クリストファニー、文鮮明お父様はイエス様とともに創造前からおられた神
2022年7月31日英語日曜礼拝より
文亨進二代王
2022年7月31日英語日曜礼拝は、イエス様と文鮮明真の御父様がとともに一つとなって創造前から存在しておられたという文亨進師の神学です。
イエス様が生まれる前の旧約時代からイエス様と文鮮明真の御父様がともにおられたというクリストファニーをもってこれを説明しておられます。
この説教の時、翻訳掲載はしたのですが、これは従来の統一神学では到底受け入れられない神学であり、従って神学的に非常に重要な内容ですので、精度よく翻訳をする必要性があると思っていました。
今回サンクチュアリ・トランスレーションで英語の通訳翻訳をして下さっている二世に翻訳をして頂きましたので、二代王様の神学を学んで頂ければと思います。
安倍総理銃撃事件
そして後になって分かったのです。私はあの銃撃事件の現場からわずか1時間の距離にいました。もし健康だったなら、その場にいて、安倍総理と握手していた可能性が高いのです。もしそうであれば、あの狂った人物が私たちや王妃を撃とうとしていたかもしれません。どうなっていたか分かりません。
あの経験したことのないような激しい下痢は、馬肉を食べたことが原因でした。しかしそれさえも、神の目的のために用いられたのです。もちろん、今後自ら進んで馬肉を食べようとは思いません。(笑)
しかし振り返ると、あらゆる出来事が整えられていたことが分かります。神の御手があったのです。神の王権の上に、神の御手がありました。神が私たちを守られたのです。
私たちは完全に無防備でした。銃を持つこともできず、身を守る手段もありません。何も持っていません。その環境の中で、文字通り神の御手だけが私たちを守ってくださいました。そして私たちはあの狂気の状況から守られました。
そしてあの安倍総理の出来事は世界的に大きく報道されました。メディアは毎日のように、家庭連合を取り上げて報道しています。
それで、韓国から電話がかかってきました。リーダーたちが報告してきたのです。「どうか、どうか、二代王を早く日本から出してください。すぐに出さなければなりません」と。彼らは心配していました。何が起こるか分からない、と。私たちにも分かりませんでした。
そして私に報告が来ました。「二代王、ここから出てください。あと5日か6日ありますが、今すぐ航空券を変更しましょう」と。
しかし私は言いました。「あなたの民が苦しんでいる時に、あなたは共にとどまるのです。逃げてはいけません。私たちは予定している日に出発します。航空券は変更しません。通常のスケジュール通りに出ます」と。
慌てて逃げることはしません。「この数日、神が何をなさるかを見ましょう」と言いました。神の御手は明らかにこの上にありました。神は悪魔の悪意や策略さえも用いられるのです。
若い皆さん、誤解しないでください。神が悪人に悪いことをさせる必要はありません。悪人は自ら悪を行います。神が命じる必要はないのです。しかし、その悪の行為の中から生じる結果を、神はご自身の栄光のために用いられるのです。
ですから、お父様の聖霊やイエス様の霊がその人物に取り憑いて何かをさせた、などということでは決してありません。そのようなことを考えてはいけません。
韓お母様は神の守りの垣根を離れました。すると何が起こるでしょうか。悪霊が入り込み、呪いが及ぶのです。私たちが警告してきた通りです。神は誰かに悪を命じる必要はありません。彼女が今や神の恵みの外に出たので、悪霊からの攻撃の対象となるのです。
そのような混乱の中で、ついに私たちは日本を出ることになりました。
神のかたち本体論
さて、ここで興味深いことがあります。私は皆さんに「クリストファニー(Christophany)」について学んでいただきたいと思っています。神学者がそう呼ぶ概念です。これは、イエス、すなわちキリストが旧約聖書に現れることを指します。まだ肉体を持って生まれる前に、「主の使い」として現れるのです。天使のごとく。
旧約の時代、受肉以前に現れるキリストの顕現です。
私たちは、お父様が語られた「夜の神、昼の神」という概念を知っていますね。創造以前の神、創造以後の神。同じ神ですが、時間が始まり、昼の神として記録されるようになります。しかしキリストは「夜の神」から来たと語られました。すなわち創造以前から来られたということです。他のすべては昼の神から来ています。
思い出してください。かつて原理を教えていた時、私たちはこの内容を教えていませんでした。しかしお父様は90代になってから、頻繁にこのことを語られました。それは韓マザーの裏切りに備えておられたからです。彼女が裏切る可能性がどんどん、どんどんと高まっていたからです。
当時、原理を教えていた人々の中には、「お父様は何を語っておられるのだろう」と戸惑う人もいました。しかし、お父様がしておられたことは、より高いキリスト論を明らかにすることでした。神学用語で言えば「より高次のキリスト論」です。
お父様は単なる人間ではありません。人であると同時に、神であられるのです。私たちは今、それを「ポンチェロン(本体論:본체론)」と呼んでいます。覚えていますね。
アメリカの学者たちは、それを「original substance of divine principle」と訳しました。
(注:強いて日本語でニュアンスをいうならば「原初の性質的な原理講論」のような響きです)
しかし韓国語では「ポンチェロン(本体論:본체론)」と言います。
では「ポンチェ(本体:본체)」という言葉はどこから来たのでしょうか。お父様が名付けられたその言葉は、どの書物から来ているのでしょうか。私たちが皆学んでいる書物です。そうです、聖書です。
その言葉は韓国語聖書から来ています。ポンチェ(本体:본체)。どの聖句でしょうか。ピリピ人への手紙2章6節です。
では西洋の欽定訳聖書(King James Version)を見てみましょう。ピリピ2章6節です。
2:6キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず」
ここにある「神のかたち(the form of God)」という言葉は、韓国語聖書では「본체(ポンチェ)」と訳されています。ここにいる韓国の方々、そうですね?
ですから、お父様が「ポンチェロン(本体論:본체론)」と名付けられたとき、それは聖書的な用語を使っておられたのです。本来なら「original substance of divine principle」という訳は適切ではありません。それでは聖書的な響きが全くありません。
本来は「神のかたちの原理(Form of God Divine Principle)」といった方が、はるかに聖書的です。「original substance of divine principle」という言葉からは、聖書の伝統やキリスト教的な香りが感じられません。どこか東洋思想や道教の古典のような響きに聞こえます。
しかしお父様が強調されたのは、血統、種、神の種、キリストの種です。世界全体をキリストの家族とするということです。それがこの「ポンチェ:本体」、すなわち「神のかたち」という聖句に由来しているのです。
「クリストファニー(Christophany)」
さて、クリストファニーとは、旧約聖書におけるキリストの顕現のことです。まだ中東のユダヤ人イェシュア(イエス)として肉体をもって生まれる前の顕れです。
もし旧約聖書の中にイエスの顕現を見ることができるならば、それをクリストファニーと呼びます。
イエス様は誰と一つですか? イエスは再臨のキリストであるお父様と一つであるのですから、つまり旧約の中にイエス様を見るならば、(キリスト教ではイエスのことを三位一体の第二位格と呼びますが)それはつまり、旧約の中にお父様の顕れを見ることもできるということです。
例えば、ヨシュア記5章です。エリコに入城する前、ラッパを吹き鳴らす前のことです。戦いの前夜、ヨシュアに何が起こったでしょうか。
ヨシュア記5章の終わりを見てください。エリコ攻略の直前です。ヨシュアが戦いに臨もうとしている時、彼はある幻を見ます。ある方が現れるのです。
ヨシュア記5章13節です。
5:13ヨシュアがエリコの近くにいたとき、目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身のつるぎを手に持ち、こちらに向かって立っていたので、ヨシュアはその人のところへ行って言った、「あなたはわれわれを助けるのですか。それともわれわれの敵を助けるのですか」。 5:14彼は言った、「いや、わたしは主の軍勢の将(captain of the host)として今きたのだ」。
欽定訳聖書(King James Version)では「Captain of the host」とありますが、これは古い英語表現で、「軍の司令官(Commander of the army)」という意味です。イスラエルの軍勢の将、シリアの軍勢の将、というように使われる表現です。英語での「司令官」のとても古い言い方ですね。
5:14彼は言った、「いや、わたしは主の軍勢の将(captain of the host)として今きたのだ」。ヨシュアは地にひれ伏し拝して言った、「わが主は何をしもべに告げようとされるのですか」。
5:15すると主の軍勢の将はヨシュアに言った、「あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である」。ヨシュアはそのようにした。
なぜこれが神の顕現だと分かるのでしょうか。
聖書の中で、人が天使を礼拝しようとすると、天使は必ずそれを止めます。「わたしを拝んではならない。立ちなさい」と叱責します。黙示録にもその場面があります。天使は自分が礼拝を受けることを拒みます。礼拝を受けるのは神のみです。
しかしここではどうでしょうか。ヨシュアはひれ伏して礼拝しました。そしてこの方はその礼拝を受け入れました。それだけでなく、「くつを脱げ」と命じました。わかりますか。天使というのは普通そんな風に振舞わないんです。サタンでもない限り。
だから何が言いたいかというと、これは旧約聖書でのクリストファニーの一例であるということです。
ヨシュアの前に現れたこの方はその礼拝を受け入れましたね。それだけでなく、「くつを脱げ」と命じました。「あなたが立っている所は聖なる地である」「あなたは汚れている」と言って。神しかそんなことはできないでしょう。
だからクリスチャンがこの箇所を見るとき、「エリコの戦いの前に、イエスがヨシュアの前に立っておられた!」と理解します。ラッパが吹かれ、城壁が崩れ落ちる前に、主ご自身が共におられたのです。
これは美しいことです。素晴らしいことです。
そして私たちにとっても同じです。その方はイエスであり、再臨においてはお父様です。真のお父様は、旧約の中にも顕れておられます。ヨシュアに語りかけ、「わたしは主の軍勢の将である」と宣言された方です。
剣を手にして、「わたしはあなたと共にいる」と告げられたのです。
だからこそ、キリスト教徒が「イエスが聖書を書かれた」と言うように、私たちもまた、同じ霊的現実を見るのです。旧約の中にも、その御方の顕れがあるのです。
もしそれが真実であり、イエスが真のお父様であり、同じ霊、同じ存在であるならば、お父様もまた聖書を書かれたということになります。それは何と美しいことでしょうか。そのように見るとき、「ああ、お父様は聖書の至るところにおられる」と分かります。キリストとして、聖書全体におられるのです。旧約聖書の中にさえ顕れておられます。
出エジプト記33章にはこうあります。「誰も父なるヤハウェの御顔を見た者はいない。もし見るなら、必ず死ぬ」と。父なる神の御顔を見れば、人は死ぬのです。
しかしキリストは、私たちが生きるために来られました。アーメン。
主は来られましたが、ご自身の民に拒まれ、十字架の道を歩まれました。神はそれを霊的救いのために用いられました。しかしその王国は弟子たち、すなわち養子とされた者たちを基盤としていました。ですから王国は完全な形では立てられず、主は再臨を預言されたのです。
再臨のとき、主はご自身とご自身の実体の子孫によって王国を確立されます。その王国は主を代表する王国となります。そしてその王国は、父と子、すなわち王との間の忠誠によって支えられます。王の王への忠誠、それがすべてを結び合わせるのです。
それは天一国憲法――自由と責任の憲法――をも支える原理です。それは権威主義や全体主義ではありません。王の王である父と、その父を代表し、王国の憲法を守る使命を持つ天一国王との関係によって支えられるのです。
その王は、血統の相続者であるだけでなく、父をメシヤとして、主の主、王の王として愛し、その方のために生き、また死ぬ覚悟を持つ者です。アーメン。全能の主を賛美します。
寄生的考えをもつな
今は非常に激動の時代です。地平線には恐ろしい嵐の雲が立ち込めています。そのことを自覚しなければなりません。
私たちは韓国や日本でも勧めてきました。日常生活の中で責任を持ち、備える習慣を身につけなければなりません。スーパーに行くたびに、少し余分に買い、蓄えを作るのです。
なぜでしょうか。それは自分のためだけではありません。蓄えは自分だけのためではありません。最悪なのは、困難な状況で他人の重荷になることです。
若い夫婦の中には、「国進様はお金もあるし、備蓄もあるだろう。いざとなったら頼ればいい」と考える人がいるかもしれません。しかし、それは違います。決してそうではありません。そのような寄生的な考えを持ってはいけません。
各自が責任を果たさなければなりません。互いの重荷にならないことです。日常の中で、自分自身の備えの体系を築くのです。
本当に最後の最後の、最後の手段として、責任を果たしてきた人々が、どうしようもない最悪の状況に直面したとき、そのときにこそ守られるのです。しかし、責任を果たさず、他人に依存するつもりでいるならば、それは許されません。
これは非常に重要です。だからこそ「自由と責任」なのです。自由には責任が伴います。困難な状況においては、他人の重荷ではなく、むしろ資産となるべきです。
資産とは何でしょうか。自分が何かを持ち寄る者となることです。奪おうとする者ではありません。そうでなければ、それは悪なのです。
そして、その悪しき者たちは御国を受け継ぐことはありません。聖書にあるように、彼らは追い出され、外に投げ出され、王国の境界線の外で、犬たちと共に泣き叫び、歯ぎしりするのです。ですから、これは非常に重要なのです。
それらのことが起こり、近づいて来る中で、私たちのすべての人々も、世界中で、この意識を持たなければなりません。私たちには「応える自由」があります。そしてそれに基づいて行動しなければなりません。ただ知っているだけではいけません。「ああ、すばらしい。私たちには自由がある」と言うだけではだめなのです。それは、あなたに責任があるからです。
日本と韓国でも言いましたが、近所関係において、あなたはそこにおける「愛の王」にならなければなりません。それはどういう意味でしょうか。愛の王と王妃になるということです。それは、隣人を誰よりも愛さなければならないということです。
あなたが備えをし、人々を目覚めさせようとし、彼らのもとへ行って話し、ネットワークを作り、ラジオ無線機を与え、それについて訓練し、共にバーベキューをし、隣人と会い、彼らを愛するのは、単に悪い状況や戦時に彼らの協力が必要だからというだけではありません。もちろん、100%、助け合いは必要です。しかし、あなたが責任を果たすなら、あなたは彼らより一歩先に立てるのです。
サバイバル、戦時の伝道、将来のための投資
そうすれば、彼らを教育することができます。そして教育の過程で、彼らは気づくのです。「この人たちは愚かではない。神の栄光に導かれて、前もって知っていたのだ」と。そして「私より多くを知っているから、学びたい」と思うのです。
それは単に備蓄やサバイバルの方法を学びたいということだけではありません。「あなたが何を信じているのか、神がどのようにあなたを導いてきたのかを知りたい」と思うのです。皆さん、彼らはあなたの証しを聞きたがるのです。
そして何が起こるでしょうか。それが伝道の瞬間となり、福音を広める瞬間となり、キリストの愛を分かち合う瞬間となるのです。しかしそれは、あなたが「警戒している(vigilant)者」であったからです。何と言いましたか。警戒している者。怠け者のバッタではなかったということです。
冬に備えて勤勉に働くアリたちが準備している間、ギターを弾き、ヒッピー音楽を奏でて遊んでいたバッタではなかったということです。そのバッタがやって来て、「ごめんなさい、あなたの仲間を何匹か殺しました。遊んで、女の子たちと性関係を持ち、LGBTのくだらないことに関わり、ギターを弾いてヒッピーをしていました。ごめんなさい。今度は私の面倒を見てください」と言っても、そうはならないのです。
それが神の王国のやり方ではありません。自由と責任です。人々には慈善もあり、思いやりもあります。しかし、あなたが無責任であることを示し、自分の行動によって他人を搾取しようとしていることを示してきたなら、その人々はあなたを決して歓迎しないでしょう。あなたは排斥されるのです。
ですから、そのような人になってはいけません。アーメン。そのような人になってはいけません。責任ある人になりなさい。前もって備える人になりなさい。他の人々への祝福となる人になりなさい。限られた資源しかない中で、助けを求める人々を決定的な時に助けることができる人になりなさい。なぜなら、すべての人を助けることはできないからです。
もし無限の資源を持っているなら、神がそれをどう用いるべきかを示されるでしょう。しかし、資源が限られているなら――それはこの部屋にいるすべての人、インターネットで見ているすべての人に当てはまります――あなたはすべての人の面倒を見ることはできません。
私は韓国と日本で言いました。状況が本当に悪化し、第三次世界大戦が始まるようなことになれば、あなたの家族、あなたをこの10年間呪い、去っていった悪魔的な子どもたち、サタンに仕え、同性愛やLGBTの乱行にふけってきた者たちが、皆あなたのもとに戻って来て、赦しと資源を求めて懇願するでしょう。
その時、どうなるでしょうか。私は裁き主ではありません。あなたが裁くのです。聖書が言うように、キリストと共に相続人、御国の相続人となる者たちは、御使いたちをも裁き、またイスラエルの十二部族を裁くのです。黙示録20章5節にそれを見ます。
あなたが裁き主となるのです。そして、もし賢く裁かなければ、あなたのすべての備えは無責任な人々によって使い尽くされてしまいます。申し訳ありませんが、破壊されてしまうのです。あなたの投資も、努力も、無責任で利己的で邪悪な人々によって破壊されてしまいます。
裁判官の仕事がいかに困難で厳しいか、分かるでしょうか。裁判官は、単に家族だからという理由で判断することはできません。人々の行動に基づいて判断しなければなりません。
分かりますか。王や王妃であることは、いつも簡単ではありません。責任を伴うのです。
皆さん、私たちのコミュニティの殆どの人は責任ある人だと私は知っています。しかし、だからといって気を緩めてはいけません。状況が悪化したときに、他人にとって重荷となる存在にはなりたくないでしょう。そうではなく、将来のために投資し、正しい備えをしてきた人となり、いざ状況が悪くなったときに他の人々への祝福となれる人になりたいはずです。アーメン。
非常に重要です。本当に重要です。これは日本や韓国、そして他の全ての場所にとっても重要です。どこでも共産主義的な考え方があり、「政府が面倒を見てくれる」「教会が面倒を見てくれる」と思いがちです。しかし、私たちには無限の資源も資金もありません。分かりますね。
ですから、すべての人、一人一人に責任があります。そして、それは小さなことなのです。本当に小さなことです。たとえば、食料品店に行くたびに、三つ、四つ、五つ、余分に缶詰を買って蓄えておくことです。そのようにしていると、責任ある人々はそれを見て、「ああ、あなたは本当にやっているのだ。信頼できる。私のチームに入ってほしい」と思うのです。
しかし、それをしなければ、人々は見ています。そして気づくのです。「その人とは一緒に働くな。その人を共同体に含めるな。その人は共同体を壊してしまう」と。分かりますか。そうなるのです。
ですから、そのような人になってはいけません。絶対になってはいけません。責任ある人になりなさい。家族のことだけを考えるのではなく、他の人々のことも考えなさい。
一人か二人、三人、七人、もしかすると十人の面倒を見ることができるかもしれません。誰にも分かりません。しかし、たとえ一人か二人でも、あなたの備えと責任によって助けることができるなら、それはその人々にとってどれほど大きな祝福となるでしょうか。一人、二人にとっても、それは大きな祝福です。
そしてその時、あなたがどのような証しを語ることができるか、考えてみてください。分かった?(日本語で) 皆さん。非常に重要です。重荷になるな。資産となれ。資産となりなさい。
皆さん、本当に狂った時代です。しかし、強い頭脳、強い意志、そしてもちろん愛が必要です。神は隣人を愛せと言われます。助けることを選ばない人を無理に助けることはできません。彼ら自身が選ばなければならないのです。
困難な時が来たときには、自分の備えを適切に管理することが非常に重要です。管理を誤れば、備えはあっという間に消えてしまいます。私たちはそれが誰にも起こってほしくありません。すべての家族が患難の時代を通しても成功し、強くあってほしいのです。
しかし、恐れの霊で生きるべきではありません。これらのことは何一つ、恐れによって行うべきではありません。将来のための備えは、恐れやおののきの中で行うものではありません。
なぜなら、恐れやおののきとは何でしょうか。それはキリストを心から取り除き、代わりに恐れの神を心に置くことです。それは何を意味しますか。偶像礼拝です。恐れというサタン的な神と霊的姦淫を犯すことになります。
ですから、そのようなことをしてはいけません。姦淫を犯してはなりません。備えをするとき、将来のために責任を果たすとき、それを恐れからしてはなりません。愛から行うのです。人々を愛しているからこそ、状況が悪くなったときに何人かを助けたいと願うのです。アーメン。
ここにある違いが分かりますか。大きな、大きな違いです。恐れからではなく、愛から行うのです。恐れからではなく、愛から行うのです。そうでしょう?
もし、あなたを10年間ののしってきた子どもたちが、状況が本当に悪くなったとたん、急に戻ってきて懇願し、急にあなたの親友のように振る舞うようになったとします。しかし、あなたは思いやりがあるからこそ、彼らのためにも備えているのです。それもまた良いことです。あなたの子どもなのですから。人は悔い改め、変わることができるのです。アーメン。
しかし、そのようにするためには、備えがなければなりません。備えがなければ、そうはなりません。私は断言します。
そして、私たち共同体として持っている備えについても、それは絶対的に必要になるまでは使いません。それは最後の、最後の、最後の、最後の、最後の手段です。非常に重要なことです。
しかし覚えておいてください。私たちには備えが必要です。しかし決して恐れからしてはなりません。常に愛ゆえに行うのです。心の目的は、人々を助けることです。たとえその混乱と狂気の時代が来たとしても――それは来ます――その時に他の人々への祝福となるためです。
そして考えてみてください。そのような人々の共同体を。愛からすでに備え、他の人々への祝福となる準備ができている共同体は、これから来る非常に困難な時代の中でも、非常に、非常に、非常に強く、堅く立つことができる位置に置かれるのです。
私たちは世界のために祈ります。すべての人のために祈ります。しかし同時に、私たちは自分たちの5%を果たし、神の王国の責任ある市民とならなければなりません。アーメン。
共に祈りましょう。
王の祈り
父なる神様、このすばらしい日に、あなたの御言葉――マタイ22章、失礼、21章――そしてヨシュアの前に顕れたキリストについての学びを通して、あなたがずっと共におられたことを示してくださり、感謝いたします。
愛する神様、あなたがこの重大な時、人類史の中でも非常に危険なこの時に、私たちと共に立っておられることを私たちは知っています。今や韓マザーの呪いが全世界の上に及び、彼らの組織が崩壊する中で、それはもはや否定できないものとなっています。
私たちはそのようなことを喜びたくはありませんでした。そのようなことが起こるのを望んではいませんでした。しかしそれはあなたの御心です。そして最後には、あなたが勝利されます。あなたの敵は勝つことができません。陰府の門(gates of Hades)も打ち勝つことはできません。
神様、あなたの正義は真実であり、義であります。あなたの裁きは真実であり、義であります。ゆえに私たちはあなたを賛美します、ハレルヤ。あなたがなさっているすべてのことに感謝いたします。
堕落した人間が恐ろしい状況を作り出している中で、世界には呪いがあり、第三次世界大戦の影が東西において、そして全世界において、ますます近づいています。しかし私たちが恐れの霊によって備えることがないようにしてください。
私たちの心の王座から恐れという悪霊を追い出し、あなたを再びそこにお迎えし、心の中であなたが統治してくださいますように。そうすれば私たちは常に力を持ち、愛を持ち、未来と永遠のいのち、あなたが約束してくださった御国への希望を持つことができます。
同時に、私たちが互いにとって資産となりますように。互いに祝福となりますように。時がさらに厳しくなったときに人々を助けることができるよう、愛のうちに備えを行わせてください。そしてそのような時は必ず、到来します。
すべてが崩れ落ちるように見える患難の時代にあっても、その中で建て上げることができる賢い民とならせてください。その時代に福音を広め、伝道する民とならせてください。
すべての魂が悔い改めを求めてあなたに叫び、世界で起こっている避けることのできない現実を目の当たりにする中で、すべての心があなたへと向きを変えていくでしょう。
それらの心がイエス・キリストの福音によって触れられますように。聖霊の力によって触れられますように。救いと悔い改めを通して触れられますように。キリストにあって新しく造られた者として変えられ、そして立つことができますように。
原理を携え、鉄の杖と真理の剣で武装し、王の王、主の主、再臨のイエス、私たちの真のお父様と共に立つことができますように。お父様が先頭に立ち、軍の司令官としてかじを取り、サタンの軍勢と悪の群れを突き破りながら、闇を切り裂きつつ、自由と責任のあなたの栄光の御国へと前進していくことができますように。
この最も重大な時においても、これらのことを日々の生活の中で動員し、実現していくことができますように。
主よ、あなたがなさっているすべてのことに感謝いたします。そしてここに集っているすべての家庭を感謝いたします。彼らがこの御言葉を受け取り、今日から行動し、決して気を緩めることなく、愛と名誉をもって、あなたの御心と御言葉を守り続けることができますように。
今日ここに三代王権と共に集うすべての王権とともに、賛美と栄光をお捧げし、この祈りをあなたの尊い御名によってお祈りいたします。アーメン。アーメン。アージュー。
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