2026年8月19日水曜日

ほぼ創造原理、正教会の万有原力三位一体論 ◆2026年8月6日台湾聖殿 韓国語木曜礼拝<5> 文亨進二代王

 

ほぼ創造原理

正教会の万有原力三位一体論

2026年8月6日台湾聖殿 韓国語木曜礼拝<5>

文亨進二代王

台湾韓国語礼拝韓国木曜礼拝2026年8月6日 



正教会ディバインエナジーと万有原力


これがどれほど驚きですか。西洋で、・・・私たちは何を学びましたか?キリスト教とは何か。プロテスタントとカトリック、このように学ぶではないですか。

プロテスタントとカトリックは、トマス・アクィナスや多くの哲学者たちから出てきた哲学派があります。ラショナリズム、クリスチャンラショナリズム、合理主義。ラショナリズム。


だから、カトリックは正教会とは違って、正教会は合理主義を信じません。

正教会が何を信じているかというと、ディヴァイン・エナジー(divine energys)を信じます。エナジーズ。エナジーズが何ですか?神様から出てくる内容ですが、創造主がいません。神様はこの内容を創造されないで、この内容が神様から永遠に出てきます。


例えば、神様の光、光が永遠に出てくるではないですか。神様の光は始発点がないではないですか。神様自体も始発点がないので。そうですか?そうではないですか?


だから、神様から光が出てきますね。さらに、神様の恩恵、愛と恩恵、さらに神様の能力とパワー。これも始発点がありません。

しかし、この内容は、神様から出てくるではないですか。動きとして出てくるではないですか。


これは、聖書のコリント人への手紙第一12章を見ると、そこをギリシャ語で読むと、神の「エネルゲイア(古代ギリシャ語: ἐνέργεια) 」が出てきます。「エネルゲイア」、これはどういう意味ですか?能力という意味です。

ですから、西洋のキリスト教、正教会やカトリック教会、プロテスタントはこのようなコンセプトに反対しました。特にヘシカズム(静寂主義)論争*14世紀に。この戦いに。

*参考)14世紀、グレゴリオス・パラマスが唱えた「神の本質」と「神の非被造のエネルゲイア(活動・働き)」の区別をめぐるヘシカズム(静寂主義)論争


しかし、正教会はそうではない。神から出てくるエネルギーがある。これは原理とはるかに似ている。

なぜ?私たちが言う「万有原力」。私たちは万有原力と言うではないですか。万有原力の思想は、カトリックはこれを異端と言うでしょう。プロテスタントもこれを異端だと言います。万有原力の思想を。


しかし、カトリックキリスト教、プロテスタントよりもさらに古い宗教、キリスト教とは何ですか?正教会。正教会には、私たちと似たような万有原力があります。万有原力も、神様が創造されたものではなく、神様から出てくるではないですか。そうですね?だから、神様に始発点がないではないですか。

(1:57:28)翻訳:grazia 

つまり、万有原力にも始まりがないわけです。

その始まり、神様の始まりがないなら、神様から出る光にも始まりがないではないですか。そうですよね? 

神様から出る恵みと愛にも始点がないということです。神様から出る能力にも始まりがないということです。

しかし、そこから出るエネルギーは、私たちが触れることができるということです。

私たちは神の本質、目に見えない本質と一つになることはできません。なぜなら神は創造主であり、私たちは被造物となるのですから。

もし私たちが創造主と一つになったら、私たちも創造主になってしまうではないですか。これはダメです。これは違法です。

私たちは創造主にはなれません。そうですね?

その神様とどうやって一つになれるというのでしょうか?神様と一つになって、私たちが創造主になることは、これは完全にサタン教です。

そうですね?


しかし、私たちは神と一つになるのではなく、神から発せられる創造されていないエネルギー、万有原力と一つになることで、神を感じることができるのです。

神の力、神の光、神の恵み。わあ、わかりますか?

これは原理にずっと近いのです。

これは、実は、これが最も古代のキリスト教なのです。これは、わあ。


日本で、日本で「せえの!」と言う時にしますよね。韓国語では何…  韓国語で「1、2、3、オヤ」  「アか」「オか」 ああ、なるほど。「一、二、三、ああ〜」そうですよね? 


正教会の三位一体説明「太陽・光・温かさ」

わあ、これを今まで、二代王様は正教会についてあまり知らなかったので、ずっと霊的な勉強や研究、読書をしているのですが、これを読むと、特にグレゴリオス・パラマスヨハネ・ダマスケヌス (John of Damascus

私もハーバード博士号を目指していたのですが、御父様に呼ばれて、2006年に行きましたよね、清平に。


とにかくハーバードの博士号を目指しながら、ダマスコのヨハネ、ヨハネ・ダマスケヌス (John of Damascusと華蓮仏教の三位一体神学とを比較しようと博士課程の準備をしていたのですが、とにかくダマスコのヨハネも同じです。


ああ、太陽の中に、太陽があるけど、太陽から出る光、光があるなら、それは太陽そのものではないけれど、それでもその光を通じて、私たちは太陽の温もりを感じることができますね。

そうでしょう、そうじゃないですか? 

太陽の光に触れても、太陽そのものに触れているわけではないですね。そうですね? 

そして、もしその太陽が永遠であれば始まりがない。その太陽が永遠で、始まりがなかったとしたら、それなら太陽から出る光にも始まりがないということになる。そうですよね? そうじゃないですか?(「そうです」)

つまり、それでも太陽は光ではなく、光は太陽ではないです。まだ分離されていますが、それまらば、もし太陽が永遠なら、光も永遠です。そうですね? 

つまり、この意味は、神様も永遠ですから、神様の永遠な方ですから、何でしょう? 始まりがないのです。

神様には始点がないから、神様から出る光、恵み、愛、そして能力が永遠なのです。


瞑想神秘体験:神と一つになるのではなく神を体験すること


だから、私たちが熱心に祈るとき、「アボジ、カムサハムニダ」と、このような神秘的な祈りの時、このような神秘的な祈りの時、神秘的な神様との神秘的な体験と一つになることができます。

しかし、神様そのもの、太陽そのものではなく、太陽から放たれる光のように感じることができます。

このような神秘的な出会いに完全に没入し、自分さえも消え去り、神様の恵みと愛が全身を包み込み、このような神秘的な体験、つまり霊的な体験を通して、私たちは神様の深い恵みと出会うことができるではないですか。

全身がただ震えるほどに。


しかし、このようなことを通して、これは神と一つになることではない。なぜなら、もし神と一つになったら、何が問題になる? 私たちが創造主になってしまうではないですか。

それなら、これはサタン主義だ、サタンが創造主になろうとしましたね。そうですね? 


ああ、だからこういう瞑想の文化は、この部分に気をつけなければなりません。

神と一つになるというのはどういうことかといえば、神という創造主と一つになって、私たちも創造主になってしまうなら、これはサタン教です。


私たちは創造することはできません。しかし、創造主から出るエネルギー。そうですね。

万有原力、神から出る永遠の光、永遠の恵み、愛、永遠の能力、それを神秘的に体験することができます。

ですから、こうした呼吸をしながら「アボジ、カムサハムニダ」と言って、私たちの脊椎を静かに落ち着かせて。 

そのようにして、これも神秘的な祈祷になります。そうですね。

神様をより深い能力として、神様のエネルギー、神様から発せられるエネルギーを感じることができる祈祷訓練。


そうですね。神様自体と一つになることは私たちにはできません。キリストだけがそうできます。そうですね。

何故でしょうか?キリストと私たちとは存在論的に違うから。そうですね?

しかし、神の、神のエッセンスであるウーシア(Ousia)*と言います。

*神の本質(Ousia): 人間や被造物が決して知ることも、触れることもできない神の奥深い存在そのもの。 


(キリストは)ウーシア(Ousia)ウーシア(Ousia)と一つになることができましたね。

なぜ? つまり、私たちの創造主、これは問題なのです。

私たちは神のウーシアとは一つにはなれませんが、神のエネルギーと一つになって、深く没入することができるということです。

私たちが消え去り、神の、(李会長「爆死ではなく」)

爆発してはいけない。深く没入する、深く没入する。爆発するのではなく深く没入する。 そうでしょう? ええ、それで合ってますね。

そうですね? 


つまり、私たちがお父様に感謝を捧げている時、ある瞬間から訓練を続け、1万時間以上訓練すれば、ある瞬間にパッと消え去るのです。自分というものが完全に滅びてしまう。そして、お父様の能力と恵みにどっぷりと浸かることになります。

宇宙も消え去ってしまうのです。

このような神秘的な体験をすることになるのです。


しかし、これを誤解してはいけないのですが、これは神のウーシアと一つになることではなく、神のエネルギーを体験することになる、もっと深く。

ハレルヤ !

これを、分かりますか?


つまり、西洋キリスト教にはこれがなかった。

西洋キリスト教には万有原力、神のエネルギーの概念がない

西洋キリスト教はトマス・アクィナスの合理主義を通して主流となり、これを、ああ、理性主義(スコラ哲学)、理性主義が主流となり、これに反対したのです。ローマが。

ローマの哲学者たちがこれに反対した。この(正教会)の思想に対して。

しかし、こうした古代キリスト教を見ると、これこそが原理の万有原力を説明しています。はるかにうまく説明しています。

だから、プロテスタントたちは、私たちが「万有原力」について話すとき、「これは道教だ」異端エセだと言いますね。カトリックもそう非難します。

しかし最も古いキリスト教を見ると、これが出てきます。


そして聖書にも出てきます。聖書には神のエネルギーが出てきます。聖書の中で神のエネルギーという単語が26回も出てきます。

神のエネルギーだけではありません。サタンにもエネルギーがあります。ええ、つまり聖書ではサタンのエネルギーもでてきて、また神のエネルギーとして登場します。その言葉が26回出てくるのです。その単語が出てきます。エネルギー。

ウーシアは、単に神の本質だけでなく、神のエネルギーとして描かれています。


しかし、これを西洋の言葉、英語に翻訳した時、いつも「行動、行動、行動」って説明している。

この翻訳は間違った翻訳です。神のエネルギーと翻訳されていないのです。

なぜ?西洋、ローマ、キリスト教、つまりローマとキリスト教中心の翻訳だから、エネルギーについては説明しないのです。


わあ、一、二、三、「あ〜」

これを、知ってた?知らなかったでしょ、これを。  これが、どれだけ不思議ですか。

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