ラベル PAサンクチュアリNFL本部教会 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル PAサンクチュアリNFL本部教会 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年9月4日土曜日

’21年9月1日水曜礼拝<全文>直短距離の愛、打たれて勝利する真の愛◆御言:文鮮明師・司会ティム・エルダ本部長

直短距離の愛、打たれて勝利する真の愛

2021年9月1日水曜礼拝<全文>

御言:文鮮明師・司会ティム・エルダ本部長


引き続き、今まで日本語訳されていなかった真のお父様の御言を翻訳しました。

今の米国は、先に左派に打たれに打たれています。しかし真の愛の法則は、先に打たれた者が勝利します。今の米国に通じる重要な御言です。

監修編集タイトル:fanclub

한국 수요얘배 09/01/2021

翻訳minion 監修fanclub

エルダー本部長祈祷


2021年9月1日、天基12年、今日は天基12年天暦7月25日、韓国語礼拝の時間です。

今日は二代王様はテネシー清平の地におられるので、私達がお父様の御言を訓読することで礼拝にかえたいと思います。


--祈祷--


天にまします神なるお父様、感謝申し上げます。今日は天基12年天暦7月25日、私たちは二代王様が立てられた基準に従い水曜韓国語礼拝を捧げる為にこの場所に集まりました。


天のお父様、今、世界の至る所でインターネットを通して参席された多くの食口達、そして全ての参席できなかった食口まで含めて、神様の恩恵が、今この時間にあることを懇切にお願い申し上げます。感謝申し上げます。


私たちは、それぞれがいるところでサタンと戦い、そして私たちの中で身体と心を統一しようと努力しています。そして、私たち家庭を統一し、私たち宗族を統一し、そして国家を統一し、世界を統一し、天宙を統一することができる、その様な群れになるために、今、努力しています。


私たちは大変足らない者たちですが、お父様が常に御言を下さり、愛をくださり、私たちに力を下さることに感謝申し上げます。


神なるお父様、今、二代王様はテネシー州にある米国清平の地におられ、そこで重機械を投入して多くの作業をしておられることを知っております。そこも天候がここのように悪いかも知れませんが、そこにいらっしゃる全ての方が安全に作業できるようにお祈り申し上げます。


天のお父様、感謝申し上げます。今、世界が目眩がする悪い状況ですが、それにもかかわらず神様の摂理が着々と進行しており、そして神の国がこの地に来る、実現する、その日が徐々に近くなることを実感することができるそのような日々です。感謝申し上げます。


今から礼拝を始めますので、終わる時まで神様が全ての進行状況を主管して下さる事を懇切に望み、全ての内容を祝福中心家庭ティム・エルダー、ユ・ノスクの名前でお捧し報告申し上げます。アジュ


--祈祷終了--


皆様ありがとうございます。本来御言を読むときは立って読まなければならないのですが、私たちは肉親の限界を感じる歳なので、後ろにある机に座って読むことを了承ください。では、机に移動します。


では、今日はお父様の御言選集201巻の中からお父様の御言を読むことにします。201巻44ページから始めます。小題目は真の愛は直短距離を通るから始めます。

6:39


御言拝読 マルスム選集201巻44ページ

御言:文鮮明師

真の愛は直短距離を通る


さあ、それでは堕落しなかったらどうなったでしょうか。これを結論付けましょう。堕落しなかったらどうなったでしょうか?真の愛というものは与えて忘れるということです。分かりますか?与えたことをもって、幾ら、幾ら返してもらうということではありません。

堕落した世の中ですが、母の愛にそれが残っています。真の愛は与えて、また与えて、与えて、また与えたいということです。分かりますか?ですから、永遠性が連結されています。分かりますか?神様の原形を描いたらそれで終わるのではなく相対に与えて…(録音がしばらく切れる)


ですから天地創造をする時、神様がどのようにしたのかというと、自分を100パーセント投入しました。例えば、大気がありますね?低気圧中の最高の低気圧になれば、台風が吹きます。分かりますか?低気圧であるほど台風が吹くのです。


そうではないですか?それは何かというと、投入すれば投入するほど自動的に行き渡るということです。循環法度によって自動的に自分を中心にして取り戻してくるというのです。


ですから「私」はじっとしていても発展する、回る、ということです。分かりますか?そのような理屈です。そのため、神様は知恵の王だというのです。


そして真の愛の動く道は直短距離です。分かりますか?思春期の時、愛する人が来るなら道にどんな障害物があったとしても気にしないで走って行きます。

牛のようなものを見てください。雌が雌の臭いを出すようになる時は、雄を見て走って行く時はそこに何があろうとも、落ちようとも、倒れようとも、走っていくのです。真の愛というものは直短距離を通るのです。

 

分かりますか?これは重要な言葉です。私がこの言葉を見つけることができなければ、理論的に整理ができなかったでしょう。重要な言葉です。直短距離!真の愛は最高の直短距離を通るというのです。


神様の愛は垂直を通して来るのです。上におられるから。そうではないですか?

ですから垂直の場所に行けば影がありません。盗む者も無く盗もうとする者もないのです。また、これを誰もが望むので、ここにぴったりと付いたらくっ付いて引き離すことができないのです。神は主体として、子が自分より偉くなることを願う、そのような所望性を持った神様本体が愛するためにその対象として人間をつくったと言う時、人間が望む真の愛と、神様が望む真の愛は、常に相対的です。分かりますか?神様が北に行けば人は南側に行き、神様が東へ行けば・・・、人間は神様に対して相対的です。


常にこのように見る時、人間と神様との関係において理想的結合という事を中心にして見る時、絶対的な愛、為に生きる愛を中心にして見る時、その結ばれた距離は直短を通るのです。ですから、神様が上にいて、人間が下にいるというとき、これは垂直しかありません。一つの垂直です。分かりますか?


垂直は一つしかありません。神様と人間との絶対的な愛は直短距離で連結されるので、この愛だけが絶対的な垂直の場所に立っているのです。


その様な垂直線を中心として垂直が連結されています。垂直という言葉は水平線を前提にするのです。この大きな枠の愛を中心にして動物的な愛は平行的、横的基準の、この位置でその基準を決めるというのです。



それゆえ動物の愛と植物の愛を持って接ぎ木させることはできません。絶対的だと言うのです。


では、神様と人間が垂直につながったら人間をどうしてアダムとエバに分けておいたのかと言うのです。垂直では繁殖できません。分かりますか?垂直には軸しかありません。繁殖がありません。ですから、神様が自分の性相を取って男と女の二人に分けて水平線に、平行線に東と西に分けたのです。東と西が軸を中心にして回るようになる時は360度になるのです。この球形がどれほど面積が広く、どれだけ生産を多く勝利するかわかりません。


このように見ると、天国の民を生産することができる生産工場が地球星です。霊界から人が出てくるのではありません。地球星です。それでは神様の人を生産することができる工場のように作ったのが、私たち人間が住む地球星なのですが、どうしてアダムとエバに分けておいて、堕落するようにして、この様になったのかと言うのです。


神様の縦的な場所には繁殖の場がありません。これを回しておいて・・・、私の身体と心も縦·横と同じです。分かりますか?


真の愛を中心とすれば神様と人間も一つ


このように見ると、成熟した男と女がどこに行って会わなければなりませんか?会う所には、誰を中心にして会うのか。縦的な場所を中心にして会なければなりません。分かりますか?


男女の真の愛も直短距離です。直短距離ですから、それが垂直の前に完全に90角度になる、水平以外にはないという結論が出てきます。これは絶対的です。分かりますか?この人類が、この宇宙が真の愛を探すことを望むのなら、真の愛を持った垂直の前に…直短距離が90角度以外にどこにありますか。そうですね?


東と西の横的につながった女と男も、真の愛を通じて直短に来てぶつかるのです。ぶつかると、どうなるかというと男は大きくなります。男はこのように回って女性はこのように回るのです。軸が回るのです、軸。軸が回り始めたら膨らみます。そうではありませんか?回り始めたら、こんなに長かったものが丸くなるのです。


回ることによって軸が降りてきて中に入ってアダムとエバは一緒になるのです。神様を中心にした軸の愛、垂直的な愛が核になり、相対的東西は沿い従う附体となり球形運動をすることによって、愛を中心にして神様と人間が一つの身体になるのです。 


何を持ってですか?愛だけが一つになるのであって、それ以外には一つになる方法がありません。夫婦は一身だといいますね。


我が東洋哲学の三綱五倫を中心にして見たら、五倫の中では父子、何ですか?父子有親だと言いますね?有親がいいですか、一身がいいですか?


父子有親とは何ですか。血筋が一つになっているのに、愛の根と茎がつながっているのに、父子有親ではなく、父子一身!夫婦一身。その次は何ですか?君臣有義、君臣が有義ですか?君臣一身です。何を持って?愛を持ってそうなので、家庭において愛を中心にして絶対為に生きることができる中心存在が孝子だと言うのです。


国を中心にして見る時も絶対為に生きる愛を持って国のために出て行く時、彼を忠臣と言うのです。


聖人とは何ですか?世界の人類に対して自分の親に孝行をするように、忠臣の道に代わって世界万民のために生きるという人が聖人です、聖人。


その次には、聖者!聖人ではなく聖者、聖者という方がさらにいます。聖者が何かというと、天の法と地の法を中心にして、それを為に生きるだけでなく、天の国の永遠の王権と地上の永遠の王権の法まで知り、その国の為に生きるのはもちろんのこと、国の皇族を中心にして縦的横的基盤を代身して、為に生きようとする人です。そのような人が神様の息子になるのです。分かりますか?


ですから、この道を行くにはその基盤、拠り所をどこから磨かなければならないのかというと、「私」から磨かなければならないのです。「私」が先です。「私」身体、心が神様と一つになる時は、天地が「私」のものになるのです。


それでは堕落しなかったら、どうなったでしょうか。神様の愛、神様の生命、神の血筋…神様にも心と体がありますね?そうではありませんか?神様の身体と心が皆様のように戦いますか?人間はどうして身体と心が戦うのかというのです。


このような問題を中心にして見た時、堕落を否定できません。なぜ戦うようになったのかと言うのです。神様は戦わないのに。

堕落していなかったらどうなっていたのか? 

神様の愛、神の生命、神の血筋、そして私たち人類の真の父母…。チャンプモ、真の父母という言葉が出ます。チャンプモ、真の父母。


統一教会において「真の父母」と言うでしょう?分かりますか?人類始祖がどのように

なるべきかといえば、神様の愛と生命と血統を中心軸にして・・・、真の父母は何ですか?90角度を通る原則的な基準で、直短距離を通るので、90角度を整えるにあたって、真の父母様の愛、真の父母様の生命、真の父母様の血統が合徳(合致)するのです。どこへ来て?中央に来て。分かりますね?


そのため、アダムとエバの結婚式は誰の結婚式ですか?横的な面では私たちの真の父母が行なう結婚式は縦的な面の親となる神様の結婚式です。これは重要な言葉です。歴史に無い言葉です。わかりましたか?どういうことか。これを分からなければ人間の根本を知ることができません。


アダムとエバが横的な真の父母の位置に立てば、アダム、エバとの愛と生命と血筋が何に絡まりますか。愛と絡まるのです。エバにも愛があるでしょう?男性、アダムにも愛があるでしょう?皆様に愛がありますか、ありませんか?あるでしょう?皆様の愛、皆様の生命、皆様の血筋がありますね?妻にも愛がありますね?命がありますね?血筋がありますね?何がこれを全て引っ張るのですか?愛です。愛が主体になる時は、プラスとマイナス全てが爆発させることができるのです。ショートしたら火が出るでしょ?ですから火遊びをするなと言うではないですか、全て。そうではないですか?男女に愛があって生命があって血筋があります。


宗教の道は心と身体を一つにする道


これが全て神様に似なければなりません。神様のようになってこそ、できるのです。こうなると神様と自分が似ているので自動的にプラスとマイナスを合わせて四方に爆発するのです。ショートして電気コードにくっついたものを剥がせますか?こうなった時は神様自身も人間も離すことができないのです。永遠にです。


このようにして縦的父母と横的父母が一つに統一された愛から生まれたら皆さんの心は何かといえば、神様の愛と生命と血肉を100パーセント受け継いだはずです。またそこに、完全な理想的な相対である真の父母の愛と、生命と、血統を完全に受け継ぐのです。


ここには内的な神様と外的な神様が一つになっていると言うのです。神様の心と体が真の愛によって統一されるのと同じように、私たちが真の愛の内的縦的父母、そして横的真の父母と一つになったその基準で生まれた時は、絶対的真の愛圏内にあるので、私たちの心と身体は一つになると言うのです。分かりますか?「はい」


それでは神様は誰ですか?真の愛を中心にした縦的な父です。分かりますか?真の愛?真の愛を中心にした縦的な父が神様です。遠いですか?近いですか?私にかかっています。私の髪の毛があるでしょう?髪の毛が生えるでしょう?ここに愛の要素、生命の要素、血筋の要素がすべて入っています。


それと同じく神様を中心にして神様が根なら「私」は縦隊のように育つのです。つながっているのです。ですから先ほど、主人、師匠、親と言ったのです。


それでは「私」とは何かということです。縦的創造主、真の父母の愛を受け継いで生まれたのが「私」の心ですが、その心は何なのか?「私」にあって、縦的な「私」だと言うのです。分かりますか?縦的な「私」がいるので、その次は横的「私」がいなければなりませんね?


堕落していなければ90角度を中心にして、一体になることができる場所で愛と生命と血筋が中央に入って来て愛で結ばれることによって心と身体が一つになって生まれたはずです。ですから私の体は縦的な私の心に対して横的な「私」だというのです。


そうなれば、内的で縦的な「私」と外的で橫的な「私」は闘争するのではありません。真の愛の相手になるため千年万年和合するのです。神様が主体で「私」は対象の位置にいるので、真の愛を中心にして見る時、神様が永生するのと同じように、また、神様が愛をおいて最も喜んでいらっしゃるので、それと同じように永生と幸せがこの場所にあるのである!「アーメン」


真の愛だけに幸せがあります。真の愛にだけ永生があるのです。神様が死んでいないのに、死ぬことができますか?こんな特権的価値を喪失して、どれだけ悲しいかも知らないで生きる人間たちになったということです。


ようやく今日、統一教会が出てくることによって、これを発表したのです。まさにこのようになりました。私たちのような人はこうです。無理をして大変なところでこのように過労しながら生活していますが、どのように行きますか?今、私の歳が70だと言えば、ある人は40代だと言います。


愛は老いません。分かりますか?愛の心は常に青春です。皆様の中にお歳を召された、70を過ぎた方もここにいらっしゃることでしょう。皆様が昔、思春期の時と今日70年の人生を過ごして、その後である今を見る時、心情的世界の距離が遠いですか?近いですか?常に心の世界は20代ですね?同じです。


このようになった人間を救うには、二つの方法があります。


「体と心が戦っているので、体を強制的に屈服させろ」というのです。修理工場に来て何をするのか。宗教では「身体を引き締めろ、この野郎!こいつ、こやつら!」食べたいだけ食べるなというのです。身体が行く道を拒否するのです。


宗教者の修道というものは食べることを拒否して寝ることを拒否し、その次には色を拒否するのです。3大要素です。食べること、寝ること、その次は貞操です。


堕落とは何ですか。皆そうでしょう?愛が問題になったというのです。


その次は自分の問題、「私の」欲!占領するというのです。これを屈服させなければなりません。体を殴って弱体化させなければなりません。心が勝手に引っ張っていくためには、3年ないし5年間そのように習慣化させなければなりません。それで本然の地に帰ろうというのが一つの道です。


その次は何か?これが大変辛いのです!大変なので常にそのようなことはできません。それですので、特別祈祷期間を中心にして神霊を受けるのです。霊界の体験をすることによって心に数十倍の強力な力を加えると、サタンがついていても問題になりません。思い通りに引っ張ってまわるのです。


このようにして習慣化させて本来の形態に接近させようというのが宗教の道なのです。分かりますか?これは否定する術がありません。


天の作戦は打たれて奪うこと


今日全国に40万文氏の宗族がいるのですが、生きる道ということは他にありません。真の愛だけが永遠な相続権につながるのです。堕落した世の中でも愛の関係を結べば所有主になるでしょう?所有主になるのです。


どんなに士大夫(士族)の娘であっても、僕についていったら、その親も仕方ないのです。(相続権を)渡すことはできません。.


同じです。人間がサタンと貞操関係で結ばれたために、神様も渡すわけにはいきません。追い払うのです。それで愛の属性には所有権があって相続権があるのです。分かりますか?


その次に愛には同居権があります。一緒に暮らします。愛する人と分かれて生きたいですか?一緒に暮らしたいのです。神様が私と愛の関係を結ぶようになれば、神様が一緒に暮らすことを望むのです。文総裁が神様の愛の対象になったら、文総裁がどこに行っても付いて来るなと言っても神様が付いて来るのです。


愛する子供のあとを親が付いて回るでしょう?そうですね?何かがあれば自分が犠牲になっても最後まで保護するというのです。


そのため、統一教会の文先生は打たれて成功します。神様の戦略、戦術は何か?神様は打たれて奪い取るのです。分かりますか?悪魔は負けて渡さなければならないのです。

それで第一次世界大戦も打った側が滅び、第二次世界大戦も打った側が滅び、思想界を中心にして共産主義が世界制覇のために民主世界を打って終わったので、滅亡に入って行ったというのです。分かりますか?


このような観点から見ると、統一教会の文総裁が出来損ないだから反対されたのではありません。

迫害と反対は何ですか。世の中を絶対に否定する方法があります。世の中を否定することがどれだけ大変ですか!ですから世の中が合わさって私を反対するので、否定されるのと同じです。そのような否定される位置に立てるために迫害させるのです。それだけでなくサタン世界の所有権を間接的に回して相続させる方法が迫害される道です。分かりますか?


皆様、正しい席に立って迫害されたと絶対に気を落とすなというのです。そこには天運が共にあります。ですから文総裁は監獄に入って苦労して、全てしましたが、苦労するたびに、監獄に入って出てくるたびに跳躍するのです。分かりますか?


皆様、蕩減復帰をご存知でしょう?歴史は必然的な因果応報の原則に従って報応されるこのような道を通って行くので、善良な位置で迎えることは福を受ける相続権を拡大させるためのものだというのです。


これが正しいのか、正しくないのかと言うのです。古くから聖人たち、あるいは善良な人々がサタン世界に現れては、常に主権者の前で血を流しました。殺されたのです。犠牲になったのです。


孔子のような方も喪家之狗(そうけのいぬ:放浪者)という言葉を聞き、イエスのような方はローマ国の逆賊として追い込まれて死んだのではないですか?しかし、彼らが歴史を通じて、長い期間を通じてどのようにして世界を制覇したかというのです。


その期間が長いほど悪いのではありません。何千年待てば待つほど、打たれて奪う時には、銀行に預金しておいたお金と同じように元金が利子を生んで生んで大きくなるのです。そのようにして世界のすべてを訪ねて来るまで待つのが天の作戦だというのです。


宗族が一つになってこそ民族も一つになる


ですから。再臨する時はサタン世界の所有が戦わなくても自動的に戻ってくるというのです。それが第二次世界大戦直後のキリスト教文明圏が中心となった、世界統一圏時代だったというのです。


しかし、米国とキリスト教が間違うことによって、43年後にそれが戻ってきて、今日その形態が世界的に再び形成されるのです。


今や中心が米国ではありません。イギリスのエバ国家、アメリカがアベル国家、フランスが天使長国家なのですが、母が息子を抱いて訪ねて来るのです。そのように失ったものをそのように探したので、その次は父を探してくるのです。アダム国を訪ねて来るのです。アダム国は来られる再臨主の国ですが、韓半島です。


なぜ韓半島なのか。これはイタリア半島と同じです。旧約時代に法王庁を中心にして失われ始めたものを蕩減復帰しなければなりません。イタリア半島を中心にして失われたものを、西洋で失われたものを、東洋で見つけなければならないので、半島になる韓半島が世界的な問題になるのです。死亡と生命の境界線です。


南北が共産主義と民主主義に分かれて、北には金日成(キム·イルソン)主席がいて、南には文総裁がいて、すべてこうなるのです。金日成を親と言うでしょう?そうでしょう?金日成は悪魔の親です。韓国でも文総裁を親と言いますね。真の父母だと。そうではないですか?


誰がこれを解放するのか。大統領にはできません。私の手にかかっているのです。堕落する前に神様、アダムとエバ、三天使長が一つになり、入って行かなければならないのに、これを堕落によって植えたので、これを収めて清算しなければならないので、アダム国家である韓国、エバ国家である日本・・・、エバが堕落することによってすべての万物を引っ張って、サタンに行ったのだから帰ってくる時はエバを通じてまた戻って来なければなりません。


エバは島国です、島国。イギリスと日本は島国ではないですか。日本は西洋のすべての文明を盗んできたのです。全て模倣して、奪って行って経済の王国になったのです。経済の王国が何かというと、裸のエバです。

そこに誰がいるのかといえば、アダム格で来られる再臨主と三天使長がいるのです。アメリカの天使長、これはキリスト教のアベル圏です。


その次にはアジアの天使長である中国と悪魔の天使長であるソ連共産主義があります。この三人の男とアダムが日本を欲しがるのです。中国も日本、米国も日本、ソ連も日本、韓国のレバレント・ムーンも日本を望んでいます。


それでは誰がこれを先に占領するかということが問題なので、一昨年レバレント・ムーンが何をしたのかということですが、日本と韓国の二世2500人を追い込んで交差結婚をさせてしまいました。


それを、どうしてそうしたのか分かりますか?エバを「あなたたち天使長たちが奪うことはできない」という事です。天使長、お前たちはアダムとエバのためにあるのだ、ということです。これをしっかり結んでおけば、その次はソ連も滅び、全部崩れるのです。分かりますか?


ですから、今、文総裁を中心にして日本が一つになることができる環境的条件がぴったり合うのです。日本のお金を他のところに使ってはいけません。韓国の為に使わなければなりません。それはそうなっています。


ですから、日本統一教会の食口たちはそれを知っているので…日本国全体を韓国にくっつけなければなりません。つけなければならないので、高速道路を作って一つの国にしようと、そうではないですか?


それでアジアを連結させて世界と連結させようとするのです。分かれたアダムとエバを国家的基準で結びつけなければならず、分かれて争った天使長たちも国家的基準で収拾しなければなりません。アダムとエバ国家が一つになることによって、中共、ソ連、そして米国も連結されるのです。それで今、私が手を付けているでしょう?中共も手をつけていて、その次にはアメリカも手をつけており、その次はソ連も手をつけています。


アダムに三天使長達が「イェイ!従います」とする時は、本然の神様とアダムとエバを中心とした地上天国が顕現する時代が来るようになるのです。それは皆さんが原理を詳しく勉強すれば全て出てきます。


それでは、文氏宗族を中心にして見た時、皆様が80何年、6年ですか、私をすべての(文氏)幹部が宗長にしようとしましたが、それが偶然の事実ではありません。私と皆様が、主体と対象が一つになってこそ、宗族が一つになってこそ、民族も一つになるのです。


大韓民国が統一するためには文総裁を中心として、宗長を中心にして、文氏一家が一つにならなければなりません。今やひとつになれない人は見てみなさいというのです。困難が頻繁に生じるというのです。子供たちが病気になるというのです。


サタン世界が文氏のしっぽに食い下がっているのです。文総裁と一つになるなというのです。


私が奨学金をあげたのですが、2派に分かれて争ったでしょう?戦ったでしょ?だれの利益を中心にして戦ったのですか?一族門中の利益を中心にして争いました。自分の利益を中心にして争いましたか?自分の利益を中心にして争った人間たちは、これから雷を受けます。これから時がくれば自然に除去されます。


共産党を見なさい!ソ連が今滅びたくて滅びますか。天運が来れば仕方がないのです。熱ければ氷は溶けなければなりません。同じです。天機の訪れる時は・・・、


36:10


--訓読終わり--


エルダー本部長: ここで段落が終わります。ここまでにしましょう。


皆さん、以上でお父様の御言選集を10ページほど読みました。読んで見たら、本体論に出てくる内容そのままですね。初めの部分はアダムとエバをどうして別々に作ったのか、その様な内容が原理本体論に出てくる内容を聞いたように感じます。


そして、愛がどれほど恐ろしいかと言うと、間違った愛、非原理的愛でもそれが所有権を決定するのです。ですから、天使長とエバが不倫の愛ですが、愛したためにエバが天使長の所有物になったのです。


ですから、愛がどれほど恐ろしいか、純血を守ることがどれほど大切か、それを祝福を受ける前に証しする内容だったようです。愛がどれほど恐ろしいか、私たちがそれを知って分からなければなりません。ですから、純潔を守ることはそれほど重要です。


まだ祝福を受けていない二世達はそれを良く記憶して下さるようにお願いします。

それでは祈祷して礼拝を終わります。


-- 祈祷 --


神なるお父様、感謝申し上げます。

お父様のお歳が70歳でいらっしゃったときに語られた御言を今日、読むことができる恩恵を下さったことに感謝申し上げます。


今、お父様は肉体を脱がれて霊界から活動される、その様な時代に生きていますが、私たちは自分勝手に生きるのではなく、本当にお父様がその間下さった御言、神様が残して下さった御言に従って生きることができる、その様な人になる事ができるように導いて下さる事を懇切にお願い申し上げます。


私たちも毎日毎日努力していますが、常に不足な者達です。しかし、私たちが悔い改めて、神様に真実に悔い改めて、再び赦しを求めて、再びスタートしたら、神様はいつでも私たちを抱いて下さる、その様な愛を受けていることを経験します。感謝申し上げます。


神様、今、世界の多くの食口達が神様を探しています。その方達の道をお父様が明るくして下さる事を懇切にお願い申し上げます。


今、この世の中に様々な困難があります。ワクチンを受けるのか受けないのか、マスクを付けるのか付けないのか、困難な決定を人々はしていますが、各自が自分の良心に従って、また、神様の御意に従って動くことができるように、生活することができるように、その様な人々になる事ができるように導いて下さる事を懇切にお願い申し上げます。感謝申し上げます。


今は特にアフガニスタンにいる人々、そこに捕らわれている人々、さらに他の多くの暴力、サタンの暴力がある国に多くの人々がいますが、その様な所に自分を保護することができる手段と道具を持つ事ができる、その様な環境になるように懇切にお願い申し上げます。感謝申し上げます。

私たちは今、全ての力を使って神様に仕え、真の父母様に仕え生きて行くことをもう一度この場所で神様に約束をお捧しながら、この全ての内容を、祝福中心家庭ティム・エルダー、ユ・ノスクの名前でお捧しご報告申し上げます。アジュ


ありがとうございます。それでは、来週まで皆さん、お元気で。


40:39

2021年8月21日土曜日

’21年8月18日水曜礼拝<全文> 神様の公式摂理と新しいメシア◆ 御言:文鮮明師・司会ティム・エルダ本部長

 神様の公式摂理と新しいメシア

2021年8月18日水曜礼拝<全文>

御言:文鮮明師・司会ティム・エルダ本部長

2021年8月4日韓国語水曜礼拝に引き続き、今まで日本語訳されていなかった1972年の、米国に対する真のお父様の御言を翻訳しました。今の米国に通じる重要な御言です。

監修編集タイトル:fanclub

Sanctuary Church Wednesday Service 08/18/2021


翻訳:minion & fanclub

水曜礼拝を始めようと思います。

今日は二代王様はテネシーに行かれたので私、テイム・エルダー夫婦が皆様をお迎えし礼拝を捧げたいと思います。先々週も二代王様がおられない時にお父様の御言を読みましたが訓読しましたが、今日もそのようにしたいと思います。

まず二代王様が定められた順序に従い、天一国国歌を斉唱したいと思います。

(国歌斉唱)


祈祷:

天にまします我らが父なる神よ。ありがとうございます。

今日は天基12年天暦7月11日、陽暦2021年8月18日、私たちは二代王様がおられない中、二代王様が立てられた伝統と基準に従って、韓国語礼拝を捧げるために集まりました。 

今テネシー州におられる二代王様を神様が保護して下さることを懇切に願います。

そして世界にいるすべての祝福中心家庭、そして神様が道具として使ってくださっている世界の指導者たちが、神様の声を心の中で聞くことが出来るよう懇切に願います。

今、世界摂理が、とても複雑で、そして目眩がする状況ですが、これは正に終わりの時であり、終わりの時が過ぎ去れば神様の善主権が来るという希望を確信しております。 

この混乱した複雑な環境を勝ち抜き、そして新しい天一国を創建することが出来るそのような群れとなることを約束申し上げて、この礼拝を始めますので、終わる時間まで、共にしてくださるよう懇切に願いながら、この報告を祝福中心家庭、テイム・エルダー、ユ・ノスクの名でご報告致します。

アージュ

 

 

お父様が米国に1960年代にも来られて米国をご覧になり、特にアイゼンハワー大統領とも会談されました。しかし、公式的路程を始められたのは1971年末に来られてからでした。そして、72年2月から7カ所の都市を巡回されました。


前回読んだ内容もお父様がリンカーンセンターでお話しされた、初日のものだったと記憶しています。神様はいるのかいないのかという主題で始められたことを記憶していますが、今日はリンカーンセンターで2日目に語られた内容を紹介しようと思います。


今、アフガニスタンにおいて悲惨なことが米国人としては起こっているのですが、米国が原点に帰らなければならないと感じています。ですから、お父様が初めて語られた内容を再び読んで考えなければならないのではないか、韓国礼拝ですが皆さんと共に読もうと思います。


今日、読むのは「神様の公式摂理と新しいメシア」という主題です。



神様の公式摂理と新しいメシア文鮮明師

期:1972年2月4日 於:リンカーン・センター

文鮮明先生말씀選集 53巻 p24-p45


翻訳:minion & fanclub


天候が良くないにもかかわらず、このように集まってくださった紳士淑女の皆様に心から感謝を申し上げます。

今夜、皆さんと一緒に考えようという話のタイトルは「神様の公式摂理と新しいメシア」です。このようなタイトルで、少しお話したいと思います。


神様が復帰摂理をする理由とその目的


神様の摂理を考える時、神様は全知全能の方ですべてのことに緻密な方なので盲目的な摂理をされないと見ることができます。ある原則に従って新しい世界まで摂理の結果を見つめながら、歴史の過程を経て出てくるということを、私たちは知っています。


私たちは私たちが住んでいるこの世の中がどんなに見ても善なる世界ではないということを知ることができます。悪い世界であるので、善なる神様はこの悪い世界を放っておくわけにはいかず、摂理せざるを得ないのです。


私たち人間を中心として神様とサタン、すなわち善なる神様と悪なる神様が戦っているということをこの二日間皆さんにお話しました。


神様は絶対者であられますがその絶対者の前に反対する存在がどのように生まれたのかということが大きな問題です。全知全能の神様であるならその反対の存在を一時に除去してしまえばいいのに、なぜそうできないのかということが問題です。


もし、サタンが本来から神様と一緒にあったなら、二元論となるのです。そうなると善なる神様がどんなに人間を救って善良に作ったとしても、悪い人はいつも残るだろうし、また悪はいつも善良な人を悪くする運動を続けます。ですからこのサタンというものは横から入ってきたものであって、神様がそのようなサタン、すなわち悪を立てたとは見ることができないのです。


神様は愛の神様であり怨讐までも許そうとされる方ですが、サタンを許すことができるかできないかが問題になるのです。皆さんは怨讐を許せという言葉がサタンを許せということではなく、サタン側にいる人を許せという言葉であることをはっきりと知らなければなりません。


結局、救援摂理、つまり歴史の過程を通じて出てくる神様の摂理が何かといえば、人からサタンを追放するためということです。聖書を見たら、この世の王はサタンだと言いました。また人間には原罪があるということを知っています。結局、私たち人間がサタン主権の世界からどのように抜け出るかが第一の問題なのです。


原罪をいかに根絶すべきか


二つ目の問題は何かというと、原罪をどのように根を抜くかということです。


神様は本来、人間に原罪があるように創造されませんでした。人間が堕落したので原罪が横から入って来たのです。それでは人間に原罪を植えつけた存在は誰か。その存在が原罪を個人に植え付け、家庭に植えつけ、産み増やし、世界に植えつけたため、まさに原罪を植えつけた主人だからこそ、それが世の王になったというのです。


この原罪を植え付けた元凶は何か、どこから来たかということが問題です。その存在が地上にあった存在なのか、霊的な世界にあった存在なのか、ということを知らなければなりません。聖書ヨハネの啓示録12章を見ると、「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。」と言いました。結局、大きな龍は年を経た蛇であり、年を経た蛇は悪魔であり、悪魔はサタンだというのです。


エデンの園で人間の始祖が蛇に誘惑されて堕落したと比喩で言った事を皆さんは知っているはずです。しかし、この蛇という存在は地にありませんでした。天から追い出されたとあるので、天にいた存在なのです。そのため、聖書には蛇が人間を誘惑したという言葉は結局、サタンになった悪魔が人間を誘惑したという意味であり、その悪魔は大きな龍として追い出された蛇だということなのです。


このサタンは霊的存在なので神様とアダムの話すことをすべて分かりました。聖書に記録されている蛇は、世界で這っている蛇ではないのです。このサタンという存在が問題になって人類が堕落したので、これについて私たちははっきりと知らなければなりません。このサタンの犯した罪がどんなものなのかをはっきり知る時は、絶対者である神様の前にに、速やかに讒訴することができます。


世の中で罪を犯した殺人強盗も、自分が罪を犯しましたが世界の人々がその事実を確実に知る前までは、どこに行っても堂々と振る舞うことができるのです。しかし、自分が殺人強盗ということを知っている人がいたら、その人がどんなに幼い少年だとしても、その前に頭を下げるのです。


皆さんが神様の息子になって、神様がいらっしゃる国の市民として入って行くためにはサタンが何かを分かり、つかんで神様の前に引っ張って讒訴して獄に投げ込むか追放しなければなりません。そうしなくてはその国に入ることができないのです。


聖書のユダ書1章6節を見ると、「大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。」という言葉があります。ここで私たちは天使が犯罪した事実とアダムとエバが犯した犯罪が互いに関連性があるのではないかと考えずにはいられません。


エバが善悪知る木の実を取って食べる時に、手で取って食べました。ところで善悪知る木の実を取って食べてから隠した所は下半身でした。善悪知る木の実を取って食べたのは手であり、口です。どうして手と口を隠さないで下半身を隠したのか。ヨブ記を見たら、「私がいつアダムのように恥ずかしいところを隠したのか?」という言葉があります。隠している所が恥ずかしいところになったということです。


ヨハネによる福音書8章44節を見ると、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者だ」となっています。サタン悪魔が私たち人間の何になったのかと言うと、父になったというのです。イエス様も信じない者に対して毒蛇の子供たちだと責めました。これを見ると悪の神であるサタン悪魔と人間の間には切っても切れない血縁関係で結ばれたことを見ることが出来ます。


血統復帰ができなければ神様のもとに帰ることができない


聖書を見る時、不思議なことが何かと言えば、長男は祝福を受けることができなかったという事です。常に次男を祝福したのです。神様がイスラエル民族をエジプトから選び出すために、エジプト民族を打つ時にも長子をすべて打ちました。


また、聖書においておかしいことが何かと言えば、「割礼」という法です。割礼。陽部の端から血を抜かなければならないのです。旧約時代の法は、歯には歯で、目には目で蕩減するものでした。旧約時代から今まで摂理の過程を経て出て来ながら、燔物を捧げるとき、神様は裂いて捧げなさいと言われました。


血を抜かなければならないのです。なぜそうしなければならないのかと言うと、間違った血が私たち人間に入ってきたので、それを抜かないでは神様の前に戻ることができない事実を予告されたのです。


堕落とは何か。結論的に言えば、エバと天使、天使の中でも天使長と不倫なる関係を結んだ事です。このように堕落したエバは、自分と関係を結んだ天使が自分の夫でないことを知り、本来の自分の夫がアダムであることを知ってからは、幼いアダムに善悪の果を取って食べろと強要し、再びアダムと不倫なる関係を結んだのです。


このような血統的な問題、このような血統的な問題でなかったなら、救援摂理をそのように長い時代を経ながらしなくてもよかったはずです。私たちの体にはサタンの血が入っているということです。神様の怨讐の血が入っているということです。ですからこの血を抜かなければならないのです。血を抜かないといけないということです。それで神様はみ旨を立てるために常にこの身体を打つということをされるのです。万一、アダムとエバが堕落しないで、神様が喜ぶ場で神様のみ言葉通りになっていたらどうなっていただろうかということを、皆さんは確実に知らなければなりません。


初日の夕方に私は皆さんに、神様は私たち人間を神様が最高に愛する息子と娘の位置に置いたと申し上げました。そして人間には息子や娘の位置だけでなく、神様のような位置まで望む欲望があるので、神様のような位置を与えると同時に、神様が喜ばれたように創造の偉業と創造する時の喜びを感じることができるよう、人間が息子と娘を産んで体験できるようにしたと言いました。もしアダムとエバがそうなっていたらどうなっていたでしょうか。神様がアダムの中に入って、エバの中に入って行かれたのです。


コリント人への第一の手紙3章16節を見ると、私たちの体が神様の聖殿だと言いました。堕落した私たち人間も救いの場に出れば神様の聖殿になることができるのですが、堕落する以前のアダムとエバは言うまでもありません。そのようになると、神様はアダムとエバの体に入って、内的な神様になり、人間であるアダムとエバは、外的な神様の身体となるのです。


ですから、完全に一つになってアダムとエバが成長して愛して家庭を成せばその家庭はアダムとエバの家庭だけでなく、神様の家庭になることができるということです。言い換えれば、神様が私たち人間の父になるということです。そうなれば人類は、その神様の血統を受けて生まれないわけにはいかないのです。


そうなっていたら、体と心が戦う人間にならなかったでしょう。自分の体に悪が侵犯され、悪が入ってくる根拠がないということです。そのような個人、家庭、宗族、民族、国家、世界になっていたら、ここがまさに地上天国であり、ここで暮らして天上天国に行く時は、個人、家庭、宗族、民族、国家全体が行くのです。


聖書ローマ人への手紙8章を見ると、「私たちは「アバ、父よ」と呼び、養子になることを

待つ」と言いました。養子。私たち人間はどんなに救いを受けたとしても養子にしかならないということです。養子にしかなれないということです。これは血筋が違うということを意味します。それでは、誰のために人間がこうなったのか?


サタンと共に血縁関係を結んだからです。サタンの誤った血筋を受けたため救いを受けて帰っても養子にしかなれないという結論が出るのです。


神様の摂理歴史の概観


サタンと神様はどのような関係の怨讐なのか?それを見てみましょう。サタンは神様が愛する家庭を破綻させた愛の怨讐なのです。このようなサタンを神様は許す事ができないのです。許すことができないということです。それを許す日には天地がひっくり返るのです。全て破綻するということです。


サタンの血を受け継いだ個人が家庭をなし、宗族をなし、民族をなして血統的に広まったため、サタンが世界万民の王となるのは自然の理というものです。本来、主人の息子となるべき私たち人間が僕の息子になってしまったのです。神様がアダムとエバを育て将来において神様の家庭を作ろうとしていたのをサタンが横取りしました。ですからサタンは誰かというと、神様の怨讐であり、私たち人間の本来の理想を奪った怨讐であるということを私たちは確実に知らなければなりません。


そのため、私たちは神様の血統を受けて神様の息子、娘になることができる道を失ってしまったのです。今まで私たち人類は呻吟の歴史を経て来ながら、その道を望み歩んでいることを私たちは知らなければなりません。


結局、私たち人間はサタンの息子、娘になったため、サタンの懐に抱かれたため、神様の前に僕の僕となったのです。ですから、この僕の僕たちをサタンから引き出して神様の僕のような人を作り、その人々の中に神様のみ旨のために精誠を尽くし忠誠を尽くす人を神様の養子のような位置に立たせて、徐々に引き上げようというのです。


それで神様は旧約時代から僕の僕の位置にいる人間を養子の地位にまで引き上げる歴史をなしてこられたのです。それは養子圏を作っておこうとするということです。

その養子圏がイスラエル民族です。言い換えれば、イスラエル民族がサタンの世界から選び出した天側の僕と養子圏というわけです。これは神様が自由になすことができる野生のオリーブの木の畑と同じです。


このように神様はイスラエル民族を僕の僕から僕に、養子へと引き上げて、息子が来るまでイスラエル国を造ったのです。そのような基盤の上にメシアを真のオリーブの木として送り、野生のオリーブの木の畑のようなイスラエル国全体を接ぎ、神様が主管できる先住権の国を造ろうということでした。これが今まで神様が摂理の歴史をして来られた概観です。


このように私たちは養子にしかなることができないので必ず直系の息子が来て接ぎ木しなければ、神様の息子、娘になることができないということです。


神様は預言者を通じてイスラエルにメシアを送ると約束して2千年後にイエス様をお送りになりましたが、イスラエルの国と教会が一つになってイエス様と完全に一体にならなければなりませんでしたが、それができなかったためにイエス様が亡くなるようになったのです。もし一体になっていたら、イエス様はユダヤ教の大祭祀長になり、ユダヤ国の王になったはずです。


子孫を繁栄させなければならなかったイエス様


ここで問題になるのは、イエス様が独身だったということです。祭司長になるのも独身で、王になるのも独身でなければなりませんか? それは、そうできません。 もしイエス様が結婚していたらどうなっていたでしょうか? イエス様を中心にしてイエス様の家庭が生まれたのでしょう。 アダムとエバが堕落することなく、成し遂げるべきであった真の父母の地位を、イエス様が代わりに実現できたはずです。

ここにクリスチャンが来たら、 「おぉ! イエス様はそんなことができるのか?」と驚くことでしょう。

ここに立っているこの私も、キリスト教を通いながらイエス様を信じた人です。


その内容を読み取ってみると、内容がこのようになったことを知ったのです。私がこういう話をするからたくさんの反対を受けました。 しかし、事実であることは否定できないのです。 いくら霊界に行って照らし合わせても、これしかなく、これが事実であることを私は知っているのですから、死を覚悟して、この道を歩み、迫害の道を切り開いてきたのです。


イエス様も男なのに、新婦を迎えて、息子や娘を産みたかったでしょうか、産みたくなかったでしょうか? この地で父という言葉をイエス様も聞きたかったでしょうか、聞きたくなかったでしょうか? もちろん聞きたかったはずです。 自分についてお父さんという言葉を聞きたかったはずです。 また祖父という言葉も聞きたかったことでしょう。


こうしてイエス様が祭祀長になり、イスラエルの王になっていたら、神様が自ら支配できる皇族が生まれたはずです。 そうなれば、今日のこの世界にイエス様の直系子孫が残っていたはずです。


では、神様はイスラエル民族よりイエス様の直系子孫をもっと愛すると思いますか?愛さないと思いますか? 誰をもっと愛しますか? 

そうなれば、イエス様を中心にキリスト教徒は一つの王権国家、善主権国家を築き世界に広まったでしょう。 

これは常識的に考えてもわかることです。 皆さんも男性としてイエス様と同じ立場に立てば、そう考えるのではないかということです。 また、そういうことを望むのではないかということです。


そのような立場に立っていたイエス様が、御旨を果たすことができず、十字架に行かなければならない緊急事態が起こり、イエス様は「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の望むようにではなく、御心のままに。」という深刻な祈りを捧げざるを得なかったという事実を私たちは認識すべきです。 死ぬのが嫌でそんな祈祷をしたのではないのです。


救世主が十字架にかかって死ぬことになれば、救世主を信じる人々も血を流す道を歩まなければならないということです。 自分が死ぬことによって後代の幾多の人々が虐殺され、世界が蹂躙され悲惨な死に方をすることを考えた時、三度も天に訴えざるを得なかったのです。 そのようなイエス様の事情を誰も知りませんでした。


それでは、イエス様が来て何をしなければならなかったのか? サタン主権国家以上の主権国家を築くと同時に、人類の原罪を取り除く必要がありました。 原罪を取り除かなければならなかったということです。 イエス様に接がれ原罪を取り除いた立場で、イエス様と一つになった人の子供は、イエス様を信じなくても天国に行けるのです。 イエス様を信じなくても天国に行けるということです。 

堕落がなかったら私たちには救いが必要ありません。 皆さんはこれをしっかりと知る必要があります。 宗教だの祈祷だのというのが全部必要ないということです。


堕落したか救世主が必要だということです、救世主が。

堕落がなければ地獄はありえないのです。 家を建てる前にゴミ箱から作っておく人がいますか? 使えないものができたのでゴミ箱を作るのです。 地獄は廃品、廃物の保管所です。 

神様は地獄を建てた方ではありません。 地獄は人間の堕落から生まれたものであり、神様が作ったものではありません。 人間は偽りのサタンの血を受けて生まれたので、その血筋に属する全ての人はサタンに従ってその場所に行かなければなりません。


何故、メシアがまた来ないといけないのか。


もしイエス様の血を受けて生まれたイエス様の子孫があって彼らがキリスト教の神父になり牧師になっていたら、こんなに腐敗したキリスト教は生まれなかったでしょう。


4千年間イスラエルの先民を大切に育て、預言者を通じてメシアを送ると約束された神様がイエス様を殺すために送ったでしょうか? とんでもない話だというのです。 そうはできないということです。 

イスラエル民族が信じなかったためにイエス様は死にました。 信じなかったためにイエス様が死んだということです。 これはいくら否定しようとしても、否定するすべがないことです。 イエス様が死んだために失敗したという意味です。 イエス様が死によって霊的な意味を成したということです。


今日、キリスト教徒が知っておくべきことは、キリスト教の道理は十字架の道理ではなく復活の道理ということです。 十字架とは、キリストを死なせた、神様を悲しませ、キリストを嘆くようにした死の型であり、それが救いの道ではありません。 イエス様が死の中で復活したからこそ、そこから新たな救いの道が生まれたのです。 イエス様はそのような十字架にかかって死んでしまったのです。


私たちは今、世の中と敵対し、神様だけを中心にして進んでいます。

イエス様は私たちにもう一度来るという約束を残して行きました。 今日、私たちキリスト教徒たちは、昔イスラエル民族がメシアを待っていたのと同じ立場でメシアが来るのを待っています。


イスラエル民族は地上に主権を持った国があり、メシアを迎え、今のキリスト教は、地上に主権国家を築いてその基盤の上でメシアを待ち受ける立場にありません。


ですから今日のキリスト教徒は糾合しなければなりません。 私の教派、あなたの教派、カトリックだのプロテスタントだのということが問題ではありません。 


悪主権を成しているサタンの世界に神様が主管できる善主権の基盤を用意しておかなければならないということです。 

メシアが来られてから、その方と完全に一つになれる新婦がいなければならず、その方と完全に一つになれる宗族がいなければならず、その方と一つになれる民族がいなければならず、その方と一つになれる国がなければならないということです。


そしてサタンが主管する悪主権をこの世界から追い出し、神様を中心とする善主権を作って人類の怨讐であり、神様の怨讐であるサタンをこの地球星から追い出さなければならないということです。

皆さんがこれを知らなければなりません。 


このサタンの悪魔は誰か. 我等人類の真の親になれる親の縁を横取りして偽りの父となっている神様の怨讐であり、歴史以来私たち人類が許せない怨讐であるということです。 

この世界は神様の所有であり、神様の生活の場であるにもかかわらず、悪魔が自分の所有にして神様を裏切る武器として使っているというのです。


今日のキリスト教徒は、どういう立場かというと養子の立場です。

キリスト教徒は養子です。 みなさんは養子です。 養子の立場にいます。 

牧師になる方や神父になる方の中で、「私はイエス様を信じて完全な救いを得た…。」こう思っている人がいるかもしれませんが、皆さん、考えてみてください。 イエス様をよく信じていた使徒パウロが結婚して子どもを産んだなら、その子どもがイエス様を信じなくても天国に行けるでしょうか? それはできないということです。 

牧師、長老たちがいくらイエス様を信じていたとしても、彼らが生んだ息子や娘はイエス様を信じなければなりません。 救世主が必要だということです。 牧師や長老の息子や娘だからといって、救世主なしで天国に行けるとは限りません。


言い換えれば再臨主がこの地に来なければならないということです。 養子と同じ立場で息子になるためには、野生のオリーブの木のような信者が真のオリーブの木にならなければなりませんが、その真のオリーブの木の実を結ぶためには、メシアが来なければならないということです。


主の出発は原罪のない家庭から


皆さんは今、原罪を空中に持っていますか? 体に持っていますか?

地上の体に持っているのです。 体の中にある原罪を引き出すためには、再臨主が雲に乗って来てはならないということです。 再臨主は地上に来て神様を中心とし、霊と肉が合わさった一つの主権国家と一つの世界をつくり、この地球上で神様の怨讐であり、人類の怨讐であるサタン、悪魔を追放しなければならないのです。 そうしてこそ、地上の天国と天上の天国が広がるということです。

この地上に神様が望む家庭がありますか? ありません。だれでも原罪を皆持っています。 神様が望む宗族もありません。 民族もありません。 国もありません。 世界がそうなっているのです。 


ですから来られる主は、 どこから出発すればいいのか? 一人の花嫁を探す家庭からしなければなりません。 霊肉あわせて原罪を脱いだ家庭を建てなければ、神様が望む国が出てこないのであり、世界も出てこないのです。


聖書は神様の御言です。 神様は「私はアルファであり、オメガである」と おっしゃいました。 創世記で成し遂げようとしたことができなかったため、ヨハネの黙示録に成されるということです。


人間が堕落していなければ原罪のない息子と娘を産み、そのまま天国に行ける家庭を持っていたはずです。 そこに立つ父母は、真の父母です。 また、その家庭は神様と一つになった家庭です。 その息子と娘は神様の家庭の子孫です。

このような御旨を創世記で実現できなかったため、ヨハネの黙示録に書き、新郎と新婦の名前をつけて再び実現させようというものです。


その新郎は誰であるのか? 完全な真の父として来る方です。 その花嫁は誰であるのか? 神様が愛することができる真の母として登場する方です。 アダムとエバが堕落しなかったら、神様を中心にして結婚式をしたはずなのに、堕落によってサタンを中心にして結婚式をしてしまったので、それをまた訪ねて初めて神様を中心にした聖婚式を行うということがヨハネの黙示録にある子羊の宴ということを皆さんがはっきりと知らなければなりません。


皆さんは、真の父母の息子や娘ではありません。 堕落した偽りの父母の息子と娘です。 したがって、モデルケースとして一つの家庭がこの地上と神様の摂理の中に現われなければ、この世界に新しい理想世界が出現しないということです。 その真の父母が出現できる国は、神様が建てた堕落していないエデンであり、この地球上なのです。


統一教会が主張して行く道


私たちには家庭があり、宗族があり、民族があり、国家があります。 ところでその家庭と宗族と民族と国家は神様のものですか? 違います。イエス様の時も今と同じ立場でした。 イエス様はこの地に来て「死なんと者は生き、生きんとする者は死ぬ」と言いました。 また、「誰よりも私を愛さない者は私にふさわしくない。」と言いました。 また「あなたの家族が怨讐だ」と言いました。 また、「私は平和のために来たのではなく、剣をもたらすために来た」と言いました。

それでは剣をもたらして何をしようとしたのでしょうか? 

新しい神様の国の伝統を建てて神様の国の主権を立てるための革命をしようとしたということです。

これはこの世の文化と歴史と伝統が偽りの文化であり、偽りの歴史であり、偽りの伝統であるため、神様が喜んでいただける真の文化と真の伝統と真の理想がないという意味です。


しかし、イエス様は私が主張する家庭はこうであるべき、私が主張する宗族はこうであるべき、私が主張する民族はこうであるべき、私が主張する国はこうであるべき、私が主張する世界はこうであるべきだと一言も言えずに行きました。 ただイエス様は「私は言うことは多いがお前達に耐えることが出来ない」と言っただけです。 そして「私が世の中のことを言ってもお前たちが信じられない。まして天のことを言ってどうして信じることができるのか。」と嘆いたのです。


そのような意味が地上では実現できず、今日まで残っていたものを、皆さんは知っておかなければなりません。 

天という国は、今のままで、この文化のままではだめなのです。 今の自分の生活方法の通りにすると、天国になりません。 自由な行動をしては天国を成すことはできないということです。


ですから新しい人生観が必要だというのです。 また、新しい国家観や新しい世界観、新しい宇宙観が必要な時が来たということです。 それは万民がともに原罪から解放された場所で、永遠に地上の天国と天上の天国を所有する神様の子息であり、天の国の民として生きるべきだということを意味します。 それで、主が来て、家庭を築いた後、その家庭にならって多くの家庭を解放させ、その解放させた家庭を合わせて宗族を作り、その宗族を中心とし、また宗族を解放させて一つを作り、その民族を中心とし、また民族を解放して一つを作り、国家を作り、その国家を中心とし、また国家を解放して一つを作り、世界を作る新しい歴史のできる新しい思想と新しい理念を持って来なければならないということを、皆さんが理解する必要があります。


ここで問題になるのは、イスラエルの国が主権国家を失ったため、今日のキリスト教が、地上に居場所のないキリスト教になってしまったということです。 そのため、我々が再び地上の基盤を築くためには、昔イスラエル民族がその国を探して築こうとした歴史的な縁を再びこの地に築かなければならないのです。 イスラエルのような国をキリスト教圏内に作らなくてはならないということです。

ヤコブがサタン世界に勝ったという意味のイスラエルという名を取って、それを中心として民族や国家を成したのと同様に、今日のキリスト教は霊的な国だけを作っていますから、地上に足場がないので、立て直さなければならないというわけです。


とすれば、今あるイスラエルの国にそのまま入って、ここに建てればいいのではないかと考える人がいるかもしれません。 しかしそれはだめです。 キリスト教徒を通してしなければならないというのです。


このために、今日の我が統一教会は新しい家庭を作り、世界の信者を糾合させ、宗族と民族を超えた世界的な新しい民族を編成しようと乗り出したのです。 これが統一教会が主張していく道です。


サタンに奪われた信仰、御言、愛を取り戻すには


今日の御言のタイトルである「神様の公式摂理と新しいメシア」について話してみましょう。


霊的世界だけを望んで出てくるキリスト教は地に基盤がないため、その地に基盤を築くためには、イスラエルの民が歩んだ道を再度歩むことが必要だと述べました。 これを皆さんはしっかり知らなければなりません。


アダムとエバが堕落した直後、神様は彼らを追放せざるを得ませんでした。

本来は永遠に、永遠に一緒にいなければならない自分の息子と娘であり、自分の血肉にもかかわらず、一緒にいてもいられない悪しきサタンの血を受けて、不法の愛に汚された身になったので、神様は一緒にいてはいられないので追い出さざるを得なかったのです。 アダムとエバとともに、天使長も追い出したのです。


ここから摂理路程の公式が必要になったのです。 アダムとエバは神様の御言を絶対的に信じられませんでした。 その御言を守って神様と一つにならなければならなかったのに、そうできなかったです。 神様と一つにならなくて神様の愛を受けることができなかったのです。 神様の言葉を失くしていまいました。 神様が成し遂げようとしていた聖殿である体を失ってしまいました。 神様と通じる愛を失くしてしまいました。 3大要件を失ってしまったということです。 そうしてサタンの息子と娘となってしまいました。 全部がサタンの味方になってしまったということなのです。 神様の側の人がいなくなってしまいました。 問題が大きかったということです。 サタンが奪ったから、盗んだからこれをまた取り戻さなければならないのです。


神様は、天使長のような僕をなくしたので、彼の子孫の中から、天使長が忠誠をつくすこと以上に、忠誠を尽くす僕を探すと嘆いて来られたのです。 その僕を見つけた後に息子や娘を探さなければならないということです。


それで神様はサタンの世界に愛の御言をくださるのです。 その中で神様の言葉を絶対に信仰する人が出てくるべきです。 つまり、アダムよりも、神様の御言を絶対的に信じる群れが必要だという事です。 神様の御言に不信感を抱かせた天使以上に信頼できる事をしなければならないというのです。 神様の御言を聞いてサタンの世界にいる体を抜き取らなければなりません。 体を探さなければならないのです。 このようにして神様はサタン世界の誰よりも愛せる僕を持っているという立場に立たなければならないのです。 そうして僕から養子に引き上げなければならないのです。


そのためには、この堕落した世の中の人間の中にサタンを裏切り、サタンを親として仕えずに、神様を親に仕えるために、サタンの世界から抜け出す人がいなければなりません。 それによって人間は、僕の位置から養子の位置に上がることができるのです。 

また、養子ではいけないので、息子になるためには接ぎ木して下さるメシアが来なければならないということです。 つまり、原罪を脱がなければならないということです。 人間には原罪が隠れているために、原罪を抜かなければならないのです。 この原罪を脱がずに神様の直系の息子や娘にはなれないので、その原罪を抜いてくださるメシアが来るべきだということです。


この原罪を脱ぐための戦いは、アダムの家庭から始まりました。 アダム家の2人の息子、カインとアベルを引き離して、摂理の歴史は始まったのです。 神様はアベルを愛するようになりました。 アベルに供え物を捧げさせました。 供え物をするためには、誰よりも神様の御言を絶対視しなければならないのです。 サタンが反対しても、それを克服していかなければなりません。 アベルは精誠を尽くして環境上の困難を克服し、意に適った供え物をしたのです。 供え物を捧げるそのアベルは、堕落したアダムよりも神様の御言に絶対従順しなければなりません。 そのアベルは神様と一つになり、サタンとは永遠に一つになれる実体にならなければなりません。 そうしてこそ、神様に愛される位置に入るということです。


それによって、主権内から解放を受け、善主権内に入るということになります。

そのような個人が行くべき伝統を、家庭が行くべき伝統を、民族が行くべき伝統を、国が行くべき伝統を築いて代表の位置に立たなければならないのです。 神様の御言を信じて神様と絶対的に一つになって神様の愛を受けなければならないということです。これが原則です。


ところが、そのような立場に立ったアベルがカインに殴られて死にました。 アベルの子孫を通じて天の継代を受け継いで天の側に立てる者を立てようとされた神様の御旨が崩れてしまったため、神様はまた1600年間苦労してノアを探し当てたのです。

皆さん、ノアおじいさんについて考えてみてください。 皆様なら、頂上に箱舟を造ろうという神様の命令を信じますか? 船を造ろうとすれば川辺に造らなければならないのですが、山の頂上に造れと、これは常識を外れているということなのです。 反対、反対、その反対ということです。

それは、どうしてそうしたのでしょうか?アダムとエバが神様の御言を信じずに堕落しました。

したがって、その子孫に反対の命令を下した時、それまでも信じることにより、信じなかったアダムとエバの失敗を復帰することができるのです。


ここに牧師や神父様がいらっしゃいますね?皆様に神様が120年ではなく、12年間、箱舟を造りなさいといういう命令をされたなら造ることが出来る人はいますか? 常識外れのことをすることが出来ますか? しかし、ノアは120年間、箱舟を造ったというのです。 それが偉大だということなのです。


神様を絶対的に信じた歴史的な祖先達


ここに夫人たちがいらっしゃいますが、もし皆さんが毎日のように120年間、箱舟を造るために出て行くノアの妻になったら支援しますか?米国国民の2億のうち半分が女性ですが、1億近い女性のうち120年間、あれほど狂ったことをしているノアを夫として侍り、忠誠をもって使えることができる人は、おそらく探すことは困難だと思います。


考えてみてください。 ノアの妻が不平を言ったでしょうか?言わないでしょうか? 

不平を言ったというのです。 一度だけ不平を言った日からずっと反対したということです。 ずっと別れるということです。 町の知り合いは「そのノア、狂ったおやじ。 120年後に神様が審判するって?」と言って、気違い扱いしたのです。 ですから、彼の息子や娘たちも反対しないわけにはいかないということを皆さんが知るべきです。


行くべき道と思ってその道を進もうとするが、愛する妻と子どもが反対して道を塞いだら、どれほど呆れることでしょうか?

不信のアダムの子孫に生まれた人間は神様を絶対的に信じるという基準を立てて、神様と絶対的に一つになったという基準を立てた場所で、神様の愛を受けなくては神様に戻ることができないので、神様はそれほどの反対がおきるような事をせざるを得ないのです。 このような無念な事実を私たちは知らなかったということです。

では、反対させるようにするのは何のためですか? サタンの世界から早く隔離させるためです。 反対が悪いのではなく、絶対に反対されれば絶対的な位置に立つことができるからです。


皆さん、聖書を見るとノアの息子や娘がノアに対して不信感を持っていたことが分かります。 ノアが箱舟から降りてきて葡萄酒を飲んで酔って裸になっているのを彼の息子たちが見て、恥ずかしがって後ずさりして服を持ってきて覆い隠しました。 それが罪となり、40日の洪水審判を経たノアの偉業は壊れてしまいました。 そこから一つになれなかった家庭的な雰囲気を感じることが出来ます。


40日間、洪水審判を見ていたら、自分の父の命令がどれほど立派で、自分の父の信仰がどれほど立派なのかを知り、その父が死ねと言えば死に、またその父が何の行動をしても、神様のように仕えなければならないにもかかわらず、習慣性を持って父を批判し、僕の僕になるという無念の歴史が起こるようになったのです。


次はアブラハムを見ましょう。 アブラハムは偶像商売の息子です。 豊かに暮らしているアブラハムにとって神様は「おい! アブラハム、お前の家から出て来い。」と命令されました。 すると、アブラハムは文句も言わず、どこに行けば豊かに暮らすという保証も受けず、自分の住んでいた故郷のカルデアをすべて捨てて旅立ったのです。 それで、何になったかというと、国境を越えるジプシーになりました。

神様が出てこいと言えば出てくるのです。 出た後はどんなに大変なことがあっても出たことを後悔したり神様を対して恨んではいけません。 恨むと、また堕落したアダムのような立場に帰るという事です。

アブラハムはアダムよりも絶対的に神様を信じなければなりません。 そして神様と一つにならなければならないのです。 そうしてこそ神様の愛を受けるようになるのです。 アブラハムは、神様がどんなに連れ歩いて、それでも恨まず、感謝の気持ちで行ったため、神様も彼を愛し、彼に「あなたの子孫が、空の星のように地の砂粒のように繁栄するだろう。」と祝福してくださったのです。


また、ヤコブを見てください。 ヤコブは神様から祝福を受けることを尊く思い、その祝福を受けるために人間世界にない事をしました。 神様の約束を絶対的に信じてハランの地に逃げて、精誠を尽くしてあらゆる困難を乗り越えながら 21年間戦ってきたのです。 いくら反対されても、それを克服して神様と一つになる愛の場に行かなければならないということを皆さんが知るべきです。


モーセも同じです。 彼は神様の言葉を聞いて死を前にしても神様を信じて旅に出たのです。 世の中に対する未練や昔自分が贅沢に暮した生活を懐かしまずミディアン荒野生活 40年間、ただ神様の命令と神様の言葉を中心にして神様から愛されるような場所を選んでイスラエル民族を救うようになったのです。


皆さん、また洗礼ヨハネを見てください。 彼も自分の愛する家から出て荒野生活をしました。 自分が愛する家庭、世の中の縁を否定して神様の意を絶対視して神様と一つになる道を行ったのです。

神様がすべての面でアダムエバよりもっと立派で神様を信じることができなかった天使長以上に神様のために忠誠を尽くせる基準を認められる生活をするように追い出したのです。


聖書を見ると、洗礼ヨハネはバッタと野蜜を食べて生きていたと書かれています。 皆様もイスラエルの国に行かれてみればお分かりでしょうが、そこは野蜜が沢山ありそうな所ではありません。 いつでもバッタを捕食できるようになっているわけでもありません。 洗礼ヨハネは30年間暮らしながら食べ物がないと、部落に行って食べたりもしたでしょう。 それで、近所中に気が狂った奴だという噂が出て、彼が路地を歩き回ったら、子供たちがついて回りながらいろいろと悪いことをしたのです。 しかし彼は神様の言葉を絶対的に信じて神様と一つになって神様の愛を受けることができる位置に立ったのです。


このように、神様は歴史時代において神様の意思に従って出てきた預言者たちを、正常な道へと導くことができなかったということを、もう皆様が理解することができます。 それはアダム、エバが神様の御言を絶対的に信じられず堕落したため、神様の御言を絶対的に信じられる位置に立てなければならないし、神様と一つになる位置に立てなければならないし、神様の愛を受けることができる位置に立てなければならないからです。 そのためにあらゆる受難を経験させたのです。


世界救援運動の先頭に立つべき米国


神様の愛圏内に立った後はどうすればいいのか。 サタンが神様の怨讐ですので、神様は怨讐世界を復帰するために神様の代わりにサタン世界を訪れるよう命令するでしょう。 そのサタンの世界を捜し求めことは、打って奪い取ってくるものではないということです。 サタン世界よりもっと高いレベルの愛をして、彼らが神様と一つになるようにして引っ張って来なければなりません。 悪しき愛で縛られている人々を神様の善良な愛で導かなければ、連れて来られないということです。


そのような立場で、サタンの世界は主権国家があるため、天の側の人を頻繁に叩き殺すものだということです。 

ですから神様の意志に従って出てくる人々は犠牲の道を経て一国を探して世界と対抗して戦える基盤を築いていかなければならないのです。 これが神様の歴史、役事です。


このようなことが公式の道程であるため、今日ではキリスト教徒も同様の道を歩んでいるのです。 イエス様の御言を絶対視して世の中から分かれてこなければならないのです.。代わりに神様と一つにならなければならないのです。 そして、神様から愛される息子となって、人類の敵であり、神様の敵であるサタンをこの世から追放するための工作をしなければなりません。


サタンはこの世の王様ですから、そのような工作をするたびに血を流さなければならなかったのです。 このようにキリスト教は、神様の摂理に従って多くの血の代価を払って世界的な宗教になりました。 皆さんがここではっきりと知っておくべきことは、今この時は教派同士がお互いに争っている時ではないということです。 

教派が互いに合わせて、神様の怨讐であるサタンをこの地から追放しなければならないのが、キリスト教の使命だということを知らなければなりません。


それでは、今日のアメリカを一度考えてみましょう。 アメリカは、神様がサタンの世界から新たに引き出して、分別のついた場所に立てた民族なのです。 この民族は神様の御言と一つになるべき民族であると分かっています。 堕落したアダムとエバよりも神様の御言をもっと絶対視し、神様の言葉を絶対的に信じられるこの国、この民族にならなければならないというのです。 それで、神様と一つになる民族にならなければなりません。


神様と一つになってどうすればいいのか? 今まで善を打ってきた悪の世界から出て、堂々とした権威国家としてサタン世界を奪わなければなりません。 そのために神様はサタン世界のどの国よりも、このアメリカのすべての祝福をしてくださったのです。


今や、米国の民が神様の御旨を果たすために、この国を離れ、世界中に神様の愛を広げるなら、本国を離れ、孤独な道を自ら進み、神様の御言とともに、一つになるために死の道を選ぶ運動を繰り広げるなら、米国は絶対に滅びないでしょう。

現在アメリカの青年男女たちの中にはアメリカを発つ若者達が多いのですが、 神様のために 神様の御言のために、神様と一つになるために、そして神様の愛を開くために旅立つ若者達ではないことを分かっています。それと逆のヒッピーの群れが多いことから、今後のアメリカを皆さんが心配しなければならないのです。


このような視点で皆さんが神様の言葉を絶対視し、神様と一つになって神様の愛を受け、悪しきサタン世界を打ち破るため、サタン世界の主権を天の主権にお返しするために戦う運動をしなければ、来られる主がその戦いを再びしなければならないという結論が出ることを皆さんが知らなければなりません。


そのような危険性があるので、再び来られる主が、世の中の寂しい位置に行かれるそのような事に遭われてはいけないから、私が孤立した位置で神様のため、 あるいは天の国を建てるためにどんな苦労の道でも進んで行くという運動が、この地上でキリスト教を通じて世界的に広がらなければならないのです。 そうでなければ、今後のキリスト教の道は閉ざされてしまうということです。


統一教会が進むべき道


それで、統一教会では何をしようというのか。 皆さんがこれを知らなければなりません。 前に述べた公式の原則にのっとって、アダム、エバよりも神様の御言を絶対的に信じる群れになるということなのです。 まず最初の群れになろう!ということです。 いくらサタン世界の反対があっても、我々は神様と一つになろう!ということです。 いくら反対の危険があるとしても神様と一つになろう!ということです。

そして神様の愛を受けてサタン世界に愛を与えサタン世界を解放する運動をしようというのです。 これが統一教会の使命です。

この地上に、一つの民族を超えた新しいキリスト教の基盤がないので、世界的にその基盤を築こうというのです。 

昔、イスラエル民族が成し遂げられなかった主権形態の基準をこの地上で備え、再び来られる主が、新しい世界的な歴史を築くことが、統一教会の使命だということを皆様に申し上げます。


そのような国家基盤を中心にして来られる主から接木を受け、罪のない善の主権国家の下、原罪のない息子·娘を産める家庭をつくり、原罪のない宗族をつくり、原罪のない国をつくることが、統一教会が進むべき道なのです。

それが最後の日であることを知っています。 このような意味で、今後の統一教会が進むべき道について、皆さんが今まで聞いた御言を通じて心で協助し、また御旨を共にする皆さんになることを願ってお話し申し上げました。


--- 訓読終わり --ー


エルダー本部長:


貴重なる言葉をくださった神様に感謝いたします。それでは祈祷いたします。


父なる神様ありがとうございます。

今までお父様が米国に来られ公式路程を始められて米国リンカーンセンター・アレストリームホールで話された御言を訓読しました。

この中でお父様は堕落論を語られそして救いの摂理を語られ、私たちがアダムエバよりも神様の御言を絶対的に信じる人となり、そしてそのような家庭をつくり、民族をつくり、国をつくり、そして世界をつくらなければならいと語られた内容を授かりました。ありがとうございます。 


今、米国は暗黒の場面におり、非常に難しい場面にあります。 その時、ほぼ50年前の御言を再び訓読し再び米国は、このお父様がくださった御言に立帰らなければならないと心から感じました。


今米国のすべての政治経済社全ての面において崩れているそのような中で、二代王様を中心としたこの小さな数が、少なくとも二代王様の御言を実践できる群れとなることを約束いたします。 ありがとうございます。

神様が立てられた米国を代身として、お父様が願われた御言、その内容を実践いたします。ありがとうございます。


そのような約束を捧げながらこの全ての内容を祝福中心家庭 テイム・エルダー、ユ・ノスクの名でご報告致します。

アージュ


それでは億萬歳致しましょう。


神様の王権樹立勝利、億マンセー

天宙天地人真の父母様、三代王権、億マンセー

天一国創建勝利、億マンセー


皆さん、来週までお元気でお過ごし下さい。

  __________________________