2021年8月6日金曜日

’21年7月22日キングスリポート■ 戦いの試練、隣人を愛する関係性の中でメシアを証せ

 2021年7月22日(木)キングスリポート

戦いの試練、隣人を愛する関係性の中でメシアを証せ

タイトル編集:fanclub


いつキリストを宣言べきか?
When Should We Declare The Christ? (The King's Report 07/22/2021)

The King's Report 2021/07/22 (木)


英韓翻訳: Jake Kwon 韓日翻訳: toshiko.o



2代王様:キングスレポートへようこそ。本日は天基12年天暦6月13日です。

進行の2代王ムン·ヒョンジンです。まず天気を見ましょう。


エルダー :今日は、のどかな天気になります。現在気温は56度(26℃)で昼の最高は79度(26℃)です。今週中で一番いい天気になります。降雨確率はありません。空気の質もとても良いそうです。夜最低は57度(13℃)雨確率は25パーセントになります。

中国のある地域でこの4、5日間、年間雨量を超える雨が降ったそうです。千年に一度起こるかどうかの災害だそうです。


王様:今日のリマはマタイによる福音書16章13節です。「ペテロがイエスをキリストと告白する」というテーマです。


16:13イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。 16:14彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。 16:15そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。 16:16シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。 16:17すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。 16:18そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 16:19わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。 16:20そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。



天聖経 69ページ


「堕落しなかったなら霊界に行った人々は神の愛と真の父母の愛の核につながり天国に入るはずですが、歴史以来そのようなな因縁を持てなかったため天国行きがすべて保留になりました。どこで保留になったかというと、地獄で保留になり、その後は楽園で保留になっています。だから天国は空いているのです。」


真のお父様は、人が霊界に行く時、神様、真の父母様と連結されていないので、神の王国に入ることが保留になったと仰っています。天国は真の父母様が入るまで空いていると仰いました。イエス様もあなたと一緒に楽園に行くだろうと仰いましたね。


霊界には階層があり、天国は神様がいらっしゃるところです。しかし、そこに行くためには真のご父母様と一緒にいなければならないのです。真の父母様と一つになることで、その場にいられるのです。

このような階層は聖日の真のお父様の行事儀式手順でも見ることができます。各手続きは霊界の各階層を象徴します。霊界で真の父母様と一緒にいるからといって、私たちが真の父母様の代わりをしたり、同等ではあり得ません。


キリストが地上に神の王国を建国することは、彼が戻ってくる理由でもあり、すべてのキリスト人達が念願したものでもあります。

しかし、残念なことに多くのキリスト人達が、神の王国を「神様独裁主義、神様社会主義」と認識しています。すべての必要なものは神様から提供され、金銭的、感情的、すべての部分がキリストから満たされ、存在さえすれば全ての欲求が満たされると信じています。神の王国が社会主義的に解釈される場合が多くあります。国民は恵みを受ける者であり、キリストが与える恩恵を受けさえすればいいと考えています。


ヨハネの黙示録を見ると、多くの戦争が予言されていて、これらの戦争は神様の王国を対象にして来るとなっています。そのため、我々は多くの苦痛と攻撃があることを知らなければなりません。


イエス様は自分が神の息子であることを知らせるなと仰いました。 これは自分自身を証しするなという意味ではありません。その当時の状況で知らせるのが良くないと判断されたのでそう仰ったのです。

同じようにイエス様は神の王国が死と苦痛, 涙がないと仰いました。神の王国がそのような安全性を備えているということであって、何の苦痛もないと仰ったのではありません。私たちはサタンの勢力に対抗して戦わなければなりません。これは苦痛です。


聖書でも死に対していろいろな解釈があります。神様を離れることは肉体的な死ではなく霊的な死を意味します。イエス様が当時、自分が神の息子であることを知らせるなと仰ったからといって、一生知らせるなという意味ではないということです。


私たちがキリストを証しする時、聞く対象の霊的成熟度によって違うように伝えなければなりません。全く関係のない人たちに、お父様がメシアであることを宣言するのは難しいことではありません。お父様を証しするためには実際に、多くの対話と精誠、祈り、疎通、講義と努力が必要であり、彼らが理解していることを確認しなければなりません。神様がこのような人々に結実をプレゼントします。

証しは関係形成の過程です。 宣布することは一つの観点に過ぎません。関係を結ぶことは家族になることです。関係を結ぶことこそ、自分の中にある神様の聖霊の結実を示すことです。


なぜお父様がメシアであることを大衆に宣布しないのか、どれだけ多くの人々に証しをしたのかを批判的に見る人々がいますが、間違っています。お父様を証しすることは、関係を結ぶ過程でなければなりません。お父様を証しするのには、知恵と奉仕と忍耐が必要です。そして、神様を証しするのは、私自身ではなく、神様と聖霊であることを自覚しなければなりません。 皆さん自身ではないのです。


無作為に人々に宣布して、この努力を誇らしく話しますが、結局、信仰の子女が誰もいない人々が大多数を占めることでしょう。

伝道は、その人と関係を結び、その人がみ言葉を理解していることを確認し、聖霊の役事で伝道されるようにすることです。

ただ宣言したからと言って、人々が突然説得され命をささげ,それに仕えなくてはならない。こんなことは起こりません。宣言は誰でもできます。 

人として一対一で関係を結ぶこと、基盤を作り、授受作用すること。愛の疎通をすること。神様は私たちに宣布をしたいのではなく、私たちと関係を結びたいのです。 同じです。 夫婦も同様です。子供との関係も同様です。


成約は霊的な王国の実現だけでなく実質的な王国の建設を内包します。 鉄杖王国はキリスト教会と明確に差別化されています。 


キリスト教会には霊的結実が重要視されますが、守護者になるという責任はありません。より強い個人になり、生命と平和を守り、サタンの勢力を打ち破らなければならないという使命感はありません。平和軍平和警察に対する概念がないわけです。彼らは霊的な王国にだけ集中します。


神の実質的な肉体、実質的な王国は王国の国民を守り、人類のために貢献しなければなりません。神の王国の国民は世界の主権を再奪還しなければなりません。太初に失った実質的な主権を取り戻さなければなりません。平和軍平和警察となるべき責任、正義を守り、純粋な者を悪から守らなければなりません。


聖書では、「政(まつりごと)はキリストの肩にある(イザヤ書9章6節)」としています。これが、多くの新約教会が神の王国が社会主義的な国家になると考える理由です。

私たちは実質的な戦争を恐れてはなりません。神様がいつも一緒にいてくださるからです。サタンが王国を崩壊させようとして、多くの試練が来るでしょうが、自信を持って強力な鉄壁で王国を守らなければなりません。 自由は責任感とともにします。 

政府を利用して、神様を愛し隣人を愛する責任を回避しようとする者に、いかなる能力も与えられません。すべての武装した市民は自分の命をかけて、悪を行う者から善人を守らなければなりません。平和軍平和警察は、このような覚悟をしなければなりません。


そのため訓練がとても重要です。 訓練は愛を表現する方式です。 自分を極限まで追い詰めて苦痛に耐えるのは愛の表現です。もっと強くなるために、自分のためではなく、隣人を愛するために保護するために訓練に臨まなければなりません。実質的な隣人だけでなく象徴的な隣人も含みます。


地上の神の王国は神の勝利、三代王権、カインアベルの勝利によって次の世代に神の王国を相続することができるようになりました。天一国憲法のすべてが、神の次の世代に対する愛なのです。

我々の義務は厳しい訓練を通じて守護者になり牧者になり、家庭では王と祭祀長になることです。子どもたちが恐怖と向き合うようにすること、厳しい訓練をさせること、力の正義ある使用を悟らせなければなりません。霊的な戦いと戦争に備えなければなりません。


私たちは平和だけを追求するのではなく、関係をさらに強化し、戦争に参加しなければなりません。神様と隣人を愛することには多くの努力が必要です。踏みにじられ、あらゆる屈辱を受けてさらに強くなり、隣人を愛する表現で彼らを守り、悪が彼らを侵害することを防がなければなりません。 これが、新約時代と成約時代の違いです。

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