2025年5月21日水曜日

キリスト再臨アドベント36 統一教会カルト信者が、Redeemed Zoomerに応える◆文信俊三代王◆The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

キリスト再臨アドベント36

統一教会カルト信者が、Redeemed Zoomerに応える。  

文信俊三代王


翻訳&提供:Michiyo H.

36. (20250515)

A Unification Church Cultist Responds to Redeemed Zoomer



統一教会カルト信者が、Redeemed Zoomerに応える。


[皆さん、こんにちは!今日は、@redeemedzoomer6053(プロテスタントの有名なYoutuber)の私たちに関する短い内容に対してお答えします。私たちの信仰の伝統に対する彼の簡単なコメントに対して、私の動画がある程度の明瞭さをもたらすことを願っています。お楽しみください!


📖 もし、御自分で原理講論を読みたければ、このリンクにアクセスしてください: https://www.unification.net/dp73/]


数日前、統一教会の伝統を批判している、Redeemed Zoomer(リディームド・ズーマー/贖われたZ世代)のビデオを偶然見つけました。

私は、しばらく前からRedeemed Zoomerを見ていて、正直なところ、彼の内容が好きです。

彼のスタイルはスピードが速く、物事を詳細に説明することを意図していないと、私は理解しています。


そのようなわけで、私自身、ひとりの贖われたZ世代(ズーマー)として、私たちの信仰の伝統に関する彼のコメントのいくつかに答え、もう少し深く解き明かしたいと思いました。

このビデオでは、私の考えを簡潔かつ実直に説明しようと試みました。 

ですから、これは決して、私たちの立場を擁護するための徹底的な分析ではありません。


というわけで、彼の批評を聞いて見ましょう。

<Redeemed Zoomerの動画>

{次は統一教会、略してムーニーズ、なぜなら、韓国人のサンミョン・ムーン(文鮮明)氏によって創設されたからです。彼はキリストの再臨であると主張しました。}

そうです。私たちは、ヨハネの黙示録3章12節で語られているように、キリストが「新しい名」と共に、ファーザー・ムーン(文鮮明お父様)という方として来られたことを認めています。

しかし、状況としては、イエスもまた、単にメシアであると主張しただけであり、人々の大多数はイエスを信じることさえしませんでした。


歴史と聖書は、イエスの時代の選ばれた民が、自分たちが作り上げたメシアに関する枠のためにイエスを認識できなかったことを示しています。

同様に、私たちは、ファーザー・ムーン(文鮮明お父様)の時代の選ばれた民が、私たちが作り上げた狭いメシアに関する枠のせいで、彼を認識できなかったと信じています。


<Redeemed Zoomerの動画>

{そして、彼と彼の妻はすべてのクリスチャンの真の父母でした。}

イエスがクリスチャンだけでなく全人類の主であられるように、ファーザー・ムーン(文鮮明お父様)も、もし彼が主張されるその方であるならば、同じです。

さらに、「真の父母」という称号について簡単に説明する必要があります。


神は当初の御計画において、アダムを全人類の真の親、あるいは祖先とすることを意図されました。

アダムは予め定められていたエバとの一体化の上に、創世記1章28節に記されている神の創造理想「生めよ(実を結ぶこと)」「ふえよ」「治めよ」を、堕落することなく成就するはずでした。

アダムとエバは罪のない父母となり、彼らの子供たちと子孫は罪のない者として生まれ、罪のない世界に住むはずでした。


しかし、神の御旨に完全に反する堕落の悲劇は、この本来の理想を打ち砕きました。(創世記2:17、6:6-7)

従って、キリスト、あるいは第二か最後のアダムが来られるとき、彼の第一の願いは十字架の道を行くことではなく、本来の創造理想を実現することなのです。(コリント人への第一の手紙15:45-47)


因みに、キリストの第一の願いが十字架ではなかったと私が考える20の理由を紹介しましたので、以下のビデオをご覧ください。

(「イエスは死ぬべきではなかった」 - イエスが死ぬために来られたのではない10の理由

「メシアはなぜ十字架につけられたのか」 - キリストの本来の願いは十字架ではなかった、さらなる10の理由)


さて、本題に戻ると、

キリストが再臨されるとき、最初に来られたときと同じ使命を担っておられます。

(創世記1:28)

1. 人間性に関する成長過程を全うすること。

2. 堕落した世界から罪深い女性を見つけ、復帰させ、エデンを復帰するプロセスを始めること。

そして最後に

3. 神の王国を地上に創建すること。


特に第二の祝福に関して、「真の父母」という言葉が生まれます。

私たちは、ファーザー・ムーン(文鮮明お父様)と完全に一体となった忠実な女性が、文鮮明お父様とともに霊界から、その後継者として指名された方を導いておられると信じています。


それでは、続けます。

<Redeemed Zoomerの動画>

{キリストの再臨であり、彼と彼の妻がすべてのキリスト教徒の真の父母であると主張しました。

ムーニーズは何千人もの人々が一度に結婚式を挙げる合同結婚式で有名です。}

この事を取り挙げてくださり感謝します。

神の子供たちが、人種と文化と国籍を超えて神聖な家庭を築くことを通して、世界平和を実現しようとするのをご覧になって、神は喜んでおられると、私たち二人とも同意できると思うからです。

実際、文鮮明お父様は、異なる人種や歴史的に敵対関係にあった国の人々を、愛によって過去の敵対関係を克服するために、しばしば意図的にマッチングされました。

さらに、この愛の実現を通して、レバレント・ムーンから結婚を祝福されたそれぞれの家庭は、自分たちの家庭の中で、本来の創造理想を実現するために努力することを誓います。


以上、簡単なコメントをして、続けて見ていきましょう。

<Redeemed Zoomerの動画>

{ムーニーズは何千人もの人々が一度に結婚式を挙げる合同結婚式で有名です。

ムーン(文氏)は『原理講論』という本を書きましたが、これはイエスが9年の歳月をかけて彼に明らかにしたと主張しています。}


そうです。私たちは、文鮮明お父様が北朝鮮で16歳のときにイエスと出会い、聖書の秘密を発見するプロセスが始まったと信じています。

もし、あなたが御自分で『原理講論』を読みたいと思うのでしたら、説明欄にリンクを貼っておきました。


<Redeemed Zoomerの動画>

{ムーン(文氏)は『原理講論』という本を書きましたが、これはイエスが9年の歳月をかけて彼に明らかにしたと主張しています。イエスが十字架につけられたために完成できなかった御業を、彼が成し遂げられるように。} 

ですから、特にこの点に関しては、この発言を解き明かすのに3秒以上の時間が必要です。

第一に、私たちはイエスが失敗したと信じている、というよくある非難です。

これは明らかに誤りです。


聖句から論じて、失敗したのは選ばれた民であり、それがイエスが十字架につけられるという結果をもたらしたと、私たちは明確に説明しています。

言い換えれば、失敗したのは選ばれた民、特に指導者たちであって、イエスではありませんでした。

(ヨハネ福音書6:28-29)

聖書の中にある数多くの証拠となる聖句に基づけば、キリスト御自身が彼らに信仰をもつように命じられたように実際にイスラエルの住人がキリストを信じていたなら、十字架につけられることはなかったでしょう。


十字架とは別の優先すべき道がありました。

もう一度申し上げますが、詳しくは、前に紹介したビデオをご覧下さい。

誤って伝えられた私たちの状況に類似している例として、出エジプト記にあるモーセと金の子牛の有名な物語を挙げます。

民が神とモーセに背いて金の子牛を拝んだとき、その失敗は誰の過ちでしたか?

選ばれた民の過ちですか、モーセの過ちですか?

答えは明白です。

選ばれた民の行動がモーセの過ちだと主張することはあり得ません。

同様に、イスラエルの指導者たちが神とキリストに背き、彼らのメシアを十字架につけたとき、その失敗の責任は誰にあるのでしょうか?

選ばれた民、特に指導者たちの責任ですか、それともイエスの責任なのですか?

答えは明白です。


あなたの最初の発言に戻りますが、 

もし、依然として論争の中心点として残っている、十字架が第一の道ではなかったというのが真実だとすれば、

それは、不従順のために第一の道が実現されなかったことを意味します。

ということは、キリストが再臨されるときには、第一の道はキリストによって実現される必要が、まだあるということです。


したがって、私たちの神学に対するこの非難は、キリストの完全な御旨が十字架上で実現したという仮定に基づいているのであり、私はその仮定はキリストと聖書が述べていることではないと思います。

最後にもう一度、先程申し上げた2本のビデオをご覧になることをお勧めします。


<Redeemed Zoomerの動画>

{イエスが十字架につけられたために完成できなかった御業を、イエスが成し遂げられるように。

それは神学書のように構成されており、誰もが救われると教えます。}


この点については、あなたが私たちのすぐ後に挙げた、ユニテリアン・ユニバーサリスト(北米でプロテスタントから派生したリベラルな宗教)と同じようなものを、私たちは信じていないということを大いに明確にしたいです。


つまり、私たちは、地上での信仰や行いに関係なく、すべての人が自動的に救われるとは絶対に信じていません。

さらに重要なことは、霊界においてさえも、誰でも神のもとに行くのにはキリストを通してのみであると断言します。


(ヨハネ福音書14:6) わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。


言い換えれば、私たちは地獄の絶対的な現実を信じ、地獄にいる人々が悔い改め、「死人にさえ宣べ伝えられた福音(ペテロの第一の手紙4:6)」を受け入れない限り、永遠の罰を受けることも信じています。

さらに、C.S.ルイスの有名な言葉にあるように、「地獄の門は内側から鍵がかけられている」からです。

もし、彼らがキリストに頼るなら、人々はやがて、そしてやがて長い時間をかけて、故意の永遠の別離を終わらせるプロセスを始めることができると、私たちは信じています。

C.S.ルイスについてすでに話していたので、この同じテーマはルイスの『天国と地獄の離婚』にも、魂は神に近づくことを選択できる、と力強く描かれています。

将来、このテーマについて、より深く論じるビデオを作るつもりです。

そのビデオをご期待ください。


<Redeemed Zoomerの動画>

{誰もが救われると教えます。三位一体を否定します。} 


この点に関して、私たちは文鮮明お父様が明らかにされたことを総合的に見る必要があります。

文鮮明お父様が昇天(聖和)される直前にくださった最後の啓示は、彼が 「夜の神と昼の神 神学」と呼ばれたものです。

この理解を通して、彼はキリストの存在論的ステータスに関する多くのことを明らかにされました。


ひとつ極めて重要なことは、神の子である神の本質が、父との関係において天地創造の前から永遠に存在していたと強調されたことです。

この点は、キリスト教が三位一体の教義を完全に形成し具体化するまでに数百年を要したのと同様に述べられなければなりません。

文鮮明お父様の昇天(聖和)からわずか13年しか経っていないので、私たちはまだ理解を深めようとしているところです。

さらに、三位一体に関しても、キリスト教の中には様々な見解があるという事実を認めなければなりません。


夜の神と昼の神という神学に照らして、私が現在理解しているのは、

1. 私たちは、高キリスト論を絶対に確言する。

そして 

2. キリストと御霊(聖霊)は、何らかの形で永遠に父と共に存在した。


このことは、キリスト論に関して、私たちを正統派の領域に入れてくれると信じています。

しかし、私がキリスト論と三位一体という非常に微妙で複雑なテーマに関して特に述べたように、私たちはまだ、夜の神と昼の神の神学に照らして、文鮮明お父様が明らかにされた、キリスト論の全体像を理解しようと努力している最中です。(および三位一体主義)


彼の最後のポイントに行きましょう。

<Redeemed Zoomerの動画>

{三位一体を否定します。そして、堕落はエバがサタンと性的関係を持ったときだと教えます。}


単に何かが不合理だとほのめかしても、もしそれが聖書と一致していれば、実際に不合理だということにはなりません。 


私がすぐに説明できる理由は2つあります。

第一に、聖書は他の箇所で、果実を食べることを下半身の比喩として描写しています。

(雅歌4:12-16,7:6-8)

上に挙げたかなり刺激的な章を参照ください。

私の二つ目の理由ですが、 

アダムとエバは果実を食べたとき、どこを覆いましたか?

罪を犯した部分を隠すのは人間の本性です。

例えば、クッキー入れから禁断のクッキーを盗み食いした子供は、生殖器ではなく、口を隠すでしょう。

しかし、アダムとエバの場合、禁断の果実を食べた後、口を覆いましたか?それとも、下半身を覆いましたか?


すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることが分かったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。(創世記3:7)


この2つの理由に基づいて、あなたは罪の場所を判断することができます。

しかし、これについてもっと多くの理由をご覧になりたい場合は、私の最も人気のあるビデオ、「ルシファーがエバとセックスした聖書的証拠」をご覧ください。


さて、これで、このセクションは終わりです。

ただ、もう一つ言いたいことがあります。

自分の意見に反対する人々にカルトのレッテルを貼るだけでは、神学的な議論は生まれません。実際にそれを妨げています。

意味のある議論に参加するよりも、屋上からカルトと叫ぶ方がずっと簡単ですし、聖書を見ても、カルトとは何かという普遍的な拘束力を持つ定義はありません。

歴史的に見ても、キリスト教もカルトと見なされていました。

実際に議論を育むことができないから、ある集団にカルトのレッテルをただ貼るだけです。


キリスト教徒は何世紀もの間、無神論者、人食い人種と呼ばれることに、そして近親相姦関係に耐えなければなりませんでした。

早合点しないように注意しなければなりません。

イエスとその信奉者たちがカルトであると確信している、イエス時代の律法学者やパリサイ派の人々とまったく同じ立場に、私たちが立つことのないように。


また、キリスト教内部でも、いくつかの信仰が異端とみなされるかどうかについては、多くの議論があります。 

その一例を挙げると、

神は人類の大多数を地獄に落とすと定めておられるので、その永遠の定めを変えることのできる世界などあり得ないという信仰は、他の多くのキリスト教徒から異端視されています。

ですから、どんなビデオを見るときでも、十分な知識を持った視聴者はこの状況を理解する必要があります。


さて、最後に、

私たちには多くの意見の相違がありますが、私たちの信仰の伝統に関するビデオを制作してくださった、

Redeemed Zoomerに感謝したいです。

このビデオをここまで見てくださった方々に感謝します。

他のビデオもご期待ください。

そして、祝福された一日をお過ごしください。