2017年6月7日水曜日

2014-6-5(月)イスラムテロに命と所有権を差し出すヨーロッパ左派人権主義」キングスリポート

 イスラムテロに市民の命と所有権を差し出すヨーロッパ左派人権主義

イギリス・イスラムテロ事件特集、ヨーロッパのイスラム移民政策と左派人権主義を斬る。


キングスリポート6月5日(月)
チャット速報英韓訳からの取捨選択その他編集日本語訳。

昨日は日曜礼拝を終えて薄暗くなった時間であるにもかかわらず、滝を作る石を並べて積み上げました。 数日間雨が来る予定なので、滝を作れないのが少し残念です。 土曜日から開始されましたが、ちょっと時間がかかりそうです。

銀色の王冠がまた来ました。 ウィリアム・ケイジという宝石関連の仕事をする方が作ってくださいました。 統一マークの中央に5カラットのダイヤモンドを入れたと言うので私も驚きました。
 
今日の聖句はホセア13章14節から16節です。

13:14わたしは彼らを陰府の力から、
あがなうことがあろうか。
彼らを死から、あがなうことがあろうか。
死よ、おまえの災はどこにあるのか。
陰府よ、おまえの滅びはどこにあるのか。
あわれみは、わたしの目から隠されている。
13:15たとい彼は葦のように栄えても、
東風が吹いて来る。
主の風が荒野から吹き起る。
これがためにその源はかれ、その泉はかわく。
それはすべての尊い物の宝庫をかすめ奪う。
13:16サマリヤはその神にそむいたので、
その罪を負い、つるぎに倒れ、
その幼な子は投げ砕かれ、
そのはらめる女は引き裂かれる。

聖書では多くの、人が死ぬことが出てきます。 旧約聖書ではエホバ神様が命令して人を大挙して殺す場面がたくさん出てきます。 それをめぐっていろいろな聖書を批判する人たちは聖書がどれ程、話にもならない残忍な本であるかを話します。 ヒトラーの人種抹殺政策と何が違うのかと言います。 しかし、これは事実ではありません。 大虐殺だと非難を受けるユダヤ人たちのカナン民族の征服はその一例ですが、神様は悪の文化が嫌いなのであって、絶対、人やある人種を憎むことではありません。
その例としてイスラエルのユダヤ人たちが金の子牛をシナイ山で偶像崇拝した時、3千人を殺すことを命じました。 そのような反面、カナンのラハブという女性はユダヤ人たちを助けたためにイエスの血統と連結された女性になりました。 カナンの女性だったのにです。 人種を嫌やがるのではありません。 子供たちを生きたまま祭物として捧げ、フリー・セックスと同性愛で荒廃し、偶像崇拝をするその文化を抹殺されるのです。 私たちが欧州でキリスト教徒がイスラム教らのテロに対抗して戦わなければならないと言う時、私たちに何か中東人を憎んでいるからではありません。 イスラム教徒たちも様々な人種がいます。 黒人、白人中東のアジア人などいろいろな人種がいます。 したがって、ある人種を差別する、そういうことではありません。

私たちは、児童性虐待と性奴隷と強姦の文化とテロの文化を反対しているのです。 このキリスト教徒たちがそのまま手をこまねいてばかりで自分の神様を中心した文化が破壊されることをそのままにして見てはいけません。 自分の妻や娘たちが強姦されるのをただ黙認してはいけません。 歴史的に見れば、キリスト教男性たちがイスラム人と戦った際、(イスラムが先に欧州征服を開始した戦い)いつもキリスト教徒たちが勝ちました。

なぜなら、キリスト教徒たちがした戦争は自分の利益のためでも征服のためでもなく、自分の文化を防御して自分の家族を守るためでした。 ジョージ・ソローはこのインタビューで、自分は大虐殺された人たちについてあまり同情心を感じられない。 自分はそのまま戦争を通じて金を稼ぐだけだと言うインタビューの場面です。

もう毎週、欧州でテロが起きています。 これはイスラムテロです。 主流の偽りのマスコミがこれを隠そうとしているのですが、これは欧州で起きているイスラムテロです。 このようなイスラムの無謀なテロの勢力と向かいあい戦える勢力はキリスト教男性たちしかいません。 天使長政府は戦わないのです。

今回のテロ事件に対し、英国ロンドン警察は、自分たちが8分後に犯人を殺したことが誇りであると話しましたが、7人が死にました。 ロンドン市長はまったく心配する必要がないと言いましたが、どうしてこれが心配しないでいいことですか?
トランプ政府はイギリスにも新たな外交官を送る予定です。 カーンというロンドン市長はロンドンでより多くの警察が配置される予定だから全然心配しないで普通の日常生活をするようにと先週の日曜日にテレビのインタビューで言いました。
 
7人がテロ犯の刀によって死に50人の人たちが怪我をしました。 ところが、全てのことが大丈夫だというのは、ロンドン市民に向けた背信です。 このロンドン市長は、イスラム信者たちを保護擁護することでとても有名です。 欧州政府はまだ自分の市民たちに「避難民たちに向かって大きな心を持て、同情心を持て、宗教差別人種差別的な考えをしてはならない」と述べています。 女性がレイプされて子供たちが強姦されてもそんなことを見なかったように続けてヨーロッパ人に放送をします。 これはまるで取り憑かれた宗教と同じ状態です。
まともな精神ではありません。 このように毎週欧州でテロが起きていますが、それが'イスラムテロ'であるとも話すこともできない欧州の状況です。 イスラムについて少し悪く言えば「君はナチ党か?」と卑下しと「前は人種差別主義者か」と言います。 しかし、イスラムは再度言いますが、いろいろな人種で構成されています。 絶対ある民族を抹殺しようとすることではありません。 これは世界政府の銀行家らの計略です。 多くの難民らを欧州に大挙して流入させてヨーロッパ全体を揺るがして戦争を作り、それを通じてお金をもうけようとする計画です。 フィリピンを見てください。  

フィリピンの大統領が絶対に完璧だと言うのではないのです。 しかし、テロに向けて強く対処する姿勢は正しいのです。 政府はテロを除去できる力があります。 しかし、欧州政府はそのようしていないですね。 そのまま市民たちが強姦され、蹂躙されて権利が剥奪されるのを見ています。 このようなイスラムロンドン市長を支持し賛美するなんて! ロンドン、サディク・カーン市長は絶対、市民たちを保護していません。

ロンドンは大丈夫だ安全だと述べています。 これはでたらめです。 60万の難民をヒラリーは自分が当選すれば、米国に流入させると言いました。 そして、ヒラリーは、自分が当選すれば、銃器の所有を禁止させると言いました。 それではイスラムに蹂躙される米国市民たちを(保護しない)、それでもやられてばかりになっていたのです。 家庭連合を見てください。 同じです。  

今回は私たちが銃器を持っている写真を、撮ったのを見て大騒ぎをしています。 家庭詐欺連合の支配層は、自分は、銃を所有できると言うが、一般市民たちは、危ないから絶対に銃を所有することは出来ないと言っています。

アンドリュー・ウィルソン氏は、20代聖殿女性たちが銃器の所有を自慢する写真をフェイスブックで見て「この恐れを知らないこの子たちをちょっと見なさい。 危険なおもちゃを持って遊んでいる」と言いました。 しかし、これが事実ですか? 違います。 この女性達は車を運転することができ、祝福を受ける年です。 女性たちが自分たちの体を保護できる力を育てることが悪いと言っているんだね。 この女性たちを子供たちと言うこと自体がまさに女性嫌悪主義なのです。

面白ことに最もやせさらばえたベータ男性たちが何と言うか知っていますか? 「女性たちが歴史的に多くさん抑圧蹂躙されたのではなかったのですか?」と言いながら自分たちが哀れな女性の立場を代弁しているふりをします。
しかし、これはベータ男性の戦略です。 自分たちは絶対女性を会ってセックスの機会がないので、そう自分を偽装してセックスの機会を作ろうとしているベータ男性なのです。 歴史的に男性が女性らを抑圧したんですって? すべての男性が本当に全ての女性を抑圧したというのが事実ですか?
違います。 良い真実な神様を愛するキリスト教の男性たちも多いのです。 また、邪悪な女性たちも歴史的に多かったという事実を忘れてはいけます。 男性が歴史的に女性を抑圧したという言葉はフェミニストたちが女性たちが自分を犠牲者で見るようにするためのフェミニズムの戦略なのです。
この女の子は、打ち上げ前までの引き金に手を入れないですね。
父親と銃を撃って見たことのある女の子のようです。 毎日毎日頑張って家族のために仕事をする男性です。 そして娘を愛します。 このような正直でよい男性たちは世の中にたくさいます。 娘の安全を本当に考えるお父さんです。 楽しかったと娘が最後に言葉をしますね。 本当にかわいいです。

配管修理すれば女性たちは額をしかめます。 そして一般社会にもあまり良い待遇をされません。 しかし、米国の市場の自由競争時代の時は配管修理工はお金をたくさん儲ける職業です。

私に錦鯉を売ってくれた配管修理工のおじいさんは良い家と車2台、50匹の高い鯉、竹林、水泳場を所有していました。 リラックスして良い人生を生きていました。 自由市場経済は、まさにそのようなことです。 多くの国は自分たちが市場経済と言うが、政府の干渉と規制があまりにも多く半社会主義です。 半分は社会主義です。 本当に市場経済が活発の時はお互いに賦役をしてお互いのサービスを交わすのでこのような汗を流しながら熱心に働いている方々が苦労が自分の富にすぐに結びつきます。 本当に自分の袖をまくって汗を流していることに補償を受けるのです。

世の中はハーバード、イェールの卒業者たちを称賛して彼らが作る政策の奴隷になることを看過しますが、天一国ではその反対です。 文明の基盤を作ったこのような大変な肉体労働をする男性たちが補償を受ける国です。 そしてこのような大変な肉体労働をする人たちの90%以上は、男性です。 炭鉱で石炭を掘ってオイルを掘って地に入って配管を作ってこのような人達が価値を認められ補償を受ける国です。
ピエールさんが送った記事ですが。 真のお父様からニクソン大統領が褒められる内容です。 私も民主党に洗脳された時は、ニクソンが悪いと思っていました。 真のお父様お話の中からです。 「共産主義が兵器を生産して武術で自分の体を鍛えるが、我々はそのまま黙っていなければならないのか。 私たちも兵器工場を作って共産党と戦わなければならないのではないか?」
  

家庭詐欺連合は常に真のお父様から兵器を作ろうとしていたことを隠そうとします。 ある人は真のお父様が韓国で空気銃を作られたのは韓国がその時、独裁政治であったためだと言う人々があります。 しかし、真のお父様はこの言葉を米国でしています。 そして銃を作ることを米国でもドイツでもしました。
自由民主主義の国であるにも関わらずです。 真のお父様から兵器を作ろうと思ってたことを否定できません。
真のお父様は他のこれを攻撃するためにそうされたのではありません。 善良な人々を保護するためでした。

私が真のお父様に侍った時に、本当にリーダーたちとの霊的戦いを毎日毎日しなければなりませんでした。利益団体になったリーダーたちは機会あるごとにどのように自分のプロジェクトを真のお父様に話をして資金を受け取るのかだけを思案していました。

そして自分だけを直接働くのではなく、郭派 黄派 梁派など自分たちの人たちを真のお父様の周辺に敷いて、私がいない時に入り込んでいって日本食口の献金をせしめようとしたのです。 本当に愚かな人たちです。

ロバートソンさん:
私は実はこのテロが起きるとき、ロンドンにいました。 娘に会いに行こうと思いました。

二代王:
7人が死亡し、48人が重傷を負いました。 そしてその中で21人は重体だと言います。
ロバートソンさん:
8分で対処したとロンドン警察は誇りに思っています。 市民たちはガラス瓶を割って椅子を持って自分達を保護しようとしました。 英国は銃の所持が最も高い規制が強い国の中の一つです。

二代王:
奴隷の定義が何か知っていますか? 自分の土地を所有できない、銃器を所有できないのです。
ロバートソンさん:
はい、全面的に同意します。 すべての人たちが銃器の所有の自由がなければならないと考えます。 欧州南部がイスラム信者たちに占領された時、イスラム教徒は武器を持って武器がないヨーロッパ人を抑圧し搾取する方法を書きました。
二代王:
また、イスラムを擁護する人にその自国の国のある人を迎え入れてその人がイスラム支持の発言を強くさせて大騒ぎさせます。 絶対に最初はイスラム教、中東人を使いません。 フランスではフランス人がイスラムを擁護させ、英国では英国人がイスラムを擁護するようにさせます。 そうして、最初の拒否感を抑えようとします。

ロバートソンさん:
フランスと英国では、中国人も移民3世が、またイスラム過激派として迎え入れられ、変質しているのも大きな問題です。

二代王:
欧州はイスラムから千回以上も歴史的に侵略を受けました。 国連や欧州連合などは、欧州の民族をとても愛してなのか、もっと多くの難民を受け入れると言います。 このテロは英国の選挙戦でおきました。 これは、フランスの選挙戦でも起きたことです。 しかし結局は、これは、国が亡びる道です。
テロで恐怖を与えてテロをする我々グループを包容すれば、イスラムを支持するリーダーを支持するならお前たちは保護を受けると言います。  
真のお父様はトルコでイスラム教の預言者マホメットは悪魔や魔者(魔師)を使っているとおっしゃいました。 公式のスピーチで言いましたね。 しかし、その話は通訳されませんでした。
イスラム教人は常に自分たちが10%しかならない時は「私たちは平和の宗教である」と言います。 そして継続されるテロを通じてこの地域の人たちを追い払って自分たちが50%が越えると、自分たちが望む地域に大挙して移ります。 そして、武力でそこを占領します。 そして本性を現していきます。
今回、テレサ・メイ英首相は「もはや私たちはこのような英国内でのテロを黙って見られない」と公開発言をしました。
イスラムの征服は絶対に道徳的優位にある防御的戦争でありません。 イスラムの征服は自分の利益のためです。 見てください。ヘブライ人らがカナンを征服した時、絶対に略奪をしてはならないと言いました。 家畜を持ってきたサウル王はサムエル預言者に大きな非難を受けて否定されました。 したがって、イスラムの征服とは異なります。

二代王:
ロバートソン氏との連結が途切れた時、私たちが討論した内容がありました。
それはイスラム信者たちがどのように国を占領するかという内容です。

(メッカ占領の過程)
1.私たちは平和の宗教だ、あなたはあなたの宗教信じて私は私の宗教を信じます。 (と安心させる。)
2.勢力を拡大してメデイナに避難しそしてその都市(メッカ)を掌握して力を育てる。
3.メッカにまた行ってユダヤ人たち800人の首を切ってメッカ占領
ロバートソンさん:
家庭詐欺連合ではこの事実について全く無知であるのが息苦しいです。超宗教、超宗教と言いながらすべての信仰を抱くべきだ、真の愛をしなければならないと言います。

二代王:
家庭詐欺連合ではどうしてこんなに世界政府と国連、欧州連合が言うこととまったく同じ言葉を言うのか分かりません。 家庭詐欺連合では、キリスト教男性と地球温暖化が世界に脅威を与えると言います。  
英国ではシャリア・イスラム法をロンドンから実現させようとします。 しかし、英国人たちがこれに対して無知だそうです。 テレサ・メイ首相がこれ以上我慢することができないと言っておいきながら、選挙が近づいてきたらまた自分の前の発言を隠して保守党に票をもっと増やそうとイスラム包容を政策的に言っているのです。 本当に信じられない政治屋たちです。

二代王:
なぜ英国人たちは、このようなひとつの口で二つのことを言う政治屋を無くさないのですか?
ロバートソンさん:
実際にはイギリス市民が少しずつ目覚めているのは事実です。 しかし、ちょっと遅いのも事実です。

二代王:、テレサ・メイは、最初はブラッグシートに反対していましたが、今は賛成するそうです。 これ何ですか?

ロバートソンさん:
欧州連合が欧州連合を離れば、報復するいうのが問題のようです。 経済報復だけでなく軍事報復まで行うというのは大きな問題です。

二代王:
これは国際社会の横暴です。

ロバートソンさん:
私が今度にフランスに行った時、何人かの人たちはマクロンが本当に悪い人ということを知っているフランス人もいることを知りました。 今回ル・ペンが私の考えではちょっと弱腰で戦った、と思います。 なぜならイギリスの影響が強いフランス西部人の心に勝てないと結局は選挙で勝つことができません。

二代王:
トランプ大統領は今回の7つの国(イスラム・テロ疑惑国)の旅行禁止法について、再度強く執行することを促しました。 今回のテロ事件をめぐり、私たちは我が国の自国民を保護する義務があると言いました。 そしてもし米国でこのようなテロが起きたら私は最後まで追及して根を引き抜くと言いました。
このようなテロがあるたびに、中央政府がやっているのはさらに中央集権化をするのです。 テレサ・メイは、このようなテロが起きないようにインターネット規制検閲をもっと強化すると言いました。 これが中央政府の解決法です。 メイ首相はテロリズムをこれ以上我慢できないと述べ、さらに英国人に対する規制検閲をするだろうと言います。 これは何ですか? これは話になりません。
米国には、連続殺人犯であるジェフリー・ダーマーという人がいました。 日常生活で会った時には本当に柔らかくておとなしい人でしたが、実際には後ろで幼い少年を捕まえて殺した後暴行し、ばらばらにして食べたのです。 実存する羊の仮面をかぶったオオカミだった。

我々はそれが可能であるとは信じられません。 私たちは一般人だからそんな人たちが存在すると信じられません。
しかし、このような羊の皮をかぶったオオカミたちはいつでもどこでも存在しました。
聖書では私たちは、肉の戦いではなく、霊の戦いを行うと言います。 サタンがこの土地の所有者になったということを言います。 これは神様を信じる聖書を読むキリスト教らには変なことではないのです。 邪悪なこれらについて現実的な観点を持っています。

銃を持っているこのペンシルベニアパイクでテロをしようとしとしましょう。刀を持ってテロをしようとしたとみましょう。
そのテロ犯は1分で銃に撃たれて処断されたはずです。 7人が死亡し、50人余りの負傷者がでることはなかったはずです。

ヨーロッパの人々から銃を奪ってイスラム教の難民らを欧州にもっとたくさん流入させてこれが誤りだという人たちが人種差別主義者でありナチスだと言うのは現実は逆に話しているということをいつになったらヨーロッパ人たちは気づくのでしょうか! 事実は、イスラム教徒は弱いのです。
そして内部でも分裂も多いのです。 反イスラムのスピーチをする人々はいつも命を、イスラムから命を脅かされます。 しかし、本当に「そうか私を殺しに来ると、私が何時何分に公開スピーチがあるので(そのとき)来て、殺したければ殺せ」と言えば直接来て(殺すことは)できません。 米国は銃の所持があるために自分たちの命が脅かされると思えばむしろこのような度胸には竦むのです。
ロバートソンさん:
イギリスと他の欧州や他の点は、英国は島国になっているため、欧州よりはもう少し安全です。 また、ヨーロッパには今自由運動が少し吹いています。 難民たちは、シリアだけからくるのではありません。 リビア、エチオピアなど、様々なアフリカの国から来ています。


ポール・ワトソンさんのビデオです。 これを見るとこの人たちは難民たちではないのです。 金を払って南部ヨーロッパに来る人たちです。
彼らはGPSでついて行ってみたところタクシーサービスのように金を受け取って欧州共同体と国連と組んで、難民を受け入れる商売をしているのです。 GPS人工衛星でこれらの船舶の動線を見ると、難民として漂流する形跡は全くありません。 そのままタクシーサービスのようにヨーロッパに難民たちが運ばれています。 難民たちが・・・これは欧州連合と国連の横暴です。
難民たちがまるで自分の命をかけて亡命するように装っていますが、今のビデオを見たらこれは事実ではありません。


パレルモ、イタリアの南部地域は難民たちが完全に掌握しました。これ以上イタリア国と見ることはできないです。 パリ内でもイスラム教徒に掌握され入ることができないところがだんだん生じています。

フランスのあるカフェです。 男性たちでいっぱいて潜入取材の女性がカフェに入ろうとしますが出入りが禁止されます。
欧州の左派のアンカー(司会者・案内人)はむしろアイシスのテロ犯らを擁護する発言をします。 この地域の個人の土地所有は政府から強制的に剥奪され、難民たちに与えられました。
これは経済的にもっといい人生を生きたいた経済的な移民です。 ところが、欧州連合はこの人たちを難民であると包容的で人道的な姿勢を取るべきだと福祉を与えて住むところを与えています。 これは狂った政策です。
ロビンソンさん:
私の個人的な願いはトランプ大統領がアイシステロに対する強力な対策のよい例を示すことを望みます。
二代王:同意します。 そして大学内でサウジアラビアや中東の資金を受けることを禁止しなければならないと思います。
二代王:
サウジアラビアにこの難民たちを受け入れさせることがより適している取り組みであると考えます。

ロビンソンさん:
私たちが最善を尽くして一生懸命支えましたが、フランスの大統領選挙でマリーヌ・ル・ペンシが勝てなかったことが本当に残念です。

二代王:
今日、ともにしてくださったロビンソン氏に感謝します。 私たちも欧州の名誉な男性らが勇敢に立ち向かって戦うことを祈ります。 今が混乱の時期であっても神様の王国は、この地に必ず実現すると信じます。


*参考ニュース:リンク先をご覧下さい。

CNNが、ロンドンでのイスラム教徒の反テロ抗議運動を支援したという告発を否定したが、彼らの言い訳は詳細な調査において説得力がない。





翻訳編集:ファンクラブ

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2017年6月4日日曜日

名誉の王国 Kingdom Honor英語説教:2017年6月4日<全文>

名誉の王国 Kingdom Honor

英語説教:2017年6月4日<全文>

パンザーとウィリアムズに拍手を送りましょう。彼らはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに招待されており、そこでもまた討論をすることになっています。ヨーロッパのサンクチュアリからもそこに参加できるでしょう。

家庭詐欺連合が彼らの信仰をそこで弁護するというのは良いことです。それが自分の立場であり、お父様のみ言を聞いており、それでお父様の後継者、相続者を認めないというのなら自分の神学を弁護すれば良いのです。彼らが弁護しようとすればするほど、彼らがその遺産を継続しているという創始者とは全く一致しないということがもっと明らかにされるのです。

この討論は素晴らしいことです。これによって真実がもっと明らかになるだけです。ケリーとリチャードについても、彼らはとても謙虚です。真実というのは簡単なのです。真実を語れば真実それ自体が語るのです。人々は何が本当に起きているかを理解します

リチャードとケリー、ありがとう。次の討論もうまく行くことを祈ります。スイスの平和警察、平和軍会議も良いことです。世界で初めてのことだろうと思います。50口径ベオウルフ仕様のAR-15の写真を彼らは気に入るだろうと私が言ったのです。全体の話し合いで、スイスで会議を行うのが良いということになりました。

私達が主権と天一国の第2の権利を喜ぶ理由は何でしょうか。それを説明して示すのです。それは非常に刺激的な会議です。日程が決まればそれについて詳しい情報を出します。もしかしたら何人かが学術チームと一緒にスイスに旅行するかもしれません。旅行には良い口実かも知れませんね。

今日の説教に入りましょう。「名誉の王国」です。テサロニケ人への第一の手紙第2章6節からです。

6:また、わたしたちは、キリストの使徒として重んじられることができたのであるが、あなたがたからにもせよ、ほかの人々からにもせよ、人間からの栄誉を求めることはしなかった。7:むしろ、あなたがたの間で、ちょうど母がその子供を育てるように、やさしくふるまった。8:このように、あなたがたを慕わしく思っていたので、ただ神の福音ばかりではなく、自分のいのちまでもあなたがたに与えたいと願ったほどに、あなたがたを愛したのである。9:兄弟たちよ。あなたがたはわたしたちの労苦と努力とを記憶していることであろう。すなわち、あなたがたのだれにも負担をかけまいと思って、日夜はたらきながら、あなたがたに神の福音を宣べ伝えた。10:あなたがたもあかしし、神もあかしして下さるように、わたしたちはあなたがた信者の前で、信心深く、正しく、責められるところがないように、生活をしたのである。11:そして、あなたがたも知っているとおり、父がその子に対してするように、あなたがたのひとりびとりに対して、12:御国とその栄光とに召して下さった神のみこころにかなって歩くようにと、勧め、励まし、また、さとしたのである。

すばらしい聖句ですが、テサロニケの教会に対して述べた、最後の部分に注目しましょう。

「あなたがたもあかしし、神もあかしして下さるように、わたしたちはあなたがた信者の前で、信心深く、正しく、責められるところがないように」

彼はパウロと一緒に福音を述べ伝えていた他の使徒のことについて話しています。

「そして、あなたがたも知っているとおり、父がその子に対してするように、あなたがたのひとりびとりに対して、御国とその栄光とに召して下さった神のみこころにかなって歩くようにと、勧め、励まし、また、さとしたのである」

福音を説くと・・・パウロがここで例を挙げているように、父親が子供に神の目から見てもっと良くなるように、もっと強い人になるようにと勧め、励まし、またさとすのと同じように・・・福音を教える者も・・・。

人は誰も完璧でありませんが、キリストに似るために努力しなければならないということです。それは子を持つすべての父親と同じなのです。完璧でなくても最良の父となるよう、幼い子供にとっての最良の手本となるように努力しているということなのです。

それは王国において非常に重要なことでもあります。なぜなら私達は世代間の王朝と王権のことを話しているからです。次の世代のことに目を向けるとこれが非常に重要になるのです。子供の中で誰が王国の福音と一致していくのか。誰がそれを支えていくだけの信頼に足るのか。あなたが戦ってきた国にとって。

社会主義者のように平等に分配するというのではありません。気分良くさせれば良いということではないのです。誰が王の王と天一国の王国に仕えて、親としてのあなたの願いを尊重し続けるのか。それが重要です。主権としてそのような役割を持つことを理解しなければなりません。居心地が悪くてもやらなければならないことがあるのです。自分の血統に王朝が作られていくのです。私たちが完璧だからではなく、神様がその王国と栄光に私達が入るように呼ばれたので私達は特別なグループだというのです。

主権には責任が伴います。そして皆さんが氏族の王冠を準備して王の王と王権と共に立ち、神様の王国、天一国が来るのです。

そのとき皆さんは賢く決断しなければなりません。なぜならそれは自分の氏族圏の王と王妃としての、自由と責任による自分の治世だからです。自分の子供について感情的に考えてはいけません。もちろん子供たちを平等に愛するのですが、1人が、あるいはもしかしたらカインとアベルが準備されなければなりません。それは文明と使命を尊重するということであり、あなたはそのために命がけで追及し戦っています。自分の王国の王朝を無駄にしてはいけません。もしそれを間違った子供に渡してしまえば滅んでしまいます。

ですからそれは主権にとって非常に重要な責任の分野なのです。王権のための責任の分野です。そのようなことを考えていなかったのは、皆さんが僕(しもべ)によって、天使長によって訓練されてきたからなのです。奴隷意識の中で訓練されてきました。皆さんは王国の意識を持たなければなりません。王冠は単に象徴的なものだけではありません。全く新しい領域に入るということです。

世代間にまたがる展望です。王国を維持し守るべく、義務と責任として持たなければなりません。自分の感情が問題ではありません。神様が任命し選ばれ、最後の時にご自身にもたらされた王朝を守るのが、主権としての義務なのです。サタンから分立されたものです。

これらの王朝は自分のものというだけでなく神様の王国の一部であるので、勝手に扱うことはできませんし、与えられた責任を勝手に考えることはできません。私たちが王権と王国の意識を育てていくことが非常に重要なことです。これは明白なのです。

同様に皆さんが子供を育てると・・・。子供たちは完璧ではないということを理解しなければなりません。私達は賢くはっきりと本質を見通さなければなりません。その子供は言われたことをすべてやっているかもしれませんが、私の使命や目的に対して本当に心を込めていないかもしれません。彼は点数稼ぎをするためにやっているかもしれないのです。そのようないんちきを見抜かなければなりません。

彼があれとこれをやったからと言って報酬を与えることはできないのです。その心情、性格、その子供の本質を見つめなければなりません。その子供は本当にあなたのために生きているのか。あなたが命を懸けて戦っているビジョンのために戦っているのか。単に子供があなたをどのように扱うかとかいった表面だけを見てはいけないのです。子供の深いところまで見なければなりません。親として子供を審判できなければならないのです。それは非常に難しいことです。主権として子供が自分の相続者としてふさわしいかどうか審判しなければなりません。

そのような観点から、それを受ける人はそれが世界で最も良いことだとは思わないのです。なぜならそこには非常に大きな責任が伴うからなのです。國進兄さんはそれを黄金の檻と呼んでいます。あなたが両親からその王朝としてすべてを相続すると、同時に自分のために生きることはできなくなるというのです。自分自身の夢を追い求めることはできません。選ばれなかった兄弟は実際自分の夢を追い求めることができます。自分で作る自分自身の王朝を追求することはできるかもしれません。しかし、選ばれた者はそのような願望を捨てなければなりません。親のために、王朝のために自分自身の願望を捨てる者にならなければならないのです。

未来を熟慮し見つめる場合に求めるべき特別な質があります。最後の時にお父様に選ばれて立ち上がった14万4千のすべての人々は、自分の王朝をずっと王の王の血統とつながって存続させることが重要です。私達はこれらのことを未来に向けて考えなければなりません。今の世代のことだけで子供を見ることはできません。彼らはやがて成長し信頼に足るようになり、次の世代を育て、やがては天一国の王国を追い求めてそれに責任を持つようになります。

ここに座っている子供たちは、「何てことだ。彼は私達を裁くことについて話している」というように思っているかもしれません。ええ、そうです。それが現実の世界です。そしてあなたの性質、性格によって選ばれることになるのです。必ずしも私の後継者になることは世界で最高の仕事というわけではありません。あなたは自分の王朝と王国のために生きなければなりません。あまり自分のために生きることはできないのです。そのように犠牲になる者とならなければなりません。

ですからこれらは皆さんすべてが自分の未来を見つめて良く考えるべきことなのです。王権の意識というのは将来を展望する捉え方であり、一時的に誰かを喜ばせて、自分の子供を心地良くさせて生きることはできないのです。子供たちはとても人を騙すようになり得ます。彼らはあなたから利益を得るためにあなたを騙して、面と向かって嘘をつくことができます。そのようなことを見抜くことができなければなりません。

そしてあなたは、彼らが悪気は無くてもときどき自分で知らずにそうしていることを悟るのです。なぜなら彼らは十分に思慮深くないかもしれないからです。しかし、私達は親として誰が立ち上がるのか、誰が王朝をこれから何世代も継続させるのか見定めることができなければなりません。

孔子の一族で何が起きたか話したことがあると思います。彼らは没落しました。何世代だったかちょっと思い出せませんが・・・。70だったでしょうか。それで道端で中国の装身具のようなものを売っているのです。その一族は完全に没落しました。何の関係もありません。それは中国の主要な一族だったのです。

そのようなことになってはいけません。そのようになればあなたの失敗です。なぜなら警告を受けたからです。ですから王権について考えるとき、将来の王朝の展望について考えなければなりません。孔子を例として皆さんの家庭がそのようになってはいけないということです。ですから王権の相続においては小さなグループ、1人の相続者か・・・お父様の場合は経済的な基盤を國進兄さんに授け、そしてこの霊的基盤を(私に)与えて・・・それはお父様が、私たちが一緒に働くと分かっておられたからであり、公正であり、お父様のために共に戦う者だと分かっておられたからなのです。

ですからカインとアベルのチームを作ることもできるでしょうが、このようなことを考えなければならないのです。

世界では酷いことがたくさん起きています。ロンドンではテロ攻撃がありました。ヨーロッパでは毎週起きています。7名が殺されました。先週マンチェスターで爆弾テロがあったところです。このようなことは馬鹿げています。彼らは自分の身を守る手段を持っていません。そしてそれは思想的なものでした。全体主義、共産主義の左翼はイスラム過激派と手を組んでいるのです。これらの国を不安定にして全体主義を正当化するというのです。

しかしこれらは皆、あらゆる異なる思想とキリスト教を基盤とした道徳との間の1つの境界線にたどり着きます。そしてそれがキリストの唯一性なのです。キリストの唯一性から離れると、多文化主義、相対主義になります。ヨーロッパは新しい宗教を完全に受け入れました。その結果としてこのような悪魔のフランケンシュタインが出てきて彼らを殺しています。

そしてもう逃れることができません。ヨーロッパが崩壊しつつあることを否定できません。今や誰もそれを否定できないのです。まったくばかげたことです。

これは昨夜のニュースです。ジハーディストが「これはアッラーのためだ」と叫んでいましたがイスラム教徒は関係ないことだと言っています。イギリスの首相が出てきて「これはイスラムとは関係ありません」などと言うでしょう。黙りなさい。私たちがどれだけばかだと考えているのでしょうか。 その男たちは「これはアッラーのためだ」と言っていたのです。

彼らの預言者は800人のユダヤ人の首を切りました。(皮肉を込めて)そこには何かつながりがあります。もう沢山です。

「5カ所でナイフの狂乱」とあります。銃を禁止したのでナイフを使おうというのです。ナイフを禁止すれば石を使います。石を禁止すれば車を使います。キリがありません。悪を規制することはできないのです。

そうではなく善人に力を与えれば悪人が何かやりたくてもためらうか、やったとしても打たれるのです。ですからスイスのジュネーブでアベルUN平和警察平和市民軍会議を開くことが重要なのです。それで國進兄さんが言うように、スイスの軍の士官学校でできればもっと良いでしょう。他のヨーロッパの国よりもスイスのモデルが天一国に近いです。

さてこのように毎週のように(テロが)起きており、ヨーロッパはもう無くなりました。彼らは多文化主義に自分を売ったのです。満足感を与える新異教徒思想に自分を売りました。人の感情を害さないようにしたら今度は人の感情など気にしない人たちが来ました。キリスト教文化もイスラム教文化もすべて同じだと言って。私たちが優しくしてあげれば彼らも優しくしてくれるのだと。残念なことにそのようにはなりません。これが現実です。

罪のない人がこのばかげた思想のために死ななければなりません。何度も何度も繰り返し間違っていると証明されてきました。間違った思想であり、少なくとも酷い文明です。普通の人々にとっては恐ろしい現実です。ロンドンの人々は、外出するときもしかしたらジハード攻撃があるかもしれないと考えずにいられないでしょう。

そしてヒラリー・クリントンはアメリカをこのようにしたかったというのですから、頭がおかしいのだろうかというのです。彼らは銃を、年を取った未亡人の自己防衛の手段を取り上げようとしていたのです。武器を取り去って自分たちの全体主義国家を正当化できるというわけです。

これが、善なる神様と宇宙の創造主の唯一性から離れた思想の政治的な結果です。完全に分かれています。

本当に2つの道があるのです。イエス様は、私が道であり真理であり命であると言われました。2つの道です。キリストかそうでないかのどちらかです。キリストではない場合に様々なレベルの違いや重要性の程度がありますが、それらはすべて悪魔崇拝につながるのです。様々な形態で弱いものも強いものもあるでしょうが、同じ悪魔崇拝の範囲にあります。

仏教に見られるようなより無害な形態かどうかに限らず、ヒンズー教、瞑想、非二元、悟りなど、このようなものはすべて、善と悪は自分の外側のものであって、自分の内面によって善悪を判断できるのだとしています。

そのような異教では、本当の悪などというものは無く、すべて自分の内面のことだと言います。自分はそれに対して偏った判断を避けるようになれないといけないだけであり、それを超越するのだと。すると世の中で本当の悪が現れることは 無くなるのだと。このような話を新しい異教でよく聞きます。ヨガコミュニティや何かで。ひどく貧弱な思想だと言えます。

ステファン・モレニューが、ある動画で新興宗教のヨガの女性を完全に分解して粉砕しています。彼女は回答することもできずに何も言えませんでした。

重要なのは、このようなことはすべて自分で自分の道徳を作ることができ、自分の世界を作ることができるという思想に結びつくということです。そのようなことはできません。現実も道徳もあなたの外側にあるのです。自分自身の道徳を発明することはできないのです。それはヒトラーが信じていたことです。それらは必ず地獄を作り出すのです。

私たちに与えられ、自分の良心で感じることができる道徳というものは、神様の性質から来るものなのです。神様の性質が私たちの道徳を決定します。神様の性質として神様は嘘つきではありません。ですから私たちは嘘をついたときに良心の痛みを感じるのです。なぜなら神様の性質には嘘つきというものがないからです。

また何か盗んだときにそれが間違っていると分かるのは、神様の創造主としての性質が泥棒ではないからです。

道徳は私たちが決定することではないという意味で私たちの外側にあるものです。私たちが自分をそれに合わせなければなりません。ですからキリストと共なる道を選ばない人々はみな、本当にそれに反対しています。彼らは宇宙や神様を自分たちに傾けたいと思っています。それがまさに偶像崇拝と自己崇拝の形態です。

あなたはそこで特別な技術を使って瞑想し、内なるチャクラと全宇宙が自分の心の中を・・・というようなことです。それでも雨には打たれます。タープを持ってきたほうが良いですね(笑)。

ですからお父様はとても自然を愛されたのです。なぜなら自然はあなたが自然を傾けられると考えているかどうかなど気にしていないからです。ただあなたに雨を降らせるだけです。そして風を変えてあなたは風邪を引きます。あなたは病院に行かないと、と言うでしょう。非常用の毛布がすぐに必要だと。あなたは自然環境に順応しなければなりません。さもなければ死んでしまいます。

私たちが現実を決定するのではありません。私たちが道徳を決めるのではありません。道徳は創造主から来ます。

哲学では存在論的な議論をします、その仮定は、神様は考えられるあらゆる宇宙の中で最大限に偉大な存在だとされます。ですから善のような肯定的なものとして、考えられるあらゆる宇宙の中で最大限に善であり、考えられるあらゆる宇宙の中で最大限に高潔であり、最大限に正当であるということです。

そのようなことから成る議論は存在論的な議論と呼ばれます。それは少し複雑ですがオンラインでもじっくり調べることができます。アルバン・プランティンガという・・・神の存在についての弁証論の議論の1つです。

重要なのはキリストの唯一性があるかどうかということです。それは避けられません。最終的にそれらの道、1つが多くの異なる形式につながって行きますが、本当は同じ結論なのです。そしてキリストにつながります。ですから家庭詐欺連合は非常に不満なのです。なぜなら人間の心には大きく口を開いた穴があるからです。それはキリストによってしか満たされることがありません。お金や権力でも満たすことができないのです。セックスやドラッグでも何でも。その穴はキリストによってしか満たされません。

真の喜び、真のアイデンティティ、真の個性はキリストとの関係において現れます。それと離れてはあり得ません。なぜ人々はそんなに満たされないのだろうかと思うのです。非常に無力だと。引き寄せの法則の本のようなことをやっても、2年後に会ってみると悲惨な状態です。引き寄せの力の本を実践しようが、宇宙を引き寄せてすべての祝福が手に入ると言っていても、その後「どうしたの?」と聞けば、「そうだな。新しい本を買うよ」という結果になるのです。

どのような概念も思想もそれを満たすことはありません。最終的にキリストというのは単なる考えや思想ではありません。お父様が言われたように・・・私たちはイエスの名で祈りません。なぜなら私たちはイエスの名前だけが欲しいのではなく、キリスト自身が欲しいからです。私たちはイエス様自身が欲しいのです。

プロテスタントの宗派で、あるスイス系フランス人の改革者がいます。フランソワ・タレンタイン(Francois Turrentine)という名前です。彼は非常に興味深い議論をしていますのでご紹介したいと思います。キリストを深く理解するということです。

真のクリスチャンのキリストに対する愛がどれだけ豊かなものか十分お分かりでしょう。彼らはキリストがどれだけかけがえの無い、尊い存在か分かっています。キリストなしには私たちには何もありません。それが、私たちがすばらしい神の国を持つか、それとも地獄に変わるかの絶対的な核心です。それはキリストを中心としなければなりません。

これは因果応報と神様の償い、息子であるイエスによる神様の受難についての議論です。私たちの罪を背負い、私たちの悪を負い、イエス様は苦難を受け、残酷で悲惨な死を迎え、それを耐えなければなりませんでした。そして原理で言うところの霊的救いを私たちに与えるのです。

私達はこれを探求すべきなのです。なぜなら霊的救いが原理で否定されているわけではないからです。 クリスチャンは救いを受け、神の家(教会)にいます。なぜなら彼らは霊的救いを受けているからです。

神様の不可欠な性質について興味深いことに、もちろん善とかいろいろある中で、その1つに公正さ、正義というものがあります。神様は高潔で公平です。

誰かが他人の罪の代価を支払うということが本当にできるのだろうかという問題があります。因果応報。その罪を犯していない人を代わりにして、誰か他の人の罪を償わせることができるのでしょうか。

刑法についてのすばらしいくまとめられた調査があります。あなたが法律家であればそれを調査して説明できるでしょう。因果応報についての刑法的、法的な正当化です。

多くの法的な状況があり、アメリカでもまさしくこれが実際の裁判で使われたことがあります。それはまた別の話ですが、そのような研究があります。

この改革者タレンタインは、罪について3つのことを述べています。1つ目は負債です。私たちが神様に負っている負債です。もっと正確には神様の正義に対する負債です。

「私達は神様に道徳的な義務を果たすべき義務がありますが、それを果たしていないので私達は神様に対して負債があります」

私達には完遂していない義務があり、私達は従うことなくそれを果たしていないので、これらの道徳的義務を与えた神様に負債があるのです。神様は私達に命を与えた方なのですから神様に果たすべき義務があるのです。私達は神様に借りがあります。

ですから罪は負債と見なすことができます。私たちが何か行って神様から離れ、神様を傷つけるならば、それは神様に支払うべき負債と見なすことができます。

また罪は、相互反目としても見なされます。ここで重要なのは相互と言う点です。私たちが神様とその戒律に対して反逆しているというだけでなく、神様の聖なる怒り、罪を憎む怒りが私達に対して向けられるということです。真に善であり正義である神様は、罪を憎むのです。なぜなら罪は悪であり、善ではないからです。

ですから神様は罪を拒絶し、非難します。ですから私たちが神様に対する罪の、反逆の人生を選ぶとき、私たちが神様に対して敵対するだけでなく、神様もまた私達に対して、聖なる公正と正義において敵対するのです。ですから私達と神様が相互に反目することになります。

そして3番目に、罪は犯罪であるということです。これが彼と対立したソシナスとの違いです。ソシニアンは、現在の教会の中でさえ一般的です。つまりそこでは罪は神様に負っている負債であると信じているのです。またそれは相互に反目していると。しかし、彼らはそれが犯罪だとは信じていません。

タレンタインはそれに対して、それは私たちが神様に対して犯した犯罪でもあるのだと言っているのです。そしてその罰は永遠の死であると。つまりそれは地獄であり、永遠に神様から離れることです。そして私達と、私達を正当に裁くことのできる最高の主権者の間で刑事責任を負わされるということです。

ですから、負債だけではなく、また相互の反目だけでなく、それは犯罪でもあるということなのです。

次に神様と罪に関してタレンタインが説明しています。先程のスライドで見た、私たちの罪が負債であり、相互反目であり、犯罪であるというのと同じように、3つのパターンに分けてそれを説明しています。

1つ目に神様は私たちの負債の債権者であるということです。神様の側から見ると債権者のようなものだということです。

反目については、神様は対立関係にある被害者となります。ただ許しを乞えば許されるというような簡単なものではないということが分かります。これが、神様はどんな罪でも許されると信じるソシニアンとの分かれ目になります。

そして人々は神様の正義を理解することができます。

3番目に私達の罪ということから、神様は最高の裁判官であり主権者であります。その方が何を作られたのでしょうか。法を作られたのです。私たちが従うべき命令です。それは恣意的に神様の頭から出てきたものであり、それらは神様の人としての性質の延長です。

因果応報を1番目と2番目の負債と反目という形でのみ見るならば、神様はすべての罪を許されるだけだと言えます。クリスチャンの中には繁栄の福音を求める人や、ユニテリアン・ユニヴァーサリズム的な人もいます。神様はとにかくすべてを許されるというのです。それは明らかに本当の福音ではありません。ソシニアンの福音です。

あなたが誰かにお金を貸していたとしたらその負債を完全に許してあげることができます。あなたにはその負債を完全に許して上げる力がありますね。それで神様が単に債権者だとすれば神様はその負債を許してあげることができるのです。

神様が相互反目していて被害者であるなら、神様はあなたを訴えないことを選択することができます。

しかし、あなたが犯罪を犯して神様が裁判官であるなら、神様はあなたを罰する義務があるのです。この人を罰したくないと言う選択肢は無いのです。なぜならその法全体を損なうことになってしまうからです。私達は原理と呼んでいます。原理的に行動するということです。神様が原理を作ったので原理的に行動するしかないということです。

ですから私たちの罪も犯罪であると理解すれば、神様はただの債権者ではなく、ただ傷つけられた存在なだけでなく、私達を罰しなければならないのだということが分かるのです。そして神様は、それを全く公正に、正しく行うことができます。良い裁判官が大量殺人犯を完全に公正に、正しく罰することができるのと同じように。

ですから私たちの罪の性質とその重大さ理解するなら、大きな罪から小さな罪まで関係なくそれらは私達を神様の性質から引き離すものであり、小さな嘘であっても神様から引き離すことになります。どれだけ自分が完璧だと思っていても、私達は神様の完璧さ、完璧な道徳的性質、完璧な道徳的性格の前では罪があります。

私達の罪は許してもらえる負債や反目だけではなく、犯罪であるのだと理解することが重要です。それは神様が宇宙全体の性質を破壊することなしに、また神様自身がご自分の性質に反対することなしには、簡単に許すことのできないものです。

そういうわけで私達ユニフィケーションは、原理または原理対原理に言及します。神様も原理を裏切り否定することはできません。ですから例えば、アダムとエバを許してあげることはできないのです。何らかのレベルの責任が必要なのです。何らかの蕩減を払わなければなりません。あるレベルの因果応報が、その負債だけも反目だけでなく、犯罪に対して支払われなければならないのです。神様だけが、正義の神様、善なる神様だけが犯罪に対して罰するのです。私たちが理解できるいかなる国であっても、そこで善良な裁判官が行うのとまったく同じことです。

学者が多くの韓国人は土着の信仰を持っていると指摘しているように家庭詐欺連合でも2つの神を信じていますが、今日においてさえ、まだソシニアン的な状態にあります。つまり神様は自分の負債を許して下さり、自分の反目を許してくれるのだと。1つ問題なのが、罪は犯罪でもあるということです。神様は犯罪を単に許すことはできません。あらゆる面で法を損なうことになります。自分自身の性質を損なうのです。すべての創造を損なうのです。罪の性質を犯罪としても理解するなら、そこから逃げるのは簡単ではありません。なぜならあらゆる国が生き残るのに不可欠な法律学と正義の様相全体を追求すれば・・・。

ジェフリー・ダーマー(訳注:17人の青少年を殺害した連続殺人犯)に判事の気まぐれで恩赦を受けさせたいと思いますか。ソシニアンによれば、皆さんは偏狭で憎しみに満ちた悪いクリスチャンということになります。

神様の性質はその法、戒律の源泉です。嘘をつかない、騙さないというのは、神様がそのような方ではないからです。そしてもし神様がご自分の性質から生まれたその法を損なうのであれば、被造世界全体と最終的には自分自身を損なうことになります。それが私たちの言う原理というものです。

ですから私たちが自分の罪、神様から離れることが本当に犯罪だと理解するとき、なぜ神様が愛していると同時に悪を憎まなければならないかが理解できます。

少数の良いクリスチャンと、またダイエットコーラのクリスチャン、つまり軽いキリスト教ということですが、あるいは家庭詐欺連合は、5分だけでも考えてみることをしようとしないのです。神様が債権者で自分が負債を負っており、自分が神様を傷つけたということは問題なく、それはすべて許されます。今度は罪が犯罪であるというとき大きな問題になります。

最後のときに神様が十字架の道で用いなければならない人々がいたのはこのためです。イエス様は十字架の道を歩まなければなりませんでした。もちろんそれは神様の因果応報であり、イエス様が負った罪は、負債だけではなく、反目だけでなく、正義の神として罰しなければならない創造主に対する犯罪でありましたが、それを通して救いが得られるのです。

タレンタインは、神様は負債を免除する債権者の権利を持っていますが、宇宙の最高の統治者と裁判官として、神様は犯罪を見逃すことができないのだと言いました。神様の正義と善なる性質において、犯罪を見逃すことは不可能なのです。正直な裁判官が、誰が犯した犯罪であっても見逃すことができないのと同じことです。

私達は、自分の気に入った人を見逃すような裁判官を腐敗した裁判官と呼ぶのではないでしょうか。神様が宇宙で最高に偉大な存在であるなら、最高に正直で最高に正当でなければなりません。ですからそのように腐敗することはあり得ません。

そしてキリストについては、人間の犯罪を償う贖罪としての3つの役割があります。1番目に、負債に関しては、キリストは私たちの保証であり、負債に対する確かな返済であり、その支払いの保証なのです。誰かがあなたに貸しているとするとあなたは彼らに支払いを準備しますが、それが保証です。確実性が得られるということです。

反目については、キリストは仲裁人となります。裁判官と犯罪を犯した人の間に立ってその過程の仲裁人となります。

そして犯罪については、キリストは犠牲的な死によって犯罪に対する罰を償う司祭であり犠牲者です。

以上のことからキリストは私達の罪の免除と救いに対する3つの関係性を持っているということです。興味深いこと思いませんか。

もっと深く探求すれば、キリストにどれほど価値があるのか、再臨のイエス様がどれほどかけがえないのかが分かります。再臨のイエス様も同じイエス様です。キリストはそれほど重要です。絶対に不可欠なのです。キーホルダーのアクセサリーではありません。


さて、身代わりの償いの問題ですが、神様が何の罪も犯していない無実の人に罪を負わせることは公平なことでしょうか。善なる神様がそのようなことができるというのでしょうか。
あなたが何か罪を犯したら、裁判官が「身代わりの償いをさせることにします」と言って、町を歩いている人を見て「あの人を捕まえて連れてきなさい」、「あなたはこの人の代わりに罪を償いなさい」と言ったとすれば、それを偉い裁判官だと言うでしょうか。それはその裁判官の正当性と道徳的性質を示すのでしょうか。それは奇妙なことです。法律学的に見ても良い裁判官とも良い人とも思えません。
このような身代わり(代理人)が成立するために必要な5つの要素とは何でしょうか。

1番目に、罪が同じ性質で罰せられるために、罪人と代理人に共通の性質がなければなりません。そしてもちろん、動物の生贄では十分でありません。
2番目に、代理人の自由意思による同意が必要とされます。その人は自由意思のボランティアでなければなりません。先程のたとえ話で裁判官が町で誰かを適当に選んで罪を償わせると言う話をしましたが、問題はその人が自発的にやっていないことだということが分かります。裁判官が自分の権限でそうすることを申し付けたとすれば、そのような裁判官は悪でしょうか善でしょうか。他人の権利を侵害しているのですから全くの悪です。彼は正義を司っているのですから、それは悪だと言えるのです。
ですから同じように私達とその罪、犯罪のために身代わりになろうとする人は、そこに自由意思による同意がなければならず、自発的にそうすることを選択していなければならないのです。

3番目に代理人は、正当にそれに甘んじることを決定できる、自分自身の人生に対する力を持っていなければなりません。彼は同意しているだけでなく力を持っていなければなりません。18歳以下であるために代理になるために両親がサインするようなこととは違います。

4番目に代理人は、私達すべての人に由来するすべての罰に耐える力を持っていなければなりません。それはつまり、神人(キリスト)が要求されるということです。普通の人は自分自身の罪の重荷を持っていますのでそれができません。それに加えて私達すべての人の罪の身代わりになろうというのですから、私達によるすべての罰を償うことはできないのです。それは彼が自分の罪も持っているからです。

キリストについて言えば、それはお父様の言う本体であって、神様が地上に現れた本体である方は自分自身の罪の重荷を持っていないのです。これは独生女についてもまったく同じで、韓お母様は、お父様は罪があるが自分は罪が無いと言っており、罪が無いという問題全体が非常に大きいということなのです。なぜならそれが神人を決定し、誰がキリストであるのか否かを決定するからです。

ですから代理人は力を持たなければなりません。それは簡単です。すべての罪の罰を耐えることができるために、罪がないこと、完全に無実であることです。なぜなら彼が私達の罪を、世界中の罪を負っていながら更に自分自身の罪も負うなら、彼はすべての罪による罰に耐えることはできないからです。ですから彼は罪が無い者でなければならず、それで彼はすべての罪を負うことができ、すべての罪に対して正義が下されるようにできるのです。
5番目に代理人は他人にも自分にも満足を与える必要がないように、罪のない人でなければなりません。彼は神様に何の負債も持たない人でなければならず、罪のない人でなければなりません。それは4番目ともつながりがありますが、これで身代わりの償いがある場合に必要な5つの主要な点が分かりました。

神様とイエス様との関係性という観点だけではなく、私達はお父様の価値が分かります。お父様がどのような道を歩まなければならないか理解するとき、それは私たちが蕩減の道と呼んでいるものです。そしてお父様がどのような正義を自分自身にもたらさなければならなかったのか。お父様は罪人や人類と共通の性質を持っておられました。ですからその代理となることができ、そして有罪であるという同じ性質で罰を受けることができました。
お父様は自分で選択しなければならない自由意思による同意をしていました。それは人間の側として選択しなければならなかったのです。イエス様がゲッセマネの園で御心のままになさってくださいと言って選択しなければならなかったのと同じです。この盃を去らせてくださいと求め、自由に、自由な働きとして決定しなければなりませんでした。

これは非常に重要な問題なのです。なぜなら、前のスライドに戻りますが・・・絶対に間違いのないバロメーターと言う話があります。バロメーターというものを知っていますか。それは気圧を教えてくれるものです。絶対に間違いのないバロメーターというものがあったとします。つまりどのような環境であっても、100パーセントの正確さで未来の気圧の予測を示してくれるということです。それは今から1分後、10分後、そして100年後や1万年後の気圧が分かるのです。絶対に間違いのないものです。

ここでの問題は、信仰という点で私たちが神学的運命論と呼ばれるものに陥ってしまうかもしれないということです。それは決定論とはことなるものです。神学的な運命論と言うのは、神様は私が選ぶものを知っていて、私が選ぶものを運命づけているというようなことです。ですからもう最初から終わっているのです。私がやることも分かっているので私は自由意思を持ってはいないということです。それが神学的運命論と呼ばれるものです。

その問題は、この絶対に正確なバロメーターの例を理解していないということです。そのバロメーターは今日も明日も、1000年後も1万年後の気圧も分かりますが、それはそのバロメーターがその気圧を作っているわけではないのです。それがここでの勘違いです。それが私たちの自由な働きの話の良いたとえになっています。それはもちろん身代わりの償いの2番目のポイントです。

自由な働きは、私達がロボットのようにならず、神様と愛を授受するために重要です。それは天一国憲法の根本です。神様が人間に与えた贈り物と言う点で。もちろん神様がその中心です。
しかし、もしあなたが試練を受けた最後のときに立ち上がったことを神様が知っていたら・・・しかし神様はそれが起こるようにしたのでしょうか。神様は知ってはいたのです。しかし、それが起こるようにしたのではありません。

王妃がおいしい寿司をここに持っていて、とてもおなかがすいていたとします。地虫かミールワーム、爬虫類とか・・・いっそミミズのパスタだとしましょう。彼女はその2つの料理から選ぶのですが、私は間違いなく100パーセント、彼女がミミズのスパゲッティではなく寿司を選ぶことを知っています。しかし、私が彼女に寿司を選ぶようにさせたわけではありません。私は彼女のことを良く知っていただけです。少なくともそこで彼女が寿司を選ぶとはっきり分かっていました。

神様は私たちが何をしようとしているか分かっていますが、しかしそれは神様がそれをもたらしたのでしょうか。神様は私たちのことをとてもよく知っておられるので、私たちが何をするか分かるのです。しかし、私たちがそれを行うことを選ばなければならないという意味で、そこには依然として自由の働きがあります。

その様な意味で神様は、予知はできても、ある結果になるように運命づけることはできないのです。前もって知ることはできてもそれをもたらす事はできず、私達は依然として自由な働きを持つのです。これが絶対に間違いのないバロメーターのたとえについて人々が間違うことなのです。彼らは神学的運命という観点からそれを理解しています。そして予知と因果関係の性質を理解していません。神様の予知は物事が起こる原因とはなりません。最終的に私達は選択しなければならず、自由意思が働くのです。代理に対して自由な同意が要求されるということです。

さて成約の時代で天一国の王国についてこれを考えてみましょう。なぜキリストの身代わりの償いの性質には自由な働きがなければならないのか分かるでしょう。それは私たちが救われるために絶対に重要です。キリストの側での自由な働き、そして私たちの側でもそれを受け入れることを決定しなければなりません。

あなたが法廷にいて裁判官がその裁判を検証していると、誰かがその犯罪に対して自分が身代わりになると言います。しかしあなたは、いや、その人に身代わりになって欲しくないと言うことができるのです。それは人々がキリストを拒絶する場合に起こることです。するとあなたはその負債と反目、そして犯罪に対して完全に責任を負うことになるのです。

自由な働きと言う要素は神様とその息子が自由意思を持つという一方通行ではなく、私たちが救われるようにするための自由意思を持たなければならないということなのです。神様や裁判官が、私たちが受け入れると言うか、受け入れないと言うかを知っているかは重要ではありません。それが原因とはなりません。それは運命論ではないのです。神様はそれを知っているだけで、それを引き起こすのではないのです。

すべての状況を天一国の神様の王国に照らしてみると、また終わりの日に起こるすべての状況において、神様はここにいるすべての一族が選択するということは知っておられ、家庭詐欺連合が拒否することを選択すると知っておられましたが、神様がそれをもたらしたのではないということが分かります。そこにはまだ5パーセントの責任分担があるのです。

しかし同様に、神様は私達のことを良く知っておられるので、最終的に私たちが正しいことをすると分かっておられたのです。
そのようにして私達は創造主の美と知識の両方の中にあります。ペテロへの第2の手紙の聖句で「わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい」とあります。3章18節でしょうか。

私達がキリストの中心性を理解するとき、なぜ彼は私達の永遠の生命にとって重要なのでしょうか。完璧な神様、完璧な法廷、完璧な審判の前に全く正当な永遠の罰を避けるために。どれほどキリストの性質と人格とその関係性が中心であるのか。そういうわけですべての神の形に作られた人の心には穴があります。それは他のものでは満たされず、他のものでは代えられません。

タレンタインは次のような考えを提起しています。私達が神様の前に来てキリストを受け入れるときだけではなく、私達がお父様の権威の下に立つときに私達は罪を軽減されているのか、つまり罪が洗い流されているのかというだけでなく、私達には正義、忍耐として知られているものがあり、つまりキリストにますます似ていくということです。

それは通常、神聖化、義認と呼ばれており、罪を赦免することですが、ゼロにするということではありません。神聖化の過程は、いわば神様が債権者として持っている神様の肯定的な信用と肯定的な資産の転嫁です。
それは私達に転嫁されますが、ゼロになるのではなく、肯定的な評価になります。私達の人生にキリストを持てば多くのことが起こるのです。キリストを持たない人々は、この保証のない、仲裁人のない、罰を支払う償いのない、空虚の中に生きています。

毎日このようなことを深く熟考することができ、キリストの唯一性について考えれば考えるほど、もっと多くの喜びが心から自然にわき出て、もっと賛美の歌を歌いたくなります。私は先日キングズ・レポートで歌っていました(笑)。私は聖霊の声がするといつでも歌います。
自然とあなたの心が神様を賛美し神様に感謝しなければなりません。神様への賛美を歌うのです。私達が恵みと知識を深め、その知識・・・それは私達の父の尊さを理解することです。
立ち上がってすべてを救われた神様とキリストに栄光を捧げましょう。アーメン、アージュ。

天聖経を読みます。
天聖経1262(英語版ページ)
私たちにメシヤが必要な理由は、救いを受けるためです。それでは、救いに必要な根本的な基点とは何ですか。それは、神様の愛の接触点へ帰ることです。
翻訳:BAMBOOS


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