2026年1月14日水曜日

統一思想からみた、神の本性相の中のキリスト

統一思想からみた、神の本性相の中のキリスト


*この論文は、中村仁史氏からの訂正チェック監修を頂いています。

統一原理マスタークラブの中村仁史さんに、

『中村さんブログ記事で、ヨハネによる福音書1章の解明に書いておられる「生命あるロゴス、生きたロゴスとしてのアダムが存在した」ということは、つまり、「イエス様、真のお父様は創造前から存在しておられた」ということを認めておられるのですね?』

と確認したところ、「生命のあるロゴスですから、そういうことになりますね。」という返事を頂きました。

以前の記事では、従来の統一思想の範疇にあるキリスト論でしたが、その後、統一思想を研究された結果、統一思想的からも見ても「御父様は創造前からの神である」といえることを導き出しておられました。

その結論の根拠となる御父様の御言は次の御言です。


彼は生きた神であり、神のロゴスである真理の実りでした。神とイエス様の間には何らの分離がありません。(『世界への神の希望Ⅰ』イエス様と再臨)


中村さんは「前ロゴス(前構想)」と「ロゴス(構想)」をもって詳しく説明しておられます。

その詳しい説明は中村さんの記事、「ヨハネによる福音書1章の解明」を読んで頂くとして、ここではごくごく簡単に説明します。

まずは、抜粋文をお読み下さい。

___________________________________


「統一思想」から見た神による創造の二段階過程Ⅰ

-キリストは創造前から存在するとは?



 すでに内的授受作用の説明の中でも構想を扱ったが、それは新生体(結果物)としての構想ではなく、主として考えるという意味の構想、すなわち授受作用としての構想、観念の操作としての構想であった。(中略)

これは文字どおりの設計図である。しかし、神が宇宙を創造した言であるロゴスは生命が入っている生きた新生体であり、生きた構想なのである。(『統一思想要綱』p113)



その初期段階において、観念の操作によって新生観念(前構想)が形成される。そして後期段階において、心情(愛)の力によって知情意の機能が注入され、新生観念が活力すなわち生命を得るようになって、完成された構想として現れるのである。(『統一思想要綱』p114)


 以上のように、神と共にあった「言(ことば)」、すなわち「ロゴス(構想)」は、ただの設計図ではなく、知情意の機能を備えた生命ある存在ということです。



「統一思想」から見た神による創造の二段階過程Ⅱ

-ヨハネによる福音書1章の解明 


 したがって、イエス様が天地創造の前から神と共にあったというのは、創造の第一段階の後期に、神の本性相内のロゴス(構想)、すなわち「ロゴスとしてのアダム」として存在していたという意味になります。

 したがって、「言」は「息(霊)」であり、「言」は「生きた構想」、すなわち「ロゴスとしてのアダム」なので、「息(霊)」もまた「ロゴスとしてのアダム」を意味していることになります。


 「言」=「息(霊)」=「生きた構想」=「ロゴスとしてのアダム」


 このことから、「命の息をその鼻に吹きいれられた」とは、土で造られたアダムの体に「ロゴスとしてのアダム」を吹きいれたということであり、それをヨハネによる福音書1章14節では「言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」と表現しているのです。


もしアダムが堕落していなければ、「ロゴスとしてのアダム」はそのままアダムの中に存在しつづけ、創造目的(喜び)を中心に外的発展的四位基台を造成することによって、アダムは神の完全なる喜びの対象になるはずでした。

 しかし、アダムの堕落により、「ロゴスとしてのアダム」はその場に留まることができず、再び神のもとに戻っていきました。


そして、再び「ロゴスとしてのアダム」が宿った方として降臨されたのが「ひとり子」のイエス様でした。このことについて文鮮明先生は、『原理原本』で次のように説明されています。


 アダムとエバが罪を犯すと、本来、アダムとエバに注入して授けた神の根本の基、すなわち生心を中心に成長し神が臨在できる基となるべきだったアダムの霊人体(霊)は、悪に犯された自らの体にいることができず、神が引き取られたのである。そして、罪を犯す前の霊が神の右側に座し、第二アダム格として送られたのである。その方が正にひとり子イエスであった。「ひとり子」という名詞の意味もここで明白になる。つまり、罪を犯す前のアダムの霊がイエスの霊に注入され、再び来られたということである。(『原理原本』p89)

「統一思想」から見た神による創造の二段階過程Ⅱ

___________________________________

以上の事を一言で言うならば、

「知情意の機能を備えた生命ある存在が、神の本性相内のロゴス(構想)、すなわち「ロゴスとしてのアダム」として存在していた」ということです。

創造前の、神様の本性相の中に存在する、生命力ある存在(ロゴス)とは何か?ということです。

これがアダムであり、イエス様であり、文鮮明真の御父様ということになるのです。

神様の本性相のなかに生命として存在するということです。


この中村氏が解明した統一思想は、これは2016年10月31日Q&Aで國進様が教えてくださったキリスト論と基本は同じであると言えます。


それを國進様の教えから再確認します。


お父様が言われていたことは、お父様は基本的に生まれる前から存在していたということでありましたが、これは初臨のキリストの教えと同じであり、キリスト教の観点からキリスト論を理解するときに、神様は永遠の神様として存在され、イエス・キリストとして地上に降臨され、その後、神格に戻られました。

そしてお父様が言われているのは、神格から文鮮明師として、つまり再臨主として地上に戻ってこられて、また夜の神様としての神格に戻られたということです。

ですから、お父様が教えられたそのような神学、つまりキリスト論を理解するなら、創造主である永遠の神様、イエス・キリスト、再臨主である文鮮明師の三者は同じ人であり、同じ霊なのです。

サンクチュアリの教えでは、イエス・キリストとお父様は同じ霊であり人であるということです

2016年10月31日Q&Aの御言


中村氏が解明した統一思想は、本性相の中に生命(ロゴスとしてのアダム)が存在するということです。

これは即ち「創造主である永遠の神様、イエス・キリスト、再臨主である文鮮明師の三者は同じ人であり、同じ霊なのです)」と言われる、文國進様の教えを表しています。

このように結局統一思想は、この真の御父様の夜の神論を究明された二代王様、國進様の三位一体キリスト論を支える神学であることが分かるのです。


この統一思想で究明されたのは、本性相のなかに創造前から存在した生命であるロゴスとしてのアダムが存在したのですから、夜の神様の最初の愛の対象、愛の関係とは父子の関係であるということです。

これがイエス、真の御父様という具体的生命が創造前から父と子と聖霊の三位一体として存在したということになるのです。


ここで多くの人は疑問に思うでしょう。

「本性相のなかに創造前から存在した生命であるロゴスとしてのアダムが生命として存在するのならアダム、イエス、真の御父様の関係はどうなっているのか?」など。


これについては、別の機会に論じたいと思います。


<中村仁史氏の関連記事>

「統一思想」から見た神による創造の二段階過程Ⅰ-キリストは創造前から存在するとは?(2025年6月13日)

「統一思想」から見た神による創造の二段階過程Ⅱ-ヨハネによる福音書1章の解明(2025年6月18日)

「統一思想」から見た神による創造の二段階過程Ⅲ-人間の生と霊的救いについて(2025年6月20日)



<ヨハネの福音書に基づく文亨進師三位一体論解説、拙稿>

追記、中村氏の上記「「統一思想」から見た神による創造の二段階過程」の発表は、これは拙稿、原理原相論(試論)夜の神様における真の愛、夜の神様の誕生の「イエス様とお父様は夜の神様の本性相とともにおられた」とする同じ神学が、統一思想でも説明できるという貴重な論文になります。


___________________________

キリストのリバイバル、クリック感謝です。

0 件のコメント:

コメントを投稿