2015年7月25日土曜日

サンクチュアリ教会 テキサス州責任者にボブ・エクスラー氏

サンクチュアリ教会 テキサス州責任者にボブ・エクスラー氏


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2015年7月14日付けで亨進様、ヨナ様からサンクチュアリ教会(テキサス州)の「まとめ役」(コーディネーター)に任命されました。この任命を光栄に受け止めています。
私について御存じない方もおられると思いますので、簡単に自己紹介させて頂きます。
私は1973年1月、希望の日ツアーに参加すべくヨーロッパからアメリカに渡ってきました。1974年のマディソン大会を始め1975年の韓国・ヨイド大会、1976年のヤンキ―大会、ワシントン大会と主な大会にすべて参加してきました。その後は長きに渡って、フロリダおよびテキサスで米国聖職者指導者会議(ACLC)を担当してきました。
真のお父様はこの偉大な国アメリカが神様の祝福を受け続けることができるようにと長年、精誠を尽くしてこられましたが、不幸にもヒューストン市長は道徳の価値と男女間の結婚を強く主張する聖職者に対し召喚命令を出しました。ユダヤ・キリスト教的価値観が今、危険に晒されているのです。
Eメールやその他を通じて、召喚された聖職者を支援し、信教の自由を守ろうという大きな声がヒューストンで渦巻いたにも関わらず、ACLC本部職員と家庭連合は沈黙をしたまま、ダンマリを決め込んだのです。そして時を逃し、ついには50州すべての州で同性婚を認める最高裁の判決が出る事態を招きました。
これは実際、防ぐことができた内容です。私たちの真のお父様は真実を語ることを決して恐れませんでした。もし私たちがACLCを通して全米の牧師達を動員していれば、神様はこの「長子国家」を保護して下さったに違いありません。しかしACLCは闇の中で小さくなって震えていたのです。
私たちは神様と真のお父様、アメリカ建国の父達の前にどうしておめおめと立つことができるでしょうか。
それに対して、サンクチャリ教会の亨進様とヨナ様、そしてリチャード・パンサー氏は宗教の自由と男女間の結婚のために立ち上がり、宗教の自由のための嘆願書を提出しました。それは一陣の風となって吹き渡り私たちに希望を与えてくれました。
テキサスという州は、自然な男女間の結婚と道徳の価値、宗教の自由のために立ちあがることを恐れない勇気ある指導者が大勢いる偉大な州です。
この度アメリカ最大の州の一つであるテキサスの「まとめ役」(コーディネーター)を任され、この危機の時代に、これまでにも増して神様の摂理にこの身を捧げて行く覚悟を固めています。
亨進様、ヨナ様はわたしに霊的感動を与えて下さいました。真の父母様の代身者でありこの時代のすべての権能を相続されたお方です。また神様の摂理に献身し、この偉大な国アメリカを復活させる機会を与えて下さった事に対し、お2人に感謝申し上げます。

ボブ・エクスラー
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2015年7月23日木曜日

真の父母様の祝福を伝授する―真の父母様2009年

真の父母様の祝福を伝授する―真の父母様2009年


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        “天宙天地父母 安息圏安着 即位式において 真の父母様の祝福を伝授します。アージュ”
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2015年7月21日火曜日

同性愛、ローマ文明圏の脅威と闘う



同性愛、ローマ文明圏の脅威と闘う


7月14日韓国語説教より抜粋―
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<ヨナ様>
今週、本屋に用事で行くことになりました。児童コーナーの夏休みの推薦本をみていると、20冊ほど本棚に並んでいましたが、その内の7,8割が魔術や龍、中世時代、神々に侍るなどの内容の本でした。
それを見て本当に驚きました。私はこのような神たちは、“ギリシャ神話”というように、昔の神話だろうと思っていました。ですが、その当時、ゼウス神や他の異邦神たちは、神殿を建て、実際に人々によって侍られていた神たちでした。
私たちの回りと見ると、そのようなシンボルが非常にたくさんあります。例を上げ、高級洋服店ベルサーチではメデューサがシンボルです。また、高級チョコレート店のゴディバのシンボルは裸の女性が馬に乗っているものですが、その姿がまるでの雄牛の上に乗っているエウロペという女性、それをコピーしたように本当によく似ています。そのエウロペという女性はゼウス神の姦通女でした。
また、スターバックスのロゴは王冠を被った人魚です。それは海の女神を表しています。また、その女神は額に星一つをつけています。それらは全て、異邦神、異教徒が侍っていた神たちのイメージです。それを企業がロゴやシンボルとして使っています。
これらの多くの企業をみると、特にスターバックスの社長は、自分は同性愛を認めると公言しています。同性愛を支持しない人はスターバックスでコーヒーを買わなくていいとまで言うほど、同性愛を強く支持しています。
ですが、同性愛というものが私たちの実感として迫ってこないのが現実です。真のお父様が非常に強くみ言葉をされたので、それがそんなに大きな問題なのかと、なかなか深刻さを認識できないかとも思います。ですが、韓国でもすでに同性愛者たちの行進が5回目を迎えたそうです。アメリカでは五十数回を数えたと思います。韓国では現在5回といいますが、多くの同性愛芸能人が出て、トランスジェンダーが出て、その人たちのドキュメンタリーを流し、討論番組で自然に同性愛を紹介し、また小説や子供たちが好むウェブコミックでも、同性愛、それのどこが悪いの?個人の趣向でしょと、とても自然に同性愛を紹介しています。
ですが、聖書では非常に強く言っています。聖書で同性愛について神様のみ言葉で、非常に強い口調でこれはいけないことだと、これをするならば天の罰を受けると、レビ記20章には、それをすれば殺され、その血を撒き散らすだろうとまで言っています。
カナン民族はどうだったでしょうか?彼らは偶像に侍り、同性愛がはびこっていました。それが当然でした。イスラエル民族がカナンを征服し、カナンに入ったとき、そのような堕落した文化と出くわしました。イスラエル民族は神様のみ言葉を信じ、荒野で40年を歩き回った末、定着をし、ヨシュアを中心としてカナンを征服しました。
荒野をさまよった自分たちの姿はとてもみすぼらしいものだったのですが、カナンを征服しそこに入ったら、そこは配水施設も整っていて、道路も綺麗に整備されていて、女性はきらびやかな服を身につけ化粧もきれいにしていたのです。それをみて、神様が約束されたものよりもこっちの方がいいのではないか、そのような考えをし始めたわけです。
士師記末期をみると、士師記の一番最後の話は11支派がベニヤミン支派に入り、ほぼ全滅させる、そのような話が出てきます。その理由は結局、同性愛でした。神様が神様から離れた最も極端な例として見せてくださったのが、同性愛なのです。
また、ソドムとゴモラでも、最後に神様がソドムとゴモラを天使たちに滅ぼさせる、そのすぐ前にでてくる話が、ルツの家に同性愛者たちが同性愛をすると言って入ってきます。神様は快楽と文明の最後に最も悪しきものを見せてくださる例として、同性愛を話されます。
聖書ではこれは他のどんな論争の余地のないものです。お父様はこれをとてもよく知っていらっしゃたため、同性愛について、これはいけない、絶対性を教えなくてはならない、純潔を教えてなくてはならないと話されたのです。純潔を教えなければ、すぐにフリーセックスに繋がり、その次にはすぐに同性愛に繋がるのです。同性愛の次には性小児倒錯愛、それはまさに子供たちと性関係をもつことですが、今日、多くのローマ文明圏がどのように広がっていったのか、ダニエル書には塵となってひろがっていくと出てきますが、その広がっていったローマの文明圏がまさに同性愛と、性小児倒錯愛の文化です。
ならば、私たちはどうしなければならないというのでしょうか。世界はローマ文明圏、まさにこのような同性愛、退廃、堕落の文化へと進んでいます。お父様は私たちに何と仰いましたか?
お父様は、「おまえたちはせめて死ぬことなく、私について来い」と、こう仰いました。そのみ言葉は、イエス様がおっしゃった、「自分の服の裾の縁でもいいから掴み、ついてこい」という、そのみ言葉と本当によく似ているなと、同じみ言葉だと思いました。イエス様が2000年前に仰ったように、お父様は、お前たちが私に対する信仰を守るとき、もし完全に信仰に身を委ねることが難しいなら、せめて死ぬことなく私について来いと、私の服の裾の縁だけでも掴み、ついて来いと、そうやってでも信仰を捨てるなと、そのように仰ったのです。
主の御言葉は、また再臨の主のみ言葉は、私たちの人生の全ての基準です。お父様が八大教材教本を定められ、これを捨てたらおまえたち死ぬぞと言われた理由は、それがまさに私たちの基準であり、命であり、私たちの魂の糧であるからです。つまり、私たちの全てであるからです。シックの皆さん、今日もう一度お父様の尊いみ言葉に帰り、お父様を中心として、主を中心として世界に訴え、お父様が絶対性を教えてくださり、迫害を受けるこの時期に信仰者たちよ目覚めよと、お前たちは勇士であると教えてくださった、そのお父様のみ言葉を胸に刻み、実践しなければなりません。ありがとうございます。
<亨進様>
アージュ、アージュ。お父様は王宮をどんなに嫌っていらっしゃったかわかりません。
そこに行かれたその足ですぐに海に行かれます。王宮ではとても居ずらそうにしていらっしゃいました。数時間だけ滞在されても、すぐに自然に行きたがられました。私たちもお父様と一緒にアメリカ、ヨーロッパを行ったりきたりしましたが、韓国に到着されると、すぐに巨文島に行かれました。ヨスの海に。
アマゾンのジャングル、ジャルディン、それらが主が好まれた王宮でした。自然に帰れと仰います。ローマ帝国、王宮に行けとは仰いません。
ローマ文明圏が高められるのをみながら、また、お父様を捨てた者たちが、皆この文明圏に乗って、現代化、女性運動といいながら、この悪の文化に反対することができないでいる堕落した者たちとなってしまったということを見ることができます。町の路地にある小さな一般キリスト教会ですら、この問題に対しては明快です。
お父様とどんなに離れてしまったのか、今や数百という人々が悟ってきています。では、天聖経 1174ページを一緒に読んでみましょう。
アメリカはローマのような国です。ならば、このようなときに、先生がなぜ日本のシックと全世界統一教会シックをアメリカに送るのか?皆さん、イエスが十字架で亡くなった後に全ての弟子たちはローマに集中しました。それと同じように、それを蕩減復帰しなければなりません。ここから追い出され殺されるのではなく、歓迎されながら天の国を建て、天の前に奉献することのできる運動が広がらなければならないというのです。
アージュ。
日本のシック、韓国のシックをローマであるアメリカに送り、アメリカを変えようと、、、。ここを変えなければ、韓国では何の意味もありません。皆、西洋のトレンドに従うではないですか。日本、ヨーロッパ、皆、アメリカのトレンドに従います。ですが、アメリカ最高裁は今や神様を捨てました。今、とても深刻な時間です。皆、立って隣の人の手を取り、共に祈祷しましょう。
〈祈祷〉
天のお父様、お父様、感謝します。今、私たちを新しく目覚めさせてくださり、お父様に走っていくことのできる明快なビジョンを見ることができます。今やあなただけがこの世界問題を解決することができるのです。
神様、3年前からあなたを裏切る姦通者たちがあなたを削除しながら、あなたを神聖冒涜しながら、永遠の伝統と八大教材教本、天一国国歌、天聖経、あなたが残されたもの全てを削除し続けながら、自分たちを正当化し、今や全世界が韓氏お母さんの堕落により滅亡しているのを見ています。
天のお父様、私たちはもはやこの審判をとめる事ができないことを知っています。韓氏お母さんが天宙段階に立っていたので、その韓氏お母さんの責任失敗によって、今からは世界が審判を受けることを知っています。しかし、お父様を信じる者達、あなたをつかんで生きようとする者たち、裏切らない者たちが今、目覚めて集まってきています。
お父様、彼らは良い待遇をうけるのではありません。今から私たちはより多くの迫害を受けることを知っています。しかし、あなたをつかんで生きる者たちは、迫害を受けたとしても、あなたが道を開いてくださることを知っています。天のお父様、このような大失敗をした後でも、お父様の三代王権がまだ正しくたっており、あなたをつかみ、あなたが残された全てを守ろうとしています。あなたが聖霊を送られ、あなたの聖霊の役事に通じながら、夢であなたにお会いし、また、直接お会いしながら皆が悟ってきています。
お父様、韓国、日本、数百名が今立ち上がっています。毎週、ロシア、アフリカ、イギリス、ヨーロッパの人々が立ち上がっています。アメリカも、あなたの役事により、、。お父様、私たちの力では決して何もすることができないのです。私たちは皆罪人です、お父様。今日まで私たちは皆、悪い行いをしました。皆が、あなたの前では悪しき姦通者たち、殺人者たちになってしまいます。私たちは悪なる罪人になりました。しかし、私たちは悔い改めます。私たちはあなたの前に悔い改めます。私たちの力ではできません。ただあなたの力により、生き残ることのできる小さな道が生じることでしょう。
天のお父様、今、全世界がシュミータにおいて、全ての経済システムが次第に揺れ動き滅亡していきながら、戦争が起きるようになると、人々は遅すぎる悟りを得るのです。
お父様、今、目覚めて立ち上がっている人々に、お父様、聖霊を注いで下さり、彼らの霊的五感を開いて下さり、あなたを見て感じ、共にすることのできる私たちにならしめて下さい。天のお父様、あなたのその能力で、救いの役事を通じて、より早く、祝福を通じて、あなたの保護圏内に、再祝福することのできる運動を祝福して下さり、より多くの食口たちが、早くサタン圏から出てあなたをつかんで、最後のあなたの裾の縁をつかみ、“カナフ”、翼を掴んで、あなたの保護圏とあなたのエデンの園、あなたの神の国の宝物として帰ることのできる私たちになることを許諾して下さい。
天のお父様、今は深刻な時代になりました。サタン文化圏、ダニエル書に出てくる悪なる王国が、今、しだいに現れてきており、世界を覆うサタンの文化圏が浮上しています。天のお父様、私たちは迫害を受けても、あなたをつかんで、死んだとしても、霊界であなたに会うことをはっきりと知りながら、勇士として立つことのできる武士として立たせて下さい。
天のお父様、全身甲冑を纏う男とならしめて下さり、あなたを守る花嫁とならしめて下さり、あなただけをつかんで生きる信仰者にならしめて下さることを懇切に祈り願いながら、アボジにすべての栄光、喜びと賛美を捧げ、祝福家庭たちの名前で報告しながら、あなたにすべての栄光をお捧げし、感謝、感謝、感謝いたします。
アージュ。アージュ。アージュ
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2015年7月20日月曜日

2015年7月19日 「神様と共に深い信仰の世界へ行きましょう」 文亨進 ほぼ全訳

2015年7月19日 「神様と共に深い信仰の世界へ行きましょう」 

Deep Faith with God


ヘブル人への手紙11:1-3、6

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰ゆえに賞賛された。信仰によって、私達は、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現われているものから出てきたのでないことを悟るのである。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来るものは、神のいますことと、ご自身を求める者に報いてくださることとを、必ず信じるはずだからである。


今日は神様と共に深い信仰の世界へ行きましょう。この聖句について少し考えて見ましょう。信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。これが今日の礼拝のテーマです。しかし、その前にその背景をお話しましょう。


お母様の指導の下、天聖経は80%変えられ、天一国国歌、家庭盟誓、聖婚問答も変えられました。一神教から二元論に変えられ、天一国憲法から原理講論が除外されました。私は何度も、このことを言ってきました。









そして、お母様ご自身を神やメシヤと呼び、従順な対象の位置を離れました。メシヤの血統以外は全てサタンの血統です。サタンの血統である韓氏族の血統をお母様は神の血統と宣言し、お父様の玉座に座るようになりました。



これらのことを話す時はいつも、私はとてもつらいのです。なぜならお母様は私の母だからです。


2013年の基元節の祝福の時、このようなことが起こっていたとは、私達も知りませんでした。祝福指輪の内側にお母様の名前だけが刻まれているのです。お父様の名前が祝福指輪から消されてしまいました。

祝福指輪はあなたの指にはめられ、神様と共にかわした祝福の永遠の契約を象徴するものです。そこにお母様の名前だけしかないのです。それだけでも、とても信じられないことです。

私達は今このような状況にあります。このような状況が、どのようにして起こったのでしょうか。これは私達にとって、また、私達が次世代の子女を教育していくにおいても、とても重要なことです。

どのようにしてお母様は、魂の闇夜を消化したのでしょうか。信仰者の道や、キリストに向かっていく道には、必ず魂の闇夜があります。それは信仰の路程の一部です。いかにそれに対応するかが、あなたがどのような道を行くかを決定するのです。

では、お母様はどのようにこの「魂の闇夜」に対応されたのでしょうか。信じることとと信仰の違いは何でしょうか。これは私達の信仰生活にとって、とても深刻な質問です。

ウエブスター辞典に載っている「信仰」という言葉の定義をみてみましょう。

1.誰かか何かの中にある強い確信または信頼
2.神の存在に対する確信、強い宗教的感覚または確信
3.宗教的信念の体系

信仰とは何かを確信することですね。私達は皆何かを確信しようと努力します。

私達が魂の闇夜に直面する時、私達は神様に「私は何を間違ったのでしょうか。なぜ私は今魂の闇夜を経験しているのでしょうか。」と尋ねます。

私達が信仰上の問題に直面した時、私達の一般的な反応は「神様、私は何を間違ったのでしょうか。」と問いかけることです。それでは、信じることと信仰の違いは何でしょうか。

カルビンは信仰について次のように述べています。「信仰は私達に神様が願うことを知らせてくれる。したがって、信仰と神様が願っていることは、聖書の中で直接つながっている。」

信仰は単に確信だけではなくある種の知識でもあります。ただ信じることだけではないのです。信仰は神様の願いを私達に知らせてくれるものなのです。信仰を通して私達は神様の願いを理解することができるのです。

それは私達にとって最高の知識です。信仰は神様から受けるもので、私達が生み出すものではありません。このことは私達の心を広げることでしょう。

信仰は神様から受けるものです。それは決して私達が生み出すものではありません。それはとても興味深いことです。

ローマ人への手紙12章3節を見てみましょう。

私は、自分に与えられた恵みによって、あなた方一人一人に言う。思うべき限度を超えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰のはかりに従って、つつしみ深く思うべきである。

言い換えれば、神様は私達一人一人に信仰のはかりを与えているということです。これは、私達が普通信仰と考えていることと180度違う考えです。

次にエペソ人への手紙2章8節から9節を見てみましょう。

あなた方の救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなた方から出たものではなく、神の賜物である。

これが信仰者が陥りやすい問題です。私がこれを信じたから、私が祈祷条件をしたから、また私が断食したから私の信仰は深まっている。私達は私達の信仰を生み出していると考える傾向があります。

このことに対する問題点は、自己満足に陥りやすいことです。信仰は神様からの贈り物なのです。信仰は自分の内部から来るものではなく、外部から来るものなのです。

信仰は神様からの贈り物で、私達に神様の願いを知らせてくれる知識なのです。信仰という言葉のギリシャ語は「説得すること」と言う意味です。これは、私達が私達自身を説得するという意味ではなく、神様が私達を説得するということです。それは神様の意思による知識です。

それは大きな滝の下で、私達が信仰の水をつかもうとしているのではなく、私達が手を広げて、落ちてくる信仰の水の中に入っていくようなものです。そして私達は信仰という神様からの贈り物に感謝するのです。

また、それは誰かがあなたの家のドアをノックするようなものです。信仰とは神様からの贈り物で、あなたがドアを開けて受け入れるものです。これはとても興味深いことですね。

これは、私達が普通考えていた信仰と言う意味から、全く違うものです。私達が、私達は信仰がないと悩のは、それは、信仰が私たち自身の中からくると思っているからです。

しかし、信仰が神様からの贈り物だということがわかれば、あなたの考え方は完全に変わります。

チャールズプライスという神学者の信仰と信じることに関するすばらしい文章を紹介したいと思います。

私達は、信仰は神様から与えられた恵みであるにもかかわらず、私達の心の状態のようにしてしまった。私達は神様が与えてくださった時にだけ信仰を受け取るのである。

あなたは信仰を生み出すことはできない。あなたは約束を信じることはできる。そして同時に、それに適した信仰を持たないこともある。

純粋な聖書的な信仰は、私達の能力によるのではなく、私達の心に与えられた深い神聖な意識によるのである。それは神様だけが与えることのできる信仰で、神様の意思とは矛盾しない。

私達が神様を信じることを信仰と呼ぶのは間違えである。キリストは生きた言葉であり、私達にとって十分なものである。

私達が神様との約束を信じることについて考えて見ましょう。それは私達の祈りなどを通してなされますが、信じることは私達の責任であり、きわめて重要なことです。

しかし、キリストとの個人的な出会いは、彼と彼のみことばとの本当のつながりであり、それは信じることを信仰に格上げするのにいつも必ず必要なことです。

信仰はただ信じることではなくて、それは人間の魂の中に与えられる神様からの贈り物なのです。それは深い意識の中にある、神様との約束はなされるという知識なのです。

もしあなたが、キリストとの個人的な出会いが、彼自身か彼のみことばとの間になければ、それは信仰ではありません。それがなければ、あなたは何かをただ信じているだけなのです。この違いがわかりますか。

信仰が何であるかを理解することはとても重要なことです。原理講論の総序にはどのように書いてあるかを見てみましょう。

今まで神を信ずる信徒達が罪を犯すことがあったのは、実は、神に対する彼らの信仰が極めて観念的であり、実感を伴うことがなかったからである。

神が存在するということを実感でとらえ、罪を犯せば人間は否応なしに地獄へ引かれていかなければならないという天法を十分に知るなら、そういうところで、誰があえて罪を犯すことができようか。

ここにはっきり書かれている通り、神様に対する実感が必要なのです。キリストとの出会いが必要なのです。そうでなければ、あなたはただ信じているだけで、それは信仰ではありません。

聖書には、からし種程の信仰があればあなたは山を動かすことができる(マタイ17:20)と書いてあります。この小さな種は神様から来ているのです。そして、この小さな種は宇宙を動かす力があるのです。

私達が信仰をこのように理解すれば、私達は信じることと信仰の違いを知ることができます。

次に、マタイによる福音書8章5節から10節までを見てみましょう。

さて、イエスがカペナウムに帰ってこられた時、ある百卒長がみもとに来て訴えて言った。「主よ、私の僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています。」イエスは彼に、「私が行って治してあげよう。」と言われた。

そこで百卒長は答えて言った、「主よ、私の屋根の下にあなたをお入れする資格は、私にはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕は治ります。私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵卒がいまして、一人のものに「行け」と言えば行き、他の者に「来い」と言えば来ますし、また、僕に、「これをせよ」と言えば、してくれるのです。」

イエスはこれを聞いて非情に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエルの人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。」

この百卒長の信仰を見てください。彼がキリストに出会いに行く時、彼はキリストを信じていたです。そして、彼がキリストに出会った時、このような信仰を示したのです。「ただお言葉をください。そうすれば僕は治ります。」と言ったのです。

このように信仰はキリストとの出会いに直接つながっているのです。それは、キリストかキリストのみことばとの関係が必要なのです。最初にみことばがあったのです。そしてみことばが実体化されたのです。

キリストは生きたみことばです。キリストに出会うか、キリストのみことばに出会わなければ、私達は信仰を持つことができません。それがなければ、何かを信じただけで、固い信仰には到達できません。

私達の生活においても同じことです。そのために私達は聖霊やお父様との交流の経験を求めているのです。そして、時が来た時、お父様の恵みによって私達が信じていることが信仰に格上げされるのです。

その信仰に私達が到達した時、私達は山をも動かす力を得るのです。からし種ほどの信仰を得る為にも、私達はキリストに出会わなければなりません。それは必要なことです。

私達はお祈りする時、「私が神様に出合うことができるようにしてください」とお祈りしてください。

次にマタイによる福音書9章20節から22節を見てみましょう。

するとその時、12年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスの後ろから衣のふさにさわった。み衣にさわりさえすれば、治していただけるだろう、と心の中で思っていたからである。

イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女は、その時にいやされた。

これは長血をわずらっていた女の話です。この話をよんで、「そうか、私はそれを信じさえすればよいのか」と思うかもしれません。しかし、それは違います。

信じることだけでは、いやしは起こらないし、祝福を受けることもできません。それは重要なことですが、信仰ではありません。その女性がイエス様に近づいて行く時、その衣にさわればいやされることを信じていました。しかし、彼女はそれに触らなければなりません。

皆さんは神様に触りたいですか。私達は神様に触らなければなりません。触らなければ信仰を持つことはできません。

ただ信じることは、信仰とは大きく違うことです。ローマ人への手紙9章31節から32節を見てみましょう。

しかし、義の律法を追い求めたイスラエルは、その律法に達しなかった。なぜであるか。信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。

どれだけの統一教会の人が、行いによって得られるかのように追い求めているでしょうか。私の努力によって、私の信じる心によって、私は私の信仰基台を作る。それはすでに信仰を誤解しているのです。

信仰によらないで、私達自身の努力によって義を求めているのです。ガラテヤ人への手紙3章21節から22節を見てみましょう。

では、律法は神の約束と相いれないものなのか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義は確かに律法によって実現されたであろう。

しかし、約束が、信じる人々にイエスキリストに対する信仰によって与えられる為に、聖書は全ての人を罪の下に閉じ込めたのである。

ここに「キリストに対する信仰によって与えられる」と書かれています。「私の信仰によって与えられる」とは書いてありません。イエス様に対する信仰によって与えられるのです。

誰が絶対信仰を持っていますか。信仰は与えられるのです。信じることは一部であり、私達の責任ではありますが、それは信仰ではありません。信仰は信じることが神様から与えられた意識に昇華されたときなされるのです。それは岩のように固いものです。

私がお母様と過ごした時のことを思い出すと、お母様に何が起こったのかを知ることができます。お母様が魂の闇夜を経験した時はいつも、何か暗い行動をしていました。

お母様には習慣がありました。子供達に「なぜお父様はこうなんでしょうか。」とか、「なぜお父様はこのようなことをされるのでしょうか。」とか言われていました。このような考えをいつもされ続けていました。

お母様はキリストと一緒におられたのですが、お母様の信仰は全て彼女自身から来ていたのです。お父様と共にいて、多くの恵みがお父様を通して来ている事を理解できなかったのです。

それが、自己憐憫に陥り、独善的になりました。それは、「全ては私がやった。私がお父様を作った。私はこんなに苦しんだのに、お父様はそれほど苦しまなかった。私が彼を作った。」と考えるようになられ、しだいにまわりにいる悪魔達に操られるようになってしまったのです。

全ての人が経験する信仰の闇夜を経験した時、私達は「神様、私は何か間違いをしたのでしょうか。」と問うのではなく、「神様、今何をされているのですか。」とか、「神様、今私にどのように働かれているのですか。私をどこに導いていらっしゃるのですか。」と問いかけるべきです。

私達は魂の闇夜から抜け出したいのです。私達が困難なことを経験する時、私達はそこから逃げたいのです。それには直面したくないのです。

アビラのテレサは、魂の闇夜を経験している時は雑草を抜く時ではないと言いました。信仰的に困難なことを経験している時は、雑草(不快な人やもの)を抜く時ではないというのです。それは植木屋と共に雑草の中へ行く時だというのです。

なぜなら、神様があなたを試練を与えるには理由があるからです。多くの場合、神様があなたを目覚めさせる為に、シュミタ(安息年)やスーパーシュミタのように試練を与えるのです。


私達がそのような魂の闇夜を経験している時、神様に「神様、あなたは私をどこへ導いているんですか。私は雑草を見に行きたいのです。」と問いかけるのです。

私は雑草を見たいのです。植木屋と共に雑草を見せてください。植木屋が雑草をみせてくれるでしょう。これはあなたにとってとても重要なことです。逃げることのできない重要なことです。

もしあなたがそれに対処しなければ、それはあなたを永遠に追い続けるでしょう。神様は私達に暗い夜を与えるのです。それは昼があって夜があるのと同じことです。

あなたの魂がどこにいても、その時が、あなたが雑草を見るときです。

多くの人が、キリストとの関係において喜びを追い求めます。お母様の周りに多くの悪魔や天使長達がいるのを私は見ます。彼らはキリストとの関係ではなく、車や宮殿やマンションやショッピングやレストランなどの利益をを求めているのです。

コリント人へ第二の手紙12章9節には、

「私の力は弱いところに完全にあらわれる。」それだから、キリストの力が私に宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

と書いてあります。私達が魂の闇夜を経験している時、あるいは、信仰的に困難なことを経験している時、その弱さが私達の強さになることがあるのです。

それが神様が私達をより深いところへ導くことができるところです。神様は神様との新しい依存関係を構築する為に、わざと私達の弱点を示す時があるのです。もし私達が魂の闇夜から逃げ出さなければ、私達が死の影の谷を歩こうとも、そこには悪はありません。恐れることはありません。

天聖経を読みましょう。

絶対信仰によって、あなたは1つの位置を見つけます。それは神様が存在する絶対的な位置です。そこから全ての問題は解決し始めるでしょう。

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2015年7月19日日曜日

「清州教会の食口の皆様へ」清州教会への3通の手紙

日本の食口の皆様へ


世界平和統一聖殿韓国会長 李相烈(イ-サンヨル)


(2015年)7月になって、日本の食口の皆様より韓国にいる私に対して、「世界平和統一聖殿」の立場や「真のお父様の権限圏に帰る祝福式」についてのお問い合わせが多数ありました。私としては。亨進ニムの御言葉と心情をできるだけ多く語って差し上げたいのですが、通訳を通じて話しているのでじゅうぶんではありません。よって、「文亨進様といっしょに真の御父様に帰ろう」という素晴らしい名前を持つ貴ブログに、最近2015年の6月に清州(チョンジュ)教会の中心食口として所属されていた下記の方が清州教会の食口たちに出した手紙を紹介しますので、よくお読みになってから当聖殿に対するご理解をして下さるようお願い申し上げます。なお、日本から韓国ソウルでの祝福式に参席される方のために、この文書の一番末尾に日本語の通じる電話番号をお知らせしますので、韓国語のわからない方、特に祝福式についての時間や場所の確認についてはその番号にお問い合わせ下さい。





<今の統一教会を去るに当たり>


日本宣教師 うえのむつみ


サモニム、ㅇㅇㅇオンニ、ㅇㅇㅇオンニ…うえのむつみです。本当ならお会いして直接お伝えし、ご挨拶もしなければと思うのですが、そう出来ないことをお許しください。


お父様が聖和されてから、私の唯一の希望はお母様であり、100%信じて疑うことなど考えてみたこともありませんでした。疑うことは無条件、罪であり、お母様に対して何か一言でも言う人がいれば、本当にどうしてそのような考えが出来るのかと、サタンにそそのかされた可哀想な人であると思っていました。


お父様、聖和以降、改正された多くの事柄もお母様ゆえに信じ、何の疑いや違和感も感じず過ごしてきました。真の父母経が出たらすぐに購入しなければと待ち焦がれてきました。


ただ、一つの疑問は後継者といわれた亨進ニムが、今どこで何をされており、どうしてお母様の側にいらっしゃらないのかという事でした。前の教会のモクサニムに聞いてもアメリカで牧会をされているという程度しか知ることが出来ず、私はアメリカの摂理が重要なのだなと単純にそのように思っていました。


ところが、基元節、聖和記念日にも姿を見せられないのはどうしても理解ができませんでした。ありえないことです。それで、亨進ニムがどうしていらっしゃるのか知りたくて、インターネットで探すようになり、そして見つけました。


亨進ニムの説教を通して、私の知らなかった出来事を知るようになり、衝撃と葛藤、どうして教会はいろいろな重要な事を隠していたのだろうかという疑問の中、何か月もの間、毎日真実を求めて祈祷し尋ね求めました。


誰にも相談することは出来ませんでした。過去の私がそうであったように、皆私がどうかしてしまったと思うであろうし、私自身100%の確信がないのに、亨進ニムの説教を聞いてみてくださいとは言えなかったからです。そして誰かの言葉をこれ以上信じることが出来なかったからです。私は誰の(亨進ニムを支持する人、批判する人)言葉も信じず、ただお父様のみ言の中からその答えを探そうと決心し、寝る時間も食べる時間も惜しんで、み言を読み続けました。八大教材教本、原理本体論、統一世界、本郷人、過去の訓読会のみ言等を集中的に探しました。読めば読むほど疑う余地のない事実であると分かってきました。


これは大変な事になってしまったと思いました。サタンは最後の最後まで!!!!!…という思いに尽きます。唖然とします。今はお父様の遺言、残していかれたものを守りたい一心です。


最初は私の思いを隠して教会に通い続けることも考えましたが、これ以上は難しいです。ただ、亨進ニムの説教を聞いてみてくださいと今は言うことができます。それが事実であり、真実であるということを今や私が確信するに至ったからです。


一年にも満たない短い期間でしたが、お世話になりました。教会のみなさんには良くして頂いて感謝しています。教区長様、院長様にもよろしくお伝えください。オンニ達ありがとうございました。残念ですが、私は私の本心に従っていきます。理解して頂けるとありがたいです。




<清州教会の食口の皆様にご挨拶申し上げます。>


クォンヨンピル


クォンヨンピルです。私は長い間、大変悩んでおりました。真のお父様 聖和後の統一教会(家庭連合)は、すっかり変わりました。お父様が代わりに、相続人後継者として立てられた文亨進世界会長と財団を担当しておられた文國進理事長が突然解任されて追い出されて行くように韓国を離れました。私は新たに母の時代を標榜した教会でお父様の跡がだんだん消えていくのを切ない気持ちで見つめていました。


真のお父様が一字も直すなと厳命した天聖経のほとんどの内容が変更、削除、編集され、全く別の天聖経が出版されて訓読教材となりました。真のお父様の生涯を表現すると言われた天一国歌「栄光の賜物」が消え、新たに作られた国歌を歌うようになり、祝福の資格条件と聖婚問答がほとんど削除され、唯一神である神の名称が正体の分からない天の父母様に変更され、お父様が堕落の血統になって、お母様が突然6000年間天が準備してきた独生女として登場するなど、受容することができない事実を目撃し、信仰的に多く迷いました。


そんなある日、文亨進世界会長のサンクチュアリ教会のみ言葉を聞いて、統一教会がお父様から離れ去っているという事実を確実に悟りました。


病床にいる真のお父様の快癒をすべての食口が切実に祈っている時に、教会指導層では、安楽死が提起されたという驚くべき事実を知った後、私はこれ以上、清平と協会の指導者とお母様に従うことはできないという結論を下しました。


父の教えが徐々に消去され、お母様に置き換えられた現実においてはお父様が生涯をかけて成就された勝利の偉業が大きく損なわれています。文亨進様はメシアを裏切り背く教会は、天の保護権が離れ去ると警告されました。


私は統一教会が真のお父様が立てられた伝統と方向に戻ってくることができるよう渾身の努力をされる代身者、相続者である文亨進様の旨に従うことに致しました。


この時点で、皆様にはっきりと残しておくべき言葉があります。私が統一教会を去るのではありません。統一教会がお父様を離れました。お母様がメシアである真のお父様を去りました。私はお父様から離れません。


私の言葉を受け入れることができない食口の皆さんもおられるでしょうが事実です。簡単に来ないでありましょうが、お母様が悔い改めて文亨進様を後継者と認める日、統一教会がお父様が残されたみ旨を再び取り戻す日、その日が来ることを祈ります。






<統一教会の食口の皆様へ>


권영필(クォンヨンピル)


清州教会の권영필です。先日私が教会のカカオトークルームに挙げた内容について、多くの食口が混乱したということを聞きました。ある人は、教会を去るなら静かに去るべきだ。なぜ、そのような内容を教会のカカオに挙げて食口たちを混乱させるのかという非難の声も聞きました。


しかし、私は静かに去ることはできません。もし私の個人的な事情で教会を去るのなら、静かに去るでしょうが、真のお父様の生涯の業績と勝利の遺産が否定され、埋葬される事実を知っているため、ただ静かに去るということはできません。食口の皆さんに私のこのような気持をご理解していただきたく思います。


私は、78年に統一教会に入教しました。清州教会の食口になったのは92年です。入教から数えると私の信仰歴は37年です。また、清州教会の祝福家庭として24年間歩みました。復帰されてから人生のほとんどを統一教会人として生きてきたと言っても過言ではありません。今まで教会にまじめに通い、十分の一献金もきちんと行い、教会でのいろいろな責任分担を損得を考えることなくこなしてきました。


自慢するためにこのようなことをお話ししているのではありません。このようにやってこれたのも真の御父母様にお会いしたからこそです。全ての祝福家庭がそうだと思いますが、難しい責任分担を遂行するとき、足らない自分であるけれども、感謝の気持でそれを果たしてきました。


そういう意味でも、私は統一教会の主人の一人だと自負しています。ですから、統一教会の問題について、誰かの許可を得なくても私の判断でその問題を提起することができるし、信仰の問題においても、私の信仰と原理観を自由に主張することができる資格が、私にはあると思っています。それは、いち統一教会人としての私の権利です。


また、私は国際家庭、特に日本婦人食口の方々のご苦労と絶対従順の信仰を見てきました。世界で生活水準が最も高い日本のインテリの女性たちが、祝福を受けて、何の関係もない韓国に無条件にお嫁に来て、とても大変な中にありながらも、教会で奉仕と伝導活動を一生懸命される姿を見てきました。


日本食口は、結婚相手となる新郎のために韓国に来たのではなく、お父様のみ言葉に従順に従って来た方々であると思っています。偉大な信仰です。韓国で信仰のない夫に出会い、新婦としてのもてなしなど、これっぽちも受けること無く、貧しく苦労のなかにあっても、一家庭の主婦としてお父様のみ旨のために全てを捧げています。


このような、事実を全てご存じのお父様は、心を痛められ、苦労の中にありながらも祝福を守り通し、全人生を献身として捧げる日本食口たちに、霊界に行ったら代わりにお父様が責任を持つというみ言葉を語られました。ある日本人は、そのお父様のみ言葉だけを希望に過ごしていると話していました。


統一教会はこのような食口たちの犠牲の上に築かれました。お父様は蕩減の供え物になったその方々を通して摂理を進めてこられました。そして、勝利されました。ご自身の使命を完成、完了され、勝利の祈祷を捧げられ聖和されました。


食口の皆さん!お父様が聖和されることにより、消えて無くなったと思いますか?お父様はご自身が霊界に行ったら、とてつもなく大きな役事が起るだろうという、み言葉を語られたことを忘れましたか?もう一度聞きます。お父様は消えて無くなりましたか?違います。メシヤは死んで無くなったのではありません。メシヤが肉身を脱げばもっと大きな聖霊の役事が起ります。


統一教会は真のお父様の聖和以後、お父様のとてつもない聖霊の役事と共に飛躍的な発展がなされなければならなかったのです。お父様は聖和後、自信の聖霊の役事が大きく起るだろうと何度か予告されました。しかし、教会は、お父様を土の中に深く埋めてしまいました。そして、お母様の時代を宣布しました。お父様が、土の中に埋められてしまうと同時に、お父様のみ旨とみ言葉も埋めてしまった教会で、どうしてお父様の聖霊の役事が起るでしょうか?


統一教会は、摂理的にキリスト教を統一して、世界平和を成就し、個人的には為に生きる生き方を通して霊肉を完成する宗教です。しかし、現在の統一教会は、先祖解放教会に変わってしまいました。先祖解放は120代から210代に、そして210代が終わったので4筋の210代、今度はまた420代に延長されました。終りのない延長です。お父様は120代までやれば、残りはお父様が責任を持ってくださるとはっきりおっしゃいました。お父様は2008年に金孝南(キムヒョナム)に清平の使命は終わったので整理するようにとのみ言葉を語られましたが、聞き入れませんでした。


お父様が何十回も訓読され、決定された天聖経のみ言葉を乱切りにするように編集、削除、修正し、全く別の経典を作り、日本に住む日本食口たちに、一冊140万円(1400万ウオン)で購入するように指示しています。お金で先祖解放をさせ、お金でみ言葉を買えということです。献金が信仰のめやすになってしまいました。日本では毎月、けたはずれな献金の目標が掲げられ、食口たちは目標を達成するために、家や土地を抵当に入れ、親戚や知人にお金を借りに回っています。日本の指導者は献金目標を勝利しろと催促しています。これは、勝利と言えるでしょうか?指導者たちにとっては、限界を通り越して苦痛を味わっている食口たちの立場は重要ではありません。蕩減時代が終わって解放、釈放時代が宣布されましたが、食口たちは終りのない蕩減時代を歩んでいます。


私の目には、このような間違ったことが、とてもはっきりと見えるのですが、皆さんの目には、本当に見えませんか?それとも、わざと、見ないようにしているのですか?


しっかりと、直視しなければいけません。統一教会は、真のお父様のみ旨とは全く関係のない方向に行っています。教会はお父様を削除しています。教会はお父様の聖和以後、お母様の時代を宣布しました。お父様を土の中に深く埋めてしまいました。漢南洞(ハンナムドン)では真の御父母様のお写真が全て撤去されました。そこには基元節の女王様のお写真が掛けられました。


お母様はメシヤですか?お母様は真のお父様の新婦です。それ以上でも以下でもありません。お父様がメシヤとして勝利された基台の上に、真のお母様を迎えることができ、真の家庭を築かれたのです。お母様はお父様の絶対対象です。お母様が主体になることはできません。真の御父母様の中で主体が二人になることはできません。お母様が主体になればお父様は否定されることになるのです。ある食口は、お母様は完成されたエバだから、サタンが入るはずがないと言います。お父様の霊はお母様と共にいらっしゃると言います。それは、盲目の信仰でしかありません。


事実は違います。お父様は、お母様の完成は2013年6月16日だと語られました。お父様の聖和後、お母様はエバとして完成しなければならない責任が残っていたのです。しかし、お父様の絶対対象の位置から離れてしまいました。自らが女メシヤになってしまったのです。


今、統一教会はどこに向かっていますか?真のお父様の聖霊が去った教会は、腐って皮だけ残った死んだ教会です。食口の皆さん何を考えていますか?現在の教会の状況が皆さんを混乱させますか?頭が痛いから、目も、耳もふさいで、もくもくと教会に従えばいいだろう。もし、教会が間違っていたとしても、私たちのあやまちじゃないから、お父様は責任をとってくださるだろう。このように思いますか?とんでもない話です。


協会には貪欲で、媚びへつらう指導者しかいません。協会の幹部たちはお父様を削除し、お母様が、ご自信を独生女いわゆる女メシヤになるように誘惑し、お母様を真のお母様の位置から離脱するように仕向けた、邪悪な天使長なのです。お父様は今、このような人たちと、共にいらっしゃると思いますか?


そのように信じたければどうぞ信じてください。彼らはあなた方の指導者となり、航路を背信の方向に導いているとしたら、あなた方は、当然、背信の方向に従って行くことになります。セオル号惨事は、間違った船長の言葉を無条件に信じて、従った純粋な学生たちの悲惨な結末をはっきりと見せてくれた事件です。間違った指導の言葉に従っていけば、絶対に救いを受けることはできません。


お父様を捨てた統一教会には、お父様がいらっしゃることはできません。お父様は果たして、どこにいらっしゃるでしょうか?お父様はご自身が立てられた、代身者相続者と共にいらっしゃいます。このことは、とてもあたりまえの事実です。協会では、お父様が立てられた、代身者相続者を変えようとしています。真の御父母様の宣布文では代身者相続者を否定する者は異端者爆破者であるとはっきり語られました。あなた方はこのことを忘れましたか?


そうだとすれば誰が異端者爆破者でしょうか?文亨進様でしょうか?そうでなければ、彼を批判してる現在の清平、協会の指導者でしょうか?あなたはいったい誰に従っていますか?現在の皆さんの指導者が信仰的にも道徳的にも模範になる人であると信じるなら、文亨進様を批難し、私を悪く言い、彼らに従ってください。そうすれば、皆さんは、代身者相続者とは全然関係のない人になります。お父様は滅亡の方向に向かっているあなたを呼び止めることはできますが、あなたのとった行動に責任を持つことはできません。


私は真の御父母様の宣布文に従ってお父様の代身者相続者に最後まで侍るつもりです。真の御父母様の遺言であるとも言える宣布文を否定し廃棄する集団を何と呼べばいいですか?文亨進様は熱いか冷たいかはっきりさせなければいけないとおっしゃり、協会に従うのか、文亨進様に従うのか、選択を迫られました。


イエス様が十字架につかれるとき、皆がイエス様を否定するその場の雰囲気に従いました。皆、イエス様を捨てました。兄弟も弟子も追従者も皆がイエス様を否定し、イエス様から去ってしまいました。


真のお父様は今十字架についておられます。統一教会から捨てられました。そんなわけ無いと言うのなら、あなたは盲か、つんぼでしょう。あるいは、知っているけど黙っているとしたら、あなたはキリストの敵になるでしょう。どうして私のような不足な者が、このようなことを言わなければならないのでしょうか?


          2015年6月5日







●ソウル聖殿よりお知らせ


서울성전에서는「참 아버님의 權限圏(권한권)에 돌아오는 祝福式(축복식)」을 주말 오후에 아래 주소에서 거행하고 있습니다.
ソウル聖殿では、「真のお父様の権限圏に帰る祝福式」を毎週金曜日から月曜日まで下記住所にて挙行しています。韓国語のわからない方は予約されれば通訳をご用意できます。この韓国で行われる祝福式への献金は感謝献金のみで金額は自由です。


서울市 구로구 구로동 544-1 엘림빌딩 5층 502호
서울市 九老区 九老洞 544-1 エリムビル 5階 502号


電話: 韓國02-6406-1008


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