神様の公式摂理と新しいメシア
2021年8月18日水曜礼拝<全文>
御言:文鮮明師・司会ティム・エルダ本部長
2021年8月4日韓国語水曜礼拝に引き続き、今まで日本語訳されていなかった1972年の、米国に対する真のお父様の御言を翻訳しました。今の米国に通じる重要な御言です。
監修編集タイトル:fanclub
Sanctuary Church Wednesday Service 08/18/2021
翻訳:minion & fanclub
水曜礼拝を始めようと思います。
今日は二代王様はテネシーに行かれたので私、テイム・エルダー夫婦が皆様をお迎えし礼拝を捧げたいと思います。先々週も二代王様がおられない時にお父様の御言を読みましたが訓読しましたが、今日もそのようにしたいと思います。
まず二代王様が定められた順序に従い、天一国国歌を斉唱したいと思います。
(国歌斉唱)
祈祷:
天にまします我らが父なる神よ。ありがとうございます。
今日は天基12年天暦7月11日、陽暦2021年8月18日、私たちは二代王様がおられない中、二代王様が立てられた伝統と基準に従って、韓国語礼拝を捧げるために集まりました。
今テネシー州におられる二代王様を神様が保護して下さることを懇切に願います。
そして世界にいるすべての祝福中心家庭、そして神様が道具として使ってくださっている世界の指導者たちが、神様の声を心の中で聞くことが出来るよう懇切に願います。
今、世界摂理が、とても複雑で、そして目眩がする状況ですが、これは正に終わりの時であり、終わりの時が過ぎ去れば神様の善主権が来るという希望を確信しております。
この混乱した複雑な環境を勝ち抜き、そして新しい天一国を創建することが出来るそのような群れとなることを約束申し上げて、この礼拝を始めますので、終わる時間まで、共にしてくださるよう懇切に願いながら、この報告を祝福中心家庭、テイム・エルダー、ユ・ノスクの名でご報告致します。
アージュ
お父様が米国に1960年代にも来られて米国をご覧になり、特にアイゼンハワー大統領とも会談されました。しかし、公式的路程を始められたのは1971年末に来られてからでした。そして、72年2月から7カ所の都市を巡回されました。
前回読んだ内容もお父様がリンカーンセンターでお話しされた、初日のものだったと記憶しています。神様はいるのかいないのかという主題で始められたことを記憶していますが、今日はリンカーンセンターで2日目に語られた内容を紹介しようと思います。
今、アフガニスタンにおいて悲惨なことが米国人としては起こっているのですが、米国が原点に帰らなければならないと感じています。ですから、お父様が初めて語られた内容を再び読んで考えなければならないのではないか、韓国礼拝ですが皆さんと共に読もうと思います。
今日、読むのは「神様の公式摂理と新しいメシア」という主題です。
「神様の公式摂理と新しいメシア」文鮮明師
期:1972年2月4日 於:リンカーン・センター
翻訳:minion & fanclub
天候が良くないにもかかわらず、このように集まってくださった紳士淑女の皆様に心から感謝を申し上げます。
今夜、皆さんと一緒に考えようという話のタイトルは「神様の公式摂理と新しいメシア」です。このようなタイトルで、少しお話したいと思います。
神様が復帰摂理をする理由とその目的
神様の摂理を考える時、神様は全知全能の方ですべてのことに緻密な方なので盲目的な摂理をされないと見ることができます。ある原則に従って新しい世界まで摂理の結果を見つめながら、歴史の過程を経て出てくるということを、私たちは知っています。
私たちは私たちが住んでいるこの世の中がどんなに見ても善なる世界ではないということを知ることができます。悪い世界であるので、善なる神様はこの悪い世界を放っておくわけにはいかず、摂理せざるを得ないのです。
私たち人間を中心として神様とサタン、すなわち善なる神様と悪なる神様が戦っているということをこの二日間皆さんにお話しました。
神様は絶対者であられますがその絶対者の前に反対する存在がどのように生まれたのかということが大きな問題です。全知全能の神様であるならその反対の存在を一時に除去してしまえばいいのに、なぜそうできないのかということが問題です。
もし、サタンが本来から神様と一緒にあったなら、二元論となるのです。そうなると善なる神様がどんなに人間を救って善良に作ったとしても、悪い人はいつも残るだろうし、また悪はいつも善良な人を悪くする運動を続けます。ですからこのサタンというものは横から入ってきたものであって、神様がそのようなサタン、すなわち悪を立てたとは見ることができないのです。
神様は愛の神様であり怨讐までも許そうとされる方ですが、サタンを許すことができるかできないかが問題になるのです。皆さんは怨讐を許せという言葉がサタンを許せということではなく、サタン側にいる人を許せという言葉であることをはっきりと知らなければなりません。
結局、救援摂理、つまり歴史の過程を通じて出てくる神様の摂理が何かといえば、人からサタンを追放するためということです。聖書を見たら、この世の王はサタンだと言いました。また人間には原罪があるということを知っています。結局、私たち人間がサタン主権の世界からどのように抜け出るかが第一の問題なのです。
原罪をいかに根絶すべきか
二つ目の問題は何かというと、原罪をどのように根を抜くかということです。
神様は本来、人間に原罪があるように創造されませんでした。人間が堕落したので原罪が横から入って来たのです。それでは人間に原罪を植えつけた存在は誰か。その存在が原罪を個人に植え付け、家庭に植えつけ、産み増やし、世界に植えつけたため、まさに原罪を植えつけた主人だからこそ、それが世の王になったというのです。
この原罪を植え付けた元凶は何か、どこから来たかということが問題です。その存在が地上にあった存在なのか、霊的な世界にあった存在なのか、ということを知らなければなりません。聖書ヨハネの啓示録12章を見ると、「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。」と言いました。結局、大きな龍は年を経た蛇であり、年を経た蛇は悪魔であり、悪魔はサタンだというのです。
エデンの園で人間の始祖が蛇に誘惑されて堕落したと比喩で言った事を皆さんは知っているはずです。しかし、この蛇という存在は地にありませんでした。天から追い出されたとあるので、天にいた存在なのです。そのため、聖書には蛇が人間を誘惑したという言葉は結局、サタンになった悪魔が人間を誘惑したという意味であり、その悪魔は大きな龍として追い出された蛇だということなのです。
このサタンは霊的存在なので神様とアダムの話すことをすべて分かりました。聖書に記録されている蛇は、世界で這っている蛇ではないのです。このサタンという存在が問題になって人類が堕落したので、これについて私たちははっきりと知らなければなりません。このサタンの犯した罪がどんなものなのかをはっきり知る時は、絶対者である神様の前にに、速やかに讒訴することができます。
世の中で罪を犯した殺人強盗も、自分が罪を犯しましたが世界の人々がその事実を確実に知る前までは、どこに行っても堂々と振る舞うことができるのです。しかし、自分が殺人強盗ということを知っている人がいたら、その人がどんなに幼い少年だとしても、その前に頭を下げるのです。
皆さんが神様の息子になって、神様がいらっしゃる国の市民として入って行くためにはサタンが何かを分かり、つかんで神様の前に引っ張って讒訴して獄に投げ込むか追放しなければなりません。そうしなくてはその国に入ることができないのです。
聖書のユダ書1章6節を見ると、「大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。」という言葉があります。ここで私たちは天使が犯罪した事実とアダムとエバが犯した犯罪が互いに関連性があるのではないかと考えずにはいられません。
エバが善悪知る木の実を取って食べる時に、手で取って食べました。ところで善悪知る木の実を取って食べてから隠した所は下半身でした。善悪知る木の実を取って食べたのは手であり、口です。どうして手と口を隠さないで下半身を隠したのか。ヨブ記を見たら、「私がいつアダムのように恥ずかしいところを隠したのか?」という言葉があります。隠している所が恥ずかしいところになったということです。
ヨハネによる福音書8章44節を見ると、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者だ」となっています。サタン悪魔が私たち人間の何になったのかと言うと、父になったというのです。イエス様も信じない者に対して毒蛇の子供たちだと責めました。これを見ると悪の神であるサタン悪魔と人間の間には切っても切れない血縁関係で結ばれたことを見ることが出来ます。
血統復帰ができなければ神様のもとに帰ることができない
聖書を見る時、不思議なことが何かと言えば、長男は祝福を受けることができなかったという事です。常に次男を祝福したのです。神様がイスラエル民族をエジプトから選び出すために、エジプト民族を打つ時にも長子をすべて打ちました。
また、聖書においておかしいことが何かと言えば、「割礼」という法です。割礼。陽部の端から血を抜かなければならないのです。旧約時代の法は、歯には歯で、目には目で蕩減するものでした。旧約時代から今まで摂理の過程を経て出て来ながら、燔物を捧げるとき、神様は裂いて捧げなさいと言われました。
血を抜かなければならないのです。なぜそうしなければならないのかと言うと、間違った血が私たち人間に入ってきたので、それを抜かないでは神様の前に戻ることができない事実を予告されたのです。
堕落とは何か。結論的に言えば、エバと天使、天使の中でも天使長と不倫なる関係を結んだ事です。このように堕落したエバは、自分と関係を結んだ天使が自分の夫でないことを知り、本来の自分の夫がアダムであることを知ってからは、幼いアダムに善悪の果を取って食べろと強要し、再びアダムと不倫なる関係を結んだのです。
このような血統的な問題、このような血統的な問題でなかったなら、救援摂理をそのように長い時代を経ながらしなくてもよかったはずです。私たちの体にはサタンの血が入っているということです。神様の怨讐の血が入っているということです。ですからこの血を抜かなければならないのです。血を抜かないといけないということです。それで神様はみ旨を立てるために常にこの身体を打つということをされるのです。万一、アダムとエバが堕落しないで、神様が喜ぶ場で神様のみ言葉通りになっていたらどうなっていただろうかということを、皆さんは確実に知らなければなりません。
初日の夕方に私は皆さんに、神様は私たち人間を神様が最高に愛する息子と娘の位置に置いたと申し上げました。そして人間には息子や娘の位置だけでなく、神様のような位置まで望む欲望があるので、神様のような位置を与えると同時に、神様が喜ばれたように創造の偉業と創造する時の喜びを感じることができるよう、人間が息子と娘を産んで体験できるようにしたと言いました。もしアダムとエバがそうなっていたらどうなっていたでしょうか。神様がアダムの中に入って、エバの中に入って行かれたのです。
コリント人への第一の手紙3章16節を見ると、私たちの体が神様の聖殿だと言いました。堕落した私たち人間も救いの場に出れば神様の聖殿になることができるのですが、堕落する以前のアダムとエバは言うまでもありません。そのようになると、神様はアダムとエバの体に入って、内的な神様になり、人間であるアダムとエバは、外的な神様の身体となるのです。
ですから、完全に一つになってアダムとエバが成長して愛して家庭を成せばその家庭はアダムとエバの家庭だけでなく、神様の家庭になることができるということです。言い換えれば、神様が私たち人間の父になるということです。そうなれば人類は、その神様の血統を受けて生まれないわけにはいかないのです。
そうなっていたら、体と心が戦う人間にならなかったでしょう。自分の体に悪が侵犯され、悪が入ってくる根拠がないということです。そのような個人、家庭、宗族、民族、国家、世界になっていたら、ここがまさに地上天国であり、ここで暮らして天上天国に行く時は、個人、家庭、宗族、民族、国家全体が行くのです。
聖書ローマ人への手紙8章を見ると、「私たちは「アバ、父よ」と呼び、養子になることを
待つ」と言いました。養子。私たち人間はどんなに救いを受けたとしても養子にしかならないということです。養子にしかなれないということです。これは血筋が違うということを意味します。それでは、誰のために人間がこうなったのか?
サタンと共に血縁関係を結んだからです。サタンの誤った血筋を受けたため救いを受けて帰っても養子にしかなれないという結論が出るのです。
神様の摂理歴史の概観
サタンと神様はどのような関係の怨讐なのか?それを見てみましょう。サタンは神様が愛する家庭を破綻させた愛の怨讐なのです。このようなサタンを神様は許す事ができないのです。許すことができないということです。それを許す日には天地がひっくり返るのです。全て破綻するということです。
サタンの血を受け継いだ個人が家庭をなし、宗族をなし、民族をなして血統的に広まったため、サタンが世界万民の王となるのは自然の理というものです。本来、主人の息子となるべき私たち人間が僕の息子になってしまったのです。神様がアダムとエバを育て将来において神様の家庭を作ろうとしていたのをサタンが横取りしました。ですからサタンは誰かというと、神様の怨讐であり、私たち人間の本来の理想を奪った怨讐であるということを私たちは確実に知らなければなりません。
そのため、私たちは神様の血統を受けて神様の息子、娘になることができる道を失ってしまったのです。今まで私たち人類は呻吟の歴史を経て来ながら、その道を望み歩んでいることを私たちは知らなければなりません。
結局、私たち人間はサタンの息子、娘になったため、サタンの懐に抱かれたため、神様の前に僕の僕となったのです。ですから、この僕の僕たちをサタンから引き出して神様の僕のような人を作り、その人々の中に神様のみ旨のために精誠を尽くし忠誠を尽くす人を神様の養子のような位置に立たせて、徐々に引き上げようというのです。
それで神様は旧約時代から僕の僕の位置にいる人間を養子の地位にまで引き上げる歴史をなしてこられたのです。それは養子圏を作っておこうとするということです。
その養子圏がイスラエル民族です。言い換えれば、イスラエル民族がサタンの世界から選び出した天側の僕と養子圏というわけです。これは神様が自由になすことができる野生のオリーブの木の畑と同じです。
このように神様はイスラエル民族を僕の僕から僕に、養子へと引き上げて、息子が来るまでイスラエル国を造ったのです。そのような基盤の上にメシアを真のオリーブの木として送り、野生のオリーブの木の畑のようなイスラエル国全体を接ぎ、神様が主管できる先住権の国を造ろうということでした。これが今まで神様が摂理の歴史をして来られた概観です。
このように私たちは養子にしかなることができないので必ず直系の息子が来て接ぎ木しなければ、神様の息子、娘になることができないということです。
神様は預言者を通じてイスラエルにメシアを送ると約束して2千年後にイエス様をお送りになりましたが、イスラエルの国と教会が一つになってイエス様と完全に一体にならなければなりませんでしたが、それができなかったためにイエス様が亡くなるようになったのです。もし一体になっていたら、イエス様はユダヤ教の大祭祀長になり、ユダヤ国の王になったはずです。
子孫を繁栄させなければならなかったイエス様
ここで問題になるのは、イエス様が独身だったということです。祭司長になるのも独身で、王になるのも独身でなければなりませんか? それは、そうできません。 もしイエス様が結婚していたらどうなっていたでしょうか? イエス様を中心にしてイエス様の家庭が生まれたのでしょう。 アダムとエバが堕落することなく、成し遂げるべきであった真の父母の地位を、イエス様が代わりに実現できたはずです。
ここにクリスチャンが来たら、 「おぉ! イエス様はそんなことができるのか?」と驚くことでしょう。
ここに立っているこの私も、キリスト教を通いながらイエス様を信じた人です。
その内容を読み取ってみると、内容がこのようになったことを知ったのです。私がこういう話をするからたくさんの反対を受けました。 しかし、事実であることは否定できないのです。 いくら霊界に行って照らし合わせても、これしかなく、これが事実であることを私は知っているのですから、死を覚悟して、この道を歩み、迫害の道を切り開いてきたのです。
イエス様も男なのに、新婦を迎えて、息子や娘を産みたかったでしょうか、産みたくなかったでしょうか? この地で父という言葉をイエス様も聞きたかったでしょうか、聞きたくなかったでしょうか? もちろん聞きたかったはずです。 自分についてお父さんという言葉を聞きたかったはずです。 また祖父という言葉も聞きたかったことでしょう。
こうしてイエス様が祭祀長になり、イスラエルの王になっていたら、神様が自ら支配できる皇族が生まれたはずです。 そうなれば、今日のこの世界にイエス様の直系子孫が残っていたはずです。
では、神様はイスラエル民族よりイエス様の直系子孫をもっと愛すると思いますか?愛さないと思いますか? 誰をもっと愛しますか?
そうなれば、イエス様を中心にキリスト教徒は一つの王権国家、善主権国家を築き世界に広まったでしょう。
これは常識的に考えてもわかることです。 皆さんも男性としてイエス様と同じ立場に立てば、そう考えるのではないかということです。 また、そういうことを望むのではないかということです。
そのような立場に立っていたイエス様が、御旨を果たすことができず、十字架に行かなければならない緊急事態が起こり、イエス様は「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の望むようにではなく、御心のままに。」という深刻な祈りを捧げざるを得なかったという事実を私たちは認識すべきです。 死ぬのが嫌でそんな祈祷をしたのではないのです。
救世主が十字架にかかって死ぬことになれば、救世主を信じる人々も血を流す道を歩まなければならないということです。 自分が死ぬことによって後代の幾多の人々が虐殺され、世界が蹂躙され悲惨な死に方をすることを考えた時、三度も天に訴えざるを得なかったのです。 そのようなイエス様の事情を誰も知りませんでした。
それでは、イエス様が来て何をしなければならなかったのか? サタン主権国家以上の主権国家を築くと同時に、人類の原罪を取り除く必要がありました。 原罪を取り除かなければならなかったということです。 イエス様に接がれ原罪を取り除いた立場で、イエス様と一つになった人の子供は、イエス様を信じなくても天国に行けるのです。 イエス様を信じなくても天国に行けるということです。
堕落がなかったら私たちには救いが必要ありません。 皆さんはこれをしっかりと知る必要があります。 宗教だの祈祷だのというのが全部必要ないということです。
堕落したか救世主が必要だということです、救世主が。
堕落がなければ地獄はありえないのです。 家を建てる前にゴミ箱から作っておく人がいますか? 使えないものができたのでゴミ箱を作るのです。 地獄は廃品、廃物の保管所です。
神様は地獄を建てた方ではありません。 地獄は人間の堕落から生まれたものであり、神様が作ったものではありません。 人間は偽りのサタンの血を受けて生まれたので、その血筋に属する全ての人はサタンに従ってその場所に行かなければなりません。
何故、メシアがまた来ないといけないのか。
もしイエス様の血を受けて生まれたイエス様の子孫があって彼らがキリスト教の神父になり牧師になっていたら、こんなに腐敗したキリスト教は生まれなかったでしょう。
4千年間イスラエルの先民を大切に育て、預言者を通じてメシアを送ると約束された神様がイエス様を殺すために送ったでしょうか? とんでもない話だというのです。 そうはできないということです。
イスラエル民族が信じなかったためにイエス様は死にました。 信じなかったためにイエス様が死んだということです。 これはいくら否定しようとしても、否定するすべがないことです。 イエス様が死んだために失敗したという意味です。 イエス様が死によって霊的な意味を成したということです。
今日、キリスト教徒が知っておくべきことは、キリスト教の道理は十字架の道理ではなく復活の道理ということです。 十字架とは、キリストを死なせた、神様を悲しませ、キリストを嘆くようにした死の型であり、それが救いの道ではありません。 イエス様が死の中で復活したからこそ、そこから新たな救いの道が生まれたのです。 イエス様はそのような十字架にかかって死んでしまったのです。
私たちは今、世の中と敵対し、神様だけを中心にして進んでいます。
イエス様は私たちにもう一度来るという約束を残して行きました。 今日、私たちキリスト教徒たちは、昔イスラエル民族がメシアを待っていたのと同じ立場でメシアが来るのを待っています。
イスラエル民族は地上に主権を持った国があり、メシアを迎え、今のキリスト教は、地上に主権国家を築いてその基盤の上でメシアを待ち受ける立場にありません。
ですから今日のキリスト教徒は糾合しなければなりません。 私の教派、あなたの教派、カトリックだのプロテスタントだのということが問題ではありません。
悪主権を成しているサタンの世界に神様が主管できる善主権の基盤を用意しておかなければならないということです。
メシアが来られてから、その方と完全に一つになれる新婦がいなければならず、その方と完全に一つになれる宗族がいなければならず、その方と一つになれる民族がいなければならず、その方と一つになれる国がなければならないということです。
そしてサタンが主管する悪主権をこの世界から追い出し、神様を中心とする善主権を作って人類の怨讐であり、神様の怨讐であるサタンをこの地球星から追い出さなければならないということです。
皆さんがこれを知らなければなりません。
このサタンの悪魔は誰か. 我等人類の真の親になれる親の縁を横取りして偽りの父となっている神様の怨讐であり、歴史以来私たち人類が許せない怨讐であるということです。
この世界は神様の所有であり、神様の生活の場であるにもかかわらず、悪魔が自分の所有にして神様を裏切る武器として使っているというのです。
今日のキリスト教徒は、どういう立場かというと養子の立場です。
キリスト教徒は養子です。 みなさんは養子です。 養子の立場にいます。
牧師になる方や神父になる方の中で、「私はイエス様を信じて完全な救いを得た…。」こう思っている人がいるかもしれませんが、皆さん、考えてみてください。 イエス様をよく信じていた使徒パウロが結婚して子どもを産んだなら、その子どもがイエス様を信じなくても天国に行けるでしょうか? それはできないということです。
牧師、長老たちがいくらイエス様を信じていたとしても、彼らが生んだ息子や娘はイエス様を信じなければなりません。 救世主が必要だということです。 牧師や長老の息子や娘だからといって、救世主なしで天国に行けるとは限りません。
言い換えれば再臨主がこの地に来なければならないということです。 養子と同じ立場で息子になるためには、野生のオリーブの木のような信者が真のオリーブの木にならなければなりませんが、その真のオリーブの木の実を結ぶためには、メシアが来なければならないということです。
主の出発は原罪のない家庭から
皆さんは今、原罪を空中に持っていますか? 体に持っていますか?
地上の体に持っているのです。 体の中にある原罪を引き出すためには、再臨主が雲に乗って来てはならないということです。 再臨主は地上に来て神様を中心とし、霊と肉が合わさった一つの主権国家と一つの世界をつくり、この地球上で神様の怨讐であり、人類の怨讐であるサタン、悪魔を追放しなければならないのです。 そうしてこそ、地上の天国と天上の天国が広がるということです。
この地上に神様が望む家庭がありますか? ありません。だれでも原罪を皆持っています。 神様が望む宗族もありません。 民族もありません。 国もありません。 世界がそうなっているのです。
ですから来られる主は、 どこから出発すればいいのか? 一人の花嫁を探す家庭からしなければなりません。 霊肉あわせて原罪を脱いだ家庭を建てなければ、神様が望む国が出てこないのであり、世界も出てこないのです。
聖書は神様の御言です。 神様は「私はアルファであり、オメガである」と おっしゃいました。 創世記で成し遂げようとしたことができなかったため、ヨハネの黙示録に成されるということです。
人間が堕落していなければ原罪のない息子と娘を産み、そのまま天国に行ける家庭を持っていたはずです。 そこに立つ父母は、真の父母です。 また、その家庭は神様と一つになった家庭です。 その息子と娘は神様の家庭の子孫です。
このような御旨を創世記で実現できなかったため、ヨハネの黙示録に書き、新郎と新婦の名前をつけて再び実現させようというものです。
その新郎は誰であるのか? 完全な真の父として来る方です。 その花嫁は誰であるのか? 神様が愛することができる真の母として登場する方です。 アダムとエバが堕落しなかったら、神様を中心にして結婚式をしたはずなのに、堕落によってサタンを中心にして結婚式をしてしまったので、それをまた訪ねて初めて神様を中心にした聖婚式を行うということがヨハネの黙示録にある子羊の宴ということを皆さんがはっきりと知らなければなりません。
皆さんは、真の父母の息子や娘ではありません。 堕落した偽りの父母の息子と娘です。 したがって、モデルケースとして一つの家庭がこの地上と神様の摂理の中に現われなければ、この世界に新しい理想世界が出現しないということです。 その真の父母が出現できる国は、神様が建てた堕落していないエデンであり、この地球上なのです。
統一教会が主張して行く道
私たちには家庭があり、宗族があり、民族があり、国家があります。 ところでその家庭と宗族と民族と国家は神様のものですか? 違います。イエス様の時も今と同じ立場でした。 イエス様はこの地に来て「死なんと者は生き、生きんとする者は死ぬ」と言いました。 また、「誰よりも私を愛さない者は私にふさわしくない。」と言いました。 また「あなたの家族が怨讐だ」と言いました。 また、「私は平和のために来たのではなく、剣をもたらすために来た」と言いました。
それでは剣をもたらして何をしようとしたのでしょうか?
新しい神様の国の伝統を建てて神様の国の主権を立てるための革命をしようとしたということです。
これはこの世の文化と歴史と伝統が偽りの文化であり、偽りの歴史であり、偽りの伝統であるため、神様が喜んでいただける真の文化と真の伝統と真の理想がないという意味です。
しかし、イエス様は私が主張する家庭はこうであるべき、私が主張する宗族はこうであるべき、私が主張する民族はこうであるべき、私が主張する国はこうであるべき、私が主張する世界はこうであるべきだと一言も言えずに行きました。 ただイエス様は「私は言うことは多いがお前達に耐えることが出来ない」と言っただけです。 そして「私が世の中のことを言ってもお前たちが信じられない。まして天のことを言ってどうして信じることができるのか。」と嘆いたのです。
そのような意味が地上では実現できず、今日まで残っていたものを、皆さんは知っておかなければなりません。
天という国は、今のままで、この文化のままではだめなのです。 今の自分の生活方法の通りにすると、天国になりません。 自由な行動をしては天国を成すことはできないということです。
ですから新しい人生観が必要だというのです。 また、新しい国家観や新しい世界観、新しい宇宙観が必要な時が来たということです。 それは万民がともに原罪から解放された場所で、永遠に地上の天国と天上の天国を所有する神様の子息であり、天の国の民として生きるべきだということを意味します。 それで、主が来て、家庭を築いた後、その家庭にならって多くの家庭を解放させ、その解放させた家庭を合わせて宗族を作り、その宗族を中心とし、また宗族を解放させて一つを作り、その民族を中心とし、また民族を解放して一つを作り、国家を作り、その国家を中心とし、また国家を解放して一つを作り、世界を作る新しい歴史のできる新しい思想と新しい理念を持って来なければならないということを、皆さんが理解する必要があります。
ここで問題になるのは、イスラエルの国が主権国家を失ったため、今日のキリスト教が、地上に居場所のないキリスト教になってしまったということです。 そのため、我々が再び地上の基盤を築くためには、昔イスラエル民族がその国を探して築こうとした歴史的な縁を再びこの地に築かなければならないのです。 イスラエルのような国をキリスト教圏内に作らなくてはならないということです。
ヤコブがサタン世界に勝ったという意味のイスラエルという名を取って、それを中心として民族や国家を成したのと同様に、今日のキリスト教は霊的な国だけを作っていますから、地上に足場がないので、立て直さなければならないというわけです。
とすれば、今あるイスラエルの国にそのまま入って、ここに建てればいいのではないかと考える人がいるかもしれません。 しかしそれはだめです。 キリスト教徒を通してしなければならないというのです。
このために、今日の我が統一教会は新しい家庭を作り、世界の信者を糾合させ、宗族と民族を超えた世界的な新しい民族を編成しようと乗り出したのです。 これが統一教会が主張していく道です。
サタンに奪われた信仰、御言、愛を取り戻すには
今日の御言のタイトルである「神様の公式摂理と新しいメシア」について話してみましょう。
霊的世界だけを望んで出てくるキリスト教は地に基盤がないため、その地に基盤を築くためには、イスラエルの民が歩んだ道を再度歩むことが必要だと述べました。 これを皆さんはしっかり知らなければなりません。
アダムとエバが堕落した直後、神様は彼らを追放せざるを得ませんでした。
本来は永遠に、永遠に一緒にいなければならない自分の息子と娘であり、自分の血肉にもかかわらず、一緒にいてもいられない悪しきサタンの血を受けて、不法の愛に汚された身になったので、神様は一緒にいてはいられないので追い出さざるを得なかったのです。 アダムとエバとともに、天使長も追い出したのです。
ここから摂理路程の公式が必要になったのです。 アダムとエバは神様の御言を絶対的に信じられませんでした。 その御言を守って神様と一つにならなければならなかったのに、そうできなかったです。 神様と一つにならなくて神様の愛を受けることができなかったのです。 神様の言葉を失くしていまいました。 神様が成し遂げようとしていた聖殿である体を失ってしまいました。 神様と通じる愛を失くしてしまいました。 3大要件を失ってしまったということです。 そうしてサタンの息子と娘となってしまいました。 全部がサタンの味方になってしまったということなのです。 神様の側の人がいなくなってしまいました。 問題が大きかったということです。 サタンが奪ったから、盗んだからこれをまた取り戻さなければならないのです。
神様は、天使長のような僕をなくしたので、彼の子孫の中から、天使長が忠誠をつくすこと以上に、忠誠を尽くす僕を探すと嘆いて来られたのです。 その僕を見つけた後に息子や娘を探さなければならないということです。
それで神様はサタンの世界に愛の御言をくださるのです。 その中で神様の言葉を絶対に信仰する人が出てくるべきです。 つまり、アダムよりも、神様の御言を絶対的に信じる群れが必要だという事です。 神様の御言に不信感を抱かせた天使以上に信頼できる事をしなければならないというのです。 神様の御言を聞いてサタンの世界にいる体を抜き取らなければなりません。 体を探さなければならないのです。 このようにして神様はサタン世界の誰よりも愛せる僕を持っているという立場に立たなければならないのです。 そうして僕から養子に引き上げなければならないのです。
そのためには、この堕落した世の中の人間の中にサタンを裏切り、サタンを親として仕えずに、神様を親に仕えるために、サタンの世界から抜け出す人がいなければなりません。 それによって人間は、僕の位置から養子の位置に上がることができるのです。
また、養子ではいけないので、息子になるためには接ぎ木して下さるメシアが来なければならないということです。 つまり、原罪を脱がなければならないということです。 人間には原罪が隠れているために、原罪を抜かなければならないのです。 この原罪を脱がずに神様の直系の息子や娘にはなれないので、その原罪を抜いてくださるメシアが来るべきだということです。
この原罪を脱ぐための戦いは、アダムの家庭から始まりました。 アダム家の2人の息子、カインとアベルを引き離して、摂理の歴史は始まったのです。 神様はアベルを愛するようになりました。 アベルに供え物を捧げさせました。 供え物をするためには、誰よりも神様の御言を絶対視しなければならないのです。 サタンが反対しても、それを克服していかなければなりません。 アベルは精誠を尽くして環境上の困難を克服し、意に適った供え物をしたのです。 供え物を捧げるそのアベルは、堕落したアダムよりも神様の御言に絶対従順しなければなりません。 そのアベルは神様と一つになり、サタンとは永遠に一つになれる実体にならなければなりません。 そうしてこそ、神様に愛される位置に入るということです。
それによって、主権内から解放を受け、善主権内に入るということになります。
そのような個人が行くべき伝統を、家庭が行くべき伝統を、民族が行くべき伝統を、国が行くべき伝統を築いて代表の位置に立たなければならないのです。 神様の御言を信じて神様と絶対的に一つになって神様の愛を受けなければならないということです。これが原則です。
ところが、そのような立場に立ったアベルがカインに殴られて死にました。 アベルの子孫を通じて天の継代を受け継いで天の側に立てる者を立てようとされた神様の御旨が崩れてしまったため、神様はまた1600年間苦労してノアを探し当てたのです。
皆さん、ノアおじいさんについて考えてみてください。 皆様なら、頂上に箱舟を造ろうという神様の命令を信じますか? 船を造ろうとすれば川辺に造らなければならないのですが、山の頂上に造れと、これは常識を外れているということなのです。 反対、反対、その反対ということです。
それは、どうしてそうしたのでしょうか?アダムとエバが神様の御言を信じずに堕落しました。
したがって、その子孫に反対の命令を下した時、それまでも信じることにより、信じなかったアダムとエバの失敗を復帰することができるのです。
ここに牧師や神父様がいらっしゃいますね?皆様に神様が120年ではなく、12年間、箱舟を造りなさいといういう命令をされたなら造ることが出来る人はいますか? 常識外れのことをすることが出来ますか? しかし、ノアは120年間、箱舟を造ったというのです。 それが偉大だということなのです。
神様を絶対的に信じた歴史的な祖先達
ここに夫人たちがいらっしゃいますが、もし皆さんが毎日のように120年間、箱舟を造るために出て行くノアの妻になったら支援しますか?米国国民の2億のうち半分が女性ですが、1億近い女性のうち120年間、あれほど狂ったことをしているノアを夫として侍り、忠誠をもって使えることができる人は、おそらく探すことは困難だと思います。
考えてみてください。 ノアの妻が不平を言ったでしょうか?言わないでしょうか?
不平を言ったというのです。 一度だけ不平を言った日からずっと反対したということです。 ずっと別れるということです。 町の知り合いは「そのノア、狂ったおやじ。 120年後に神様が審判するって?」と言って、気違い扱いしたのです。 ですから、彼の息子や娘たちも反対しないわけにはいかないということを皆さんが知るべきです。
行くべき道と思ってその道を進もうとするが、愛する妻と子どもが反対して道を塞いだら、どれほど呆れることでしょうか?
不信のアダムの子孫に生まれた人間は神様を絶対的に信じるという基準を立てて、神様と絶対的に一つになったという基準を立てた場所で、神様の愛を受けなくては神様に戻ることができないので、神様はそれほどの反対がおきるような事をせざるを得ないのです。 このような無念な事実を私たちは知らなかったということです。
では、反対させるようにするのは何のためですか? サタンの世界から早く隔離させるためです。 反対が悪いのではなく、絶対に反対されれば絶対的な位置に立つことができるからです。
皆さん、聖書を見るとノアの息子や娘がノアに対して不信感を持っていたことが分かります。 ノアが箱舟から降りてきて葡萄酒を飲んで酔って裸になっているのを彼の息子たちが見て、恥ずかしがって後ずさりして服を持ってきて覆い隠しました。 それが罪となり、40日の洪水審判を経たノアの偉業は壊れてしまいました。 そこから一つになれなかった家庭的な雰囲気を感じることが出来ます。
40日間、洪水審判を見ていたら、自分の父の命令がどれほど立派で、自分の父の信仰がどれほど立派なのかを知り、その父が死ねと言えば死に、またその父が何の行動をしても、神様のように仕えなければならないにもかかわらず、習慣性を持って父を批判し、僕の僕になるという無念の歴史が起こるようになったのです。
次はアブラハムを見ましょう。 アブラハムは偶像商売の息子です。 豊かに暮らしているアブラハムにとって神様は「おい! アブラハム、お前の家から出て来い。」と命令されました。 すると、アブラハムは文句も言わず、どこに行けば豊かに暮らすという保証も受けず、自分の住んでいた故郷のカルデアをすべて捨てて旅立ったのです。 それで、何になったかというと、国境を越えるジプシーになりました。
神様が出てこいと言えば出てくるのです。 出た後はどんなに大変なことがあっても出たことを後悔したり神様を対して恨んではいけません。 恨むと、また堕落したアダムのような立場に帰るという事です。
アブラハムはアダムよりも絶対的に神様を信じなければなりません。 そして神様と一つにならなければならないのです。 そうしてこそ神様の愛を受けるようになるのです。 アブラハムは、神様がどんなに連れ歩いて、それでも恨まず、感謝の気持ちで行ったため、神様も彼を愛し、彼に「あなたの子孫が、空の星のように地の砂粒のように繁栄するだろう。」と祝福してくださったのです。
また、ヤコブを見てください。 ヤコブは神様から祝福を受けることを尊く思い、その祝福を受けるために人間世界にない事をしました。 神様の約束を絶対的に信じてハランの地に逃げて、精誠を尽くしてあらゆる困難を乗り越えながら 21年間戦ってきたのです。 いくら反対されても、それを克服して神様と一つになる愛の場に行かなければならないということを皆さんが知るべきです。
モーセも同じです。 彼は神様の言葉を聞いて死を前にしても神様を信じて旅に出たのです。 世の中に対する未練や昔自分が贅沢に暮した生活を懐かしまずミディアン荒野生活 40年間、ただ神様の命令と神様の言葉を中心にして神様から愛されるような場所を選んでイスラエル民族を救うようになったのです。
皆さん、また洗礼ヨハネを見てください。 彼も自分の愛する家から出て荒野生活をしました。 自分が愛する家庭、世の中の縁を否定して神様の意を絶対視して神様と一つになる道を行ったのです。
神様がすべての面でアダムエバよりもっと立派で神様を信じることができなかった天使長以上に神様のために忠誠を尽くせる基準を認められる生活をするように追い出したのです。
聖書を見ると、洗礼ヨハネはバッタと野蜜を食べて生きていたと書かれています。 皆様もイスラエルの国に行かれてみればお分かりでしょうが、そこは野蜜が沢山ありそうな所ではありません。 いつでもバッタを捕食できるようになっているわけでもありません。 洗礼ヨハネは30年間暮らしながら食べ物がないと、部落に行って食べたりもしたでしょう。 それで、近所中に気が狂った奴だという噂が出て、彼が路地を歩き回ったら、子供たちがついて回りながらいろいろと悪いことをしたのです。 しかし彼は神様の言葉を絶対的に信じて神様と一つになって神様の愛を受けることができる位置に立ったのです。
このように、神様は歴史時代において神様の意思に従って出てきた預言者たちを、正常な道へと導くことができなかったということを、もう皆様が理解することができます。 それはアダム、エバが神様の御言を絶対的に信じられず堕落したため、神様の御言を絶対的に信じられる位置に立てなければならないし、神様と一つになる位置に立てなければならないし、神様の愛を受けることができる位置に立てなければならないからです。 そのためにあらゆる受難を経験させたのです。
世界救援運動の先頭に立つべき米国
神様の愛圏内に立った後はどうすればいいのか。 サタンが神様の怨讐ですので、神様は怨讐世界を復帰するために神様の代わりにサタン世界を訪れるよう命令するでしょう。 そのサタンの世界を捜し求めことは、打って奪い取ってくるものではないということです。 サタン世界よりもっと高いレベルの愛をして、彼らが神様と一つになるようにして引っ張って来なければなりません。 悪しき愛で縛られている人々を神様の善良な愛で導かなければ、連れて来られないということです。
そのような立場で、サタンの世界は主権国家があるため、天の側の人を頻繁に叩き殺すものだということです。
ですから神様の意志に従って出てくる人々は犠牲の道を経て一国を探して世界と対抗して戦える基盤を築いていかなければならないのです。 これが神様の歴史、役事です。
このようなことが公式の道程であるため、今日ではキリスト教徒も同様の道を歩んでいるのです。 イエス様の御言を絶対視して世の中から分かれてこなければならないのです.。代わりに神様と一つにならなければならないのです。 そして、神様から愛される息子となって、人類の敵であり、神様の敵であるサタンをこの世から追放するための工作をしなければなりません。
サタンはこの世の王様ですから、そのような工作をするたびに血を流さなければならなかったのです。 このようにキリスト教は、神様の摂理に従って多くの血の代価を払って世界的な宗教になりました。 皆さんがここではっきりと知っておくべきことは、今この時は教派同士がお互いに争っている時ではないということです。
教派が互いに合わせて、神様の怨讐であるサタンをこの地から追放しなければならないのが、キリスト教の使命だということを知らなければなりません。
それでは、今日のアメリカを一度考えてみましょう。 アメリカは、神様がサタンの世界から新たに引き出して、分別のついた場所に立てた民族なのです。 この民族は神様の御言と一つになるべき民族であると分かっています。 堕落したアダムとエバよりも神様の御言をもっと絶対視し、神様の言葉を絶対的に信じられるこの国、この民族にならなければならないというのです。 それで、神様と一つになる民族にならなければなりません。
神様と一つになってどうすればいいのか? 今まで善を打ってきた悪の世界から出て、堂々とした権威国家としてサタン世界を奪わなければなりません。 そのために神様はサタン世界のどの国よりも、このアメリカのすべての祝福をしてくださったのです。
今や、米国の民が神様の御旨を果たすために、この国を離れ、世界中に神様の愛を広げるなら、本国を離れ、孤独な道を自ら進み、神様の御言とともに、一つになるために死の道を選ぶ運動を繰り広げるなら、米国は絶対に滅びないでしょう。
現在アメリカの青年男女たちの中にはアメリカを発つ若者達が多いのですが、 神様のために 神様の御言のために、神様と一つになるために、そして神様の愛を開くために旅立つ若者達ではないことを分かっています。それと逆のヒッピーの群れが多いことから、今後のアメリカを皆さんが心配しなければならないのです。
このような視点で皆さんが神様の言葉を絶対視し、神様と一つになって神様の愛を受け、悪しきサタン世界を打ち破るため、サタン世界の主権を天の主権にお返しするために戦う運動をしなければ、来られる主がその戦いを再びしなければならないという結論が出ることを皆さんが知らなければなりません。
そのような危険性があるので、再び来られる主が、世の中の寂しい位置に行かれるそのような事に遭われてはいけないから、私が孤立した位置で神様のため、 あるいは天の国を建てるためにどんな苦労の道でも進んで行くという運動が、この地上でキリスト教を通じて世界的に広がらなければならないのです。 そうでなければ、今後のキリスト教の道は閉ざされてしまうということです。
統一教会が進むべき道
それで、統一教会では何をしようというのか。 皆さんがこれを知らなければなりません。 前に述べた公式の原則にのっとって、アダム、エバよりも神様の御言を絶対的に信じる群れになるということなのです。 まず最初の群れになろう!ということです。 いくらサタン世界の反対があっても、我々は神様と一つになろう!ということです。 いくら反対の危険があるとしても神様と一つになろう!ということです。
そして神様の愛を受けてサタン世界に愛を与えサタン世界を解放する運動をしようというのです。 これが統一教会の使命です。
この地上に、一つの民族を超えた新しいキリスト教の基盤がないので、世界的にその基盤を築こうというのです。
昔、イスラエル民族が成し遂げられなかった主権形態の基準をこの地上で備え、再び来られる主が、新しい世界的な歴史を築くことが、統一教会の使命だということを皆様に申し上げます。
そのような国家基盤を中心にして来られる主から接木を受け、罪のない善の主権国家の下、原罪のない息子·娘を産める家庭をつくり、原罪のない宗族をつくり、原罪のない国をつくることが、統一教会が進むべき道なのです。
それが最後の日であることを知っています。 このような意味で、今後の統一教会が進むべき道について、皆さんが今まで聞いた御言を通じて心で協助し、また御旨を共にする皆さんになることを願ってお話し申し上げました。
--- 訓読終わり --ー
エルダー本部長:
貴重なる言葉をくださった神様に感謝いたします。それでは祈祷いたします。
父なる神様ありがとうございます。
今までお父様が米国に来られ公式路程を始められて米国リンカーンセンター・アレストリームホールで話された御言を訓読しました。
この中でお父様は堕落論を語られそして救いの摂理を語られ、私たちがアダムエバよりも神様の御言を絶対的に信じる人となり、そしてそのような家庭をつくり、民族をつくり、国をつくり、そして世界をつくらなければならいと語られた内容を授かりました。ありがとうございます。
今、米国は暗黒の場面におり、非常に難しい場面にあります。 その時、ほぼ50年前の御言を再び訓読し再び米国は、このお父様がくださった御言に立帰らなければならないと心から感じました。
今米国のすべての政治経済社全ての面において崩れているそのような中で、二代王様を中心としたこの小さな数が、少なくとも二代王様の御言を実践できる群れとなることを約束いたします。 ありがとうございます。
神様が立てられた米国を代身として、お父様が願われた御言、その内容を実践いたします。ありがとうございます。
そのような約束を捧げながらこの全ての内容を祝福中心家庭 テイム・エルダー、ユ・ノスクの名でご報告致します。
アージュ
それでは億萬歳致しましょう。
神様の王権樹立勝利、億マンセー
天宙天地人真の父母様、三代王権、億マンセー
天一国創建勝利、億マンセー
皆さん、来週までお元気でお過ごし下さい。