2016年12月23日金曜日

「食口の皆様に送る文 」 姜賢実(カン ヒョンシル)先生■2016年12月21日

姜先生、本当に優しい方です。

キリスト教会伝道の使命を亨進様から授かり、
1月1日の天一宮入城式に参加されるそうです。
周りの幹部はおろか家族からも反対され、それでも総てを捨て、
携帯電話でさえ祖国に置いて亨進様のところに行かれました。
國進様が韓お母様のために用意しておられた部屋に住まわれるそうです。

姜賢実先生!信仰を貫いてくださった故に今の私達がいます。
血統転換の勝利、大邸伝道を始めとする信仰の大勝利、
姜賢実先生は私達の命の恩人です。

どれほど亨進様のところに行かれたという報を聞いて涙したことでしょうか。

心から、心から感謝申し上げます。

식구여러분께 드리는 글
食口の皆様に送る文
姜賢実(カン ヒョンシル)先生

愛する食口の皆様に

私は姜賢実(カン ヒョンシル)といいます。

1952年に釜山ボンネッコルでお父様の御言葉を聴いて感激し感謝し宇宙の問題を解決し喜びで天下を得た心情でお父様と共に摂理の一線に立った過ぎ去りし日が懐かしいです。

その後、大邸、大田、光州、釜山津に教会を開拓していきました。
65年間 真のお父様を証し私にある精誠を全て尽くして人類の復帰のためにお父様と一緒にみ旨をなそうと身悶えした日々が懐かしく思い出されます。

開拓時代は言葉にすることができない苦労をしました。
あまりにお腹が空いて飲食店の門の前でコムタンの香りを嗅いで空腹をなだめた若い時代。

その時毎に神様と真のお父様の激励と勧告、その愛。
幸せだったその時が今も私の心を感動させてくれます。

私の65年のその歳月を神様と真の父母様は知っておられるでしょう。

私は再臨主に出会ったことが夢か現かわからず一人で狂った人のように笑い道を歩きながら踊りもしました。

私は生きて再臨主に地上で会えたのですから私は何も出来ないことはない。
「私は死に行くとしてもこの道を行かなければならない、死んだ後もこの道を行きます。」と誓いながら決心してきた道です。

お父様のみ言葉は真に威力があり私を統一原理に夢中にさせました。



ところがある日晴天の霹靂のような言葉が聞こえて来ました。

お母様は「私は原罪が無く腹中から生まれるときから3代で清い純血として生まれたが、お父様は原罪をもって生まれた。」と言われました。

どんなに理解しようとしても理解ができず、何日も何日も、苦痛の中で身悶えしました。
私の信仰的良心では受け入れることが出来ません。

私はメシアであり母なる神様であるという言葉も理解できません。
二千年のキリスト教が独生女である私を待って来たという言葉をキリスト教徒達が聞けば笑ってしまうことでしょう。

強引に信じることは出来ません。

女性がメシア、再臨主になることは出来ないと思います。

お母様は、お母様が再臨主であるお父様の位置よりももっと高く大きいと見ています。
お父様の位置を格下げしお母様の位置を格上げさせることは私は信じることが出来ません。

私はもう少し研究してみて神様とお父様がどのように見ておられるか祈ってみようと思います。



このような全ての事を私は受け入れることが出来ないので道を異にしようと思います。
私の心配はなさらず見守って下さる愛する食口になってくださると信じます。

私がそれほどまでに愛したお母様、
このような事がなければ誰が教会から私を押し出しても出ていきません。
私はそれほどお母様のお側を慕い愛した人のなかの一人です。

今私は去っても、いつも忘れずお母様を記憶し愛していきます。
そしてもっとお父様に近く、もっと近づこうとサンクチュアリ教会に行きます。

私は歳をとっていますが、私がサンクチュアリ教会に来たのは、私の考えと意志で決定しましたし、神様の御心と真のお父様の勧誘であったと思われます。
それで私はペンシルベニア サンクチュアリ教会に来ました。

お母さま、お元気でいて下さり、霊界に行ってからお会い致します。



2016年12月21日 姜賢実(カン ヒョンシル)拝上


PA本部教会と韓国協会李会長より公開許可を頂き掲載しております。
訳はファンクラブ、翻訳アドバイスkiyo


こちらは統一聖殿韓国協会訳です。








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文亨進様の説教「待ち望む王国」 2016年12月18日。

文亨進様の説教待ち望む王国2016年12月18日

(最初の文は亨進様のマルスムを礼拝用に解説要約したものです。全訳はそれ以降をご覧下さい。)

sanctuary-church-sunday-service-dec-18-2016-youtube
Kingdom Awaited - Rev. Hyung Jin Moon - Dec. 18, 2016

ルカによる福音書 23:51この人はユダヤの町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた。

イスラエルの人々はこのように神の国を待ち望んであり、イエス様も「世界にこの福音を宣べ伝えよ」というみ言にあるように、決して「十字架の福音」ではなく「神の国の福音」でした。
エジプト王国、イスラエル王国それどころかローマ帝国をも飲み込む神の国。ユダヤの田舎者が「神の国」について語りそれを自分が造ると言うのです。
そのような誇大妄想とも言える話が、ミクロ、マクロでみた場合、イエス様が動き語っていたミクロでの出来事がマクロに影響を及ぼしガリラヤの小さな集団が全ローマ帝国ひいては全世界を征服するキリスト教文化となったという驚くべき事実を私たちは知っています。
だからサタン主義者、共産主義者はキリスト教文化を憎むのです。なぜなら最終的には文化間の闘いになるからです。それが中央集権トップエリートによる文化の支配です。歴史的に見ても民族、文化思想の違いを超えてこのような同じ天使長的支配をいたるところで見ることが出来ます。
イエス様とその使徒達が望んだ国はそのような中央集権の国とは全く異なる、それとは逆さまの王国です。下層市民が政治に参加することなど出来ない奴隷制度の時代には想像することさえもできないような王国です。
中央集権による文化支配はまさに共産主義者の夢の世界です。「私たちは貧しい人の弱い者の味方だ」などと言いながら、結局、中央集権社会の中でエリートになって私達を支配したいだけです。支配する押しつぶす優越感を得たいだけです。
20世紀の共産主義国家はまさにそのような国々です。


神様が望まれるイエス様が語れる王国は中央集権エリートが目指すそれとは全く異なる王国です。それは人々が直接、神様とつながる王国です。人間の思惑、組織、宗教など人的なものによって神とのつながりが損なわれることのない永遠の王国です。イエス様は律法や正しい行いだけは救いを得ることはできない」と当時の宗教人を叱りつけました。
これは今も言えるのです。
完全無欠の聖なる神様の前では、私たちは例外も無く罪人です。そのような何の資格もない堕落した人間を許しそれでも愛を与えて下さるのが神様である
これがイエス様の教えでした。
これが神様との関係性において永遠の生命を神様から与えられ、そして生来の自然権が神様から与えらているということなのです。
神様が正しいお方なのでその延長線上に出てくるのが律法なのです。
「嘘をついてはならない」という律法は神様の真実性の延長線上から出てきたものなのです。


しかし宗教、政治、経済によって神の国が生まれるのではありません。神の国は根本的に人間と神様の関係性に基礎を置くのです。天一国憲法も同様です。
人々は人間の権利は神様から与えられたものではなく、人がつくったと思っているので、人間によってその権利を変更出来るし取り去ることも可能だと思っています。つまり私達の人生が人間の気まぐれによって決定されてしまうのです。


違います。神様との関係性こそが人生に意味と目的を与えるのです。最終的には超越者、創造主との関係性によって人生に完全な喜びと保護がもたらされるのです。
多くの人が権利とは組織が与えると思っています。しかし神様が神の子たちに造り与えた世界は組織が与える特権ではありません。本来の権利があります。創造主によって与えられた譲ることのできない権利です。
ゴールドマン・サックスやダボスグループ、ロスチャイルドなどのスーパーエリートたちは私たちの父親ではありません。私たちの神ではないというのです。どの権利を与えどの権利を与えないかを決めるのは彼らではありません。
人権に対して無神論哲学者は「普遍的に好ましいとされる振舞い」としか表現できないのです。支配者は『普遍的に好ましい』と思われることを作り出し人々を支配するのです。


トトランプはまだ大統領になっていないの大きな成果を出しています。フォード、アップル、IBMなどがが米国に戻ってこようとしています。多くの雇用が確保されようとしています。日本、ソフトバンクからロボット関連で5兆円の投資の話もありました。


一方ヒラリーは、人類史上最大のマフィア犯罪シンジケート、ソロス、ゴールドマンサックス、ロスチャイルドの傀儡(かいらい)でした。彼らは世界中の政治家を買収し飼いならし、各国のマネーサプライ、利子率など思いのままにしていました。ヒラリーを大統領にし好きなタイミングで世界経済を崩壊しようとしていたのです。
今度は利子率を上げるなどその世界的な金と力と組織力で世界経済を崩壊させ、それをトランプのせいにするとい事も予測できます。すべてその手に握っているのです。人類史上最悪の犯罪組織なのです。
3回目の大統領討論会では政治的、霊的戦いがありました。
トランプが「この女性(ヒラリー)は生まれる一日前の赤ん坊を殺すことを合法化しようとしている」と暴露したことです。
女性の権利よって最も罪なき胎児を殺す文明!5千7百万もの罪もない子供たちの命、何の罪も犯していないにもかかわらず殺されているのです。都市部の黒人の赤ん坊の54%が中絶!赤ん坊にとって最も危険な場所が母親のお腹の中だというのです。
政策的には健康保険から福祉に至るまで中央主導で行うのかどうかの戦いでした。
しかしその核心はこのような霊的闘いだったのです。人権の価値を認めるのか、罪なき赤ん坊を殺しておいて平然と善人面できる社会なのか。
その背後に死せる胎児をその儀式に用いる悪魔的サタン宗教がありました。
歴史的にサタン宗教は子供を犠牲に捧げさせてきました。
バール信仰、アシュラ信仰などに始まり、ローマ信仰、中華信仰、韓国でもかつて神の怒りを鎮めるため乙女を犠牲に捧げていました。「沈清」が有名です。どこに行こうと罪なき者の犠牲があったのです。どこへ行こうとそれが許されるサタン的文化があったということです。


トランプの当選後、左翼やジョージ・ソロスが背後で動いていました。過激組織を使って暴動を起こしました。ジル・スタインによるペンシルバニア、ウィスコンシンの票の再集計を行いました。それも惨めな結果に終わりました。
今度はフェイク(偽)ニュース騒動です。大手メデア以外のニュースを規制しようとする動きです。レッテル張りです。共産主義の手法の基本はメディアの統制です。スピリッツ・クッキング、ピザ・ゲートなどを告発した独立系メデイア潰しです。それもうまくいかなければロシアの重宝戦略だと非難しています。
しかし軍情報関係機関がウィキリークに情報を流したといわれています。巨大犯罪組織の危険性を察知したアメリカ人、軍の情報機関が英雄的働きをしたということです。
軍情報部やCIAのアベル側に立つ人びとがグローバリスト、共産主義者、エリート全体主義者に対抗したのです。無血クーデターを起こしたのです。


ところがこれに対し、全体主義者は検閲によって言論の自由を奪い、規制によって自由を奪おうとしています。フェイスブック創始者、マーク・ザッカーバーグは自分が偽ニュースかそうでないか決めるといっています。つまりCNNやBBC、ニューヨークタイムズなど主流メディアと異なることを言うものには警告を発するといっているのです。何の権限で彼らがわれわれに代わって「偽ニュース」かどうか判断できるというのでしょうか。彼らが決めたことに皆が従えということなのです。
フェイスブック上で「これは偽ニュース、これはまともなニュース」と判定するというのです!
「私は親切ですよ、悪いようにはしません。政府は愛に満ちて思いやり深く、皆さんを胸に抱いて保護してあげます」そういいながら大きな政府はどうせあなた達は自分では結論を出せないから、既存支配層、天使長の判断を受け入れよという検閲、策略なのです。
人々の警戒心を解くため満面の笑顔でおしゃれに着こなした独裁者、それが彼らの実像です。
ロシアがハッキングをしている証拠、CIAはそんな証拠を提示していません。
それにもかかわらずそれを信じることを強要しロシアと戦争をしようとしています。
世間は主流メディアの言うことを信ぜよ「ロシアがハッキングした」「ロシアが選挙操作した」そんなくだらないことばかり言っています。
しかし確実に左翼陣営は崩壊に向かっています。
教会は説教壇で政治を語ることは許されません。公立学校では「悪い」のは親だ、家庭だ、キリスト教、キリスト教的価値観だと教えます。その代わりにわれわれは多様な文化を受け入れるべきだ、すべてに平等であるべきだ、政府役人を信じなさい、あなたが投票した連邦政府の役人を信用しなさいと。しかし彼らは我々の権利を奪い、大企業に支援されてまた権利を侵害しては税金を取る、いわば大規模農園の管理人のようなもので、国民から利益を引き出そうとしているのです。


韓国ではアボジの安楽死の提案に賛同した金榮輝が海外宣教師の集まりで公然とサンクチュアリを攻撃しました。危険だからサンクチュアリの動画を見てはいけない、などといっています。国家レベルでいうと「偽ニュース」は検閲して出すなというのに相当します。ミクロとマクロの関連性がよくわかります。
このように今や彼らは講義をとおして「サンクチュアリの説教を見るな、聞くな」「インターネットも見るな」「そのようなことをするとサタンに主管される」などとプロパガンダを人々に押し付けようとしているのです。


韓国のサンクチュアリの兄弟姉妹は635部のお父様のみ言葉「真のお父様の涙」を、天福宮を含む6か所の家庭連合の教会で配布しました。
これは私たちが指示したものではありません。命令することもありません。これを読んで食口たちが「何ということだ。サンクチュアリにいって祝福を受けよう」と言いだしているのです。
副教会長から配布をやめるように言われても、それが善だと説得し、家庭連合の講師もサンクチュアリのメンバーがお父様のみ言葉を嬉々として配る姿に驚いたといいます。家庭連合からは不安げに出てくるメンバー、その前で喜びと聖霊に満たされてアボジのみ言を配るサンクチュアリのメンバー。
教区長が止めるように言うと、サンクチュアリの姉妹は彼に「私たちに向かってやめろという資格はあなたにはない」と一喝したといいます。また「あなた(教区長)がそんなことを言うなら、教会の中に入って配ります」といって教会に入って行きました。
こうして天一国の普通の国民が、愚かな独裁者に向かって立ち上がったのです。普通の食口が教区長に「ふざけるな!私たちはアボジのみ言を配布する」と言っているのです。素晴らしいことです。
また家庭連合の財力も弱体化し、さらに腐敗行動、公的資産の売却に踏み切らざるを得ずまたそれが食口をサンクチュアリに送る結果になっています。
劉正玉氏は12月17日から原理本体論講義を始め、家庭連合からも大きな迫害を受けています。それでも劉氏は「それがどうした!私はお父様に命じられた通り原理本体論を講義するだけだ」と言っています。そして本体論講義ではっきりと「真の父母は主体と対象からなるが、オモニは完全に位置を離れた」と言い切っています。


日本では毎週多くのことが起こっています。完全に公表されるまで公開できませんが非常に大きな教区の主要な中位から上位レベルの責任者クラスの人が来ています。一般食口は祝福を-偽の祝福ですが-受けるのに1万4千ドル支払わなければなりませんでしたが、今勇気を持って「お金を返して欲しい」と言っています。そして家庭詐欺連合に1万4千ドルを返金させるため、20件でそれぞれ7千ドルずつの支払いをさせています。偽りの聖酒を飲んで偽りの祝福を受けて1万4千ドル払わされた人は皆、返金を求めることをお勧めします。
お父様の権威の下に戻る祝福なら無料で祝福を受けられます。本当の相続者、後継者、天一国の王権から無料で祝福を受けられます。それは皆さんの永遠の魂の問題なのです。家庭連合からお金を取り戻してください。
2月以降176双が祝福を受けました。日本には87のサンクチュアリ救命ボートがあります。家庭詐欺連合と比較すると三分の一か半分に近い数です。家庭詐欺連合がある場所にはほとんどすべて、その競合となるサンクチュアリがあるということです。誠実で神様のみ言葉を語り、真実を語り、人々に税金を掛けない教会との競争になるということです。


スコットランドの兄弟姉妹が、家庭連合の礼拝でお母様の聖酒は正しいものではなく二代王を通して祝福を受けなければならないと言ったそうです。ヨーロッパでは家庭詐欺連合の礼拝でそのように言っているというのです。ヨーロッパで革命が推し進められています。
フィンランドの二組のカップルがサンクチュアリの祝福を受けることを希望しており、今週フランスのリーダーのモシャブベが12月29日にペンシルベニアのサンクチュアリ教会に来ることになっています。私たちは彼をフランスの国家リーダーと呼んでいますが、私たちは中央集権の組織を持っているわけではないのです。


私たちは信仰によって、お父様のとのつながりによって一つになるのであり、それは組織によってではありません。私たちはあれこれ指図しません。あるグループが訓読会をやりたいと言えばやって良いのです。抗議活動をしたいと思えばやったら良いのです。皆さんは自由と責任を持つ人々です。
何を言って良いのか悪いのか、何をして良いのか悪いのか指示はしません。
お父様の王権、お父様の選択、お父様のみ言、お父様の相続者、統班撃破つまり地域でのホームチャーチ、地域での主権の確立を支持するのか、それは地方分権であって私たちが管理するのでなく自分たちで何をするのか決定するということです。
彼らは階級組織に長くいたために「これをする許可をもらえますか」と言ってきますが、私は「許可を与える必要はありません。お父様に祈ってください。お父様のみ言もあります。皆さんは毎週私の指導を受けています。許可を求める必要はないので自分の自由と責任で行動してください」と言います。それが私の返事です。


アメリカである二世たちが韓お母様の集会に参加したそうですが、お母様は自分のことしか話さなかったということで内容もまったく中身のないものだったと言っています。
他の青年の参加者の話では、最初に話したのは自分が独生女であるということでお父様のことは一度も触れなかったということでした。


ミクロのレベルでこのようなことが起こりつつあります。家庭詐欺連合は私たちに「偽ニュース」のレッテルを貼ろうとし「見てはいけない」と言っています。


日本家庭連合の法務局長、近藤徳茂。日本の家庭連合が法的に私を脅そうとしています。


近藤徳茂:「あなたの教会はまだEメールに返答していないためFFWPU-Jはあなたの教会がこの要求を無視する場合には法的手段に訴えるつもりである。FFWPU-Jはこの書簡の受領後2週間以内に返答することを求める」


では謝罪しましょう。私はこの三年間、韓お母様が堕落したという事実を伝えてきました。事実あなたたちの組織はボロボロになって内部からも外部からも崩壊し、他人を法的にいじめることしかできないというのです。
あなたたちに話すことは、あなたたちが本当に愚かであることを遺憾に思うということです。あなたたちが不適切であることを遺憾に思います。
そしてあなたたちがお父様を裏切り、お父様を冒涜し、お父様を侮辱し消し去った人々と一緒に行動しながら自分たちはお父様を愛していると思っていることを遺憾に思います。
あなたたちは完全に全体主義者の詐欺師であり、負け犬、また権力と地位のために自分を売った哀れな裏切り者として歴史に名を残すのです。


人間性や神様に対する愛のかけらもありません。この人たちは本当に哀れです。訴えたいなら訴えなさい。私を訴えてもまったく何も得ることはありません。情けない。
ミクロとマクロの世界がまったく同じタイミングで同じように動いていることが分かります。


同じようにマクロにおいてジョージ・ソロス、ヒラリーなどの中央銀行システム悪魔崇拝共産主義達はトランプを買収しようとしたり、暗殺しようとしたりするでしょう。
だからこそ私たちは祈り、外に出てそのことを話すのです。尻込みせずにそのことを話しなさい。口を開いてイエス様が語られた王国の到来を告げるのです。口を開きなさい。あなたがそれを空中に放つとき、自分でユーチューブのチャンネルを作って動画を作って。
そして真実を語りなさい。最後は霊的な戦いなのです。血肉(の戦い)ではありません。私たちは血肉に対して戦うのではなく、地上のもろもろの支配と権威に対して戦うのです。お父様もそう言われているのです。

私たちはドナルド・トランプのために祈らなければなりません。今日神様を賛美するときすべての栄光を神様に捧げましょう。神様は慈悲深く偉大な神様です。救いと希望がここにあります。しかし、危険も迫っているのです。皆さんの祈りと支えが必要です。

2016年12月21日水曜日

原理本相論試論(創造本相論編) 

原理原相論試論(創造原相論編)


前稿(原理原相論試論:問題提起編)において原理本体論は神が男性格主体だからという理由で神は天の父と規定することは、それを踏まえ反論している家庭連合の天の父母様論に対しては脆弱であることと、結局双方とも神は両性具有神であると規定しており、それがキリスト教から見れば異端教として排斥を受ける問題があることを論じた。ここではその問題を解決する論として、原理原相論の試論を論じていく。


原理原相論試論(創造原相論編) 

2.夜の神は圧倒的究極的に男性的な父である。

2-1:創造主の神は男性一人にして天のお父様であり父母である。


原理本体論に「神様は二つの生殖器を持っている」と記述してあることに対する國進様の見解を取り上げる。

國進様: お父様は天聖経の中で明確に神様は父であると言われています。神様は圧倒的、究極的な主体の存在であり、ご自身を圧倒的に主体的、あるいは男性的なものとして表され、示されています。
神様には女性的な性質もありますが、それはより小さな性質であって主要な性質ではありません。
神様が被造物と究極の対象的相対である女性を創造されたとき、女性は、女性器を持った圧倒的に女性的な、つまり対象的なものとして現わされました。
ですから神様は、二つの性質を持ちますが、圧倒的に男性的な父として表されるのです。
私達の立場は、基本的に天聖経に基づく解釈であり、お父様の解釈というのは、神様は男性的主体であります。それが答えだと思います。
男性的主体はペニスを持っています。

2016年10月31日 亨進様・国進様との質疑応答

國進様は明確に、神様は圧倒的主体であり男性である*と言われた。

この神学は、人間の男性と同じように女性的要素は男性誰しも持っているが男性は男性生殖器だけ持っ存在であるから男性であると規定できるように、神は女性的要素を持つが男性生殖器を持つから男性である。その神の女性的性質は被造物であり究極の対象である女性に女性器として現れた、つまり神には男性生殖器があるが神自身には女性生殖器は無く被造物である究極の対象女性に女性生殖器が現れたということである。

*拙稿夜の神様は圧倒的男性である。」参照


原理講論には神とは

本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体と書いてある。

これに対し國進様は神は圧倒的に男性だと言われる。


真のお父様が神様の具体的姿について

その凸凹は誰の凸凹ですか?神様は男性格ですか、女性格ですか?(「男性格です」)神様が男性格であれば生殖器がありますか、ありませんか?(笑)前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついていると考えなければならないというのです。振り向いてもこれも生殖器であり、振り返ってもこれも生殖器なので、男性と女性に分けて出てきたため凹凸が必要というのである!わかったの、わからないの!(「わかりました!)
(「文鮮明先生御言選集」306巻より)


このように前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついていると言われており、このような神を圧倒的男性と規定することは非常に困難である。


それでは國進様のこの神学は間違っているのだろうか?

この真のお父様が言われる前に男性器、後ろに女性器を持つ神はどのような神なのだろうか?

(原理講論)
被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。コリントⅠ一一章7節に、「男は、神のかたちであり栄光である」と記録されている聖句は、正にこのような原理を立証しているのである。このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである

ここに國進様が言われる「圧倒的男性・本性相的男性」が記述してある。


この原理講論の記述にある「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられた」という位相の神が國進様が言われる圧倒的究極的男性格主体である神のことである。原理講論の記述「男性格主体としてのみ」という表現を國進様は「圧倒的男性、圧倒的主体」と表現しておられに過ぎない。同じことを言っておられるのである。


このように被造世界が創造される前には、「神は性相的な男性格主体としてのみの存在であるので、この性相的な男性格主体としてのみの神以外の、創造後の一切全てが「形状的な女性格対象」であり、その一切全てがこの究極圧倒的男性格が究極圧倒的主体の立場で創造した被造物なのである。

また神は性相的な男性格主体としてのみの存在であるとは性相と形状の二性性相も陽性と陰性の二性性相さえも無い状態ということになる。


このような「究極圧倒的男性主体・究極圧倒的本性相的男性」である神の本性は何であろうか?

國進様: 
お父様が夜の神様をどのように説明されていたかといいますと、夜の神様は創造前に存在されていた神様だと言われました。それは永遠の神様であります。そして昼の神様については、創造の後で存在するようになった存在だと言われました。ですから昼の神様は創造された存在です。 
                 
2016年10月31日

國進様はこのように昼の神とは、夜の神が創造された被造物であると規定された。

つまり

この性相的な男性格主体としてのみ存在される神が夜の神の姿であり、この被造物である「形状的な女性格対象」は昼の神のことなのである。これが原理原相論の中核である。


原理講論「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。

この記述は原理講論のなかにおいて唯一と言える夜の神の姿に関する記述でもある。


このように究極圧倒的男性格主体である夜の神の真の父母思想とその思想による原理によって創造された形状的女性格対象が昼の神なのであり夜の神から見れば被造物なのである。


このことについて亨進様は

「夜の神様」は、超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の「無」の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様であり、「有」の状態、時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べるその存在が即ち「昼の神様」です。」

文亨進様:天基3年天暦1月7日(陽暦2012.1.29)天福宮

と説かれた。


時空間でさえも夜の神が創造された被造物なのである。

國進様は昼の神は被造物であると言われるが、亨進様はその夜の神によって創造された時空間に摂理の神として現われる夜の神の存在様相が「昼の神」であると言われる。


このように原理講論が「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられ」と記述するこの位相の神は時空間も光も創造される前の夜の神のことである。

そして明確に「形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである」つまり形状的な女性格対象は被造世界と書いてある。

夜の神はそのような形状的な女性格対象を創造せざるを得なかった。即ち「夜の神とは性相的な男性格主体としてのみの存在であり、形状的な女性格の一切を持たない存在である」と言い直すことができるのである。

これが國進様が言われる究極圧倒的男性という意味である。


コリントⅠ一1章7節に、「男は、神のかたちであり栄光である」と記録されている聖句は、正にこのような原理を立証している。

このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。(原理講論)


では次の記述の神の存在はどのような位相であろうか?

(原理講論)
神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、
本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。

夜の神は性相的な男性格主体のみの存在であり、形状的な女性格の一切を持たない存在である。しかしこの神は形状的女性を持っている。形状的女性は性相的な男性格主体の被造物である。

ゆえに明らかにこの「本形状的女性を持つ神」は「本形状的女性を一切持たない性相的な男性格主体のみの存在である夜の神」が創造した被造物である。


夜の神と昼の神の関係を真のお父様のマルスムから見てみる。

真のお父様

 神様とは、いったい誰ですか。神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。完成したアダムとエバは、真の愛を中心として横的な父母です。その二つの父母が一体となるのです。
愛するその場所で、縦横が一体になるのです。そこは愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮です。それが男女の生殖器です。
それによって、神様ご自身が神様の息子、娘を生むのです。神様の子女です。皆さんは、二つの父母から生まれたのです。
(250-38,1998.10.10)日本語天聖教2010年版P1662

 海を一つにし、陸地を一つにする、カインとアベルを一つにする統一的真理を教え、日と月が一つとなる統一的真理を教えてくれる方とは誰かというと、神様だというのです。神様は知恵の王です。知恵の王であると同時に、神様は父母なのです。
(268-289,1995.4.3)天聖教P1527

お父様のこの御言に従えば、神は真の愛の父母である。神は真の愛の根源である。

その真の愛の心情が父母であるということである。

そして統一的真理を教えてくれる方は神であり、神は知恵の王で有り父母であると言われる。

そして昼の神は夜の神の被造物であった。


よってこのように真の愛の根源である神は、真の愛の根源であるがゆえに男性である。何故なら愛は男性から始まり、その愛によって生命が始まるからである。

そうであるから、真の愛の父母である創造主とは昼の神ではなく夜の神であり、夜の神は男性であることはあまりにも明らかである

それが故に、真の愛とは、「一なる男性である夜の神の父母の心情によって創造された根源的愛」が真の愛であるということである


このように「神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。」と言われる、この真のお父様のみ言は夜の神の神性の関する神学なのである。


真の父母思想はこのような夜の神の創造物・被造物であり、真の父母思想により生み出された原理もまた夜の神の創造物・被造物なのである。


従って(原理講論)に記載される本形状的女性という性相を持つこの神の位相は三位一体論で観るならば、明らかに性相的な男性格主体としてのみ存在される夜の神が、被造世界を創造されるときに現れた昼の神としての位相であることが理解できる。


夜の神は真の愛の根源、真の生命の根源であるがゆえに、夜の神は究極的圧倒的男性格主体である。究極的圧倒的男性格主体である夜の神の真の父母思想と原理によって創造されたのが形状的女性格対象が昼の神である。

夜の神が自ら創造された時空間に摂理の神として臨在し働くために自らの存在様相を創造された、それが昼の神としての位相である。

その昼の神としての存在様相と位相も夜の神の創造物である。これは真の父母思想とそれに基づく創造原理が創造物でありその存在様相も位相も、その思想と理により創造された被造物であり、時空間における夜の神の属性なのである。これは夜の神の属性であるがゆえに夜の神と昼の神は一体である。


夜の神は、真の愛である。真の愛が夜の神である。真の愛とは真の父母の愛である。夜の神は真の愛であるがゆえに真の父母の愛の根源である。


性相的男性格主体である夜の神は真の愛であり男性としての真の愛の父母の、愛の根源であるがゆえに、昼の神はこの真の愛を中心に創造された。その男性として愛の父母ゆえに形状的女性格対象である昼の神は本性相的男性である父なる神と本形状的女性である母なる神との二性性相の中和的主体であり、全ての被造物に対しては性相的な男性格主体としていまし給う男性として愛の父母である神として創造されたのである。

このようにこの愛の父母なる神は夜の神の究極的圧倒的男性一人にして父であり、父でありながら愛の父母であるという神性の表出である。

昼の神である天の父母は「究極圧倒的男性であり一人にして父であり愛の父母である夜の神」の被造物として三位一体*なので性相と形状の関係から見れば形状的な被造世界に対しては性相的な男性格主体としていまし給うと言うことができるのである。


このように夜の神は、真の愛の根源であり、この真の愛の父母である。

それ故に夜の神を真のお父様は「天の父母様」と言わることもあったのである。

しかし男性一人にして父であり、父でありながら父母の愛であるという神性を讃え天のお父様というのである。


これがなぜその中和的主体を性相的な男性格主体として規定できるかという理由である。

つまりこの中和的主体を創造された夜の神が究極圧倒的本性相的男性主体であるからだ。


以上のように

夜の神とは真の父母思想により、本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の父母二性中和的主体である昼の神を創造され、昼の神を主体とする被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給う絶対的創造主であるという事実を知ることができる。


被造世界が創造される前には、夜の神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、父母二性中和的主体である昼の神をその存在様相位相として創造せざるを得なかったのである。

その夜の神の女性的性質は昼の神の究極圧倒的女性格対象であるエバに女性生殖器として現れたのであり、このエバを求めて夜の神の天地創造が始まったのである。


昼の神の位相における天の父母様とは被造物である我々から見れば昼の神であるが、昼の神は夜の神の存在様相・位相とはいえ被造物なので究極的創造主を呼ぶ場合は天のお父様と呼ぶことが正しい。

また夜の神の、究極的圧倒的男性一人でありながら父であり、父でありながら愛の父母であるという神性を讃え、天のお父様と呼ぶのである。


これが神が男性格主体であり父と呼ばなければならない理由であり、何故天の父母ではなく天の父と呼ぶべきかの理由である。


夜の神昼の神の三位一体論については拙稿

夜の神様と昼の神様からみる天の御父様の四位基台」参照。


2-2:昼の神は夜の神の被造物、夜の神は創造主であり男性である。


亨進様は

「夜の神様」は、超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の「無」の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様であり、「有」の状態、時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べるその存在が即ち「昼の神様」です。」

文亨進様:天基3年天暦1月7日(陽暦2012.1.29)天福宮

と説かれた。


これは時空間創造後に現れた昼の神も、創造主でありながら、縦的な真の愛の父母による統一的真理によって創造されたということであり、この真の愛の父母の心情が、統一的真理、創造原理、そしてその思想が創造される前に存在する心情であるがゆえにこの愛の父母とは夜の神である。


創世以前の神について聖書には次のように書いてある。

初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。
成ったもので言葉によらずに成ったものはひとつもなかった。
言葉のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は、光を理解しなかった。 
     
 (ヨハネ福音書 1:1~1:5 )

この聖句の内容は、

「神と共にあった始めにあった言葉とはこの夜の神による父母の心情による真の愛によって造られた真の父母思想であり、真の父母様は夜の神の父母の心情と真の愛による真の父母思想によって創造された昼の神である。」ということであり、その創造の過程で現れる「有」の状態、時空間の創造後の動きが昼の神であるということである。

時間も空間も無い「闇」の状態、夜の神は性相と形状の二性性相も陽性と陰性の二性性相さえ無い。

それらの二性性相は創造主である夜の神の「真の父母思想の位相、属性」が昼の神を通して現れるのである。


昼の神が本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、

本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体として創造されたのであるから、この夜の神の真の父母思想による創造された原理自体が本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和から構成されていることがわかる。


原理講論や原理本体論の創造原理に記述してある二性性相の神は太初の被造物である原理本体とそれを展開する時の、昼の神の姿であることは先の項「2-1:創造主の神は天のお父様であり、被造物の神は天の父母様である。」にて考察した通りである。


それだから真のお父様や原理本体論が言う男性生殖器と女性生殖器を持つ神とは、

「光と時空間創造以降」の父性と母性の二性性相の中和的主体として光と時空間創造後の展開の中で生じる神であるがゆえに昼の神と規定できる。

夜の神はそのような形状的な女性格対象である被造物、昼の神を創造せざるを得なかったのである。


國進様: 神様が被造物と究極の対象的相対である女性を創造されたとき、女性は、女性器を持った圧倒的に女性的な、つまり対象的なものとして現わされました。

2016年10月31日 亨進様・国進様との質疑応答


國進様が言われるように、神の女性的性質は、被造物であり究極の対象である女性に女性器として現れた。

つまり神には男性生殖器があるが神の本体には存在せず被造物でもある究極の対象的相対である女性に女性生殖器として現れたということである。

原理講論、原理本体論に記述してある創造原理の神学の殆どは結局被造物である昼の神についてである。

何故なら原理講論は神を作家と被造世界を作品に見立てて被造世界の共通様相、つまり二性性相から推論していったのであるがこの帰納法的考察の対象は創造主そのものではなく、あくまでも被造物である。

従ってその収斂し行きついた先が夜の神が光あれと創造された直後の被造物、あらゆる被造物の素材、元素でもある太初の創造物である原理本体を展開していく際の昼の神の姿であったのである。これが原理講論や原理本体論の言う神の姿、二性性相の神の中和的主体である。


よって次に何故そのような昼の神をこの創造主は創造されたのかを考察し、この創造主がどのような方であるかを考察する作業が残されていたのである。これが原理講論においては「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。」という記述なのである。この夜の神の部分を解き明かすのが原理原相論の使命でもある。


真のお父様はこの絶対的創造主について「神とは、いったい誰ですか。神は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。と言われた。これがこの中和的主体を創造された創造主を推論する大きな手がかりとなる。

夜の神はこの真の愛の父母として二性性相の原理を創造された。この夜の神の真の父母思想による創造された原理自体が本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和から構成され、その原理によって時空間とともに創造された被造物である昼の神は全ての二性性相、全ての被造物の素となるその太初、昼の神の原理本体として現れた。それが故にこの原理本体は男性と女性の両方の生殖器を持つ姿として現れたのである。


この被造物である昼の神の太初である原理本体の存在様相について真のお父様は男女二つの生殖器を持つ神と言われたのである。

原理本体論が言う男女二つの生殖器を持つ原理本体とはそのような被造物である原理本体を展開する時空間に現れた昼の神の太初の姿についてである。

よって原理本体論の位置づけはこのような昼の神についての神学であり、原理本体論の言う本体は夜の神ではなく、この昼の神が真の愛の父母であり絶対精子と絶対卵子の本体ということなのである。


聖書の目的はメシアについての証であり、原理講論が再臨主真のお父様についての証であった。

原理本体論は真の父母様が第二創造主なる昼の神であることを証すためのキリスト論的神学論であった。

その意味では原理原相論は、これはあくまでも考察の結果論であるが、夜の神の絶対精子と真のお父様が決めた相続者三代王権の正当正統性を証すキリスト論的神学であるとも言える。


亨進様はこのことを次のように言われる。

お父様の、神様の精子。お父様の原理本体論中心の神様の精子。精子。神様の精子!なぜ?メシアは新郎だ!神様の精子!皆さんもご存知でしょう?女はXX、男はXY、男の種は、息子も作り、娘も作ります。XX、2つXがあると女だけ出てきます。男が出て来れません。息子が出て来れません。種が下ろせません。種!精子!神様の王権は精子を通して降りていきます。父子関係。


夜の神の精子と父子関係、これが三代王権のキリスト論である。


精子は女性をつくるX染色体と男性をつくるY染色体の両方を持つ。これに対し卵子はXX、女性の染色体Xしかなく、精子に男性・女性の性別の決定権がある。

つまり精子単体でも愛の父母であると言える。しかし精子は男性である。

真のお父様がお一人で父母であり、圧倒的男性である夜の神がお一人でも愛の父母であるのはXYを持つ絶対性精子の本体である男性であるからだ。

母子関係(XX)では神の種が断絶する。父子関係(XY)の血統が天宙の根本原理なのであり、この父子関係が原理原相論のキリスト論である。


従って真のお父様が、

教会に入って初めて、神様のことを「お父さん、お母さん」と呼べるようになったのに、一、二回呼んだだけで、それきり呼ばない人たちがいます。どれほどやるせないことでしょうか。また、私たちは神様を口先だけで呼ぶのではなく、心の奥から呼べなければいけません。
皆さんが信仰者ならば、「父なる神様」、「母なる神様」、「真の父母様」と語りかけながら、毎日毎日、神様に喜んでいただかなければなりません。

●「神様が惚れ込む者となれ」 第一章 天地を結ぶ絆 第一節 孝心の道

と、このように言われるこの神は昼の神のことであり、昼の神の実体が真の父母様なので真の母として探し出された女性が真の母として勝利し、真の父母様が地上に出現したことを指して「父なる神様」「母なる神様」「真の父母様」、このような昼の神として天のお母様になるべき実体である真の母が現れたので「母なる神様」「真の父母様」と呼んで喜んで頂くべきだという意味で語られたマルスムなのである。


従って、原理原相論の究極の創造主である夜の神は父であり男性である究極的主体であるから、夜の神を母なる神様、天の父母様と呼ぶのは誤りであり、創造主である夜の神に対しては「天のお父様」と呼ぶのが正しいのである。


「私は夜の神様から、お前たちは昼の神様から出てきた。」と言われたみ言を易しく説明すると、​私たちは母の子宮を借りて生まれますが、真のお父様は神様の種、すなわち「精子」から出て来られたことを意味します。

文亨進様:天基3年天暦1月7日(陽暦2012.1.29)天福宮

このように原理原相論は夜の神の精子論でもあり、これが根本根幹である。アダム・イエス様・真のお父様はこのような夜の神の精子から生まれた真のアダムなのである。


このように真のお父様が言われる夜の神は究極圧倒的な性相的男性格主体であり、この夜の神まで二性性相の中和的主体と規定してしまった場合、キリスト教が忌み嫌うインドのシヴァ神などと同じ両性具有神化してしまう。そのような過ちを家庭連合の「天の父母論」は犯しているのである。

しかも、ここでは詳しい説明は省くがそのような両性具有神とエバは直接結婚し、

エバは神になれるという二元論の問題も持つ。*3家庭連合と韓お母様の誤謬参照


夜の神はそのような両性具有神ではなく、昼の神を二性性相の中和的主体として創造されたのはその真の父母思想によりそのような原理を創造されたのだから、夜の神はそのようなみ言を語る頭と口を持ち、その思想を具体的に作り出す手を持ち、真の女性・真の母を求めて、天宙を創造して走って行かれた足を持つ男性、このようにその姿を推論できるのである。男性は夜の神のごとくXY遺伝子の精子を持つ。


聖書「コリントⅠ一1章7節「男は、神のかたちであり栄光である」

とはこのことを言っているのである。


「コリントⅠ一1章7節「男は、神のかたちであり栄光である」

神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。(原理講論)」


これらの聖句と原理講論・原理本体論の解釈に対して、國進様は「神様は圧倒的、究極的な主体の存在であり、ご自身を圧倒的に主体的、あるいは男性的なものとして表され、示されています。神様は、二つの性質を持ちますが、圧倒的に男性的な父として表されるのです。お父様の解釈というのは、神様は男性的主体であります。男性的主体はペニスを持っています。」と表現されたのであり、父母の性相として霊的XY遺伝子の精子を持つただ唯一なる神は父であるということが原理原相論の根幹なのである。


このような究極圧倒的男性格主体である夜の神が真の父母思想と創造原理によって創造した被造物が形状的女性格対象である昼の神であり、夜の神の時空間における存在様相、位相なのでる。


また國進様は聖霊について女性神が存在するのではなく「みなさんが見ている聖霊の現れというものは、一人の神様の中にある、その性質の表れであり、それは神様の対象的な相対によって映し出されます。」と言われたが、これは究極圧倒的男性格主体である夜の神様が形状的女性格対象に映し出されたその夜の神様の姿が聖霊である、ということなのである。 *拙稿:聖霊父母二性三位一体神論参照



以上の内容をまとめる。


究極圧倒的男性主体である夜の神は、その真の愛の父母として心情による真の父母思想を持って父母二性性相の中和的主体思想により構成された原理を創造された。

その原理に基づき、時空間と同時に、夜の神が摂理の神として臨在し働くため自らの存在様相を形状的女性格対象である昼の神として創造された。


被造世界が創造される前には、夜の神は真の愛の父母という性相的な男性格主体としてのみおられたので、その究極的圧倒的一人の男性にして父であり、父でありながら真の愛の父母であるという夜の神の神性ゆえに自らの存在様相を形状的な女性格対象として、父母二性中和的主体である昼の神を創造せざるを得なかったのである。


昼の神は、夜の神の、真の愛の父母としての心情による父母二性性相の中和的主体思想である原理により創造された夜の神の真の愛の存在様相なので、父母二性性相の中和的主体として太初に原理本体として現れた。この原理本体は男性である夜の神の現れなので男性格である。


昼の神の太初である原理本体は、真の父母思想により太初に創造された夜の神の位相であり被造物であるため、その他の森羅万象の被造物に対しては本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性である父なる神としての現れと、本形状的女性である母なる神としての現れ、との二性性相の中和的主体である第二創造主である。この本形状的女性である母なる神としての現れは男性である夜の神の現れであるので男性格である。


完全無形なる夜の神は第一創造主としてこの昼の神と三位一体であるので全ての被造世界においては男性格主体として偏在され、形状的女性格対象に現れるとき聖霊として映し出されるのである。従って聖霊は女性的でありながら男性格である。


その夜の神の真の愛の女性的性質は究極の対象的相対である女性に現れたのであり、夜の神の真の父母思想による昼の神の創造の目的は、その昼の神が展開さる森羅万象の天地創造の最終的目的は、圧倒的対象であり夜の神の相対者である女性の創造と完成にあることを我々は知ることが出来るのである。


このような昼の神が展開していった原理本体としての絶対性卵子は女性に現れ、夜の神の絶対性精子は男性に現れる。

このように完成した男性と完成した女性の結婚、即ち夜の神御自身の結婚とその子女繁殖を目的として夜の神の天地創造が始まったのである。


論文:2016年12月21日水曜日 ファンクラブ

以下もご参考ください。

原理原相論試論.創造原相論堕落論夜の神昼の神

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