文鮮明先生は性依存症なのか再臨主なのか
6マリアを見る二代王妃の見解<3>
2024年4月3日
문선명선생은 성중독자이신가 재림주님인가_◆ (6마리아를 보는 2대 왕비님의 견해) 04_03_2024
3.真のお父様の証言
それでは3番目を見ます。
お父様が語られた6マリアの摂理に対する内容です。
真のお父様はこのようにおっしゃいました。イーストガーデンでの証です。この証はフィリップシンカー前米国家庭局長だった人が話したのですが、
80年度にワシントンポストがお父様を、左派のマスコミなので、ワシントンポストが6マリアの問題を真のお父様に強く攻撃しました。
その時、200余名をイーストガーデンのVIPに迎えて、真のお父様がその大衆の前で、真のお父様が両手で十字架の形をされて自分の生殖器を指して、このように語られたと言います。
神様が失った天の歴史を、血統を失った天の歴史を私が分かっているのに、私がこの生殖器を主管できなくて6マリアができたと考えるのか?という愛の十字架を負うしかない道を行った
と、語られました。
4.真のお父様の側近者たちの証言
4-1.ミホ・パンザー氏の証
それでは真のお父様の側近の弟子たちの証しを見ます。真のお父様の随行員のように仕事をしたミホ・パンザー氏の証しです。
ミホ・パンザー氏は1976年から1986年まで10年間、真のお父様の米国イーストガーデンで、真のお父様の間近で仕えました。そしてマッサージ、沐浴まで全てされました。室内の生活をミホ・パンザー氏がされていました。
ミホ氏は、女性問題に関連するどのようなヒントも真のお父様は私は感じることができなかったとこのように証しをされました。
しかし、もし、性中毒者であるならそうすることは出来ません。
有名な、私たちの時代で有名でしたか?アーノルド・シュワルツェネッガーのターミネーターの俳優ですね。その人は、カリフォルニアの州知事までしました。その人には、とても美しい奥様がいらっしゃいます。ケネディ家のとても美しい奥様ですか、その奥様をおいてその人は他の女性と子供を産むようになります。
しかしその女性が誰かと言えば、自分の家で仕事を手伝ってくれる下女でした。絶対に私が手助けするのではないのですが、私が申し上げたいことは、もしそのような(性中毒の)問題があるなら、すぐ横にいる人と問題になるということです。。
しかし、真のお父様はそのような問題を、感じることすらもできなかったと、ミホ・パンザー氏は証言します。
4-2.文妍雅氏の証
そして、文ヨナ氏です。私です。
真のお父様の真の父母様の末っ子の嫁として1997年から2002年まで真のお父様のすぐとなりの部屋で、イーストガーデンのニューハウスで、私が生活をしました。
それで、真のお父様の部屋でしょっちゅう多くのことを見ます。しかし多くの人を見たのですが、真のお父様と女性に関する問題は一度も見たことがありません。
私が申し上げましたね。
このような性中毒のある人々は、年を取ったとしてもこれはなくなりません。ですから、列王記上に、1章1節から4節を見ても、ダビデ王が自分は年をとって、ある女性を娶ることが見えます。
1:1ダビデ王は年がすすんで老い、夜着を着せても暖まらなかったので、1:2その家来たちは彼に言った、「王わが主のために、ひとりの若いおとめを捜し求めて王にはべらせ、王の付添いとし、あなたのふところに寝て、王わが主を暖めさせましょう」。1:3そして彼らはあまねくイスラエルの領土に美しいおとめを捜し求めて、シュナミびとアビシャグを得、王のもとに連れてきた。1:4おとめは非常に美しく、王の付添いとなって王に仕えたが、王は彼女を知ることがなかった。
シュナミびとのアビシャグ女性を王に与えたとなっています。ダビデ王も妻が10人以上いますね。
このようなことを見ても、そして年を取ったからと言ってもこれはなくなりません。
もちろん聖書には、列王記上には、ダビデ王は清いと、このように話しますが、そのような女性問題に対して大変継続して継続して葛藤があったことをここで見ることができます。
4-3.李サンス氏の証
さらに3番目。李サンス氏の証言ですが、李サンス氏の場合は韓国の旧天正宮の副警護室長でした。ヘリコプター事故以降に真のお父様に完全に内室で仕えて、マッサージと立ち振る舞いを手伝うほど近く、真のお父様の日程まで直接見守りました。
この方は一度夕食を食べに出て行かれたのですが、知人から真のお父様に対して気になる話を聞いたそうです。6マリアに関する話でした。
そして自分は心では悩んでいたのですが、真のお父様はそれを、自分は何も言わないのに、自分のそのような気持ちを看破されて、この話しをしてくださったそうです。
私もお父様に似たような状況を経験したので、お父様がどれほど人々の心をつまみ出すか、それで私が分かっているので、この言葉は本当に真実だという考えになりました。
お父様は、自身が、知人の言葉のために複雑になったのですが、これを真のお父様は長く放っておいたら不信の詐欺になることを考えられたのか、静かにこのような話をしてくださった。そのようにお話されながら、このような質問をされました。
お父様の御言です。読んでみます。
私があなたたちを救ったと言いながら情欲をするとか主管することができなくて、そのようなボロボロの服を着せたか?
イーストガーデンで愛の十字架の御言葉です。
私はボロボロの服を着て、あなたたちには新しい服を着せるために、ありとあらゆる匂いのボロボロの服を被ったのだ。
人類の最初の完成した新郎として、全ての新婦を救うために条件を立てて、蕩減の儀式を通して、再び、あなたたちにこのような、血の取り替えの歴史を負担させないために、世の中が理解できないことを知りながらも、神様の命令と教えに従ってさっぱりと整理したのだ。
そのような歴史をあなたたちが理解したら、真のお父様の前に申し訳なくて頭を上げることができないため、一切話をしなかった。
しかし、あなたたちの心に陰があるため、この話をするのだ。
(中略です。)
これからは全てのボロボロの服は私が整理したので、絶対性を中心として絶対夫婦になって絶対家庭を作る、真の孝行息子孝行娘にならなければなりません。これが真の父の最後の願いです。
と、御言を下さいました。
5.聖書的証言
それでは 私がこのような4つの、真のお父様はどうして性中毒者ではなく 摂理的理由で6マリアをされたのか説明をしたのですが 、ある人はこのように私に問うでしょう。
「本当に本当にある男性が精力に勝り、神様の摂理のために自分自身を愛の十字架につけるようなことがあり得るのですか。人間がそのように善良でしょうか。」「本当に私は知ることができない、理解できない」このように仰る方もいるのではないかと思います。
はい、ありえます。
ですから私が聖書的な例を挙げてみます。これは聖書的な証言なのですが、聖書に出てくる性的に乱れた状況を考えた時に、私たちは大部分の方がソドムとゴモラのような同性愛の様なものを想像すると思います。でも、それ以外にも多くのことがあります。その中で私たちは、6マリア摂理に関連して学ぶポイントがあると考えて準備してきました。
5-1.アブラハムとイサクの妻を他人に差し出す奇行
アブラハムと、5−1です。アブラハムとイサクは妻を他人に差し出すという奇異な行いをします。アブラハムは夫人を他の男性に差し出し、更には物質(万物)祝福も受けます。例えば銀千個、羊と牛、僕まで受け取ります。それも一度だけではありません、二度も受け取ります。
1度目は創世記12章10節から20節に出てきます。そしてアブラハムは最初の夫人のサラを、アブラハム75歳、サラが65歳で、パロ王に送る時、「私の妻ではありません、私の妹です」として送る様子が見られます。
2度目は創世記20章1節から8節です。この時はサラが90歳、アブラハムが99歳です。この時はイサクを産む直前だったのですが、このときをみるとサラは90歳です。90歳といえばその年でどうやって子どもを産むのかハハハと笑ったという話しもありますね。そしてサラは117歳で死にます。その時に非常に長寿だからと言って500歳、1000年も生きたわけではありません。
しかし117歳で死んだサラが90歳の時、別の男性に贈られることになるのですが、いくらサラが美しかったとはいえ90歳でそれほど美しかったとは言えないでしょう。
すから75歳、90歳という歳のサラをこのように、このように別の男性にアブラハムが、信仰の先祖であるのにもかかわらず、別の男に送るということは、お父様が説明してくださっていますね、お父様は、堕落したエデンの園の天使長がエバを望んだ事を蕩減復帰する家庭の事だと説明されています。
これはイサクも、アブラハムの息子イサクも、自分の夫人をアビマレクに送る内容があります。これは創世記26章7節から13節に出ています。
ですからこの一連の事柄をあるプロテスタントの牧師は、「父親のアブラハムがした良くない行いを息子のイサクが反復している」。
このように言いますが、そのような事ではなく、「 エデンの園において堕落した関係であった天使長とエバとの関係を復帰させるための蕩減復帰、すなわち反対の経路で復帰する過程として考えなければいけない」とお父様が教えてくださいました。
5-2.タマルを通じての証言(創38章)
それでは、聖書に出てくる性的に乱れた2度目の状況を見てみましょう。
皆さんの中である方々は慣れているかもしれませんが、創世記38章に出てくるタマルの証言です。
真のお父様はこんなことをよく仰いました。「タマルを理解すれば真のお父様を理解することができる」、このように仰いました。
タマルの話はとても有名な話ですね。ユダ、ヤコブの息子の4番目がユダです。そのユダの息子が三人いたのですが、エル、オナン、セラという三人の息子がいました。タマルはその一番めの嫁でした。
エルと結婚をしたのですが、エルの行いが悪かったので神様が打ったと言います。それで2番目の息子オナンも行いが悪かったので神様は打って殺します。
それで二人の息子を、韓国式に考えると、タマルは息子を死なせる(とって食う)嫁ですね。ですからユダはそのように考えるのです。長男も死に、タマルと性関係を持とうとして死に、次男も死に、ですからユダは心配になりました。そして、風習として3番目の息子にタマルは嫁ぎ、最初の息子のエルの子孫として継がせなければならないのですが、ユダにはどう考えても末っ子のセラまで死ぬのではないかと思えてしまうのです。それでセラはまだ幼いので家にいろと帰します。
でも、タマルがいくら待っても父親のユダは来ないのです、自分を呼んでくれないのです、義理のお父さんが。
それでどうしますか? 皆さんも、ご存知の通り、この絵のようにタマルは娼婦のように変装してユダと一夜を共にします。そしてユダにしるしをくださいと言ってしるしをもらいます。
タマルはこのようにおかしな、血統を継ぐために義父と性関係を結ぶという異常な行動をしたにも関わらず、イエス様の血統に繋がる女性として出てきます。
どうしてでしょうか?それはタマルが神様の血統を繋ぐ為に自分の体面や威信、生命までも捨てる覚悟ができていたからです。
このような厚い聖書の勉強という本があります。英語の本です。私がとても好きな聖書なのですが、この勉強の聖書には人物についていろいろと書いてあります。その中でも人物集中探究というように、人物について、とても深く書いてあります。
それにしてもずっとヨセフの話が続いていたのに、創世記38章に、本当に突然ユダとタマルの話が出てくるのです、聖書の創世記に。
でも、タマルの登場をそれほど集中的に表しているのでもなく、本当にタマルについては人物集中探究が抜けています。無いのです、ページが。タマルより比重の軽い人物についてもしっかり書いてあるのですが、タマルについてあまり多くのことが語られていません。それはまさに、タマルがこのキリスト教の中でも説明の難しい熱い講座の為なのです。
ところで、お父様が仰る「このタマルを理解すれば私を理解することができる」。
これはどういうみ言でしょうか。真のお父様は、神様の血統を繋ぐ為に自身の対面、威信、生命までも捨てられたと見ることができるのです。
そのような観点で私たちは6マリアについて見ることができるというのです。
5-3.イエス様の族譜に出てくる真実な淫女5名
イエス様の条件に出てくる、5-3番です。
イエス様の条件に出てくる真実な女性、淫婦5名です。この女性たちは、5人の女性たちが出てきますね。マタイによる福音書1章1節から17節までに5人の女性たちが出てきます。タマル、ラハブ、バトシェバ、ルツ、マリア、このように出てきます。
ところでこの女性たちの中で、1人もまともに生きた女性はいません。この女性たちの中で、タマルは義理の父と寝る、全く私たちが受け入れることができない行動をします。ラハブの場合は、娼婦でした。そして、バトシェバの場合は自分の夫を、死んだ夫を後にして夫の恩讐であるダビデ王との間にソロモンを産みました。ルツの場合は異邦人のモアブの女性でした。そしてマリアも実際、婚約期間にイエス様を妊娠するようになります。懐胎するようになります。だからどの女性もまともな女性は、実際いません。
しかし、本当に不思議なことは、この女性たちが言うことを聞いたら、この女性たちは本当にこれほど真実な女性、神ヤハウェを(これほど)愛する女性がいるかと思えるほど真実な、神様に対する思いが自分の命を超えた人だと見ることができます。
ラハブの場合は娼婦にもかかわらず、天の上にも下にもヤハウェのような方はいない。このように話すことをヨシュア記2章に見ることができます。マリアも、神様のイエス様を受胎してから、神様を賛美する美しい詩をルカによる福音書にも出会うことができます。
この女性たちは、本当に性的に乱れた例ですか?
キリスト教ではこのように説明します。この女性たちはすべて問題のある女性たち。性的に乱れた女性。この女性たちがイエス様の系図に入るのを見たら、このような罪人たちもイエス様は全て受け入れることができる。それを象徴している。これも美しい表現だと思います。
しかし、私たちがこのような復帰摂理歴史、蕩減復帰、血統を復帰するメシアの歴史を見たら、私たちはこの女性たちが神様の命令を自分の幸福と評判と自分のすべてのものを捨てて主に従いました。それが強かったので、その時の伝統と完全に反対になる行動であっても、それに従ったのです。
それでこのように5人の女性は、神様に対する絶対従順、神様の命令に100%従順、そのために今、歴史の中でもイエス様の系図に、イエス様の血統を守った女性として、今に至るまでに呼ばれています。
5-4.1人の新郎と10名の新婦
それでは5‐4番です。聖書的な証言で見た6マリアの摂理です。
マタイによる福音書25章1節から13節には、このような内容が出てきます。一度読んでみます。
25:1そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。25:2その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。25:3思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。25:4しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。25:5花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。25:6夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。25:7そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。25:8ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。25:9すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。25:10彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。25:11そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。25:12しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。25:13だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
絵のように、新郎は一人なのに新婦は5名です。そして夜に入っていきます。そしてもし、この灯火に油を準備できなかった思慮の浅い女性達は、もし油を準備していたらこの10名の女性たちは全て入って行くことができたのです。主に向かって。
子羊の婚苑で、夜に新婦が新郎に入っていく。私たちが最初の日を初夜をハネムーンと言う理由があります。ですから私がこれ以上説明しなくても良いです。
5-5.イエス様には数千、数万名の新婦がいた?
そして、5‐4(5-5)番です。聖書的な証言で見た6マリアの摂理です。
これをご存知ですか?イエス様には実は数千数万名の新婦がいます。何のことですか?カトリックではイエス様と結婚したと口約束をして、終身誓願を誓約して誓願祝福指輪を受けて、はめる儀式があります。
1番目の写真を見たら、終身誓願おめでとうございます。このようになっています。ですからご覧になっている修道女は皆、終身誓願、誓願祝福指輪をはめてイエス様と結婚したと話すのです。
下をご覧になったら、祈祷をする姿ですね。修道女たちが一生涯終身誓願をする無数の修道女たち。そうなら、その人たちは果たして主が再臨されたら彼女たちも厳密に言えば皆、主の新婦になりますね。
このようにイエス様に数千数万名の、もっと多くの新婦がいるということを、私たちは実際知ることができます。
5-6.Teleological theories(テレオロジー理論)
そして5‐6番です。Teleological theories(テレオロジー理論:神の倫理的優先権論)と書かれています。
このテレオロジー理論(神の倫理的優先権論)は少し言葉が難しいのですが、倫理的に、簡単に言えば
「倫理的な優先権は人間の判断基準に置かず、(人間的)倫理的なものに合わせないで、何が神様の善をなすところに合うのか」
という、ことに目標を合わせることです。
これは私がこのようにお話ししながら、これは難しくなるのではないか、これはこのようになるのではないか、このようにも言うことができますが、このテレオロジー理論(神の倫理的優先権論)、すなわち倫理的優先権は、神様の善をなすことに合うところに、そこに目的を合わせることは、摂理的人物の、真のお父様は再臨主として摂理的人物なので、このような様相が見えることを、私たちがその観点で6マリアを説明することができます。
聖書にもこのようなテレオロジー理論(神の倫理的優先権論)を説明できる例があります。
実際神様は人間の祭事を嫌われます。それは聖書にも人身祭事をどれほど嫌われるかよくわかります。しかし、本当に唐突もなく信仰の父だというアブラハムに、自分が100歳の時に生まれた息子を殺しなさいと命令されます。
それは神様がその時まで言われたこととは本当に違うことです。反対の行動です。まさに真のお父様が私たちには絶対性を守れとおっしゃったのに、絶対性を壊す行動を6マリアの摂理を通してされたように見えますが、真のお父様は神様の血統を絶対性をなすという、その線に合わせて、その目標に合わせて、倫理的な人間の判断基準を越えた行為をされたと説明することができます。
そしてイエス様の血統の5名の女性たちも、ユダヤの女性たちは純潔を守って、そしてもし貞節を守らなければなりませんでした。そうでなければ石で打たれて死ぬ刑を受けるようになります。
ですから淫乱の中から引っ張ってきた、ヨハネによる福音書8章に出てくる姦淫で捕まった女性も全てのユダヤ人たちが石を持ってその女性を石で打とうとしました。
それで、このような聖書の例を見たら、人間的な目で見たら説明することができない内容。エデンの園の堕落を蕩減復帰する内容が聖書には無数に出てきます。
ホセアの場合も(神様が)娼婦の妻と結婚しろと、神様は妻が死んだエステルに悲しむなと話されます。そうしながらむしろ悲しもうとするエステルにとても厳しく叱られます。しかしユダヤ教では泣けと言いますね。30日の間泣けとも言います。
しかしこのような一連のことを見るとき、私たちは神様の命令が全ての人間の道徳的判断基準を超えて命令されることを多く見ることができます。
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