2017年3月14日火曜日

永遠の希望の信仰・心の灯2017年3月8日「神様・み言・三代王権、愛と人の関係」韓国語■王の報告King's Report

永遠の希望の信仰・心の灯

「神様・み言・三代王権、愛と人の関係」

2017年3月8日水曜 韓国語王の報告(King's Report)

一部:聖書編

永遠に私達とともにおられる真のお父様





今回はこのみ言を聞きながら多くの聖殿食口が涙を流しました。それほどの感動的なみ言でした。
前回3月1日は厳愛による永遠の信仰の座標でした。
今回3月8日は永遠の信仰の座標、希望の灯となる、珠玉のマルスムです。


私たちの人生の目的は神様と関係を結ぶことです。
主と関係があってこそ、道であり真理であり生命なのです。
み言は神様という人なのです。 神様は人です。
そして聖書の御言も人です。人なのです。
神様の御言は人です。人格神から来ます。人と同じ人格のある神と言う事です。
神様との関係性、お父様を愛するという関係性。その愛は私達からくるのではありません。神様が私達を愛して下さるその愛からくるのです。その神様の人格からくるのです。
私達がそのようにして愛するお父様は、三代王権の血統を通してその時代の天一國の王の体におられます。そのようにしてお父様は私たちと共に永遠地上に生きておられます。
その愛の関係性は、み言に触れることにより実体時にその時代の天一國王を通じて真のお父様と出会えるのです。


0~58:44 翻訳:ミニオン


こんにちは韓国圏の食口の皆さん。今日は2017年3月8日水曜日 天基8年天暦2月11日です。
今日は韓国語礼拝ですか? 韓国放送?(ヨナ様:ええ、英語でなさってはいけないです。)
では、今日の天気をティム・エルダー本部長一度聞いて見ましょう。
天気 - ティム・エルダー本部長
韓国食口の皆様こんにちは。ティム・エルダーです。 今、天一国の地域は本当に冬と春がお互いに綱引きしている、そんな季節です。 今、季節に従って動くアヒルが私たちの教会の前にある池で少し休んでいたりする。そのような感じです。 そして、今朝はまだ夜明け前なのに気温が摂氏7度です。 雨が降ってちょっと霧が立ち込めています。 そして今日は最高気温が13度まで上がるはずで、雲がちょっと立ち込めるでしょう。 そして今日は風がかなりずっと吹くはずです。 ところで、明日の夕方からまた冬になります。 明日の夕方、木曜日の夕方から金曜日の朝まで雪が降る予報です。5cmから10cmの雪が降るはずであるという予報が出ています。 また週末にはまた冬が尋ねて来て零下に下がるでしょう。
わ~! 先週の金曜日は零下何度だった?韓国の温度で (零下 15℃くらいでした。) 零下 15℃。零下15度で外で寝たの?(ヨナ様:ええ、寒かったですよ。)あなた寒かったの?(ヨナ様:ええ、雪がちょっと降ったでしょ?) 雪も降って。 風が本当に寒かったのだって?(ヨナ様:ええ、たき火に煙が、灰もたくさん飛んでいって・・・。
ところで、このごろはテントで外に寝るからずっと易しいでしょう?(ヨナ様:そうですね。ありがとうございます。)それでは、開かれたタープ(屋根だけのテント)で寝ながら、寝袋なしに。(ヨナ様:それでは本当に寒いでしょう) ウールの毛布だけで火の管理をしながら生き残らなければならないから本当に本当に大変です。今日は雨が沢山降っていますが、このような天候で生き残ることは大変困難です。雨がこんなにひどく降る時、人が濡れるから、濡れながら低体温症になります。濡れながらこれから夜になれば、すべて氷になって、そうなれば体温が完全に下がるでしょ。死ぬ可能性がずっと高いね。


今日のリマは、聖書イザヤ書で48章17節から 22節まで。
イザヤ書48章17節から 22節
48:17あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。48:18どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり、48:19あなたのすえは砂のように、あなたの子孫は砂粒のようになって、その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない」。48:20あなたがたはバビロンから出、カルデヤからのがれよ。喜びの声をもってこれをのべ聞かせ、地の果にまで語り伝え、「主はそのしもべヤコブをあがなわれた」と言え。48:21主が彼らを導いて、さばくを通らせられたとき、彼らは、かわいたことがなかった。主は彼らのために岩から水を流れさせ、また岩を裂かれると、水がほとばしり出た。48:22主は言われた、「悪い者には平安がない」と。
あじゅ。あじゅ。ここで岩から水が出ると割って水が流れるようにされた。イザヤはイスラエル民族を見ながら、イスラエル民族がバビロンサタン主義の国の僕になった時、イザヤは民に神様の善良さと神様は拘束者であり 救援者。
エホバはこう言われる、「私はあなたの利益のために教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。」神様に従えば有益な人生を生きるようになります。 どういう意味ですか?恵沢だけでなく富だけでなく成功だけでなく私たちはそのすべての内容の開始点、関係を得るようになります。
人は世俗的な内容があっても、その内容と他の人、その内容がたくさんあってもさびしければ、自分が信じることができる人がいなければ、自分の関係がなければ、その内容がその深い悲しさを満たすことはできません。
人々は多くの内容において、自分がらんと空いている心情を多くの内容で満たそうとします。 知識なら知識、物質なら物質、自動車なら自動車、富なら富、その内容を満たして、私の心情の中にがらんと空いている部分があることを考えずに他のことを熱心に忙しく追い求めれば、その空いている部分を見れないと考えます。

麻薬、お酒、お金、多くの内容で満たそうとします。人々は狂ったように考えなしに生きて、忙しく忙しく狂ったように生きると言います。しかし、どの瞬間も止めてじっといる時、自分が蟻のように意味なく狂ったように時間を満たそうとする事実を感じるので、それを感じながらずっとそこにとどまれば、そのがらんと空いている心情を見るようになるので、人はまた忙しい内容に逃げだすようになります。そんな人が多いでしょ。
ですから、神様が祈りなさいと仰います。多くの人は知りませんが、祈る時に私たちは一般生活のエンターテイメント世界、麻薬世界、お酒の世界、あらゆる忙しい内容の世界、一般の人々が使う内容。 ここにいるアメリカの若い青年がそう言います。 自分が大学生であった時、友達と居酒屋などに行った時、友達とお酒は飲みませんでしたが、毎週それをやって見たところ、初めは不思議だったのですが、2年3年したら、これはとても馬鹿らしい事だ。翌日に学校へ行かなければならないのに、とても疲れて、友達は先に帰り、自分はそのまま一人で踊って、このような事は何も考えないやつらと同じだと悟るようになります。自分が。
私たちは忙しく忙しく忙しく忙しく忙しく忙しく狂ったように暮らしながら祈るが、神様がどうして祈りなさいと仰ったのですか? 神様は、私たちがどのようにしたら有益な人生を生きるようになるのか教えてくれているのです。
すべてのものを止めて、聖書を読みなさい、神様の御言を読みなさい、神様の御言はお前の剣です。刀。戦う武器です。人々は自分が「忙しい、忙しい、忙しい、忙しい、忙しい、忙しい・・・」 と言いながら、すべてのものを行っていると考えるが、一瞬も止めないで神様の御言「あ~、忙しい、忙しい、忙しい、忙しい、忙しい、忙しい・・・他のことは出来ない。訓読会も出来ない。他のことは何も出来ない。」
私たちは毎朝子たちと5分くらい訓読するでしょ? キングスレポートの前に 4時に、約5分?10分?それでもしないよりはましです。そうしなければ、子たちは見ません。一日中。
言いわけをしながら、なぜ私たちは止まってしまうのか、私達の中にあるがらんと空いた部分を他の事、世俗的な事をすればするほどがらんと空いた部分は大きくなってしまいます。
ところで、私たちは大きくなることを感じるので、もっと逃げだしたくなって、さらに忙しく忙しく、もっと忙しく忙しく生きようとする、それは生きるということではないでしょ?
私たちの人生の目的は忙しく生きることではありません。
人生の目的は神様と関係を結ぶことです。もちろんそう言って「熱心に働くな」と言う意味ではありません。神様が下さった潜在力を開いて広げて進むのが私たちの責任でしょ。責任。
ところで訓読会の時間がない。 祈る時間がない。 聖書を勉強する時間がない。 御言を勉強する時間がない。 これは話にもなりません。 それは食事をする時間がないのとまったく同じ意味です。「あ~~、忙しい、忙しい、忙しくて食べることができない。忙しい、忙しい。」そうしてみなさい。それがどのくらい長続きするのか見てみましょう。
神様は、私は生命であり私はパンだと仰いました。 餠! 韓国語で餠でしょう?実はイエス様がおっしゃったパンは米ではないのに、餅米ではないのに、韓国人は餠だと、そう餠!新年を迎えたときに食べるピンクの餠、緑色の餠、よもぎ餠。そんなふうに考えるでしょ?(ヨナ様:さらに虹色の餅)そんなものは中東にはありません。パンはパンです。
生命の餠と生命のパン。命の水である神様の御言。エホバの神が私たちに有益になるように教え、適切に導く私の神様エホバ。 私たちの道を導きます。 “i’m the way the truth and the life” 私は道であり命であり真理である。・・・いつも忘れてしまうね、韓国語で。(ヨナ様:私は英語で言おうと思えばいつも忘れます。)
主を知ってこそ、主と関係があってこそ、道であり真理であり生命である。道、真理、生命を得ます。 ワ~!ワ~!神様さえ分かればいっぺんに私の行かなければならない道を得て、いっぺんに真理も得て、いっぺんに生命を得ます。ワ~オ! いっぺんに三つを得ます。 三つ! 人々に絶対に必要な三つの世界! 私の人生の方向。私の生き方の方向。私の道。
その言葉は、私の道は、私が行きたい道ではありません。主が私に行かせたい道です。 それが本当の道でしょ。 私の道ではありません。すべてのものごとで、私は、私は、私は、この現代の時代は、私、私、私、私、私、私のもの、私のもの、私の道、私の真理、私の命、私の、私、私、私だ!
私の道は、真の道は、何か? 神様が私を歩いて行くようになさる道が私の道です。その道はとにかく悲惨です。ある時は惨めです。ある時は難しいです。ある時は苦しいのです。
お父様がお父様の道を行かれる時に、その道の中にすべての蕩減、すべての拷問、すべての死、すべての冒涜、すべての迫害を受けなければならない道でありました。 人が行きたい道ではありません。神様が願われる道は私の道です。 それをどのように分かりますか?忙しすぎて御言も読むことができなければ、それをどのように分かりますか?この本は、本ではありません。本ではありません。これは、本ではありません。聖書の御言は人です。人。これを人々は忘れています。人です。人。
お父様の御言も、それは御言選集、御言の本ではありません。人です。人。人を調べることなのです。では、子供達に忙しい、忙しいと言いながら子供達に食べさせない。 大変忙しい、忙しい、と子供達のことを見ない。 それでは子供達がどうなりますか? 政府の洗脳を受けて、天使長の洗脳を受けて、社会主義、共産主義、サタン主義野郎になります。 皆さんはそれを見たでしょう?多くの若者達、多くの2世がサタン主義のやつらになるのを。

なぜ? 忙しくて、忙しくて、忙しくて、忙しくて、勉強、勉強、勉強、勉強、世俗、世俗、世俗、世俗。
御言は御言だけではありません。御言は人です。人。その子供達の命、その子供達の方向、その子供達の真理を与えることができる人! 人! 御言は、神様の御言は、人、人です。人。人。人格神から来ます。 人格神! それはどういうことですか?人と同じ人格のある神と言う事です。


民を導いた神様、人格神! あなたはわたしの命令に聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになる。ワオ! 神様の命令をどのようにして知ることができますか?人々は十戒が何であるかさえも分からないのに。神様の命令が何か、どのようにして分かりますか?その神様、その人に会わなければ(分かりません)

その神様その人に会わなければその人が本当に何を考えているのかどうして分かりますか? その人を見なければ、その人の話をきかなければ、その人に会わなければ(分かりません)(そうでなければ)他の人がその人に対して話すことを信じなければならないということです。 他の人が私に話したその人に対する話しを信じなければならないという事です。ということは、私がその人を直接的に分かったという事ではないでしょ。
「あ~~、私は神様を愛しています。 私は神様を愛しています。私は …」このように言って、そのようにしたならば偽りの詐欺野郎が現われます。 自分たちが「神様の御言が大変よく分かる」と言って、皆さんに神様の言葉を伝えますと言って。(そのようにして)天使長が入って来ます。「私は訓読会を常に見ていて、私は訓読会を沢山して、私は云々云々・・・。 私は神様の御言を勉強して・・・」このように言うやつら。なぜ? 私たちがその関係を啓発しないからそのような詐欺に騙されるのです。
お父様が私達に「牧師様が訓読会に対して言うことを聞きなさい」と仰いましたか? その家庭詐欺連合の牧師達はすべて娼婦です。お金だけ追い求める。お父様を削除しても異端賞賛しても金づるだけ追い求めるではないですか。
お父様は、何か愚かで馬鹿な天使長牧師様、リーダー、あるいは幹部が話したことを信じなさいと仰いましたか? それとも私の御言を信じなさい、私の御言を訓読しなさいと(仰いましたか)?あ~、あ~、これが嫌いでしょ。これが。
人々をコントロールしたければ、バチカンのように中世期に人々が聖書を読む事ができないようにしたでしょ?そうでしょ?さらに、「お父様の御言の量が大変多いから、私達神学者がそれを読んで皆さんに伝えてさしあげます。」 このようにしたでしょ?これは詐欺師の家庭詐欺連合のやつらがする同じ内容でしょう。「ああ、お父様の御言の量がとても多いから、食口達が理解できないから、とても忙しいから、私たちが説明して差し上げます。」 このようにするでしょう?
違います。人に会った時、皆さんは関係の立場で考えてみなさい。関係の立場で。いや、人に会った時に、一日に5分だけ会っても、その人の顔を見て、その人の手を取って、抱き合って、その5分内で全体をすべて読まなければなりませんか?5分内に全体を、その人について生まれてからこの時まであったすべての内容を、すべて聞かなければなりませんか?

いいえ! 一度にすべて読む必要はありません。順番に読む必要もありません。その人の状況が何か、今日のその人の感情がどうか、雰囲気がどうか、いつも変わるじゃないですか。実際の人は。そう?そうじゃない?
この天使長達が皆さんにお父様の御言選集の量と聖書を、大きい本を見せながら「おぉ~、あまりにも多いですね。 私たちの愛する食口の皆様、おぉ~、大変忙しくされているので、私たちはこれを専門にしているので、これを読んで皆さんに説明して差し上げます。」ああ天使長のやつら。それはどういう意味ですか?「私たちが神様と関係を結んで皆さんに伝えます。」と言う意味です。
いいえ、 それが神様の目的と皆さんを創造した理由ではありません。その沢山の量を見て「うわ~、私はどうやってそれを全部読めるのか?」すべて読む必要はありません。それは馬鹿です。なんですかそれを全て読んで、私が特別に表彰された、トロフィーをもらった。これは、利己的な内容です。自己中心の内容!
私が私のお父様と時間を共にしたとき、すべてのお父様の中にある内容、すべてのものを読んで、すべてのものを理解しなければならなくて、すべてのものを行わなければならない。 そんな不可能な内容はできないでしょう。

私が私のお父様を見た時、今日のお父様の感情がどうなのか、お父様の雰囲気がどうなのか、気分が良いのか悪いのか、どんなお話をなさりたいのか、今日は深いお話、他の日はこのパンがおいしい、他の日は爬虫類について話されて、他の日はおうむ、他の日は釣り、他の日は宇宙、他の日は哲学、他の日は武道、いつも違います、人は。
37:13

私たちがすべてのお父様の御言の量を見ながら恐れを感じて 「私はいつそれを読みましょうか?」と そう言いながら始めようともしません、その関係を。
皆さんも「聖書をはじめから最後まで読まなければならない。はじめから最後まで読まなければ、私のベルトを私のトロフィーをもらうことができない。」
違います。皆さんは聖書をどのように読むか知らないから、そうなのです。 もちろん一度最初から最後まで読むことが悪いということではありません。しかし、読んだから「私は聖書が分かる」というのは嘘でしょ。 何かの機械のようにお父様の御言葉をババババババババ・・・と読んでも、数百冊読んでも、皆さんはお父様を知ることは出来ません。分かりません。日ごとに人は違うじゃないですか。
日ごとに、本当に関係のある人がいれば、その人を日ごとに見ながら、日ごとに学ばなければならないでしょ。「すべての人々に見せるために 600冊をババババババババ・・・と読むのだ!」それはただの行動です。そんなにたくさん一度に読んでも10%も理解できないでしょう。1%も記憶に残らないでしょう。 そう?そうじゃない? それが事実でしょ? 本を読む時、科学者が見れば、人々は3%から5%だけ記憶するそうです。読んだ、読んだ、それは3%から5%だけ記憶します。それはどういうことですか? それを本のように読んでも 3%しか理解できないという事です。
ところで、私が一緒に生活している奥さんを3%しか分からないと思いますか?違います。 私は奥さんに対してすべて分かります。全て。そうでしょう? 皆さんも考えて下さい。皆さんも本当に近く過ごす友達や、本当に身近に過ごす奥さんや夫、子供達、人生において一番近い人を考えて見てください。 3% 5%だけ分かりますか?どう? 本当に近ければおそらく 50% 60% 分かるでしょう?その人の雰囲気、その人の感情、その人の感情世界、その人の知的世界、その人の意図、願っていること、したいこと、好きなこと。そう?そうじゃない?
ティム・エルダーはノスク サモニムに対して 3%だけ分かると思う? 50 - 60%わかるでしょ。私が天一国王妃に対して3 - 5%だけ分かると思いますか? すべて分かります。(ヨナ様:あまりにも良く分かるのは問題でしょ?フフ)41:20
41:20、ヨナ様との愛にとてもお幸せな表情の二代王❤
全て分かります! 関係は違います。私たちはこれを本として見るから問題なのです。その壮大なる600冊を見ながら「ああ、あまりにも、あまりにも多いから、どこから始めればいいのか分かりません」 すでに恐ろしいですね。 どこからと始める必要もありません。
そのまま、ある巻が、私が神様の聖霊を信じて、神様を信じて、神様の導きを、(聖書のある箇所を指さされながら)見てください。エホバの神様が適切に行く道を導く私の神様エホバだと。 神様が私をどこに導いて下さるのか? この聖書を取って「神様、今日はどこに導いてくださいますか? どこに導いてくださいますか?」と言いながらサーッササササササ・・・パッと広げて、今日はイザヤ書48章、今日の今この瞬間に神様が私にくださりたい御言がここです。 ある牧師が私にくれた御言ではなく、ある人が私にくれた御言ではなく、 神様が私の関係の中に、この瞬間に私にこの御言を与えたいと思われる。
(イザヤ書48章18節)どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり、18節、神様の御言が関係! 人だと考えれば(見え方が)違ってきます。 本の模様だけがあるでしょ、模様。 実は人なのです。 人! 実はイエス・キリストです。 私は聖書を広げて、聖書を触って、聖書を開いて、その御言を、金貨のような御言を、受けた時にそれがイエス・キリスト、再臨主なのです。
再臨主は再臨のイエスです。 イコール! 再臨のイエスのような神様がいらっしゃいました。 イエス様のような神様。再臨主のようなイエス。 私は聖書の御言を見るとき、全摂理歴史、再臨主にも会うようになります。 ここで! 私は人に会うようになります。人に。人格。本ではありません。小説ではありません。童話ではなく、私は生きている人に会います。 皆さんはどうして神様の御言を広げないのですか?なぜ? 本だと考えているので。人だと考えないから。
皆さんは自分の友達とコーヒーを飲みにパリクロワッサン(韓国の喫茶コーナーのあるパン屋)に行って、おいしいパンを買って、友達と遊んで、トッポキを食べて、スンデとおでん・・・。お~~、スンデとおでん、韓国の道ばたには美味しいものがあるね?(ヨナ様:ええ、イカの天ぷらと・・・。韓国は今ごろ夜ですが、私達がこんな話をしたら…) スンデとトッポキと天ぷら。ハハハ・・・(ヨナ様:この話はしてはいけないようです。)皆さんのお腹がすいてくるので。(ヨナ様:ええ、急にお腹がすいてきたでしょ。)お腹のことだけ考えて。
神様の実体の御言と生命水! 神様の御言が人だと考えるなら違います。それならば、人なので、一度にすべて読む必要はないですね。 今日その人が私に何の話しをしたいのか?これを受けとらなければなりません。ある時はとても強い御言が出ます。ある時はとても平和な御言。私の感情世界、私の雰囲気によって、私の感性によって、人生を生きるのではなく、神様の感情、神様の感性。今日、神様はどのように感じられるか・・・ 今日はとても怒っておられる、今日は神様がとても平安ですね。 今日は非常に憤怒しておられる。 今日は大変幸福そうですね・・・
皆さんは愛する人と一緒に暮せば、その人が今日怒っているのか気持ちが良いのか、知りたくないですか?
朝、奥さんを見て、もしその奥さんがイライラして小言を言い怒っていたら「いや、どうしたの? どうしてそんなに怒っているの?」と、知りたくありませんか? 奥さんが突然朝、踊っていたら「お! あなたは今日どうしてこんなに嬉しいの?」と、 尋ねませんか?生きている人との関係がこの世界で一番大事な内容だということが分かるじゃないですか、人は。
私たちは神様と一緒に住まなければならないのに、成約時代に住まなければならないのに、神様の御言があまりにも壮大なので、あまりにも多いので、量がとても大きいので、言い訳をしながら、忙しく、忙しく、忙しく、道がないのに忙しく、忙しく、忙しく、忙しく、見ようともしないで、忙しく、忙しく、忙しく・・・、ではないのです。

ここへ来てこそ、この人のところに来てこそ、どこに行かなければならないのか学ぶようになります。 この人のところに来てこそ私の道が何か分かるようになり、私の真理が何か分かるようになり、私の真理が何か? 私が信じるもの?それが真理ですか? 嘘です!
人々が地球は平らだと信じていたのですが、それが真理でしたか? 人が信じることが真理ではありません。人が真理を造りません。 人が真理を追い求めながら、その真理が現われた時、人が自分を修正しなければならないでしょ。真理の立場において。真理を自分に合うように修正できないでしょ。 私を真理にあうように修正しなくてはならないでしょ。そう?そうじゃない?
それこそまさに私が歩いて行くべき道です。それは私の中にあるのではないのです。 多くの冥想、伝統が「あ、真理は私の中にある。 深い冥想の境地まで行けば得度した時に、あ~、真理は私の中にある。と悟るでしょう。(首にを横に振りながら)そう言いながら大便を洩らす愚か者です。


 *得度 仏教における僧侶となるための出家儀式


真理は私達の中にはありません、皆さん。神様がいらっしゃらなければ私達の中にはないのです。 道は私たちの中にはありません。 真理は私達の中にはありません。 生命は私達の中にはありません。私たちの外です。 外! 外にあります。 何処に?世の中に? いいえ。雲に? いいえ。考えの中に? いいえ。人です。 本当のまことの人。神様、イエス・キリスト、再臨主、人の中にあります。私の外にいる人。その人を分かってこそ、私の道、私が行かなければならない道を受けるようになります。 どうして?その道が私の外にあるからです。
その人の関係が分かるようになれば、私は私の真理ではなく、真理を得るようになります。 真理を得るようになれば、私が私を修正しなければなりません。 そう?そうじゃない? 私が変化させなければなりません。 真理と出会うように。
この現代において、偽りのサタン主義の世界はすべて私、私、私、私、私・・・。「お前の真理は何だ?お前の真理は何だ? お前が考える真理は何だ?」それは構わないのです。 それは虚しい考えです。 私の人生と考えを真理に合うように修正しなければなりません。 私が。
生命も! 命はただ私の心臓を打つだけだと思いますか?それでは、私が死ねば命がないということですか?違います。私が主を分かって、私が主との関係があれば、私の命には永生があります。永生。死んでも命があります。
道であり真理であり生命です。 主が分かるようになれば、主にお会いするようになれば、主との関係が深くなれば、それを他の人に自慢するのではなく、それが私に道をくださる内容になります。 私の人生を変えることができる真理をくださり、私を修正することができる機会が来ます。 私を発展させることができる。私に生命の要素、生命の祝福と福を与えることができる源泉に会うようになるのです。
いや、多くの人々は生命があると考えますが、死んで行っているじゃないですか。自分たちは生きていると思っているが、忙しく、忙しく・・・どんなに忙しくても食事はするでしょう?どんなに忙しくても呼吸するでしょう?どんなに忙しくても目を開けるでしょう?どんなに忙しくても見えなければめがねを買いにいくでしょう? 言い訳ばかりする奴ら。

だから人々は盲人のように、狂ったように行ったり来たりします。主は何と仰いましたか?目が明るい者達よ、耳が開けた者達よ、私の話をききなさい!と・・・
イエス様の御言を沢山聞いた人達だが(聞いた人は沢山いましたが)、その弟子達、その使徒達は何が特別でしたか?イエス・キリストと関係がありました。 関係! 御言だけきいても、他の人々の話を直接聞いても、イエス・キリストと関係があったでしょ。 しかし、関係あるからすべて善良だという訳ではありません。イスカリオテのユダ、家庭詐欺連合の幹部は95%がイスカリオテのユダじゃないですか。
本物の人々は聖殿に来たでしょ。姜賢實女史のような方、李相烈会長、等々、全世界から罵られても、全ての友達を失っても、その関係を一番重要視する人々。お金と位置と名誉などを求める詐欺師ではなく。


58:45  https://該当箇所より  翻訳:ファンクラブ


神様との関係の立場から見た時、平素、お父様が生きていらっしゃる時に、その多くの詐欺幹部と一緒に多くの時間をすごされたのですが、そいつらにお父様は売られて行った時、お金と地位とパワーだけを求めていた時、お父様がどのようにその何もない人がお父様の後継者相続者代身者・二代王三代王権を保護するために立ち上がり、サタン主義と韓氏オモニの異端賛美に反対し、すべての友達を全て失った時、お父様が誰をどのような人をもっと貴重に思われるでしょうか?皆さんは今や中心人物なのです。イスカリオテのユダはキリスト様にキスすることもできましたしイエス様に毎日会っていたいのです。この詐欺家庭連合、詐欺のやつらのように! しかしその後の心は何ですか? お金、資産、パワー!


人を分かるようになって、お金と資産とパワーを得るために人との関係を求めるのは本当の関係でありません。 そうですか、そうじゃないです?
私が婦人のところに行く時、お金と資産と位置を得るために婦人のいつもいくとすると、それは私が本当に婦人のことを分かっていることですか?婦人が夫のところに来てお金と資産とパワーを得るために夫を主管することが本当に夫を愛しているのですか?

違います。
私たちは神様を追い求めた時、神様を知りたいから、 再臨主を愛するから。 そういう人々が立ち上がってお父様の権限圏に戻って来たのです。 その言葉はその人々がすべて完璧であるという話ですか? いいえ。 全員 罪人なのです。しかし神様を愛する罪人が自分を悔い改めながら神様を愛する罪人は、自分が神様が分かったふりをする自分は優れていると言う愚かな詐欺のやつよりも、全の天が誉めたたえて天使までその人が好きである言うと話があるではありませんか。 聖書にそうでしょ?
悔い改めながら神様に行く人と、自分は優れていると 言うバリサイ人のように!おおっと言う、この二つの内、私は全ての法を守ったとするバリサイ人のようにこのような詐欺幹部のように・・。誰がより高いですか? 天に? 聖書ではその罪人がもっと高いと言っています。




聖殿にお父様の権限圏に帰って来たすべての食口達が完璧であるという 意味ではありません。 皆さんは完璧ではないのです。 罪が多いのです。 不足な部分も多いのです。 弱い部分も多いのです。しかし、皆さんには愛があります。 愛が。

神様を追い求めたい愛!、お父様を背信したくない愛。
その愛が故に、皆さんは弱かったのですが強くなりました。 皆さんは最後であったが今や最初になったのです。
皆さんは終わりであったが、今や始めになったのです。 皆さんは太極旗集会に行った時、実体的にそれを経験したのです。ビリであったがお父様の聖霊の役事を通じて、前に、最前列になったではありませんか。 国際ニュースにまで出て。 三回目に出た時、その人達が出てきて 「あ、君たちが前に出なさい」 このように言ったでしょ。

それは皆さんが偉かったからそうなのですか? 皆さんが完璧だから?誇る内容があるから? そのような愚か者、そのような馬鹿な愚か者のようなことを言ってはいけません。皆さんは神様の前では汚い、全ての私たちは神様の前では汚い雑巾です。汚い雑巾!


違いは何ですか?その差異! 神様が私たちを見た時、私たちは完全に汚い罪人なのに、
お父様が私たちを見た時、完全に私たちは汚い罪人なのに、その差が何ですか?差異。

私たちはその方を愛しているからです。 その人を! 罪人であっても私たちはその人、主を、その人お父様、その方お父様、その人を愛してる。 世の中をすべて失っても! 悪口をすべて言われても、友達をすべて失っても。皆さんは天の前には全員罪人ではないですか。 偽りの天一国歌、韓氏オモニの異端を歌っていたでしょ。

ひたすら再臨主の後継者相続者代身者二代王とカインとアベルと三代王権はその異端である天一国歌を歌わなかったのです。私たちは天一国に反逆しませんでした。
沈黙を破りながら、お父様の代身者二大王と三代王権が出た時、皆さんは全員罵ったのです。


ところが続けて聞いてみると胸が痛くなったでしょう、良心が痛みました。愛が痛んだ。その愛の故に皆さんは救われたのです。 皆さんが優れているからでなく、上手であったからでもなく、受け入れられるだけの人物でもなく、皆さんには愛があったからなのです。

神様が下さった愛。皆さんがその愛をつくったのではないのです。 神様が皆さんにその愛をくださいました。 その愛ゆえに、その愛のゆえに、皆さんは多くの友達と人々を失っても、神様をつかまえて、神様の権限圏に帰って来て、神様の道へ、皆さんに見せて下さった道を 歩いて行くようになったのです。


すべてのものが関係なのです。関係! 生きているから生命があるという意味ではないのです。歩いているから、正しい道を歩いているという事ではないのです。 真理を本のように、諸本のように自分の家に保管しているから、真理を追い求めているという意味ではないのです。

私の道、皆さんの道は神様から来るのです。神様から。この人から来ます。人。この人格から来るのです。 お父様を保護して、お父様に侍りながら、お父様を追い求める、再臨主を追い求めることは、この関係から出てくるのです。この愛から出てくるのです。皆さんが毎週出ていって、国のために戦い、左派のやつらに追い回される。その道がどこから出てくるのですか? お父様の愛、お父様の人格、お父様のみ言だけでなくお父様の愛。 実体的な人。その人から出てくるのです。


神の日に、この日に皆さんはここ来て、お父様の後継者相続者代身者二代王と三代王権を直接的に尋ねて来て、カインとアベルを尋ねて、皆さんが会って、見た内容は何ですか?
お父様を見たではないですか。 お父様を見たでしょう?何故ですか?
お父様が実体に地上にいらっしゃる、いらっしゃることができる体が、お父様の後継者代身者相続者達なのです。 実体的に王の中の王が、天一国を導くことができる王が、いつもいるのです、未来永劫。
お父様が直接的に世界を導くことができる中心点があるのです。


聖書の本、お父様のみ言を読みながら、お父様の心情とお父様の世界、お父様の人格、お父様の愛に出会いながら、その人を愛するようになればなるほど、その人の実体的な後継者相続者代身者の価値に会うことが出来るのです。

私が優秀だからではありません。文亨進、文信俊、未来の王たちが優れているからではなく、私たちはお父様の実体、生きておられる実体の人から出てきた血統・血筋であるというだけでなく王権を、代表代身する世界の中心点だからです。そのようになるために天一国王、天一国王達が自分が死んで、お父様が願われるその時代に起きた内容、サタン主義の内容と戦っていくことが出来る、お父様の代身者達。
天一国憲法と国を保護することができる実体の王達。天使長達を罰し、市民達を、氏族の王と王妃達を保護することができるお父様の王権達、王たち。


その言葉はどういうことですか?その言葉は未来永劫、それでは人々はみ言を読む必要がないということですか?
お父様の代身者、相続者に会ったから、もはやみ言は必要ない、み言はいらないと言うことですか?
違います。

実体的に未来永劫、すべての民は実体的基盤としてお父様の王権がある後継者相続者に会ってお父様と直接会うことが出来ますが、しかし、毎日毎日の自分の人生にお父様の指導と導き! お父様と直接会うことが出来るみ言を触らなければなりません。 触らなければなりません。


そのみ言を読めば、そうしながら未来永劫、その時代の天一国後継者相続者代身者である王に会った時、私が毎日触っているお父様を実体的な血筋血統、実体的な王権の代者に会うことが出来るのです、永遠にこの地上で会えるのです。


お父様と毎日、実体的に毎日み言を通じて触って、その代身者相続者二代王の時代であれば二代王、三代王の時代であれば三代王、百代王であれば百代王に、毎日毎日お父様に触っている、そのお父様と実体的に(会えるのです)。

天一国の後継者 … 天一国再臨主の後継者家相続者代身者である王に会った時に私が知っているお父様に私が毎日毎日指導を受けているお父様を直接的で触れることが出来るのです。
世界が天一国憲法で覆われている時、天一国王が世界を主管しなければならない時、お父様の後継者相続者代身者としてすべての市民の権利とすべての市民の氏族の王として全世界を主管することができるようになった時、天使長達、監獄と天使長達を主管して地上天国が全世界を覆った時、皆さん、皆さんはお父様と一緒に暮らすようになるでしょう。


お父様と直接的に、お父様が霊界におられるから、もはや霊界におられる・・・そうではありません。 毎日毎日私たちのみ言訓読の中にお父様がおられ、私たちの世代に合わせて私たち世代に従って、お父様の後継者相続者代身者いることでしょう。 実体的な実体地上にいる代身の真の父母様がいることでしょう。未来永劫、再臨主を代身する真の父母が世界王と王妃、天一国の王と王妃がいることでしょう。


未来永劫、人々、孤児、子たち、民の親がいることでしょう。 それがその根とその生命がどこから来ますか? 再臨主文鮮明総裁から出てくるのです。王の中の王から出てくるのです。

その関係を皆さんはもっと深く掘り下げ入って行き、深く掘り下げながら皆さんがすべて分かると思うのなら皆さんは異端になってしまいます。
どうしてでしょうか? お父様の実体的な後継者相続者代身者がいるから、今の時代は二代王が、次の世代は三代王が、いつもおられるのです。


皆さんはお父様のみ言を受けて、お父様の指導と導きを受けながら、まったく同じ瞬間にお父様の権限圏に立っており、お父様の王権と三代王権と未来の王権達と一緒に立った時に、皆さんは地上天国を守る平和軍警察、アベルUN定着、太平洋・太平時代・太平聖代を 眺めることができる氏族の王と王妃達、天一国の勇士達になるのです。
アージュ!アージュ!アージュ!


心からの愛情を持って祝福を下さる二代王


それでは短い休憩をして5分後にまたお目にかかりましょう。

1:23:35


3月12日の礼拝で
韓国の状況(共産主義、左派、中国と結合する)を聖殿食口達は受け入れなければならない。
They have to flee, otherwise they'll be killed と言って逃げなければならない状況で逃げなければ死ぬ。

と韓国食口達に向かって語られました。
詳しい訳はサンクチュアリNEWSさんから出ると思います。

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