異端爆破者、淫教のメシア
序文:異端者、爆破者、菅井派たち
私的神学論は自由なサンクチュアリ教会です。
しかし、多くの人々が非難するのはそこではなく菅井氏らのように「お父様はこのように言っている」と主張すること、これが問題であり、文亨進師がこれをやれば滅びると言われるのです。
菅井睦雄教祖とその仲間たちは、我らこそが文亨進師を受入れるサンクチュアリだと羊を装いながら、「お父様はニ代王様には摂理を語るが、私には真理を語る」と文亨進師を逆主管し三代王権を自分たちの傀儡王権にしようと企む反逆者背信者たちです。
文亨進師は「お父様はこのように言っている」などという菅井教ら聖殿内部に入り込んだ反逆者たちに対して、文鮮明師の「文亨進は私の後継者、相続者、代身者だ。これ以外は異端者だ、爆破者だ」という審判と、「地獄に行く」「滅びる」という審判を下されました。
それにもかかわらず菅井派はこの絶対厳命に大反逆する大異端爆破者たちです。
それゆえに彼らに対して文亨進師の口から発せられたつるぎ「滅びの聖霊」は、家庭連合を現実に滅したように、神の血統の貞操を守るために聖殿内部に入り込んだこの異端爆破者たちを分立し滅していくでしょう。
異端者、爆破者という審判は、聖書の記述にあるように厳しい重大な審判です。
黙示録19:21 それ以外の者たちは、馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され、その肉を、すべての鳥が飽きるまで食べた。
黙示録20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。
聖霊はまず悔い改めの役事をします。滅びの聖霊が役事する前に、悔い改めの聖霊によって彼らが救われ永遠の生命につながるよう願います。
ヨハネ第一1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
文亨進師はこのような「異端者、爆破者から目を覚ますよう警告や啓蒙をしなければならない」という指令を下さいました。この記事は彼らの救いと、この指令によるものです。
今回は菅井教の神学のセンス、感性感覚についてです。
異端教の「先有条件」解釈
菅井教は「先有条件」に関して次のように誇ります。
「女性に合わせて男性を構想した」というみ言には、三原氏やヤマトの光氏が思いも至れない深い本質的な真の愛の内容があるのです。
それに対して、このような反逆的な解釈をしてしまった事に対して、三原氏もヤマトの光氏も、真のお父様に謝罪する気持ちは無いのでしょうか。はっきりと記事として記述し、誰もが読めるブログとして上げていますから、明確な謝罪の記事を公表するべきです。https://kuruto.muragon.com/entry/388.html
菅井教は、主に多神教や母神信仰によくみられる男神が女性を求める、あるいは女神との結合を求めるユダヤ教、キリスト教が忌み嫌う土着古代原始宗教のセンス感性で原理や御言を解釈します。
文鮮明師の「先有条件」「女性に合わせて男性を構想した」という御言に関しても同じです。
菅井教は、イエス様が創造前から神の子たる神本体として存在しておられたキリストであるとするキリスト神学のセンス感性感覚がまったくありません。
参考:菅井教はキリスト神学センスゼロの超絶勘違い異端教
文鮮明師の「先有条件」「女性に合わせて男性を構想した」という御言に関しても菅井教はヒンドゥー教的、ギリシャ神話的宗教センスで解釈します。
文鮮明師の「先有条件」は創造前ではない
まず文鮮明師のその「先有条件」の御言の一節を見てみましょう。
『アダムを造られる前に、その「先有条件」として、神様は女性を手本にして、その女性に合うようにアダムを造られたのです。
第九回「安侍日」 2004年7月8日』
「アダムを造る前に、」「女性に合うようにアダムを造られた」とあるように、「造られた」という言葉から明らかにこの御言は、創造に着手されるときの御言であることが分かります。
決して創造前の夜の神様のことに関するみ言でないことは誰にでもわかります。
「先に男を創造する前に女のすべての図面をすべて描いた」という文鮮明師の御言もあるように実体的にアダムとエバを造るという創造の段階の御言であることがよく分かります。
ところが菅井教は創造前の神に、この「先有条件」を当てはめてしまっています。
それは菅井教の根底にある宗教の本質がヒンドゥー教的宗教であるからです。
ところで、どうして神は具体的な創造の段階においてエバをアダムより先に考えたのでしょうか?
設計図を書くためには創造理想、何のために創造するのかというコンセプトが明確でなければ図面は引けません。
つまりエバ創造の前に、女性を考える前に、「愛と生命と血統」という天地創造の理想が先にあったということです。
この創造理想に基づきエバの設計図をアダムより先に考え、エバの設計図に合わせてアダムの設計図を描いていかれたのです。
エバを考える前に神は天地創造の理想を先ず考えられたのです。
実際の設計においても、まず複雑なもの、制作困難なものを先に考えます。
神様の創造理想である「愛と生命と血統」を実現するために創造に着手しようとしたところ、女性という存在が必要となり女性は生命を生み出すもっとも複雑で困難な被造物ですから、エバの設計図を先に考え、そこに合うように次にアダムの設計図を考えるのはあまりにも当然です。
もちろん菅井教は、次のような原始宗教なのでこれを絶対に受け入れません。
菅井教の「先有条件」女性先惟先感はヒンドゥー教的
菅井教は、菅井教は「先有条件」「女性に合わせて男性を構想した」という御言を、創造前のことだと理解し、ヒンドゥー教的宗教センスで解釈する女性先惟先感神学論です。
神学というよりも神話です。
菅井教は次のように実に日本民族によるヒンドゥー教的宗教センス感覚です。また宇宙、大地の母ガイア神のギリシャ神話的要素も入っています。
いずれにしてもその感性感覚はキリスト教の感性がまったく無い異端教です。
◎まず日本神話では、
男神イザナギは女神イザナミを求めて夫婦となり、日本列島の島々や多様な神々を生み出しました。
・菅井教の本形状と本性相の出会いと創造着手は、この古事記の神話に極めて類似します。
出雲大社の大国主神は多くの女神と婚姻を結び、各地に子供を残した神として知られます。
・菅井教の夜の神が実体の女性を求めて天地創造に着手したその原型は菅井教が日本民族の土着の宗教観から来ていることが分かります。
この菅井教の根底にある日本神話の感性によって原理、文鮮明師の御言を理解し展開するのでヒンドゥー教的な神学の内容になっています。
◎ギリシャ神話では、
天地創造前に、大地の女神ガイア(母)と、彼女から生まれた天空の神ウラノス(息子)が神エロース(愛)の愛によって交わり、ティタン神族などの多くの神々を生みます。
・菅井教ではガイア(母)が本形状、ウラノス(息子)が本性相として描写され、本性相(息子ウラノス)が本形状(母ガイア)を対象(妻)にします。
◎ヒンドゥー教では、
男神と女神のエネルギーの結合が、宇宙の創造や存続に不可欠であるとされ、
男神シヴァ(意識)は、女神シャクティ(エネルギー)を求め、結合することで宇宙を創造・維持する力となります。この結合した神をアルダナーリーシュヴァラといいます。
「我はシヴァであり、同時にシャクティでもある。我々は完全であり、同時に不完全でもある」
・菅井教でいえばシヴァ(意識)が本性相、シャクティ(エネルギー)が本形状(前段階エネルギー)と理解すれば、実に類似していることが分かります。
男神シヴァ(意識)は、女神シャクティ(エネルギー)に気づかずにいましたがシャクティ(エネルギー)がパールヴァティー女神になってこの存在に気がつき妻とします。
菅井教で言えば本形状(シャクティ:エネルギー)に込められた愛の包容感によって本形状(シャクティ:エネルギー)の存在に気がつくというプロセスと実に似ています。
豊穣の女神ラクシュミーはヴィシュヌの妻であり、慈愛の象徴として男神に寄り添います。
・菅井教的に言えば慈愛の女神ラクシュミーは本形状(包容感)として男神ヴィシュヌに寄り添います。
・菅井教的に言えば女神ラクシュミーは絶対服従し男神ヴィシュヌに360度の包容感を与え、ヴィシュヌは真の愛に覚醒します。
菅井教は原理用語使うなどして現代的にはなっていますが、基本同じです。
このように菅井教は実に◎日本神話、◎ヒンドゥー教、◎ギリシャ神話、とくに◎ヒンドゥー教的です。
ヒンドゥー教の男神シヴァ(意識)、女神シャクティ(エネルギー)の天宙創造は用語の違いだけでかなり菅井教と類似します。
菅井教は4000千年の歴史をもつヒンドゥー教の感性感覚そのセンスで、ギリシャ神話のその感性感覚で文鮮明師、文亨進師の御言を理解すると、こうなるのかという典型例です。
このヒンドゥー教やギリシャ神話の天地創造前の神話、神学を踏まえて、次に菅井教神話を読んでみましょう。
菅井教の、文鮮明師の「先有条件」「女性に合わせて男性を構想した」の解釈は次のようになります。
◎菅井教神話 神話は1→2→3と進みます。
1.前段階エネルギーに過ぎなかった本形状の力の作用に、神様が包容されるという感覚を覚えた時点で、この無限で永遠普遍である前段階エネルギーの作用を、内的愛だと自覚するのです。
(中略)
永遠普遍の夜の神様を包み込んでくるものがあるなどと、全知全能の神様でさえ考えが及ばぬことでした。神様自身と完全一体となっているがゆえに、その存在様相を完全に消し去っていた前段階エネルギーが、神様の核心である心情を通して神様の知情意を刺激した瞬間、神様は前段階エネルギーから与えられた包容の感覚を、内的愛だと認識し自覚したのです。https://ameblo.jp/hosizoralove/entry-12872549501.html
2.つまり神様を包み込んできて誕生させた包容感そのものを、顕現させようとしたのですから、その存在は夜の神様の母という事になるのです。母でありながら神様の対象として、ともに未熟な極地にある生命体として誕生し、ともに成長して、互いに真の愛を分かち合い、包容包括する関係になることを願われたのです。
皆様、この夜の神様になり切って想像してみて下さい。自らを真の愛を探す存在として産んでくれた母という存在に対して、どれほど感激されたでしょうか。その真の愛を成就した母と、真の愛を成就した父となることを目指して、無の暗闇の境地の完全無・絶対ゼロの状態から、ともに成長していく構想を発想した夜の神様は、真の愛の前に嗚咽したに違いないのです。
この真の愛の母となる女性を、夜の神様はどれほどいとおしく、どれほど尊く思われたでしょうか。だからこそ、女性は構想理想の出発点であり、創造の到達点とされたのです。第14回ポイントセミナー「本然の男性と女性の価値と意義」
3.ところが、獲得した心情から、対象を愛し包み込みたい衝動が湧き上がるほどに、それ自体の形を持たない本形状を、包み込むことも出来ないし発見することも出来ないのです。対象を意識し焦点を合わせようとするほどに、無限大の極限で発動する愛の衝動が、果てしれない暗闇の虚空に掻き消されてしまうのです。
そこで神様は、絶対孤独の境地に落ちていくのです。360度から喜びに包み込まれた感覚を味わいながら、その包み込んで来た存在を包み返そうとした時に、その存在はどこにも無く、全知全能の絶対者であった神様が、絶対孤独の境地に落とされたのです。https://kuruto.muragon.com/entry/31.html#google_vignette
いかがでしょうか?
まさにザ・異端( The heresy)です。異端者、爆破者らしい異端神話です。
シヴァ神(意識)が本性相、
シャクティ神(エネルギー)が本形状(前段階エネルギー)、
シヴァ(本性相の知情意)がシャクティ(前段階エネルギー)によって愛に目覚め、
シャクティを母よ対象(妻)よ!と抱こうとするも、
シャクティは実在せず絶対孤独に陥るという韓流ドラマも取り入れた新しいヒンドゥー教の神話を楽しんでいただけたでしょうか。
この菅井教の教えを「ヒンドゥー教の創造前の神の存在様相について、統一原理で解明し説明した」と紹介されても違和感がまったくありません。
このように菅井教の手にかかれば文鮮明師の「先有条件」「女性に合わせて男性を構想した」の御言が、このようなシヴァ(本性相の意識)とシャクティ(本形状のエネルギー)という、ヒンドゥー教の天地造像前の神話になってしまいます。
そこにギリシャ神話の大地の母ガイア神(本形状に込められた愛)崇拝が入っています。
菅井教の本質、その感性はヒンドゥー教シヴァ神(意識)とシャクティ神(エネルギー)であることが理解頂けたと思います。
菅井氏は菅井教はこれを文鮮明師の新しい御言だと言うのですが、そのセンス感性感覚は4000年の歴史を誇るヒンドゥー教と大差ない大変古いものです。
またギリシャ神話的ガイア神やエロース神の要素もあります。これは2800年前の異端です。
このように菅井教の感性は、キリスト教が受け入れられない異端の感性感覚です。
一方菅井教はキリスト教の三位一体論に対する感性センスがまったくありません。
*参考:菅井教はキリスト神学センスゼロの超絶勘違い異端教
つまり菅井教は、文亨進師が紹介されるキリスト教の三位一体論の相互応答を、
ギリシャ神話のガイア(母)思想を取り入れた創造前のシヴァ(本性相の意識)とシャクティ(本形状のエネルギー)とのヒンドゥー教的相互間応答の感性感覚で解釈します。
もちろん、自分のこの感性感覚こそが真理であると思っていますので自己陶酔します。
このように菅井教は文鮮明師の御言、文亨進師の御言を、
日本神話、ギリシャ神話を内包するヒンドゥー教的センス感性感覚で解釈しているのです。
菅井教は原理用語、文鮮明師の御言、文亨進師の御言を多様しても、キリストという言葉を多用しても単なるコスプレです。違う異質なものに変質しています。
コスプレなので文鮮明真のお父様の香りがまったくしません。
キリスト教の言葉を使ってもキリスト教の香りがまったくしません。
その貼りまくられた数々の御言を剥がせばこのような異端教です。
このようにして数多くの異端教をまんまと聖殿に持ち込んだのです。
しかし菅井教はこのコスプレを誇り、悦に入り自己陶酔します。
菅井教「相互間応答」その真の愛の正体
菅井教がいかに本形状と本性相は、人でいえば体(本形状)と心(本性相)に当たるわけですが、たった一人でいた神は自分の体(シャクティ)に気が付かず、自分の体(シャクティ)の包容感によって自分の体(シャクティ)に気がついた途端「お母さん~私の対象(妻)~包み返したい!」と衝動が湧き上がるのですが、次に「ああ包み込めない」と勝手に絶対孤独の境地に落ち入ります。
たった一人の神は自分の体(シャクティ)に気がつきもせず、気がついたら気がついたで自分の体(シャクティ)相手に、絶対孤独に陥る何とも愚かな天宙バカ神です。
おまけにたった一人の神は自分の体(本形状)の包容感に、私の母だ対象(妻)だと母への愛、妻への愛を感じて、包み返そうとします。実際は存在しないので、その存在、母がいない対象(妻)がいないと絶対孤独の境地に陥る、天宙バカに加えて、とんでもない天宙弩変態神です。
これほどまでにこの神は女性を求めるのですから、この神自身が女神を崇める女神信仰神です。
たった一人の神が自分の体(本形状)に愛を感じ、母よ対象(妻)よと包み返したい衝動が湧き上がるも、相手がいないと、勝手に絶対孤独の境地に落とされる・・・
こういう相手がいない故の孤独愛を心理学では欠乏感の愛、エロスの愛といいます。
菅井教は、本形状、或いは絶対無に込められた愛だと言うのですが、その愛はいったい誰が込めたのでしょうか。
本性相の知情意はまったくその存在に気がつきませんでした。
菅井教には、ギリシャ神話のように、大地の女神ガイア(母)と、彼女から生まれた天空の神ウラノス(息子)を結びつけた神エロース(愛)のような神が存在しているのでしょうか。
しかも「母でありながら神様の対象として」つまり自分の体を相手に、母だと愛おしく尊く思い対象(妻)にします。
つまり母親と息子の母子相姦の感情、その愛です。
このようなウラノス(息子)がガイア(母)を妻とするような、母子相姦の情愛を菅井教は大切な物語にしています。
ヤコブの妾ビルハとヤコブの長子ルベンの母と子の性関係があったように、レビ記でも分かるように古代、母親と息子の性交はあったようです。もちろん長子ルベンは呪われました。
菅井教のその母に対する愛は、古代でも呪われる古代宗教の母子相姦の愛です。
しかもこの本性相は自分の体である本形状の包容感に対して「母だ、対象だ」と愛するこの菅井教の愛は、異常な自己愛、サイコパス的ナルシストの愛です。
菅井教の夜の神は、神本体がそういう女神を崇める女神信仰神です。
このように菅井教がいう「真の愛」とは、その本質正体は「欠乏感からくる母親に対する母子相姦愛」なのです。
これは単なる神話、象徴的なメタファーではすまされません。文亨進師がよく言われるように神話は文化になるからです。
菅井教は原文鮮明師や文亨進師の言葉や理用語を多様していますが、それはコスプレであって基本ベースとなっている彼らの真の愛の内的心情は、このような母と息子の母子相姦の情愛です。
神話における男神の女性への欲求は、創造力、豊穣、エネルギーの結合、愛の追求といったテーマと結びついています。
菅井教では男神の包容感への欲求、愛の追求は、このような母と息子の母子相姦の情愛へとエスカレーションします。
淫教のメシア菅井睦雄教祖
冒頭に言いましたように、個人の私論であれば天の審判を受けることはありません。
しかし、「お父様はこのように言っている」と主張すること、そしてそのように言って菅井教の教えを八大教本の上に置くことに、文亨進二代王は、異端爆発者だ、滅びると審判されるのです。
菅井教はキリスト教の三位一体論に対する感覚感性センスがまったくないことは以前説明したとおりです。イエス・キリストが創造前に神の子、神本体として存在していたとするキリスト教神学を徹底的に否定します。
*参考:菅井教はキリスト神学センスゼロの超絶勘違い異端教
菅井教にはキリスト教の三位一位論の感性センスがまったくありません。
それではどのようなセンス感性で文亨進師の三位一体キリスト論とその相互応答を理解し解釈しているのでしょうか?
それは今回証明したようにヒンドゥー教に極めて類似した創造前の神の様相で理解し解釈していました。
菅井教の教えは、そのようなヒンドゥー教的感性、創造前のシヴァ(本性相の意識)とシャクティ(本形状のエネルギー)との相互応答の感覚感性センスで、文亨進師の三位一体キリスト論とその相互応答を理解解釈する教えです。
しかも菅井教の問題は、菅井教の神観は男神の包容感への欲求、愛の追求は、先に見たように母と息子の母子相姦の情愛へとエスカレーションします。
本形状のシャクティ(全段階エネルギー)を「母でありながら神様の対象として」つまり自分の体を相手に、母だと愛おしく尊く思い対象(妻)にする、母と息子の母子相姦愛、欠乏感の愛が菅井教のいう真の愛の本性正体でした。
神自体が女神を崇める女神信仰の神でした。
キリスト教の三位一体論で「文鮮明真の御父様」の御言を解釈しなければ、菅井教、菅井派のような、とんでもない淫教になってしまうのです。
そのような愛であっても古代神学、古代神話なら、今回考察したように理解できます。
ところが、菅井教は、これが文鮮明師が探せと言われた真理の御言だというのですから、呆れます。
これではキリスト教会に向かって、世間に向かって、文鮮明師はそのような母子相姦のメシアだ、淫教のメイシアだと言っていることと同じです。
これは
大変な文鮮明真のお父様、文亨進ニ代王に対する絶対的な侮辱冒涜です。
文鮮明師は淫教のメシアではありません。
その淫教のメシアの称号は菅井氏が受けるべきものです。
それにも関わらず菅井教祖は「お父様はニ代王様には摂理を語るが、私には真理を語る」と偽キリスト、偽メシアを主張するのですから、菅井教祖が受けるべきなのです。
文鮮明師の「文亨進は私の後継者、相続者、代身者だ。これ以外は異端だ、爆破者だ」という主の絶対的厳命に反逆をする異端、爆発者である菅井睦雄教祖が、淫教のメシアなのです。
菅井教はまんまとこれ程の異端教をサンクチュアリ教会に持ち込みました。
しかし内部に入り込んだ敵に対する文亨進師の「つるぎの聖霊」は放たれました。
それですから、文亨進ニ代王が菅井派に下さった「滅びの聖霊」は、かならずや菅井氏ら菅井派たちを滅ぼすことでしょう。
ヨハネ第一1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
滅びる前に、早く台湾聖殿に行って文亨進ニ代王の前で悔い改め懺悔をされることをお勧めします。
リンク先、菅井教、菅井派に対する記事の一覧です。菅井教対策の資料としてお使い下さい。
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