The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series
キリスト再臨アドベント29
イエスの王国: この世のものではない - それは何を意味するのか?
29. (20241129) “Jesus' Kingdom: Not of This World—But What Does That Mean?"
イエスの王国: この世のものではない - それは何を意味するのか?
[このビデオでは、ヨハネによる福音書18章36節に記述されているイエスの王国の性質について、@targetedtruthergirl6726さんからの示唆に富むコメントを取り上げます。イエスが、「わたしの王国はこの世のものではない」と言われたとき、イエスの王国は純粋に霊的なものだという意味だったのでしょうか?
このビデオは、聖書を理解することを目的とした敬意に満ちたものであり、決して個人攻撃ではありません。実際、私の主張に対する非常に良い反論だと思います。コメントをありがとうございました。また、ご覧になってくださった皆さん、ご視聴ありがとうございます!]
イエスは死ぬために来られたのではない、という主張に対して、この連載のコメント欄には多くの反論が寄せられました。
そのため、投稿されたすべての異論に目を通してみようと思います。
しかし、私はまずこれに取り組みたいと思いました。
原理シリーズ4B「神がイエスを遣わされた本当の理由」において、@targetedtruthergirl6726さんは次のように書いています。
「もしそれが本当なら、
なぜイエスは、彼の王国はこの世のものではないと、
さらに、わたしが世のものでないように、あなたがたも世のものではないと、
最後に、わたしはあなたがたのために場所を用意するために行き、わたしが再び来て、あなたがたを自分のもとに迎え入れる、と言われたのでしょうか?」
まず最初に、あのビデオに思慮深いコメントを残してくれたことに感謝したいです。
このコメントに関して私が申し上げたいことは、決してあなた個人を攻撃しようということではなく、あなたが提起された良い反論に対する敬意に満ちた回答です。
ということで、あなたが引用した聖句を検証してみましょう。
引用した聖句は3つあるようです。
ヨハネによる福音書18:36、17:16、14:3。
そして、次のように分けています。
(ヨハネ福音書18:36) わたしの王国はこの世のものではない。
(ヨハネ福音書17:16) わたしが世のものでないように、彼ら(あなたがた)も世のものではありません。
(ヨハネ福音書14:3) 行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
このビデオでは、特に最初の部分を見てみたいです。
イエスが死ぬために来られたのではないことは、これらの聖書の箇所と矛盾しないので、2番目と3番目についてコメントすることはあまりないからです。
「イエスが告げ知らせる王国はこの世のものではないと言われたのに、どうして王国は実体的な王国なのでしょうか?」
ヨハネによる福音書18章36節で、イエスが述べていることをあなたは引用していると思います。
「わたしの王国はこの世のものではない。もし、わたしの王国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの王国はこの世のものではない。
この節は、キリストの王国が本質的に霊的なものだけであるはずことを明確に示しているのではないでしょうか?」
さて、ここでイエスはご自身の王国が実体的なものではないとは決して言っていないことに注目してください。
イエスの王国はこの世のものではないと述べているのです。
実体的な世界、あるいは私たちがこの世と呼んでいるのは、本質的に悪ではないのです。
創世記には、神が天と地を創造され、それを 「良し(創世記1章)」とされたと書かれています。
さらに、実体的世界は罪を犯していません。むしろ、サタンが人間を支配することによって、被造物を支配することをサタンに許しているのです。
このように、同じ言葉を使っていても、定義には決定的な違いがあります。
「the world 世界」とは神が創造された実体的な領域を意味し、一方で「this world この世」とはサタンが人類と被造物を支配していることを暗に示します。
この区別は非常に重要です。
なぜなら、キリスト御自身が、父の王国は地上に築かれるはずだと述べているからです。
「御国を来たらせたまえ み心の天に成るごとく 地にもなさせたまえ(マタイ福音書6:10)」 と主の祈りに記されています。
イエスが地上に天の王国を築きたいと願った、正にこの事実は、キリストの宣教の中で起こった多くの出来事によって証明されています。
詳細については、「Jesus should not have died/イエスは死ぬべきでなかった」のビデオをご覧ください。
しかし、キリスト教終末論においても、キリストが再臨されるとき、キリストは天と地を造り変え、栄光を受けたすべての信者のために実体的・霊的な天の王国を築かれると信じられています。
伝統的なキリスト教の終末論においても、キリストの王国は依然として実体的なものであるけれども、決定的に重要なのは、それはサタンの支配に由来するものではないということです。
考えてみれば、十字架の勝利の後でも、サタンはまだ地上界の支配者であることがわかります。
パウロはサタンを「この世の神(コリント人への第2の手紙4:4)」と見なし、ヨハネは「全世界は悪しき者の配下にある(ヨハネの第1の手紙5:19)」と述べています。
キリストの王国がサタンに支配された世界のものであるならば、イエスの王国はサタンの王国ということになります。
しかし、神の王国は悪魔的な起源からは生まれることはできないので、それはこの世のものではなく、「神の王国は天の起源を持たなければなりません。」
この世のものではない神の王国がサタンの王国とは際立って対照的である、もう一つの重要な点は、キリストの天倫の教えが反映して王国が設立される方法です。
神の王国は、決して剣によって広まることはありません。
むしろ、神の民が自分たちの王を自由意志で受け入れることによってです。
もしイスラエルが王国の福音を歓迎していたなら、ユダヤ民族全体がダビデの王座のもとに結集することによって、神の御業を行うことができたでしょう。(ヨハネによる福音書6:28-29)
これにより、旧約聖書の預言の大半にある終末論的ビジョンが実現したでしょう。
つまり、繁栄した強大なイスラエルが、神とのこの永遠の契約の実りを全世界に広めたことでしょう。
王国は決して不当に武力で征服することはありませんが、キリストの王国は自衛の手段を持たなければなりません。
個人から国家レベルに至るまですべての人々は、神を愛し隣人を愛するという律法全体の要旨を満たすために、自分自身と隣人を守る適切な方法を持たなければなりません。
ヨハネによる福音書2章15節で、キリストが縄の鞭で神殿を冒涜する両替人を追い出したときに見られるように、正義のために行われる場合には、イエスでさえ武力の行使に反対されません。
イエスはまた、次のようにも述べています。
(ルカ22:36) つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。
これは、キリストが自己防衛に反対していなかったこと、そして特に旧約聖書が示しているように、暴力それ自体は悪ではないことを証明しています。
当然ながら、私は暴力を推進しているわけではありません。
暴力は、他のすべてのデスカレーション(緊張・対立の段階的緩和)の選択肢が完全に使い尽くされた場合に、完全な最後の手段としてのみ使用されるべきだからです。
神の王国を告げ知らせるイエスの場合、暴力は自己防衛の最後の選択肢としてのみ用いられるでしょう。
預言者イザヤは、独裁政権ではなく、他の国々がシオンの光が彼らの祖国にやってくるのを待ち望んでいる時代について語っています。
イザヤ書29章はこう述べています。
(イザヤ29:19) 柔和な者は主にあって新たなる喜びを得、人のなかの貧しい者はイスラエルの聖者によって楽しみを得る。
メシアは、昔の預言者たちによって予言されたように、公平と正義をもってイスラエル民族を牧されるのです。
つまり、このビデオを要約すると、イエスはご自身の王国が単に霊的な王国であるべきだと言っているのではありません。
イエスは、地上における天の王国はサタンの支配圏内にはないと言っているのです。
イエスが天からもたらすこの王国は、力によって征服するこの世の帝国のようなものではありません。
それは、準備された人々が彼らの救い主を信じ、ひとつになることによって築かれる王国なのです。
イエスが熱心に祈られた正にこの王国が、私たちの生涯のうちに訪れることを、私たちは願っています。
真摯なコメントをいただいたことに対して、@targetedtruthergirl6726さんに、改めてお礼を申し上げたいです。
皆さん、ご視聴ありがとうございました。
どうぞご期待ください。
そして、祝福された一日となりますように。
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