2025年6月20日金曜日

環太平洋時代到来、宜蘭の聖殿 ◆ 2025年6月18日_韓国語水曜礼拝_台湾定州開放霊肉精誠40日<1> 金甲用(キンガビョン)訓師

 環太平洋時代到来、宜蘭の聖殿

2025年6月18日_韓国語水曜礼拝

台湾定州開放霊肉精誠40日<1>

金甲用(キンガビョン)訓師

監修fanclub三原

韓国語水曜礼拝 한국 수요예배 金甲用キンガビョン訓師 06 18 2025


太平洋時代の到来、台湾拠点宜蘭の聖殿


尊敬し愛する食口の皆さん、本当にお会いでき嬉しく思います。

真の御父母様の御命令に従い、二代王様が環太平洋時代を開かれ、台湾の地を拠点に摂理を進めておられます。

その御旨に合わせ、それぞれ与えられた環境で摂理を担い、心を一つにし、精誠を捧げてくださった恩恵に、心から感謝の言葉を申し上げます。


本日、私は、水曜礼拝の代わりとしての言葉、環太平洋時代の到来、台湾、定州解放、霊肉精誠の40日に関する 報告を申し上げるためにこの場に立たせていただきました。


この40日間の期間中に、本日最初に報告する内容は、2025年6月2日から6月17日までの16日間にわたる内容に焦点を当てて報告いたします。


まず最初に訓読いたします。本日の訓読は「平和を愛する世界人」の287ページを訓読いたします。


夢の中でも慕わしくて一足飛びに駆け寄ったその家が、いま目の前に現れました。夢か現実かと思って、しばらく家の前で望夫石のように立った後、家の中に入りました。

本来は母屋と客間、そして倉庫と畜舎が互いに向かい合った四角い形の家でしたが、全てなくなり、今や母屋だけが残っていました。

私が生まれた奥の間に入っていき、あぐらをかいて座ってみました。

このようなとき、昔の記憶が、昨日のことのように鮮明に蘇ってきました。


お父様の「平和を愛する世界人」の書物からの言葉です。今日、私がこの御言を訓読することになった動機は後で説明しますが、これがまさにお父様の幼少期の記憶を呼び起こすような家の形だから、この家を訓読の中心に据えたことをお伝えしたいのです。


私が最初に講義をした際、王様が台湾を重視し摂理をなさる際に、どこで新たな摂理の出発点をどこに置くかについて、第一次世界巡回の際、台湾全体を一周する21日間の行程を歩かれたことがあります。

宜蘭縣- 維基百科,自由的百科全書

その21日間行程で、台湾の「 宜蘭(Yílán)県」という、赤い丸い形で示した宜蘭(Yílán)県に、太平洋時代を開く中心基地として出発点を定められたのです。


したがって、本日はこの地域の住所など具体的な内容は保安上の理由で申し上げませんが、 ただ宜蘭県というこの場所に、太平洋時代の中心である台湾を中心として摂理の基地が出発する起点である、と申し上げたいと思います。


では、宜蘭(Yílán)県は松山(Songshan)国際空港から約1時間の距離にある地域です。

また、桃園(Taoyuan)国際空港からは約1時間30分ほどかかる距離です。

つまり、台湾の首都に近い地域に新しい基地を中心拠点として出発の基点を設けられたということです。

このように報告させていただきます。

では、台湾を拠点とした出発の基点であるこの場所から、実際6月1日からここから天の摂理が出発することになります。


では、ここ現在の基地中心の出発拠点は、敷地面積が2,300坪、建物は860坪です。

4人の部屋が16室あり、1階と2階で構成されています。

そのため、四角形に整然と配置されており、お父様の幼少期の家と似たような形状をしています。

そのため、私たちは自叙伝を通じて訓読しながら、数日前の朝に「ああ、それで二代王様がこの地を出発の起点として定州の地と結びつけ、起点として定められたのだ」と、皆がそう感じたのです。


ここに入ると、正門に入ると第1番目の家が見えます。その次にヤシの木が両側に並んでいます。見た目も非常に美しい光景です。

さらに少し進むと、本館の正門が現れます。本館の正門がこのように見え、その先には台所があります。

また、現在前方には聖殿と講堂として使用される場所です。

前方ここを整理して、王様が次々に描かれた絵を、お父様の生涯路程に関する絵をこのように並べて、礼拝や講義を行い伝道もしながら、真のご父母様の生涯と功績に関する内容を説明するための講堂となります。


この食堂は100人が同時に食事できる規模で設計されています。


次にこの家を見ると、2階建てで、2階と1階はすべて部屋16室として配置された宿舎です。そのため、最初の4つの内容を上に配置すると四角形がぴったりと形成されます。この四角形は、お父様の幼少期の出発点として、私たちが連想する起点です。


次に、この倉庫ですが、現在は倉庫として使用されていますが、ここを 今後改修して射撃場へ、伝道のための射撃場を造ると言われ、また健康のための柔術活動もできる施設を整備し、健康と射撃を軸にした伝道の場として活用する予定です。そして、この広大な芝生エリアには、菜園も作れ、様々な野菜を植えて私達が利用できる広々とした畑があります。


ですからここはどういう所か?現在 神様の摂理の中心軸が台湾を軸に宜蘭(Yílán)県を通じて、ここから中国へ、北朝鮮へ、そして北朝鮮の定州の地に新しい歴史が築かれていくその歴史を築いていく私たちの慕わしい摂理の故郷です。このように私たちは見ることができます。


訓師が精誠を捧げるようになった経緯


ああ、そのような構造を持ったこの場所ですが、私たちの訓師たちは6月1日に出発しました。

しかし、韓国にいた時、(ニ代王様は)訓師たちは40日間の精誠を捧げなければならないと何回もおっしゃいました。


そのため、私たち訓師たちは相談を重ね、王様が望まれる6月1日から40日間の精誠を捧げようと互いに誓い、6月1日に私たち5人は仁川国際空港2ターミナルに入り、飛行機に乗り、7時55分に出発しました。

ここに着くと9時25分、桃園(Taoyuan)国際空港第1ターミナルに到着すると、李相烈(イ・サンヨル)協会長がお迎えに出てこられました。

その後、車に乗って1時間半かけて11時30分に台湾のこの聖殿に到着しました。


そうしたところ王様が中国語で礼拝を捧げておられました。私たち一行は礼拝後に歓迎していただき、記念撮影もしていただきました。


その際、二代王様が助言として趙恩恵(チョ・ウネ)訓師に「今回の40日間の精誠を捧げる期間は、金勇力(キム・ヨンヨク)訓師も一緒に参加する」とおっしゃいました。


そのため、実際は5人が全員で精誠を捧げていますが、現在40日間の精進を捧げていますが、6人で精進を捧げていると私t地は報告できます。


ニ代王様が中国服で礼拝をされる理由


礼拝はこのような服装で捧げておられました。

そして最後に私たちも一緒に礼拝を締めくくったのですが、その日初めて来た家庭がいました。


香港の教会に通っていたが、こちらに引っ越してきた家庭です。

その方が参加して一緒に礼拝を捧げました。はい、王様とお話しされている方は、香港から引っ越してこられた方です。ため、現在礼拝に来られているご家庭です。

このようにして現在礼拝を捧げていますが、これが私たちが調整した後に、歓迎記念撮影をしてくださいました。

では、まず私たちが心を込めて、王様が台湾を中心拠点にして摂理をなさった時、現在、食口たちのそれぞれの信仰に応じて感じ方が異なるかもしれませんが、なぜ王様が台湾の地にそのような服を着られたのか、なぜ王様と王妃様が中国の服を着られているのか、というこの深い意味を理解しなければ、この場所で礼拝を捧げるたびに拒否感を抱くことになります。


それで王様の言葉を借りれば、台湾にはキリスト教徒が4%しかいないそうです。

そして台湾の人々はキリスト教徒をそれほど好まないそうです。台湾の地は道教と仏教が中心です。

そのため、この方がここで信仰生活を送る人々と近くなるため、また彼らの中に溶け込むためです。


「私たちが”宗教統一をしよう”と言えば皆嫌がるでしょう。

しかし”宗教同士が平和を築こう”と言えば拒否感がなくなるため、彼らの中に溶け込み、真のお父様の理想を高めていけば、自然とついてくるだろう」

とおっしゃいました。


そして、「この場所で真の御父母様の太平聖代の賛美が絶え間なく行われるようになれば、すぐに霊界が動員され、ここに訪れる人が多くなるでしょう」このように話されました。

「そのため、イエス様と真の御父母様を教えるその時を作るために、精誠込めてこの服を着るのです」このように言われたのです。


では、この立場から見て、なぜ王様と王妃様がこのような服を着られるのか、理解できましたか?

おそらく理解できれば、この服を見るたびに美しく見え、真に優雅に見え、摂理の目で見るようになるであろうと信じます。

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