日本語訳
The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series
キリスト再臨アドベント23
復帰摂理とは何か?
What is the Providence of Restoration?
復帰摂理とは何か?
「人類を復帰する神の摂理」、これが復帰摂理です。
初めから見て見ましょう。
堕落の前に、神はご自身の子女たちのために輝かしい御計画をお持ちでした。
神の願いは、アダムとエバがひとたび神と心情で一つになって、この完全な愛が、三大祝福を中心として、後世にわたり、そして被造世界全体に広がったであろう、調和の世界を創造することでした。
「1 生育せよ、2 繁殖せよ、3 万物世界を主管せよ」
しかし、悲劇的なことに、この究極の神のビジョンは、ルシファーとエバ、それからエバとアダムの間の愛の悪用によって断ち切られました。「人間の堕落」として知られるようになった出来事です。
堕落によって、私たちは神にもサタンにも仕えることができる中間位置に置かれました。
神は、エデンの本来のビジョンを復帰するために、そして人類を罪から解放するために、歴史を通して絶え間なく働いてこられました。
この歴史の中での神の働きが、復帰の摂理であり、罪のないエデンの園を復帰する計画です。
しかし、神はどのようにして究極的なエデンの園の復帰を成し遂げられるのでしょうか?
「それは、メシアを受け入れるための基台を築くための、ある種の蕩減条件から始まります。」
この言葉を解き明かすには少し時間がかかりますが、これらの基本的な神学的概念によって、旧約聖書と新約聖書だけでなくキリスト教の歴史における、神の摂理の全容を理解することができます。
では、この「蕩減条件」という言葉から紐解いてみましょう。
何かが本来の状態を失ったとき、その失われた位置を回復するためには、一定の条件を満たさなければなりません。
例えば、信頼を回復するためには、背信行為を修復するために誠実に努力し、善良な人格を示さなければなりません。
あるいは、健康な人が病気になった場合、健康を回復するために適切な薬を服用しながら休養しなければなりません。
ある条件によって何かを本来の状態に戻すこの方法を、私たちは、「蕩減条件」と呼びます。
聖書には3種類の蕩減条件があります。
「より小さいものをもっての、同一のものをもっての、より大きなものをもっての」蕩減です。
まず、同一のものをもってのから始めましょう。
同一のものをもっての蕩減条件とは、失ったものと同一の価値の条件が立てられる場合を指します。
聖書の有名な一節、出エジプト記21章に記されているように。
(21:24) 目には目、歯には歯、手には手、足には足、
もう一つの例は、モーセが怒りにまかせて石の板を砕いたとき、シナイ山でもう一度40日40夜断食しなければならなかったことです。
次に、より小さいものをもっての蕩減は、要求されるものよりも小さい価値の蕩減条件を立てることを指します。
これは、債務者が莫大な負債を負っている時、その債権者の好意により、その中の一部をもって全額を清算したとみなすことです。
最も良い例を挙げましょう。
十字架による贖いを信じるようになると、霊的な救いという途方もない贈り物が信者に与えられます。
最後に、より大きなものをもっての蕩減は、より小さいものをもっての蕩減が失敗したとき、必要になります。
アブラハムの時代、アブラハムが鳩を裂くのに失敗したことを償うために、息子イサクを供え物として捧げるよう求められたことが典型的な例です。
あるいは、別の例を挙げましょう。
イスラエルが40年間流浪しなければならなかったのは、40日のカナン偵察期間における信仰の欠如を償うためでした。
聖書の例は他にもたくさんありますが、これら3種類の蕩減条件は、蕩減の原則を理解するための基礎となります。
さて、蕩減条件とは何かについて見てきましたが、それが私たちにどのように適用されるのかを見てみましょう。
創世記の堕落以前の世界では、アダムとエバは、神であり主人である天の父とだけ関係を持つ、もともと罪のない純粋な立場に立っていました。
しかしながら、堕落のために、彼らは神あるいはサタンのどちらをも主人として関係できる中間位置に立つようになりました。たとえ、神が唯一の主人であるという願いをもって、本来天地を創造されたとしても。
いったん中間位置に立ったので、人類は誰もが皆、故意であろうとなかろうと、偽りの神であり主人であるサタンと関係を持つための悪い条件を作ってしまいました。
これが、使徒パウロが詩篇を引用して次のように述べている理由です。
(ローマ書3:10-12) 「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。
このように、罪を犯してサタンの側に身を置いたのは人間なのですから、神の側に戻るためには、少なくとも人間は何らかの役割を果たし、一定の蕩減条件を満たさなければなりません。
これは、私たちが救いの功績を立てられるということではありません。
三位一体の聖なる神の前では、「われわれの正しい行いは、ことごとく汚れた衣のようである(イザヤ書64:6)」のです。
神はいかなる人にも借りを作っていません。
それにもかかわらず、私たちが神に心から謝罪し、悔い改めのために信仰を行動に移すことで蕩減条件を立てる時、神は、放蕩息子のように私たちを迎え入れてくださり、彼の子女として、私たちを赦してくださいます。
私たちは、復帰の何らかの部分を責任を負わなければなりません。なぜなら、神は誰に対しても、ご自身を愛することを強制されないからです。
ですから、私たち一人ひとりが、神を愛し、神の戒めに従うことを選択するという意識的な決断をしなければなりません。
こうして私たちは、神側に戻るために、謝罪としての蕩減条件を立てるのです。
私たちがその不当な性質のせいで自慢するためではなく、天の父を愛しているからです。
聖書の歴史において、アダムは罪のないアダムとしての本来の位置を失ったことがわかります。なぜなら、彼は堕落の過程においてサタンと関係を結んだためです。
したがって、最初のアダムが成し遂げられなかったことを果たすために、新しい罪なきアダムが現れなければなりません。
アダムが神の命令に耳を傾けることに失敗したせいであり、さらには、残りの人類は堕落したアダムの子孫であるせいで、いのちの木であるキリストに接ぎ木されることなしに、私たちは罪のプロセスを逆転させることができないだけでなく、他のすべての罪の根源としての原罪は、各後続世代を堕落させ続けます。
だからこそ、私たちは、霊的・肉体的両方の救いを受けるために、真のオリーブの枝、罪なきアダム、メシアに接ぎ木する必要があるのです。
メシアの使命の絶対的な完成なしには、神は人類を、堕落していない元の位置に完全に復帰させることはできないのです。
神は、旧約聖書の中心人物たちに「象徴的条件」を立てるよう指導し、これらの象徴的条件を成功裏に完成し
たときに、彼が来られるように準備させました。
神はこれらの勝利を、あたかも堕落していない状態のアダムによって象徴的に作られたかのように扱うことができました。
これらの勝利的条件の結果として、旧約聖書の中心人物は、第二のアダムであるメシアを迎えるための基台を築くことができたでしょう。
これらの象徴的条件を、私たちは、「メシアの基台のための蕩減条件」と言います。
蕩減条件の例は他にもありますが、次のシリーズでは、神がメシアのための基台を造成するために、歴史上の中心人物をどのように導かれたのか、具体的に注目したいです。
神がメシアのために準備し、そしてメシアを遣わす方法を理解することは、旧約聖書の描写のしばしば神秘的な性質を解き明かす究極の鍵となります。
それではまた次回、ご期待ください。
ご視聴ありがとうございました。祝福された一日をお過ごしください。
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