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2018年9月19日水曜日

贖罪の精誠は永遠の氏族メシア血統の使命 ■ 生命の書入籍祝福式と完成期祝福に関する救いⅥ


贖罪の精誠は永遠の氏族メシア血統の使命

生命の書入籍祝福式と完成期祝福に関する救いⅥ

先祖と我々の再臨協助完成と子孫たちが
天国に入国し続けるために。

生霊体級霊人体完成は氏族メシアの使命 ■ 生命の書入籍祝福式と完成期祝福に関する救いⅤ(リンク先参照)、にて氏族メシアの使命として氏族の自犯罪・遺伝罪・連帯罪の清算だけでなく責任分担完成圏のおける生霊体級の霊人体完成という責任分担と、地上における天一国建設と天一国の世界化という責任分担があることを述べた。

ここではたとえ生霊体級の霊人体を完成しても、キリスト三大王権とともに生きなければ罪人であり、結局罪の贖罪の精誠は永遠に必要であることを論じる。

マタイによる福音書10章
10:7 行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。 10:8 病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。
この病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ

このマタイによる福音書10章7節8節の内容は、キリストと罪の関係において、聖殿聖徒である氏族王と王妃のその血統、氏族、宗族に対する責任分担でもある。
この責任分担において、どうして贖罪の精誠が重要であるか、合わせて論じていく。

1.完成期生命の書祝福を受けても原罪以外の罪は残る。

完成祝福を受ければ原罪以外の罪も清算される、祝福二世は全ての罪が精算されて生まれるという間違った認識が多かったが、宣教本部はこれを明確に否定した。
完成生命の書祝福を受けても原罪以外の罪が残ることも明確にした。

そうであるから、氏族メシア、氏族の王と王妃のメシアとしての使命は氏族に対する遺伝罪清算・連帯罪清算であること遺伝罪清算は氏族メシアの使命■生命の書入籍祝福式と完成期祝福に関する救いⅣ(リンク先参照)で論じた。

210代先祖解怨と完成期祝福を受けた聖殿が歩む路程として、この贖罪の信仰は大変重要であるので、宣教本部の祝福を受けても罪が残るとした見解を次にもう一度見てみる。

● 二世なので原罪がないのは事実ですが、私達は言動だけでなく言葉や考えを通しても、実は毎日罪を犯しています。それは二世も例外ではありません。例えば、このような汚れた世界、泥沼のような世界に生きているのですが、泥沼のなかで生活しながら、人が汚れないと言うことができますか?罪がつくのです。万が一完璧な人であったとしても、完全に罪の無い清い人であっても世間とタイアップ(共同)すれば、そこで罪を犯すのです。 原罪無く生まれても、罪は原罪だけではないのですね。原理をもう一度読まなければなりません。もちろん原罪は根です。根を切ったら、木全体が死ぬことになりますが、それは時間が必要ですし、あっという間になされるのではありません。

● 一世の責任は大きいです。私達が二世に対する考えを大きく間違えました。
 二世は原罪無く生まれたので、完全に罪のない子供が生まれる、こう考えて、二世の子供は完全だと考えたかはわかりませんが、そのような考えは変えなければなりません。
 私達がそのように変わることによって、信仰がもっと深くなります。信仰が強くなるのです。真理をより深く分かるようになります。

● 一日にして(罪が無くなる) 。これを考えてみてください。罪が、聖書的にいえば6000年、実際は人間が誕生してからどのくらいですか?25万年?分かりません。とにかく、長い時間、今まで罪があったのですが、これが一日でなくなるのではありません。

 結局は私達すべてが、二世も三世も四世もみなそうです。お父様は私の救世主だと言うことを体験しなければなりません。

 私たちは生涯、罪と戦わなければなりません。戦わなければなりません。それが、お父様が常に語られた心と体の戦いです。戦いを私達が終止符を打たなければなりませんが、お父様が語られたように。お父様の御言葉を見たら、そのような御言葉がたくさん出てきます。体と心の戦い、結局それは罪との戦いです。


「一世の責任は大きいです。私達が二世に対する考えを大きく間違えました。」

これは聖殿信徒は家庭連合の時から信仰の影響で、大きく罪に対する認識が間違っていたという指摘であるが、上記の宣教本部の罪観を端的に言うならば
「原罪無くして生まれた二世であろうと遺伝罪・連帯罪・自犯罪が有り、二世、四世であろうと、自分の体と心の戦い、自分の罪との戦い、罪の贖罪、これが聖徒一人一人の成すべき信仰の道である。」
「一世はもちろんのこと二世であろうと四世であろうと我々の信仰は結局、常に罪との戦い、常に贖罪していく戦いである。一世はこのように今までの祝福を受ければ原罪のみならず他の罪も清算されるという考えを改め、ニ世教育をしなさい。」
ということである。

むしろ完成期の祝福を受けたということは、今まで以上に雑霊や恨霊、悪霊が救いを求めて集まってくるし、悪霊やサタンは罪をおかさせ、再びサタン主管圏に陥れようとする。それがゆえに贖罪の努力は尚一層重要である。
なぜなら原罪、そして原罪以外の罪が清算されても罪は以上のように残るからである。我々は罪は清算されればまったく無くなると思ってきたが、実際には完全に無にすることは出来ないことを文亨進様は明確に言われた。

そのことを次に論じる。

2.罪は清算されても罪は残る。

罪は清算されても罪は残るという重要な内容を見てみる。
二代王亨進様はキリスト(再臨主)より贖罪されても罪自体は残るという重要な贖罪神学を言われた。
贖罪とは罪を消すことではないか、なぜ残るのかと疑問に思う方も多いだろう。どういうことか次にそのみ言を見ていく。

● 亨進様:キリストは我々の罪を許してくれるだけなく、我々の罰まで全て受けたと言うのです。法的に主は罪人になって、罪がなくても罪人になって、罰を支払うことになりました。イエス様は罰を支払ったのですが、私たちは実は私たちの罪がなくなったのではありません。私たちが完全に無罪になったのではありません。

● 私たちは、完全に神聖な神様の前では皆罪人です。罪の塊だと見ることができるでしょう。
そしてそうした罪のある者たちは、絶対神様の前に行くことができません。
私たち人間の中には、その誰も罪がない人はいません。
そうであるなら、私たちの罪が許されて、我々の罪がぬぐわれるという言葉は何ですか?
その言葉は、私たちの霊人体が主の救いで覆われるということです。
主が私たちの魂を、主の公儀で覆って下さるということです。
従って罪人である私たちが、神様のそばに、主のそばに近づける存在になるということです。
その言葉は、私達が我々の心で信じれば、私たちの全体の運命が変わるという意味です。
私たちは地獄に行く汽車に乗って駆けていたが、主を心から告白して迎えたなら、その瞬間、その人の運命の汽車が行く道が変わるというのです。

このみ言の詳しい神学は2017年6月17日水曜■韓国語礼拝を読んで頂くこととし、ここではその内容を簡単に説明する。

罪と罰は一体である。罪を犯せば罰を受けるのだが、キリストによる罪の贖罪はその罰をかわりにイエス様が受けられた。

つまり贖罪とは罪を犯したのであるから当然受けるべき罰、咎をイエス様がかわりに受けられたのでその罪に該当する罰を受けないようになったということである。

これは当然受けるべき罰は受けないで良いようになったが、犯したその罪自体が無くなったということではない、その罪自体が無罪になることはなく残るということを意味する。

つまり、キリストによる贖罪を受けても原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪そのものは消えることはなく、受ける罰が無くなった、罪と罰の二つのうち、罰が無くなり罪は残るということである。

キリストによる罪の清算はキリストが代わりにその罰を受けて、その罪故の咎を受けないようにキリストがその罪を隠すことができる霊的な服を下さるということである。
これがキリストによる代贖ということである。

綺麗にして無くしてくださったかのように思えるその罪は、そのように隠されただけで存在し、そのように隠されても神もキリストもその罪は見えるということである。
また、そのように罪が存在し続けるということは、再び罪を犯す要因となる。
それが故に遺伝罪、連帯罪の清算、自犯罪、体と心の戦い、罪との戦いは世代を超えて続くのである。
従って我々は聖和式を行い先祖解怨をすれば罪の無い綺麗な状態になるという意味は原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪そのものは消えないが、その罪が見えないように主が隠して下さるということであり、原罪の罰は主が受けてくださるが原罪以外の遺伝罪・連帯罪・自犯罪の罪と、罪の罰の清算は地上でなさなければならないということなのである。

3.主によって救われるという贖罪観が聖殿に永遠に求められている。

地上の主キリスト亨進様はこう言われる。

● プラウス(praus)は何を意味するのか、どういう意味ですか?神様の主管圏の下、神様の力を使用する!神様の権能を使用する者、とてもつなく強いのです。それでも謙遜で、私は罪人だということを知って、恵みによって救われる人として、王と王妃として神様の権能を使用する者、もちろん、義のためのために、義のために使用するのです。悪を閉鎖するための、神様の義を使用する者、神様の能力を使用する者です。はるかに武士的な感じがあります。

このように自分を主キリストによってのみ救われる罪人であることを知って謙虚であり、神の義のために神の権能を使用する者、このような贖罪観をもつことを聖殿聖徒に亨進様は求めておられることがわかる。
「神様の権能を使用するものは謙虚で私は罪人だと知って、主の恵みによって救われるという贖罪感を保つ人、それが王と王妃である」と言うことなのである。

これもまた遺伝罪、連帯罪の清算、自犯罪、体と心の戦い、罪との戦いは世代を超えて続くということを意味する。

天一国王と王妃とはこのように「自分が罪人であり、主によらずして救われることは無い」というキリストの信仰を持つ者のことであり、これは一時的な信仰観ではなく、未来永劫の天一国国民に求められている信仰観ということである。
罪に対する意識、このような贖罪、罪との戦いは生霊級の霊人体を完成しても世代を超えて続く信仰を、天一国国民、聖殿聖徒が永遠に持つことを地上の主キリスト亨進様は我々と我々の子孫に願われているのである。

さらには、まったく罪なき完成した我々の子孫に対してもこのように言われる。

● キリストの中心性を重んじなければなりません。キリストなしでは、価値なき者にすぎません。汚れたボロ切れであり、神様の前のただの罪人に過ぎません。
「六世代で、清くなり完成する」ということが重要なのではありません。むしろ重要なものは、神の国と血統、摂理の流れの中心、摂理の動きと共に、血統を通して世代を超えて動くこと、これです。』
この三代王権の観点からみると、贖罪とは、完成祝福を受けても210代先祖解怨しても、210代先祖から更に先のアダムとエバの堕落に至るまでの罪が、つまり我々にはアダムとエバの堕落以降の全ての罪の痕跡は決して完全に消し去ることはできず、ただキリスト血統王権である三大王権によって、まったくその罪の痕跡も無きが如くキリストの救いの衣を下さるということである。
それは原罪の贖罪をされ6代で子孫が完成した後もキリスト三大王権による贖罪が世代を越えて必要だということである。
それほどまでに、アダムとエバの堕落は大きく、この罪の結果としての全ては永遠に子孫に残るということを認めざるを得ない。

それが故に贖罪の精誠は地上に生きている者が永遠に行う先祖ための条件でもある。また子孫のための精誠条件にもなるということが言える。

この内容は先祖供養で信仰を訓練されてきた日本人は理解しやすい親和性の高い内容である。


4.数多くの悪霊から氏族を守り傍系先祖の解怨祝福することも氏族メシアの使命

210代先祖解怨は夫婦直系8系統であるので傍系先祖は解怨されない。この観点が欠落している人が多い。

家系図を作った人はわかるはずだが、その家系図にどれだけ解怨されない傍系先祖がいるか、210代となると一人4系統1670人、夫婦で8系統3340名の先祖と計算されるが、その何倍もの解怨されない傍系先祖が子孫を頼ってくるし、その傍系先祖が犯した罪の恨霊がその子孫を頼ってくる。
傍系先祖自体の先祖と、その先祖の被害者の双方が信徒一人一人を頼ってくるということであるから、どれ程の数になるか想像を絶する。

更にもっと厄介なのは、霊界の地獄にいた何百等身も遠い悪霊である傍系先祖が子孫を頼って降りてくることである。この霊はいわゆる恨みを晴らす恨霊ではなく悪行を行う悪霊である。血の一滴でも関係があれば何百等身も遠くても子孫を頼ってくる。しかもこのような悪霊は血統とまったく関係の無い悪霊と徒党を組んでやってくる。このように非常に危険な悪霊群が憑依し本人もよくわからず猟奇的、あるいは思いつき的犯罪を犯すケースが多数ある。また正にその犯罪者の霊に取り憑かれて激しい霊性に苦しむこともある。場合よっては体の命を奪われることもある。

この事は聖書にも書いてある事実である。

マタイによる福音書12章43~45節
12:43汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。
12:44そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
12:45そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。

この聖句に書いてあるように、遥か遠い血筋の傍系先祖の汚れた霊が、その霊以上に悪い他の七つの霊を引き連れてその地上人の中心に入るということである。
210代先祖解怨は直系に関わる先祖であるが、直系先祖に関わる霊の数は相対的に僅かであり、実際に我々に来ている霊の殆どは傍系先祖や傍系先祖の遺伝罪、連帯罪の罪に関する霊である。さらにはこの聖句によればその7倍の数が血統とは何ら関係ないのにその罪の相対基準によって来た犯罪者の霊たち或いは雑霊が来ていることがわかる。

これらのおびただしい霊の前に、210代先祖が解怨祝福されても正に多勢に無勢である。この事から地上で生きるとはこのような霊、罪との戦いでもあると言える。

それが故に謙虚で私は罪人だと知って、主の恵みによって救われるという贖罪感を保つ人という認識の下、精誠をささげる信仰生活が生涯、そして世代を越えて必要であることが理解出来る。

このことに関する聖句がある。

ヨハネの黙示録 22章14節
22:14いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。

「自分の着物を洗う」とは罪を贖罪することである。謙虚で私は罪人だと知って、主の恵みによって救われる(2018.6.27ことを理解する氏族王と王妃は必然的に、罪の贖罪の精誠を尽くさざるを得なくなる。

210代先祖解怨祝福式を行うのは当然だが、210代先祖解怨祝福は直系であるから上述した傍系先祖や悪霊に関する贖罪の責任分担が氏族の王と王妃にもあるということである。
また、繰り返すが、体と心の戦い、原罪以外の罪と、罪と罰の清算は地上でなさなければならないが、罪との戦いは生霊級の霊人体を完成した後も世代を超えて続くのである

5.霊界で解怨祝福を受けた霊も子孫の精誠を渇望している

地上で生きている時どれだけ父なる神を愛し、キリストを愛し実践したかが生霊体級の霊人体を作り上げる上で重要であるか述べてきた。

210代先祖解恩祝福によって再臨協助するその子孫の霊人体の成長以上にその絶対善霊は成長できない。絶対善霊に対して、まるで超人的力を持つ霊であると錯覚してい人もあるが、原理講論にある再臨協助の原理に反することはできない。

また先祖であるがゆえにその子孫と似たり寄ったりであり、能力的にも非常に限界がある。
また前述したように罪は見えないように主が隠してくださっているだけであり、それは絶対善霊とて同じである。

絶対善霊が地上の子孫に憑いている恨霊や悪霊を分立したり伝道するという話をよく聞くが、恨霊はまだしも、悪霊は本気でその子孫を殺そうとしている強力な霊力の霊であるから、子孫を守ろうと近寄りでもすれば、絶対善霊の方がたちまち囚われたりするなど逆に非常に危険である。

しかも子孫に憑いている霊の数のほうが先程述べた理由のように絶対善霊の数よりも圧倒的に多い。それにもかかわらず絶対善霊をまるでスーパーヒーロのように錯覚して、三大王権キリストによらなければ救われない贖罪の信仰生活を軽んじている人もいる。

真のお父様が地獄の極悪人を伝道しようとされたが、その極悪人は、真のお父様を嘲笑ったという証もある。ましてや我々の絶対善霊たちである。

聖句に次のようにある。

マタイによる福音書18章18節
18:18よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。
210代先祖解怨祝福の先祖たちの霊人体の成長は再臨協助によってのみ可能であるため、子孫を守り、み旨を成就する再臨協助を必死に願っている。210代先祖解怨祝福とて復活論・再臨復活原理に反することはできないからだ。

ところが 210代先祖解怨をした地上の子孫の中には210代先祖を前述したように絶対善霊を絶対能力者の如く誤解し、逆に絶対善霊任せとなり精誠をささげることが疎かになる聖徒もいる。
しかし地上の子孫の精誠(地上でつなぐこと・地上で解くこと、再臨復活原理)が先であるので、子孫の精誠無くしては地上に再臨協助できない。ましてやこれほどの多くの霊との戦いである。子孫の精誠無くして子孫に近づくことすら難しいのが霊界の事情である。
つまり霊界の210代先祖は地上の子孫の精誠を心の底から渇望しているのである。

それが故に地上の聖徒は地上でのみ旨のみならず、先祖と一緒にキリスト三大王権に侍るために210代先祖、傍系先祖のことを祈る精誠が非常に重要である。

上述した霊界と罪の関係から見るとき、地上で解く精誠となる遺伝罪・連帯罪・自犯罪の贖罪の精誠は210代先祖に再臨協助の大きな力に成る。
更にはその罪の贖罪の精誠による霊界の伝道にもなり、そのようにして導かれた霊は、その精誠を捧げた者の霊の子になる。ゆえに地上で伝道できないことを嘆いてはいけない。贖罪の精誠条件は再臨復活の原理から見ても伝道の条件にもなるからだ。
先祖供養もこのような観点で天につなげるならば非常に重要な再臨復活の役割のための精誠となる。

以上、遺伝罪、連帯罪の清算、自犯罪、体と心の戦い、罪との戦い、罪の清算という責任分担が氏族メシア、氏族の王と王妃にあることを宣教本部と亨進様の神学を元に明確にしたが、聖殿聖徒の歩む道はこれらの罪との戦いのみではない。
直接主管圏である天国圏天国に入国するためにはこれら罪の清算以上に聖殿聖徒が歩むべき道がある。これを次に論じる。

6.二代王亨進様のみ言に見る血統転換と罪の関係

真のお父様は祝福・原罪清算を天国にハイウエイと例えられたが亨進様はこれを潜在能力と言っておられる。


<亨進二代王>
● また、その子羊(息子)と父親の関係が地面と天上の関係で設定がされているのです。私たちは、神の血統と接続されているとして、私たちはすべての多自動的に罪がなくなって痛みが全くない生活を生きるされることはありません。しかし、私たちに神の主管圏の中で遺伝子的に神の血統に変わったので、私たちに神の子どもで購入できる最も大きい 可能性を受けているのです。自分が主の血統というそのアイデンティティを完全に受け入れる瞬間、私たちは主の主管圏の中に住んですることができます最も高い可能性を受けるということです。                      
また、その子羊(息子)と父の関係が、地上と天上の関係で設定されているのです。私たちが神様の血統と連結されているからといって、我々皆が全部自動的に罪がなくなって、苦痛が全くない人生を生きるようになるのではありません。しかし、私たちは神様の主管圏内で、遺伝子的にも神様の血統に変わったために、私たちに神様の子女として生きられる最も大きな潜在力を受けるようになるのです。自身が主の血統というそのアイデンティティを完全に受け入れた瞬間、私たちは、神様の主管圏内で生きられる最も高い潜在力を受けるようになるというのです。

このように原罪清算され神様の血統に連結されても全ての罪が自動的にはなくならないと二代王は言っておられる。それどころか遺伝罪、連帯罪、自犯罪の罪が自動的になくなるのではなく、それらの罪による苦痛の人生は変わらず残ると言っておられる。

これから”完成祝福を受けたのに、祝福二世、三世なのに「若くして霊界に行く。大病を患う。大きな事故に遭う。子供の結婚祝福がうまくいかない。子供が登校拒否、情緒不安定。体の理解できない異常、病気。仕事がうまくいかない。理解しがたい罪を犯す。」など、どうして完成祝福まで受けたのにこのような不幸が起きるのか悩む聖殿聖徒が増えるだろう。その理由は上記「1.完成期生命の書祝福を受けても原罪以外の罪は残る。」「2.罪は清算されても罪は残る。にて述べた通りである。

しかしこの 罪による苦痛の人生に対し自身がの血統というそのアイデンティティを完全に受け入れた瞬間、私たちは、神様の主管圏内で生きられる最も高い潜在力を受けるようになる」ことが血統転換の祝福ある。
真のお父様は原罪清算をハイウエイと例えられたが亨進様はこれを潜在能力と言っておられる。我々は祝福により潜在能力を受けたが、その能力を発揮できるよう精誠を尽くす責任分担があるのである。
結局、神様の血統に連結されても遺伝罪、連帯罪、自犯罪、しかも直系だけでなく傍系先祖と傍系先祖の遺伝罪、連帯罪、自犯罪、更には罪を辿ってくる血統と関係のなり罪、霊との戦いであるので「自分が主の血統というそのアイデンティティを完全に受け入れる」とは主の血統に連結された者として、そのようは不条理な罪をも清算することを受け入れることで、神様の主管圏内で生きられる最も高い潜在力を受けるようになるということである。これは真のお父様の言われる「責任分担完成圏の完成のために自分の責任分担を完遂する」ことを受け入れるということなのである。

さらに自分が主の血統というそのアイデンティティを完全に受け入れる」ということにはもっと本質的、積極的意味がある。


7.血統キリスト王権を受け入れることの重要性

自分が主の血統というそのアイデンティティを完全に受け入れる」とは何か?自分は主の血統、神の子だというアイデンティティを持つということではない。
もっと本質的、積極的意味は血統キリスト王権を自分の真理であり道であり生命であり救いである、これを受け入れなければ祝福子女であろうと罪人であり、残された罪の清算も血統キリスト王権によらずして救いの道は開かれないことを受け入れるということ、これが自分が主の血統というアイデンティティを持つという本質的意味である。

亨進様のみ言を見てみる。
『お父様のみ言の中に六世代を過ぎれば完成した人間になるというものがあり、お父様のみ言を信じていればいい』という姿勢の祝福ニ世に対し二代王亨進様は以下のように言われた。

● 中心摂理は、真のお父様と、その王統を通してもたらされる実体の王国です。ここが理解できないところがキリスト教世界観が分からない人々の問題です。多くの日本人食口、キリスト教の背景をもたないアジアの食口の陥るところです。キリストの中心性を重んじなければなりません。キリストなしでは、価値なき者にすぎません。
キリストの中心性を重んじなければなりません。キリストなしでは、価値なき者にすぎません。汚れたボロ切れであり、神様の前のただの罪人に過ぎません。
「六世代で、清くなり完成する」ということが重要なのではありません。むしろ重要なものは、神の国と血統、摂理の流れの中心、摂理の動きと共に、血統を通して世代を超えて動くこと、これです。(2017年5月26日Q&A)

血統転換した6世代後の完成した子孫でさえ「キリストなしでは、価値なき者にすぎません。汚れたボロ切れであり、神様の前のただの罪人に過ぎません。」ということ、これを受け入れることが「自分が主の血統というそのアイデンティティを完全に受け入れる」ということである

そして次に天国に至るために、つまり生命体級の霊人体を完成させるために極めて重要なことを言っておられる。

重要なものは、神の国と血統、摂理の流れの中心、摂理の動きと共に、血統を通して世代を超えて動くこと、これです。

要するに完全完成した立場の6世、10世であろうとキリスト三大王権と世代を超えて共にしないとその血統はただの罪人になってしまうということであり、このようにキリスト三代王権の血統王権とともに自分の氏族王家の血統を通じて世代を越えて摂理をともにしなければその氏族王家血統は生命体級の霊人体を完成出来ないし、完成しても罪人になるということである。

ましてや我々1世には完成期祝福を受け210代先祖解怨祝福を受けたこと完結するのではなく、むしろもっと「罪人であることを知って謙虚になり」真の父母様に感謝して人を愛するための平和軍訓練と訓読・祈祷・敬拝そして伝道に励み、またこのことを子孫に伝える先祖としての重要な責任がある。

私たちは完成祝福を受けても、そして六世代を過ぎて完成し、み言の訓読に励んでいても、真のご父母さま信じていても、キリスト血統王権とともにしなければただの罪人である。
キリスト血統王権とともに世代を超えてい行くことによって氏族の罪も贖われていき、その氏族王家の血統を通じて摂理をともにすることにより生命体級の霊人体を完成していくのである。
しかも完成してもその自由意志によりキリスト血統王権と離れてしまえば神様の主管から離れてしまい罪人になるという大変厳しい御言である。
しかしこれを完全に受け入れるということが、自分が主の血統というそのアイデンティティを完全に受け入れる」ということなのである。

日本人はこのキリスト的信仰観念がなかなか理解できないので、どうしても二代王が言われるように「偶像崇拝と同じ、自分が中心、自分さえ完成すれば、神様の王権も王国も、メシアも神様も必要ない」という救いの観念に陥ってしまいがちである。

キリスト血統王権が実体としてなぜ地上に必要なのか?
それはキリスト血統王権である三大王権は永遠の道であり真理であり生命であり救いであるからであり、そのキリスト無しでは我々は完成しても今後の血統を通じて単なる罪人であるからである。

キリスト無くしては罪人である血統であるということを受け入れるキリストをまといし王とそのキリストの花嫁たる王妃にというキリスト的観点を確立し子孫に伝える責務が我々一世そしてこの時代を生きる二世、三世にある。
本当にイエス・キリストと、真のご父母様に対して理解しているのなら、道であり真理であり生命であるキリスト血統王権を中心とした生を送る信仰を大切にする血統氏族になろうと務めざるを得なくなるのである。

キリスト血統王権が実体としてなぜ地上に必要なのか、キリストをまといし、キリストの花嫁となり王国を建設するというキリスト的救済と贖罪の感覚がわからなければ贖罪の本質も完成の意味も理解できない。
それがゆえに今、イエス・キリストとハレルヤ、アーメンを心から求め叫ぶ者となることが宗族王と王妃に求められている。
聖霊の役事、アノインティング(聖霊の油注ぎ)も結局、この目的のためである。

マタイによる福音書10章
10:7 行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。 10:8 病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。
この病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ

聖殿聖徒である氏族王と王妃に責任分担としての贖罪の精誠がいかに重要であるか、以上より理解頂けたと思う。


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2018年8月24日金曜日

生霊体級霊人体完成は氏族メシアの使命 ■ 生命の書入籍祝福式と完成期祝福に関する救いⅤ


生霊体級霊人体完成は氏族メシアの使命

生命の書入籍祝福式と完成期祝福に関する救いⅤ


完成生命の樹祝福を受け天国に入国するために。


周知のことと思われるが原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪、これらの罪を清算しただけでは天国圏の天国に入ることは出来ない。
ところが完成期祝福を受ければ、あるいは全ての罪を清算できれば天国に行けると思い込んでいる信徒もおり、もう一度み言に立ち返りこれを検証する。
また、天国圏の天国とはどういうことかも合わせて論じる。

1.天国入国条件は罪の清算だけではない

聖殿聖徒が直接主管圏・天国に至るための歩むべき内容を原理講論から見てみる。

復活論(三) 霊人に対する復活摂理②キリスト教を信じて他界した霊人たちの再臨復活
ⅱ) 完成再臨復活
新約時代に、地上でイエスを信じて楽園に行った生命体級の霊人たちは、メシヤが再臨されたのち、全部地上に再臨するようになる。その霊人たちは、地上の聖徒たちをして、再臨されたイエスを信奉して生霊体級の霊人体を完成するように協助することによって、彼らも同様な恵沢を受けて、生霊体を完成するようになるのである。そして、この地上の聖徒たちが肉身を脱いで天国に入るときには、その霊人たちも彼らと共に天国に入るようになるのである。このような復活摂理を完成再臨復活摂理と称する。このような摂理において見るとき、霊人たちが地上人たちを協助することはいうまでもなく、結果的に見て、地上人たちも霊人たちの復活摂理のために協助するのだということも、我々はまた理解することができる。
ヘブル書一一章39節以下に「さて、これらの人々(旧約時代の聖賢たち)はみな、信仰によってあかしされたが、約束(天国に入る許可)のものは受けなかった。神はわたしたち(地上人)のために、さらに良いもの(天国)をあらかじめ備えて下さっているので、わたしたち(地上人)をほかにしては彼ら(霊人たち)が全うされることはない」と記録されているみ言は、結局、既に説明した事実を実証したものといえる。すなわち、この節は、霊界にいるすべての霊人たちは、地上人の協助を受けずには完成できない、という原理を証したものである。マタイ福音書一八章18節に記録されている「あなたがた(地上の聖徒)が地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」と言われたみ言も、結局、地上の聖徒たちが解いてやらなければ、霊人たちにつながれたものが解かれないという事実を証したのである。このように霊人たちは地上の聖徒たちに再臨して、協助してこそ復活できるようになっている。ゆえに、マタイ福音書一六章19節で見るように、天国の門の鍵を、地上の聖徒たちの代表ペテロに授けて、彼をして天国の門を地上で開くようにされたのである。

このみ言を聖殿聖徒に当てはめると
「聖殿聖徒は再臨されたイエスの後継者・代身者・相続者であるキリスト血統圏三大王権(今の時代は、二代王・三代王)を信奉して生霊体級の霊人体を完成させることにより天国にはいることができるのであり、210代先祖解怨の霊たちや再臨協助している霊もまた、聖殿聖徒が生霊体級の霊人体を完成するように協助することによって、彼らも同様の恵沢を受けて、生霊体を完成するようになる。そして、この地上の聖殿聖徒たちが肉身を脱いで天国に入るときには、その霊人たちも彼らと共に天国に入るようになるのである。」
と表現できる。

遺伝罪・連帯罪・自犯罪の清算は生霊体級の霊人体を完成するために必要な条件ではあるが、全ての罪を清算したとしても、霊人体が成長するのではない。罪の清算は、霊人体の成長を妨げる要因を取り除く条件であると読み直してもよい。祝福を受けたあと、何らの罪がなかったアダムとエバが堕落し、なし得なかった生霊体級の霊人体を完成させなければ天国に入ることは出来ない。

同様に霊界人も同じであって、霊界人が先祖解怨・祝福を受け罪が無い状態になっても(正しくは罪が見えないようにキリストが隠して下さるにすぎない。詳細は次回Ⅵ篇で論じる。)その霊界人もまた生霊体級の霊人体を完成させなければ当然天国には入れない。
それが故に絶対善霊は子孫に再臨協助しようと必死である。なぜなら天国に行くためには子孫が生霊体級の霊人体を完成させなければ彼らもまた生霊体級の霊人体を完成させることが出来ないからである。 

これは一世で生霊体級の霊人体を完成させることが出来なければ二世、二世で完成できなければ三世と世代を越えて再臨協助していくことを意味する。
しかも文亨進様は6世代後、完成したとしても、三代王権とともに生きなければ、どんなにみ言を訓読していてもその人は罪人であると言われた。(詳細は次回Ⅵ篇で論じる。)

それが故に罪の問題は世代を超えて戦っていかなければならない内容である。それほど先祖と子孫の関係、再臨協助の関係は深い。

2.地上で完全に合格した家庭が天国に直行できる。

以上の通り生霊体級の霊人体を完成させなければ天国の天国に入ることはできない。完成祝福を受けても生霊体級の霊人体を完成させることは出来ないことは、完成祝福を受けた者たちそれぞれが実感している内容でもある。

ところが完成祝福生命書祝福は蘇生、長成、完成の祝福の最後の間接主管圏なのでこの祝福を受けただけで次の直接主管圏天国に入る事ができるという認識がある。
また、文亨進様が「聖徒たちが受ける祝福は康お母様と同じ完成祝福生命書祝福である」と言われたことを、これを康お母様と同じ基準の霊人体を完成させることができる、もしくは康お母様と同じ基準の霊界にいけると誤解いして受け取っている聖徒もいる。
これは真のお父様が下さる「完成祝福の恩恵」と「生霊体級の霊人体を完成させる」ことの二つを混同してしまったからである。生霊体級の霊人体を完成させるという路程があることを失念したか、完成祝福を受ければ自動的に生霊体級の霊人体が完成する成長が一瞬にしてできたと勘違いしたかが理由として考えられる。

このことについて天聖経のみ言に、真のお父様がなされることと信徒がなすべき2つがあり、信徒はお父様の教えの基準に合格した者(生霊体級の霊人体を完成した者)が天国(直接主管圏)に行けると言っておられるのでそのみ言を紹介する。これから紹介するみ言の興味深いところは天国(直接主管圏)に天国、中間霊界、地獄ができると言っておられることである。

<真のお父様>
●霊界でみんな尋ねるというのです。「先生の教えはこうだったが、この基準に対してあなたは合格者か、不合格者か。霊的五感と肉的五感が一つになり、この基準に合わせようと努力したか」と聞くのです。皆さんは、どのように考えますか。天国は、誰でもそのまま通過できる所ではありません。福を受けても、でたらめに生活した人が集まる所ではありません。深刻な人が集まる所です。皆さんは、先生よりも深刻でなければなりません。(246-191,1993.4.16) 天聖経P806~P808

解説:霊界では、お父様の教えの基準に合格する者なのか、地上で霊的五感と肉的五感を合わせる努力をしたのかをチェックする審判がある。天国は祝福を受けて、デタラメに生活した者はいけない。祝福を受け深刻に生活した者が行くところである。

●完成した子女、完成した兄弟、完成した夫婦、完成した父母はこうあるベきだという神様の公式的なモデルがあるでしょうか、ないでしょうか。それがあってこそ、永遠の審判の基準になるのです。「君は天国の第一合格者、第二合格者、第三合格者—–」という系列を定めることができ、位置を決定できるのです。そのようなものがあるでしょうか、ないでしょうか。なければならないのです。そのような愛の理想相対を地上に実践し、完成しようというのが創造理想だというのです。それで、神様が子女を造られたのです。(245-209, 1993.3.7) 天聖経P922~P924

解説:霊界では、神様の子女、兄弟、夫婦、父母の公式モデルがありこれが審判の基準である。この審判の基準で、天国入国の合格者の系列と位置を決定する。生霊体級の霊人体を完成させなければ天国に入れないが、生霊体級の霊人体を完成させても、人それぞれの基準があるので、その合格者も永遠の審判基準により、その系列と位置を決定する。

●霊界を、はっきりと知らなければなりません。適当に生きることはできま せん。地上で完全に合格した家庭として天国に直行できる、条件に引っ掛からずに解放直行できるように、家庭を皆さんがつくらなければなりません。 それは、先生の責任ではありません。みな行けるように祝福してあげたでしょう。ハイウェイを造っておいたでしょう。自動車に乗って、油さえ入れればよいようにしておいたのです。どこにでも行けるのです。
解放をみな宣布したのです。駄目な時は、「こいつ」と言って制裁を加えるのです。天国に入る時に、この地上から合格者を送らなければなりません。
今まで、合格した者たちだけ送ったのではなく、ただ送ったので、あの世の牢獄や中間霊界に行っています。地上の中間霊界とか楽園家庭とか、ま たは地獄家庭がないように、きれいに整備して、天国に直行できる、このよ うな基盤を築かなければならないのです。(298-232,1999.1.8)  天聖経P1543~P1544

解説:我々が地上で条件に引っかからず天国に入国に合格できる家庭を地上につくらなければならない。生霊体級の霊人体の完成は家庭を通じて可能である。そのような合格した家庭をつくるのことは信徒の責任であり、お父様の責任ではない。お父様の責任は祝福をすることで天国へ行けるハイウエイをつくることである。この祝福というハイウエイを行けるようになっても、地上の合格者が天国に行くのであり、完成祝福を受けることにより生霊体級の霊人体を完成させことが出来るということではない。祝福というハイウエイを通じて霊界に行っても、それぞれの霊人体成長の度合いに応じたあの世の牢獄や中間霊界に行くことになる。

以上の御言のように真のお父様は御自分がなされる祝福をハイウエイに例えられた。
その上で天国に解放直行できるよう地上で合格者になるかどうかはお父様の責任ではない皆さん(我々)の責任であると言っておらる。
つまり祝福を受けたあと個々の責任分担(如何に霊人体を成長させるか)を果たす必要があり、その責任分担の結果(霊人体の成長結果)により牢獄に行く者もあれば中間霊界に行く者もいるということである。

このお父様のハイウエイの例えで言うなら、真のお父様が成される祝福には蘇生・長成・完成の直接主管圏に至る三段階の祝福のハイウエイがあり、康お母様は既に生霊体級の霊人体を完成させた方であり、康お母様とお父様の勝利により完成祝福生命書祝福祝福によって最後の三段階目の直接主管圏に至るハイウエイ道を開いて下さったということある。

ハイウエイとはこのようにメシアの祝福のことであるが、その祝福とは何か?それはメシアの使命から理解できる。
メシアの使命は血統転換・原罪精算し信徒が生霊体級の霊人体を完成させる道を歩めるハイウエイ(祝福)をつくるということであり、この祝福のハイウエイ工事が三段階あったということである。

ところが天国には地上の合格者が入れるということであるから、真のお父様はハイウエイ(祝福)をつくり自動車までも準備してくださるが、油(精誠)は自分で用意しないといけないし、天国に入る解放直行できる永遠の審判基準に合格し天国行きのライセンスを得て(生霊体級の霊人体を完成させて)運転しないと霊界の牢獄、中間霊界に行ってしまうと言っておられる。そのようなライセンスに合格するという責任分担もまた真のお父様は我々に下さったということである。

また原罪精算は再臨主、天宙メシアの使命責任であるが、このハイウエイを歩む過程で、残りの遺伝罪、連帯罪、自犯罪、この3つの罪の精算が責任分担として我々に当然残されている。これらの罪の清算はこの合格するためのライセンスの要件の一つであり、み旨をメシヤと共に歩みアダムとエバが成長しえなかった成長期間の内容を完成しなければならない。
天宙メシアは人類の原罪の清算に責任である。同様に遺伝罪、連帯罪、自犯罪の清算が氏族メシア、氏族の王と王妃の責任なのである。
同時に生霊体級の霊人体を完成させることが 氏族の王と王妃の責任である。

このように氏族メシア、氏族の王と王妃は、生霊体級の霊人体を完成させることと、罪の清算という二つの条件がある。
罪の清算は天国に行くための要件の一つであり、地上の生きたキリスト血統圏とともに天一国をつくるなかで永遠の審判の基準に合格できるライセンスを地上で得なければならないのである。

これを先の完成再臨復活の言葉で言えば再臨されたイエスを信奉して生霊体級の霊人体を完成するということである。

聖殿においては二代王・三代王の三代王権を完成期祝福を地上の生きたキリスト血統圏を信奉して生霊体級の霊人体を完成させるのであるが、当然ながら聖殿信徒たちはこの完成期祝福の勝利をされた康お母様をお父様と完成真の父母の四位基台を成就された完成真の父母様として侍り歩むことによって生霊体級の霊人体を完成させることができるということである。

従って、康お母様を我々と同じく原罪を持って生まれた方であるが、元同じ堕落人間であるという情で康お母様をみるのではなく、今まで人類誰もがなせなかった完成祝福を真のお父様と果たされ、夜の神様の妻となられ完成生命の書入籍を与えて下さる完成期真のエバ、真の母として尊び感謝する孝子の心情がとても重要になる。
なぜならば康お母様は生霊体級の霊人体を完成させる生命を我々に下さる源泉、真の母となられたからであり、この孝子の心情がなければこの生命を得ることが出来ないからだ。(詳細は次回Ⅵ篇で論じる。)

このように地上で三大王権とともに生霊体級の霊人体を完成させることは氏族メシアの罪の清算以上に重要な使命である。また三大王権とともに歩む事なくしては生霊体級の霊人体を完成させることはできないのである。

この氏族メシア、王と王妃の責任分担を間接主管圏・直接主管圏という観点で次に見てみる。

<真のお父様のみ言>

日本語天聖教P1089~P1090
統一教会の「原理」を見れば、間接主管圏と直接主管圏があります。しかし、人間が堕落することによって間接主管圏にとどまるようになり、直接主管圏には連結されていないのです。
直接主管圏に連結されて、神様の愛の圏に行くためには、間接主管圏で何をしなければならないのでしょうか。自分の責任分担を完遂しなければなりません。(139-231,1996.1.31)

天国は、どこから始まるのでしょうか。サタンを分立しただけのところで始まるのではありません。責任分担完成圏から始まるのです。それは直接主管圏、間接主管圏が責任分担を完成したアダムとエバを通じて初めて連結され、天の愛が地上の愛に連結されるのです。これが原理です。それができていないので、サタンはこれを妨げるのです。天の愛の道を妨害するのがサタンなのです。(148-204,1986.10.9)

このように個々人の間接主管圏の責任分担を完成した責任分担完成圏から天国が始まるのであって、責任分担完成圏とは生霊体級の霊人体を完成させる圏ということであり、責任分担完成圏を個々人がつくらなければ直接主管圏に連結されないということを意味する。

これが個々人の責任分担であり、個々人はこの責任分担を完成しなければ天国につながらないのである。責任分担完成圏から始まるとは生霊体級の霊人体を完成させるということである。

罪の清算ばかりではなく自分の霊人体を生霊体級に完成させるのは当然自分たち自身である。言うならば我々は罪の清算をするなかで生霊体級の霊人体を完成させることができるのである。

氏族メシアは氏族の遺伝罪、連帯罪、自犯罪の清算の責任を果たすとともに間接主管圏でなさなければならない基準に合格し、氏族が直接主管圏に繋がるようにする、そのようね責任分担が氏族の王と王妃にあるということである。

このように責任分担完成圏を完成させることが天の審判の基準に合格するということである。

ではどのような内容に合格すれば責任分担完成圏を完成させることができるのだろうか

<真のお父様>
神様と真の父母様に侍って、代表的な家庭となり、中心家庭となって、家庭では孝子、孝女、国では忠臣、烈女、 世界では聖人、天地では聖子の道理を、天が願ったすべてのことを私たち家庭で完成しようというのです。父母として子女教育をなし、国家では国民教育をなし、世界と天地では、その天の国の一族、家庭、食口としての合格者になれるようにしようということです。(260-190,1994.5.8) 天聖経 P1468~P1469

いわゆる家庭盟誓の二番「天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、天の父母様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します。」と誓ってきてことに対し、合否が問われるということである。生霊体級の霊人体とはこのような合格基準に達した霊人体を言う。

では私達はこのような孝子から聖子にいたるための家庭になるためには具体的には何をしなければならないのであろうか?

<真のお父様>
●真の父母を中心として入籍する人が今後、先祖になるのです。あの世の先祖になってそれがすべて主流氏族を中心として、主流民族を中心として、そこに傍系になるすべての人を中心としてこれを編成するようになっているのです。ですから、入籍しなければなりません。入籍は、そのままするようにはなっていません。160家庭、あるいは180家庭を完了しなければならないのです。これができなかった人は、脱落するのです。36家庭であっても、それを主張する時代は過ぎ去るのです。平等化時代に入ったので、ここではその数に誰が先に至るかが問題なのです。統一教会でその氏族が多ければ、恩恵を受けるのです。(286-247,1997.8.11) 天聖経P952~P954

私達は直接主管圏に行くために「生命の書入籍」をしなければならない。しかし生命の書入籍祝福を受けたからと言ってそのまま入籍はできないということである。その入籍の条件とは160家庭、180家庭の伝道という氏族メシアの勝利基準であることをお父様は教えて下さっている。これができなければ入籍祝福を受けても入籍から脱落し、そのような不合格者は直接主管圏に繋がるハイウエイを走ることができるが、行き着くその先はそれぞれの基準に応じた霊界、霊界の牢獄、中間霊界に行くということである。

この霊界の牢獄・中間霊界は、サタン主管の地獄や中間霊界ではない。ハイウエイを走る、つまり祝福を受けた上で生じる直接主管権内にある霊界の牢獄、中間霊界ということである。これを次のみ言で見てみる。

3.サタン主管圏の霊界が無くなっても地獄が存在する。

お父様の言われるハイウエイ(お父様の祝福)は天国に至る道であるが、この天国は神様の原理圏(直接主管圏)としての国という意味であり、本来の天国とは違う。次にそのみ言を見てみる。

・天上世界の霊界に行けば、その階級によってとどまる所が決まります。そして、長い期間そこで教育を受けるのです。その世界は堕落圏ではありません。神様の原理圏です。一国家の国民が罪を犯しても、その国の民として罪を犯したのです。天国の民として天国の法に抵触したので、その法に従って処理を受けて、天国を侵害したすべてのものを、全体の前に手助けできる内容を提示することによって……。(295-135, 1998.8.19)
・これから天国に楽園が生じます。ここで待たなければならないというのです。天国に中間霊界が生まれるのです。天国に地獄が生まれたのです。監獄が生じるということを知らなければなりません。それを知ることによって、皆さんがどこに行くのかがはっきりと分かるのです。分かるようになっています。分かるようになっていますか、分からないようになっていますか。はっきり教えてあげるのです。(295-135, 1998.8.19)

・祝福されて編成したのに入れない人は、アダム家庭が堕落したのと同じです。霊界に入って何が生じるかと言えば、天の側の監獄が生じます。中間霊界が生まれるのです。祝福家庭の楽園が生じることを知らなければなりません。このごろ相軒氏の証言が代表となっていますが、そこでも罪を犯した人は名札を付けて行き来しなければなりません。角度が異なる分だけ、90度に合わないその度数の差に対して制裁を受けなければなりません。一切許されないのです。(300-158, 1999.3.3)

・霊界に行った三十六家庭たちは霊界の栄えある所に行っているのです。李相軒氏が霊界の実相に対してすべてを話しませんでしたか。祝福を受けた三十六家庭は栄えある所にいるというのです。しかし、誤れば名札を付けて行き来するというのです。そこに地獄が生じます。楽園があるのです。それが今後サタン世界が除去されれば……。天国は天国ですが、天国ではないというのです。中間霊界、霊界の監獄に閉じ込められているのです。地獄のような国が遠くにあるのではなく、一日生活圏にあるというのです。地上は時間圏内で生活するのですが、そこは一年を一単位にして生活するような理念をもって暮らすことができるのです。そのような差が生じるのです。(299-316, 1999.2.21)

・天国があり、家庭的楽園が生じるのです。家庭的中間霊界が生まれ、家庭的地獄が生まれるというのです。皆さんが現在の暮らしの中で良心の影として残っているものが、白昼にすべて底までのぞき見ることができる時代なのです。そこでは弁明が通じないのです。そこにも監獄があるというでしょう。監獄があります。祝福家庭も霊界、天国に入っていって家庭が神様に近い所へ行き、父母様の近くに行くことのできる階層が生じたというのです。(295-300, 1998.9.24)

以上のみ言をまとめると、いずれ全ての人類が神様の原理圏としての国、直接主管の国に行くわけであるが、結局その地上で成したこと、また霊人体の成長の具合により、天国(原理圏国、直接主管圏国)のなかの中間霊界、地獄に行くことになるということである。本来一つであった天国が天国圏天国、天国圏中間霊界、天国圏地獄という原理圏・直接主管圏の中間霊界、地獄が生じるということである。
サタン主管圏の霊界は神様の愛が届かないので暗く闇でその罪が隠されていたが、 原理圏・直接主管圏 ということは全ての罪が原理によりあからさまになる世界ということである。そこはサタン主管圏の霊界と違い、飢えることはないかもしれないが、罪があからさまになる地獄、心情的にはサタン主管圏の地獄よりも遥かに苦しい地獄である。

それがゆえに、完成祝福を受ければ、地上で真剣に生きていく責任が生じることを意味する。

4.個人、家庭、氏族単位では天国に入籍出来ない。

<真のお父様>
●国家がなければ入籍できないのです。教会には入籍できたのですが、国家に入籍できていないのです。南北統一をすることで入籍時代に入るようになるのです。その時が来るので、先生が「氏族メシヤを中心として160家庭を早く収拾しなさい」と言ったのです。そうなれば、南北統一がなされた場合には、先生が第1代として入籍して第1の先祖になり、それから誰が来るのかといえば、160家庭を祝福した人が続くのです。先祖の順序が入籍によって違ってくるというのです。ここに1600人を超える人が座って祝福を受けたとしても、1600代の差が出るのです。(256-332,1994.3.14) 天聖経P952~P95

お父様は160家庭祝祝福という入籍条件に合格できても、それは教会入籍であり、国が無ければ天国(天国圏天国)には入籍出来ないと言われる。これはお父様の例えで言うならば、入籍試験に合格し天一国に入籍できるライセンスを持てたものの(生命体の霊人体を完成させたものの)実体の天一国が出来なければ霊界においても天国に入籍出来ないということを意味する。そして実体入籍の際、この氏族メシヤとしてどれだけ祝福家庭をつくることが出来たかによって、入籍の順序、先祖としての順番が決まると言われる。今聖殿に4300祝福家庭があるとするならば、4300代の先祖としての先祖の代の差がでるということである。

聖殿ではAR-15の銃器所有が生命の書入籍、天一国入籍の条件となったが、天一国建設はまだ始まったばかりでありAR-15を実際に所有し国旗衛兵式を受けても国家入籍という意味では長成期の段階である。このみ言を鑑みると今の段階では天国圏はあれども、何らかの制限のある霊界領域であって、まだ国とは言い難いいわば待合所のような霊界であることがわかる。これは国としての体裁をなした本来の天国は霊界にはまだ存在しないということである。つまり蘇生・長成・完成祝福という教会入籍は教会基準の入籍であり、従って地上の信徒たちが次に国家基準の祝福、さらにその次に世界基準の祝福を受けなければ 本来の国としての体をなした天上天国は出現しないということである。

このことを次の真のお父様のみ言で考察してみる。

<真のお父様>
●血統転換、所有権転換、心情圈転換です。心情圏が氏族です。これを転換しなければなりません。ですから、氏族を復帰しなければなりません。
イエス様は、国を復帰するために来ましたが、入籍できませんでした。戸籍を作っておくことができませんでした。それを蕩減復帰しなければなりません。
それゆえに、統一教会では(かつて)、結婚しても33歳が過ぎる前には生活できませんでした。その次には30歳でした。イエス様が出家する前の、30歳から生活する立場になりました。南北が統一される日には、そのような受難の道をすべて越えるのです。
ですから、統一教会の祝福は教会祝福、南北統一時代祝福、世界統一時代祝福です。三大祝福を経てこそ解放の立場に進めることを知らなければなりません。(252-140,1993.11.14)P952~P954

●祝福の日も、教会の祝福、国の祝福がなければなりません。世界の祝福、天国へ行って永遠の祝福の礼式を経てこそ、本然の世界に帰り得る道があることを知らなければなりません。皆さん、統一教会の祝福を受けたといって、「簡単に、便宜的に、さっと先生に分からずに祝福を受けた」と言っても通じません。国の祝福を経なければなりません。そこでは経歴がすべて出るのです。それから世界祝福を経なければなりません。それで、天上に行って大入会式とともに入籍式を経て、12支派の編成を終えて、神様を中心として真の父母があの世に行ってお座りになってこそ、場を定めて座られてこそ、すべての万民は順次に場を定めて座るようになるということを知らないでしょう(185-36,1989.1.1) P952~P954

祝福は教会祝福、国家祝福、世界祝福です。これを受けることができずに霊界に行けば引っ掛かるので、受けなければならないというのです。これを受けるためには千年万年かかるかもしれません。受けることができなければ、皆さんが霊界に入っても活動をすることができず、すべて待合所で待たなければならないのです。ですから、地上がどれほど貴いかということを知らなければなりません。(236-330,1992.11.9)天聖経P949~P951

このように祝福は教会祝福・国家祝福・世界祝福の三段階の領域的祝福がある。聖殿聖徒は完成期の祝福を受けた。しかし完成祝福は、領域的祝福で見れば教会基準の祝福である。つまり蘇生祝福・長成祝福・完成祝福は教会祝福ということである。また160家庭・180家庭の祝福を成しても、それも教会祝福ということである。

銃器所有の生命の書入籍祝福はこのみ言にある天一国家基準の国家祝福を成すための祝福であり、この国家祝福が蘇生祝福・長成祝福・完成祝福の三段階があるということである。 つまり銃器所有の生命の書入籍祝福 は国家祝福であると言ってよく、現段階ではAR-15を所有する祝福による国家祝福長成祝福までが最高の国家祝福であり、国家祝福はまだ完成されていない。現在は銃器所有が出来ても国家長成期であり、やがて実体天一国家が建立されとき天一国入籍祝福式(南北統一時代祝福)があるということである。その天一国が天一合衆国として世界に拡大したとき、更に世界祝福式、世界統一時代祝福式があるということである。これから鑑みると世界祝福も蘇生祝福・長成祝福・完成祝福の三段階があるということである。

そうであるから、私達が霊界で天国に入るためにはこの天一国入籍祝福式(生命の書入籍完成期祝福=国家祝福完成期祝福)そして世界天一国入籍祝福式(世界祝福完成祝福)を受けなければならない。

  1. 教会祝福:蘇生祝福・長成祝福・完成祝福
  2. 国家祝福 (生命の書入籍祝福) :蘇生祝福・長成祝福・完成祝福
  3. 世界祝福:蘇生祝福・長成祝福・完成祝福

このように地上に実体的に地上の天国、つまり天一国をつくり、これを世界を天一国の州にする国造り、天一世界をつくる責任分担が氏族メシアにある。

しかも国家祝福式、世界祝福式を受けたからと言っても霊界には通じない「そこでは経歴がすべて出るのです。」と言っておらる。前述した審判基準に合格してもその成績、つまり160家庭伝道の成績で入籍の順位がきまり、合格していない者は天国圏の中間霊界に行ったり牢獄に行ったりするということである。

更には次のみ言のように、心情基準の審判がある。

●(天国は)福を受けても、でたらめに生活した人が集まる所ではありません。深刻な人が集まる所です。皆さんは、先生よりも深刻でなければなりません。(246-191,1993.4.16) 天聖経P806~P808

これは天国に入るためには160名伝道ばかりではなく家庭盟誓の二番の内容「孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理の完成」の成績も天国圏で審判されるということである。

このように完成期祝福を受けても、でたらめに生きた者は天国圏天国に入れない、天国とは血統転換のみならず、心情圏転換という責任分担を果たすために深刻に生きた者が入れるところである。

●「そこでは経歴がすべて出るのです。それから世界祝福を経なければなりません。それで、天上に行って大入会式とともに入籍式を経て、12支派の編成を終えて、神様を中心として真の父母があの世に行ってお座りになってこそ、場を定めて座られてこそ、すべての万民は順次に場を定めて座るようになるということを知らないでしょう(185-36,1989.1.1) 天聖経 P952~P954」

このように「孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理の完成」の内容において、霊界でも大入会式の祝福式があり入籍式があり、そこで12支派の編成があり、合否のみならずその個々人の経歴に従い我々万民の霊界における場が定まるということである。
そうであるから、完成祝福を受けても先祖解怨をしてもでたらめに生きて生霊体級の霊人体を地上で完成できなかった者は結局、でたらめな霊界に行くことになるのである。つまりこのような生きて責任分担完成圏において生霊体級の霊人体を地上で完成するという責任分担が氏族メシアにあるということであり、210代先祖たちもこれを地上の子孫に切に願っている。


最後にこの事に関する天聖教のみ言を紹介し、「生霊体級霊人体完成は氏族メシアの使命」に関する論を終える。

次回Ⅵ篇 は三大王権とともに生きなければ生霊体級の霊人体を完成しても罪人であり、結局罪の贖罪の条件は永遠に必要であることを論じる。


天国入籍と祝福家庭の霊界
入籍をするためには

 今まで天の国に入籍がありませんでした。天国に国がありませんでした。家庭もなく国もなかったのです。霊界に行けば、父母であれ何であれ、10人家族であれば10人家族がみな別れてしまいました。しかし、これからはそうではありません。本来、堕落しなければ、父母と一族が共に入っていくのが天国だということを知らなければなりません。
 真の愛を中心として、祖父から父母、自分たち夫婦、息子、娘が一つになって、「ため」に生きる神様の真の愛をもつようになれば、そこには神様も絶対服従するのです。そのような愛の伝統に服従しながら、「ため」に生きる愛だけをもって動くその世界、「ため」に生きようとするその世界には、平和の基地が生まれまいとしても、生まれざるを得ないのです。
(210-355, 1990.12.27)天聖経 p952~p954   
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