2019年11月26日火曜日

キリストがおられるところに王国があります◆キングスリポート11/23(土)2019


キリストがおられるところに王国があります。

Wherever Christ Is, There is the Kingdom! 

The King's Report 11/23(土)2019

翻訳:英韓:李フエジョン 韓日:Toshiko.O 監修fanclub

こんにちは、キングスリポートへようこそ。
今日は2019年11月23日土曜日、天暦で天基10年10月28日です。 天一国の2代王様と王妃様の代身のリチャード・パンザーです。 2代王様と王妃様、そして世界中のすべての食口の皆様にご挨拶いたします。

今日はルカによる福音書の句節を一緒に読みましょう。

ルカによる福音書15章1~7節
1 さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。
2 するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。
3 そこでイエスは彼らに、この譬(ひ:例えのこと)をお話しになった、
4 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
5 そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
6 家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。
7 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。                                              
最後にイエス様がおっしゃったことに関しては、実はすべての者は悔い改めなければなりません。 
イエス様が「悔い改める必要がない九十九人」とおっしゃったのは、自分たちが悔い改める必要がないと考える人でしょう。 そうですよね? 

ところで、この一節は私に救いに関する内容をまた思い出させてくれました。 私はこの主題に対してとても複雑な心境を持っています。 
時たまある人たちは、 「あ、私は救われた。お前は地獄へ行くだろう」という話をしたりします。 でも、私の正直な考えは、もし「私はいい所に行く」という人がいたら、私はその人の言うところの「いい所」に行きるかどうかよく分かりません。

私たちは本当に多くの質問を持っています。 死後の世界、霊的世界、天国に関してです。 私たちは宮殿のようなところでたくさんの会議をして、(このように考えるかもしれません)実は私は宮殿のような所もあまり好きじゃないし、長い会議も好きじゃありません。 ハハハ。

この宮殿のような場所で会議をしてハープ演奏などをする(というとき) 私がもしその王宮の警護員だったら、自分がその王宮の中に入るかどうかよく分かりません。 中に入るよりは王宮の周りで王宮を守るでしょう。 いつでも悪いことが入って来る危険性があるので、いつも油断してはいけないと王様もおっしゃってくださいます。 
王様は私たち皆が神様の共同相続者だとおっしゃいました。 そして、私たちは神様の王国を治め、判断し、保護しなければなりません。

昨夜はキングダムアカデミーから素敵な若い青年たちが来て感謝祭前の夕食を一緒にしました。 ミホ王妃(パンザー会長夫人)が美味しい七面鳥料理を作ってくれましたしアカデミー学生たちも色んな料理を持って来ました。
そしてミホ王妃と私に真のお父様に関する証しをしてくれと頼みました。 ミホ王妃はお父様がダンベリーにいらっしゃった時のことを証ししてくださいました。 事実お父さ様がいらっしゃった所は、どこであったとしてもそこが神様の王国(Kingdom of Heaven)でした。

後でお見せしますが、ニュースマスコミ会社の一つで、デイリーニュースだったと思いますが、真のお父様がダンベリー収容所の真ん中におられる姿を漫画で描いた事があります。 その絵を見ると囚人たちは皆泣いていて祈りながら神様を讃美しています。 そして刑務官は, 「私は彼がここにいる人たち全てを統一教徒にしてもかまわないが, 彼がここで合同結婚式を挙げる前に早く追い出せ。」 と言っています。 
ハハハ。後で直接お見せしましょう。                              
ダンベリー収容所にいた囚人たちの中で、実際に真のお父様に会い、真のお父様から学び、明け方3時には真のお父様と一緒に祈祷した人々がいました。 ラリーという人とその他の何人かでした。 はい、それで本当にキリストがいらっしゃる所はどこであろうと、そこが神様の王国だということでした。 
二代王様も「お父様は天正宮はあまりお好きではなく、麗水に行く方がお好きでした。」とも言われました。 聖書でイエス様も一輪のタンポポが地球上の全ての宮殿よりもっとすごいものだとおっしゃいましたね。
真のお父様のみ言葉です。

天聖経 第一巻 第5章法道の中での全知全能  2) 愛だけが絶対基準  (p.68-69)                                                             
神様がいくら立派で、 いくら絶対者で全知全能の方だとしても,、一人では良いことはあり得ません。幸せという名詞、あるいは良いという言葉は一人で設定される言葉ではありません。 必ず相対的な関係を持った所にあって良いとか幸せだという言葉がありえます。
いくら全知全能の神様でも一人でじっとしているとしたら幸せになれません。 歌が上手な音楽家が一人で歌を歌ったとしましょう。 それが幸せですか? 相手がいなければなりません。 やり取りがあってこそ良いのです。 そのように神様が良しとするためには必ず神様お一人でいらっしゃってはいけないのです。 (65-20, 1972.11.13)                                       
真のお父様が神様をご覧になる観点は他の人達と非常に違いました。 神様は対象なしには真の幸せにはなられなかったということです。 
神様は愛の神様だからです。 
創造されるにおいて対象が必要でした。 
聖書では神様がみ言葉で創造されたとありますが、真のお父様は神様が120%を投入されたと言われました。 120%です。 神様は完全に投入されたのです。 
それは神様が彼の性品を完全に反映したかったからです。 それで、実は人類は神様の本性と性品を完全に受けて創造されたのです。 これは本当に驚くべきことです。 そして、私にとって、また私たち皆が各自、神様の性品を付与されたということは本当に驚くべきことだと思います。 そういう関係、もちろんサタンは絶え間なく攻撃しますが、その神様との近い関係なのです。

昨夜アカデミーの学生たちと一緒に共有した内容の一つが、教会で皆さんが好きではない部分を見たり、あるリーダーたちに弱い点が見えることがあります。 しかし、私たちは神様に率直になることを恐れてはいけません。 もしあなたが神様に行って,「神様私はこんなことが嫌いです。そして、これは悪いと思います。」と言ったら 事実、神様は皆さんに同意して下さるかもしれません。 「私もそれが嫌いだ」と。 ハハハ。
もちろん、皆さんがそう言ったとしたら、神様はそれなら、それに対して何かしてみろと言われるでしょう。 私もたまに人々から怒ったEメールを受けたりします。 彼は礼拝を始める時に関する内容に対して送りました。

私の考えでは真のお父様は、あなたが嫌うリーダーたちに対して、もしそのリーダーがある弱点があれば批判し、誤った点を非難するより、彼を助けてくれないないかと言われるでしょう。 良い対象であればですね。 
聖書でも本当に興味深いのは、ダビデ王と多くの王達には常に彼を助けてくれる良い人達がいました。 すばらしかった多くの人物の後ろにはいつも彼を助けてくれる人達がいました。 とても率直にダビデ王に話しました。 サムエルであったと思います。 ダビデ王にあなたは姦淫をしたのだと明確に話しました。 神様がダビデ王を悔い改めるために用いた人達でした。

私が言おうとしているのは、サンクチュアリーで間違ったと思われるようなことが起こる可能性もあります。
ところで私が二代王様に本当に感謝するのは、「もし皆さんがあなたのリーダーが本当にまともに果たしていないと考えるならば、皆さんのサンクチュアリ教会を開始できます。 そして競争をして人々がどちらをより好むのか見ることができます。」とおっしゃいました。
私にとってこれは本当に素晴らしいことだと思います。 皆に中央集権化されたコントロールをする必要がないということです。 これは本当に素晴らしいことだと思います。 天一国は一つの中央集権化された権限ではありません。 そのような場合、それは簡単に独裁になるでしょう、そうでしょう?
はい、これが私が今日の訓読のみ言葉と関連して共有したかった内容です。 

次は王様と一緒のインタビュー映像です。 この映像は確か2016年1月に撮影したものです。 全部で8つのパートがありますが、この中で2つのパートを見ることにします。 

"ヒョンジン様とのインタビュー"(2016.1.21)

[第1章] 真のお父様の七死復活に対する啓示   
                       
ある日、真のお父様のみ顔が1000の太陽のように光り輝く現象を見ました。 その幻想(王様がご覧になった現象)は明るすぎて、私が近づくことができませんでした。 しかし同時に私はお父様の肉体が監獄にいらっしゃるのを見、またお父様の霊人体が地獄にいらっしゃるのを見ました。 お父様の肉身は監獄にあり、霊人体は地獄にあることが映し出されて見えました。 地獄では悪魔たちがお父様の全身をもぎ取っている姿でした。 そしてお父様は悪魔たちに叫んでいました。「 私の体を持って行く代わりに、私の子供たちを解き放て」と。 悪魔たちは食べていた肉を下に投げ捨て、そこにいた人達がそれを平らげ、その人達はお父様を掴んで引き裂いていました。 
私がその幻を見た時、本当に驚くべき精神的な悟りを得ました。 お父様がその監獄でどんなことを経験しなければならなかったのか、 そして全ての六回にわたる生死をさまようような拷問と苦難に対してです。

お父様はその場所に自ら進んで直接行動されたのでした。 私のために,、私の家族とすべての未来世代のために直接その拷問に向かって自ら苦難を受けられたのです。 私のためにお父様がその苦痛を受けられたということに気付いた時、それを通じて、お父様が支払われた蕩減条件のために私たちが神様の前に義をもって立つことができるということを知りました。
        
それで当時、お父様の七死復活に深く感銘を受けました。 お父様の愛は、本当に何度も命をささげ、またささげ、またささげる、そんな愛だということを悟りました。 子供たちのためにです。 お父様がおっしゃった真の愛というのが、このようにお父様が直接実践されて、そのすべての監獄と拷問を経験されたのでした。 そしてその苦痛は遠く離れている苦痛ではなく、そのすべての道はお父様が私を解放するために、神様の前における不義から解放するためのものでした。そして私と私の家庭、私の子供達、その子孫までが神様の前に立つことができるようにするためのものでした。

神様が私にこの啓示を下さった時、私とお父様との関係に完全な変化が起こりました。 以前は霊的な師匠、立派な人、立派な指導者でした。 それ以前には私たちを救ったメシアの意味についてわかっていませんでした。 しかしそれ以後は、その啓示があった後は、私はお父様がどんな方なのか悟るようになりました。 お父様は救い主でした。 私の救い主でした。 私を救い出しました。 私の罪から、不義から私を生かして下さいました。 こんな状況では誰も神の前に立つことができませんが、お父様がその蕩減の代価を私のために支払って下さったので私が神様の前に立つことができたのでした. これは非常に巨大な、大きな巨大で巨大な変化でした。 お父様がどんな方なのか、お父様がどんな価値を持っていらっしゃるのかを悟りました。 
お父様はただ先生や先知者ではありませんでした。 メシアは単に 先知者を称する言葉ではありませんでした。 人類を生かす救い主でした。 私たちが神様の前に義をもって立てるようにしてくださるのです。 私達が義を持っているからではなく、お父様が完全に支払われた蕩減が、完全な義に立たれていたからです。

パンザー会長: お父様はいつも私達が私達の責任分担を果たすように強調されましたが、王様のおっしゃるのは、私たちがお父様がして下さったことを忘れてはならないということですね。

2代王様: はい、その通りです。 その96%です。 ハハハ。私たちには、歩み出るか背を向けるか私たちの責任分担の部分があります。 私達はそこで同意することも同意しないことも出来ます。 しかし、私たちがその蕩減を全て払ったと言うのは錯覚です。
                  
「第2章」 お父様のお側で共にした2年間に習った内容
    
パンザー会長: 韓国教会ではすごく活発に活動されたこと思いますが、真のお父様はそのすべてを置いて、2年の期間お父様と一緒に過ごすようにおっしゃいました。 その時間について話していただけますか。
           
2代王様: その時間は最も驚くべき時間でした。 たぶん私の人生で一番祝福された時間だったと思います。 お父様から世界中の全教会、世界宣教本部、UPF、カープなど全てを任せられました。 それは本当に大きな責任です。 そのように忙しく職責を遂行していると神様との関係を失いかねません。 あるいはその関係(神様との関係)に投資しなくなります。 他の活動でとても忙しいからです。 また、当時ソウルで天福宮教会も率いていました。 いつも嵐のような活動をしていた時期でした。 同時にすべての訓師様たちと一緒に訓練をしていて、午前2時半から霊的訓練を休み時間なしに毎日続けました。 本当に嵐のような時間でした。

そしてそんな場にいると、いつも自分が本当にたくさんの事をこなしていると信じてしまう誘惑に陥ります。 そして、仕事と活動をもっとたくさんすればするほど、神様により多く仕えていると考えるようになります。 しかし、お父様が私を呼んでお父様と一緒にいるようにおっしゃった時、それは大きな変化でした。 急に予定を立てられなくなり、何の約束も取れませんでした。 多くの人々が私に会いたがりましたが、何も日程を決めることができませんでした。 食口の家庭を訪問することもできなくなりました。 毎週家族を訪問していたのですが。 彼らと一緒に良い時間を過ごして、ピザを買ってくれたりもました。 当時はGMOについて知りませんでした。 ところで、そのすべてのことができなくなり、すべての大きな行事もみな取り消さなければなりませんでした。
      
本当にお父様と一緒にいることが最優先でした。 お父様もいつも日程がたくさんありましたからアメリカに行かれ、韓国に帰られ、当時はワールドツアーがありました。 しかし、基本的にお父様と一緒にいました。 一緒に釣りに出かけ、ラスベガスによく行かれたので、今日はミード湖で釣りに出かけ、翌日には太平洋へ釣りに出かけました。 それで、その時間は以前と全く違いました。 そして、当時は私は上手な漁師ではなかったので、その時間に瞑想を主にしましたし、学業をしながらこのようなスケジュールに慣れるようにしました。 スケジュールがないスケジュールにですね。 お父様のいらっしゃる所にただ一緒に同行することでした。 それに無条件服従するのです。 それで初めはとても精神的な負担が大きかったですね。 どんなことが起こるか予測できませんから。

しかしある瞬間私はその不安感とストレス無くしてお父様と一緒にお供ができるようになりました。 文句を言い、これでは私のスケジュールができない、もし問題が解決できなかったらどうしよう。。 こんなことは問題になりませんでした。 大事なことはお父様と一緒に過ごすことでした。 それで私がそんな不安感をすべて振り払った時、お父様と一緒に本当に驚くべき時間を過ごすことができました。
                     
その時初めて自分自身でいることができ、私が知っていた様々な武術もお見せすることができ、総合格闘技とUFC(アメリカの総合格闘技団体)をお父様と一緒に観ました。 釣りをしに船に乗り込まない日は、総合格闘技大会を見て私が示範をお見せし、お父様が警備員の首を絞め技でタップするようにさせました。 ははは。

本当にそれはすごい時間でした。 お父様と一緒に本当に親密な時間を過ごしました。 本当に親密にお父様と紐帯関係をむすびましたし、お父様が私がすべての武術を知っているのをこれ程までに好んだのには驚きました。 なぜなら私は公の場には持ち出さなかったからです。 ところがお父様は完全に受け入れました。 そして本当に楽しまれました。 台風警報などが鳴って海に出られない時、韓国の小さな島で室内に閉じ込められていました。 その時、私達はすべての総合格闘技とMMA大会の映像を既にダウンロードして一緒にそれを見ながら、私がお父様にその選手たちがどんなことをしようとしているのか全部教えて差しあげたりしました。

本当に驚くべき、父と息子として一緒に過ごせる時間でした。 お父様と釣りをしながらも本当に良い瞬間を一緒にできました。 釣りをしながらお父様が休んで昼寝をされる時は、お父様のすぐ横でその姿を見ながら眠ったりしました。 とても素敵なお父様のお写真を持っています。 お休みされているお父様のお姿です。 お父様と一緒に過ごした本当に親密な時間でした。 
最後にこれが本当に重要でした。 

何故ならば結局宗教が問題ではないのです。 宗教的に純潔に見え、これら多くのの条件を立てる、最後にはそんなことは重要ではないのです。 それは人々に見せるためのものです。 このようなことは人々に私が良い人であることを証明するためのものに過ぎません。
 
しかし、本当に重要なのは宗教ではなく、神様との関係でした。 それがお父様が私に教えてくれたことでした。 お父様はそんな関係の中に私を連れて来てくれました。 お父様の宗教的な篤実さを超えたのでした。 宗教的な指導者としてのお父様ではなく、本当に親しいお父様との関係の中に私を引き入れて下さったのです。 それはとても親密で実際的で、喜びと愛と人情と受容に満ちたものでした。 私が宗教指導者として見せることができないと思った部分でした。 総合格闘技の戦いでは本当に血の吹き出す戦いが起きます。 そして私が思う、いつも修行して瞑想する宗教指導者のイメージに合わなかったです。 私が考えた枠組みのイメージからですね。

しかし、そのすべてが崩れ解放されました。 そして武士の側面も受け入れるようになりました。 お父様が完全に受け入れて下さいました。 それは本当に驚きでした。 それで私はその時間があったからこそ,お父様が亡くなられ私が最もつらい時、乗り越えられたのだと思います。 お父様と共に過ごしたその関係でした。 それが私を絶望と空虚の中でも成長させてくれました。 私達がすべてを失い、肉身の母親さえも私達を裏切った時です。 それで私はその時期こそお父様が私に下さったものの中で一番貴重な時間だったと思います。
       
お父様の代身者 相続者としてそれがなかったら、私はただ「宗教」について教えただけでしょう、「関係」についてではなく。 それは本当に大きくて大きい変化です。 私はただお父様の神学についてのみ教えるところでした。 神の本体、キリストの人についてではなくですね。 私達が知らなければならない人としての神様、私達が近づき、親しくなり、私たちの人生を共有しなければならないその方に対してです。 それでこれはお父様から頂いた大きなプレゼントだと思います。 お父様が下さった恩恵でした。

***二代王とのインタビュー終わり******

さあ、私達はこの王様のインタビュー映像に対するより多くの部分を次の土曜日にも続けてお見せしましょう。
                     
休憩時間前に導入の部分で申し上げたその漫画をお見せしたいのですが、この写真を見ると、場所がダンベリー収容所であることがわかります。 
そしてこちらの壁に貼ってあるサインを見ると"Moon released"(文鮮明釈放)と書かれています。 
そしてこの黒い服を着ている二人は多分教会のリーダー達だと思います。 そして刑務官は, "私は彼がここにいる人達を皆統一教信徒にしてもかまわないが、彼がここで合同結婚式を挙げる前に早く追い出せ" と言っています。 ははは。
とにかくここの囚人たちはほとんど男だからどうなるか分からないですけどね。 はい、それでお父様がいらっしゃるすべての所で、お父様はこのような驚くべき能力を持っていました。 お父様はいろんな囚人と時間を過ごし、また科学会議に行って学者たちと討論して、本当に世界的な方でした。
                  
しばらく休息を取ってまたキングスリポートに戻ります。

キングスリポートにようこそ。

王様の本"Our Father Forsaken" 9章のGenocide(集団虐殺)に対する部分は非常に重要だと思われます。 
聖書に対する驚くべき点の一つは、多くの部分において本当に率直だということです。 もし皆さんが宗教を作るなら、欠点や誤った点について詳細を率直に扱うことは非常に残酷です。 特に、ヨシュア記で神様がイスラエル人に大虐殺をすることを命令する内容があります。 そして、これは無神論者が批判する点の一つとして知られています。 愛の神様がどうしてイスラエルの人々に男性女性と子どもたちを殺すように命令できるのかというのです。 それでこの章について一緒に読みたいと思います。 この章は本当に重要で深く考えてみるべき部分だと思います。

ヨシュア記6章
16 七度目に、祭司たちがラッパを吹いた時、ヨシュアは民に言った、「呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜わった。
17 この町と、その中のすべてのものは、主への奉納物として滅ぼされなければならない。ただし遊女ラハブと、その家に共におる者はみな生かしておかなければならない。われわれが送った使者たちをかくまったからである。
18 また、あなたがたは、奉納物に手を触れてはならない。奉納に当り、その奉納物をみずから取って、イスラエルの宿営を、滅ぼさるべきものとし、それを悩ますことのないためである。
19 ただし、銀と金、青銅と鉄の器は、みな主に聖なる物であるから、主の倉に携え入れなければならない」。
20 そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声をあげて呼ばわったので、石がきはくずれ落ちた。そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った。
21 そして町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけて滅ぼした。
      
これはヨシュア記6章16節~21節の内容です。 続きを読みます。          「皆を殺せ。 女と子供を殺せ。 未亡人と孤児たちを殺せ,すべての家畜を殺せ. 「牛、羊とヤギ、鴨たち...」 「丘を血で覆うようにしなさい。」
この内容は、旧約聖書で神様が古代ヘブライ人たちにカナアンの地に降りる時に命令された言葉です。 そして、聖書によると、そのヘブライ人たちはその命令に従いました。 向かい合ったほとんどの人々を殺し、ラハプと彼女の家に共にいた人々を含む数人の元来の住人たちは生き残りました。 しかし、この神様の慈悲は、以後、哀痛のもとになります。
                  
詩篇106章の著者は
「34 彼らは主が命じられたもろもろの民を滅ぼさず、
35 かえってもろもろの国民とまじってそのわざにならい、
36 自分たちのわなとなった偶像に仕えた。
37 彼らはそのむすこ、娘たちを悪霊にささげ、
38 罪のない血、すなわちカナンの偶像にささげたそのむすこ、娘たちの血を流した。こうして国は血で汚された。
39 このように彼らはそのわざによっておのれを汚し、そのおこないによって姦淫をなした。」      
と述べています。 
それで、その後の内容で彼らがみんなを殺さなかったという批判の内容が出ています。 彼らはカナン人の多くを殺したが、皆殺しには至らず、事実上、彼らの慣習を持ち込んだという批判内容があります。 

(our father forsakenの)続きを読みます。
この旧約聖書のくだりで起きた大虐殺に関してイギリスの生物学者リチャード·ドーキンスは、彼の本"The God, Delusion(作られた神)"の中で「旧約聖書の神は論駁の余地なく、小説で最も不快なキャラクターである。 嫉妬し、心狭く、正義にならず、許さない統制不能者(control freak)であり、報復的で、血に飢えた人種清掃者、女性嫌悪者、同性愛嫌悪者、人種差別主義者であり、乳幼児殺害者、集団虐殺をもたらし、疫病を引き起こす、嗜虐被虐症を持つ悪賢く悪意的な嫌がらせをする者である」としています。 

同様に、チャールズ テンプルトンも「神にお別れ」という本の中で、「旧約聖書の神は、ほとんどのクリスチャンが祀る神とはまったく違う。 彼は人間の感情と弱みのある巨大なな人間の神だ。 彼の正義は現代の基準で言語道断だ。また、彼の偏見は非常に深く潜っていて融通がきかない。 彼は偏見を持っていて不平を言い報復的で彼の特権に対して嫉妬深い」と 述べています。
          
次の課である '原始的な種族の神'でテンプルトンは、彼が「モーセとヨシュアの神を受け入れようとした結果、ビリー グラハムと行った彼の牧師をやめざるをえず、無神論者の立場を推定するしかなかった。 ここで現われた神は,ヘブライ人リーダーたちによって独立した個人を,一つの中心的な信仰を通じて結束したグループに統一させるための必要によって作られた原始的な種族たちの神である」としています。 

次の課で「保守的な福音主義神学校、聖書的な教授たちは旧約聖書の大虐殺について質問された時、その一節は古代ヘブライ人が"誇張された言辞"を使った例示にすぎないと言った。 Southeastern Baptist Theological Seminary (浸礼教徒神学校)の教授であるヒブ·トーマスは,"その一節は、元々のカナアン人たちが完全に全滅させられたのではなく、剥奪されたものである"としている。 旧約聖書の大虐殺を説明する別の立場であり、カトリック神学校では、「古代イスラエル人が神様を誤って理解し、誤って判断した」と述べた。 言い換えれば、聖書に登場した人々は実際の神様、イエス様から現われた神様は戦争の時代から抜け出した。」 としています。

本当に重要なイシューなので次のキングスリポートで続いてこの章を終えることが出来たら本当に良いと思います。 この本を持っていらっしゃったら必ず読んでみるようにしてください。

キングスリポートに再び戻りましたことを歓迎します。
             
ビデオを一本お見せしようと思います。 ロンドンで起こったことですがとても衝撃的です。

このビデオではムスリムグループがユダヤ人たちに死をというスローガンを叫び、ユダヤ人たちを「犬」 と呼んでいます。 この女性は泣いていますが何のために泣いているのか考えてみました。 もちろんこの人たちは彼女を知りません。 実際には彼らが個人的に知っているユダヤ人は一人もいないかも知れません。 しかし、続いて彼らの宗教指導者たちから学んだ憎しみがあります。 これをご存じかわかりませんが、パレスチナでは地図にイスラエルが存在する国家として表示されていません。 パレスチナ解放団体という所がありますが、ハマスのようにこの団体の目的もイスラエルをなくすことです。

多くのヨーロッパの国々が事実上大きな脅威にさらされています。 欧州で2次世界大戦以降、東欧の人々を歓迎することがありましたが、ドイツもトルコから来た人々を歓迎しました。 様々な東欧の国々が入ってきて、様々な言語的困難もありましたが、彼らのうち多数はクリスチャンでした。 それで、他の言語と文化があってもクリスチャンという共通点があったからこそ、英米圏文化と国家に溶け込むことができました。 しかし、北アフリカなどから来た移民者たちは本当に大きな困難があります
         
多文化主義の信条のような場合、主に同化(assimilation)に関するものではありません。 彼らが他の国家の中で彼らだけの共同体を作り、彼らの固有の文化を引き継ぐということです。 そして、これは実は多くのフランス、スウェーデンのような国々で起こっていることです。 その国には"No go zone"と呼ばれる警察が入らない区域があります。 警察たちがそのコミュニティーに入ることを恐れるからです。 ヨーロッパのあるムスリムたちが皆悪いというわけではありませんが、このような文化的問題があるということです。 そして"多文化主義"のアイディア、分離された彼らだけの文化を守るということが本当にまともに作動していないというのです。

それとは逆にアメリカではこういう問題をあまり経験していないようです。 伝統的に同化(assimilation)思想があったので、ムスリム背景を持った人々まで全世界の人々を皆歓迎しますが、そして様々なコミュニティがありますが、それでも同化のアイディアがあったり、英語を学んでアメリカの文化を受け入れ、理想的にはアメリカ市民になれるようにし、アメリカの憲法について学ぶなどの内容がありました。 しかしミシガン、デトロイトなど多くの都市では本当に大きいムスリムコミュニティの中であまり同化しないコミュニティがあります。 それで私たちがこのような問題に対してよく知る必要があります。

実は私はこの事案に対して複合的な心境を持っています。 私が若い世代を教える非営利団体をしていたことをご存知の方々もいるかと思います。 理事会メンバーの中でイスラム圏からいらっしゃいましたが、元々クリスチャンだった方がいらっしゃいました。 お父様を愛し原理を一生懸命に勉強した特別な良い方でした。 このようにムスリムたちの中でも私が本当に愛する方々もいらっしゃいます。

ところで、反対に数年前私がムスリム背景を持った方と対話することがありましたが、彼は彼がどれほどユダヤ人を嫌やがるかについて話し始めました。 それで私は本当に驚きました。 はい、それでこれは本当に大きな問題であり、この午前中にこの問題全体をすべて解決することはできないでしょうが、西欧社会が考えて見なければならない明白な文化的な問題があるということを知らなければなりません。 これは私が共有したい次の記事内容ともつながります。

"無神論者が警鐘を鳴らす:キリスト教の減少が社会を深刻に傷つけている"と題する記事です。

      
この記事は無神論者がキリスト教なしには西欧社会が暮らしやすい社会にはなれないということを悟った内容です。 これは本当に興味深い記事です。 王様はステファンモリ ニュースについてよく言及したりもしますが、彼はクリスチャンではないが、キリスト教のない社会は良いところにはならないだろうという話をしている方でもあります。

私は宗教的な家庭で育っていなかったし、大学に行った時は本当に知恵がほしいと思いました。 多くの哲学授業を聞きましたが、私は授業を受けてとてもがっかりでした。 私の教授たちは知識は多かったが知恵がありませんでした。 上記の内容は希望的なトレンドに見えますが、アメリカでは文化的な戦争が起きています。 信仰を持った人々と知識的なエリートたちがいます。 そのエリート層の知識人たちが信仰を持った人を軽蔑して低く見ることがあります。 そして、政府の力を利用して彼らに世俗的な信仰とトランスジェンダー信仰、同性結婚に対する信仰を植え付けています。 
この戦争が暴力的な戦争につながらないことを神様に祈ります。 
トランプ大統領が予期せぬクリスチャンたちの保護者になりました。 クリスチャンが信仰を行う権利のために戦っており、政府の力で世俗的権限を持っていた左派たちを阻止するようにしています。 彼は変わった人かも知れませんが、神は世俗的な既存の政治家ではない人を必要としていたのです。 エリート政治システムの外にいる人を必要としたのです。
         
次はジョーダン·ピーターソンの映像をもう一つお見せしたいと思います。
     
真のお父様は聖書を本当に新しい観点でご覧になりました。 
聖書とキリスト教に対して新しい見方を持っていらっしゃったし、伝統的なキリスト教から多くの批判を受けたりしました。 当時、キリスト教はアメリカの社会を守れるほど強くありませんでした。

TVショーホストであるデニスフレガーは世界で一番成功した宗教は"左派主義"だと言いました。 イスラムでもキリスト教でもない左派主義だと言いました。 左派思想は非常に強力で多くの神学校と大学に深く浸透しました。 大部分が左派的観点を受け入れました。 大学で特定保守主義のスピーカーが左派ではないという理由で来られないようにすることは、本当に衝撃的です。
             
それで, 真のお父様は私たちが本当に神様の本性や, 神様との関係に対して深く理解しなければこの問題を解決することができないということを分かったのです. そして王様がおっしゃったように、このような左派の見方は中央集権化された権力につながり、それは独裁あるいは圧制につながります。
            
1990年代に私は最も大きな問題が共産主義だと思いました。 当時は純真に考えてソ連は崩壊し、ドイツも統一されたので、共産主義の問題は大きく解決されたと思いましたが、それは事実ではありませんでした。 共産主義的な見方はすべての大学に存在します。 本当に高等教育を支配しています。 だからキリスト教が再び検討されなければならないのです。 現在のキリスト教は、この問題に対抗できるほど強くないからです。 それで"Our Father Forsaken"でも王様がキリスト教が再び勇敢になるべきだとおっしゃっているのです。 現在のキリスト教が弱いからです。 本当に真のお父様が強調されたかった内容が載っているのです。

ジョーダン·ピーターソンもこれらの問題を扱っています。 映像を一緒にご覧いただきます。 
ここでジョーダンピーターソンが話している内容と真のお父様が安価なキリスト教についておっしゃった内容を一緒に考えてみることを願います。 救援の意味が何でしょうか?
お父様は救援を監獄からただで出ることができるそんなものだとおっしゃらなかったです。 そうですよね?

お父様はあなたは私に接ぎ木されるべきで、あなたの十字架を負わなければならないと言いました。 お父様はキリスト教者に残りの世の中について考えなければならないとおっしゃったのです。 これが重要なポイントの一つでした。 お父様はあなただけ一人で天国に行き、残りの世界は地獄に陷っているそんなことを信じませんでした。 
続けて見ることにします。

お聞きになったか分かりませんが、私にとっては "目覚めなさい"というメッセージのようです。 真のお父様は、世界各地にクリスチャンたちに行って目を覚ますように言われました。 何に対して目覚めろとおっしゃったのですか?
 一つ目は神様がこの世の中を創造してくださった理由と渇望に対して、二つ目は多くの国々で憎悪心に包まれた人間の思想が世界に広がって行っていることです。 

私達は眠ってはいけません。 黙って、それは私の問題ではないと言ってはいけないのです。 私達が責任を負わなければなりません。

もし、子供たちが公学校で学んでいることについて放置しておけば、この国の未来はとても暗いはずです。 多くの人々が私は教育界に関与していないので、私の問題ではないと言うかもしれませんが、もしあなたがあなたの子供や孫たちが全体主義、社会主義地獄に生きることを望まないのなら、そうであれば、皆さんの問題として考えなければなりません。 私たちは本当に何が問題なのか知らなければなりません。 すべての政府機関、教育機関で私たちが直面している現実を知らなければなりません。 イスラムでは聖書的なメッセージを教えません。 私たちがイスラム教徒の人たちを愛さないというわけではありませんが、それは聖書で言われている神と同じ神様ではないということを知らなければなりません。

それで私が本当に驚いたのは, 真のお父様こそこれを解決しようとされたことです。  
それで私たちも本当に祈りを捧げ、神様の導きを通じてここで私たちが何ができるのか考えてみなければなりません。そうでしょう?  私たちが全ての事をなすことはできませんが、それでも私と皆さんにできることがあるはずです。 これがお父様が私たちに理解してほしい内容でしょう。 
ただ救われて引退し、引退したコミュニティに行って世界に対して忘れる、そんなものではありません。 お父様は引退するという考えを一度もしたことがありません。 90歳が過ぎても継続して働かれました。

一番多くのものを持って死ぬ人が勝つそんなものではありません。 
統一教会の多くの人たちが真のお父様に従うために30年、40年を捧げ、それで休みたいと言う人もいます。 
しかし神様と真のお父様は私たちをずっと呼んでいらっしゃいます。 まだやるべきことが残っているからです。 だから、私たちが何ができるのか、続けて祈りを捧げましょう。 私たちみんなができることが確かにあります。
   
今日はここまでにします。 キングスリポートにご一緒いただきありがとうございます。 明日日曜礼拝でお会いしましょう。 ありがとうございます。

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