劉正玉牧師の原理本体論の問題点:両性具有神
劉正玉牧師の原理本体論の問題点:2、3-1~3-2
劉正玉牧師の原理本体論の問題点:2、3-3~3-6
に続く、劉正玉牧師の原理本体論の神学的問題に関する論考の続きです。
数回に分けて翻訳の合間に掲載します。
3-7.父と子と聖霊の三位一体は天宙の中心、父子の関係を表す
真のお父様の「天宙の中心的法則・原理は、父子の関係であり、この宇宙は父子の関係で創造された」という神学は何でしょうか?
父と子と聖霊の三位一体論はまさにこのお父様のみ言のことを言っているのです。
ヨハネ1:9すべての人を照すまことの光があって、世にきた。 1:10彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。
ヘブル 1:2この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。
これらの聖句は三位一体論において重要な聖句です。
神の子たるイエスによってこの天宙は創造されたとするこの聖書の御言は、この天宙は父子の関係によって創造されたということなのです。
この聖句は、イエス様、そしてお父様は、この天宙を創造された創造主であると言っています。それは神様との関係が父子の関係だからということなのです。
ですから、それを突き詰めれば、神とイエス様、そしてお父様との関係が父子の関係であり、その父子の関係が天宙を創造したということです。
ですから結論として「父と子と聖霊の三位一体論の中心的法則・原理は、父子の関係であり、この宇宙は父子の関係で創造された」ということになります。
三位一体の中心は父子の関係という結論なのです。
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生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです。神様の血統の中には、真の愛の種が入っていて、真の生命の体が生きています。
天聖経
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三位一体とは真の愛の充足を表します。三位一体では、その真の愛は完全に満ち足りて何の不足もないのです。充足しているのにどうして、夜の神様は天宙を創造されたのでしょうか?
その理由は上に上げた御言にあります。
生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。
神様の血統の中には、真の愛の種が入っていて、真の生命の体が生きています。
それは、この三位一体の中心が父子の関係であり、その充足された真の愛よりも重要なものが血統であったからです。
つまり、天宙の中心であり、三位一体の中心である父子の関係は真の愛よりも血統を求めるという意味は、父子の関係とは、その三位一体で完全に満ち足りたその愛を、永遠に与えたいとう完全犠牲の愛を与えたい真の愛の関係だということなのです。
ですから父子の関係とは、真の愛と真の生命として子が父となり子を生み、その子が父となり真の愛と真の生命として子を生む、この真の愛と真の生命の永続性、永遠に愛と命を与え続け愛したい自分がどんなに犠牲なっても子を愛したというアガペーの愛の源泉ということなのです。
大初の三位一体の3つの格位は全て男性格です。つまり三位一体とはそれ自体が男性格主体なのです。
この三位一体の、愛を与えたい真の愛の相互間応答は絶対精子をつくり、そのための男性生殖器を先惟したということなのです。
だから真の愛と真の命は父子の関係であるが故に、その父子の関係の永続性である血統を求めるのです。
これが、イエス様が、真のお父様が、夜の神様の精子から来られたということであり、愛と生命と血統のうちより重要なのが血統であるという真のお父様の御言の意味です。
完全に充足された完全なる真の愛は、完全に充足されているがゆえに、どのように自身が犠牲になろうとも愛を与えることが出来るのです。
その真の愛がアガペーの愛が犠牲であり、一切求めることはなく、ただ与え続けたいのは、この父子の関係からくるのです。
そのような真の愛の父子の関係であるがゆえに、この真の愛と、真の生命の継続性、永遠性が血統ということなのです。父子の関係は、真の愛と生命の実りとして血統にあらわれてくるのです。
逆説的言えば、それが故に、宇宙の中心、三位一体の中心は父子の関係であるということが証明できるのです。
それだから、夜の神様が天宙創造の時、最も最初に考えた対象(最先惟対象)とは、天宙の中心であり、三位一体の中心である「父子の関係」というであり、それは息子との関係であるということも証明されるのです。
ここで、聖霊(聖神)は男性格であることを次の亨進二代王の御言から再確認しておきます。
お父様の生心は神の生心、 聖霊は対象だが男性◆キングスリポート3月23日
<王妃様が二代王様が書れたとその時書かれた図の訳>
ここで王妃様は聖霊ではなく聖神と書いておられる。
イエスが教会を導く父の位置にいらっしゃるとしたら聖霊は母のように教会に愛を与える側面だということです。
しかし、教会に侵入した多くのフェミニストたちは、聖霊を女性に変えようとしました。
もちろん、それは完全に異端的な内容であり、キリスト教的世界観を破壊する内容なのです。
聖霊は女性ではなく、イエスに対して対象の立場にあるものです。聖霊がイエスの妻という意味ではありません。
主体と対象の関係は結婚しない関係にもあります。多くの人が、これを勘違いしていますが。もう一度、聖霊は女ではなく、イエスの妻でもありません。しかし、神がイエスの霊人体の対象の立場として聖霊を送られたのです。ここでもイエスの霊人体と聖霊には違いがあります。同一のものではありません。
またイエスの霊体の中にも霊的な体と心(霊体と生心)があり、イエスの生心が神と一つになっているということです。
3-8.女性先惟論は家庭連合の独生女論と同じ系列の女性神神学
女性先惟論は子よりも、つまりイエス様、お父様よりも、エバを中心にして天宙を創造することになります。
これは女性神誕生論です。女性先惟神学とは女性神神学の太初における女性神誕生を論じる女性神夜の神論です。
いくつかの論点に分けて説明したように明らかに、神様は女性を先に考えていません。
ですから、夜の神様が最も最初に考えた対象(最先惟対象)は女性であるという神学は、
「天宙の中心的法則・原理は、父子の関係です」「この宇宙が父子の関係で創造された」というお父様の御言を、
「天宙の中心的法則・原理は、父と母の関係です」「この宇宙が父と母の関係で創造された」と巧妙に書き換えて、夜の神様が最も最初に考えた対象(最先惟対象)を神格化する女性神神学夜の神論なのです。
このような女性先惟論では三位一体の中心である「父子の関係」が、父なる神と母なる神の関係」を中心とした逆三角形の三位一体論になってしまいます。父なる神が女性を先惟したのであるならそれは母なる神、女性神と言う事です。
また聖霊は女性的対象性を持つ子たるイエスを助ける為の霊であって男性格対象です。女性先惟論では三位一体の聖霊が女性格対象になってしまいます。
大初に女性神は存在しません。女性の霊はエバの創造から始まります。
大初の三位一体の3つの格位は全て男性格であり、三位一体とは、それ自体が男性格主体だからです。
大初における女性先惟神学、このように、これでは女性神神学の三位一体論となりキリスト教のいう三位一体論は成り立たないのです。
もしも女性先惟を言いながら”父と子と聖霊の三位一体論”を言う神学があるとするならば大変な自己矛盾に陥った神学と言えるでしょう。
お父様の御言「天宙の中心的法則・原理は、父子の関係」から「天宙の中心的法則・原理は、父と母の関係」に書き換えた大きな統一教会系の宗教があります。
そうです。韓鶴子総裁の天の父母様神学、家庭連合です。
「夜の神が天宙創造の最初に先惟した女性とは韓鶴子総裁である。だから韓鶴子総裁は夜の神様から来た独生女である」と、このようなことを家庭連合は言っているのです。
女性先惟論はこのような、韓鶴子総裁の夜の神の独占女神学論とも言えます。
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