2019年5月24日金曜日

’19年5月19日 英語説教 <全文>衝撃:教父たちはみな中絶反対者だった



教父たちはみな中絶反対者だった

<全文>

サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載です。字幕化は2nd Israelさん。

いつもありがとうございます。注:カラー太文字写真挿入はファンクラブ


衝撃:「教父たちはみな中絶反対者だった」
文亨進二代王 説教

翻訳:BANBOOS

(前略)
エレミヤ書1章に行きましょう。これが今日の話の枠組みになるからです。4節から行きましょう。
4:主の言葉がわたしに臨んで言う、5:「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。

つい先週のことですが、フィラデルフィアでプロライフの人たちと一緒に、プランド・ペアレントフッドのビルの前で戦いました。
そこに行ったプロライフの勇士は手を挙げてください。恥ずかしがらないで。若者の中にはよくわからずにただ参加しただけの人もいたかもしれませんが、それでも戦場に立つ勇士です。自分では何もしていないと思っているかもしれませんが、その場にいることがサタンに対抗する積極的な意思です。罪もない人を殺すことに反対する積極的な意思なのです。

そこにたぶん500名ほどの人が来ていて、もしかすると中絶しようとしている人もいたかもしれません。その日に自分の子供を殺そうとしていた人もいたかもしれないのです。しかし我々がそこにいたことで、またたくさんの仲間がいたことで、どれだけの命が救われたか分かりません。それは決して分かりません。ただ参加しただけでどれだけの命が救われたか。

地域に教会ができると・・・統計でもわかっていることです。プランド・ペアレントフッドの前で祈るだけでも・・・。それは無実の人を殺すナチスの死の収容所です。医者はつまりナチスの医者です。彼らは赤ちゃんを引き裂いて、ばらばらに切り刻みます。手足を切り離さなければならないのです。それがアメリカで彼らのやっていることです。これはナチスの死の収容所のようなものです。

ナチスドイツよりもはるかにたくさん殺されています。1973年以降、5,400万から5,600万人です。それはヒトラーの7倍、8倍です。私の話を理解していますか。呆然とする話です。それはとても悪いことです。

(略)

ただ参加しただけでも、サタンの文化と戦うことができました。何人の命が救われたかは分かりません。あの日のおかげで誰かが生まれようとしているかもしれません。我々には分かりません。神様だけがご存じです。ちょっと考えてみてください。信じられないことです。子供の命を救ったかもしれないのです。我々は神様のみ旨に参加しました。これは信じられないことです。

マタイ7章で読んだことです。「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである」。先週それを勉強しました。

我々はただ神様のみ旨に同意して5パーセントの責任分担を果たして戦ったことで、命を救ったかもしれず、または命を救う過程に参加したかもしれません。それはすごいことです。

このような行動主義がとても大切であり、ここに本当に熱心に働く勇士たちがいてとてもうれしく思います。彼らは霊的な戦いをすることを望んでいます。プロライフの大会に参加したり、妊娠中絶医院のための祈りに参加したりしていないのであれば、それを強く勧めます。命を救うかもしれません。文字通り子供を救うかもしれません。本当に最高の機会なのです。
6節に行きましょう。
6:その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。7:しかし主はわたしに言われた、「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない。

興味深いことに、またこの章全体で第1にされているのは命の神聖さです。我々は新約聖書だけに由来するものだと考えがちですが、トーラーからきているものであり、神様のみ言から来ているものです。聖句の中に書いてあります。
私は興奮しているので早く終わらせたくありません。非常に強い内容があってそれを共有したいと思うからです。

これは本の予告の章の1つです。これは、歴史的に見て中絶に対する教会の立場がどのようなものかを示す証拠です。プロライフの戦いが現代の戦いだと思うかもしれませんが、これは古代からの戦いです。この章のことで、この本の中で触れている論文もあります。そして異教徒、つまりローマ人とクリスチャンの間での子供の扱い方の違いについて論じています。ローマの文化で子供がどのように扱われているかについての研究を詳しく論じています。

クリスチャンの信仰形態は、子供の扱い方の枠組みを作っています。ですから何を信じるかがとても重要です。共産主義は自由と同じではありません。こうした考えには大きな違いがあり、その多くは共産主義や左翼主義のように極めて危険です。大量虐殺、流血、滝のように血が流されることにつながります。

ここで(本の)一部を紹介させてください。
エピフェイニアス(エピファニオス)という4世紀のキプロス島サラミスの司教が言った内容を話しますので、聞いてください。

「彼らの1人が実際にうっかり自然に放出した自分の種を早まって女性に植え付けたとしても、妊娠のために、そうした人々があえてやろうとするもっと恐ろしいことに耳を傾けなさい。彼らは自分たちの活動に適切な段階で胎児を引き出し、この中絶した幼児をボウルに取ってすりこぎで細かくする。それからハチミツ、コショウ、他の香辛料を混ぜて病気になるのを防ぐ。そしてこの豚野郎と犬野郎の群れのお祭り騒ぎする人々が集まり、めいめい手で子供の体を食べる。このカニバリズムの後、彼らは神に祈り、アルコーン(訳注:グノーシス主義における低位な霊的存在)にあざ笑われることはないと言う。・・・」

これはグノーシス主義の教派のことを言っています。こういう宗教がたくさんあって、グノーシス主義を追及し、知識によって解放されるとか、知識によってモクシャ(解脱)を得るなどと言っています。

比較的新しい宗教でも、そうしたものは本当に新しいわけではなく古代の思想です。その思想というのはすべてがエネルギーだというものです。植物がエネルギーを与えてくれ、豚も・・・それでどこに行きつくでしょうか。カニバリズムはどうでしょうか。人を単にエネルギーだとみなすなら・・・。

人は様々なものを摂取できます。植物やハーブ、豚肉、牛肉。エネルギー、栄養としてならどんなものでも。そこに飛躍があります。これがこの人の言っていることです。これは4世紀、300年代のことで、彼はこれについて書いています。人々がこれほど狂っているからです。

(略)

ではローマ時代に何が起きていたかいくつかの例を見てみましょう。アリストテレスの赤ちゃんについての立場を見てみましょう。

「夫婦に子供が多すぎる場合、感覚と命が始まる前に妊娠中絶を手配しなさい。こうした場合に合法的にできること、できないことは命と感覚の問題に依存している」

アリストテレスは、子宮で起きていることについて全く異なる見方を持っていました。彼は「命と感覚」と言っています。命と感覚が起きていることをどのように判定するのでしょうか。彼が全く異なる見方をしていたのは、神様に根差した見方を持っていなかったからです。

プルタルコスが何と言っているか見てみましょう。プルタルコスはこう教えました。

「その時までに――胎児の最初の8日のことで、ローマ帝国でのことですが――子供は人間というより植物といっていいくらいだ。ローマ帝国の一部では中絶して胎児を殺すことは非常に一般的であり、結果として人口が減少した」

妊娠中絶は深刻でした。ヘラクレスの伝説でも、ゼウスが不倫して子供ができましたが、彼は半神半人でした。両親は彼を山の中に投げ捨てます。捨ててオオカミか獣に食べさせようとしました。これが慣習だったのです。厳しい天候の中にさらして赤ちゃんを排除したのです。

韓国でも異教徒の時代に同じことがありました。韓国の親は子供をごみの中に文字通り捨てました。自然の中に置き去りにしたのです。仏教のお寺とキリスト教会ができるようになると、修道院や教会の玄関先に置き去りにしました。そうやって子供を捨てたのです。

プルタルコスは有名な哲学者でした。アリストテレスは大きな影響力を持ち、西洋文明の全てを形成しました。全てのギリシャ哲学、大学はプラトンとアリストテレスの思想に基づいています。彼らは必ずしも命の尊さを信じていなかったのです。
ディダケーは初期の権威あるキリスト教の教えです。そこに命の在り方、死の在り方が書かれていますのでこれを見てみましょう。

「命の在り方として、クリスチャンは『子供を中絶によって殺してもいけないし、幼児殺害を犯してもいけないことが要求されている』」

これが最も初期の時代のことです。ディダケーは1、2世紀のものです。これはとても初期の書物です。こうした初期の教父たちが明らかにノーと言い、命があるのだと言っているのが分かります。これは現代の争いではないのです。これが現代のものであるように信じさせようと、メディアが我々を混乱させてきたことが分かります。キリスト教は十分に発展していないと言われてきました。そうではなく、キリスト教は最初から子供たちの命のために戦っているのです。

なぜならトーラーでもエレミヤ書1章でそう言っており、イエス様も子供について、小さい人を害する者はひきうすを首にかけられて海に放り込まれたほうがいいと言っておられます。つまり極刑です。

ミクロ世界において我々はプロライフの人たちに加わりましたが、今何が起きているか見てください。巨大な霊的戦いが起こり、(中絶が)違法になっています。ジョージア州は基本的に中絶を違法化しました。鼓動が聞こえる段階からです。
今週アラバマ州は文字通りに受胎時から中絶を禁止しました。ジョージア州よりさらに前進しました。アラバマ州は徹底的に本気になっています。知事は今週署名しました。我々がやった直後のことです。我々は自分の栄光のために行っているのではなく、父のみ旨を行っています。そしてそれがマクロ世界に影響するのです。次々につながっています。

(略)

この問題について著名な科学者の言っていることを見てみましょう。
「最初の月に赤ちゃんの心臓は1分間に約113回拍動する。8週までに腎臓、肝臓、脳、肺が全て機能し始める。指とつま先は離れて外性器が形成される」

それが2カ月です。2カ月でも女性が妊娠に気づかないことがあります。そういう経験をした人はいますか。

「ペンシルベニア大学の小児科と産科のアルフレッド・M・ボン・ジョバンニ教授は、自身が受けた初期の医学教育で人間の命が受胎の時に始まると学んだと述べた。
『私は、人間の命は受胎から大人になるまでずっと連続して存在しており、この期間のどの時点であっても妨害することは人間の命を絶つことになると考える。私はもはや、こうした子宮内の初期の段階の発達が不完全な人間である――言い換えると思春期の劇的な出来事が起きる前の子供が人間でないと示す覚悟はない。これはどの段階であっても人間の命である』」

これはペンシルベニア大学の小児科、産科の代表的な教授の話です。
「2017年3月にアメリカ小児科大学は声明を発表した。『主要な人間についての生物学的研究では、人間の命が受胎時に始まることが確認されている』」

これは生物学者であって、必ずしもクリスチャンではありません。無神論者や不可知論者もたくさんいます。これは科学的で著名なアメリカ小児科大学の話です。
「人間の命が受胎時――受精時に始まることが確認されている。受精時に人間は、成長と発達のために適切な環境のみを必要とする、遺伝子学的に明確で個体化した接合体としての生きた人間の有機体、ホモサピエンスという種の一員として現れる。成人の段階と接合体の段階での個人の違いは、外形の違いであって性質の違いではない。この声明は、個別の人間の命が始まる時の科学的証拠に焦点を絞っている。」

それが2017年にアメリカ小児科大学から出されたものです。
あなたは狂信的だ、聖書を信じる差別主義、白人至上主義者だという人たちは、非科学的で未調査で、無学で、無知だということです。
科学が聖書の話に追いついていることがわかるのです。

(略)

人間の保険福祉の用語にサタン主義が隠されています。科学的用語でサタン主義を隠しています。それは政治的サタン主義とも言います。本当の悪魔崇拝者をこの世に作り出しています。

このようなことに我々は対抗しています。我々が父のみ旨を行おうとする時、それに対抗しています。たとえその場に行くだけのことであっても、赤ちゃんを救うことになるかもしれないだけでなく、サタンに対抗しているのです。

悪魔は「今日はだめだ」と言わせます。「やることがあるから」と。毎日プランド・ペアレントフッドの前に行ってそこに住むことはできないでしょう。でも何かやってみるのです。

祈ると同時に何かやるのです。そこに行こうとしている女性たちのために祈るのはどうでしょうか。あなたのために祈ってもいいですか、と。少しだけ情報が載っている小さなチラシで女性の心が変わるかもしれません。
彼女は困惑するかもしれません。たくさんの偽情報が吹き込まれているかもしれません。アメリカ小児科大学や産科医が言ったことを聞いていないかもしれません。彼女は知らないかもしれないのです。いやこれは女性の権利だ、と洗脳されているかもしれません。子供だけではなく人類の虐殺に加担していることを理解していないかもしれません。自分を動物のようにして自分を非人間的に、非文明的にしているのかもしれません。

これは戦いです。
しかし調べてみると、クリスチャンの立場が理不尽なものではなく、非科学的でもないというのは興味深いことではないでしょうか。それは左翼、共産主義者を怒らせる立場でしかありません。というのも力を奪うものだからです。女性を支配できれば票を支配できます。票を支配すれば権力を支配するのです。

ですからこの鉄の杖の文化はとても重要です。それが羊飼いの文化を作り上げるからです。羊飼いが何をするでしょうか。羊飼いは群れの最も弱い者をオオカミに食べさせるでしょうか。いえ、その者を最も守ります。

毎年春にエルサレムで羊飼いが外に出て行くのは羊が赤ちゃんを産むからです。そこで羊を徹夜で守らなければなりません。オオカミが腹を空かせて待ち構えているからです。
ですから羊飼いは徹夜して赤ちゃんを産ませてそれを守らなければなりません。聖書にあるようにその頃イエス様が生まれました。

(略)

王国の文化では女性は力が与えられます。姉妹たちは弱くありません。それでも彼女たちは神様を畏れ、自分たちの仕事と人類に対する愛において謙虚です。しかし同時にとても危険でもあります。オオカミを退治し、撃退できます。羊飼いのようになります。

父は娘が自分を守れるようになって欲しいと思うでしょうか。それとも無力であってほしいでしょうか。略奪者の前で。非常に単純なことです。

鉄の杖の王国とはこういうことです。武装した市民の王国。鉄の杖で国々を治め、陶器師の器を粉々に砕くと聖書にあるように。またそこは人々がキリストの下で暮らすような社会でもあります。

(以下略)

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