2024年9月15日
三代王権天一聖殿・東京礼拝
ヤーウェサボオ「万軍の主」、犠牲の血を流し私を救われる父の愛
三大王権天一サンクチュアリ教会
三代王権天一聖殿教会長:三原
キリスト王権、二代王様御一行は、今、ラスベガスのトランプラリー会場まで祈りの精誠を捧げながら35時間走り続けられました。今、ラスベガスに到着されるころだと思います。
礼拝の後、ともに祈りを捧げたいとおもいます。
プロトエバンゲリオン protoevangelium(原福音)
ほとんどのクリスチャンが知らない、聖書の最初の預言: 文信俊三代王
三代王様が扱っておられましたが、今のこの時代、まさにこの聖句が成就する時ということを、改めて感じました。
プロトエバンゲリオン protoevangelium(原福音)創世記3章15節、
3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に私は敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。
アダムとエバの罪の直後に神がキリストを送ると約束した最初の福音、「原福音」と呼ばれています。
クリスチャン たちはイエス様の十字架によってこの原福音が成就したと思っています。
しかし 皆さんもご存じのように、人類はこの十字架の後も、サタンなすがままに蹂躙され続けられました。
そして今、 ハルマゲドン(アルマゲドン) 、ヨハネの黙示録の時代に私達は生きています。
これは霊界のサタンとの文字通り霊的な戦いです。
サタンに対する敵意を持って、主キリストと共に戦っていく私たちでありたいと思います
神の奇跡が自由よりもっと高い目標になった
It was God alone who prevented the unthinkable from happening.
「考えもつかぬこの出来事を防いだのは、神のみだ。」
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1000m、1秒ごとに1,000m飛んでいく銃弾を避けたという驚くべき役事を通して、
今回トランプ大統領は、「神様が私を生かしてくださった。神様、イエス様が私を生かしてくださった。」継続してこのようにおっしゃったではないですか。
本来MAGAムーブメントは、トランプ大統領の支持者たちは世界的に自由を求めていました。政治的自由の目的としていました。もっとも高い価値観が自由でした。
だからどのようになったかといえば、この暗殺未遂事件の次に、トランプ大統領は、神様に栄光をお返ししたので、今やこの神様の奇跡が、自由よりももっと高い目的になりました。このMAGAムーブメントは奇跡の役事に入ったということです。
今や自由を追求するだけでなく、今や神様を求める、神様のムーブメントになりました。
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神様の奇跡によって、今や自由を追求するだけでなく、今や神様を求める、神様のムーブメントになった。
皆さんは これを信じますか? 私たちは神様は、トランプ大統領を支持しておられるとは知っていました。
しかし「神様が大いなる奇跡を持って導いてくださる」ということまでは信じていなかったのではないでしょうか?
人々は、 神様に目覚めています。クリスチャンたちが、主はトランプと共におられ導いておられると信じるようになりました。
3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に私は敵意を置く。
すなわち、 サタン、 堕落天使たちの思いの通りに動く者たちに敵意を置いて、 審判をしていかれる、
今回のトランプ大統領の奇跡は、神様が「万軍の主」として、主を信じる者たちを導いてくださるということを お父様は見せてくださったのです。
神様の能力、 神様の奇跡を信じ、奮い立ち 立ち上がって行きなさい、ということなのです。
ですから、私たちはこれからヤーウェ-サボオ「万軍の主」と、神様を呼んで戦っていかなければならないのです
ヤーウェサボオ「万軍の主」(イザヤ1:24、詩篇46:7)
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ジョホバジャイラ、ヤーウェジャイラ(YAHWEH-JIREH)、神様は私に100%くださる。
*YAHWEH-JIREH(ヤーウェ-ヤイラ):主は備えてくださる(創世記22:14)
ジョホバニッシ、ヤーウェニッシ(YAHWEH-NISSI)、旗であられる。勝利。
*YAHWEH-NISSI(ヤーウェ-ニシ): 「主はわが旗」(出エジプト記17:15)
ジョホバラッファー、ヤーウェラッファー(YAHWEH-RAPHA)、治癒される神様 *YAHWEH-RAPHA(ヤーウェ-ラファ): 肉体的も霊的にも癒す主(出エジプト記15:26)
これらは聖書に一度だけ出てきます。
一度だけ出てくるのですが、プロテスタントは、ペンテコステ派は、その名前を中心にして、やたらと治癒の牧会をするではないですか。一度しか出てこないのに。
しかし旧約聖書を見たら神様が最も多く出てくる名前は何ですか?ジョホバシャバオット、ヤーウェ-シャバオ(YAHWEH-SABAOTH)。軍師の長。あるいは軍司令官。このような意味です。
*YAHWEH-SABAOTH(ヤーウェ-サボアス):「万軍の主」(イザヤ1:24;詩篇46:7)
この名前が、聖書に285回も出てきます。
その意味は、総司令官の王、神様。とても男性的です。
とても男性的な父を中心とした正体性(アイディンティティ)、キリストの正体性(アイディンティティ)も総司令官の王、武士の王。
しかし武士の王は何故サタンと戦うのか?勝利の為に?パワーの為に?何の為に?
愛!愛の為に戦う。
愛の為に神様の王国を保護され、愛の為に悪なるサタンと戦います。
愛が神様の武士の王の意志。愛が、戦う意思、戦う理由。
神様の最も第一の中心な正体性(アイディンティティ)「愛の王、愛の総司令官」。
2024年9月4日MAGAラリー清平水曜礼拝
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Yahweh Sabaothこの音楽をしばらく聞いてみたいと思います。
ヤーウェサボオ「万軍の主、愛の総司令官」。
本当に力強い、神様の名前です。このお方が奇跡を起こして導いてくださいます。
これからはヤーウェサボオ「万軍の主、愛の総司令官」、そう神様のことを、 イエス様を真のお父様のことを呼びながら、 祈りながら、前進していけば、 必ずや、 トランプ大統領に見せてくださった奇跡を世界に起こし、 私たちにも起こしてくださるでしょう。
後の責任分担は、このことを本当に信じて行動するか、 疑ったまま行動するのか、 これが本当に聖霊の御業を起こす 重要な 信仰になります。
皆さん一緒に呼んでみましょう。ヤーウェサボオ「万軍の主、愛の総司令官」!
もう一つの奇跡、MAGAキングダムアルバム 2位
今はかなり落ちましたが、アマゾンのラップミュージックのジャンルで2位まで行きました。
これも神様の奇跡と言っていいでしょう。
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今は全世界の混乱とマクロコスモス銃弾頭の王トランプ大統領聖書の立場においての王、キリスト教の王を神様が立てられました。
サタン勢力とグローバリスト政治サタン主義、全世界共産主義組織が、トランプ大統領を暗殺しようとしたのですが、
そのような内容を通して聖霊の役事によって、トランプ大統領は生き残って、今も一生懸命一片丹心に走って米国を生かして世界を生かそうとする意思で出て行っています。
それですので、全ての天一国の民とミクロとマクロが一緒に祈祷と精誠が、このような時期に、現場でトランプ大統領を保護するお父様のみ旨と命令によって、
ミクロとマクロ、銃弾王たちが1つになって三代王権とトランプ大統領王家と1つになって、世界サタン主義を退けることができる、
そのような内容になることを、全ての精誠とさらに祈祷を合わせて、神様と真の父母と大きな感謝の拍手を送りながら、御言を終えます。
アーメン、アジュ
一般教書と祝祷 ◆天地人真の父母様天宙完成祝福聖婚式7周年◆ (2024年9月6日)
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ヤーウェサボオ「万軍の主、愛の総司令官」。
皆様、神様の能力、 神様の奇跡を信じ、ともに奮い立ち 、神様を呼んで戦っていきましょう!
主は愛の総司令官、愛の為に戦われ、私達もその愛のために戦って行きます。
ところでその愛とは何なのでしょうか?
私たちはこの愛について 曖昧にしてしまっています。 この愛とは何であるのか?これが明確でなければ 、 奮い立ち 戦っていくことができません。
その愛について次に見ていきます。
真の愛の定義
真の愛とは何でしょうか?
酷くは二性性相の観点から、男女の愛こそが真の愛ではないかと勘違いされている傾向があります。
そのように真の愛が非常に曖昧にされているようなので、見ていきたいと思います。
詳しくはこちらを見てください。
ことば、ロゴスの愛
真の愛、縦的神の愛と真の父母の愛
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皆さんは真の愛の定義を知らなければなりません。真の愛とは神の愛と真の父母が一つとなったものです。これが永遠に変わらないものです。なぜならば神が中心であり、真の父母が実体としているからです。
創立三十周年記念日に際して 1984年5月1日
その真の愛とはいったい何かというと、縦的神の愛と、横的な真の父母の愛を統一することのできる伝統的な因縁を引き継いで、血統を通した生命体を中心として、再び愛の基準を実らせることであり、それが真なる人間の生き方なのです。
韓国は人類の祖国 1989年6月18日ソウル本部教会
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この2つの御言をまとめると
「真の愛の定義は、縦的神の愛と、横的真の父母の愛が一つになったものです。神の縦的愛と真の父母の愛を一つにすることができる愛の基準を、血統を通して生命体を中心として再び実らせる(実現する)愛が真の愛」ということです。
真の愛の基準が、血統を通した生命体を中心としてその実体に現れてこそ、真の愛の体が実現したといえるのです。
物事を実現するためには、基準がなければなりません。
夜の神が天地創造をしようとされたその縦的神の愛の基準は何か、その真の愛の基準は何を中心として設定されたのでしょうか?
「天宙の中心的法則・原理は、父子の関係です。それがすべての出発点です。
そのようにこの宇宙が父子の関係で創造された」
真のお父様1979年4月15日ベルベディア
生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。
神様の血統の中には、真の愛の種が入っていて、真の生命の体が生きています。天聖経
夜の神の愛の基準は、上記の御言のように、父子の関係がその基準であるということです。
この天宙創造の中心である父子の関係を、天地創造の原理の段階で創造されたのではなく、夜の神様の無意識のなかに既に存在していた真の愛の基準が父子の関係であったということです。
この夜の神様の「父子の縦的愛」が真の愛の起源であり、中心なのです。
ですから、縦的な神の愛とは、夜の神様の「父子の縦的愛」のことを言うのです。
真の愛とは、縦的な神の愛と横的な真の父母の愛が一つとなって実ったものが、真の愛です。
夜の神様の「父子の縦的愛」が「横的真の父母の愛」が一つになったものが、真の愛であるということです。
神様は縦的な真の父母であり、アダムとエバは横的な真の父母になっていたことでしょう。そのような二つの父母の血肉を受けて生まれた人間の心は縦的な自分になり、体は横的な自分となって、一心、一体、一念、一和の人生を営むことができたでしょう。
2007年6月13日、韓国の天正宮博物館
夜の神が一なる男性でありながら、その愛は縦的な真の父母の愛であるという理由は、このように父子の関係の愛が、愛と生命と血統の起源であるがゆえだからなのです。
父と子と聖霊の三位一体で見るならば、時間と空間創造以前に夜の神様とともに三位一体としておられた真のお父様(イエス様)は真の母を創造した縦的天の真の父母であり、横的天の父母を創造したということなのです。
一方、真の母とは夜の神様の父子の縦的愛が、この生命より貴く、愛よりも重要な血統を考えて創造された被造物ということなのです。
これがお父様(イエス様)が、夜の神から来て、女性(真の母)は昼の神から来たと言われる理由がここにあるのです。
イエス様にみる真の愛
原理講論は「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない」(ロマ一・20)
から性相と形状、その属性である陽陰の二性性相の神を解きました。
それでは、神様の真の愛は、何を見れば明らかに認めることができるのでしょうか?
ヨハネによる福音書 14:9-11
イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
この聖句はイエス様が夜の神様から来られたという聖句です。
つまり、わたし達は夜の神様から来られたイエス様の愛に、夜の神様の真の愛を見出すことが出来るということなのです。
イエス様の生涯はまさにこの真の愛に絶対服従する生涯路程でした。
イエス様が従われた真の愛とはどのような愛でしょうか?
愛の交差する中心を決める最初の因縁、父子関係
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神様と人間が父子の関係だといいましたが、父子の関係がもつ特定の内容が何か? 父と息子が出会える最高の場所は、愛が交差するその中心、生命が交差するその中心、理想が交差するその中心です。そのようになれば、愛と生命と理想は一つの位地にあります。その位地に行けば神様も愛であり、私も愛であり、神様も生命であり、私も生命であり、神様も理想であり、私も理想です。それを決定し得る最初の因縁が、父子関係です。(69-78)
天聖教57p
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愛と生命と理想が交差するその中心を決定する最初の因縁が父子関係なのです。
つまり愛と生命と理想の中心を決める前に存在し、その中心を決めるのですから夜の神様の位相にすでに存在したのが父子関係であるということです。
つまり真の愛とは父子の関係を中心核とするということです。
真の愛の完成実体は、四大心情圏三大王権として現れますが、その愛と生命と理想が寸分違わず90°、直角に交差するようにする最初の因縁となる真の愛の縦的中心核が父子関係なのです。
ですから真の愛の縦的中心核は、「父子関係の縦的愛」であり、真の愛の夜の神様の無意識の基準からの最初の因縁愛が「父子関係の縦的愛」なのです。
ですから、真の愛とは何か?という問いに、極端的に言うならば「父子関係の愛です。」「その父子関係の愛を核として四大心情圏からなる真の愛を実体的に完成することが神様の真の愛の創造理想です。」ということになります。
このように真の愛とは、実現は極めて難しいにしても、言葉で表せば非常にシンプルなのです。
「真の愛とは、父子関係の愛を核とした四大心情圏の愛です」、実にシンプルです。
真の愛に絶対服従する愛は、男性的主体的真の愛
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愛でも明確に感覚の愛、ロマンスの愛ではなく、犠牲の愛、それは真の愛の中心。
現代の人が理解できるように、犠牲的な愛は真の愛の根。
ロマンスの愛、エロスの愛、兄弟の愛ではない、犠牲的な愛。父が息子娘の為に犠牲になる血!血!
流される血。だから宝血と言うではないか。
ただの感覚ではない。お父様が子女の為に流された感覚ではない。血!血!血!
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イエス様の十字架の犠牲の愛は父子関係の血の犠牲の愛でした。
イエス様の十字架の愛は、この縦的父子の愛、アガペーの愛に絶対服従した子の父への真の愛でした。
イエス様が、血統を残すために体を持たれたように、絶対性愛を持っておられました。しかし、この十字架上のイエス様の愛は、そのようなエロスの愛は微塵も無い、絶対父子の愛を貫く絶対縦的アガペーの愛でした。十字架に磔になったイエス様の愛は天のお父様を思う絶対縦的父子の愛だったのです。
人々は真の愛に従順屈服する愛を、対象の愛、女性的愛と考えます。
しかし実際の真の愛に従順屈服する愛は極めて男性的主体的強い愛です。
イエス様がトゲが付いた鞭で何十回も鞭打たれ、皮膚が肉が飛び散り、イバラの王冠で血を流し、両手両足を太い釘で貫かれ、十字架に磔られ嘲笑されても、それでもこの父子関係の縦的真の愛に従順屈服し、そのようにむち打ち突き刺す者を愛されました。
このような真の愛に従順屈服する愛を、対象の愛、女性的愛であるとは言えません。
極めて男性的な父の愛なのです。それが父子関係の愛だということなのです。
愛は愛ではない。愛は感覚ではない
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ところで、愛は何ですか?愛は?最近、現代に異邦神、異邦神の女神がサタン主義の内容がすごく強くて、「愛は愛だ」、このように言うではないですか、あいつらは。特に同性愛の詐欺師たちは。
あいつらは、「 Love Is Love」というが、これは完全に、児童性暴行者達を合法化させるのだ。あいつらは、子供たちを愛していると言いますね。しかしあいつらは、子供たちを性暴行しようと。
どうして愛は愛ではないのか。
愛は愛ではない。聖書の言葉では、神様が愛です。神様が愛で、愛は、女性的な愛ではありません。神様の愛は何ですか?父親の愛です。父親。強い父親の愛。
子供を生かすために死ぬことができる。イエス様が流された血。お父様が流された血。父親の愛、父親の愛。
だから、コリント人への第一の手紙13章に出てくるこの部分において、愛、がたくさん出てきます。しかし愛という単語自体が、この単語をあいつらは変えたのです。愛を感覚に。
愛は感覚ではありません。父親の犠牲の血を流して、私を生かそうとする愛。それが愛です。それがアガペーです。ヘブライ語でアガペー。アガペー、アガポンと行ってみなさい。アガポン。アガペー。
だからその愛は、ただの愛ではなく、感覚ではなく、父の血を流す武士の救援的なパワーの愛。それが愛です。
御父様の愛、トランプラリー始動 ◆2023年7月26日テネシー清平水曜礼拝
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「愛は感覚ではありません。父親の犠牲の血を流して、私を生かそうとする愛」。
この御言のように、愛は愛ではありません。愛は感覚でもありません。
しかし、「愛は愛である、その愛の感覚が大切。その感覚こそが神の愛」とする、お父様が、二代王様が異端神、サタン主義文化として批判排斥される、そのような異邦神の女神がキリスト教会にさえも掌握し世間を支配し闊歩しています。
この十字架に表された愛が絶対的男性の父母の愛、縦的父子関係の愛、アガペーの愛なのであり、ここに女性を対象として思うエロスの愛は微塵もありません。感性でも感覚でもありません。
同様に夜の神様の、真の愛のコンセプトに、女性を対象とした愛は無いことが分かるのです。
夜の神様から来られたイエス様の愛が、このような絶対絶望の死の極地にあっても父子関係の愛に従順屈服したい極めて強い男性的父の真の父母の愛ですから、
イエス様の父である夜の神様の愛も同じように、
このような愛、つまり絶対絶望の死の極地にあっても父子関係の愛に従順屈服したい極めて強い男性的父の真の父母の愛の、夜の神様という結論が導き出せるのです。
「愛は感覚ではありません。父親の犠牲の血を流して、私を生かそうとする愛」。
人類を導かれた神様は血の涙を流していかれました。血の涙を流しながら真の愛に従順屈服しながら人類を導いてこられました。
その血の涙の、愛したいという対象は父子の関係でした。
イエス様が十字架で、この父子関係の真の愛に絶対服従されるときの夜の神様のご心情はどれほどの痛みと悲しみであったでしょうか。
しかし夜の神様を全人類を愛するがゆえに、この父子関係の真の愛に絶対服従していかれたのです。
このように真の愛に従順屈服したい愛は極めて強い父の男性性相の心情動機の中核なのです。
その外的愛として流れる愛が「愛と生命と血統」であるので、神様を縦的真の父母なのです。
アダムとエバが男女の関係を結び喜ぶ時、神様は人に与えた、そのようなエロスの愛を感じて喜ぶのではありません。神様にはそのような感性感覚はまったくありません。
夜の神様から始まった、天地創造の縦的真の愛である父子関係の真の愛の目的が達成されることを喜ばれるということであり、愛と生命と血統の天地創造理想の実現するための対象であるという意味でエバは神の妻であるということなのです。神様のエバの関係に性愛は一切ありません。
神様は、そのようなイエス様が示された血の十字架の、縦的父子関係の真の愛に絶対服従し臨在されるのです。
「愛は感覚ではありません。父親の犠牲の血を流して、私を生かそうとする愛」。
ヤーウェサボオ「万軍の主、愛の総司令官」。
愛の総司令官、神様の愛とは、このような「犠牲の血を流して、私を生かそうとする父の愛」です。
プロトエバンゲリオン protoevangelium(原福音)創世記3章15節、
3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に私は敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。
今のこの時は、この聖書の一番最初の聖句が実る時です。
黙示録20章
20:1 わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。
20:2 この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、20:3 底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。
20:4 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。
20:6 彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。
皆様、神様の能力、 神様の奇跡を信じ、ともに奮い立ち 、神様を呼んで戦っていきましょう!
それでは、これから聖霊の祈りの祈祷会を行いたいと思います。
聖霊役事祈祷会
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