序文
キリスト教会の皆さん、宗教家の皆さん、マスコミのみなさん、サンクチュアリ教会の皆さん、
菅井教、聖臨連合、菅井派はサンクチュアリ教会ではありません。別宗教です。
菅井教はあまりにも悍ましいサタン宗教なので、サンクチュアリ教会宣教本部でも祝福の相手が菅井派であることを理由に破談、或いは離婚することは正当な理由として認められています。
彼らの詐欺である「①すべては真のお父様のみ言の解説」「②お父様はこのように言っている」とする教えに対してサンクチュアリ教会の指導者、文亨進牧師(二代王様)は菅井派に影響を受ける人が目を覚ますように警告や啓蒙をしなさいとサンクチュアリ教会長たちに指示しています。
これはその指示によるものです。
サンクチュアリ教会はどうして菅井教に騙され安いのか?
マタイによる福音書 13:41~42
人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
菅井教に正義誠実性がない
菅井教が最も邪悪であり且つ神学的最大の欠点は、菅井教の経典「真の父母様の本体論」の本質はキリスト教で言う低位(低い)キリスト論であるにもかかわらず、
文亨進師の御言を利用して、「文亨進師のキリスト論を言葉通り信じる、ただし象徴として信じる」などと、大いに人々をからかい馬鹿にする人類史上最高にふざけた詐欺詭弁論を『「真の父母様の本体論」は高度な高位(高い)キリスト論であると天宙に誇ることです。
あちらこちらに文亨進師の説教を、さも信じているかのように着飾るその詐欺のテクニックは最高に高度なのですが、その仮面を剥がすと、実に醜い嘘とペテン。正義、誠実の欠片もありません。
菅井教はキリスト教として終わっている
神学的に見ても菅井教はキリスト教として終わっています。
なぜならアガペーの愛を創造後の肉的五感からくるものとしてしまったからです。
しかもそれは菅井教が誇る母性の愛をも否定するという墓穴を掘ったことも知らずに否定しました。
詳細は以下のリンク先を読んでください
これは完全に、高位キリスト論のキリスト教はおろか、低位キリスト論のキリスト教も完全に敵にしてしまったことを意味します。キリスト教の言葉を使っているだけのペテン論であることがキリスト教会の前に暴露されたのです。
だからブログ村キリスト教会カテゴリーでは活躍できず、騙しやすいサンクチュアリ教会で自分たちは高度なキリスト論だと言い張るのです。
菅井教はヒンドゥー教の両性具有神に類似する
なぜサンクチュアリ教会の信徒は騙しやすいのか?
今回は、それを論じるために、
基本的に「真の父母様の本体論」は徹底的した女性先感先惟論であるという問題について少し深堀りします。
女性先感先惟論のについてはリンク先を一読ください。
<異端の夜の神>女性先惟先感論が言う真の愛とは-1◆共通概念考察
菅井教の教えは、まるで両性具有神であるヒンドゥー教のアルダナーリーシュヴァラです。
宇宙の創造神ブラフマー神が宇宙創造がうまく行かず瞑想したところ、シヴァ神が半男半女のアルダナーリーシュヴァラの姿で現れます。
これは宇宙創造には男性原理(プルシャ)だけではなく女性原理(プラクリティ)が不可分であることを示し、このアルダナーリーシュヴァラは男性部分(シヴァ)と女性部分(シャクティ)に分裂し、この二つの原理の結合と相互作用によって、多様な生類が世界に創造されという神話です。
実に菅井教はこの神話に似ています。
シヴァ神は、菅井教の「愛が込められた前段階エネルギー」を示し、そしてアルダナーリーシュヴァラの女性原理(プラクリティ)が包容感とそれに込められた愛、男性原理(プルシャ)が包括感といったところです。
「女性原理(プラクリティ)の包容感によって真の愛に目覚め、女性部分(シャクティ)の実体を求めて創造を始めた」。
とても似ています。
日本人の八百万神、女神信仰感にフイットする
菅井教の「母がいなくては子が産まれない」というアルゴリズム
菅井教の魅力は、このようなヒンドゥー教の天地創造のような内容を、御父様の御言を使い韓流恋愛ドラマのように展開させるロマンスに満ちていることでしょう。
女を知らない男である神がふとしたこと(包容感)から女の存在に気づき愛に目覚め、その実体の女を包括感で実体的に愛することを求めて天地創造を開始したという壮大な(笑)恋愛創造論です。
日本で韓流ドラマが流行したように日本民族の感覚には非常にフィットします。
また女性神を祀って来た日本民族の霊性にとてもマッチしています。
つまり日本人の神観はもともと女性先感先惟論的なのです。
そのような日本人に、女性がまったく関与しない神学であるキリスト教の三位一体論を理解するのはほぼ不可能です。これが日本にはキリスト教徒が1%しかいない理由の一つです。
菅井教のように三位一体論をこのヒンドゥー教のように再解釈しキリスト教用語で飾った異端教でなければ、日本人には、ほぼ信じることはできないのです。
菅井教が、文亨進師やキリスト教の3つの男性格からなる三位一体論をヒンドゥー教のようにしか再解釈できないことは次の彼らの言葉で明白です。
菅井氏:「父が息子娘の為に犠牲になる血」
父がいるならば、そこに必ず母がいます。父だけでは血統は生じません。書いていなければ無いものと受け止めるのが、三原さんのようです。https://kuruto.muragon.com/entry/266.html
菅井氏:神様が構想理想を構築するにあたって「父子の関係」を先惟したと主張していますが、「父子の関係」という言葉にすでに母は内在しているのです。母がいなくては子が産まれないのは自明だからです。
日本民族の抱える偶像崇拝という無意識世界の鬼神を対象化していきましょう!
菅井教は、根本的にキリスト教の三位一体論がまったく理解できないことがよく分かります。
絶対不可能の領域です。
キリスト教の父と子と聖霊の3つのペルソナは男性として表現され、この3つの関係はアガペーの愛として創造前から存在していたという、このキリスト教の基本がまったく根本壊滅的に理解できません。
理解できないから「二代王様(文亨進師)の三位一体論は比喩象徴、詩的表現だ、本質は包容感によって真の愛に目覚めて、本形状がキリストでetc」としか解釈できないのです。
キリスト教のいう父子の関係の三位一体をそのまま信じるということは、菅井教のアルゴリズムでは「母がいなくては子が産まれない」「父と子の関係が創造前にあったなんてナンセンス」ということになるのです。
だから菅井教は、神は男性格であるがゆえに女性を包容感により先感したという女性先惟先感論になるしかないのです。
つまり菅井教のアルゴリズムの基本概念である包容感包括感の本質は女性先感先惟論です。
菅井教の神学の解釈は、全てこの「母がいなくては子が産まれない」「父と子の関係が創造前にあったなんてナンセンス」というアルゴリズムで構築されています。
このアルゴリズムは天照大御神という女神を信仰してきた日本人には非常に納得の行く思考方法です。
八百万神とその主神である女性神を信じてきた日本人には父なる神、一神教から出てきた三位一体論を理解するのは非常に困難です。
どうしても、この日本人のDNAに刻まれた神観は、神の「二性性相の中和的主体」という統一原理の言葉を一神教ではなく男女の二元論で捉えてしまいます。
だから日本人は、菅井教の、神は男性格であるがゆえに女性を包容感により先感したという女性先惟先感論に惹きつけられるのです。
日本人にとって、キリスト教の父子関係を表した三位一体論は、「は?創造前に父子関係が存在した?イエスが創造前に存在した?なんて浅はかな考え!!父子関係は母がいてこそ存在できる。イエスの三位一体は創造後にきまっているでしょ!」となるしかありません。
そして「だから文亨進牧師が言われる創造前の三位一体は詩的表現であって、本質は、本性相が神様で~、本形状がキリストで~、これが最も高度なキリスト論!私達は見えない真理に達した!」などという発想になるしかないのです。
これが、サンクチュアリ教会の信徒が菅井教に騙されやすい理由の一つです。
文鮮明師の御言の、キリスト教的理解と菅井教的理解を比較
菅井教は文鮮明師の御言を多用しますが、
当然、文鮮明師の御言の理解もそういうアルゴリズムで菅井教は解釈します。
ここでは以下の文鮮明師の御言をキリスト教的理解と菅井教的理解を比較してみます。
文鮮明師:
神様と人間が父子の関係だといいましたが、父子の関係がもつ特定の内容が何か? 父と息子が出会える最高の場所は、愛が交差するその中心、生命が交差するその中心、理想が交差するその中心です。そのようになれば、愛と生命と理想は一つの位地にあります。その位地に行けば神様も愛であり、私も愛であり、神様も生命であり、私も生命であり、神様も理想であり、私も理想です。それを決定し得る最初の因縁が、父子関係です。(69-78)
□ 菅井教のアルゴリズムによる解釈:
菅井教のアルゴリズムでは、この御言の解釈、父子の関係の解釈は、女性を得てからのことだと理解します。
菅井教:
「父子の関係」の「子」で表現されている意味は、「イエス様」ではなく「全人類」の事です。さらに「父子の関係」とは「人間が生きる上での関係性」のことを語られています。
夜の神様が愛する対象としての真の母となる女性を得て、成長期間をともに授受作用して成長してこそ、夜の神様自身が一人でも真の父母の「父」となるのです。
https://ameblo.jp/hosizoralove/entry-12868121158.html
ここで真のお父様が語った「父子の関係」の父子とは、四大心情圏を成就した神様の事であり、同様に四大心情圏を成就した真の父との関係です。
つまり、「天宙の中心的法則・原理は、父子の関係です。」と語られた「父子の関係」も、「宇宙が父子の関係で創造された」のみ言におけるものも、さらに「父と子と聖霊の三位一体論」における「父と子」も、ともに四大心情圏を成就し、一人でも真の父母となった神様であり真のお父様です。
https://ameblo.jp/hosizoralove/entry-12868033088.html
このように、菅井教にとって、キリスト教三位一体のもっとも重要な「父子の関係」が女性が存在しない創造前に存在したということは根本的に受け入れることは出来ないのです。
これは菅井教のアルゴリズム「母がいなくては子が産まれない」と対となる「男は女性を得なければ父になれない。四大心情圏を成就できない」から来ています。
当然、この菅井教のアルゴリズムは、キリスト教三位一体論が言う愛、完成した父の真の愛(父の犠牲の血の愛、アガペーの愛)が創造前に存在することなどあり得ないと分析するのです。
このように、菅井教のアルゴリズムでは文鮮明師の御言を、これをキリスト教の三位一体論で考えることは絶対に不可能なのです。
□ キリスト教のアルゴリズムによる解釈:
しかし文鮮明師の先の御言はキリスト教三位一体論を信じるものにとっては、「文鮮明師は、ああ、クリスチャンなのだな」と感動できる御言です。
父と息子が出会える最高の場所は、愛が交差するその中心、生命が交差するその中心、理想が交差するその中心です。
この箇所は、これは、三位一体論を信じるキリスト教徒には、非常に感動する御言です。
三位一体論では父子の関係は愛と生命と理想が交差する中心点だからです。
それでは、この文鮮明師の御言を、キリスト教の立場で説明します。
・父子の愛の交差
三位一体の父子の関係は愛の交わり(Communio Love)と理解されます。
これは 父が子を愛し、子が父を愛するその「愛そのもの」が聖霊であるとされます。
愛は対象があって初めて成立するため、神の中に「愛する者(父)」と「愛される者(子)」が存在することが、神がアガペーの愛の本源である証しとなります。
・生命の交差
父から子へと永遠に注がれる生命の奔流が、万物の創造と救済のエネルギーとなります。この生命の循環(ペリコレーシス)こそが、すべての生けるもののひな型とされます。
・理想の交差
理想は神なる父の完全な自己表現であり、神の知恵と理想が具体化された姿です。この父子の調和こそが、人間や宇宙が目指すべき究極の秩序(理想)のモデルとなります。
このように父と子の垂直的な絆に聖霊の水平的な広がりが加わることで、三位一体は「生きた愛のダイナミズム」として理解されるのです。
キリスト教徒から見ればこの文鮮明師の御言は三位一体論の説明として非常に納得できるのです。
しかし菅井教徒には絶対にこれを理解できません。
菅井教のアルゴリズムでは、「母がいなくても子が産まれない」「父と子の関係が創造前にあったなんてナンセンス」となってしまいます。
だから、文亨進師がこのような三位一体論を語られても、全て比喩と象徴だとなってしまうのです。
官能神学的な菅井教
この御父様(文鮮明師)の御言を菅井教のアルゴリズムで書き換えると次のようになるでしょう。
神様は包容感で対象、女性の存在を先感したのですが、この関係がもつ特定の内容が何か? 包容と包括、男と女が出会える最高の場所は、愛が交差するその中心、生命が交差するその中心、理想が交差するその中心です。そのようになれば、愛と生命と理想は一つの位地にあります。その位地に行けば神様も愛であり、私も愛であり、神様も生命であり、私も生命であり、神様も理想であり、私も理想です。それを決定し得る最初の因縁が、包容感包括感の関係です。
こうして菅井教アルゴリズムで書き換えてみると、韓流恋愛ドラマのようなロマンスを表現できたかと思います。
ここに「包容感をもたらした絶対無のなかで見えなかった本形状がキリストなのです。」「この包容感包括感からくるのが聖霊なのです」などという言葉を加えたら、よりグッとサンクチュアリ教徒を騙せる魅力的なペテン師詐欺文になるでしょう。
この上の書き換え文を読んで、感動を少しでも感じた方はとても危険です。くれぐれも気をつけてください。
菅井教の文章は、こういうロマンス官能神学的文章で満ち溢れています。
一方、創造前の父子の関係の愛を表すキリスト教の三位一体論に、このようなロマンスはまったくありません。
くれぐれも甘いロマンスの詐欺に騙されないよう気をつけてください。
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