2016年1月4日月曜日

■2016年1月3日説教「生きたみ言」文亨進<全文> 「リマを得て霊性を高めましょう!!」


■1月3日説教「生きたみ言」文亨進<全文



<1月3日の礼拝、亨進様の言葉から>

これはある本屋さんで買ったものです。かなり以前から用いています。

私たちは毎朝の訓読会はお父様の伝統を守り朝5時に行っています。それは小さな子供がいたり、学校に通う子供がいる時には厳しいものがあります。

うちには17歳から9歳までの子供がいます。全員を朝5時に起こすのは結構大変なのです。



ですからリマ(Rheema)としてこういうものを用いています。リマは霊的闘いのさなかに与えられるみ言です。悪魔や困難に出会う時、時に応じて神様がくださるみ言です。霊的闘いの武器としてくださるものです。その武器を得るためにはしかしみ言によらねばなりません。神様のみ言は霊的な剣となるからです。



エペソ人への手紙6章では神の武具について語っています。闘いの剣は「御霊の与える剣」だというのです。だからこのみ言から剣を得ます。毎朝、私の子供たちはここからみ言を引くことでリマを得ます。少し実演してみましょう。



(亨進様がメンバーのところを回って‘み言のカード’を一枚ずつ引かせる)

新年の目標などをよく決めますね。何キロやせるとか…(笑)

そこで(今年は)イエス様からの贈り物を贈ろうと思いました。これほど大きな贈り物はないでしょう?神様の贈り物を贈るのです。お父様の権限圏にある者としてつねにみ言に返り、また子供にもその力を与えてあげるのです。これは新年にたてる目標としては貴重なものになるでしょう。

(カードを引いたメンバーに向かって)あなたはどんなみ言を引きましたか?

-あなたは私の避け所となるでしょう 詩編61.

このように私たちは引き当てたリマを読み、また次の子供がみ言を選んでいきます。問題は子供たちがリマを読んだ後すぐまた眠りだすことです(笑)。

だから自分のみ言について考えることをしません。だから私は彼らに例えば「避け所」とはどういう意味か、と聞きます。このように私は訓読会をしています。

み言を選んでそれについてしばらく思いを巡らす。これは私の選んだみ言ではなく神様が選んだ今日のみ言です。

そこの兄弟のえらんだみ言は何ですか?

-夜も光が私を照らし出す 詩編139

皆さん、昼に光が必要でしょうか。

光は闇において力を発揮します。様々な困難に直面するときに神様のみ言が威力を発揮するというのです。月明りもないまったく闇に包まれた森の中に入ったことのある人はいますか。恐ろしいですね。それが光に包まれるということです。

いつもこのようにしてリマを選ぶのです。このように子供の大人もリマを得て、それについて深く考えることで大きな恵みを得ることができます。

(別の兄弟が一枚選ぶ)み言を読んでください。

-主に愛される者、彼は安らかに主のそばにある 申命記33:12

「主に愛される」とはどういう意味ですか。心情的に近いということです。「安らか(peace)」とはどういう意味ですか―とこういう風に子供たちに聞いていくのです。普通は「争いのない事」などと答えます。しかし真の「安らかさ」はキリストであるということです。戦争、困難、審判のさなかにあったとしても安らかであるのです。われわれは往々にして、外に安らかさを求めます。しかしそれはキリストというお方であるというのです。

(次の兄弟が読む)

-主がすべての災いを遠ざけてあなたを見守る 詩編121:7

すべての災い、「すべて」とありますね。このとき(ダビデは)逃げ回って洞窟に隠れていたのです。このとき神様はダビデにすべての災いから守ると言われたのです。サウル王がダビデを殺そうとしていた時です。ダビデはジグラグの洞窟に隠れていたのです。そのときのみ言です。洞窟ではダビデ独りきりでした。彼は誰に向かって話しかけたのでしょう。自分自身に向かってです。自分に向かって神様が真実なお方であると言い聞かせているのです。自分に向かって語ることも時には必要なことです。神様の約束の言葉を自分に言い聞かせるのです。このように小さなみ言から大きな恵みを得ることができるのです。

(次の姉妹が自分の選んだみ言を読む)

-主を畏れる人には何も欠けることがない 詩編34:10

今日、神様は詩編を与えられるようです。祈りの時にも詩編を読む用意をしていました。

こういうことを子供たちとして下さい。子供に神様からの贈り物を与えることになります。受け身で説教を聞くのとは違い神様との関係性の中でみ言を聖霊によって頂く。そしてそのみ言を味わうことでより大きく見えてきます。

世界中のサンクチュアリに勧めたいですね。
別にこういうものでなくとも聖書でもいいのです。 神様に「どうか今日のみ言をください」と祈って心のままに素早く聖書を開きます。

(1人の兄弟が聖書を開いてみ言を読む)

-呼ぶに答えて、主は仰せになった。全能者と言い争う者よ、引き下がるのか、神を責めたてる者よ、答えるがよい。ヨブ記40:1-2

このように必ずしもカードは必要ありません。聖書はただの本ではなく、生きたみ言が詰まっています。映画などで古代の書物がゆっくり開くと光が漏れてくるといったシーンがあるでしょう。

聖書の言葉は生きたみ言なのです。その生きた言葉と相互作用するのです。ただ最初から淡々と読み進めていくのではなく、働きかけるのです。神様のみ言はあなたに知恵と知識、そして信仰を与えてくれるのです。霊の賜物をくださる神様と交わるきっかけを与えてくれます。

訓読会でも「お父様のみ言をよんでいればよい。聖書はまた別の機会に…」という人がいますが、イエス様と共におられた神様は再臨主と共におられた方ではないですか。ですから同じみ言です。

イエス様が明かしたみ言はお父様の明かしたみ言と同じです。お父様はみ言の完成級の理解を私たちに教えて下さいましたが、イエス様のみ言から逸脱するものではありません。両者は同じだというのです。原理は聖書を解説するもので、聖書は顧みなくてよいことにはなりません。聖書を打ち捨てておくことは神様のみ言を打ち捨てるのと同じです。聖書は生きた力なのです。つねに働きかけることが必要です。

私たちは原理という観点をもち、完成級の解釈をもっています。聖書の暗号を解読することができますが、わたしたちを導いて下さる神様の霊が必要です。

「今年は髪の色を変えてみよう」とか、「少しやせよう」か、「食事は豆類も食べよう」かなどと、それも結構ですが、「命のパン」はどうですか。あなたに糧を与えてくれる生命の水。

生きたみ言と関わることを今年の生活目標にしてみてください。多くの人は「神様はなぜ私の願いを聞いて下さらないのだろう」と言います。あなたのリマはどうですか、生きたみ言を頂いていますか。答えは「いいえ」です。

なにか問題が起こった時、それを解決しようとするとき、答えてくだるお方がいるにもかかわらず聞かないとするなら、おかしなことでしょう。み言をキャッチして、それについてあれこれ思索することです。そうしたって失うものなど何もないでしょう。み言との関わりを取り戻せば人生が変わります。同じところにとどまることはありません。

神様に対して「あなたのおっしゃることに耳を傾けます」という姿勢が大切です。

ある柔術など総合格闘技をマスターした人が語るのを聞いたことがあります。多くの人がやって来て「練習してもらっていいですか」とやってくるのですが、少し自信のある人は「私と手合わせしてみますか」などと言ってきます。その結果、彼らは打ちのめされて怪我をすることもあるのです。

そうではなく「私はこういう状況での姿勢でこういう場合の戦い方が分かりません。この姿勢からの戦い方を教えてくれますか」という風に、尊敬、敬意を示すとするなら、喜んで教えてくれるでしょう。少しでも生意気で傲慢なところを見せればやられてしまいます。獰猛な格闘家としてではなく先生として扱うのが良いと彼は言いました。敬意を見せることです。

敵であるような人をコーチに変えるのです。神様に対するときも同じことが言えます。神様は瓶の中にいる魔法使いではないのです。「あれをください」「これをください」とだけ言ってあとは見向きもしない。「この傲慢なもの!何もかなえてやらない。」となりませんか。

人に対するように尊敬を示すべきでしょう。神様をみ言を介して接することのできる生きた人格と考えることです。聖句の謎が解けます。創造主と生きた関係を築くのです。すべてご存知です。
「いまここに箱いっぱいのキャンディをください」と神様はそれをかなえてくれることはありません。何故でしょう?(末の子女様に聞かれる)「(神様が)そうすることを続けると人間を甘やかせてダメにしてしまいます」

神様は愛の方であるので人間を損なうことはされないということです。そのようなことをされると怪物人間になってしますでしょう。両親の教育はかくも重要だというのです。神様は決して腐った怪物をおつくりになられません。
訓読会ではただ読むだけではなくこういうやり取りをするので、時には四〇分~一時間に及ぶこともあります。そして格闘技の訓練もするし銃器を扱う訓練もします。2016年は生きたみ言を生活の一部にして下さい。もう一つ希望される人に本を差し上げます。それは「大工以上のお方(more than a carpenter)」という本です。著者はもともと無神論者でキリスト教徒を科学で実証されない古代、中世の文書を信じる愚か者と思っていた人です。現代人はそのような時代遅れのものを信じないと言い切っていた人です。そこで彼は、その愚かしい書物、聖書を反論してやろうと思ったのです。彼はある時、女友達が「私は変えられた」というのを聞いて「よしてくれよ、そんな宗教を持ち出すのは」というと彼女は「宗教じゃない。イエス・キリストよ」と答えたといいます。

あまりにも多くの人がイエス・キリストとの関わりを宗教だと考えています。私たちは宗教に関心などありません。お父様は宗教を作りに来られたのではないのです。お父様は何度も郭グループ、金グループなどをかき混ぜ、ひっくり返したではありませんか。清平もそうです。お父様が願われたのは「関係性」です。そこが鍵です。


関係性こそ鍵だというのです。み言と交わる時、キリストに関わっているのです。

私たちは宗教を実践しているのではなく真実なる場を見出そうとしているのです。この本(more than a carpeter)の中で著者が自らの体験を通して知りえたことを示してきます。一度読んでみることをお勧めします。

著者はこう指摘します。「(会話に)イエスの名がでると、ある人はとても気落ちする。また非常に喜ぶ人もいれば、怒り出して会話を中断する人もいる。では釈迦やムハンマドの場合はどうであろう。孔子の場合は?そうはならない。なぜならイエスは「神の子」だと主張しているからだ。「神と完全に一体化している」と主張しているからだ。それは全く神聖冒涜行為である」またこの本には「嘘つきの狂人、あるいは主」という章があります。

著者はイエスの本当の姿を求めて様々な聖句を引用しています。「私を憎むものは、私の父を憎むのであある」「私を見たものは神を見たのである」これらの言葉は普通ならば完全に神を冒涜する言葉です。「すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない」(ヨハネ5:23)

このようにイエスはたいそう過激に自分の立場を主張しています。私たちは原理講義を通じて何十年もの間イエス様は一人の人間だと教えられてきました。しかしお父様が最晩年は語られたことがあります。それは「夜の神様、昼の神様」です。いったいこれは何でしょうか。

お父様は「私は「夜の神様」から来た。私のほか、「夜の神様」から来たものはない」と仰いました。そして「夜の神様」は天地創造以前の神様である、「時間」さえも超越した神様であると説明されました。お父様はその「夜の神様」から送られたと言われたのです。この点でまったくイエス様と同じです。「私を見たものは神を見たのである」。

「道徳倫理の教師としてのイエスは受け入れられるが、神の子としてのイエスは受け入れられない」と多くの人が言います。この本の著者はこの点についてこの述べています。

イエスを偉大な道徳教師として受け入れることはできるが神の子のイエスは受け入れ難い」という人がいるが、それはやめた方がいい。なぜなら「自分は神の子だ」と主張する者が「道徳的」であるはずがないからだ。

普通の人間でそのようなことを言い張るとすれば、彼は「自分は目玉焼きである」と主張するのと同じレベルの狂人か、地獄の悪魔である。

イエスは「神の子」、「狂人」あるいは「地獄の悪魔」のうちいずれかであるかをあなたは選択しなければならない。

原理的にはおかしいと感じるかもしれません。しかし最晩年にお父様がおっしゃったことを想起してください。これは神学的には自己啓示(self-revelation)といわれるもので非常に大きな意味を持つものです。メシアの自己規定であり非常に重要な内容です。わたしたちが認識する内容ではなくメシア自身がこの世に向けて公表した自己のアイデンティティです。「夜の神様」「昼の神様」。これは大きな爆弾だといえます。お父様は「(夜の)神様から来た」と言われたのです。あまりにショッキングな言葉なので私たちは、このみ言をどう扱えばよいのかわかりませんでした。

50年以上にわたって、キムさん、ユさん、リーさんやパクさんなどが教えてきた内容とは180度も異なるみ言です。

この50年で私たちは「宗教」になっていました。生きた神様に合わせて生きることをしてこなかったのです。なぜ聖霊がいなくなってしまったかわかりますか。

「この組織に従っていかなければならない」「公文に従わなければ…」「今日の訓読会で2ページから8ページまで読みたいのですが、指示通りですか?」「それは公文の指示とは違います」などなど。まったく(神様、キリストとの)生きた関係とは関わりのない宗教組織になってしまいました。

最後の2年間、私はお父様のお側にいました。そこはまったく宗教とは関わりのない、ただ関係性の世界でした。儀式もありません。訓読会でもお父様は自由に様々なことを語られました。絶対性、結婚について、また釣った魚やボートについて語られることもありました。それは関係性です。実際、スケジュールもありませんでした。お父様の啓示に従って動きました。

しかしそうして私たちの既成観念から離れてみると、心から自由を感じました。真の自由、本物、真の関係性を体感することができました。

窓を通してみるお父様ではなく、カメラを通してみるお父様でもない。韓国幹部を通してみるお父様でもない。御自身の子女との間にも韓国幹部は割って入ろうとするので、これは(真の家庭の)子女であっても起こりうることだったのです。

私は太平洋の真ん中で小さな船室の中でお父様と二人っきりで眠ったこともあります。

韓国幹部は追い出しました。お父様といたいから出て行ってくれと言いました。その写真もあります。お父様に毛布をおかけしている写真もありました。これこそ神様が望む関係性です。宗教ではありません。

とにかくこの本「More than a carpenter」はお勧めです。聖書は難しいという子供さんがいればこの本は素晴らしい入門書になるでしょう。現代社会のことから科学、社会に影響力をもつ新無神論についても解説されています。イエスを信じることはそんなに愚かな、非科学的なことなのか。日々み言から力を得てください。神様が導いて下さるでしょう。

ところで、今日ステージの中央においてある画架をご覧ください。数週間前、キリストの花嫁たちをステージに呼んで花婿に歌を捧げました。その中で大きな愛を感じました。超自然的な愛です。注がれる聖霊の力。そこで今日は「神様があなたにお願いするように私に言われました」と言ってマーサさんにお願いしました。ここで「讃美描画(Praise painting)」を開拓して欲しいと。マーサさんは今日、読まれるみ言を知りません。神様から与えられるみ言をあらかじめ知らされることなく、すべて自由に即興で絵を描くのです。だから完全にLIVE中継ということです。

私はマーサさんに言いました「神様がどんなみ言をあなたに下さるがワクワクします」。当然マーサさんは緊張しているでしょう。皆さんの目の前で絵を描くことになりましたから。そこで「マーサ、リマを得て、何を描くべきか神様を信頼して神様から啓示を得なさい」と私は言いました。どういう方向に導きを受けるかわかりません。それは山であるかもしれないし、樹や花であるかもしれません。あるいは戦士の姿かもしれない。ただ霊に導かれるまま描いて下さいとお願いしました。ただ神様のみ言に感応するのです。ではマーサさんにリマを引いてもらいましょう。新たな道を拓きます。

あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。マタイ6:32

マーサさん、何を描くのか、私たちには明かすことなく、導かれるまま描いて下さい。

神様も芸術を愛され、お父様もそれを愛されました。多くの芸術の問題点はどこにあるのでしょう。見映えよく、快楽主義的で自己中心。ゲイやフリーセックスを奨励する。神様の願いを無視した自己顕示。

世界中のサンクチュアリ教会にいっておきたいことはこれです。

「聖書的でありなさい」

世俗の歌を少しでも採用すればそれは徐々に浸食し支配し、結局、悪魔を招来することになるでしょう。                 
ここで行う芸術はこの世のものとは全く異なるものです。
悪魔の芸術ではなく神様のみ言を中心とした芸術です。
み言は私たちをフリーセックスやゲイなどみだらな世界にさまようことを防ぐからです。聖書中心ということが重要です。
ここに若者たちがいることがうれしいのです。若者の祈りも必要です。彼らは何ともないように演奏していますが、いつも闘っているのです。自分が若い時を思い起こしてください。不安定な気持ちを抱えているものです。自意識も今よりも強かったでしょう。
この舞台に上がり、神様を讃美することには大きな勇気がいるのです。なぜならインターネットで彼らを見てあざけり、馬鹿にする者もいるからです。この若者たちそういう心配を断って神様に集中するのです。それは簡単なことではありません。
神様を讃美するわれわれを意気消沈させ、怖れを抱かせる霊がたまにやってくるのを感じます。内気にさせ、臆病にさせる霊です。わずかな恐れも悪魔には大いに役立つのです。神への賛美は霊的闘いです。神様を喜ばせることは同時にサタンの怒りを呼び起こすのですから。
世界的な(金融・政治などあらゆる権力を握る)超エリートに向かって、「イエスこそ主であり、あなたになどひざまずくことはしない」などというと彼らは怒るでしょう?権力者である彼らはあなたをひざまずかせたいからです。
神様を讃える時、サタンは怒り狂うのです。だから讃美するときありとあらゆる手段を使って妨害活動をするのです。カメラが回っている、この顔のしわが・・とか髪型が・・とかそういう不安をもってはいけません。その一つをつかんでいかれるのです。スパーリングと同じです。格闘技をある程度学ぶと、練習試合をします。そういうことがここでも起こります。
ああ、カメラがアップを取らなければよいのだが…、あの人が見ている…など。お判りでしょう。そうして悪魔はひとりずつさらっていきます。そういうことを頭において、しっかりと縦的に繋がっておくのです。その語りかける雑念に意識して耳を傾けるのもよいのですが、主管されてはいけません。
お父様は仰いました。「あなたはサタンにとって主体なのか、サタンがあなたの主体なのか」。

世界中のサンクチュアリは神様が臨在する戦場だというのです。ここで修練を積んで強くなるのです。そのことを心に言い聞かせて讃美するのです。霊的闘いです。
訳byOceanus

リマ(Rheema)をして霊性を高め出発しましょう!

無作為に聖書を開いてその聖句の意味に霊性を合わせることです。今日のリマは何でしたか?

私の今日のリマはエゼキルエル書第11:4

「それゆえ、彼らに向かって予言せよ。人の子よ予言せよ。」

これは

どのサンクチュアリでもいいのでお父様の権威に戻る祝福を2月13日までに受けてください。

と叫びなさいということかと思いました。

この予言に相応しい映像を贈ります。

リマを理解するため是非ご覧ください


皆様の今日のリマは?



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2016年1月3日日曜日

12月8日 亨進님 『宮島さん、偽物じゃなかったね』&12月6日 宮島青年会長自身の証『真実なる姿』

12月6日ソウル聖殿、宮島青年会長自身の証『真実なる姿』
(現職天福宮殿青年会長)




12月8日亨進님 宮島青年会長に対する激励の言葉
 『宮島さん、偽者じゃなかったね』

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2016年1月2日土曜日

文國進님夫妻、2016年ニューイヤー礼拝 コメント 2016年1月1日



「王様万歳!」というべきところかな。人生において幸福になりたければ、自分自身に満足できなければなりません。いくら成功を収めたとしても誠実な人生を生きないとするなら喜びを見出すことは決してできないでしょう。誠実に生きる唯一の方法は神様の御心に従って生きる他ありません。願わくば、新しい年も私たちは、神様の御心に従った生活を継続し、誠実な人生を生き続けたいですね。訳byOceanus



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2015年12月30日 韓國語 説教 ■「主を讃え異端撲滅」より中間部分

2015年12月30日 文亨進님韓國語 說敎말씀
■「主님讚揚으로 異端撲滅)「主を讃え異端撲滅」より中間部分

韓氏オモニから(して)その詐欺師でしょう。韓氏オモニからその詐欺師でしょう。皆さん騙されたでしょう。自分の栄光を愛するバビロンの淫女。なんということか。自分さえ捨てていたら御父様の歴史の全ての栄光を受けることができる女性。愚かにも崩れゆく権力を捕まえるため短い3年間の間に永生を捨てた。永生を捨てた詐欺師。だから集まってくる人は皆詐欺師でしょう。頂上が詐欺師だから。当然です。詐欺師たちが集まって来る環境にならざるを得ない。御父様を背信せざるを得ない。御父様を冒涜せざるを得ない。御父様を削除、憎まざるを得ない。


御父様が選ばれた後継者を憎まざるを得ない。御父様の精子を持っている王権。後継者を憎まざるを得ない。相続者、その言葉を聞くのをとても嫌がるでしょう。後継者。相続者。お前たちじゃない。全ての財産を盗んでも食口たちの血のにじんだお金を盗んでもお前たちは幸せに生きられると思うだろう。愚かな者ども。


本当に相続するのはお金じゃない。この愚か者ども。御父様の精子です。御父様の愛です。御父様の血統。王権です。御父様は既に選ばれたでしょう。それを見たときお前たちは本当に可哀想な者たちだ。愚か者たち。既に滅亡し始めていることを知りながら最後まで少しでも多くお金を取ろうとする詐欺師ども。お前たちとお前たちの子孫の最期は非常に非常に非常に良くない。サタンに魂を売ったら終わりはいつも良くない。


御父様を削除し、御父様の上に座る偽り。四位基台を変えてしまう偽り。エバを主体とする偽り。偽り。偽り。...いや、本当に脳みそがないような馬鹿じゃない限り、これを見ても何とも思わないんでしょ。本当に。本当に頭脳がないとしか思えない。頭脳がないような愚かな馬鹿じゃなければ


こんなに沢山沢山沢山四位基台を正反対。御母様を主体に立て、エバを継続して主体に立てて。神様がアダム、サタンはアダムを堕落させエバは被害者に聖書をもう新しく作っている。本当に頭脳がない愚かな空っぽじゃない限りこれを見ながら「ああ、そうなのか。」とは言わないだろう。


アダムはサタンとホモセックス。性生活したんだね。じゃ、原理では堕落は性的堕落と言ってるから。それじゃ、アダムとルーシェルはホモセックスだったんだね。可哀想なエバが被害者だった。いつも男の間違いでしょ。男の間違い。いつも。この被害者意識を持った詐欺師たち。


御父様を削除し王冠もない。御父様はただの服だけ。この詐欺師たちめ。御父様はただの服。詐欺師たち。御父様の指輪、結婚祝福式の指輪に韓鶴子偽りのサタンの血統から出た女性の名前を刻み再臨主の名前を削除し。可笑しい?これが見えなかったら完全にどんな空き缶より空っぽ頭だ。猿でもこの間違いがわかる。猿でも。


天の御父様と御父様が御母様の中にいらっしゃるって。小さな嘘の神学。バビロンの淫女の神学。エジプトの神学。バビロンの神学。アッシリアの神学。女神の嘘の神学。この詐欺師たち。


いや、いくら現実であっても、いくら話しても、詐欺師たちが何と言ってるか。「御父母様は一つです。御父母様は一つです。御父母様は一つです。」


「御母様は御父様の経典を80%削除した。」「いや、御父母様は一つです。」それが答えです。


「御父様が血と汗で書かれた天一国国歌を完全に変えてしまった、他の歌に。」「御父母様は一つです。」


「家庭明誓、祝福式まで変えてしまったけれど。」「御父母様は一つです。」


唯一神が異多神になって今天の御父様と御母様にはべらなければならない。「神様が二人だけれど。」「御父母様は一つです。」


「おや、この憲法清平で作った憲法には原理のみ言葉も出て来ないけれど。」「御父母様は一つです。」


「御父様の8大教材教本jは永遠のみ言葉、教本と言われたのに韓氏オモニは他の経典を作ってそれを原本だと言っているけれど。」「御父母様は一つです。」


「韓氏オモニは自分の場所を離れて自分の位置を離れて継続御父様の上に座っている。自分がメシアだと言い、自分が独生女だと言い。」「御父母様は一つです。」


「御父様を横取りし御父様の宝座を横取りし御父様の上に座り。」「御父母様は一つです。」


「祝福指輪に御父様の名前を書かず自分の名前を刻んだ。」「いや、御父母様は一つです。」


「韓氏の血統を真の血統と呼び御父様は堕落したアダムと言っている。」「御父母様は一つです。」


皆さんはこんな愚かな共産党のような嘘の宣伝にはまったらお前たちが馬鹿ですよ。わかりますか?馬鹿。馬鹿。わかりますか?馬鹿。共産党が言うのと同じ内容です。


独生女を探し出した基盤です。2000年の全歴史はキリスト教の歴史は独生女を探して来た基盤です。」10月24日にこのように語りましたね。韓氏オモニが。


「あっ、それはちょっと。それは原理と違うみたいだけれど。」「御父母様は一つです。」


皆さんは何か愚かなロボットですか?「キリスト教の基盤は独生女を探して来た道だった。天の摂理は独生女を探して来た摂理があったのです。」「御父母様は一つです。」


本当に本当に愚かですね。「東夷民族の話は韓氏王国、それが韓半島と日本に広がって下りて来た。」幼稚園の生徒もこんなこと習いません。韓国では。歴史を作っているんですね。作ってもただ「御父母様は一つです。」と言えば大丈夫なんですね。


「そのような点で結論的に言えば、韓半島は再臨メシア独生女を立てるため。」「御父母様は一つです。」


皆さんは何か死にかけている空っぽの馬鹿者愚か者たちです。サタンの嘘が通ってサタンの嘘の中を見ることができる。本当の人間なら。いくら大きな声で、「御父母様は一つです。御父母様は一つです。」と言ってもわかるんです。


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2016年1月1日金曜日

<真理の帯を締めて> 立ち上がれ!キリストの花嫁、神の息子たち!!!

あれほど真の父が開けてはならぬと言われたパンドラの箱がそれを託された全人類の母によって開けられてしまった。
今、聖書の黙示録に記された最後の聖戦に望む時。
立ち上がれ!キリストの花嫁、神の息子たち!!!





 神様は私たちに、
 14すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当てを胸に着け、
 15 平和の福音の備えを足にはき、
 16 その上に、信仰の盾を手に取りなさい。
  それをもって、
  悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
 17 また、救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、
   神の言を取りなさい。と仰いました。


皆さん、よく聞いてください。『真理の帯』は『正義の胸当て』を持ち上げ、『御霊の剣』を持ち、『信仰の盾』も持ち、『平和の福音の備え』と連結しており、また、生殖器を守ります。
“真理”とは神様のみ言葉です。キリストは真理です。キリストは何ですか?“ロゴス”です。ヨハネによる福音書1章にでてきます。“ロゴス”、神様のみ言葉です。真理のみ言葉、み言葉の上に正義があります。考えてみてください、皆さん。
剣も、盾も、槍も居場所がありません。武器のない軍勢となるのです。そうでしょう?神様が私たちに全身武具を与えてくださいましたが、最も重要なものがベルトです、『真理の帯』。なので、一番初めに出てくるのです。『すなわち、立って真理の帯を腰にしめ』、このように。
 皆さんも武士の精神で、お父様のために生きる真の新婦と息子のように、全身武具をまとうことのできる勇士となってください。皆さんは、お父様から全身武具をもらいましたが、それを今、まとわなくてはなりません。私たちがお父様を守り、サタンを分離し退ける役事の中で、聖霊が私たちの五感を開き、霊界に入り、霊界で戦い、霊界でお父様と活動することのできる、このような驚くべき時代が開かれました。皆さん、全身武具の聖霊の力が注がれる役事を受けられてください。
アージュ。


お父様に戻る祝福、随時受け付けています。

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