2025年11月21日金曜日

菅井教はイエス様を十字架に磔て嘲笑う悪魔教団

 菅井教はイエス様を十字架に磔て嘲笑う悪魔教団


序文

菅井教はサンクチュアリ教会ではありません。別の宗教です。

従ってサンクチュアリ教会最大である日本サンクチュアリ協会では別宗教として厳しく対処していますのでリンク先を御覧ください。


このお父様はこのように言っているとする教えに対してサンクチュアリ教会の指導者、文亨進牧師は菅井派に影響を受ける人が目を覚ますように警告や啓蒙をしなさいとサンクチュアリ教会長たちに指示しています。

菅井教という詐欺犯罪組織から多くの人々の永遠の命を守るためにこれを書きます。


イエス様の十字架の死を嘲笑う嘘が高度な詐欺キリスト論


菅井氏は、キリスト教として致命的欠点を指摘され、その話題を逸らしたいので絶対性の話に持ち込んで逃れたい、菅井氏の浅ましい考えの通り、菅井氏は動いているようです。

 *参考:菅井教の致命的欠点:騙すのが高度な詐欺キリスト論と天宙バカ神


と言いながらも、菅井派はきっちりと、自分たちは低いキリスト論であることを今回も宣言してくれました。

菅井派:

父が息子娘の為に犠牲になる血

父がいるならば、そこに必ず母がいます

https://kuruto.muragon.com/entry/266.html


実に見事な低いキリスト論、根本的に、文亨進師とキリスト教の父と子と聖霊の三位一体など信じていない、低位キリスト論であることが、如実に現れています。

それなのに自分たちは高度なキリスト論、高いキリスト論であると叫ぶのですから、正真正銘の嘘がつくのが高度な詐欺キリスト論を今回も書いてくれました。


そして今回は、

菅井派:地上では四大心情圏を成就できなかった、イエス様の十字架の犠牲の愛を持ってきたのでしょうか。https://kuruto.muragon.com/entry/266.html

などとイエス様の十字架の死を嘲笑う。

犠牲のアガペーの愛である祝福も受けたイエス様をよくぞこうも見下すことができる。

イエス様を十字架につけて嘲笑うサタンそのものであることを示してくれました


キリスト教学会で発表してみろというのです。

できないからサンクチュアリ教会のブログカテゴリでしか騒げない。キリスト教界で認めてもらえないことは分かっているので逃げ回る。菅井派はなんという卑怯者なのでしょうか。


今回も本当に菅井派はイエス様の宝血の心臓をグサリとさして大いに嘲笑う悪魔の集団であることを証明してくれました。

イエス様を十字架に磔て小躍りするサタンそのものです。

さすがこのような”真の御父母様の本体論”という偽りの教義でサタン教団をつくり、サタンの血統になった菅井氏とその教団だけのことはあります。


本当に菅井教は低いキリスト論でもない、サンクチュアリ教会とはまったく違う異端教。

菅井派は、このようなサタン的キリスト論をもって、文亨進師がこのようなサタン主義者であると貶めたい、そのサタンの意図がよく分かります。さすがサタンの実体菅井氏です。


彼らは聖霊聖霊というのですが、こんな詐欺の菅井派に文亨進師が言われる聖霊など訪れません。訪れるのは菅井氏に起因する悪霊です。サタンが使う霊たちです。



文亨進師のキリスト論と文亨進師を貶める菅井派


以上にようにこんな悪魔の詐欺キリスト論こそ文亨進師のキリスト論だと主張し、文亨進師の名誉を徹底的に貶めます。

そのような菅井派から文亨進師の名誉を守るために、キリスト教の皆様に以下の通り、文亨進師のキリスト論をお伝えします。

◆2023年7月26日テネシー清平水曜礼拝 からです。



そして菅井教が、キリスト教やサンクチュアリ教会とはまったく別の神を信じる邪教であることを明確にします。

文鮮明師、文亨進師の説教を使い、言葉巧みにサンクチュアリ教会を装いますが、本質は邪神を信じる宗教、まったく別の宗教であることも明確にします。



文亨進師:◆2023年7月26日テネシー清平水曜礼拝 

だから私たちは、異端神、サタン主義文化、セックス、異端エセ宗教文化の中に生きているので、これを理解しますね。


どうして愛は愛ではないのか。

愛は愛ではない。聖書の言葉では、神様が愛です。神様が愛で、愛は、女性的な愛ではありません。神様の愛は何ですか?父親の愛です。父親。強い父親の愛。

子供を生かすために死ぬことができる。イエス様が流された血。お父様が流された血。父親の愛、父親の愛。


ここで文亨進師は神の愛は、父親の愛であり、イエス様が流された血、御父様が流された血、そのような父親の愛だと言っておられます。

御父様の流された血と同列か、それ以上に心から大切にしておられるのことがよく分かります。

それは神様の愛、イエス様の愛、御父様の愛は創造前からあった宝血の愛だからです。


下は文亨進師の婦人ヨナ伝道師が描かれた絵です。


キリスト教徒の皆さんには驚きを与えると思いますが、イエス様、真のお父様が聖子の位置に一緒におられます。

このようにご夫妻はイエス様を真のお父様と同じくらい心から愛しておられるのがよく分かります。


ところが、菅井派はイエス様の血を「地上では四大心情圏を成就できなかった、イエス様の十字架の犠牲の愛を持ってきたのでしょうか。」などと見下します。

だから菅井派はキリスト教ではありません。

そして菅井派はサンクチュアリ教会でもなく、異端でありイエス様を見下すサタン教なのです。


文亨進師・上記続き:

だから、コリント人への第一の手紙13章に出てくるこの部分において、愛、がたくさん出てきます。しかし愛という単語自体が、この単語をあいつらは変えたのです。愛を感覚に。

愛は感覚ではありません。父親の犠牲の血を流して、私を生かそうとする愛。それが愛です。それがアガペーです。ヘブライ語でアガペー。アガペー、アガポンと行ってみなさい。アガポン。アガペー。


ここで、「神様は愛であり、その愛はイエス様が流された血。お父様が流された血、父親の愛であり、これがアガペーの愛」と言っておられます。

ところが菅井派はこの”神は愛である。愛は感覚ではなくアガペーである”と言われるこの文亨進師の教えを受けて、次のように真っ向から「いやアガペーの愛は肉的感覚だ」と否定し嘲笑います

菅井派:「アガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じるものですhttps://kuruto.muragon.com/entry/169.html


まさに悪魔の言葉。「父親の犠牲の愛なぞ、肉的五感からくるものだ」と、神様、イエス様、御父様、そしてこのアガペーの愛を信じる者を高らかに嘲笑うのです

「神は愛である。その愛はアガペーの愛である」とするキリスト教と文亨進師の神を「いやアガペーの愛は肉的感覚だ」と否定し嘲笑います

神様のアガペーの愛をこれほど貶める菅井教がキリスト教?

菅井派の自分たちは高度なキリスト論と叫ぶ嘘詐欺は極めてサタン的です。

つまり菅井派が信じる神は、キリスト教と文亨進師の神とはまったく別の神を信じている宗教が違うと自白しているのです。


神様は愛であり、その愛はイエス様が流された血。お父様が流された血、父親の愛であり、これがアガペーの愛と信じ、それをこのように教えてくださる文亨進師を、

菅井派はこのように、

「”アガペーの愛、父の犠牲の愛、その血”など肉的五感から来るんだよ、おまえ犠牲の血と言っいるではないか、だから肉的と言ってるんだよ!」

と罵っていることと同じです。


彼らは自分たちこそ文亨進師の言葉に従っていると言うのですが、完全な嘘、詐欺です。本質、本当の姿はこのように、神様のアガペーの愛を見下して文亨進師を罵り見下すのです。

このように文亨進師を貶めるのが菅井派の信仰です。文亨進師の権威を利用したいだけです。

だからサンクチュアリ教会ではない別の宗教、サタン宗教なのです。

信じる神がまったく違います。


文亨進師・上記続き:

だからその愛は、ただの愛ではなく、感覚ではなく、父の血を流す武士の救援的なパワーの愛。それが愛です。OK?その部分がとても重要です。その部分が。


全世界が、特に米国が、トランプ大統領が早く誕生して、早くイエスキリストと聖書の愛の意味に戻らなければ、父の愛を忘れてしまいます。自分が犠牲になって、悪い奴らと、悪い勢力と戦わなければならない父の犠牲的な参戦勇士の愛。これはアガペーです。


文亨進師は極めて明確に「イエスキリストと聖書の愛の意味に戻れ」「父の犠牲的な参戦勇士の愛」「これがアガペーの愛と明確に「わたしたちが目指す愛とは、イエスキリストと聖書の愛でありそれは父の犠牲的な愛であり、それがアガペーの愛である」と定義し教えて下さいます。


このように文亨進師は明らかに、聖書の教える神の愛と父の愛は、アガペーの愛で一つである父と子と聖霊の三位一体論、高いキリスト論です。


菅井氏:神様が構想理想を構築するにあたって「父子の関係」を先惟したと主張していますが、「父子の関係」という言葉にすでに母は内在しているのです。母がいなくては子が産まれないのは自明だからです。

日本民族の抱える偶像崇拝という無意識世界の鬼神を対象化していきましょう!

ところが菅井派はこのように、この三位一体のもっとも重要な父子の関係を、「母がいないと子が生まれないではないか」と否定します。


父が息子娘の為に犠牲になる血父がいるならば、そこに必ず母がいます。父だけでは血統は生じません。書いていなければ無いものと受け止めるのが、三原さんのようです。https://kuruto.muragon.com/entry/266.html

と否定します。


キリスト教の三位一体に母は存在しません。高いキリスト論の常識です。

しかし菅井派はこのように被造物の肉的五感でしか三位一体を捉えることが出来ないので、母がいなければ子が生まれないのだから、父子の関係など無い!そんなもん偶像崇拝、鬼神だ!と主張して高位キリスト論、三位一体論のもっとも重要な父子の関係偶像崇拝!鬼神!だと否定する”低いキリスト論です。

だから文亨進師の三位一体論を象徴だなどと言って捻じ曲げるのです。

そうやって文亨進師を引きずり落とすのです。

そのようにして菅井派は自分のその被造物の肉的五感で文亨進師の高いキリスト論を低位キリスト論にしてしまい、文亨進師を高いキリスト論のキリスト教の敵にしたてあげ貶めるのです。


文亨進師・上記続き:

アガペーは女性が感じる愛ではありません。OK?女性たちは、錯覚を沢山しますね。だから、アガペー、アガポンを通して、私たちはヨハネによる福音書10章も見ましたね。ヨハネによる福音書10章でも、どのように出てきますか?羊飼い!アガペー、聖書に出てくるアガポン、アガペー、神様の愛、父の愛、大変強い強い例話が何かといえば、羊飼いの愛。そうですね?

   (中略)

だから女性たちも平和君警察訓練をしなければならない。なぜなら、父の犠牲的な愛、アガペー、アガポンに似ることができるように。男性だけでなく。

(中略)

辛いことをしてこそ、訓練をしてこそ、国の責任、警察の責任、私たちの責任、さらに人々と隣人を守る責任を、この愛、アガペー、アガポンの愛を学ぶようになるのです。どういうことか分かりますね?◆2023年7月26日テネシー清平水曜礼拝 


文亨進師は「神様は愛であり、その愛はイエス様が流された血、お父様が流された血、父親の愛であり、これがアガペーの愛」と言われるこの愛、聖書に出てくるアガペーの愛平和君警察訓練をしながら学びなさいと教えてくださっています。

これは父と子と聖霊の三位一体の、創造前からの父子関係のアガペーの愛です。

これを平和軍警察訓練をしながら学べと言っておられます。


真の愛の犠牲の愛を創造後に貶める菅井派


しかし、菅井派ではアガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じるとして文亨進師の教えを徹底否定します。


このように創造前の真の愛から完全に、アガペーの愛、犠牲の愛を消し去り、アガペーの愛、犠牲の愛を創造後の愛、肉的愛にしてしまいます

この創造後のアガペーの愛、犠牲の愛で四大心情圏を体恤するとします。詐欺ペテンです。


このように「創造前のアガペーの愛、犠牲の愛、父の愛」を「創造後のアガペーの愛、犠牲の愛、父の愛」に完全に逆転させて、文亨進師の教えを完全に逆さにして捻じ曲げるのです。


しれっと、論を変えて嘘を付く詐欺菅井教


菅井氏:真の愛の中心であり、真の愛の根である犠牲の愛は、子女の愛・兄弟姉妹の愛・夫婦の愛・父母の愛をそれぞれ体恤してこそ、神様と相対できる犠牲の愛に至ることができるのです。https://kuruto.muragon.com/entry/266.html


菅井派は今回、「真の愛の中心であり、真の愛の根である犠牲の愛」などとまた言葉を変えてきました。

これが、騙すのが高度な詐欺キリスト論の手法です。


これは、彼らの神学のキリスト教神学的決定的欠点、

菅井派:「アガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じるものですhttps://kuruto.muragon.com/entry/169.html

この菅井派の主張では、キリスト教であるということがもはや完全に出来なくなったので、詭弁を使ってきたのです。

これは事実上の菅井氏の敗北宣言です。


今度どのように「犠牲の愛、アガペーの愛」について詐欺詭弁を使うつもりか見抜いたので説明します。

今後も、菅井教は真の愛の中心であり、真の愛の根である犠牲の愛」と表立って言い続けるでしょう。

これは、自分たちが、創造前のイエス様、お父様の存在を信じないのに、

我々は、創造前のお父様、その創造前の三位一体を信じる。

(裏の意味)→しかし比喩象徴として信じる。文亨進師の三位一体の説明は比喩象徴、詩的表現である。その真意は・・・」

これと同じ展開です。


我々は犠牲の愛を信じる。真の愛の中心であり、真の愛の根である犠牲の愛である。

(裏の意味)→しかし「アガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じるものです。真の愛の犠牲の愛も創造後の愛なのです。』

菅井派は自分たちに不利になったのでまた、このような詐欺の展開をしてくるでしょう。


菅井派は自分たちに不利になったのでまた、このような詐欺の展開をしてくるでしょう。

今回も「真のお父様の蕩減復帰による犠牲の愛だと語られています」と、

創造後の言葉が入っている御言を引用して説明してきました。

これも詐欺のパターンです。


これに対し、今回、文亨進師の説教をもって、文亨進師匠が言われる犠牲の愛とは、聖書が言う犠牲の愛、アガペーの愛、父の愛であることを明確にし、「真のお父様の蕩減復帰による犠牲の愛」に限定しない、創造前からある犠牲の愛であることを明確にしました。

それでもこのイカサマを菅井教は使い続けるでしょう。過去からそうでしたから。


しかし菅井派のいう犠牲の愛は、創造後の犠牲の愛であり、創造前からある愛ではないのです。

あんなに犠牲の愛を肉的五感から!だと否定しておいて、なんという悪どさ。完全に悪魔です。

このように菅井派は本当に真のサタン、天宙最高の詐欺ペテン師なのです。


しかも菅井派のいう四大心情圏とは、あの自己中心という悪魔が包容感で悔い改めて、心の中心、真の愛を置いたというのですが、その真の愛は、絶対孤独から対象を求める欠乏の愛エロスの愛。アガペーの愛を否定する愛。

そういう天宙絶対バカ神が、包容感に込められていた孤独欠乏の愛に目覚めた、その汚らわしい愛からくる、その四大心情かと思うと気持ち悪過ぎ、吐きそうです。


多くの人が気持ち悪いというのですが、私も菅井教の教えは気持ち悪すぎて最初はよく吐いていました。少しは慣れてきましたがやはりだめです。

参考:<異端の夜の神> ”真の父母様の本体論”に関する考察3◆包容感愛による女キリスト独生女論


何やら菅井氏は罠に獲物がかかったぞと、その程度の低いキリスト論、悪魔の”真の御父母様の本体論”を誇りたいようです。

信じる神が違うのに、宗教が違うのに、話が基本的に噛み合うはずもない。

信じる神が同じでもユダヤ教、キリスト教、イスラム教は未だに争っています。ましては信じる神が違うのにというのです。

菅井教には絶対的に、キリスト教の高いキリスト教、創造前のアガペー父子の愛の、二代王様、御父様の夜の神論は理解できません。


文亨進様の菅井教など滅びるからほっとけというご指示に従いたいのですが、こんなサンクチュアリ教会を装う詐欺犯罪はいつまで続くのでしょうか。

完全に菅井教はサンクチュアリ教会ではありません。

菅井教、本当に聖書の愛、イエス様の愛を徹底的に侮蔑するサタン教です。



↓菅井派に対する御言

↓菅井派に対する公式見解と関連記事

↓菅井派に対する記事

↓菅井派のように、女性に対する感性や発想が先にあったとする、フェミニズム神学の考察

↓菅井派の”真の父母様の本体論”に対する考察

2025年11月20日木曜日

LIVE:第66回_真の子女の日 & 第38回_天宙統一国開天日 ◆天基15年天暦10月1日 2024年11月20日

LIVE:第66回_真の子女の日

 第38回_天宙統一国開天日

天基15年天暦10月1日 2024年11月20日



 

日本語通訳付き LIVE訳無し 


日本語通訳無し

訓読

天聖経』

「真の家庭」第11章 家庭は永遠の幸福の土台


7)家庭を通して人間が行くべき天道


人間は、自分の父母を愛するように隣村の父母を愛し、自分のおじいさんを愛するように隣村のおじいさんを愛さなければならず、自分の息子、娘を愛するように隣村の息子、娘を愛さなければなりません。そのようにすれば、上下関係が広がり、左右が広がり、前後関係が広がるのです。それが繰り広げられ、この縦的な心情の基準が築かれて天道が生じるのです。ですから、それを実践しようというのです。


私たち統一教会は、それを実践するために理想的な家庭を建設するのです。そのようになるのです。


教会という所は、その縦的な基盤を横的に四方化させ得る所です。その数が多くなるほど良いのです。なぜ多いと良いのですか。家庭時代から氏族圏を越えて、氏族圏から民族圏を越えていくからです。ですから、伝道をたくさんするほど天的な基盤が自分を通して繰り広げられるので、神様の前に人格的価値の基準が前進するのです。


ですから、私たちは、この縦的中心で何をしなければならないのですか。これを横的に再現させようというのです。(70-152,1974.2.9)


お父さんとお母さんが一つになる日には、その家庭は発展し、子女と父母が一つになる日には、より次元の高い家庭に発展することを知らなければなりません。それでは、家庭と親戚間において一つになる日には、どのようになるのでしょうか。そこには新しい民族の意気が高まることでしょう。


それがより高い次元に向かっていこうというときには、環境的にすべて結束し、国家基準まで忠臣の血族として残されるようになるということを忘れてはなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-921)


もう先生は、遠からずおじいさんになります。皆さんも年を取ると、おばあさんやおじいさんになります。同じです。息子、娘に生まれ、結婚してお母さんやお父さんになり、おばあさんやおじいさんになっていくのが一生です。ですから、おばあさんやおじいさん、次にお母さんやお父さん、その次に自分たち夫婦、その次に息子、娘、これが人生の公式的路程なので、それを愛さなければ天道に外れるのです。これを根本的に結んでおかなければ、世界を収拾する道がありません。


西洋に行ってみると、おばあさんやおじいさんがかわいそうです。彼らは東洋の風習がどれだけうらやましいか分かりません。「ああ!東洋思想は、おばあさんやおじいさんたちに神様のように侍り、70、80歳の老人のすべての世話を息子がするのだから、それがどれだけ良いだろうか」とそのように思っているのです。ですから、おばあさんやおじいさんを愛することが分からない人は、神様を愛することができないのです。


一番年を取ったおじいさんは誰でしょうか。そのお方は神様だというのです。おじいさんよりも、お年寄りの方が神様であり、赤ちゃんよりも若い方が神様なので、すべての人を愛さなければ神様を愛することができないのです。


ですから、神様が年を取っていらっしゃるとすれば、一番年を取っていらっしゃる方であり、未来に対する青春ならば、誰よりも青春です。その方を私が愛そうとするならば、その中にいるいかなる人類も私が愛さなければならず、歴史時代に霊界に行っている方たちも、今その圏内で希望を求めて生きようとしているので、その方たちまでも愛さなければなりません。それでこそ神様に倣って愛することのできる道に至るというのが理論的なのです。(70-152,1974.2.9)


8)統一教会は家庭天国を築こうとするもの


私が今、教会を建てないのは、すべて考えがあってのことです。教会にたくさんの人が必要なのではないからです。天国は、教会から成されるのではなく、家庭から始まるのです。


家庭、すなわち新郎新婦から始まるのです。女性は男性に巡り合うために生まれ、男性は女性に巡り合うために生まれました。


赤ん坊が眠りから覚め、初めて目を開けながら呼ぶのが「お母さん」です。赤ん坊がお母さんを呼ぶ以上に、夫は妻を呼ばなければなりません。このように呼んでみなかった人は、かわいそうな人です。


また、妻も夫以上にそのように呼ばなければなりません。互いにそのようにできる夫婦として接しなければならないのです。琴瑟之楽(きんしつのらく、注:夫婦仲がとても良いこと)の夫婦として、互いにそのように呼び合いながら暮らさなければならないというのです。そのように千年、万年暮らせば、老いても青春がうらやましくないというのです。(23-54,1969.5.11)


男性と女性は、み言の時代を経て、実体の時代を経たのちに初めて、主との出会いのひと日が成されるのです。そして、出会いのひと日が成されたのちに初めて、天国生活をすることができるのです。


出会いのひと日には、彼の心が私の心であり、彼の心情が私の心情であり、彼の姿が私の姿であり、彼の困難が私の困難であり、彼の傷が私の傷として感じることができる境地にまで入らなければなりません。そのような境地に入って、彼の心も私の心、彼の心情も私の心情となってこそ、天国家庭が成されるのです。これがこの地上で完結されてこそ、天国家庭が生まれるのです。(19-250,1968.1.15)


真の愛とは何でしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。愛は、互いが犠牲になるという伝統を備えなければ、長く持続することができずに壊れるのです。


父母が子女のために犠牲になるがゆえに、父母が子女を愛する因縁は壊れないのです。

そして、真なる父母の愛を受けて育った息子、娘なら、自分の父母に絶対に不孝をすることができないのです。


また、夫は妻に、妻は夫に対して、「あなたは私のために生きた」という立場で互いが与え合い、一層犠牲になる立場が広がるようになるとき、その家庭には福が訪ねてくるのです。そのような家庭が、神様が訪ねてこられる福地なのです。(43-308,1971.5.2)


天国生活はどこから始まるのでしょうか。家庭からです。ほかの所から始まるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけであり、家庭圏を外れたものではないのです。


ですから、皆さんが自分の妻や夫を抱くときに、これは世界の男性と女性が一つになるのだという考えをもたなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立て得る場が、正にこの家庭です。(30-82,1970.3.17)


今、先生は、家庭に対する規範、天国家庭としてもつべき生活に対する規範を教えてあげなければならないということを感じています。統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を主とするのです。(22-333,1969.5.11)


これからは、統一教会で礼拝を捧げるのも、説教形式ではなく、報告形式でしなければなりません。報告の内容は、その家庭が誇り得るものでなければなりません。ですから、家庭全体が来て礼拝を捧げなければならないのです。


そのようにしながら、立派な家庭の報告は倣い、遅れた家庭の報告は、うまくいくように導いてあげなければならないのです。そして、家庭天国を建設しようというのです。家庭天国を先に成すことができなければ、地上天国は成せないことをはっきりと知らなければなりません。(23-62,1969.5.11)

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