2026年6月4日木曜日

天地創造神の「為に生きる自己中心」

 天地創造神の「為に生きる自己中心」


序文:公務「異端者爆発者・菅井グループ」警告啓蒙


菅井教祖は最近「私はお父様の聖霊を感知し、授受作用をしますから御父様と霊通していない」と主張することによって、御父様とこの菅井氏が授受作用する聖霊は、御父様とは霊通できない三位一体ではない別の霊、サタン聖霊であることを自白しました。

文亨進師は菅井教のようなお父様の聖霊を感知し、授受作用をしますお父様はこのように言っている」お父様はニ代王様には摂理を語るが、私には真理を語る」などと言う聖殿内部に入り込んだ反逆者たちに対して、「文亨進以外は異端者だ、爆破者だ」という審判と、「地獄に行く」「滅びる」という審判を下されています。



菅井グループ問題の相談の結果、上記公文のように、「そのような者は滅びる、放っておけ。しかし異端者、爆破者から目を覚ますよう警告や啓蒙をしなければならない」という指令を下されました。

この記事は彼らの救いと、この王様の指令による警告啓蒙公務の一環です。



「菅井教のお父様の聖霊」は韓国語と文鮮明師の漢字学にまったく無知な霊


今回は韓国語「위하다」を漢字を用いると「為하다」であるという視覚的にも実にシンプルな事実により菅井教の経典「真の父母様の本体論」が偽りであり、この「真の父母様の本体論」を菅井教祖の教えた聖霊は聖霊を名乗る悪霊であることを証明します。



韓国語の「하다」は日本語で言えば「する」です。

「위する」を漢字で表すと「為する」となるということです。

(自然な日本語は「為にする」ですが、明確にするため韓国語に当てはめ説明します)


最近は韓国語は漢字を使いませんが、1970年に漢字廃止宣言され1990年代初めまでは「위하다」は「爲하다」と新聞では表記していました。


問題になっている文鮮明先生の御言の韓国語は

「자기를 위하던 때로부터 상대를 위하는 때로 전개되는  것입니다.」

ですが、これを漢字を交えて表記すると

「自己를 하던 때로부터 相対를 하는 때로 展開되는  것입니다.」になります。

日本語直訳は

「自己の していた時から 相対のする時に展開されることです」となります。

(比較のため「に」を省き「爲」ではなく「爲」にしています。)

*注:「為」の旧漢字、韓国漢字は「爲」


https://kuruto.muragon.com/entry/412.html


しかし菅井教は

「自己를 優先하던 때로부터 相対를 優先하는 때로 展開되는  것입니다.」

「自己を 優先していた 時から 相対を優先する時に 展開されることです」

と訳すのが正しい御言の解釈であるから「真の父母様の本体論」を真理であるとします。


つまり菅井教の「真の父母様の本体論」は

文鮮明真の御父様の原文「自己를 하던 때로부터 相対를 하는 때로 展開되는  것입니다.」には「」という意味はない。「優先」が正しいとする神学です。

「優先」が正しいのであれば、菅井教は、「何」に対して「何」に比較して自己を優先したのか、その「何」を明確にしないといけません。


文鮮明真のお父様は論語なども極めた儒学漢字の達人でもありました。

そのお方がわざわざ「」という漢字を使う「위하다」を使われたことには「爲」に関する深い意味があります


ところが「菅井教のお父様の聖霊」は、

爲하다」の「」は「爲」ではない「優先」であると主張します。

つまり、この菅井教の聖霊は、「위하다」とは「爲하다」であることをまったく知らない霊です。

菅井教の聖霊は1990年代初めまでは新聞では「위하다」は「爲하다」と表記していたことも知らない無知な霊です。


このように「菅井教のお父様の聖霊」は、完全に韓国語と文鮮明師の儒学漢字東洋思想にまったく無知な霊です。

「菅井教のお父様の聖霊」は、これほど愚かな霊ですから、明らかに、この「菅井教の御父様の聖霊」は、御父様とはまったく関係の無い、お父様の聖霊を名乗る偽物のお父様の霊であり、悪霊であることが立証されました。


従って、

爲하다」の「」は「爲」ではない「優先」である。従って夜の神様にはもともと「為」という概念はなかった

とする菅井教とその経典「真の父母様の本体論」は完全に真の御父様とは関係のない偽物であることも立証されました。


以上、結論から先に述べましたが、長いですが、以下にその論証をします。



菅井教「真の父母様の本体論」崩壊の振り返り


その論証の前に、この「為に生きる」に関して既に、菅井教は自身の「為に生きる」の根本神学が破綻していることを自ら受け入れたストーリーを振り返ります。

詳細は「高キリスト論:神は自分の為の時があった」を参考にしてください。



菅井教は、

真の愛は「ため」に生きるところから生じる

愛の理想を探し求めてきた神様のこの宇宙創造の軸は、注入からです。

という文鮮明師の御言は、創造後の神様についての御言だと次のように断言しました。


天一聖殿さんが自分の主張を正当化するために用いたみ言は、「創造後の神様について語られたみ言」です。つまり、愛の対象となる人間と被造世界を創造するために、構想理想として立てられた神人愛一体理想の核心となるべき尊いみ言です。https://ameblo.jp/hosizoralove/entry-12913417180.html


このように、夜の神様は創造の前に「為に生きる」よりも先に「女性」を構想し、しかも「為に生きる」とは創造後の神様について語られたみ言』である定義していました。

つまり『女性」構想が創造前であり、「為に生きる」構想は創造後である』、これが菅井教「真の父母様の本体論」の根幹でした。


ところがこれを、「高キリスト論」から見る自己中心的神と四大心情圏によって、論破され、

次のように論を覆してきました。


菅井教:「真の父母様の本体論」は、そのことについて解説しています。つまり、「女性の構想」の前に、「為に生きる心情」への覚醒がありhttps://kuruto.muragon.com/entry/412.html

このように自ら為に生きる」構想は創造後ではなく創造前である』と見事に180度、「真の父母様の本体論」を自ら覆しました。

しかも「女性」構想の後ではなく、その前に「為に生きる」に覚醒したのだと、それまでの論を天宙ひっくり返すほど決定的に違う論をもって、それまでの論を自ら完全に覆したのです。


このように天地の差ほどの違いがあるのにも関わらず、このように菅井教は『「真の父母様の本体論」は、そのことについて解説しています。』と、知らなかったことがバレた子どもが「知っていたも~ん」とベロをだして弁明することと同じ、幼い見苦しい弁明をしてきました。このように見苦しい弁明ですが、為に生きる」は創造後ではなく創造前である』ことを認めたのです。


こうして、女性」構想が創造前であり、「為に生きる」構想は創造後である』という神学を根幹として体系化された「真の父母様の本体論」は菅井教祖自らの手によって見事に崩壊してしまったのです。


しかし、今度は、菅井教は文鮮明師が言われる自己를 하던 때」の意味は「自己の していた時ではなく、「自己를 優先하던 때(自己を 優先していた 時)」であるから、為に生きる思想はないと次のように主張します。

対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません。https://kuruto.muragon.com/entry/413.html


次に今回の本題、菅井教が主張するように「自己를 하던 때」の意味は本当に「自己를 優先하던 때(自己を 優先していた 時)」が正しいのかを論証していきます。



「위하다」翻訳論点レビュー


皆さん周知の通り韓国語は本来漢字を沢山使います。1990年代初めまでは韓国の新聞は漢字を多用していました。


今回は韓国語をハングルだけではなく漢字を用いるとどうなるか?

神は為に生きる思想が最初からあったのかなかったのか、

問題になっている文章のハングルを漢字を用いて検証します。


漢字で表すので、シンプルに一目瞭然で分かります。

漢字を用いて表せば白黒はっきりしてしまうので、数行で説明がつきます。

先ほど説明した結論で十分でありわざわざ論じることもない実にシンプル明確なのですが、長文になり申し訳ありませんが論証します。

問題になっているハングルは以下の文章です。

「자기를 위하던 때로부터 상대를 위하는 때로 전개되는  것입니다.」

その前後の文章は以下の通りです。


  • 問題になっている訳

그렇기 때문에 참된 하나님은 상대를 만드는 데 있어서 완전 투입함으로 말미암아 보다 가치적이고 이상적인 완전형을 전개한 것입니다. 하나님도 아담 해와를 지어 놓고는 아담 해와를 위해서 있겠다는 거라구요. 하나님을 위해서가 아니라구요. 자기를 위하던 때에서 상대를 위하는 때로 전개되는 것입니다. 이상적 존재라는 것은 자기를 위주하지 않습니다. 이상적 존재는 남을 위하는 데에, 대상을 위하는 데에 있는 것입니다. 이 원칙이 우주의 근본이라는 것을 확실히 알아야 되겠습니다. 이것을 알아야 되겠다구요.


参考直訳:だからこそ、真なる神様は相対を創造するにおいて、完全投入することによって、より価値的であり理想的な完全形を展開されたのです。神様もアダムとエバを造っておいては、アダムとエバのためにいようということです。神様のためではないというのです。自分の為であった時から、相手の為の時へと展開されるのです。理想的な存在とは、自分を主(中心、基準)にしません。理想的存在とは、他者のためにすることに、対象のためにすることにあるのです。この原則が宇宙の根本であることを、確実に知らなければなりません。これを知らなければならないのです。

文鮮明先生말씀選集 69 - 5. 인간에 대한 하나님의 소망 (1973.10.20)


ところが、菅井教は、

「자기를 위하던 때로부터 상대를 위하는 때로 전개되는  것입니다.」

この文の翻訳はDeeplの「위하다」の自動機械翻訳(翻訳B)が正しく、Googleの機械翻訳(翻訳A)を悪用していると主張します。


https://kuruto.muragon.com/entry/413.html


菅井教祖のこの反論を簡単に説明すると

  • 翻訳A(Google訳): 

     自分のためにいた時から相手のために展開されるのです。

  • 翻訳B(Deepl翻訳):

     自分を優先していた時期から、相手を優先する時期へと展開されるのです。


つまり「자기를 위하던 때로부터」の訳は、「自分のためにいた時から」という訳を使うのは悪用で、「自分を優先していた時期から」が正しいという菅井教の結論です。


この結論を元に、菅井氏は次のように「対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません」と、その菅井教の真髄を次のように説明します。


●菅井教祖:

「愛と理想という言葉は対象を置いて言う言葉です。」このように、「対象を置かなければ愛と理想は無い」と明確にされてから、一人で存在していた自己中心的な神様には、対象が存在していなかった事を明確にされています。対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません。https://kuruto.muragon.com/entry/413.html


このように結論付けて次のように菅井教は「自分のためにいた時から」という訳を悪用だと非難します。

菅井教:

三原氏は、「たった一人でおられた自己中心的な神様の時から、『為に生きる思想』をもち『四大心情圏の愛』を持っていた」と主張するために、真のお父様のみ言の意味をgoogle翻訳を悪用して違う意味にしてしまいました。 https://kuruto.muragon.com/entry/414.html




「위하다」は「爲하다」であり「優先하다」ではない

🙏 위하다 爲하다 

ではこのGoogle翻訳자기를 위하던 때로부터」の訳は、「自分のためにいた時から」は間違いであり、これを主張すると悪用になるのか、どのような漢字を使うのか検証します。


「위하던 」の「던」 は「した」という単純な過去形ではなく、過去に「していた」という意味を持ちます。

その詳しくは https://k-franc.com/blog/syudy/korean_kakorentai/ を見て下さい。

「위하던 」の原型は「위하다」です。


では韓国語の辞書では위하다」をどのように説明しているか見てみましょう。

からです。

https://ko.wiktionary.org/wiki/%EC%9C%84%ED%95%98%EB%8B%A4


重要な部分をクローズアップします。

어원は語源です。한자は漢字です。語源は: 위(漢字 ) + 하다 と説明しています。


つまり漢字で書くのなら

・위하다 = 爲 + 하다 = 爲하다

です。直訳なら、「ためにする」「為にする」です。


電子辞書Kpediaでも「위하다」とは「ためにする、大事に思う」と次のように説明しています。

https://www.kpedia.jp/w/14426

ある目的を成そうとするする



このように「위하다」は「爲하다」ですから「為にする」が基本となる本来の意味です。


以上から、この御言での訳を菅井教が正しいとする「優先する」というこのDeeplの意訳は、もはや誤訳であることは、いくら韓国語がまったく分からない人でも理解できます。


菅井教はDeepl機械翻訳は常に正しいと思い込んでいるようですが、基本、機械翻訳は間違えるという常識を菅井教には理解できないようです。


このように菅井氏は자기를 위하던 때로부터」のGoogle翻訳自分のためにいた時から」に対して「真のお父様のみ言の意味をgoogle翻訳を悪用して違う意味にしてしまいました。という菅井教の主張は語学的に学問的に完全に間違いであり、

事実は、むしろ菅井教の方が、機械翻訳を鵜呑みにして「真のお父様のみ言の意味をDeepl翻訳を悪用して違う意味にしてしまいました。これが真実であることが見事に証明されました。


」の旧漢字「」が「」の本来の漢字でありその意味なのですから、これは否定しようがありません。

菅井教が「하다」には「」という意味は無い「優先」が真実だ!

と、いくら叫んでも、「」という漢字を消すこと、この漢字の意味を消すことは出来ません。


菅井教はそれほど言い張るのであれば、菅井教のこの主張を韓国国語学会に納得させることが出来るのならやってみたらいいでしょう。

それができなければ菅井教の方がDeepl翻訳を悪用しているという真実は揺らぎません。むしろ菅井教は無学で愚かであることを証明するだけです。

つまり「菅井教の御父様の聖霊」は無学無知で愚かな霊であるという証明証拠です


「菅井教のお父様の聖霊」は、完全に韓国語と文鮮明師の漢字儒学東洋思想にこれほどまでにまったく無知無学なのですから「御父様の聖霊」であるはずがありません。天宙バカ霊、悪霊です。

このように「菅井教のお父様の聖霊」は簡単に、お父様の聖霊を名乗る偽物のお父様の霊であり、悪霊であることが実証できるのです。

菅井氏もこんな天宙バカ霊と授受作用するのは、やめた方が身のためです。



Deepl機械翻訳は単なるツール、真理ではない


菅井教はDeepl機械翻訳なら正しいと思い込んでいますが、Deepl翻訳は単なるツールであり間違って翻訳することは多々あります。

以前はDeepl翻訳が優れていましたが、最近はAi技術の差からGoogle翻訳の方がうまい、よく出来ていると思うことが多々あります。

韓国語が分かる方は、Deeplの方が間違っていることが分かるでしょう。

そもそも機械翻訳は参考、ツールであって菅井教のように正しいと思うことは根本的に間違っています。


ここでは単なるツールであることを証明します。

Deepl有料版には、このDeepl訳は間違っていると判断した時、選択できるようになっています。


Deepl機械翻訳でも「ための時代から」「為していた時から」と候補があがっています。

その他、かなりの意訳も候補に上がっています。

ここから翻訳者は一番的確な訳を選ぶのです。一番最初に来る訳が正しいということではありません。


Deepl自動翻訳も今回問題になった同じ説教の、他の部分では「神の爲ではない」というように「爲」と訳しています。

たまたま、この問題になった部分の訳は時間の移動表記があることから、Deeplのアルゴリズムは「優先」を自動選択して表記し、菅井教の意にかなう誤訳を自動機械翻訳してしまったということです。


このように菅井教は翻訳ツールをまったく理解出来ないでいます。

自分の都合のいい訳があれば、語学的に考えることもできず、それにしがみついてしまうほどの韓国語のセンスのなさは、あまりにも哀れというしかありません。


それ以前に、「菅井教の御父様の聖霊」を名乗る霊が悪霊、サタンであることが問題であり、

さらには文鮮明師の漢字儒学、東洋思想に関して、まったく知らないし、そのセンスがないことが菅井教の問題なのです。これでは悪霊も見抜けません。


このように韓国語センスの面からも、これほどまでにまったく無知無学なのですから「菅井教の御父様の聖霊」を名乗る霊は「御父様の聖霊」でないことがよく分かります。天宙バカ霊、悪霊です。

このように「菅井教のお父様の聖霊」は簡単に、お父様の聖霊を名乗る偽物のお父様の霊であり、悪霊であることが実証できるのです。

菅井氏もこんな天宙バカ霊と授受作用するのは、やめた方が身のためです。



「菅井教の御父様の聖霊」は悪霊、サタン神

🙏 위하다 爲하다

以上、「위하다(爲하다」)」における韓国語分析から

「自己를 하던 때로부터 相対를 하는 때로 展開되는  것입니다.」の訳を、

「自己を 優先していた 時から 相対を優先する時に 展開されることです」

と自動翻訳したこのDeepl機械翻訳は見事な誤訳であり、

「自己の 爲にしていた時から 相対の爲にする時に展開されることです」が正しい翻訳であることが証明されました。

Google訳の

自分の爲にいた時から相手の爲に展開されるのです。

この訳は、上記の直訳より自然ないい訳になっています。


この解釈は「神は、自分という対象しか知らない時があった」という解釈が正しいのです。

明らかに「自分という対象」のために「」という思想がこの自己中心な神にあるのです。


近年「自分の為に自分を対象化する」ことは心理学的スキルとして注目されていますが、菅井教は「自分を対象化する」という考えスキルがまったくありません。

また菅井教には「全ての自分以外の対象を無くして自分を対象化する」「自己対象化」という東洋哲学、禅仏教瞑想の感性感覚やスキルがまったくないので「」という漢字の意味がまったく理解できません。


文鮮明真の御父様は、この東洋哲学瞑想においても、漢字儒学においても達人でしたが、この分野においてまったく無学無知で、その感性感覚の無い菅井教に文鮮明真御父様のことや御言を理解できるはずもありません。


それだから「対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません。」としか解釈できないのです。

「自分自身を対象にする」「自己対象化」ということを思いつきもしないし理解することも出来ないのです。菅井教は自分を対象化して自分について考察したことが無いのでしょう。

菅井教の神は自分自身を対象化することもできない愚かな神のようです。


これが菅井教の真実です。


そしてここでも「菅井教のお父様の聖霊」は、韓国語と文鮮明師の漢字儒学東洋思想に関して、これほどまでに完璧にまったく無知無学な霊であることが証明されました。

これほど真の御父様の事に無知で分からない霊なのですから聖霊ではありません。「御父様の聖霊」であると自称していますが、この霊は明らかに悪霊です。

菅井氏もこんな天宙バカ霊と授受作用するのは、やめた方が身のためです。


御父様を文化暴力虐待する菅井教

しかし菅井教はそれでも、かって韓国、台湾、中国に日本の文化を押し付けて虐めたごく一部の、傲慢な悪い日本人たちのように、

文鮮明真の御父様に向かって、韓国人、朝鮮人に向かって、

あなたの御言「自己를 하던 때로부터 相対를 하는 때로 展開되는  것입니다.」ここにある『「爲하다意味は、漢字の「」ではない「優先」である。受け入れろ』

と文化侵略、文化弾圧を続けるでしょう。


なぜなら、神が創造前に「自分の爲」の時があったというこの御言を受入れてしまえば、今回、論を変えてせっかく新しく立てた、新しい菅井教の根本論、

対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません。https://kuruto.muragon.com/entry/413.html

という根幹をまた自ら完全否定しなければならなくなるからです。

それは「真の父母様の本体論」の完全なる崩壊を意味しますから絶対に受け入れられないでしょう。

(既に、自らの「為に生きるは創造後」を否定した時点で崩壊しています。)


だから菅井教は、実質上、

文鮮明よ、「爲하다」は「為にする」ではない。韓国語の日本語のと意味が違うのだ。韓国語の「為」の意味は「優先」なのだ!分かったか文鮮明!

と、このように文化暴力で

韓国人である文鮮明真の御父様の顔を殴り虐待する傲慢な悪い日本人で有り続けるしか道がないのです。


ですからこれからも自己を対象化することが出来ない菅井教は


「자기를 위하던 때로부터 상대를 위하는 때로 전개되는  것입니다.」は

「自己를 하던 때로부터 相対를 하는 때로 展開되는  것입니다.」ではありません。

真実は

「自己를 優先하던 때로부터 相対를 優先하는 때로 展開되는  것입니다.」です。

つまり、

「自己を 優先していた 時から 相対を優先する時に 展開されることです」

と訳すのが正しい御言の解釈であるから「真の父母様の本体論」は真理なのです。

それだから、

対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません

https://kuruto.muragon.com/entry/412.html

https://kuruto.muragon.com/entry/413.html


と傲慢に韓国の方の顔を、文化暴力で文鮮明真の御父様の顔を殴りつける文化侵略、文化弾圧をする悪い日本人で有り続けるでしょう。

菅井ブループは、本当に悪い日本人たちです。

そしてそれ程までに『対象が存在していないとき、神は「自己を優先」した』ということが正しいのであれば、菅井教は、

神はその対象が存在していないとき自分しか存在しないとき、神は「何」に対して「何」に比較して「自己を優先」したのか、その「何」を明確にしなければなりません。


このように韓国語センスの面からも、これほどまでにまったく無知無学で韓国文化侵略をし韓国人を虐待をする「菅井教の御父様の聖霊」を名乗る霊が「御父様の聖霊」ではありえないことがよく分かります。天宙バカ文化差別暴力霊、悪霊です。

このように「菅井教のお父様の聖霊」は簡単に、お父様の聖霊を名乗る偽物のお父様の霊であり、悪霊であることが実証できるのです。

菅井氏もこんな天宙バカ文化差別暴力霊と授受作用するのは、やめた方が身のためです。



神様は主体と対象の二性性相の中和的主体であるから

「為に生きる思想」も最初からあった


以下の文は、統一思想の観点から論考を頂いたものです。

ブログ掲載の許可を得ましたので紹介します。

「神は二性性相の中和的主体であるから最初から爲に生きる思想があった」という鋭い論考です。

上のタイトルはこちらで勝手ながらつけさせて頂きました。寄稿文、ありがとうございます。


<以下、寄稿文>_________________________________

●菅井氏のブログ記事より引用

「愛と理想という言葉は対象を置いて言う言葉です。」このように、「対象を置かなければ愛と理想は無い」と明確にされてから、一人で存在していた自己中心的な神様には、対象が存在していなかった事を明確にされています。対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません。https://kuruto.muragon.com/entry/413.html


⇒菅井氏は、対象・相対が存在しなければ為に生きるという思想はないとして、(実体)創造前の神様の心には為に生きるという思想はなかったと主張しています。


しかし、そのあとに次のように主張しています。


●菅井氏のブログ記事より引用

そして考えなければならないのは、対象や相対と言っても、神様以外の何ものかが存在するわけではないのです。すべて神様の、思考と意識の中で展開している事なのです。つまり、神様の自体内の性相と形状の間で展開している出来事なのです。


⇒創造前の神様自体内に性相と形状があり、その間で展開していることとあります。神様の性相と形状は主体と対象の関係です。創造前の段階でも、神様自体内に対象である形状が存在しているのですから、為に生きる思想も存在可能なはずです。


神様は本性相と本形状の二性性相の中和的主体として存在しておられます。神様御自身の中に最初から主体と対象があり、「為に生きる思想」も最初からあったと思います。


成長ということについても、為に生きる対象が創造前は自分自身だった段階から、創造後は被造物へて発展していったことと考えます。


原理的な表現で言えば、創造前は自分=全体だったわけですから、全体目的と個体目的が一体になっていました。創造後からこの全体目的と個体目的の分離が始まり、全体目的が主体、個体目的が対象になりました。


堕落はこの個体目的が主体になってしまったことで、今の私たちが言う「自己中心」とはこのような状態、すなわち個体目的が主体、全体目的が対象になったことを意味します。


ですから、創造前の神様は自己中心的な神様だったという場合の「自己中心」とは意味が異なります。


・創造前の自己中心:全体目的と個体目的が一体

 ⇒創造前の神様


・創造後の自己中心:個体目的が主体、全体目的が対象

 ⇒堕落後のサタンと堕落人間



 我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は人間と宇宙とを創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れてきたのです。神は、今や、御自身のためではなく、その対象物のために生きるようになったのです。

(1973.10.20 ワシントン・リスナー講堂にて)


ここで言われている人間の「利己的な傾向」とは、個体目的を追求する創造本然の性質です。それをみ言では「自然なこと」と表現されているのだと思います。


本来、このような性質は神の為に生き、み旨の為に生きようとする全体目的に対して対象の立場でしたが、堕落の過程で、全体目的に対して主体の立場になり、神と同じ立場に立てない第一の堕落性本性が生じました。これが堕落後の人間の自己中心性です。


菅井氏は、「利己的な傾向」や「自己中心的」というみ言を、堕落後の堕落人間の自己中心性と同一視しているのではないでしょうか


創造前の神様が自己中心的でいらっしゃったことと堕落人間の自己中心性が同じはずがありません。もし同じなら、神様は堕落の状態(創造前は為に生きる思想がない状態)から本然の状態(創造後に為に生きる思想が生じた状態)へと復帰した神様になってしまいます。これは絶対にあり得ません。


このような考え方は、韓氏オモニが「真のお父様は原罪をもって生まれた」として、再臨主を堕落人間の位置に引き下げているのと同じく、神様を堕落人間の位置に引き下げる思考です。

菅井氏の主張が独生女論の別バージョンのようなものになってしまう理由は、こういうところにあるのではないでしょうか。

________________________________<以上、寄稿文>

貴重な寄稿、ありがとうございました。


<参考>

菅井教、菅井派に対する記事インデックス

リンク先、菅井教、菅井派に対する記事の一覧です。菅井教対策の資料としてお使い下さい。


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