2023年7月19日テネシー清平水曜礼拝
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文亨進二代王
イスカリオテのユダに与えられた権限と祝福
0:17 翻訳minion
わあ、新しく祝福を受けた方もここにいますね。拍手しなくては。新しく祝福を受けた。だから1、2カップル・・・。
この方たちは一世の方で、パスカル、パトリシア、OK。この方はフランスの方、この方は古い食口です。しかしパトリシアは、完全に新しい食口。インターネットを通して伝道された方ですが、とても・・・とにかく驚くべき役事を通してきました。そして今回パスカルと祝福を受けて、40日聖別をしています。勝利のために、40日聖別が上手にできるように大きな拍手を。(拍手)
本当に驚きです。インターネットを通して、お父様の聖霊が人々を触って、そして祝福まで受けるようになりました。
さあ、先週私たちは、その部分を見ませんでしたね。時間がなくて。
まず私たちはマタイによる福音書10章を見てみましょう。
昨日若者たちも、武道の訓練をしただろう?お前たちは柔術の訓練をしたか?ついに学んだか?まだ学んでない?早く学ばなければならないね。
さあマタイによる福音書10章1節から始めましょう。韓国の聖書がどのようか見てみましょう。
マタイ10:1そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。
OK、ストップ。
だからここで、弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす、だから病気を治す権能をくださった。主から、イエス様から。弟子たちが何人出てきた?11名ではなく12名。12名ですね。これはイエス様が十字架に掛かってから、死ぬ前ですか?あるいは後ですか?前ですね。
だからそのように12名の弟子が全ていたということです。しかしその12名の弟子の中で、イエス様を売ってしまうやつもいるではないですか。イスカリオテのユダ。そいつもここにいたということです。そいつもここにいます。12名なので。
だから聖書のみ言で、どのように出てきますか?12名に権能と病気を治す権能まで与えるではないですか。見えますね?
さあ、2節から読みましょう。
10:2十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、10:3ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、10:4熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。
ああ・・・。OK。ここにも出てきますね。4節に出てきます。イスカリオテのユダも出てくるではないですか。だから、イスカリオテのユダもここにいたということです。
しかし、主はすでにイスカリオテのユダにものすごい能力を与えられたのです。そうですね?さあ、5節。
10:5イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。10:6むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。10:7行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。10:8病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。
OK。ストップ。8節が見えますね。「病人をいやし、死人をよみがえらせ」死人を蘇らせる、死人をも蘇らせるパワー。わお!OK。
弟子たちが何名だったと言いましたか?11名?12名?ああ、その裏切り者は誰ですか?イスカリオテのユダ。ああ!イスカリオテのユダ。背信者。イスカリオテのユダまで、だから、1節にも出てきますね。8節に明らかに出てきます。病気も治してらい病も、だから大きな病気を治す能力と、病人を治療するのですか?いや、病人を生かして、死んだ者も生かして、わあ!
これが聖書に出てきますね。神様の御言に出てきます、これが。私たちムーニーが作った聖書ではありません。そうですね?ムーニーたちの聖書ではないではないですか。
これはキングジェームズの聖書、NIBの聖書であれ、とにかく、マタイによる福音書10章に、私たちは見ることができますね。11名の弟子。え!?11名?12名の弟子。次にその悪いやつは誰ですか?イスカリオテのユダまでいますか?いませんか?いますね。イスカリオテのユダまでいて、驚くべき能力を与えるではないですか。病気を治して、らい病も治療して、さらに死人を生かす。
これは普通の能力ではありませんね。これは普通の能力ではないではないですか。これは驚くべき権能ではないですか。驚くべき祝福ではないですか。いやあ・・・。イスカリオテのユダに、イスカリオテのユダまで受けたのです。
銀貨30枚で、神からの権能と祝福を売ったユダ
しかし、イスカリオテのユダは、イエス様をその当時のお金、銀貨30シェケルで売ってしまいましたね。こいつは。主は完全に反対のことをされました。主は一緒に役事もされて、権能も与えて、人々の治療もされて、ラザロも死から起き上がって。全て見ました、こいつらは。
それでも、大きなお金でもない。銀貨30シェケル(約銀350g=奴隷一人の値段*)のために主を売った。いやあ・・・。
*出エ21:32牛がもし男奴隷または女奴隷を突くならば、その主人に銀三十シケルを支払わなければならない。
そうしながら、マタイによる福音書27章だったか?とにかく、イスカリオテのユダはどのようになった?死ぬではないか。自殺して。自殺してどのようになった?地獄に行っただろう?
マタイ27:3そのとき、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して 27:4言った、「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。しかし彼らは言った、「それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい」。 27:5そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ。
しかし、マタイによる福音書10章で、イスカリオテのユダはすでに、主の弟子ではないか。主を通して救いを受けた人だ。すでに神様の王国に入っている人だ。どうして?ものすごい権能まで与えるではないか。ものすごい権能。病気の治療、らい病の治療もして、死んだ人を生かして。オーマイゴッド!これは普通のことではない。これは、神様の王国に入っていない人には与えないだろう、これは。そうか?違うか?そうだろう。
これは救いを受けていない人には与えないだろう。このようなパワーは。いやあ・・・。
そうしながら、イスカリオテのユダは、地獄に行くようになる。イエス様が霊界に行かれた時、イスカリオテのユダはイエス様についていくことができたか?地獄に行ったか?地獄に行った。
その時、マタイによる福音書10章で救いも受けて、神様の王国に入って、さらにものすごい権能も受けて、オーマイゴッド・・・。とてつもない奇跡を起こすことができるパワーと能力。死んだものまで生かす。わあ・・・。OK。
原理をご存知の方には大きな問題ではない。皆さんがキリスト教の神学を知らなければ、これがどれほど驚くべき驚くべき驚くべき、びっくりする内容なのか感じることができないでしょう。
イスカリオテのユダに見るキリスト教予定論の矛盾
キリスト教においては、予定論があるので、さらにキリスト教で重要な神学の部分は、一度救いを受けたらその救いのパワーはどんな罪よりも偉大で強いので、一度救いを受けたら永遠に救いを受ける。
だから、その言葉は、イエス様が十字架にかかったことを信じたら、信じることによって自分の過去、現在と未来の罪まで全て消えます。そのように教えます。実体的に教えます。キリスト教の教会に通っていた人たちはそれを知っています。そのように教えます。
しかし、聖書を見たら、・・・イスカリオテのユダは一度救いを受けたではないですか。一般の信徒のように救いを受けたのではなく、主の弟子だった。ものすごい油注ぎも受けて、ものすごい神様の権能まで受けた弟子だった、使徒。オーマイゴッド!わあ!そうですね?どういうことか分かりますね?
だから、キリスト教の神学において、イスカリオテのユダはすでに救いを受けて、そして一般の信徒でもなく、使徒、弟子。とてつもないパワー。主と一緒に牧会をした人。これは完全に、ものすごいパワーのある人です。さらに権能まで、さらに病気の治療、らい病、さらに死んだ人まで。ああ・・・。
そのような人が、救いをどのようにしましたか?失いました。ただの一般の信徒ではありません。この人は完全に弟子、使徒。オーマイゴッド。
使徒パウロよりも実際は使徒ではないですか。使徒パウロは一度もイエス様に実体
で会っていません。聖霊の役事を通して使徒パウロは牧会を始めたではないですか。
だからそのような位置のある人なのに、どうなったのですか?救いを失いました。ああ・・・。OK。
だから原理のわかる人は、「OK。全て分かっている。」と言いますが、キリスト教、伝統的キリスト教の教会に通っていたら、これは絶対的に当然ではありません。OK?I
その人たちは、もし主が私たちを救った次に、私たちが堕落することがあったら、その堕落のパワーが主の救いのパワーよりももっと強いということだ。そのような神学的観点があります。
しかし大きなキリスト教の宗派は、大きな大型教会は、全てこのように信じます。それでは、マタイによる福音書10章1節から8節までを、どのように説明しますか?
一般の信徒でもない。使徒、弟子、ハハ、このようなものすごいパワーを受けた。OK。続けましょう。
マタイによる福音書19章28節。
マタイ19:28イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。
いくつ?いくつの宝座?OK。だから、イエス様の弟子が何名ですか?12名?その12名の中で、誰がいるのですか?イスカリオテのユダ。オッオー、背信者。そうですね?マタイによる福音書19章28節にどのように出てきますか?いくつの宝座ですか?12の宝座。
誰に話をしていますか?今、誰に?弟子たちに話をしています。弟子の中に誰ですか?悪いやつがいますね?イスカリオテのユダ。ああ・・・。
だから、マタイによる福音書10章で見たではないですか。イスカリオテのユダ、背信者、その人は神の王国に入っている人であり、マタイによる福音書10章でさっき見たところでは。そうしながらその人は、ものすごい権威をもっていて、病気を治療、らい病の治療、死んだ人を生かす。
次に、マタイによる福音書19章にどのように出てきますか?ワァ!それだけではなく、宝座にまであります、こいつに。12の宝座。1つは、誰のものですか?イスカリオテのユダ。Oh my God! ああ・・・。
だから、神様の宝座にまであります、こいつに。準備されたということです。アイゴ
だから、キリスト教の信仰において、一度救いを受けたら永遠に救いを受ける。その思想が正しいのなら、イスカリオテのユダ、イエス様を売っても、地獄に行っても、天の宝座に座っているということです。違いますね。話にならない。聖書では違うように言っています。ああ、OK。
ルカによる福音書10章。ルカによる福音書10章に、イエス様は70名を訓練させながら、伝道の訓練をさせています。そうしながら私たちは、10章17節、17節から20節まで読んでみましょう。
ルカ10:17七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。10:18彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。10:19わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。10:20しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。
何ですか?自分の名前まで天に記録されている。この70名ですね。12名とプラスアルファ58名。そうですね?70名を送られたのですが、そこにイスカリオテのユダが入っていますか?あっあ、イスカリオテのユダが入っています。
だから、マタイによる福音書10章で見ましたね。病気を治療して、らい病を治療して、死んだものまで生かすことができる権能。次にマタイによる福音書19章を見たら、この人は、天の宝座まであります。イスラエルの十二支派を審判する判事の天の権能まであるのです!Oh my God!
プラスアルファ、ルカによる福音書10章17節から20節、特に20節では、ワワ、自分の名前が天に記録されているというのです。見えますね?病気を治療する驚くべき権能、死んだものを生かすパワー。
天の判事、イスラエル、神様が選ばれた民族、イスラエルを審判することができる12の宝座。ウワ!、、、オッオー
さらにルカによる福音書10章で、何が出てきますか?自分の名前、誰の名前?12名、70名、58名、12名の弟子の中でどんな名前が書かれている?イスカリオテのユダ。え?それも天に記録されているそうだ、今。
未だ、未だイスカリオテのユダは主を背信していませんね。そうですね。イエス様はまだ生きていらっしゃるので。
しかし、もしキリスト教の神学が正しければ、一度救いを受けたら永遠に受ける。その位置とそのパワーと権能と自分の地位、全て変わることがなければ、変わることがなければ、それではイスカリオテのユダはどうして地獄に行くのだ?そうですか?違いますか?
一度救いを受けたら、永遠に救いを受けなければならないではないですか。この予定論とキリスト教の神学を通して。
しかし聖書を見たら反対です、反対。イスカリオテのユダは自由意志で、自分が主を背信、売ってしまったではないですか。その自由意志で救いを、他の権能と能力、死んだ人を生かす、病気を治すなどなど、名前が天に刻まれるなど、天の宝座、これは全てなくなったではないですか。全てなくなりました。
天に刻まれた名前、そこから削除された名前
どうして?自由意志。原理では5%の責任分担。
神様は、主は、お父様も、韓鶴子バビロンの淫婦、お父様が生きていらっしゃる時、この秘密を全て隠したではないですか。自分が神様だと信じて、自分がメシアだと、全て隠したではないですか。
しかしお父様は、良いことをおっしゃったではないですか。40年の間。
イエス様もイスカリオテのユダに対して良い御言葉だけでなく、ものすごい権能まで与えたではないですか。位置、天の宝座、天に名前まで刻んで、病気、死人まで生かす。とにかく、とてつもないものを。全て削除されたではないか。どうして?その人の自由意志。
サタンを選択したら、神様の祝福はどうなりますか?再び持っていくでしょう。その人は決定したから。サタンに侍ると。ああ・・・。
だから原理を知っている人に、ムーニーたち、統一教徒にとってはこれは大きな驚きではない。しかしキリスト教徒の予定論と、この神学の部分において、一度救いを受けたら永遠に救いを受ける。これを完全に破壊するものだ。
私たちは主を信じて、主に従う責任があるというのです。従う。主の命令を行動する責任。それは5%の責任分担に入っているではないですか。いやあ・・・。
だから一般のキリスト教徒たちも牧師たちも、この句節が分かりません。そうですか?違いますか?読みながら理解することができません。読みながら通り過ぎていくのです。この聖句、マタイによる福音書10章。いやあ・・・。ものすごい権能。死んだ者まで生かすことができる驚くべき天のパワー。なくなりました。
マタイによる福音書19章の12の宝座、イスラエル民族を審判することができる権能、判事の能力、バイバイ、なくなりました。
ルカによる福音書10章20節で、名前が天に刻まれている、それもなくなりました。ああ、これは責任分担。
さあ、詩篇69篇27節。一度見てみましょう。
詩69:27彼らに、罰に罰を加え、
あなたの赦免にあずからせないでください。
69:28彼らをいのちの書から消し去って、
義人のうちに記録されることのないように
してください。
削除されたということですね。生命の書から消し去った役事が出てきますね。削除。ですね?どのように削除?予定論を通してではなく、自由意志。
ヨハネの黙示録3章5節を見てみましょう。
黙3:5勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
5節に出てきますね。命の書から決して消すようなことをしない。
しかし、誰に対して?勝利を得る者。ただ誰にでも与えるものではありません。勝つもの。何に勝つ者?サタンの誘惑、自分の堕落性に勝つ者。そうですね?ここで、サタンに勝つ者。そうですね、勝つ者。
イスカリオテのユダが勝ちましたか?負けました。詩篇69編28編に出てきますね。名前まで削除。ああ・・・。
十字架の血によって全て平和になったのか?
さあ、コロサイ人への手紙1章13節から始めましょう。13節から20節まで。
コロサイ1:13神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。1:14わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。
この息子は誰ですか?主。主ですね。キリスト。続けて
1:15御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。
見えない何ですか?かたち、形状、だから、原理の御言の形状、これは全て聖書に出てきます。聖書に言語、単語として全て出てきます。
1:16万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
全ての創造物と宇宙、そして何ですか?天使たち、権勢、さらに万物は、これらいっさいのものは、御子によって造られた。OK。
全ての内容、だから見えない内容も、見える内容も、その言葉は霊界ということです。霊界。
OK、17節。
コロサイ1:17彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。1:18そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。1:19神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、1:20そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。
万物よりも先におられ、OK。
OK、ストップ。
20節に見ることができますね。16節で、全ての万物、見えるもの見えないもの、全て創られたではないですか。
次に、20節でどのように言われますか?
この十字架の道を通しながら、全てのものが再び平和になったではないですか。そうですね?
それでは、この聖書は、使徒パウロが2000年前に書いています。そうですね?16節で、さっき見ましたね。16節で、主が全てのものを想像されたということです。天と地、見えない霊界、見える権勢。天使たち、全て。そうですね?
次に20節で、十字架の血によって平和をつくり、万物、全てのものを。
16節で全てのものを創造されたとありますね。見えない世界、見える世界、天使の世界まであるということですね。天使の中で悪いものが1ついますか?誰ですか?ルーシェル。
そしてルーシェルに従って背信した3分の1の奴らもいますね。その悪い奴らが。
奴らは神様がルーシェルまで創造されたということは知っていますね。16節でそのように書いてありますね。
コロサイ人への手紙20節でどのように出てきますか?この全ての万物。16節に出てくる全ての万物は、天使の世界まで全てあるということです。全て平和に作ったとあります。2000年前に、使徒パウロがそれを書いた時に。
しかし、これを書いている時、サタンが行ったり来たりしていましたか?クリスチャンたちを殺していましたか?200年間クリスチャンを継続して殺したではないですか。ネロを通しながら。
しかし全ての万物は、平和を受けたと言いますね?そうですね?十字架の血によって全ての万物を治療して全てのことを解決したとここで言っているではないですか。
それではどうして未だにサタンは活動しているのですか?理解できますね?
これは予定論では話になりません。全てのことが終わったのなら、全て終わったということでしょ?どうして未だに暴れているのですか?こいつらは。どうして継続して信じる人たちを殺しているのですか?そうですね?
どうして?ルーシェルは悔い改めないから。悔い改めないではないですか。堕落した人間を使って、自分の霊肉の軍部隊を作って、悔い改めていないではないですか。
しかし、御言を見たら、全ての万物、天使、全ての権勢などなど全て、平和を作ったとこのように言います。
この聖句は、一般のキリスト教徒たちは説明できません。世界で最も有名なイスラムと戦うキリスト教弁証論者のサム・ハムーン、その人もこの聖句を見ながら、・・・もともとはカルヴァンの予定論者でした。しかしこの聖句を継続して、この聖句を通して自由意志を信じるようになりました、その人は。
私たちは、その人の立場からは異端です。それでもとりあえず、自由意志は同意するでしょう、私たちと。自由意志は。
だから原理をいつも聞く人には、これは、アイゴ、なにが特別だ。・・・いや、キリスト教においてものすごく大きなことだ、これは。ものすごく、ものすごく。だから根っこの神学だ。ものすごく大きな問題だ、これは。
だから原理の立場において、自由意志を通して堕落した。エヴァがルーシェルによって堕落し、アダムも堕落した。これは神様が予定されたことではない。どうして?
予定論において結論は何だ?全てのことを予定される。人々の未来、考え、行動、児童性売買者達が子供を性暴行することまで全て、神様が全て予定される神学だ、予定論は。
予定論は、「私たちが理解することができない、そのような部分のために、神様はこのようなとてつもない悪とそのような内容を作られたのです。」と。
しかし原理においては、自由意志、人間の責任分担、人間の責任分担。
だからこのような内容を通して、キリスト教徒はこれを見て、私たちは主の救いを受けたら、主がくださる救いだけでなく、権勢だけでなく、位置、地位をもと言いますね。
このようなことは全て一番重要な部分ではありませんね。最も重要な部分は、主との関係ではないですか。関係。そうですね?愛の関係。主を愛すること、これが重要です。
イエス様は直接予定論を否定された
だから、予定論のような場合は、このような内容は見ません。聖書に出てくること、聖書だけではなく、イエス様の口から出てくる赤色の部分(主の直接の言葉)、マタイによる福音書10章、19章、ルカによる福音書10章、このようなことはイエス様の口から出てくるではないですか。
使徒パウロの口から出てきたのではなく、これはイエス様の赤い言葉ではないですか。
このような部分を通して、キリスト教徒たちは、ああ、自由意志はとても重要だ、この責任。「一度救われたら、イエスキリストを信じます。救いを・・・。」このような感情的な部分だけでなく、その後にもサタンが来て誘惑した時、堕落したらいけません。そうですね?
このような責任性。「あなたの過去、あなたの現在、あなたの未来は全て清算されました。主の驚くべき十字架の血によって。主の驚くべき聖なる血、宝血によって、今あなたが何をしても主の救いを受けます。」このように言うではないですか。これは人にとって聞くのにとても良い内容ですが、完全に無責任な内容です。
そして、聖書を見たら、赤い文字、赤い文字を見ましたね。マタイによる福音書10章、ルカによる福音書10章、それは赤い文字です。赤い文字を見たら、反対です、反対。イスカリオテのユダは、一般の、韓国の純福教に通う信者、その次元ではありません。使途パウロ以上の使徒でした。弟子。直接イエスキリストを信じて侍った信者。そうですね?直接イエスキリストに。
しかし全て失いました。自由意志で。
だから、家庭詐欺連合のやつらも、韓鶴子バビロンの淫婦の堕落に従うとき、どのようになりました?イスカリオテのユダのように、全て失いました。自分の位置、自分の権能、約束、全てなくなりました。
聖書を知らないから。原理を信じないから。その狂った神学、狂った韓鶴子バビロンの淫婦の、自分は神様だと信じていったではないか。お金、お金をもらうために。お金と地位とパワーによって失った。異端似非宗教。
真理ではなく、主ではなく。このようになります。イスカリオテのユダのように自分の全てのものを失います。
家庭連合信徒は全ての祝福を失った
だからそいつらが悔い改めてお父様の権威圏に戻ってきた時は、1世として戻ってきます。一世として来なければなりません。36家庭であるならば、その位置とそのようなものは全て削除。
どうして?イスカリオテのユダのように、ものすごい祝福を全て受けたのに、マタイによる福音書10章19節、ルカによる福音書10章のように。とてつもない、宝座まで、名前が天に刻まれるのと同じように。死んだ者を生かす権能、全て削除されました。
どうして?その生き方の決定権に従って。神様は公平でいらっしゃいます。公平な神様。お金とパワーと位置を追求したら、それらは神様、主との愛の関係よりも大きかれば、それは、主は「お前はそのようなものが好きなのだな。それではそのようなものを持っていくが、主が約束した関係、部分はなくなる。イスカリオテのユダのように。」と。
その言葉は何だ?私たちには責任があるということだ。責任が。聖書の言葉の判断力。判断力があります。善と悪を判断することができる才能があるということです。聖霊が入っていたら、善と悪を判断することができるということです。聖霊が入っていなければ、判断ができません。ただ、自分の友達、自分の先輩、皆そのようにするのに、このように。
ナチもそうだ。すべてのユダヤ人は悪いと、ユダヤ人を殺しただろう。このようになってしまったではないか。全て同じだ。
だから聖書を見たら、このような内容が全て出てくる。ルカによる福音書10章20節で、名前まで祝福されたとこのように出てきますね。詩篇69篇でも、見ることができますね。それは、削除されます。
勝ったものだけ、ヨハネの黙示録3章5節、勝利したものだけ、その人たちの名前だけが削除されません。
その言葉は何ですか?予定論ではありません。これは、自由意志。責任。責任があるということだ。責任があるので、その言葉は何ですか?人間は、神様は人間にパワーを与えられたということです。パワーを。
だから私たちの人生において、どのように選択するかによって、人生が全く違います。どのような選択をするかによって。
その言葉は、一度失敗したら、永遠に失敗!?。いいえ違います。一度失敗したら神様に悔い改めて、次に再び失敗をしないで、一生懸命訓練して、そうすれば人生が完全に再び回復されて、再び人生を真っ直ぐに立て直すことができるではないですか。
麻薬中毒であれ、セックス中毒であれ、ポルノ中毒であれ、関係なく。アルコール中毒も。その部分を抜くことができれば、人生がまったく違ってきます。継続してその内容を継続して自由意志で貫くことができれば。人生はこちら側(真っ直ぐな方)に行きます。違いますか?そうですね?
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