王冠、自分を捨てサタンに勝つため
2025年8月20日 テネシー清平韓国語水曜礼拝
王家の精神<1>
權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師
監修fanclub三原
韓国語水曜礼拝權寧畢クォン・ヨンピ한국수요예배08202025
翻訳minion
はい、本日ご覧の通り、三代王権信俊様の初めての息子、文勇男様の1回目の誕生日です。私たちが皆、喜びの気持ちを持って今日のこの時間を過ごしてくださいば幸いです。
皆様、拍手をお願いします。
今日のテーマは「王家の精神」です。王冠の摂理についてお話しします。
真の父母様と王冠の摂理
真のお父様は再臨メシアとして来られ、万の十字架を負い、億万のサタンと戦って勝利されました。それで、私たちを解放し、サタンの支配から解放釈放をしてくださいました。真のお父様はメシアとして来られて神様を釈放されたのです。それで、人類救済の道を開かれました。
それだけでなく、後継者である二代王様を通して、私たちに「宗族の王と王妃」の祝福を与え、実体天国建設に参加する責任を授けてくださいました。
王様は天一宮入宮式以降、すべての権威圏祝福家庭に、宗族メシア戴冠式を命じられました。これは摂理の進展に伴い、王冠摂理時代が到来したからです。
ですから、私たちが王冠をかぶる理由は、天一国の二代王様を通して、宗族のメシア、すなわち宗族の王と王妃として祝福を受けたからです。
したがって、私たち聖殿食口たちは天一国の宗族の王と王妃としての意識と責任を持って生きなければなりません。
王冠に対する姿勢とサタンの誘惑
しかし、私たちの中には宗族の王冠をかぶることに消極的な人がいます。「世間でこの王冠を見て奇妙に思ったり、笑ったりしたらどうしよう。その人たちにどうやってこの王冠を説明すればいいのか」という心配するのです。
そのため、他人の目を意識して王冠に対して恥ずかしさや否定的な態度を取ってしまいます。
それで、宗族の王と王妃というアイデンティティを忘れ、謙遜を前面に出して祝福された恩賜を恥ずかしがっているのです。
これは、私たちが宗族の王と王妃の祝福を受けましたが、実際のの思考と行動が天使長の奴隷意識から未だに抜け出せていなからです。
このような私たちを見て、王様は激しく叱責されました。
「あなたたちは、再臨主が万王の王であるという事実を信じていない。偽りの精神と奴隷の罠に陥っている天使長の文化に浸っている。」
「世間の目を気にして愚かな人々の話を聞き、霊的な目のない愚か者になって、天一国の所有権と天一国の王権を忘れてしまった。だから、あなたたちはもはや天使長に与えたのだ。王冠は神様が所有権と天一国憲法、天一国文化まであなたたちに全て与えられたのに、全世界の迫害と非難を受けながら、あなた方に王冠を与えるために荒野の道を歩まれたのに、それを無視し、自分の評判や自分の安楽だけを追い求めている」
とおしゃりながらお叱りになりました。
私たちは消極的な意識から脱却し、天一国の宗族の王と王妃であることを誇りに思わなければなりません。安物の感傷主義に陥ってはなりません。
私たちが受けたこの王冠は、万王の王が後継者である天一国二代王様を通して、私たちに直接授けられたものです。それゆえ、私たちは宗族の王と王妃であることを世界に示し、誇るべきです。
王冠を誇るという意味
『ヨハネの黙示録』3章11節には、「11わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。」とあります。
私たちがこの王冠を誇るべき理由は、私たちが宗族の王と王妃になったことは、私たちの能力で、私たちが優れているから、私たちが王冠をかぶるようになったからではないからです。
もし宗族の王と王妃が私たちの力で成したものなら、私たちは謙虚にならなければなりません。自慢したり、誇ったりしてはなりません。
しかし、王権は私たちの力で成したものではありません。私たちが受けるだけの資格があったから与えられたのではなく、万王の王の恵みによって与えられたものです。
だから、私たちはこの冠をかぶり、真のお父様の栄光を世界に示し、自慢するために私たちは王冠をかぶるのです。
また、二代王様は、権威圏の祝福家庭に王冠をかぶり、小銃を持って宗族の王の即位式を行うようおっしゃいました。
世間では、・・・私たちが予想していましたね。このような即位式に対して非難し、嘲笑しています。
「わ!教会で王冠をかぶり、銃を持って、一体何をしているのか?自分たちが王や王妃だと?これは子供の遊びみたいだ」。
このような言葉を私たちにしています。
皆様、王様が世間の誤解や反対を受けながら、王冠をかぶり、銃を持って、宗族の王の即位式をするように強力に勧告する理由は何でしょうか?私たちは、この王様の御心をサタン世界の倫理的評価や基準に合わせて考えてはいけません。
私たちは、世間に認められ、拍手を受けるためにみ旨の道を従ってきたのではありません。
私たちが真の父母様に従うのは、真の父母様が歩まれる道が再臨のメシヤの摂理の道であると悟り、従ってきたのです。
摂理の道とは、サタン世界で実体の神の王国を建設する三代王権の路程です。
私たちが三代王権のみ旨と共に歩むことは、三代王権を証しすることです。
したがって、当然、サタンが王であるこの世界では反対され、憎まれるのが正常です。それが本物です。本物だから反対を受けるのです。もし私たちが行く道がサタンが望む道なら、歓迎され、拍手を受けるでしょう。
ですから、私たちは、三代王権を証しすればするほど、迫害は私たちにますます大きくなるでしょう。覚悟しなければなりません。
なぜなら、私たちが従う道は、サタンの世界の人々が行こうとする道ではありません。摂理の道は、サタン世界の秩序と衝突し、体制に逆行する道だからです。
従ってこの道は、サタンの世界の人々には極めて愚かに見えるそのような道です。
しかし、この道こそが神のみ旨の道であるため、細い道であっても反対されても、私たちは行かなければならないのです。
サタンに勝つ道
私たちの基準は、ただひたすら神の御旨と摂理が基準とならなければならず、世の中に合わせてはならないと考えます。
この時代、私たちは善神と悪神の戦争に呼ばれたのです。この戦いは善と悪の原理的な戦いです。なので、原理的でなければ私たちは決してサタンに勝つことはできません。
なぜならサタンは私たちよりも知恵が優れています。そしてサタンは私たちよりも力も強いのです。
ただひたすら、原理的に出て行く時だけ神様が保護されて権能が私たちに現れることができ、私たちは強大なサタンに勝つことができます。
したがって、ただひたすら摂理の中心である後継者、代理者、相続者である二代王様の御心と御言葉に従う道だけが、善と悪を分立することができる、そうであってこそ、天一国の宗族の王と王妃の頭の上に神様の能力と権威が現れるのです。
王冠をかぶり、鉄の杖を持てとおっしゃった理由は、宗族の王と王妃として実体の天国建設を妨げるサタン勢力と戦えという御言です。
そうすれば、サタンの王国は自然に崩壊するしかありません。
『ヨハネの福音書』14章を見たら、イエス様はこのように語られました「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」
神は全知全能の創造主。被造物であるサタンがそのような神様を相手に勝つことはできないのです。
サタンは神に絶対に勝つことができません。そうなので、サタンは人間を攻撃するのです。サタンは神の子女である人間を攻撃し、神の摂理を滅ぼそうとするそのような作戦を使うのです。
それで、邪悪なサタンは人間を奴隷として屈服させ、実体の神の王国建設を妨害しようとします。
しかし、この時、宗族の王と王妃がサタンに屈服せず、三代王権を中心に戦う時、私たちはサタンの奴隷ではありません。
私たちは神の息子の位置、そして被造世界の主人としての位置で戦うのです。
したがって、創造原理であるために、サタンは私たちに屈服するしかないのです。
御言に自分なりの解釈なく従ってこそ
ですから、私たちが行く道は真のお父様が導かれる道であり、必ず勝利する道です。
み言通りに行かなければなりません。み言を自分なりに解析して、また、再び解釈して、私に合わせて手直しして行く道ではありません。
そうしたら、サタンの侵攻を受けることになります。
二代王様が行かれる道を、私たちはそのまま見て従わなければなりません。
これまで私たちは、二代王様の預言の御言がそのまま成就されることを私たちは目撃してきました。
しかし、このような状態でもサタンは神の摂理の前に謙遜せず、ますます激しく三代王権に敵対しようとしています。
ですので、皆様、私たちがこの時代に生きながら私たちに最も重要な徳目、神が要求される最高の価値は何でしょうか?
真のお父様は私たちに明確に教えてくださいました。天が立てた三代王権を中心として侍り、証しすることが、神の前で最高の孝と忠となるのです。
これがまさに、宗族の王と王妃が真のお父様を万王の王として証し、仕えることです。
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