LIVE 第66回真の父母の日
제66회 참부모의 날
天基16年天暦3月1日 2025年3月29日
訓 読
『天聖経』p338 真の愛編 2章 愛の実際 2)
真の父母の愛 ①原罪のない真の先祖、人類の救世主 真の父母とは何でしょうか。堕落していなければ、神様は縦的な愛になり、アダムとエバは神様の体にな るのです。神様の体と同じだということです。神様は骨と同じであり、アダムとエバは体と同じだというのです。 神様にも心があり、体があります。神様は、内的な位置で内的な父母になり、アダムとエバは外的な位置 で外的な父母になるのです。内的・外的父母が一つになったその場で愛によってつづられて内的父母に 侍るようになり、外的父母をもつようになります。神様と人間との愛の結託によって真の父母、すなわち完成 した人間が成就されるはずだったというのです。愛と結託できなくなれば、完成人間はないということです。 (184-71, 1988.11.13)
今日まで歴史は、何を求めてきたのでしょうか。時代は、何を求めてきたのでしょうか。未来は、何を求めて いくべきでしょうか。真の父母です。ですから全体がここに帰結されずしては、幸福の基準は、歴史過程や 宇宙の中では見つけることができません。(26-199, 1969.10.25)
真の父母とは、どのような存在でしょうか。真の父母は、全体の希望の象徴です。堕落した人類の前に、 絶対的な希望の象徴なのです。彼は、歴史的な結実体であり、時代的な中心であり、人類が生きている 今日、この世界に連結され得る未来線上においての出発点です。 (35-236, 1970.10.19)
「참부모(チャムプモ:真の父母)」というその名前の 3 文字を考えるとき、真の父母によって歴史が統 治され、真の父母によって新しい世界へ帰ることができる起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させ 得る内的な因縁が決定し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服し、初めて神様を 解怨成就してさしあげられる中心が決定するのです。したがって、真の父母と共に生き、真の父母の命令 に従って行動できるこの驚くべき恩賜に、皆さ んがまず感謝しなければなりません。(43-144, 1971.4.29)
人間の願いは、真の父母に出会うことです。死の道を行くとしても出会わなければならない人が、真の父 母だというのです。歴史をすべて失い、時代をすべて失い、自分の子孫をすべて失うようなことがあったとし ても、真の父母に出会うならば歴史を取り戻すのであり、時代を取り戻すのであり、未来を取り戻すのです。 そのような方が、正に真の父母だということを知らなければなりません。 (35-236, 1970.10.19)
皆さんは、神様と真の父母のために涙を流さなければなりません。涙を流さずしては、誰も復帰の道を行く ことはできません。神様は、今まで人間を救うために涙の道を歩んでこられたからです。 ( 御旨と世界 163)
皆さんは、先生がこの地上に真の父母という名前をもってきたことが、どれほど驚くべきことかを知らなけ ればならないというのです。真の父母という言葉がありますが、世の中の言葉の中で最も福のある言葉は何 でしょうか。堕落した人間にとっては、失った国を取り戻すことよりも、失った世界を取り戻すことよりも、真の 父母という言葉が最も福のある言葉です。それは、天地の何よりも貴いことを知らなければならないというの です。 (127-221,1983.5.8)
「真の父母」という言葉一言のために、歴史が左右されます。この言葉を探し立てるために、今まで数多 くの先烈たちが犠牲の道を行きました。連続的な血の闘争を経て、身もだえしながら、絶叫しながら、希望 を抱いて探し立てた名前が、「真の父母」という聖なる名前です。真の父母の前には真の子女がいなけれ ばなりません。では、皆さんが真の子女になったでしょうか。真とは、過去にも、現在にも、未来にも変わらな いことです。 (33-109, 1970.8.9)
神様の復帰歴史は、真の父母を立てるための歴史とも見ることができます。したがって、カイン、 アベル から今日に至るまで、天は内的に真の父母を復帰するために摂理してきました。誰でもこの目的を成し遂げ るための根本摂理に敵対したり妨害すれば、彼は天道の前に捨てられるようになり、結局滅びるほかはない でしょう。 (9-10,1960.3.27)
メシヤは真の父母です。私たちは真の子女です。同じ運命圏に立って、そこに加わらなければなりません。 (55-99,1972.4.23)
メシヤがこの地上に来られるとき、その方は個人として来られますが、個人ではありません。その方の価値 は、全世界人類が信じている信仰の結実体であり、全世界人類が願っている希望の結実体であり、全 世界が願っている愛の結実体です。その結実体には、すべての歴史路程が連結しています。すなわち、 過去、現在、未来がすべて連結しています。そして、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界がすべて 連結していて、天と地がすべて連結しているのです。(13-143, 1964.1.1)
メシヤがこの地に来て、代行しなければならない立場とは、真の父母の立場です。それでは、真の父母と は何でしょうか。縦的な真の父の代わりに、横的な真の愛を中心とした横的な父母です。キリスト教では、 「メシヤが神様であり、神様がメシヤだ」と言いますが、それは違います。神様は縦的な真の父です。これは 一つしかありません。他の道に行くことはできません。メシヤは、横的な真の父母だというのです。(186-40, 1989.1.24)
真の父母がこの地に出現するまでには、その背後に皆さんが想像もできない涙ぐましい事情が多かったと いうことを知らなければなりません。皆さんが知らないところで、どれほど多くの涙を流したか知れません。その 内容は、神様だけが御存じです。 ( 祝福家庭と理想天国Ⅰ -449)
私たちが知っている 真の父母とは何ですか。人間の先祖です。ですから、真の父母を自分の父母のよ うに侍らなければならないというのです。 (118-147,1982.5.23)
真の父母がこの地上の人間たちの前に、何をしに訪ねてくるのですか。人間が最も喜ぶものをつくってあ げるために来るというのです。それは何かというと、皆さんを真の父母、小さい真の父母にすることです。 (125-117, 1983.3.14)
どこから真の愛が出発するのですか。真の父母からです。これは福音の中の福音です。世の中に何か 良い言葉があるとしても、夫という言葉が良い言葉であり、妻という言葉が良い言葉だとしても、堕落した 世界は、真の父母が現れなくては真の夫と妻が現れないので、真の父母以上に良い福音はないというの です。これをはっきりと知らなければなりません。 (131-187, 1984.5.1)
人類は、真の父母が必要です。なぜそうなのでしょうか。愛の軸に連結され得る原則的なことが、歴史始 まって以来初めて起こったのです。歴史始まって以来、以前にもなく、これからもありません。これをはっきりと 知らなければなりません。軸は一つです。二つではありません。その軸とは何かといえば、真の愛です。今皆 さんの父母が愛し合うのは、真の愛ではありません。(137-107, 1985.12.24)
神様の摂理の目的とは何かといえば、一つの焦点です。神様の理想が実現される場も、正にその場で す。私たちが失った父母、失った真の父母に出会えるところも正にそこです。それで、その基台がすべての 中心です。その場、それが「真の父母だ」というのです。歴史上、多くの場がありましたが、この場が最も価 値ある場です。それが、どれほど重要なのか考えてみてください。すべての聖人たちもこの基台、この問題 のために闘ってきました。 (52-95,1971.12.23)
人類が願うものは何でしょうか。真の父母に侍ることです。6000 年前にアダムとエバが成婚して全人類 が神様の子孫になるべきだったにもかかわらず、堕落によって人間たちは、サタンの子孫になってしまいまし た。ですから私たちは、6000 年前に失った天の側の真の父母を、再びこの地上に探し立て、真の父母の 愛の因縁を通じて重生しなければなりません。そうしてこそ、天国の民になれるのです。(19-203, 1968.1.7)
神様は、真の父母を絶対的に必要とされます。 全能なる神様も、真の父母なしには摂理を成し遂げるこ とができないからです。霊界に行っている数億の霊人たちも、真の父母を絶対的に必要としています。真 の父母が生まれない以上は、天使長界の霊人たちも、地上でみ旨が成就できるように役事したかい(甲 斐)を見いだすことができないからです。神様の前に立つためにも、真の父母が必要なのです。 ( 祝福家 庭と理想天国Ⅰ -454)
すべての歴史は、真の父母を迎えるためのものです。宗教も真の父母を求めてきて、世界も真の父母を 求めてきて、国家も真の父母を求めてきました。真の父母を探す道を模索してきたのです。 ( 御旨と世界 -75)
人間は、歴史時代に真の父母を失って孤児になったので、一つになる道がありません。本然の父母の 愛からすべてのものが解決されなければなりませんが、そのようにできませんでした。ですからすべての人が 3 必要とする方が、真の父母です。 (128-107, 1983.6.5)
今までの歴史的な願いとは何でしょうか。真の父母に侍ることです。神様がイスラエルの国とユダヤ教を 立てられたのも、メシヤを迎えるためのものでした。メシヤは、どのような方かと言えば、真の父母です。また、 キリスト教とキリスト教文化世界をつくったのは再臨主を迎えるためでしたが、再臨主は、第三アダムとして 来られる真の父母です。 ( 御旨と世界 -75)
すべてのものは、どこに帰結するのでしょうか。真の父母に出会うところに帰結します。人類の真の父母が 現れることが歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いです。それで真の父 母が現れる時は、歴史上に一度しかない頂点を成す時であり、空前絶後の時なのです。 (51 354,1971.12.5)
真の父母とは何ですか。肉親の父母と真の父母と、何が違いますか。愛を中心として言う時、その肉親 の父母と真の父母とは何が違いますか。愛に対する概念が違います。愛の概念が違うのです。肉的父 母は、肉身を中心とした愛を教えてくれるのであり、霊的父母は、霊的な世界を中心とした愛を教えてくれ るのです。内容が違うのです。(129-99, 1983.10.1)
民主主義は 兄弟主義ですが、その上が父母主義です。これから父母主義時代が訪れてくることを知 らなければなりません。父母を選挙で選出しますか。再臨主を選挙で選ぶことができますか。神様を選挙で 採択できますか。できません。民主主義は不信の風潮を造成する基台になっています。なぜですか。自分 の利益のためにはあらゆることをするからです。 財力を動員して、人材を動員して、謀略、中傷など、あら ゆることをするというのです。 (211-343,1991.1.1)