2025年7月12日土曜日

子羊が解かれたヨハネの黙示録 ◆2025年7月9日_テネシー清平韓国語水曜礼拝 怒りのぶどう酒<1> 權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

 子羊が解かれたヨハネの黙示録

2025年7月9日_テネシー清平韓国語水曜礼拝

怒りのぶどう酒<1>

權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

監修fanclub三原

韓国語水曜礼拝清平한국 수요예배 權寧畢クォン・ヨンピル牧師07 09 2025


ヨハネの黙示録とは


本日私が皆様にお話しするテーマは「怒りのぶどう酒」です。

これはヨハネの黙示録14章に記されたあの物語です。

(参考)

8 また、ほかの第二の御使が、続いてきて言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」。

9 ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、

10 神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。


このヨハネの黙示録を通じて、私たちが現在生きる時代を理解し、私たちがどのような立場にあるのかを考察してみましょう。


ヨハネの黙示録とは、2000年前、使徒ヨハネがキリスト教の迫害によりパトモス島に流刑に処せられた際に、神の啓示を受けて、イエスの再臨時に起こる出来事を記録した預言書です。

そして使徒ヨハネは、ヨハネの福音書、ヨハネの手紙、ヨハネの第一の手紙、第二の手紙、そして黙示録の著者です。そしてこの使徒ヨハネは、弟子たちの中でも最も若かったと言われています。そして、イエス様の最も重要な弟子の一人でした。


そのため、変容山でもイエス様と共に登り、ゲツセマネの園での祈りでも共にいた三人の弟子の一人です。

また、イエス様が十字架にかけられた時、すべての弟子が逃げ去った中で、ヨハネはイエス様の十字架を最後まで付き添った弟子だとされています。

それでイエスが十字架刑に処せられ、弟子たちが四散して逃げ去った後、後にイエスが復活された後、弟子たちは悔い改めました。そして、その弟子たちは12使徒として力強くイエスを証しし、全員が殉教しました。


しかし、その12使徒の中で唯一殉教しなかった弟子が、そのヨハネです。

それで彼は最後まで生き延びて自然死したと言われています。もちろん、ヨハネも捕らえられて多くの苦難を受けました。

しかし、ある話では、ヨハネが捕らえられて沸騰する油に投げ込まれたが、傷一つなく生き残ったとされています。

*参考:『黄金伝説(聖人伝)Legenda Aurea, 1267年』 ローマ皇帝ドミティアヌス帝の時代、使徒ヨハネが信仰のゆえに沸騰する油の釜に投げ込まれたが、奇跡的に無傷で若返って生き残り、その後パトモス島に流されたと書かれている

1290年ごろ。フィレンツェ、ラウレンツィアーナ図書館


そのため、そのヨハネを「パトモス島」のヨハネと呼び、その島に流刑にされ、その流刑地で『黙示録』を執筆し、最終的にそこで亡くなりました。


私たちが聖書を見ると、聖書の中には創世記1章と2章を見ると、神が創造した世界の記録があります。そして2章には、人間の始祖が堕落した記録があります。

つまり、聖書全体は旧約39巻、新約27巻の合計66巻で、人間の堕落と、堕落した人間を救う神の摂理を物語っています。


ヨハネの黙示録は神が書かせた

ところで、ヨハネの黙示録の最終章では、新しい天と新しい地が地上に実現されることが示されています。

つまり、最初創造時に神が計画された創造の理想が、最終的にヨハネの黙示録を通じて完成されることを示しているのです。

したがって、神の創造の理想、すなわち神が当初計画した創造の理想が、最終的にサタンの人間堕落によって人間が堕落したことで、このような悲惨な歴史が続き、最後にそれがすべて回復されることで、新しい天と新しい地が地上に実現し、神の創造の理想が最終的に成就するのです。

そのため、聖書は完全無欠な書物であると言えるのです。


黙示録には、その最初の始まりが記されています。

黙示録1章1節には、

1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。

とあります。

神様が天使を遣わして、ヨハネにこの啓示の言葉を授けたのです。


したがって、このヨハネの黙示録とは、再臨の主の時代、すなわち末世、つまりイエス様の時代に実現しなかったことが、新約時代を経て最後に再臨の時代、再臨の主の時代が来て、その再臨の主によってすべての御心が実現されるのですが、その末に起こることを幻と啓示でヨハネに示し、記録させたものです。


そのため、このヨハネの黙示録は聖書の中の他の書物とは異なり、その著者は誰か?人間ではなく神様です。神様が啓示として与えた内容をヨハネが受け取って記録した書物がヨハネの黙示録です。


そのため、この黙示録の中心は第一にキリストであり、彼は審判主であると同時に栄光の主として現れます。

その末世には多くの善と悪の戦いが起こり、最終的に悪は審判を受け、再臨のキリストは栄光の主として昇天するといった内容です。


ヨハネの黙示録が人間は解釈できない


そのため、このヨハネの黙示録は聖書の中で最も難解な書物です。

なぜなら、神の啓示によって成された第三の書物だからです。題目を掲げるのなら三番目です。ヨハネの黙示録は、まさにその通りです。

聖書の中で最も難解な書物です。これは、神の啓示によって成された書物だからです。


そのため、人間が解釈することはできません。

なぜ解釈できないのか?

現在、一般的なキリスト教の世界の人々は再臨のキリストを知りません。これは再臨の主の時代、再臨のキリストの時代に起こることを教えてくれたのに、彼らは再臨の主がまだこの地上に来られていないと言っているからです。

そのため、このような現象を見ることができないのです。解釈できないのです。


しかし、その神学者や有名な牧師、あるいは霊通する者などが現れて、自分なりの解釈を提示します。

実際、混乱しています。互いに自分が正しいと主張し合っているからです。

しかし、ヨハネの黙示録の内容は、彼らが解釈できるものではありません。なぜなら、彼らは再臨の主を知らないからです。


また、神学者たちが集まって自分たちで研究し、自分たちで合意して解釈できるものなのでしょうか?そうではありません。

そのため、ヨハネの黙示録を「謎解きの本」のようなものだと話す人もいますが、それも違います。正確な啓示として与えられたものです。


そのため、このような人々は、有名な牧師や神学者などが、ヨハネの黙示録に記された「666」や「14万4千人」であったり、「赤い竜」、「獣の印」、「淫婦」、「審判」といった内容に焦点を当て、災難や審判として解釈し、人々に不安を植え付けたり、或いは好奇心を煽ったりしています。

もちろん、再臨の主の時代が災難や審判の時代であることは明確ですが、彼らが解釈して提示できるものではありません。


そしてキリスト教では特に、すべてを教会中心に解釈する方向性があります。

なぜなら、教会を運営しなければならないからです。教会中心でなければ、キリスト教会は崩壊してしまうからです。

そのため、彼らは特定の目的を持って解釈を試みるため、正しい解釈をすることができません。

そのため、黙示録の真の意味が失われ、偽りの内容だけが信徒を惑わすのです。


先ほどもお話ししましたが、キリストの再臨時に起こる神の啓示ですが、彼らはキリストの再臨の時期を知らないため、再臨の主も知らず、いつ再臨するのかも分からず、ただ漠然と待っているだけです。

二千年間待ったのだから、実際、混乱する時期でもあります。そのため、自分なりの解釈を作り出すのです。再臨の主の摂理を完全に理解しなければ、その内容は理解できないのです。

例えば、「私は神に通じる力がある」「私は何かを受けた」と主張する、このような人々が現れ、自分なりの解釈をしますが、全て虚偽です。

なぜなら、この内容は私の名である主によって解釈されなければならないからです。だから、自分から出て行ってはならないのです。やたらと。


黙示録5章3節と4節を見ると、

3 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。

4 巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。

とあります。

ヨハネも啓示を受けたヨハネも、自分が分からないので、もどかしくて大いに泣いたと語っています。

しかし、今になって「私は誰だ」と名乗り出て、これを解釈しようとするのは笑止千万です。


ヨハネの黙示録の封印を解く者


また、黙示録5章5節から7節を見ると、小羊が現れて巻物と七つの封印を解くでしょう。それで、その小羊は、玉座に座っている神です。その右の手からその巻物を取りました。このような話がされています。

(参考)

5 すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。

6 わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。

7 小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。


つまり、それは子羊が封印を解いて中を覗き込むということです。

他の人がするのではなく、神の御子である子羊が現れて初めて封印を解き、中を覗き込むのです。


したがって、子羊でなければ静かに口を閉じていなければなりません。

したがって、これはただ子羊を通してのみ、再臨の主の時代に起こる災いとその災いの起こるようなこと、災いと啓示を理解することができるのです。


ヨハネは黙示録の最後に、自分が目撃したすべての幻視について、加えたり減らしたりしないよう警告しました。

18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。

19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。

このように黙示録22章に記されています。


そのため、言葉を歪曲して惑わす者は呪いを受けると警告しています。


したがって、黙示録に記された内容は、誰一人として一文字、一点も加えたり減らしたりしてはなりません。

そのため、再臨の主の摂理を知らなければ、決して解釈することはできません。

このように理解することができます。


神様は人生と宇宙の根本問題を解決するために、一人を遣わされました。その方がまさに再臨イエス・キリスト、真の御父母の栄光をもって来られた文鮮明・真のお父様です。

このように話すと、キリスト教徒は反対し、世は反対し、泡を吹いて興奮して騒ぐかもしれませんが、そのような必要はありません。

主張する時、他人の言葉が正しいか間違っているかを議論する必要はありません。なぜなら、彼らは知らないからです。

知っていれば反対したり、間違っていると言ったりできますが、知らない状態で感情的に、または何らかの偏見で判断する必要はないのです。


再臨の主を定め、送られる方は神様です。

したがって、世界全体が反対しても、神様が送られたなら、その方が再臨主です。

また、世界中が彼が再臨の主だと正しいと、全員が立ち上がって歓迎とラッパを吹くとしても、神様が「違う」と言えば、それは違います。人間とは無関係です。人間の呼吸とは無関係です。神が定められ、送られるのです。

したがって、すべては神の摂理であり、真実は後に明らかになるでしょう。


ですから、軽率に先入観を持って騒ぎ立て、奈落に陥らないように願います。

世がそうであるため、このような再臨の主について彼らは知らないからです。

イエス様の時も、彼らは来られた主を知らず、迫害し、嘲笑し、引きずって行き十字架に架けました。

同様に、世とキリスト教は、初臨の時と同様に、再臨のメシヤを否定し、脅迫しました。

そのため、再臨主として来られた真のお父様は、万の十字架を背負い、霊界と肉界の無数のサタンと戦い、勝利されました。


そのため、こう言われています。「血は天のために流し、涙は人類のために、そして汗は地のために流された」、このような話です。それ程、その道は、まさに茨の道でした。

しかし、再臨主は、そのような数多くのサタンを全て打ち破り、最終的に全ての摂理を成就されました。

それでも聖和後も世は認めません。


しかし、ここで注目すべき点が一つあります。

それは、真のお父様は、その多くの試練と迫害と世界の反対を受けながらも、最も栄光ある姿で聖和されたという事実に注目しなければなりません。


なぜなら、世には「自分は何だ」と偽り、人を欺く偽りのメシアたちが多く存在するからです。偽りのキリストが数多く存在します。

彼らは聖徒を欺き、「私は何者だ」と主張し、ある霊的な能力や新しい教義を掲げて聖徒を欺き、多くの人が彼を再臨の主だと信じて従う人がたくさんいます。

彼らはこの世で大きく成功し、富と栄華を享受します。


しかし、一つ明確な事実があります。

神様は最後までそのような詐欺師に栄光を許さないという事実です。最後には皆、墜落してしまいます。自分の本当の姿を世に知られて。

ですから、最も栄光ある姿で終わるか、終わらないか、これは摂理において非常に重要なことです。

なぜなら、再臨主だからです。神は彼に勝利を授けられるからです。


全て勝利され聖和されたお父様


そして、真のお父様は地上にご自身の血統の後継者を残し、天に昇られました。

最後の祈祷では、「真のお父様がこれまでの人生を全て神に捧げた。全て成し遂げた。全て成し遂げた」と祈られました。

この祈りは、「私のすべての生涯を神様に捧げた。全て成し遂げた」という勝利の報告の祈りです。神の前で恥じない祈りです。後悔を残さない。

そしてそこに後継者と三代王権を残されました。


自分が偽者として生きていれば、最後には不安になるでしょう。

しかし、勝利の報告の祈りを捧げられ、お父様は昇天されました。

そしてこの地上には、再臨主の後継者、神の子羊であり、鉄の杖王である、文亨進天一国二代王がおられます。


何か家庭連合や、キリスト教や世の中で、このような言葉を言っても、信じるか信じないかは重要ではありません。

必ずしも私たちがこの世で生きながら、その人々の支持を受け、その人々から認められる必要があるわけではありません。

なぜなら、私たちはこの時代、終末の時代に生きながら、歴史の前で言うべき言葉を残すことが私たちの責任だからです。支持を受けるか反対を受けるかは、それが重要なことではありません。

歴史の前で、未来の人類の歴史の前に正しい言葉を語り、私たちは消え去ればよいのです。

すべての成就は、終末の神様の御心によって成就され、判断されるからです。

だから、今すぐに私たちが支持を受けないからといって、残念に思ったり、悔やんだりする必要はありません。

神様がそれを定め、神が計画された通りに実現されるからです。


子羊が解かれた黙示録


そのため、このヨハネの黙示録は、再臨のイエス・キリストの時代に起こるサタンの歴史と、それに対する神様の審判に関する啓示です。


私は、このヨハネの黙示録に記録された内容が、現在まさに実現されているのを見て、驚愕の念に打たれています。

黙示録に予言された地上天国の建設のために、実体のサタン勢力と戦っている小羊を通じて、その後継者、代身者を通じて聞いた御言を、一部を証ししようとするのです。

もちろん、私は黙示録の内容を全て知っているわけではありません。

しかし、そこで学んだその内容を、皆さんに今、証しし、さらに多く悟るようになれば、より詳細な証言ができると思います。

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