2026年4月9日木曜日

2013年基元節と摂理の転換 ◆2026年3月25日 テネシー清平韓国語水曜礼拝 ◆ 2013年基元節と摂理の転換<1> 權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

 2013年基元節と摂理の転換

2026年3月25日 テネシー清平韓国語水曜礼拝

2013年基元節と摂理の転換<1

權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

翻訳minion監修fanclub

テネシー清平韓国語水曜礼拝 権教授 韓国水曜礼拝 2026年3月25日  


基元節は実質的天一国の始まり


本日お話しする内容のタイトルは、「2013年基元節と摂理の転換」となります。


真の御父様は、天暦2013年1月13日を基元節と定め、指折り数えて待っておられました。

基元節は、メシアである真の御父様の人類救済の摂理において、最も重要な日でした。

真の御父様は、ご聖誕90周年記念行事において、次のように語られました。

「骨が泣き、肌が震えるような凄まじい苦痛の中で、数千数万年を耐えて待ち続けてこられた皆様のお父様が、どれほど長く険しい蕩減のトンネルを経てこられたか、考えたことはありますか?」


このように、神様の基元節を切実に待ち望む心情を語られました。真の御父様の御言から見れば、基元節は単なる宗教的行事ではありません。

基元節は実体的な天一国の出発点であり、基元が始まる日であると宣言されました。

しかし残念なことに、真の御父様は基元節を数ヶ月後に控えた2012年9月、予期せず突然、聖和されました。それゆえ、予定されていた基元節の摂理は主人公を失ってしまいました。そして、基元節の摂理は地上では実現されませんでした。


この事件により、統一教内部では大きな混乱が生じ、破局が訪れました。

現在まで、統一教内部では基元節の意味について様々な解釈で論争が続いています。

それでは、神様と真の御父様がそれほど指折り数えて待ち望んでおられた基元節は、なぜ失敗することになったのでしょうか?

この時間は、基元節が失敗した原因を探ってみようと思います。


基元節の意味と復帰摂理


本来、基元節は、神様が創世記から計画されていた創造理想でした。アダムとエバが成基元節が失敗した原因長し、完成して家庭を成し、神様と共に地上天国時代が開かれる日だったのです。

神様の創造理想は、完成したアダムとエバが理想家庭を築くことで結実することになっています。

アダムとエバの完成は、神様も干渉できない人間自身の責任分担です。

しかし、アダムとエバは、責任分担の失敗により、成長期の完成級から完成期へ上がることができず、堕落してしまいました。神様のみ旨は、全知全能である神様の能力だけで成されるものではありません。


原理で学んだように、神様のみ旨は必ず人間が責任分担を完成させてこそ、なされるようになっています。そのため、神様は基元節を宣布することができず、延期を重ねてこられました。


神様のみ旨は、再び後のアダムとして来られたイエス様を通して、基元節を宣布しようとしておられました。しかし、イスラエル民族がイエス様を排斥したことで、神様のみ旨は再び挫折してしまったのです。


真の御父様もやはり、神様の創造目的である理想家庭と天一国を創建し、基元節を宣布するために来られました。

したがって、再臨メシアである真の御父様のすべての摂理は、基元節を成し遂げるための摂理であると言えます。


基元節が摂理史において特別な意味を持つ理由は、神様の創造目的が成就される日だからです。

神様の創造目的は、完成された人間を通して理想家庭と天一国を創建されて基元節を宣布されるために来られました。したがって、再臨のメシア、真のお父様の全ての摂理は、基元節をなすための摂理だということができます。


基元節が摂理史において特別な意味を持った理由は、神様の創造目的を成し遂げる日であるからです。

神様の創造目的は、完成された人間を通して理想家庭と地上天国を立てることです。ですから、想像目的を必ず実現するために、メシアが地上に再び来られなければならないのです。


家庭連合では、基元節がどうして必要なのかについてよく分かっていません。彼らは、独生女韓氏オモニが天一国を宣布したため、基元節が勝利したと見ています。

これは、基元節の意味について理解が不足しているためです。


キリスト教の救済論


私たちが基元節の意味を理解するためには、キリスト教の救済論と統一教会の救済論を比較してみる必要があります。


キリスト教の教理には、次のような二つの救済論が存在します。

一つは、イエス様を信じれば救われるというものです。「イエス様を信じる者は天国へ、信じない者は地獄へ」という言葉は間違った言葉ではありません。この御言は、聖書全体を一言で集約したものです。


聖書の根拠を見てみましょう。

ヨハネの福音書にある、非常に有名な聖句です。

3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである


また、ヨハネの福音書3章36節には

3:36 御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。

信じる者には命があり、信じない者には神様の怒りがある。このような御言です。


その後、ここには書かれていませんが、

使徒行伝16:31 ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。

使徒行伝の御言です。


さらに、

ヨハネ3:18 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。

という御言があります。


聖書を見ると、イエス様を信じれば天国に行き、不信すれば地獄に行くという御言は間違いのない御言です。

しかし、準備ができていない人が、この御言を脅しとして使ったり、高慢に用いたりするため、人々から排斥されるのです。


ところが、聖書には、信仰によって救いが完成されるのではないという救済観もあります。

いわゆる「携挙説」として知られている救済観です。

イエス様が再臨する時に、最終的な救いが成し遂げられるという御言です。

イエス様が空中で再臨される時、信じる者たちが空中に引き上げられ、天国に上るという御言です。

この内容もまた、聖書にある御言です。

テサロニケ人への第一の手紙にある御言です。

4:16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、

17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。

このような内容です。


この他にも、聖書には「空中の引き上げ」を裏付ける聖句があります。

しかし、この二つの教理は互いに矛盾する関係にあります。

もし携挙が最終的な救いの条件であるならば、イエスを信じることで受ける救いは完全なものではないということになります。


もしイエス様を信じることで救いが完成したのであれば、わざわざイエスの再臨を待つ必要もないでしょう。救われたのですから。


統一教会の救済論


同様に、統一教会でもこれと類似した救い観が見られます。真の父母を信じ、祝福を受ければ救いを得る。これを否定する統一教会はないでしょう。


ところが、真の御父様は、基元節を通して天一国が始まるとおっしゃいました。天国はまだ始まっていないという御言です。

ですから、天国はまだ建設されていないので、祝福を受けたからといって天国に行けるわけではないという御言です。

この二つの教理が同時に存在する場合、重要な疑問が生じるのです。


統一教会の信仰では、真の父母様をお迎えし、祝福を受けることによって原罪が清算されると教えています。

しかし、祝福を受けることによって救いが完成するのであれば、基元節は必要ありません。


ところが、真の御父様は、基元節を再臨メシアの使命の完成として語られました。

したがって、基元節は単なる行事ではなく、救いの摂理の最終段階として準備されたものであることが分かります。

したがって、真の父母を信じ祝福を受けたからといって、救いが完成したわけではないという意味です。


しかし、基元節の意味は、この救いの概念に新たな次元を追加しています。

基元節は、完成したアダムと完成したエバが聖婚し、家庭完成を成す日です。

真の父母様は単なる宗教指導者ではありません。

人類歴史において初めて、神様を中心とした家庭を完成させるために来られた存在です。家庭完成によって天一国が始まるからです。


原理において、メシアの使命は単なる個人の救いの次元を超え、神様の人間創造目的の完成を意味します。これは、神様の愛を中心に一つとなった理想家庭を築くことです。

原理では、理想家庭を築くために、メシアが実体を使って後のアダムとして来られなければならないと教えています。

人間始祖の堕落事件により、エデンの園で理想家庭が実現されなかったからです。

つまり、メシアはアダムの立場から再び来られ、堕落によって失われた理想家庭を探して回復しなければなりません。


したがって、メシアの使命は三つに説明できます。

第一はサタンの屈服、第二は家庭完成、第三は地上天国の創建。このように三つです。

この中で最も重要なのは家庭完成です。家庭完成こそが人類救済の核心だからです。

なぜなら、人間の創造目的そのものが、理想家庭を通して成し遂げられるからです。


しかし、エバが堕落し、完成された理想家庭を成し遂げられなかったことが、悲劇の始まりです。

メシアが来られたとしても、女性なしで一人で家庭を築くことはできません。必ず、完成された男性と完成された女性を通して、家庭完成を成すことができるからです。

アダムとエバが共に家庭をなさなければならなかったように、メシアもまたエバと共に家庭完成を成さなければなりません。


したがって、メシアはまずエバを復帰して、完成した新婦として立てなければなりません。エバ復帰とは、堕落したエバを復帰して、完成した母の位置に立てる摂理を意味します。

したがって、メシアはアダムの立場として来られ、エバを探し出して復帰しなければなりません。


この時、復帰されたエバは単なるメシアの配偶者ではありません。真の家庭を成す真の母であり、人類の母としての役割を遂行することになります。

したがって、メシアの摂理は本質的に家庭を復帰する摂理であると見ることができます。


「基元節」という用語自体は、基元の始まりという意味で、新しい時代を出発させることを象徴しています。

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