メシアは、愛と生命より重要な血統転換のために来られる
2026年1月28日 テネシー清平韓国語水曜礼拝
「メシアが真の父母として来られた理由」<1>
權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師
翻訳minion 監修fanclub
2026年2月4日テネシー清平韓国語水曜礼拝權教授한국 수요예배 2 04 2026
「メシアが真の父母として来られた理由」血統
本日私が申し上げるお話の題目は「メシアが真の父母として来られた理由」と定めました。
メシアがこの地に真の父母として来られた理由は何でしょうか。
キリスト教ではメシアを審判主や救い主と見ますが、原理では堕落によって汚染された血統の根を断ち切り、完成したアダムの血統を伝授するために来られた真の父母であると教えています。
真の御父様は血統を愛や生命よりも重要だとおっしゃいました。
血統は神とその子女である人間との関係に基づくからです。
血統とは単に生物学的DNAを超え、創造理想の実現のための出発点と見るからです。
愛と生命は私という個体の中では強烈に体現されますが、それが次世代へ継承されるためには必ず血統という通路を通らねばなりません。
血統は生命と愛を内包しています。すなわち血統は根であり、愛は幹であり、生命は果実のようなものです。
また血統は、過去の祖先、現在の私、未来の子孫、これらを一つに結ぶ垂直的な軸です。
神様が人間を創造された目的は何でしょうか。
神様は見えない霊的な存在であるため、御自身の愛と生命を地上に実体的に定着させるために人間を創造されました。
したがって神の聖殿として創造された人間は、血統を清く保つことが何よりも重要です。
血統が汚れると、神が住まわれる聖殿が汚染されてしまうからです。
それゆえ、神は生命よりも血統を守ることを、より重要視されたのです。
性による堕落、血統を汚した罪は真の父母しか赦す権限がない
しかし人間は堕落によって神の血統を失ってしまいました。
神は御自身の子女としてアダムとエバを創造されました。
しかしアダムとエバは、神が禁じられた善悪知る木の実を食べて堕落しました。
それはエバが天使の誘惑に負けて不法な性関係を意味する善悪知る木の実を食べ、エバがその実をアダムにも渡し、アダムもまた善悪知る木の実を食べて堕落したのです。
結局、神は堕落したアダムとエバをエデンの園で暮らすことが出来ないように追い出しました。
現代の性倫理に従う青年たちは、この原理の話を聞くと、理解する事ができません。これの何が問題なのか?男と女が互いに会い愛し合うのは自然なことではないのか?お互いに好きで愛の行為をしたことが、なぜそれほど大きな罪になるのか?盗みもせず殺人もしていないのに、何が問題なのか?と反論します。
したがって私たちは堕落がなぜ罪となるのか、原理的な観点から明確に分からなければなりません。
人間に対する罪は人間が赦すことができます。
しかし堕落の罪は神に対する罪です。神の心情を蹂躙した罪であり、創造理想と創造の秩序を破壊した罪です。
神が人間を創造された目的は創造理想を実現するためでした。
神は人間に対する計画を持って被造世界を創造されました。
神は御自身の実体を、アダムとエバを創造され、人間に生きる目的を与えました。
生めよ、増えよ、万物を主管せよ。人間の霊肉観が成長し完成した後、家庭を持ち子孫を産み増え、理想を成せ。このような御言です。
しかし未完成期のアダムとエバがサタンの誘惑に陥り、神を離れてサタンの僕となりました。
この事件により、人類の祖先は神の創造理想を破壊したのです。
神の天地創造の計画を破綻させてしまったのです。神の実体として創造された人間が神の血統を捨てて離れてサタンの血統と替えたのです。
したがって血統を汚したということは、人間個人の問題ではありません。神の愛と心情を蹂躙し、創造理想を破壊したのです。
堕落とは神の愛を裏切ることにより、それによって血統が変わってしまった事件です。
真のお父様は人類の悲劇は知識や道徳の欠如から来たものではないとおっしゃいました。それは誤った血統の伝授に起因するとおっしゃいました。
根が間違っているため、人間同士がどれほど良い愛と生命を持とうと努力したとしても、根本的な限界にぶつかるのです。
したがって人類の救い、すなわち復帰摂理もまた、観念的な信仰や善行で可能なものではありません。
サタンの血統を断ち、神の血統によって神の所有へと転換する接ぎ木の過程を通してのみ完成されるのです。
すなわち生命は愛の結果として生まれ、その愛と生命が結んだ実が血統となるのです。
したがって血統の中には、父母の愛と生命、そして理想がすべて溶け合い注ぎ込まれて流れているため、その価値が高いとおっしゃったのです。
神は親だから血統を汚した我が子を助けたい
このような観点は、生命よりも尊いものは愛であり、その愛よりも尊いものは血統であるというみ言に帰結します。
例を挙げて考えてみましょう。親にとって、できが悪く勉強もできず、言い争いばかりする自分の子女が重要でしょうか?
それとも、見た目も良く優秀で勉強もできて善良な他人の子女がより重要でしょうか?
こう尋ねられたら、どうお答えになりますか?
もちろん、できが悪くて勉強ができなくても、自分の子女がより重要ですね。
その理由は何でしょうか?血統で繋がっているからです。
神様も同じ立場ではないでしょうか?
堕落によってサタンの子女となりめちゃくちゃになったが、再び御自身の血統を連結させて子女として探し立てたいのです。
だから苦労に苦労を重ねて救いの摂理を導いてこられたのです。
子息が立派だからではありません。人間がする行いを見れば腹が立つでしょう。耳を引っ張って天まで吊り上げたいでしょう。足で蹴って地面に叩きつけて落としたいでしょう。
ではなぜ耐えて救われるのか?
ただあなたの血統によって造られた人間だからです。
だから耐え、耐え、また耐え、そして愛し、また愛し、それゆえ神は愛であられる。
このように言うことができるのです。
血統がなぜ重要で絶対的な価値を持つのか、聖書や原理を通してより深く考えることができます。
私たちは聖書の中で血統の重要性を裏付けるイエス様の言葉を見つけることができます。
イエス様は当時のユダヤ人に対し、彼らの善行や信念、信仰を問題にされませんでした。
彼らが霊的な根、すなわち偽りの父に置いていることが誤りであると指摘されたのです。
アダムの子たちは真の神の血統に接ぎ木されなければならない
ヨハネの福音書を見ると、8章40節です。
イエスがユダヤ人を責められる言葉が出てきます。
見てみましょう。
8:40 ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。
41 あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。彼らは言った、「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」。
42 イエスは彼らに言われた、「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである。
43 どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。
44 あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。
このように言われました。
皆さん、系譜的に見ればイエス様もアブラハムの子孫であり、ユダヤ人もアブラハムの子孫です。
ではなぜユダヤ人に向かって「あなたがたはあなたがたの父の行いをしている」と言われたのでしょうか?
これは、サタンの血統を受けたユダヤ人たちがサタンの手先となって、神の血統をもって来られたイエス様を殺そうとする行為を責める言葉です。
ユダヤ人たちは、自分たちが形式的な儀式に囚われており、サタンの血統であることを悟っていません。
だからユダヤ人たちはイエス様の言葉を全く理解できず、別のことを言っているのです。
これは人類が堕落を通してサタンの血統を受け、霊肉でサタンの主管を受けているためです。
したがって、誤った血統を正すためには、真のオリーブの木として来られたイエス様に接ぎ木されなければなりません。
ローマ人への手紙11章17節にはこうあります。
11:17 しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、
このような御言があります。
パウロは堕落した人類を象徴する石のオリーブの木が、まことのオリーブの木として来られたメシアと出会い、接ぎ木を受けなければならないと教えました。
パウロは単なる教育や悟りを語っているのではありません。
根であるイエス様に接ぎ木されて、イエス様の血統を受けなければならないとおっしゃったのです。
コリント人への第二の手紙5章17節には、
5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
という御言があります。
私たちが新しい被造物となるためには、キリストの中にいなければなりません。そしてキリストの中にあるということは、単に信仰と善行を行う次元ではありません。キリストの種を受け入れなければならず、キリストと一つとなければならず、キリストに似て、新たに生まれ変わるのです。
すなわち、堕落の種を受け死んだ私は、キリストの中にあって実現する体として復活するのです。
原理では、堕落の本質について明らかにしています。
堕落が文字通り単に御言に逆らい禁じられた果実を食べた事件ではないことを教えています。堕落は誤った愛による血統的な汚染であることを教えています。
サタンが人間を主管できる理由は、人間が堕落してサタンの血統を受け、サタンが人間の父となったためです。
堕落の血統はサタンの侵入を招く条件となります。
真のお父様はそれゆえ、血統が愛や生命よりも重要だと強調されたのです。
愛と生命の前に現れる実が血統です。血統がなければ愛も生命も全ての代が断たれます。
愛は動機でありエネルギーであり、生命は愛の実体です。
一方、血統は種です。愛と生命を宿し、代々受け継がれるものです。
結局、血統が重要だと言うのは、神の真の愛と真の生命が一時的なもので終わらず、永遠に定着することができる唯一の基盤となるからです。
血統が愛や生命よりも重要な理由、所有権
なぜ血統が愛や生命よりも優先されるのでしょうか?
愛は時間が経つに従って変わる可能性があります。生命もいつかは断たれる可能性があります。
しかし父母と子という血縁関係は、誰も否定したり消したりできない絶対的な関係です。血統で繋がっているということは、所有権を主張することができる関係であるということです。所有権!
したがって、愛と生命がどれほど強調されても、血統という所有権の問題が解決されなければ、根本的な救いは不可能だと見るのです。
血統を通じて人間が神の所有か、それともサタンの所有かということは、この所有権が決定されるからです。
真のお父様は血統を所有権の根拠だとおっしゃいました。
どんなに愛が熱く、どんなに命が尊くても、その根となる血統がサタンの主管権下にあるならば、結局はサタンの所有になります。
したがって、神様が人類を再び御自身の子女として探してくるためには、サタンに渡った血統的所有権を取り戻す過程が必ず必要です。
祝福はメシア真の父母による血統転換手術
真のお父様は堕落してサタンの血統を受けた人間を救うために祝福を与えて下さいました。
祝福とは単に男女が出会い結婚する儀式ではありません。原理的には血統の根を変える儀式です。
祝福はまさに聖書に出てくる接ぎ木の役事です。
堕落した血統のエキスを抜き取り、メシア真の父母を通して神の真の愛・真の生命のエキスを受け継ぐ過程なのです。
神の血統を伝授されることで、人間は真の愛を実践できる基盤と永遠の真の生命を享受できる資格を備えることになります。
血統が愛や生命よりも重要だというみ言は、私たちが守らなければならない純潔と家庭の価値が、単なる道徳的次元を超え、神の創造理想を実現する道だからです。
私の生命は私が原因となって現れたものではありません。
血統は神から授けられたものです。私の血統は祖先から来ており、その後は子孫へと続いていくでしょう。
血統は私に留まることなく、私を通してずっと代々流れて行くものです。
したがって、メシアが真の父母として来られた理由は、私たちが失った神の血統を再び探してくださるためです。
それゆえ真の父母として来られたのです。
祝福は、その血統の根をサタンから神へと移す霊的・実体的な手術のようなものです。
これが真のお父様が生命や愛よりも血統を強調された実質的な理由です。
血統が変わらなければ、愛も生命も結局サタンの主管権の中でぐるぐる回るしかないからです。
私たちは真の父母として来られたメシア、真の御父様から真の血統を授かりました。
私たちの肉体の生命は私の父母から受けたものですが、霊的な生命は真の父母から受けるものです。
真の父母とは誰でしょうか?真の父母とは神の血統を持つ方として人類に分け与える種、精子を持って来られる方です。
では私たちは真の父母を通して、どのようにしてサタンの血統が、完成されたアダムの血統へと変わるでしょうか?
人類の最初の祖先であるアダムとエバが堕落して偽りの父母となり、彼らから人類はサタンの血統を受け継ぐことになりました。
ですから、堕落した人類が完成したアダムの子女として血統が復帰されるためには、真の父母から祝福を受けなければなりません。
偽りの父母によって堕落の血統を受けましたが、これを正すために神の血統を持つ真の父母に出会い、彼を通して再び生まれなければなりません。
これが救いの摂理であり、重生の歴史です。
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