2019年6月21日金曜日

エズラとエルサレム再建<全文> 2019年 6月16日 英語説教:文亨進二代王



「エズラとエルサレム再建」


2019年 6月16日 英語説教文亨進二代王

<全文>

サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載です。字幕化は2nd Israelさん。

いつもありがとうございます。注:カラー太文字写真挿入はファンクラブ


2019年6月16日英語説教文亨進二代王

翻訳:BANBOOS

今日のみ言に行きましょう。エズラ記5章です。背景を少し話します。神様がこのみ言をくださったのはすごいことです。

これはこの時代の3人の主要な預言者に関するものです。バビロン捕囚時代のことです。エルサレムでは人々が帰還する中で3人の人たちが働いていました。彼らは追放されていたのです。ネブカドネザルはユダヤ人をエルサレムから連れ出し、神殿にあった黄金やつぼなど全てのものを奪い、サタンの神殿に置きます。
エレミヤが預言していたように人々は70年間追放されていました。ネブカドネザルが死に、次の王、キュロス(大王)(訳注:口語訳聖書では「クロス」、英語では「サイラス」と発音)が統治します。その時キュロスは帰還を許すのです。

これが基本的な話の背景です。人々が帰還する中でのことです。どこからかと言えば・・・バビロンに足止めされていました。ペルシャに足止めされていました。キュロスは聖書でメシアとして書かれています。ユダヤ人を救ったからです。ペルシャ――バビロンでの捕囚から解放し、故郷とエルサレムに帰ることを許してくれました。しかし言うまでもなく、神殿は破壊され、ネブカドネザルが来た時にみんな殺されました。

そこでゼルバベルという預言者が神殿を建てようとし始めます。エズラはトーラーの学者のような人で、彼もバビロンから帰ってきたユダヤ人です。彼はエルサレムに帰り、トーラーや聖書の他の部分を教え始めます。そしてユダヤ人のコミュニティを集め始めます。とても重要な人物であり、言うまでもなくネヘミヤは何を作り始めるでしょうか――壁を作り始めます。

ゼルバベルは神殿を建て始め、エズラはコミュニティを再建し、ネヘミヤは壁を作るのです。そうしたことがここで起きていることです。これが背景ですが、詳しく見ていきましょう。

5章の2節から行きましょう。
2:そこでシャルテルの子ゼルバベルおよびヨザダクの子エシュアは立ちあがって、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちも、彼らと共にいて彼らを助けた。

神殿は破壊されてその全ての装飾品は奪われ、バビロンの財産として蓄えられたということを思い出してください。キュロス大王はエルサレムへの帰還を許し、他に何を許したでしょうか。神殿にあった物を取り戻すことを許したのです。サタンの神殿から物を持ち出し、自分たちの物を取り戻すことを許しました。興味深いことです。キュロス大王はとても寛大ではないでしょうか。また彼は神殿を再建するための資源も提供します。

人々は70年前に追放されて、今はおじいさん、おばあさんになっています。高齢の人たちです。ついにペルシャからエルサレムに帰還しますが、全て荒れ地となっています。神殿は冒涜されて破壊され、今度はそのチームがバビロンからの援助を受けて再建し始めます。
それで70年前に奴隷となっていた人たちが、神殿の再建を目にして今度は大声で泣いていたと聖書にはあります。余りも大声で泣いたのでラッパと泣き声を区別できなかったというのです。なぜなら喜びの涙があったからです。70年前に奴隷となり、今神殿が再建されてとてもうれしいのです。

驚くべきことに、聖句では感情が変わりやすいことを示しています。彼らは幸福です。神殿は再建されました。しかし、なぜ火の柱はないのか、なぜ力がないのか、と。
エズラが帰ってきて神殿を見ますが、もう力がありませんでした。建物は作ったのですが、神様の火がありませんでした。エズラはそれにとてもがっかりして、今度は別の理由で泣き出すのです。建物は作ってもそこに神様がいないので泣いているのです。

というのも、ゼルバベルと一緒に建設する間、捕囚が帰還していますが、愚かな者たちが女性たちと結婚していたのです。女性をもてあそんでいました。バビロンの女性や、付近の異教の女性と戯れていたのです。
女性たちは徐々に夫に対して力を持つようになります。徐々に夫の信仰を破壊するようになります。そして異教思想を取り入れるようになります。赤ちゃんを殺すのは愛のためだ、女性の権利だ、生殖の権利だと言って。サタンはその地域の異教徒の女性を利用して男性を誘惑させるのです。彼らは信仰を失い、神様を冒涜し始めます。

建物は建てますが本当の悔い改めはありません。本当の信仰はありません。神様に対する本当の愛はありません。建物を建てたぞ、やったー!というだけです。本物の神様の火はないのです。喜びのラッパで帰還して涙を流した人たちは、基礎が作られて神殿が建てられると、「ああ、信じられない」と言って喜びの涙を流しましたが、それも悲しみの涙に変わります。

エズラの時に神殿が建てられますが、それはひどい状態で、神様の力がないからです。神様の霊がありません。幕屋にあったようなものや、火の柱のように内在する物がありません。神様に導かれて、幕屋では1年に1度司祭が入って神様と対面しなければなりませんでした。その神様の力が欠けているのです。


ですからこれは我々にとってとても大切な聖句です。神様は、なぜそうされたか分かりませんが、それを私の心にとても強く印象付けました。なぜなら我々が今、真の父母の記念館を建てようとしているからです。神様はこのような警告を与えておられるのであり、それは素晴らしいことです。何という祝福でしょうか。

明らかに我々は清平のように大きなものを作ろうとはしていません。それほど巨大なものではないのです。しかし我々は真の父母の記念館を建てようとしています。博物館であり歴史的な場所です。そこで人々に、真の父母とは誰であり、真の母とは誰であるか、この女性はだれであるのかを示すのです。
我々はその過程にありますが、我々がこの大建造物を建てても神様の力がそこになければ、なんと悲惨なことでしょうか。それを建てて神様が全ての段階におられるように願いながら、愛がなく、本当の祈りがなく、悔い改めがなかったとしたら。ですからこれは問題です。

ご存じのように、建設会社が来てあれこれやりますが、それはまた別の話です。私はここにいる全員が何らかの形で建設に参加して欲しいと思います。専門の人たちが来て、石が運び込まれて、得られる限り高レベルなものがあります。残念ながら中国製の物もあります。

しかし私は、そういったものがただそこに置かれるのを望みません。また私が望んでいるのは、我々が残存者として建設したということです。みなさんは全員、お父様を愛し、その三大王権とそれ以降に仕えている残存者なのです。自分の家庭を確立してそれらを王権の血統につなげています。

ですから我々はその背景について考えなければなりません。というのもこれは、ただの話ではなく、現実の事であり、生きた事だからです。エズラ記で聞いた話は現実のことです。我々が今そうであるように、彼らはこれを乗り越えなければなりませんでした。

今日はそこまでみなさんを連れて行こうとしています。みなさん全員を真の父母記念館の場所へと連れていきます。ですから今日の日曜礼拝はいつもと違うと言いました。雨が降っていても気にしません。死ぬことはありませんから。心配しないでください。信じてください。ゴミ袋をかぶって息ができるよう穴を開けます。
先週ついに全ての許可が下りました。それで今、建設に着手できます。しかし我々はそこに行って祈るべきだと思います。もちろん私には実行したい計画があります。難しいものではありません。
例えば、我々にできることとして、感謝の塔を作ることが1つあります。そこに行って少し汗を流し、つるはしを持って岩を掘り出します。それぞれの岩に祈りを書きます。今日ではありません。全員がそのうち参加できるようにスケジュールを立てますが、あまり時間はないのですが何とかやってみます。岩に祈りを書きます。それから石を積んで美しい祈りの塔を作ります。

それを崇拝するのではありません。祈りの塔を見て(手を合わせて拝む動作をしながら)「ありがとうございます」ということはやりません。それは禁止されています(笑)。塔に礼をしてはいけません。心の中で認識できます。汗が入り、血が入ります。我々はみな、キリストによって救われています。そして感謝の祈りです。

これは小さな残存者の集まりです。マクロ世界――神様から離れて罪を犯した人たち、聖書にある忌むべき存在になった人たちの代表です。少なくともここにいる小さなコミュニティはもちろんですし、お父様の権威にある他の州の人たちも参加したければ、もちろん歓迎します。日本や韓国からの人たちもそうです。

全てスケジュールできますが、全員この神殿を築く参加者となるべきです。何か愚かなやり方で、機械的な形でただ作るということではありません。建設業者がやるようにただ作ろうということではありません。実際に建設するためにプロの建設業者が来ます。我々が実際に建設するわけではないのです。アメリカの法律でそれは許されません。

我々が実際に建設を行うのではありませんが、何と言ったらいいか、美しい石の芸術作品を作ります。彫像でも何とでも呼んでいいですが、祈りに基づいた芸術作品です。石を取って、自分の祈りを書き、またそれを聖句で支えます。全ての祈りには聖句が付けられます。
魔女や悪魔がその中にサタン的なシンボルを付けようとするでしょう。分かっています。妨害工作のようなことがあるでしょう。そういうことをしようとする人がいるでしょう。では我々に何ができるでしょうか。彼らに祈りを捧げることができます。

そこに行く人は他の人に自分の祈りと聖句を見せるようにしてください。ただ書いてそのまま壁にくっつけないでください。それは私が捨ててしまいます。みなさんが何を書くのか私は知りません。書いたものを他の人に見せて伝えてください。自分の祈りと聖句を見せるのです。全員で全員をチェックするということです。
愚かなことが行われないようにしてください。サタン的なシンボルが入れられないように。我々はみな用心深いです。用心深く悪い人と戦います。サタン的なシンボルにも用心深くします。

エズラの時代に、この人たちはこうしたバビロンの妻を、エルサレムの周りのこういうカナンの妻を迎え入れてしまいました。そうしてはいけませんでしたが彼らは実行しました。
エズラは全国的な離婚命令を出します。非ユダヤ人の女性と結婚した人に対して、妻と離婚しなければならないという命令を出します。そうした女性たちが夫に対してとても大きな力を持っているからです。
エズラはそうした女性と離婚するように命令まで出さなければなりません。神様のほうがその女性より大切だからです。神様のほうがその間違った結婚よりも大切なのです。 しかし人々はみな「どうして神様がこんなことを」と叫び声をあげます。
これはエデンの園の結婚ではありません。彼らは祝福されていません。カナン人のやり方で迎え入れただけです。ですから神様はそれを結婚だと認識しません。

家庭詐欺連合でも、「どうしてお父様の権威に従うという人たちが祝福家庭で、(そうでない人が)もう祝福家庭ではなく堕落していると言うのか」と言います。聖書を見てみなさい。神様を離れることがどれほど深刻なことか見なさいというわけです。
もう祝福家庭ではありません。バビロンの淫婦のワインを飲んだのです。

問題は聖書の世界と聖書の現実を理解していないということです。単に意地悪だと考えます。どうして妻と離婚しろと言えるのか、と。第1に神様にそうするなと言われていました。ただセクシーな女性が好きだからその戒律を破ったのです。
それから女性を通じて異教とサタン主義が入り込み、子供たちを支配し始めます。そして1世代で子供をバールに捧げるようになります。1世代でもう堕胎を始めます。ですからお父様の権威と血統に留まることがとても重要なのです。

妻を追い出すのは気分が悪いことだというのは分かります。しかし興味深いことに、10章を探してみてください。その妻たちと離婚しなかった人は全員どうなったと思いますか。彼らの名前は記録されています。カナンの女と離婚しなかった人たちは、その家族に永遠に呪いと恥があるように名前が記録されています。
それは残酷で意地悪だと思うかもしれませんが、それほど深刻だということです。ゲームではありません。姦淫を行って家族を台無しにしたと いう話です。ゲームではありません。生死の問題であり、戦争です。
家に誰かが入ってきて家族を破滅させようとするならゲームではありません。おそらく親切な形で交渉が行われることはありません。特に鉄の杖のクリスチャンであれば、悪者にとってはめでたく終わることはありません。
行動に対する深刻な結果があります。

公立学校で洗脳されて、悪魔のウソ、政府のカルト、同性愛のカルト、トランスジェンダーのカルト、小児性愛のカルトを信じるようになり・・・・そういった狂ったたわごとで子供を低下させようとすること――それは古来のものであり、現代からのものではありません。
そういう宗教はとても古いものです。同性愛の結婚や両性愛を支持するような行動。こうしたセックスカルトはとても古いものです。古来のものです。何も真新しいことはありません。本当にひどく古いのです。

リストに挙げられている人たちを見てください。妻を手放さなかった人たちです。
人道主義的に「神が家族をばらばらにしている」と言います。しかし神様はゲームで遊んでいるのではありません。PRしようとはしていません。CNNに対してマーケティングしてはいないのです。神様は戦争状態にあります。ご自分の子供たちの生き残りのために。
ですから血統がとても重要なのです。あなたは誰の血統にありますか。キリストの血統にありますか。サタンの血統にありますか。選択は2つしかありません。2つだけです。3つ目の選択はありません。

・・・たくさんの選択肢があるように思わせますが、キリストを受け入れないカテゴリーにたくさんの選択があるだけあり、すべては同じ父親です。キリストを拒否してサタンの血統を受け入れる方法にたくさんの形式があるということです。そこに導く多くの体制、宗教、思想があります。そちら側にたくさんの道があっても、全ては神がいないという1つの場所につながります。

それは深刻なことであり、恐ろしいことであり、本当の戦争です。ですからその家族を分けなければなりませんでした。1番目にそうするなと言われました。2番目に彼らはとにかくそうしました。3番目に行いに対する結果があります。

これは我々にとってもとても深刻なことだと私は思います。今日は長く続けません。早く終わらせて、さっと昼食を取ってコーヒーでも飲みましょう。しかし全員をそこに連れていきたいです。その場所で祈りましょう。
今日はつるはしでの作業は始めません。しかしまた、そこに行ってここにいる全員が時間を持ちます。全員が祈りを書き、それを聖句と結びつけます。自分の好きな聖句でも何でも構いません。

しかし重要なことは真の父母様に対する感謝であり、特にここでは真のお母様に対する感謝です。聖霊の導くままに何でも良いです。それから穴を掘って小さな岩の芸術作品を作ります。小さな円筒でも、山をかたどった物でも何でも構いません。行ってデザインすれば良いでしょう。

石を集めるのは祈りの心で行います。自分自身をそれに対して備えます。神殿ではありませんが、真の父母の記念館です。

何週間か前に見せたビデオを思い出してください。私が引用したバイブル・プロジェクトのビデオで、サタンとか悪魔についての内容です。アダムとエバが王冠を付けて園にいたのを覚えていますか。それに気づいたでしょうか。驚くべきことです。
キリスト教はいつアダムとエバを王と王妃として話したことがあったでしょうか。あるいは最低でもそう描いたことが。いろいろな本を見てみても王冠はありません。

興味深いのはこの時代に人々が目覚めているということです。主権。王権。キリストが我々を解放した自由です。「あなたの冠がだれにも奪われないように」。我々を、地上を統治する王と聖職者にしました。羊飼いのような市民でありまた武装しています。

これらの教会はそれを聞きたくありません。バイブル・プレジェクトの最新のビデオでも、アダムとエバを復帰させました。OKです。新しい人間が作られ、そこには園があります。そして裸で小川のそばでただ遊んでいます。結構です。あなたは妻とデートしたいと思い、小川の中で裸になりたと思います。それも結構です。
あなたが神様との間でやることをとやかく言いません。しかし鉄の杖はどこでしょうか。聖書では神様の王国を鉄の杖の王国として説明しています。そこでは神様のその市民が鉄の杖で諸国民を治め、陶器師の器のように粉々にするとあります。1度だけではありません。それは神様の王国の明確なビジョンです。武装した社会です。

そして少しでも理性的な精神を持ち、犯罪の原動力を理解しているなら、それが、本当に猟奇的な犯罪を壊滅させて一掃するための唯一の方法であることが容易に分かります。なぜなら、悪を選択した人にとても制裁的な結果を与えることのできる市民がいるからです。それは悪を行いたい人に対する巨大な抑止力です。本当にそうでしょうか。社会学的データに100パーセント裏付けられています。

私が見せたビデオで、王冠をかぶった小さな人が父と母です。ビデオで見た人がそうです。それがどれほど深刻でしょうか。それが真の母です。

それは単に教会にいる神聖な人の墓地ではありません。彼女は完成したエバです。最後までにすべてを失った女性です。そして完全な忠誠を持ったまま亡くなりました。キリストに対する献身から外れませんでした。全てを危険にさらして失いました。(スクリーンに出された動画の場面を指して)そうです。それが真の母です。真の父です。
Bible Projectより

記念館は最高に素晴らしいものになるでしょう。しかし、明らかに我々は荒野にあって時間や資源が限られています。私は相続した物を奪われて戦っていました。戦いは続いています。

私は宣誓証言に行きます。1日に何時間ですか。10時間ですか。火曜日と水曜日、2日間です。閉じ込められます。祈祷チームを作ってそこに参加してくださり、感謝しています。みなさんが参加してくれて、私を支えてくれたら大きな違いがあります。疑問の余地もありません。みなさんの霊的な存在を感じて、危険に瀕しても強くなれます。

我々は背景を理解しなければなりません。お父様は再臨主です。言うまでもなく勝利に勝利を重ねますが、韓オモニが堕落して聖和が悲劇となりました。お父様に忠実だった息子たちは追い出されました。お父様が与えたものを全て奪われたのです。
そして小さなグループが現れます。それが我々のグループです。自分の背景を覚えておかなければなりません。生活で行き詰まっていてはいけません。少し振り返って、自分が神様の摂理の真ん中で何者であるか思い出してください。それともただ、日曜日だ、月曜日だ、この予定がある、この会議があると言って、ただ日々を死ぬまで過ごすのでしょうか。
それとも思い出しながら瞑想しながら、神様があなたに歩ませている道を行くのでしょうか。確かにそれぞれの歩みは見えています。しかし我々はどこから歩いてきたのでしょうか。どこに向かって歩いていくのでしょうか。この背景が重要なのです。本当に極めて重要です。

一緒に行っていくつかの計画を実行しましょう。それが記録となります。ヤコブがイスラエルの12士族を立てた時、彼は12の石を建てました。彼は何も持っていませんでした。しかし12の石は、キリストの降臨とその王国、そして人々がキリストの元に復帰されることを象徴していました。
地面から掘り出した12個のただの石です。大きなものではありません。クレーンやブルドーザーはなかったのです。おそらく数人で持ち上げられるような石でしょう。我々は聖句の中に前例を見ることができます。神様を信じる人が何も持たない時に、ただ故郷に帰ろうとして、自分たちが何のために戦っているのか覚えておくために、石で記念の物を作らなければなりませんでした。

聖句について瞑想しているとお父様は本当に強く私をプッシュされました。今日我々はこれに集中すべきです。青年たちは、日曜礼拝が早く終わったと言って喜んでいないでください。君たちも来るのですよ、ばか者。礼拝は終わっていません。親と一緒に来てその場所を見てください。みなさんの真のお母様が休んでおられる場所です。

今日は父の日ですね。するともっと完璧です。雨のことで不平を言う人もいるでしょうが、話したように気にしません。雨が降っていれば傘をさして。欲しかったら私のポケットからゴミ袋をあげます。穴をあけて。死ぬことはないので心配しないで。

もっと大切なことは歴史と摂理において自分たちのいる背景を理解することです。自分歩いている場所、立っている場所を理解してください。神様の力のない建物をただ作るのではありません。神様が住まうことができ、真の父母様が喜ぶことのできる建物と殿堂を作るのです。ですから我々がそこに行けば共に喜びを感じることができます。
お父様、真の父母様、神様に賛美を捧げ、そこに向かいましょう。

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