2026年5月26日火曜日

私達は石の窓をみる ◆2026年5月14日台湾聖殿 韓国語木曜礼拝<3> 文亨進二代王

 私達は石の窓をみる

2026年5月14日台湾聖殿 韓国語木曜礼拝<3>

文亨進二代王

 監修:fanclub三原

文亨進牧師ー台湾聖殿韓国語木曜礼拝2026年5月14日


私達は石の窓をみる

翻訳clean

そこで、この石に敬拝することは、それはいけないですよね。石に。

しかし、これは何かというと、これらの作品は窓のようなものなんです。窓、窓のようなものです。

この作品の背後にはストーリーがあるのです。背後に、そうですよね。


だから、これを見ながら、私たちは再び御父様のベイビーの、その希望を再び感じ、そのストーリーに入っていくのです。

その背後に、御父様が実体として生きておられた窓になってしまうのです。窓、どういうことか分かりますね?


私たちがこういう作品を見た時、石を見ているわけではないでしょう?石を見ているわけでも、木を見ているわけでもない。そうですよね?

これを通じて、御父様の物語の窓を見ているのです。あの作品たちの背後には、生きておられる主の窓の物語があるのです。分かりますか? (はい)

窓のようですね。そうですね?生きている。これは神話ではない。主は実体的な事実、そうですよね。


実体的に私たちと一緒に食べて、寝て、触れることもできる。そうですよね。

だから私たちは、この作品を見た時、この作品が石そのもの、石そのものから何かそういうものを見るのではなく、この石の背後にある窓、この窓、窓を見たように、窓の向こうに見えるではないですか。自然に。そうじゃない?


この窓が、この窓が、自然に見える道具になるのです。道具。これ、壁だけじゃ見えないではないですか。

だから、この芸術を通じて、この作品を通じて、その内容たちが、小さな窓。これを見ながら、その向こうに窓が見えるのです。

分かりますか?

私たちが直接触れた御父様。会って一緒に歩いた、、それが実体的な窓です。

これは神話ではない。実体的な窓があるのです。これ、実体の声に実体的な歴史です。


つまりキリストを奉じる宗教は違います。私たちは神話を信じているわけではない。私たちは、通じてその背後にある窓が見える、これこそが実体的な物語だったのです。実体的な、実体的な、まさに。どういうことか分かるでしょう? 

ですから、これはとても重要ですね。


他の宗教では霊的な世界だけです。

でもキリスト教、聖書を信じる人々への最後の約束は何ですか?この地上が変わるのです。地上が新しく創造されるのです。

これは天上天下...ああ、何だ、地上天国と言いますよね。そうでしょう。


神とキリストと出会う時、私たちは単に霊的に何かをするだけでなく、この地も実体として変わるのです。なぜ?神が創造されたから。だから私たちは、この地、この土、この石を敬拝するのではなく、この地、この土、この石を創造された方のその本体、ご自身が地上に来られたそのストーリーに再び出会い、敬拝し、ああ、栄光をお返しするのです。


ですから、このようなアイコンも、これは窓のようなものですが。理解できますか?

もしここがただ白ければ、そうしたら全部忘れてしまうでしょう。ただそうしたら、全部ただそれが見えるだけではないですか。


でも御父様の三代権と御父様の王たちは、私たちは私たちの時代だけでなく、常に再臨主に焦点を合わせているではないですか。

そうでなければ、私だけが見えるようになります。ハハハハ そうですよね?


ここは一番重要なもの、三代王権もここに入って来て敬拝し、この窓たち、この窓、これを見てください。これ七死復活の窓、その背後には実体の物語があるではないですか。実体的な。神話ではない。

ヒンドゥー教のシヴァ神、ヴィシュヌ神、ブラフマー神のように、あれは全部神話だ。


七死復活の窓の背後に、実体的な肉身を持って、あらゆる苦難、血を流して、キリストがおられると言うのだ。実体的に歩んでおられた。神話でない。これは宗教自体が違います。

分かりますか、これ?


だから、この窓たちがなぜ重要なのか?なぜなら、こういうもの、私たちの体も、私たちの体も、実は宇宙にある内容とほぼ似ているではないですか。私たちの体で一番大きなものは何ですか?韓国語で何ですか?水素、酸素、炭素、窒素。これが一番大きいです。私たちの体の中で。宇宙でも同じです。水素、酸素、ヘリウムがあります。宇宙にはヘリウムがたくさんあります。ヘリウム、ヘリウムは、これは使えない。ヘリウム、ヘリウム。

でもこれ、実はガスだから、実際に使えないのです。何かを作る時、他の物質と結合しないのです。よし、OK。だから水素、酸素、炭素は同じ。同じ。私たちの体と宇宙の体は同じ物質です。この岩の中にある成分は全部同じ。水素、 酸素、カーベン、ナイロジェン。


私たちは、私たちは先に悔い改めなければならない。何故?私たちは罪が多い。

私たちは、悔い改めなきゃいけない。でも石、私たちは石に悔い改めるわけではない。

この石は窓になる。窓。

主の実体的な物質。これ、物質だ。物質。実体的な主の物質。肉身。物質的な役事がある。ヒンドゥー教、シヴァ神には物質的な役事がない。物質の役事がない。全部神話だ。そうでしょう?違う。そうでしょう?


モーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた



だから、民数記、21章に出てくるではないか。モーセがイスラエル民族に神の御言を伝え続けていたのに、彼らは不信したから、毒蛇が来て噛んだではないか。

それで、噛まれた人たちは、その毒蛇たちが噛んだ者、つまり蛇の像を作れとモーセが言ったから。

その蛇の像として作られた蛇を見る者は治癒されるではないですか。民数記21章に出てくるではないですか。民数記21章に出てきますね。そうですね?

 

それにイエス様も、イエス様も新約聖書の中で、「私は荒野に掲げられた蛇のように、死ぬだろう」と預言しておられますね。イエス様もそう言っています。

その言葉は民数記21章のことです。イエス様は民数記のことを言っているのです。「私もあの蛇のように木に上げられるだろう。あの蛇のように、私を見る者は救われるだろう」と語っています。分かりますか?


つまり民数記21章で、神様が蛇を...ああ、御父様、その蛇とは一体何ですか?

リヤンガバイロン(両個白龍)、双龍が出ると、キリスト教徒たちは「それを見ろ。これは、まさに文鮮明の、あれは何ですか?生まれた時に蛇が、蛇たちが出てきたではないか。」そう言うではないですか。そうキリスト教は言うのです。


しかし、イエス様、新約聖書でイエス様は、自分がその蛇のように木に登ると、自分は蛇のように登るとおっしゃったではないですか。

参考:ヨハネ3章

14 そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。

15 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。 


では、その言葉はどういう意味ですか?イエス様がサタンだということですか?あり得ないではないですか。あり得ないですね。(「はい」)

主もそのたとえ話を使われたではないですか。モーセに、民数記21章で、神が蛇を作れ、ではそれはサタンを作れと言われたということですか。そういう事ですか?

キリスト教は本当に愚かだ。いつも。ハハハハ 


窓の背後にあるものを見る


だから、こういう作品を見た時、私たちはこれら作品が石や木、つまり油注ぎの…御父様の三代王権が、御父様の作品に油注ぎをした時もそうでしたね。

石を、実はこれを壊したら、林(リンラオシ)先生がまた一つ作ればいいではないですか。なので石ではなくて。この石は、窓、窓、窓を割ったら、また作ればいいではないですか。

この窓から見るわけではないではないですか。この窓を通して、自然を見るのです。そうですね。


だから、この作品を通して、私たちは再び、御父様の実体的な肉身の、神が肉身となって来られた物語に再び出会うではないですか。

でも、その窓自体は、宇宙の創造主である神ではないですね。


もし私がこれを割ってしまったら、林先生にまた一つ作ってもらえばいいのです。来週三義に取りに行けばいい。そうですよね? 分かりますか? 


これももし私が、これをもし落としてしまったら。これ、これ、本当に私たちみんな悲しいでしょう? この作品、これは自然、千年半、数億年かけて神様が削り出されたのですから。海で削り出されたのです。

ここを見ると。ここ、ここを見てください。ここにあります。 貝があります。ここ。見えましたか? 

 いや、これ、これ、海でどこからか、とにかく数億年かけて削られたものです。もし、もし地震が起きて、これがもし壊れてしまったら、本当に二代王は悲しいですが、しかし、窓を割ったのと同じではないですか。もちろん少し美しい窓だけど、また作り直すことはできるでしょう。


しかし、こういう内容を通して、この窓の背後にあるものをこれ見て。この窓の向こう側を見ているではないですか。窓そのものを見てはいけないではないですか。窓そのものは見るものではないではないですか。窓の背後にある美しい木を見ているではないですか。

そうじゃない?


だからこの窓の作品もすごくいいし、それに私たちは、これに触れることができますね。触れて見て、香を焚いて、私も御父様に油を注ぐように。その背後にある命の水に触れることが出来るではないですか。そうですね?

でも、その石自体が、もし二代王様が、この石自体を叩いたら、ただの石を砕いただけで、御父様の物語がずっと生きていますね。そうですね?私がまた一つ作り直せばいいのです。そうですね。


だからこういう作品やストーリー、どこを見ても御父様の窓です。そうでしょう? どこを見ても御父様の考えが、どこを見てもある。


石を触って第一の宇宙の神に触る


仏教徒が入ってきても、私の友達の達磨大師、仏教の達磨大師。達磨大師は何て言ってる?

(中国語で)真の父母様億万歳!と言ってるではないですか。

その仏教徒が入ってきても真の父母様億万歳!

観世音菩薩も見て、いきなり敬拝しようとしたら、 観世音菩薩は後ろで、真の父母様億万歳!やってるではないですか。

観世音菩薩、真の父母様億万歳!

中国人が好むマーズ(媽祖)女神も、真の父母様億万歳!そうですね。

どこを見ても、どこを見ても、共産党滅亡、御父様、感謝。


お父様が、10代だった時、相撲の選手だった時、お父様と相撲ができる機会も与えられた。でも、それが、窓です。

窓そのものではないですよね。これそのものは二代王が割ってしまうこともありえる。そうじゃない? また作り直せばいい。窓。でしょう? 


でも、その内容を通じて、その窓の向こう側にあるものを、私たちが経験できないものを経験出来る。

ああ御父様と相撲したら、その感覚はどんなものだろうか? 

宇宙の創造主が肉体を使った時、その肉体で相撲したらどうだろうか? 

それ、考えられないだろ。これ、窓が出てこない。この窓が出てこなければ考えられないだろう。


それから、御言葉を聞きながら一つになるのです。これを直接触れて、その時に、わっと実感するのです。なぜこれを触るのか、私が物質に触れることができる。

私も、第一の宇宙の神は肉体をとられ、私がその物質に触れた。この手で私が。

ただの物語で聞いた話ではない。この私が触れた。

そう、そうじゃない?違う。全然違う。


だからキリストを仕える者たちは違う。宗教が。神話を信じるだけではない。あの宇宙の神が肉体をとって地上を歩かれた、実体として。私たちと同じ呼吸をした。同じ酸素を吸った。そう、そうじゃない?

同じご飯も食べられた、歩かれた、実際にチューもされた、入浴もされた。

クリスチャンに「イエス様も実際にチューされた」って言ったら、異端だと言って、腹が立つではないか。なんで腹が立つ?イエス様も、イエス様も食べたではないですか、食べたではないですか。

食べたならお腹も内臓もあるという事だ…キリスト教徒の立場からすれば、イエスは100%人間、100%でしょ。100%人間なら、うんちをするはずだ。考えて見ろ。うんちをしないと人間は死にます。すぐに。ハハハハ

うんちをすればどれだけスッキリするか。そういう話、何ていうか、そういう話、年をとれば取るほどうんちへの関心が出てくるって、そういうのあるでしょう?。ハハハハ


若い連中、若い女たちは、うんちをせず、膀胱に溜めて隠してるではないか。

若い男たちは、女はただ、蝶々だけをつけて、蜜だけが出てくると思ってるではないか。

ひどい下痢も全部出る。お前らは罪人だ。蝶、蜜が何だ。だから違う。そうでしょう? 


宇宙の神本体を用いて触られた


ヒンドゥー教の場合、ミノーシヴァ・クリシュナ、これ全部神話でしょ。神話に歴史的な証拠なんて一つもないではないですか。一つもない。全部神話です。

世界で大きな宗教だ。ヒンドゥー教は大きな宗教で、10億以上の人々が信じているではないか。地球上で10億以上。


しかし、キリストを信じる人は違う。私たちクリスチャンも違う。クリスチャンも、実際にこの地を歩かれたイエス様を信じているでしょう。そうでしょう?違う。

私たちは神話を信じているのではない。私たちは。実体の主がこの地を歩かれた。

だから、主はどこを歩かれたか、足跡。歩まれたところ。触れたもの、これも全部重要ではないですか。聖地。

これは、ただの石とかそういうものではなくて、宇宙の神本体を用いて触れられた場所ではないですか。直接、足で歩かれた場所ではないですか。そうですね? 


だからキリスト教やキリストを信じる宗教は、完全に歴史と結びついているのです。霊的な宗教だけではなく、これは肉的な宗教だ。

私たちはさらに、私たちはキリストの血統まであるではないですか。私たちの血統や家庭、結婚、子供たち、これらはすべてつながっているではないですか。聖酒とキリストの血、宝血で。


だからここも今私が準備している。ここの天井に、あのガラス瓶に入った聖酒を吊るすつもりです。聖酒、キリストの宝血を実体として見られるように。

あの前にいる御父様の顔を隠さないようにして。ガラスで。

皆さん、こういう世界は知らないでしょう。

私がどうやって統一マークをガラス瓶で作るか?工場を探さなきゃ。どうやって統一マークのガラス瓶を作るか?

とにかく、聖酒も、私たちの聖酒も、毎週見られるといいです。


だから 私たちは、ただの話やストーリー、神話のようなものは、キリストに仕える宗教は、そうではない。


私たちはキリストがおられた時、その歴史の中にある、地上を歩まれた、その実体的な宇宙の神の御業を、それに従って歩むのであって、私たちは、いわゆる物語や神話なんて、いやいや、それは違う。何のことか分かりますね?


弥勒仏はお父様


だからここも、ネパール、インド、待っている弥勒仏、これは御父様でしょう。ネパール、インド仏教が待ち望むチベット仏教、待ち望む弥勒仏教は御父様ですね。

自分たちも知らずに御父様を待っている。ここ、フンナム、バン!そこは皆窓だ。そうですね。

絵の七死復活。中国人たちは太った弥勒仏ですね。中国人たちは太った弥勒仏を待っています。

あれは、御父様が60歳の時、そんな風に見えました。私たちの監査院長は、「二代王様は、もっと沢山食べていたら、お腹がもっと出て、東洋で福がもっと来るはずなのに。金の福がもっと……」ハハハハ 

「私が肥満になったら、そうすれば金の福がもっと来るだろう」と。ハハハハ


とにかく、あの弥勒仏、中国人たちが待っている弥勒仏、それは、御父様、御父様ですね。こういう部分が今、全部窓の問題、窓。

ここにキリスト教の使徒たち、その絵をここにかけるつもりです。


だから李会長が今進行を少し、こいつらのために見てくれるので、すぐ上にかけられるでしょう、パッと、ここ大きく。こいつらがただテックチーム(ブース)の中で、こうして眠らない様に。

キリスト教の王たちも、キリスト教の、ここに黒人がいる。黒人、アラブ人がいるな。

ここ、だんだん聖殿からその霊界に来た様になります。ああ、OK。ああ、顔がだいぶきれいになったね。


康賢實真のお母様は美しすぎてスーパーモデルになられましたね。スーパーウーマンになられましたね。160、170になったね。170、康賢實真のお母様は完全に完全に霊人体が、スーパーモデルになられましたね。ハハハハ、いやあ、御父様がとても喜ばれるでしょう。


肉体的には一番小柄なおばさんだったけど、一番信仰の女性の中で信仰の巨人でした。

ハレルヤ。女性の中で一番のスーパーモデルです。ここに黒人の方たちいますね? 

オーケー。ここに黒人の方たち、黒人の方たちが何人かいますね。黒人も少しいるね。

みんな、AIがあるから、みんな白人にした。白人ばかりにした。黒人を少し入れろって言ったら、黒人だけを入れました。混ぜられない。うまく混ぜられない。

ああ、これも美しい。これも本当に。


これも、天主教と清教徒、これを見れば異端だ!白人どもがみんな東洋の再臨主に敬拝しなければならないから。ハハハ

これはどれだけ、西洋の連中がどれだけ頭にくる内容であるか。これ、自分たちが全世界を率いていると思ってるのに。とにかく、完全に違う。


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