7月21日聖日礼拝では、クック牧師が「エリコ城を7周回したようにしなさい」という啓示を受け、「한학자(韓鶴子)」と書かれたマットを食口が教会を7周回踏むという儀式がありました。(詳しくは映像をご覧下さい。)
7月22日、月曜のキングスリポートそれに関する説教です。
The King's Report 07/22(月)2019
チャット通訳:英韓ヨナ王妃、韓日Yuko Morita 監修fanclub
キングスレポートへようこそ。
今日は少し曇りで夜には雨が降る予定です。
今日の聖書リマはコリント第一6章です。
2 それとも、聖徒は世をさばくものであることを、あなたがたは知らないのか。そして、世があなたがたによってさばかれるべきであるのに、きわめて小さい事件でもさばく力がないのか。
3 あなたがたは知らないのか、わたしたちは御使をさえさばく者である。ましてこの世の事件などは、いうまでもないではないか。
昨日は私が夜明けの1時まで韓国讃賛美チームと話をしなければならなかったのです。
昨日礼拝であった儀式に関連して説明が必要だという考えになったからです。 若い人たちは生きながら人の顔色と彼らがどのように考えるかを先に考えます 。
摂理的に考えられないのです。 私たちのコミュニティが神様のみ言を中心にどのように立っており、どこに行くのかみ言を求め摂理を考えることが難しいのです。 昨日はクック牧師が説教を下さったんですけが、 牧師が祈りで"韓鶴子"という名前をエリコ城が7回を回れば崩壊するように、同じようにすること(啓示)を受けられたのでそれをしました。
特にその名前が韓国語で書かれていたため、当コミュニティの中で韓国人が心を痛めました。
社会的に見ればクック牧師が私たちに提案してしたことは韓国ニュースに出ている事件です。 文牧師が自分の母の名前を公で踏んだ。ということです。
私は昨日の明け方に集まった2世たちに
「君たちは全世界の聖殿コミュニティから二代王様によく仕えているという褒め言葉という褒め言葉は全て受けて恩恵を受けている立場ではないのか?
君たちは恩恵がある時は2代王様に仕えていると言い、人々が君たちに感謝を表明するのを受けておいて、2代王が十字架にかかった時は私の友達が何を言うかそれがあまりにも心配になって 口では私は2代王様に向けて死ぬこともあると言いながら昨日のような全く期待しなかった儀式があった時は、自分の立場と周辺の目を気にしながら、2代王を十字架に一人でかかるようにした。」と話ました。
「友人たちが考えることが一緒に最後まで戦場で立って戦うことよりもっと重要だと考えるのか?」と言いました。
「恩恵になるときは一緒に立ち、恩恵がない時にはすっと抜けるその行動をあなたたちの子どもが見た時どう思うか」と反問しました。
今回クック牧師は私にもエリコ城の行進をすると言って私もそうだというふうに思っていました。 ところが、聖殿の40代のグループはこのような期待もしなかった行進があった時その人々は誰よりもリードしました。
自分たちが若い時は教会がこれほど分裂しなかったのに、その時は本当に良かったのに、今の教会は何たるざまだと言って教会のせいにしています。 私は私の人生をすべて犠牲にしましたが真の子女が今ずっと喧嘩しているので私は教会に行かないと言います。
(すみません。 生放送が急に切れました。)
教会のせいや自分のせいにはしませんでした。 自分たちも教会で働きながら褒め言葉を聞き、恩賜金をもらっていないんですか!
今の状況を摂理的に考えず、真お父様をメシアと見る観点がありません。
真のお父様が人生の中でサタンとの戦いをされ、韓氏オモニが自分の血統がメシアの血統よりもっと高いと言う時、それは神聖冒涜だという事実を知りません。
真のお父様がいつも血統と血統と言われ血統を強調されましたが、恩恵のある時は来て、自分の利益にならない時は自分の身辺や周りの目を考えながら抜けます。
「これは私の道徳的な観念では考えられないことです」と正当化しながらです。
私たちがそのまま韓氏オモニを許して私たちが若い時に教会がとても良かった時に帰ったら良いのにと言います。しかし、20代の時に教会が良かったと思っていますがそれは事実ではありません。
その時はただ責任がなかった時です。 ただ幼かったのです。何が善か何が悪か分からなかった時です。 私は絶対に私の20代に戻りたくないです。 なぜなら私はあの時善と悪を見分ける目がなかったからです。
私は天一国の2代王であり、天一国反逆罪を犯した韓氏オモニをそのまま法廷の判断なしに、 韓氏オモニの罪が全くないようにみなすことができないということです。
私は現在、教会の中年の韓国の方々を見ると自分が韓国人だという事実に真のお父様をもっと深く理解しているというオーラを自分で作っていますが、結局することは善と悪を分別しなければならない時にそれが怖くて隠れてしまうようなものです。
こんなにも期待していなかった儀式があった時、私は文化的にそんな事ができないと言って隠れてしまいます。 外国人は文化的な敏感な事情が理解できないと言い訳します。
自分で善と悪をわきまえることができないということを知らなかったのです。
三代王権を保護して守っているかのように装って、その名前を売りながら 他の聖殿食口から全ての称賛と感謝を受け、大変な状況がくれば、あ、私は忙しいことがあって、と逃げてしまいます。それはとても怖がりの姿です。
私は本当にクック牧師がこのような儀式をなさるのを知りませんでした。 全く予想していない状況でした。
エリコ城の行進に対して自分で正当化しながら参加しなかったため、もう君たちはそのエリコ城の行進をした他の聖殿食口たちに「君たちは目が見えない信仰を持っている(盲目の信仰だ)」と審判しなければ自分のメンツが立たない状況になるのです。
「私は三代王権のために死を覚悟しました」と言った時、その時の覚悟は恩恵を受ける時にそれを正当化するために言った言葉だったのですか?
自分の子供がこれを見ているという考えをしてみることが出来なかったのですか?
韓国人が韓国語を話すので、真のお父様のことをもっと理解してくれるという幻想をある韓国人が持っていたようですが、それは事実ではありません。 韓国の文化の左派の中で自分が成長しその影響を受けながら生きてきたことを忘却しているのです。 そうして私が十字架にかかった時には自分に不便な状況なので自分を正当化して横に隠れます。
幼い十代の子どもたちも何が何なのかよくわからなかったのですがその行進に参加しました。そのことを目くらの信仰と言うのでしょう。しかしそれは目くらの信仰ではありません。彼らは2代王様の判断を信じ、2代王様ができれば私もできると私の判断を信頼したのです。 このように今回のエリコ城行進のテストで出たのは、人々の心中がどこにあるのかすべてがあふれ出たものです。
自分の言葉と行動が正反対であることが暴露されたのです。
今、朴珍憲(チンホン)氏、顕進兄さん、孝進兄さんに同じ20代をすごして培われた世代を見ると、ご子女様のために 、自分の生命を捧げた、私の青春を捧げたと言うのですが、 結局、自分の称賛と自分の利益のためにした部分が多かったという事実を認めません。 自分の信仰が足りなかったと思えません。
三代王権に向けて戦場で一緒に戦って生命を捧げて一緒に進みますと言った人たちは、難しい状況に来たら私をそのまま死地に置いて離れるのは本当に気持ちが離れることです。
そうした事があった後でも私が間違っていたと認め「私が当時驚いて瞬間勇気がなかった」と悔い改めるのを選ばず、自分を正当化することに忙しいのです。「私が出なかったのは2代王様のために出なかったのだ」と言うのです。自分が出なかった理由は自分の体面と人の目を守るためだったというのが真実です。これはとてもレベルの低い行動です。このような愚かな自分の正当化は実は自分が偽物だという事実を暴露することです。
たくさんよくなって発展しましたが、まだ幼い頃学んだ文化左派の影響を脱ぐことができず、天使から受けた教育をそのままつかんでいようとしています。 むしろ20代はその行進に参加して同じ道を歩んでいたのですが、中年の2世達は自分の体面と注目を守るのに忙しかったのです。 私が客観的に考えてみるとその方がもっとよくなったのか?そうです。 過去に比べればかなりよくなりました。
しかし未だに文化左派の考えと人間的な考えが先走るので根を抜き取らなければなりません。すべてが2代王様のためだと正当化することを止めなければなりません。 2代王様のために行進に参加せず、臆病のように振舞ったと言うのです!! 摂理的に見る目がないし真のお父様が歩かなければならなかった道に対する理解がありません。
今も天使たちの文化中で奴隷のように生きています。 荒野に来て聖殿の韓国のシ食口が良く育ったのか?"。 そうです。とても育ちました。それは私も認めます。 しかしこのようなことがある時、自分が過ちを犯した時はきれいに認め、自分を正直に眺めながら悔い改めなければならないのではないでしょうか!
「あ、2代王様がされるのならば理由があることだ」という信頼を見せることはできなかったのですか?
ある韓国の人たちは自分の言葉と行動が一緒でなければ、自分に対する信頼と評判が崩れるという簡単な基本的なことを知らないのですか! 私が直接出て「一緒に行進しよう」とまで言ったのになぜそれを正当化していますか!
韓氏オモニが自分の名前が真のお父様より高いと言っている状況で今何をしているのですか!
私も人々が成長することができるという事実は理解します。
人間は成長できますが、今、現実にその人に表と裏があるこを認めなければなりません。 戦いがあったとき逃げておいて、おまえはどこに行っにていたの?"と聞いたとき「あ、私はおまえたちのためにクローゼットに隠れていた」と言えば、誰がそれを信じるのでしょうか!
間違ったことがあれば悔い改めて謝って直せばいいのです。 それは成熟した人の姿です。
「私が弱くて弱虫みたいに振舞いました。 私も神様の恩恵が必要な人です。」 と言ったなら私も問題がなかったのです。
しかし、最後まで私はこれを2代王様のためにしたという形の自己正当化は絶対に正義ではなく、成熟した人の行動のパターンではありません。 自分が間違っていたり自分が弱かったりしたら謝って二度とそうはしません。
私の行動を正当化せず、エリコ城行進をした他の人たちを裁くことはしません。 今回のことを通じて神様が私をもっと成熟させ、私が分からなかった私の未成熟な部分を育ててくれようとした事実が分かるようになりました。と言えるのではないですか!
しかしそうしないで、私がしなかったことを自分の体面を傷つけずにどう正当化できるかを考えるならばそれは間違っているのではありませんか!
どんな人たちも完璧な人はいません。 それは私も理解します。しかしそれを選ばない姿は絶望的です。
自分のレベルが完全に暴露されたのにこれをどう正当化し知らん振りできるかと考えるのは間違いです。 自分が間違っていると認め、自分が周りの圧迫と目を先に集中したという事実を悔い改めなければいけないのです。 今日の夜明けまでこんな話をしました。 だから私が今ちょっと敏感なのかもしれません。 私が鋭敏に話した部分があったら謝罪します。
この事件は私に傷になる事でした。
すべての称賛と感謝を受けながら、大変な試験が来た時に2代王様のためにするという正当化は私には傷になります。
私たちが賛美チームとして賛美する理由は神様が中心になって私たちの暮らしが神様の栄光になるようにするためではないでしょうか!
「こんな状況で成熟した判断をしなければならないのに今回私の弱い心で失敗しました。次からはそんなことがないようにします。」と言うのが成熟した人です。 自分が間違っていたらそれを認めて変えればいいのです。
私がこんなことまで調整してあげなければならないということは非常に残念なことです。
自分がそれを正直に認めて「私がその状況で判断を誤った」と言うなら、私はそれはそうだと思うと思います。
成熟した文化が天一国で形成されることを願っています。 間違いがあったなら「申し訳ありません。 私が未成熟でした」と言うのが成熟した人の姿です。
これが今繰り返しのパターンだという事実が残念です。 もちろん人間だから自分の古い習慣がずっと繰り返されて出てくるのは知っています。
「私が2代王様のためにした」という具合の長い言い訳の口実は、昔のように使われることはできないはずです。 自分が洋服ダンスに逃げて隠れていたら自分が弱かったという事実を認めなければなりません。 またそのような人が指導者の席に立ってはならないのです。 指導者も人です。 だからミスがあるかも知れません。
しかし自分を正当化し自分自身に嘘をついてはいけません。「申し訳ありません」と言って自分を向上させようとしなければなりません。
それをどうしてまだ判断ができませんか!
「自分がその状況で早く判断ができなくて未成熟に判断をしてしまい、私がこんなことを言っても完全に信じることができないかも知れないのですが、私が未成熟でした。 申し訳ありません。」と言える時、その人がもっと賢明であり、神様が愛することができる人です。
今回エリコ城の行進で自分の心が弱くて韓氏オモニの血統と自分の分別をすることが心的に大変だった方がいらっしゃったらその方のためにまた祈りを集めます。
本日、訓読会の話が長くなったことについてお詫び致します。
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