2019年2月28日木曜日

中絶で6千万人の赤ちゃんが殺された◆キングスリポート2月25, 26日(2日分)

キングスリポート2月25, 26日(2日分)
2/25(月)中絶で6千万人の赤ちゃんが殺された
2/26(火)あなたたちがもし私が神様だと思わなければあなたの罪の中で死ぬだろう

チャット英韓訳:ヨナ王妃
チャット韓日訳修正:Yuko Morita  監修:ファンクラブ
御言リポート

キングスレポートへようこそ。
今日ティム本部長は、家庭連合とのトレードマーク訴訟問題でニュージャージーにいらっしゃるので、キングスレポートへの参加は難しいです。
今日の天一宮の天気は風がたくさん吹く寒い天気になります。
午後の時間が11時間5分ほどですね。
だんだん午後の時間が長くなるのを感じます。土曜日の中絶反対集会に行って建物から外に出た時、暗くなったと思ったのにまだ太陽がありました。

今年の冬は氷水の訓練をしたことがとても良かったです。
韓国聖殿の青年たちも氷水の訓練をしました。
氷水の訓練は体中が焼けるようだと言っていましたね。
氷の厚さを見せていますね。さあ、氷水に入ります。
肩が全部水につかっていませんが、とても寒いということが分かります。ヒジョンとウジンも見えますね。ヒジョンが本当に寒いようですね。
こぶしをぎゅっと握っていますね。^^

今年の冬にはこのように後生遺伝子を開く練習をしましたね。
もし今年雪がまた降れば、1分の訓練時間を2分から5分ぐらいに時間を増やして訓練したいと思っています。

この青年は入ってすぐ出て行くんですね。1分しなければならないのに。 今年の冬はスキーに行こうと思っていたのですが、全くそうすることができませんでした。
しかし、このように氷水の訓練をすることができるのでとてもいいです。
イエス様、真のお父様、本当にありがとうございます。

この訓練は安全に気をつけてしなければならないのですが、若者の訓練としてはとてもいいです。

今日の聖書リマはエズラ記です。
エズラ記の背景を一度読んでみましょうか。
エズラ時代にはイスラエルの国は亡びてバビロンの捕虜時代が終わり、エズラはイスラエルの民のユダヤ法と血統を立て直し、イスラエルの位相を立て直そうとしました。その当代にエズラはまるでモーセのように、神に従い仕える祭司長の役割をしました。
エズラを繋ぐネヘミヤの時代には、イスラエルの城壁を建て、再びイスラエルの民が約束の地に戻れるようにしました。
捕虜時代にはイスラエルの民を率いて、3度にわたってバビロンの地を離れ再び約束の地に戻ります。

エズラ記10章です。
エズラが神様にイスラエルの罪を悔悟する内容です。
10:1エズラが神の宮の前に泣き伏して祈り、かつざんげしていた時、男、女および子供の大いなる群集がイスラエルのうちから彼のもとに集まってきた。民はいたく泣き悲しんだ。
10:2時にエラムの子孫のうちのエヒエルの子シカニヤが、エズラに告げて言った、「われわれは神にむかって罪を犯し、この地の民から異邦の女をめとりました。しかし、このことについてはイスラエルに、今なお望みがあります。
10:3それでわれわれはわが主の教と、われわれの神の命令におののく人々の教とに従って、これらの妻ならびにその子供たちを、ことごとく追い出すという契約を、われわれの神に立てましょう。そして律法に従ってこれを行いましょう。
10:4立ちあがってください、この事はあなたの仕事です。われわれはあなたを助けます。心を強くしてこれを行いなさい」。
10:17正月の一日になって、異邦の女をめとった人々をことごとく調べ終った。
10:18祭司の子孫のうちで異邦の女をめとった事のあらわれた者は、ヨザダクの子エシュアの子ら、およびその兄弟たちのうちではマアセヤ、エリエゼル、ヤリブ、ゲダリヤであった。
10:44これらの者は皆異邦の女をめとった者である。彼らはその女たちをその子供と共に離縁した。

家庭では母親が本当に重要です。
どんな人が母親であるかによって、その家庭の子供たちがどうなるかが大きく変わります。
エズラはバビロンに住んでいたイスラエルの人々を連れてイスラエルに帰る際、異邦女性と結婚した男性たちに、その異邦女性と離婚して息子をイスラエルの家から追い出せと言います。

今現在では彼らがどうなったのかは分かりません。
聖書をみると異邦女性と結婚したイスラエルの王たちが、その夫人の異邦神を受け入れ、ますます悪くなっていくことが見られます。
エズラはこのように結婚で夫人を選ぶ時、最も重要なのは信仰だ、その人の性格であり人柄だ、ということを再びイスラエルの民に刻み込ませます。
容姿がすばらしく美しいのは結局消えるものではないですか!と語るのです。

昨日私は72歳のおばあさんがフィットネスセンターで運動をする姿を映像で観ました。
もちろん健康を管理すれば、こんなに健康に運動をしながら生きれます。
しかし結局は美も若さも無くなるのです。
72歳なのにタイヤを押してジャンプをする姿がすごいですね。
腕立て伏せをしたり懸垂もされます。
信仰のある女性は神様を畏敬します。

大部分の女性は、より大きく良さそうな鹿狩りをする狩人のような人を結婚相手として探そうとします。
しかし神様を畏敬する女性は、そのようなもっと大きくて良さそうな鹿が来ても、その誘惑を振り切ることができます。

私が語る信仰は、ただ日曜日に礼拝に出ることだけではありません。
それは日曜日にだけ信仰をすることです
それは十分ではありません。

若い時は、美しい女性が若い男性に与えるパワーはあまりにもすごいのです。
若い男性たちはきれいな女性の前で、全身が凍りつくように感じられることもあるのです。
男性たちは美しい女性の前で脳が破裂するような経験をします。
ある社会的な実験で、男性が座っているベンチの前に美しい女性が座り、秋波をわざと送りながら足を組のです。
その実験で男性はその女性から目が釘付けになったそうです。

神様はこのエズラ記を通じて男性たちに、美しい女性でも神様を畏敬しないバビロンの女性たちの心の中を見るように語られています。
バビロンでは女性が十代になれば、その子をバビロンの神殿に連れて行って、知らない通りすがりの男性と性関係をさせるのが風習でした。
このように性関係を始めた女性たちは悪の性を学ぶようになります。

アメリカの中絶をした女性の数があまりにも多いです。
そして自分の子供を殺した女性たちは、神に頼り依存するより、政府に手を広げて首をつるすことになります。
一度命を殺したので次は神様を捨てて、悪と罪を犯して生きることがとても簡単になります。

エズラはここで悪を崇拝する異邦女性たちとの関係を断ち、異邦神との関係を断つようにイスラエルの民に伝えています。
異邦女性たちは香を焚いてエストラ(バアル神の夫人)に祈る信仰心に満ちた女性だというのは、そのエストラ女神がどんな女神なのか知らないために言うのです。

ある統計を見ると中絶で死んだ子供たちは6千万人を越えます。
それは韓国の人口より多い胎児が、子宮で音もなく自分の母によって死んでいったということです。
また問題は、その死んでゆく子供たちを巡って、民主党は女性の選択だと言いながら、自分の生命を守るために対抗も抵抗できない胎児を、自分の子供を殺すことです。
神様はこのような犯罪を犯した米国を火で燃やされるかもしれません。
神様はこのことに対してこれ以上我慢されないだろうと思います。

中絶手術所、つまり

プランド・ペアレントフッド Planed parenthood) を死の収容所と呼ぶことを今回の中絶反対集会に参加して学びました。

これは本当に衝撃的でした。
人を殺す死の収容所を政府が税金を取り立てて支援し続けているということになりませんか!
パワーに酔って自分の利得に目がくらんで、赤ん坊たちを売り飛ばしているのです。

キリスト教徒がもう一度勇敢にならなければ解決できないことです。
だから神様が私どもの小さなコミュニティの聖殿教会を使ってこのように戦わせるのです。

政治家が妊娠末期にも子どもを殺せるし、また赤ちゃんが誕生しても殺せるという法を通過させる前に、500人の銃を持っている民兵隊がデモを行ったあとで、その法案にサインしなければならないなら、私はこのようなとんでもない法について政治家たちはもう一度考え直すだろうと思います。

ヒラリー、オバマ、クラッパー、コミー、ロージヤーストーンのような人たちはすでに刑務所に入れられるべきだった人たちです。
彼らはトランプがロシアと共謀をしたと言いますが、彼らこそロシアと結託し米国で反逆罪を犯した人たちです。

中絶は禁止されなければなりません。
このように赤ちゃんが生まれても中絶という名前で殺せる法律が維持され続ければ、アメリカは神の審判を免れることはできないでしょう。

アメリカがまた勇敢になるための条件として、聖殿食口の中でNRA銃器師範資格証を100名の人が取ることを今週の週曜日に話しました。
特に鉄杖祝祭を控えて、これはとても良い条件になると思います。
私も一緒にNRA銃器師範資格証を取得しようと思います。
実はそんなに大変な過程でもありません。
もちろんその過程を経たとしても、その時から銃器を完璧に扱える人になるわけではありませんが、それでもキリスト教が再び勇敢になるための大きな基盤になると思います。

今日エズラ記を読みながら、なぜ私たちが悪を分立して神の前に勇敢に立つことが重要なのかを学びました。
(休み時間)


本日お迎えしたのは、13年間NRAの銃器師範の仕事をなさっており、NRAのファッションショーを進行しながら、多くの方々に市民銃器所有価値を教え伝播している方です。

アマンダさん:私は幼い頃から銃器ととても親しかったのです。
祖父といつも銃器射撃場に行きましたし、私の父は銃を収集する趣味がありました。
また私の母は射撃場の訓練官でした。

二代王様:本当に良い家庭の伝統を持っていらっしゃいますね。
悪い人たちを脅かす最も大きな武器は、私は善良な人々が銃器で武装することだと思います。

アマンダさん:本当にその言葉に同意します。ある女性は私が銃器所有について一回講義をしたら、手を挙げて私に質問をしたのですが"ここで女性パワーの伸張はどこにあるのですか?"と尋ねました。
それで私が言いました "市民の銃器所有こそが真の女性パワー伸張だ"と述べました。

二代王様:その通りです。ある方が言われるには、神様が男性と女性を同等な価値にした証拠が、市民の銃器所有だと言いました。
今回中間選挙で当選した私どもの地域の民主党左派議員が、私どもの地域に来ました。彼のNRAの点数はFでした。それで私たちは多くの難しい質問をしました。
しかし彼は臆病者のように、地域社会の市民との出会いをしたにもかかわらず、直接質問を受けず、紙に書いて質問をするようにしました。
私はそのような市民の出会いのミーティングは初めて見ました。
私たちがした質問では、RED FLAG(赤旗)法というもので、死んだあるバージニア州の男性についても聞いたところ、知らないふりしました。

アマンダさん:本当に誰のための法なのか分かりません。

市民のための法律とはいえ、自分の家に武装警察軍が入ってきて家が掌握され、殺された男性の人権は存在しないのです。

アマンダさん:今米国の銃器所有法は、13個の憲法銃器所有の州(銃器オープン所有)と、ほとんど銃器を押収しようとする2つの州があります。
これは極と極を走っています。
私がNRAで女性銃器隠匿所有について4つのエピソードのプログラムを作ったのです。
その渦中に他のメディアが私のストーリーをピックアップしてドキュメンタリーも制作しました。
また私は銃器隠匿所有ファッションショーで顧問を担当することができる機会までも得ました。
そのファッションショーは14の国に記事化されました。
そして今年は銃器隠匿所有ファッションショーが4都市で開かれる予定です。
もちろん銃器所有の基本的な法則である銃口を人々に向けるとか、これらのことに気を付けています。

二代王様:私の妻のクイーンもいろんなホスター(銃を入れる物)を持っています。

アマンダさん:はい、銃器隠匿所有をしながらフアッショナブルになれるのを私のファッションショーで紹介しています。
腕のレベルから足首まで本当に色んな場所に銃器隠匿所有ができます。

二代王様:最近は、ジョギングレギンスにも隠匿所有ができるように銃の入れ物が装着されているものがあると聞きました。
最近のトレンドを見れば、女性の人口が銃器所有の男性より急進的に増えています。このような隠匿銃器所有は多くの女性たちを助けると思います。

アマンダさん:私は多くの女性を教えているのですが、女性たちは銃を学ぶのに男性と少し違う過程を経験すると思います。男性たちが機械と簡単に親しくなるのに対して、女性たちは触ってみて、これからどのように銃弾が出るのか、どんな銃がマーケットにあるのかなど、多くの情報を知り、触って、撃ちながら銃器と親しくなります。
ただ射撃場に行って撃つだけでは不足です。

二代王:私の家族も最近NRAの基本的な授業を受けて、私の妻と二人の息子と娘は4段階まで行くことができました。
私どもの教会では今年春になると桜の銃器射撃大会を行う予定です。

アマンダさん:私が子どもや女性たちと銃を撃つ時、とても好きなのは、サイダーの瓶からサイダーを半分くらい捨てて、そのサイダーの瓶を撃つことです。
サイダーの瓶が破裂し、多くの方々が喜び楽しみます。

二代王様:なぜこのような活動を始められましたか?

アマンダさん:2010年に私がラジオショーに15分くらい出席して、女性銃器所有について話せる機会がありました。その後一ヶ月に一時間の私の席が作られ、そのようにだんだん銃器所有に対する関心が育まれていき、私はラジオホストとしても仕事をしています。今ではオハイオ州でラジオホストとして銃器所持がなぜ重要なのかについて伝えています。

二代王:今民主党が銃器所有を踏みにじろうとして、毎週1回、銃器反対法を提出している状況です。銃器所有禁止を主張しながら米国の市民たちの権利を奪い、米国の国を後進国に引き下ろそうとしています。
アマンダさんは若い女性たちに本当に良いモデルとなっています。

アマンダさん:私の弟とも銃器についてたくさん討論しますし、銃器所有の自由について討論し情報を交わしています。私のWebサイトで私たちの仕事を支持してくださることできます。また私のラジオ放送を皆さんの周囲にあるラジオ放送に載せてもらい、定期ショーにしてほしいと要請してみてください。
それは本当に女性の銃所有を奨励できる方法だと思います。

二代王様:神様がくださった銃器所有の自由を守護する仕事をされているアマンダさんに感謝を申し上げます。

(休み時間)
時事リポート

◆今日はティム本部長をズームに招待しました。
ニュージャージーにいらっしゃいます。
ニュージャージーではニューヨーク都市のスカイラインが見えます。

私(ティム本部長)はBBCの報道します。英国の知識人は、今私たちは文明圏の終わりを経験しているという言葉を述べました。
歴史的に存在してきた文明圏を見ると、様々な文明圏で終末のサインが表れるのを見ることができます。そのサインが現代社会で見れるというのです。
このような終末の論争は、神様を信じる人々にとって、ある意味では我々を励ますことだと思います。

私(ティム・エルダー)が見るには、これはジョージ・ソロスのような自分たちが支配下層だと思っていた社会操作者たちが、自分の権力をずっと隠して振り回して行くことができない実情だということです。

ヨーロッパの中でも欧州連合に属していない国々は非常によくやっているのですが(スイス)、欧州連合に属している国のギリシャ、フランス、スペインなどはむしろ問題を抱えているようです。

私は(リサ氏)昨日二代王様の御言を聞きながら、今このようにサタン世界の勢力が大きく影を落している状況の中で、私どもが基督教にもっと大胆になるように呼び起こさねばならず、NRAの師範資格証を取得して、資格を備えることがとても重要だということを再び感じました。

◆沖縄で市民が選挙をし、自分たちは沖縄に米軍がいることを願わないという選挙結果が出ました。
この選挙の結果は実は法的な効力がないため、すぐに米軍基地が移ったりするのではありません。
実は沖縄でこのような結果が出たのは中国の工作です。
沖縄を巡って中国は、数年間かけてとてもたくさん力を入れてきたのです。中国の米国牽制戦略の一環として、反米感情を煽っているのです。
中国は数千年間、一度も他国を侵害したことがないと最近言っています。
その言葉に東アジアの国々は驚き、話にもならないという反応です。
歴史を歪曲して歪曲して、その終りが見えない中国ですね。

◆トランプ大統領は北朝鮮の金正恩に"ベトナムのモデルに従え"というようになだめるだろうという見通しです。
ベトナムは米国と一時は敵でしたが、核兵器をもはや作らず、米国と親和的な関係を維持しているという例示を見せているからです。

しかしこのトランプと金正恩の会談をめぐり、韓国の左派政府はすでにこの会談は"終戦宣言"につながるだろうと発表している状況なのです。
終戦宣言は結局、米軍の撤収の正当化の理論に当てはめられるものと考えられます。
今までの韓国の米軍駐留の正当性は、北朝鮮の共産党体制にあったのです。

米国も中国牽制よりも、北朝鮮の牽制を米軍駐留の目的として延べてきたのです。実は北朝鮮も危険ですが、もっと危険なのは中国ではないでしょうか?
もし終戦宣言が本当になれば、米軍撤退反対のデモが韓国で大々的に起こるものと予想されます。

私は先にサインアウトします。私の妻が聖霊大学をしなければいけないので先に行きます。もうキングスレポートが終わる時間になりましたね。
神の王国が天で行われたように地でも行われるその日まで。
アーメンアージュ

チャット英韓訳:ヨナ王妃  チャット韓日訳修正:Yuko Morita  
監修:ファンクラブ
御言リポート

キングスレポートへようこそ。
今日ティム本部長はニュージャージーから私たちと一緒にしてくださっています。
今日の天一宮の天気は氷点下の晴天です。
今日は一日中、氷点下の天気を記録すると思います。
明日は雪の便りもあります。
いつが立春ですか?たぶん公式的には3月末だと思います。

では今日のリマに行ってみます。
ヨハネによる福音書8章です。
8:23イエスは彼らに言われた、「あなたがたは下から出た者だが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。
8:24だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」。
8:25そこで彼らはイエスに言った、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼らに言われた、「わたしがどういう者であるかは、初めからあなたがたに言っているではないか。
8:26あなたがたについて、わたしの言うべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実なかたである。わたしは、そのかたから聞いたままを世にむかって語るのである」。

この聖句ではイエス様はご自分が神様から来たことを知らせているのです。
'あなたはイエス様が神様から来られたことを信じなければ、あなたたち(人間)は罪の中で死んでしまう'と語られます。

真のお父様も自分は夜の神様から来たと言われました。
人が忘れるのは、主に会った時、私たちは神様、つまり創造主に会うことと同じだというのです。私が何度かお話ししたことがありますが。

あるゲームを作ったクリエイター(創造者)がいるとすれば、そのデジタルゲームの世界にあるゲームの隅々までのものとキャラクターは、そのクリエイターがすべて作ったというのです。
そのゲームのクリエイターが、自分のゲームの中にいるキャラクターを選んでゲームをするとしましょう。
そのゲームの中の他のキャラクターたちが、彼が選んだキャラクターに出会うなら、そのゲームの中の他のキャラクターたちは、そのゲームのクリエイターに出会うことになるのです。(表面的にはただの同じゲームのキャラクターのように見えますが。)

私たちがそのゲームのクリエイターに出会えば、そのキャラクターは100%デジタルキャラクターであるとともに、また100%そのゲームのクリエイターです。
現代のようにゲームが発達した社会でないなら、このような例あげるのも難しいでしょう。
もちろんその前に紙にキャラクターたちの性格と能力を書いて、役割劇をするものもありましたが。

イエス様は100%人間で100%創造主でした。
ヨハネによる福音書8章24節は、イエス様ご自身が神様、聖父であり、神様であるというご自身のアイデンティティを明らかにされた聖句だと考えられます。

8:24だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」。

イエスはご自分のアイデンティティをこのように明確に明らかにされましたね。

Modalism:様式論:三位一体教理を説明するに当たり、聖父・聖者・聖霊神様はそれぞれ異なる3つの人格体ではなく、ただ顕れ方が互いに異なる3つの様式(様態)に過ぎないという教理(インターネット検索結果)だといっています。
Huayan華厳宗(けごんしゅう)は当時とても栄えた仏教です。
華厳仏教では三位一体と似た概念がありました。
3人の仏(お坊さん)が同じであり、同時に存在するという概念です。
しかしもちろんお坊さんは、聖子の立場の実際的で歴史的な人物であるイエス様とは違います。

ヨハネによる福音書では、イエス様ご自身は上から来られており、彼は自分が世界の光だと言われています。
しかし光というのは太陽から来るものです。もちろん太陽は神様を指しています。そのため聖父、聖子、聖神は相互の関係があり、互いに共存しながら、また自分固有の個体の特殊性を持っています。
太陽神の聖父、光神の聖子、そしてその太陽から出る暖かい聖神だとみることができます。
もちろんこの比喩法で三位一体すべてを説明することはできませんが、それでもその比喩は、三位一体の概念の混同をある程度解決することができると思います。

個人的に私のゲームアバターの比喩法もかなり良いと思います。

100%ゲームのキャラクターであり、100%そのゲームのクリエイターという概念はほんとうに面白いです。しかしその比喩法で聖霊を説明することはちょっと難しいですね。
ジェシー・リー・ピーターソンという牧師がいますが、その牧師さんはイエス様が神様だと信じません。もちろん主だということは信じていますが。

大部分の食口は、真のお父様ご自身が夜の神様から来たというご自身のアイデンティティを語られる前まではそう思っていました。

"もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである"と言われたのです。
イエス様は100%聖子でありながら100%聖父です。
本当にこの概念は私たちの脳を越えた領域だと思います。

多くの人が、神様がイエス様だったら、どうやって自分が自分を送ることができるのですか?と反問します。
しかしもしゲームの中ならそれが可能です。そのゲームのクリエイターがあるキャラクターを見せながら、同時にクリエイターとして存在できるのです。

イエス様を通じて神様に会えるということ!
それは本当に私たちの脳が爆発するほどの大きな事件だというのです。
神様がそのゲームのクリエイターだとしたら、そのゲームを作った理由が何でしょうか?
実はそのゲームのクリエイターはそのゲームの隅々まで知っています。
したがってそのゲームで最高レベルを積んでそのゲームを誰よりもっと早く完了するためにゲームを作られたのではありません。
ご自身が作られたのでそのようにしたと理解すればとても簡単です。
しかし神様がそのゲーム(この世)のクリエイターなら、神様はそのゲームの中で私たちと一緒に自分との関係を持って、喜びを享受するためにそのゲームを創造されたというのです。

このゲームはすべて前もってセットアップされて片方向だけに行くのではなく、その一つ一つのキャラクターが自由意志を持って行動するのです。
そして創造主であるイエス様と繋がっているのです。
まるでエデンの園のアダムのようにです。

私はこのような神学を掘り下げることが好きです。
だから私が神学を専攻したのかもしれません。
このような神学の内容を頭が痛いと思う人たちも実は多いのです。

8章24節の'あなたたちがもし私が神様だと思わなければあなたの罪の中で死ぬだろう'と語られたのはものすごい宣布だったのです。

イエス様はこの地の平和の王として、ご自分の宝血で私たちの罪を贖罪してくださり、私たち全員を氏族王にしてくださいました。
イエス様はこの世に存在した人の中で、死後も神様と完全な関係を持つ人だったというのです。

イエス様を平和の王様だと言われたことは本当に美しいです。
ご自分の宝血を滝のように注ぎ、我々の罪を許すために亡くなったのです。
そのようにイエス様の宝血で覆い、神様の立場で私たちを見られる時、これ以上私たちの罪が見えず、イエス様の宝血だけが見えるようにされたのです。
私たちはそのようにイエス様をマントのように着たのです。
イエス様の宝血で私たちの罪が許されたのですね!
今日その御言が私を強く打ちます。

今日のリマのヨハネによる福音書の8章24節をぜひ記憶してください。
'あなたたちがもし私が彼(神様)なのかを信じなければ、あなたたちの罪の中で死ぬだろう'
私たちはイエス様が真の神様であることを信じる信仰者になりましょう。
ヨハネによる福音書8章の御言を霊的な目で見る者になりましょう。

(休み時間)

時事リポート

キングスレポートへようこそ。
リサさんが来られ、ティム本部長をズーム画像でお迎えしました。

◆トランプに対するマロー調査発表にはあまり使える報告がありませんでした。
そのために民主党らはもっとトランプをはたいて、小さな過ちでも血眼になって探しているのかも知れません。
ある保守女性が民主党に、白人優越主義者という烙印を押したせいで、チェイス(CHase)銀行はその女性の銀行口座を使えないようにしたという記事です。

◆ブレグジットの調整期間の3月末に近づくにつれ、イギリスではブレグジットに対する緊張が高まっています。
ブレグジットはイギリスで起った事ですが、イギリス人の自由が抑えつけられたために戦っていることを見れば、これは結局、我が国の社会で問題に出くわした時、どのようにしてそれが解釈され、解決されるかの過程をあらかじめ見せてくれているとも受け取れます。

私(ティム・エルダー)はブレグジットが今、欧州連合の妨害工作にもかかわらず、最初の意図である欧州連合と完全に決別するハード・ブレグジットの結論が出ることを心から祈ります。

◆民主党が出産後の中絶を決めるとき、反対する機会があったにもかかわらず、赤ちゃんが出産後も中絶される殺人が犯されるように放置しました。

この投票は今月の月曜日にありましたが、60票があればそのニューヨーク法を覆すことができるのに、53票しかなかったそうです。
私(リサ氏)の考えでは、最も弱く自分を保護することができない胎児に手を出して、出産後まで子供を殺せば、民主党員たちができないことは何もないように思います。

◆オカシオ共産党国会議員が出したグリーン環境法を実行するためには、今米国の国債の4倍がかかるそうです。
それにもかかわらず、彼女にそれにどうやって資金を出すのかと問うと、彼女は今お金が重要ではない!と釘をさしました。
オカシオによれば地球温暖化になっているので、人々よ、子供を産むな、と言います。
こんなオカシオのような人も神様に迎接できるでしょうか?
キリスト教徒を殺したパウロも変えてくださったので可能でしょう!

◆ロシアのテレビは、もしロシアが米国を攻撃するとすれば、ターゲットがどこになるのかを話し、自分たちは米国を最先端機械で5分で全滅できる方法があると言いました。
これは中国が好きそうな記事ですね。

◆トランプと金正恩がベトナムで会います。
朝鮮戦争について話しますが、米軍駐屯撤収について北朝鮮の立場だけを考えてはいけないのですが。

◆あるコネチカット州の高校で短距離競争をしましたが、トランスジェンダーの男子生徒たち(もちろん自分は女の子たちだと言います。)が、1位2位3位になりました。こうなれば、すべての女性のオリンピック種目を男性たちが掌握してしまうでしょう。今写真で見た人が、自分がトランスジェンダー女性だと思っている男性です。
これは本当に盗みです。今回の短距離競走で、その高校の女性短距離の学校記録がすべて破られたそうです。
(男性たちが筋肉がもっと多く、もっとヘモグロビンが血に多いので、男性の方が早く傷が治るそうです。)

このような具合いでこれからも行われれば、女性選手たちはスポーツに残れないと思います。
これはトランスジェンダーが、自分が女性になって競技をしたという記録がその選手生活に残るでしょうし、彼らの未来にはよくないと思います。
まぁ、男の子たちが女の子に勝ったといって何がそんなにいいのでしょうか?

このようなトランスジェンダーの文化がスポーツ界を掌握していることに対して、トランプの長男はもどかしがりました。
女性というものは私が選択してなれるものではないなら、同性愛やトランスは自分の行動で選ぶとか、選ばないという問題ではないのではないですか!

私の立場ではこのようなトランスジェンダーの問題を無くすためには、トランスジェンダーたちはトランスジェンダーだけで競争できるようにしなければならないと思います。
(休み時間)

◆マドゥロが食料品を買おうとした市民に軍隊を送って鎮圧しました。
ベネズエラの独裁者マドゥロは、薬と食べ物を買おうとした国民に権力を見せるために、また米国に見せるために、このような政治的な行動をしたものと分析されます。
国民は飢え死にしても自分の顔と面子を守るという独裁者マドゥロです。
マドゥロの立場では自分の堅い権力にチャレンジする人たちは歓迎しないでしょう。

私、リサは自由を愛しています。
そして私はその自由のために自分の血を流さなければならないかもしれないという事は恐ろしいことだと思いますが、必要なことです。

◆トランプの壁を支持する人々の集会が今週ありました。
バーニー・サンダースの選挙キャンペーンで右腕の役割をした人が、今回ヒラリーは詐欺師であると言っており、バーニー・サンダースの場合は、私的な理由で国のプライベート飛行機を使ったと明らかにしました。
(バーニー・サンダースは社会主義民主党員でいつも平等な所得分配を叫び、福祉を叫ぶ人です。 )
民主党は、自分たちが多元主義で多家庭を代表する少数人種のための存在だと自ら主張している反面、問題は民主党の大統領選候補者が千編一律的に白人男性だということです。

◆日本のあるお寺で人工知能が説法をしました。
日本人は自分の国の変わった形の仏教を持っています。
この人工知能はミンダルという名前があり、日本の仏教では全てに魂があると信じるので、こんなことが日本から出てきたのではないかと思います。これはロボットなのに人々がこんなに崇めている姿はあまりにも奇異ですね。日本の仏教がこのようにしてこそ人々の興味が得られるなんて残念ですね。

家の中の人工知能は道徳判断人工知能です。
この人工知能はもし主人が法を犯すと、すぐ警察に通報することが可能です。もし主人が違法行動をすれば、その人工知能がそれを警察に知らせるという方法です。

◆ある女性が男性をHe(男性を指す代名詞)を使ったため、拘置所に行くという笑えないことがありました。
その男性は同性愛者かトランスジェンダーだったようです。
このような道徳ロボットがすべての人々の家々に、強制的に配置されなければならない状況が発生しかねないということです。

皆さん今日キングスレポートを一緒にしてくださって感謝いたします。
私たちの大統領のために祈りましょう。 神様に祈りましょう。
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《遺伝罪恨霊解怨、傍系解怨については、感謝できる方のみお問い合わせ下さい。

聖和前後の神の摂理◆①統一教会が分裂教会に!②統一教会の後継者問題②③韓お母様の天一国創建

お父様の聖和前後の重要な摂理を解説した、大好評のS講師のサイトがリニューアルしました!

家庭連合への紹介、自分の信仰の確立のためにお役立て下さい!

ここでは題目、項目だけです。題目、項目クリック頂ければリンク先に飛びます。!

聖和前後の神の摂理

家庭連合の現状

後継者問題

韓お母様の天一国創建

韓民族と日本民族


統一教会が分裂教会に!

復帰摂理歴史を見たとき、

統一王国時代、キリスト王国時代にサタンが入り、メシヤを迎えることができなくなった結果、王国は3分裂してしまいました。

統一教会の3分裂も全く同じ。

復帰摂理歴史を学ぶことにより、統一教会の現状を理解できるようになります。

統一教会の後継者問題

家庭連合、3男顯進様の家庭平和協会、サンクチュアリ教会の3つに分かれた統一教会。

正当な後継者は誰か?

原理を中心として分析すれば、だれが正当な後継者化なのははっきりと理解することができます。


韓お母様の天一国創建

お父様が聖和される何年も前から宣言されていた基元節。

本来は創造本然の世界の出発となるべき歴史的一日が、韓お母様の不信によって、全く違うものとなってしまいました。

韓お母様の創建された天一国の真実について明らかにします。


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2019年2月26日火曜日

2019年2月17日英語説教<全文>聖霊のデュミナスパワーは罪を受け入れてこそ◆ 文亨進二代王


聖霊のデュミナスパワーは罪を受け入れてこそ

2019年2月17日 英語説教 文亨進二代王


案内文:聖霊の力(デュミナス)とイサクの信仰、罪人であることを認めることなど主題は同じですが英語説教と韓国語説教とではかなり違うようです。

2018年2月28日生命書入籍祝福式(鉄の杖祝福式)以降、世界のマスコミが注目しだしてから、同じ内容でも英語説教は対外的に広く一般に、韓国語説教は聖殿戦士向け(内輪話、英語では言えなかったこと)に、説教の質が明らかに変わりました。

韓国語はこちら→聖霊按手は自分を捧げるイサクの心で<全文> 2019年2月20日 韓国語説教 文亨進二代王


サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載です。字幕化は2nd Israelさん。いつもありがとうございます。

2019年2月17日英語説教 (全文)文亨進二代王

翻訳:BAMBOOS  

お知らせから

王妃とそのチームが動画を公開しています。先月始めたところですが、最初の動画が2万ビューを超えました。最初の動画としては非常に早く、大きな達成です。全て韓国語で、フェミニズムや、若い女性の未来を破滅させるフェミニズムの嘘に対して真剣に批判を行っています。
王妃はフェミニズムの嘘についてちょうどまた動画を上げたところです。これが韓国の大きなチャンネルで取り上げられました。自分たちのところで使用して良いか、と許可を求めて来ました。そして多少編集が入ったものの、何万人もの視聴者がいる大きなチャンネルで、ほぼ完全に彼女の動画を放送したのです。
それが広まって、サブスクリプションが急速に増えました。つまりこの30代、40代の女性たちが隙間市場を埋めることができ、フェミニストの母たちによって嘘を洗脳されている若い女性たちに方向性を示すことができたのです。王妃はいくつかの思想を掘り下げて、若い女性たちに驚くほどうまく示しています。
実際わずか数週間でこうして聴衆を引き付けたのは、目を見張るような結果であり、市場が成熟していて真実に飢えており、あらゆる大衆文化の言いなりになることにうんざりしていることを示すものです。それがとうとうセカンドオピニオンを得ることができたのです。
ユジンはすくに韓国に帰ってしまいますが、王妃に編集などで協力してくれました。彼女たちのチャンネルは韓国でもとても大きなものになっています。彼女は韓国に帰って、韓国の保守運動のために左翼と戦うつもりです。しかし王妃の動画はユーチューブでヒットしています。見てくれた人全員に感謝しています。メッセージは伝えられています。
今この場所から強い女性が現れたということは、驚くべきことです。世界について明確に理解している女性です。明確であり、洗脳されておらず、公立学校によってレベルを下げられていません。あらゆる機関の嘘を理解しています。結婚、子供、力と名誉などの社会の本当の価値を支持する、信仰を持った高潔な女性たちです。
人々がこうした女性たちのことをますます知るようになり、それに従ってくる人たちは弟子となり、キリストに近づくことになります。なぜならキリストに似た女性であり、信仰を持つ女性であり、羊飼いのような導き手であるからです。弱い女性ではありません。本当の守護者、導き手となるのです。この女性たちは、普通の女性に見えても普通の女性ではありません。普通の女性は弱く、思考停止に陥り、レベルを下げられています。ここにいる女性は訓練を受け、守護者となり、危険なことを学び、エピジェネティクスが解放されています。

デュナミスの力


イサクはアブラハムと歩んでいました。彼は父親を信頼し、父親のすることを信じていました。父の話、自分の命についての予言を信じていました。言い換えれば自分の命を父親の手に委ねていたのです。それは神様が我々に求めていることです。それが大きな試練です。
みなさんは誰かの手に自分の命を委ねなくてはならなくなります。それがポストモダニズムであろうと、あれこれ教える教師であろうと、誰かの手に命を預けることになります。神様が我々に問いかけるのは、どこで自分の命を神様に委ねるのかということです。アブラハムとイサクのように神様を信頼するのか、ということです。
我々がもしそのような考え方、心情、気持ちを備えるなら、空気が全て変わってきます。天使ですら何が起きているかを感じることができます。神様がその手を止めるよう言われた時、天使でさえもう為されたのだと分かりました。というのも、彼らはイサクの心、そして父親との一体化によって空気が変わったことを感じることができるからです。
我々が祈祷を受ける時これは重要です。我々の多くが熱心にお互いに祈っています。いい加減な祈りをする教会が多くあります。我々は床を叩きながら熱心に祈り、大声で神様に叫びながら、人々のために祈ろうとします。熱心な祈りです。熱心な祈りを捧げるために、人がどれほど自分の命を注いでいるか理解してください。
あなたのために人が祈る時、「彼のことを考えていますよ。あなたのことを祈っていると彼にメールで送りますので」というような態度で祈るのではありません。そうではなく、人のために祈る時は汗を流しながら、天に向かって叫んで、熱心に祈るのです。そのようにしてあなたのために祈っています。
自分が死ぬ間際に、「去る時が来ました。受け入れなさい」と、いい加減な祈りをして欲しいとは思いません。自分の命について真剣な人を望みます。
ある姉妹が激しく戦っています。リサです。彼女はあらゆることについて戦うだけの力を持っていないかもしれません。しかし、彼女のために霊的に熱心に戦っている人たちがいます。当然のことと思わないでください。あなたのために祈る人たちから、どれほどの努力と血と汗が注がれていることでしょうか。彼らの命からの真剣な精力と努力です。
我々は人々の祈りを軽々しく受けてはいけません。特に熱心に祈っている場合。そうした祈りに真剣に感謝しなければなりません。なぜならそれは、人が惜しみなくただ与えるものではないからです。熱心に祈っているなら、あなたのことを熱心に思っているということです。それが空気を変えるものです。霊界でも天使はそれを感じることができます。彼らはアブラハムとイサクについてもそれを感じました。イサクの熱心な信仰にそれを感じました。また父親に対する信頼にもそれを感じたのです。命令が来た時、手を止めるのだと分かりました。
ここにいる人の多くが他の人のために熱心に祈っていますが、それを軽々しく取ってはなりません。彼らも戦っています。彼らも戦いの中で祈りと支援を必要としています。
(使徒行伝10章)38節です。
神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
今度は11章(13節)に飛びましょう。
13:すると彼はわたしたちに、御使が彼の家に現れて、『ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。14:この人は、あなたとあなたの全家族とが救われる言葉を語って下さるであろう』と告げた次第を、話してくれた。15:そこでわたしが語り出したところ、聖霊が、ちょうど最初わたしたちの上にくだったと同じように、彼らの上にくだった。16:その時わたしは、主が『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によってバプテスマを受けるであろう』と仰せになった言葉を思い出した。
聖霊は無制限のキリストです。それはキリストの力であり臨在であり、無制限の力です。創造主、無制限のキリスト。「そこでわたしが語り出したところ、聖霊が、ちょうど最初わたしたちの上にくだったと同じように、彼らの上にくだった」。ペンテコステの瞬間、聖霊が降りた時・・・舌が分かれるようにして聖霊が彼らの上に降りました。
聖霊を受けた時、心の中で何かが変わります。依存を続けるとかいうことではありません。何かが内面で変わるということです。神様の火が触れると、神様の火が心を支配すると、何かが変わり始めます。何かが燃え尽き、破壊されます。そして再創造されます。世の中に対するかつての見方が、人々が変わり始めるのです。変化し始めます。
何かが内側で変わり始めます。ヨハネは水で洗礼を授けましたが、キリストは聖霊で洗礼を授けました。生きた神様の霊が我々の中に宿っています。我々の中にキリストが内在します。おなかの中に何かがあるのが分かります。腹の中に何かがあります。腹の中で何かを感じます。何かが間違っていたり、外れていたりする時、捕食者が木の陰から見ている時、腹の中からある種の感覚が出てきます。暴力的な対立を経験した人は、それが起こる前に何かが現れるのを感じると言います。第六感とかいろいろ呼び名はありますが、腹の中で警告する何かです。ヨハネ7章38節には、「腹から生ける水が川となって流れ出る」とあります。
中核が内面で変わります。言葉の知識のような物ではありません。知的な知識のような物ではないのです。聖霊によって洗礼を受けると何かが内面で変わります。物事の感じ方、直感での捉え方が変わり始めます。単なる頭の中の知識ではありません。
良心が刺激を受けて、呼び起こされます。善悪を判断する良心が我々の中にあります。聖霊の力が入ると、善悪をもっと強く分立することができます。悪に対して、敵を倒すことのできる火のように強くなることができます。善に対しては、保護する火になります。必要とする人をまわりから保護します。
聖書ではデュナミスの力と呼び、ダイナマイトの語源であるデュナミスと同じです。ダイナマイトのような爆発的な力です。聖書で神様の力のことをいう時、デュナミスの力という時は、爆発的な力のようなことです。爆弾は地形を変えます。爆弾を山に仕掛ければ山を低くすることができます。莫大な力を持っています。
鉄の杖はデュナミスの力を持っています。それは制御された力の爆発だからです。悪に対抗し、善のために使用すべきものです。聖霊の内在によって、爆発的な力を持つデュナミスの力が内側に生じます。安定して徐々に熱くなる力ではありません。爆発的な力のことです。門を爆破し、山を爆破してどけることのできる力です。力強い力が我々の内側にあり、我々の中を通ります。
手を置いて人のために祈る時、自分の精神や力が彼らに流れ込み、癒そうとするのではありません。それは神様の力です。我々はただ、水が流れる器となるべきです。その生きた水の源ではありません。我々はただ器になりたいのです。生きた水を流す道具になりたいのです。その人に触れますがどうなるかは分かりません。しかし、神様の力と神様はご存知です。神様は個々人の心配事を全てご存知です。全ての疑い、全ての心配をご存知です。この若者たちもそうです。彼らが出てきてみなさんのために祈る時も。
彼らは心の中で、この人のために自分の霊的エネルギーを奮い起こさなければならない、というように混乱しているかもしれません。違います。我々や自分たちのことが問題ではありません。それは神様が自分を通じて働かれるようにするということです。そのようにすればプレッシャーはありません。
自分が祈っている人が癒されなければならない、というように、プレッシャーを感じる必要はないのです。そう願うのは素晴らしいことですが、背負い込まないでください。青年たち、いいですか。それはあなたが負わなければならない重荷ではありません。ただ、神様があなたを器として使われるようにするだけで良いのです。
あなたが祈った人の中には、神様の奇跡によって癒される人もいます。神様に栄光を捧げなさい。しかし、その人のために祈る器とならなければなりません。どういうわけか神様は、その人を癒すために奇妙な方法であなたを用いることがあります。
我々は信じられないような癒しを見ました。科学と医者に反するものでした。しかし、やはりそれは我々ではなく、背負い込む必要はありません。自分の霊的エネルギーが治癒すると考えるのは妄想です。自分の霊的な力などではありません。ただ神様にからっぽの器にしてくださいと頼みなさい。

運任せにしないでください


我々はヘマをすることがあります。私は昨日やってしまいました。疲れていたのです。真剣さが足りませんでした。しかし悔い改めたので、また今度別の人に向けて頑張ります。
ただ我々と一緒にいるだけではだめです。キリストを他の人に広めたいという願望――これは、ただ我々の中に留まっているべきではありません。願望は行動に移す必要があります。
私の言っていることが全員分かると思いますが、ある人に会って、その人に(キリストについて)話さなければと思うことがあるのです。神様が完璧な状況を準備してくださって、イエス様について話さなければならないと感じます。みなさんの中で、特に古い勇士たちはきっと多くの人が分かる話だと思います。人生でこれを感じたことが必ずあるはずです。
そしてそのように行動しなかった場合、どうなったか分かりますか。後悔したのです。その人にはもう二度と会えません。しかしそのうち、起きたことを意図的に忘れようとし始めます。自分を断罪せずに、次は臆病にならないで前進しよう、その人に話すようにしよう、と。
素早く、十分に時間をかけてやらなければ失うことになります。そしてその願望を失い、聖霊は離れます。心は沈み空虚に感じるようになります。なぜならそれは、キリストによって永遠の命と喜びを感じ、人々が救いを受け解放されるということを、他の人に共有することを通じて出て来るものだからです。
それは、人々が救われることは、どんな癒しよりも良いことです。癒しは神様の存在と神様の働きに対する素晴らしい証人です。しかし、どんな癒しよりも素晴らしいことは、人が救われることです。地獄に行こうとしていた人が、今度はイエス様の隣にいるようになるということなのです。
我々の中で余りにも多くの人が神様の霊に圧倒され、満たされて、聖霊の洗礼をうけているに違いありません。
・・・願望を持っているのに・・・。思いがやってきて、もうできない、プライバシーの侵害になると言い訳を重ねて失ってしまいます。知らないうちに聖霊は去っていくのです。神様の臨在に対する感覚を鈍らせずにいれば、我々は人々が救われることを渇望するようになります。渇望、そして喜びです。
ここに新しいゲストを迎えることがあります。様々な場所から何人か若者が来ました。そしてキリストに命を捧げました。もう二度と彼らに会うことがないかもしれません。しかしその日、キリストに命を捧げたのです。
1カ月程前、体の大きな人がここに座っていました。その人に会うことはもうないかもしれません。しかし彼の人生で何かが変わり、自分の命をキリストに委ね、サタンから神様へと捧げました。そうしたことに興奮しなければなりません。外面では分かりませんが、その人に革命的なことが起きています。
どんなにおいしい持ち寄り料理よりも満足感を与えるものは、人が救いを受けることです。彼らがついに、自分の命をキリストに捧げようと約束することなのです。霊的な目が開いて、彼らの魂に喜びを見ることができます。喜んでいるのです。なぜなら、彼らが今永遠の命の賜物を与えられたからです。
小さなことのように思えるかもしれませんが、大きな物である必要はありません。自分の命を変化させたというその小さな出来事。その人に、これから他にどんなことが起こるのを神様が準備しているのかは分かりません。しかし始まったということは分かります。過程は始まったのであり、変化は起きたのです。そして変化の兆候はだんだん増えていきます。
誰かが命をキリストに捧げるということに、本当に胸が躍ります。それほど豊かなことはありません。誰かがついに自分を解き放ち、自分自身と自分の道を信頼し、行き止まりを自覚して・・・。最終的に自分を解放します。
なぜなら自分で牢獄に入っているようなものだからです。誰かが解放されるのを目撃します。悪魔によってまわりに築かれた牢獄から解放されるのです。いったん解放されると、彼らの命がどこへ行くのか分かりません。南に行くのか、北に行くのか、西に行くのか、東に行くのか。
どんな場合でも神様は彼らの人生に何か働きかけています。神様は人生を変えておられます。教師や講師であるなら、人々の人生を変えることがどれほど素晴らしいことか分かります。教師や講師として、人生が変わっていくのを見るのがどれほどの喜びとなるでしょうか。創造主である神様ならその喜びはどれほど大きなものでしょうか。
命の根源である神様です。人間に自由な世界を与えた神様にとって、どれほどのものでしょうか。神様は人間に自分を選択して欲しいと願っておられます。その選択がなされた時、どれほどの喜びとなるでしょうか。その瞬間を過ぎ去らせないでください。
もしかしたら、神様はあなたがある人に鉢合わせするような、あるいはある人が「イエス様を知っていますか」と尋ねて来るような時間を準備されたのかもしれません。
物を盗んだことはありますか。嘘をついたことはありますか。結婚しているのに浮気したことがありますか。女性に情欲を抱いて、心の中で姦淫を犯したことがありますか。神様の名前をみだりに唱えたことがありますか。それを自分で認めるなら、あなたは嘘をつき、盗み、姦淫を犯し、神を冒涜している人です。
それが当てはまる場合、そして神様が正義の神様であるなら、あなたは裁きの日に裁かれます。あなたは最終的にどこに行くと思いますか。あなたの話した通りなら、良い場所でしょうか悪い場所でしょうか。我々に神様が必要だと悟らせてくれるのは、自分たちの罪です。罪がそれを悟らせてくれます。
私はヒトラーではありません。人を殺していないし虐殺もしていません。でも神様はそのようには見ていません。嘘をついたことがあれば嘘つきです。罪を犯しました。神様の名前をみだりに使うなら、罪を犯したということです。情欲を持って女性を見たなら、罪を犯したのです。
公正な世界、公正な国では、犯罪は罰せられなければなりません。そうでなければ正義はありません。犯罪者はいつも罪を免れてしまいます。正義がなく、誰もが不満を漏らします。
我々に直面する罪の現実が、我々に衝撃を与えて自己満足から抜け出させ、こう悟るのです。私は本当にそういう人間だ。神様はご自分の完璧さと比較して私を裁かれるのだ。私は神様から遠い。少なくとも、嘘をつき、盗み、姦淫を犯し、冒涜した。神様の前に主要な罪を全て犯した。そうであるならば、裁きの日に私は裁かれる。
それは正しいですか。正義の世界なら正しいのです。
どんなに自分が完璧だと思っても、清い、罪のない神様に対して、我々は罪を犯しています。神様は嘘をつかず、盗みません。動物や他人と比べるのではなく、神様と比べます。すると自分が多くの罪を犯していることが分かります。
罪のない完璧な裁判官の前に出て、その人が私を見れば、私には罪があるのです。全ての罪は犯罪となり、公正な世界では罰せられます。しかし、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」のです。「それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るため」なのです。それが逃れる道です。
つまりたとえ我々が罪人であっても、キリストは我々の罪のために死なれました。もちろん、キリストは王国を説き、王国を築くことが目的でした。人々が失敗し、キリストを拒絶したのです。霊的救いをもたらすために、神様によってその道が用いられました。
罪人としてキリストから分かれた人たちは、十字架がもたらしたものを見ます。我々は自分の罪の対価を支払うべきでした。それが裁判所から自由に出てきました。キリストは、あなたたちを自由に行かせ、自分が罪を償うので、ただ私が生きるように生きてくださいと願います。今までのように生きてはいけません。あなたが完璧でないのは知っていますが、私が生きたように生きようと努めてください。それだけが私の願いです、といって。
キリストは解放者です。その願いは人々をサタンと罪から神様へと解放することです。私たちへの願いも解放されることです。人々が罪から解放され、神様に忠実であるよう助けることです。
しかし興味深いことですが、こうした会話をしてみると、気分を良くさせると思うでしょうが、死の運命や審判、正義、罪といったことについて最初から考えさせることになります。こういうことを言われたこともなかったかもしれません。
彼らが悔い改めないのはそういう理由からです。自分は良い人間だと考えています。誰も殺していません。それが重要ではありません。神様は他の人と比べているのではなく、ご自分と比べています。それが問題なのです。問題は、教会が罪についてあまり話さないことです。そのため人々は自分に救い主が必要であることを忘れます。
そして罪を受け入れ、救いの賜物を受け取ると自由が得られます。死んだときに訪れる、自分の目の前にぶら下がっていた罰から解放される、そういう自由が生まれます。いろいろなことを信じようとしたとしても、死ぬ時はもう逃げ場がありません。創造主に向き合い、審判されます。
ですから実際こうしたことを人々は初めて考えます。「そんな風に考えたことはありませんでした。あなたの気持ちは分かります。私を傷つけるつもりではないことは分かります。あなたの話には少しショックを受けましたが、私を傷つけるつもりはないですね」と。
そうして素晴らしい会話ができます。我々は、人をキリストに導き、彼らが祭壇で自分の命を初めてキリストに捧げるように導くことで、大きな恵みを受けました。素晴らしい恵みです。本当に大きな恵みです。若い時にキリストに命を捧げる人もいれば、年を取って逃げ場がなくなってから命を捧げる人もいます。永遠に逃げることはできません。
どのような場合であっても、そうすることで人生全体が、永遠が変わります。そしてそれを目にする時、必ず大きな喜びとなります。なぜなら、自分の時のことを考えてみてください。あなたは実刑判決を受けましたが、自由の身になりました。どれほど幸せなことでしょうか。問題は、多くの人が実刑判決を受けていることも知らないことです。気づいていないのです。
それが来ると分かっていれば、違った行動を取るかもしれません。違った行動を取るという選択肢もありますが、問題は教会が、人々の気分を良くしようとしてそのことを話していないことです。死の運命や罪を突きつけません。それでひどい仕打ちをすることになります。人の目には好かれても、魂に対してはひどい仕打ちをすることになります。なぜなら死んで地獄に行くからです。肉体が死んでも地獄に行くという意味です。
ですから私は、韓氏オモニを支持することができませんでした。魂が危機に瀕しているというのです。彼女がこれをすれば地獄に送られます。罰を受けるのです。私が電話をかけるのを止めようと選択したのではありませんでした。地獄に行くといけないので、これをやめるように電話で伝えようとし続けました。すると母は愚かな秘書に話をさせたのです。秘書と話をする必要はありません。母と話をする必要がありました。
だから本当に悲しいことです。あなたが最善を尽くしても、その人が頑なな態度で神様を裏切ることを選択するなら、それが彼らの選択であり自分で選んだことをするのです。人々は最後に自分の選択で神様を否定します。その人のことを嘆きます。あなたがそうするのは悲惨なことです。しかしその選択を尊重します。神様はそれを尊重し、そうなることを許されます。
しかし、全ての人が命を失い滅びることが神様の意図ではありません。我々の意図でもありません。しかし我々は、問題を提起することはできません。それは重大なことであり、死ぬ日のことを考えさせます。永遠に年を取らない人はいません。
大変なジャンプをして自分の体をいじめて、たくさん格闘技の訓練をして、ひざを痛めて、弱くなったと感じ始めています。先日息子たちをハイキングに連れて行って、大きな山までたった3マイルですが、少し勾配のある道を近道して行っていたら、下りで膝を痛めてしまいました。リオに私のストックをぶつけてしまいました。心配しないで、あなたのせいではありません(笑)。
彼らと同じ年齢の頃、山登りは簡単だと思っていました。下りは簡単だと。青年たちは上りと下りのどちらがきついですか。上りですね。下りで痛めてしまいました。鋭く刺すような痛みがずっとありました。2、3歩歩くたびに、「息子たち待って、お父さんは少し待たないといけないから」。それで私のバッグを持ってくれました。私が12歳とか14歳で、格闘技の訓練をしていた時に、ひざが痛むようになる日が来ると思ったことがあったでしょうか。全くありませんでした。
我々は誰もが死にます。自分の死の運命に向き合わなければなりません。その日に向き合わなければなりません。運に任せないでください。お願いです。命をキリストに捧げたことがないなら、それを運任せにしないでください。いつ死ぬかは分からないのです。今日家に帰る途中で死ぬかもしれません。運任せにしないでください。
キリストに命を捧げたことがないのであれば、今日がその日です。あなたがあと1日ただ頑固であろうとして、命を捧げずに家に帰る途中で死ぬことになれば、我々は永遠に苦しみ、悲しむことになります。あなたが苦しむのを見ると我々は本当に、永遠に悲しむことになります。どうかそうしないでください。神様に対してそうしないでください。あなたはもう十分に泣いてきました。
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