れて歩きました。闘うときは取り出しますが。
ベルトは盾も支えます。信仰の盾。盾はベルトの上にこないといけません。
信仰も真理の上にこないといけません。何の話かわかりますか?
全て、真理とつながっています。ですから“真理のベルトを締めろ”と言います。聖書で。全てのものが真理とつながるので。 “救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい“ 救いの役事も真理から現れます。


ローマのかぶとには赤い長い羽根のようなものがついていました。位の高い将軍などにはマントもありました。闘うときにベルトの中にマントをしまいます。マントがなびかないように入れます。全てベルトとつながって関係があります。おもしろいでしょう?全て真理と連結されています。


真理の上に立たなければ、義の上に胸当てもなくなります。救いのかぶともなくなります。信仰の盾ももろくなります。聖霊の剣も落ちてしまいます。ベルトは下部を保護してくれます。全てのものがベルトとつながっており、そして私たちの全身武具がどれほど強くて偉大なのかを皆さん、悟ってくださることを願います!
全てのものが連結されていました。


(盾を合体させた写真を見せながら)この盾の意味は『トゥリオン』、『トゥリオン』とは扉という意味です。ローマの盾は大きかったです。扉のように。その信仰の盾を連結させれば李舜臣(イ・スンシン)将軍の亀甲船のようにタンクになります。動く壁となります。信仰の盾を信じる者たちと連結させれば神の保護圏がやってきます。上から跳んでくる矢も防ぐことができる信仰の力があります。


この盾を見て御覧なさい。これは木だけで作られたものではありません。中に厚い皮が入っていました。盾の木の間に分厚い皮が入れられていました。
戦いの前に兵士たちは盾を水の中にしっかりと浸します。水の中に。水は何ですか?
生命水。信仰を意味する信仰の盾を。私たちの信仰も生命水に入らないといけません。私たちの信仰の盾を生命水に入れないといけません。


何故、ローマ兵士たちはそのようにしたのでしょうか?何故なら火の矢が飛んで来て盾に突き刺さっても盾の中の皮が濡れているので火が消えるのです。
ところで、その盾の皮が乾いてしまうとい盾がもろくなります。皮が硬くなるともろくなります。そうなると敵が盾をついたら盾が割れてしまいます。
それで戦いが終わり夜にテントに戻ってくると毎晩兵士たちは盾に油を塗りました。
私たちの信仰も神の油を注がないといけません。信仰の盾ですから。
神の聖霊の油を注ぎましょう!アージュ


聖霊の剣、聖霊の剣とは何ですか?兵士たちが戦うときの剣は短かったです。短い剣でした。ローマ兵士には長い槍がありました。その槍は遠くに敵がいてこちらに来る前に遠くに投げれる槍です。敵が遠いときは槍を使います。そして盾を使いながら離れた敵を槍で突き刺すことはできます。しかし、敵があまりにも近く寄ってきたときには槍は長すぎます。ですからそのときには槍を捨てて剣を抜かないといけません。
剣を抜いた瞬間からはどういうことかというと、私たちは今や敵と接近して戦うということです。サタンとの目の前の闘いです。


何故、神の聖霊の役事が降りてくるときに皆さんの人生にもお父様の聖霊の役事が起きてくるのか。それはどのような意味があるのかというと、私たちはサタンとぎりぎりの戦いをしているというのです。聖霊の剣で闘っているということです。神のみ言葉で闘っているという意味です。時間がない闘い。すぐ目の前にいる闘い。逃げられない闘い。


そして“平和の靴”平和の靴ですが、皆さん、さっき、ご覧になったでしょう?武器の靴です。この全ての全身武具を身につけなさい。
私たちはお父様をお守りするために、お父様とお父様の伝統をしっかりつかんで、三代王権の勝利とともに動くとき、私たちは神の全身武具をまとうことになります。


その全てのことは真理の帯から、義の胸当て、救いのかぶと、信仰の盾と聖霊の剣、
真理と聖霊で私たちはサタンを退け、私たちの能力ではなく神の能力でサタンの悪の
歴史が滅亡し、再び神の元へお父様の元へ救われる聖霊の驚くべき役事を、私たちはこの目で見ることになるでしょう!アージュ。 兵士たちが立ち上がるでしょう。


これから霊界の戦いが始まるので、皆さんに夢や役事が起こるようになります。
皆さんは全身武具をまとっていることを理解され、お父様の祝福問答とお父様の聖霊の役事とともに歩まれて、お父様をお守りする、天の息子たちと天一国の新婦、真の女性になり、お父様に全ての栄光と賛美と喜びをお返しできる私たちになれることを天の前に願ってやみません。アージュ、アージュ、アージュ  
・・・・オンマ、話すかい?


<ヨナ様>


私も今日、久しぶりにベルトをしてきたのですが、今後ベルトをつけるたびに私たちが考えなければならない、真理のベルトを常に締めていこう、このように考えなければいけないと思いました。


今回、私たちが1周年を迎え10代、20代を中心にコンサートをしました。賛美歌を中心にコンサートをしました。 それを見ながら、この若い子供たちが主の中心文化を作っていくことがどれほど美しいことだろうか、そのように思いました。


数人の方たちのお話を伺ったのですが、ある方は自分が15年間、ここでキャンプを作ったそうです。 2世中心で。そして祝福家庭中心で。アメリカでは教会中心のキャンプもありますが、自主的に自生的に食口たちがグループを作ってこのようにするキャンプが多いのです。夏のキャンプ、冬のキャンプが多いのですが、この方が15年間、これを組織した方なのですが、今回のコンサート賛美礼拝をする前に子供たち70名が夏のキャンプに来ていたそうです。


その子供たちを見ながら、本当に良い2世なのに、2世たちが主を知らないんだな。そして、キリストを中心とした生活が何なのかわからないんだな。だからこんなにも多く迷うのだな。それをあまりにも深く感じて心が痛かったと。


ところが、今回賛美礼拝にきて子供たちを見ると、若い人たちがそのように主を賛美し、主を愛する歌を歌うのを見てとても大きな感動を受けたと話をしながら、これこそキリストを中心とした文化が本当にここに定着されているんだな、私たちに希望がある、このような考えをしたというお話でした。


そして、私達が賛美礼拝をしながら本当に嬉しかったのはそれでした。誰も自分を前面に押し出すために舞台に立った人がいなかったことでした。そして賛美礼拝をリードしていたある女性の話ですが、最初、舞台に上がるととても震えたそうですが、瞬間、啓示のように神様が“自分を考えずに神の愛を中心にしながら、ただ賛美しろ”そう聞こえたそうです。それでその声を聞いてから、震えが一つもなくなって私は本当に主のものであり、主は私のものだ。その賛美の歌がとても自然に出てきたということでした。


主の愛は常に私たちのそばにあるのに、私たちが心を閉じていれば目に見えないようです。今日、神様の全身武具を一緒に勉強しながら、私たちが神の全身武具を身に着けて、聖霊の中で祈りながら、また賛美しながら神の愛についてさらに発表し宣布し宣言して、そのような生活を、主を中心とした生活をしなければならないと思います。ありがとうございます。


<亨進様>


皆さん全てが、私たちの真のアイデンティティを理解しなければなりません。
全ての男性は、私は天のお父様のために死ぬことができる神の息子である。アージュ。言ってみてください。男性たち。私は天のお父様のために死ぬことができる神の息子である。アージュ。そして女性たちは、私は神様のために、主のために、キリストのために死ぬことができる新郎の新婦である。アージュ。


2世たちがそのようなことを認識したら、お父様が願われた天一国すべての栄光を天のお父様、再臨主にお捧げできる勇士たち、愛する息子や娘たち、新郎を愛する花嫁たちになった時、それより驚く偉大な歴史と国はこの世にないでしょう。アージュ。アージュ。


父なる神様、感謝します。お父様が私たちを導き、私たちに武道も教えてくださり武士の精神で全身武具を身に着けることができる息子たちになれるよう許諾してください。そして、あなたのために死ぬことができる真の女性の新婦になれるよう許諾してください。

真の天一国に立てられた国、三代大権を通し、真の姿とその位置を完成させる模範が今や立っていますので、お父様の役事を通して、聖霊の役事を通して、私たちは、あなたから太陽のような光が出てくる全身武具を身につけた男たち、勇士となれるよう許諾してくださり、サタンの権勢と悪魔の異端・爆破者の内容を滅ぼす救いの道に導く勇士と天一国の民たち、平和警察、平和軍になれるように、お父様が許諾されたことを心から感謝して全ての栄光と賛美と喜びはあなたのものであります。祝福家庭たちの名前で報告し栄光、栄光、栄光をお捧げいたします。アージュ。アージュ。アージュ。

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亨進様が「お父様は殺された」と発言されたことは一度もありません。

この説教だけでなく、亨進様はお父様が殺されたという趣旨の発言を一度もされたことがありません。

お父様は結局天が定めた日時に聖和されました。 6月3日 (早期聖和説と安楽死説に対する亨進様とサンクチュアリ教会からの証言)

について話が変わった等の声がありましたので、サンクチュアリ教会に再度質問しました。


返信内容:(掲載許可頂いています。)



亨進様が「お父様は殺された」と発言されたことは一度もありません。

を確認したところ、弟子たちはお父様を「殺せと言った」と亨進様は言われています。

これは以前にも申し上げたように、お母様が一時安楽死を選ぼうとされていた時点で、朴普熙氏を除く教会指導者と先輩食口らがお母様の選択に反対しなかったことを指して言われた内容です。
弟子たちは「殺せ」と言いましたが、息子たちが反対して、結局安楽死は実行されませんでした。

安楽死の計画を阻止できかったという見解にどんな根拠があるのかは知りませんが、その場に実際おられた亨進様と国進様の証言とはまったく違います
聖母病院でそれこそ命がけで安楽死を反対したお二人が清平での安楽死に同意されるわけがありません。

阻止できなかったのではなく、阻止しました。

もし、あの時阻止していなければ、韓鶴子お母様が50余年間お父様に侍った基盤が完全に崩れたでしょう。

そうなっていたなら、韓鶴子お母様は「再臨のメシアを殺した人物」として歴史に残り、摂理は今よりも更にひどい状態になっていたでしょう。

管理者コメント:安楽死に反対したお二人がその後どうなったかは皆さんご存じの通りです。

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