2019年12月28日土曜日

19年12月25日韓国語説教<全文>イエス様の懐胎と誕生そしてその時期◆文亨進二代王 

2019年12月25日韓国語説教<全文>文亨進二代王

クリスマス:

イエス様の懐胎と誕生そしてその時期 

監修:fanclub

0:07~10:55 翻訳minion

メリークリスマス、食口のみなさん、こんにちは。見れますか?コメントボックスに(コメントが)ある?一度見てみよう。訓練をしている若い夫婦が入ってきたか、一度見てみよう。 誰も入って来てない?(スタッフ:クリスマスですから)あ、イウンが入ってきたね。

12月25日にイエス様の聖誕を記念するようになった歴史的背景

今日はクリスマスの日に、12月25日に全世界が主の聖誕を祝っている、そのような内容ですが、実際のまま言うなら、歴史的に見たら、イエス様は12月に生まれませんでした。12月25日が何(の日)かと言えばローマ時代に、ローマ強制国、暴君主義、寡頭政治、政治サタン主義システム内に異端神、異邦神のシステムで、異邦神は異端神ですか?Polythism?(多神教)多神教、多神教のシステムにおいては神々が多いです。
ところで、冬の神、つまりミトラスカルト(cult、異端)、ミトラス神、冬に祝うミトラス神は、すべてのローマ帝国にいる市民たちがその祝祭をしました。サトゥルナリア(Saturnalia)という祭りをして、お互いにプレゼントを交換してやったのですが、実際はクリスチャンたちがイエス様に侍ることができないから、なぜなら、主に仕えれば死にます。不法です、不法。クリスチャンになることが不法です。主を信じることが不法なのです。

だから、ローマ帝国が作った神だけに仕えることができ、イエス様には仕えることができなかったのです。特に王の中の王として侍ることはできません。なぜなら、その当時は皇帝の時代だったから。王の中の王として仕えるようになれば、その言葉は、皇帝よりも高いということになります。主イエス様が。

ですから、ローマ大国がそれを不法、違法に作って、イエス様、主に侍ることができないようにしたのですが、クリスチャンたちが秘密的に、隠れながら12月25日にローマのすべての市民たちがミトゥラス神、偽りのサタン主義の神、子供達を児童売買する神、児童性的暴行する神、悪の神ですね?その宗教をすべての市民たちが祝っている時、祝祭をしている時、クリスチャンたちが秘密的に、秘密的に、そのようなローマ市民たちに合わせて、心の中でイエスの聖誕を考えました。

ところで、イエスの聖誕はいつなのか?聖書にでてきます。正確な日にちは出ていませんが、季節が出てきます。季節が。それを見るために私たちは今日、ルカによる福音書2章に行ってみましょう。ルカによる福音書2章に出ています。さあ、ルカによる福音書を見てみよう。

妊娠した女性はその子とともに偉大になる。

ルカによる福音書2章です。

2:1そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。

2:2これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。


カイザーアウグスト(アウグストゥス)。人口調査(韓国語の聖書では戸籍)が何ですか?税金。「王妃様:registration=登録」
しかし、本当は税金だ。ここでは税金だ、税金*として出てくる。
*KJV版聖書2:5 To be taxed with Mary
韓国語版では戸籍と出ているの?
「王妃様:はい、名前を登録することで出ています。」
名前の登録ではなくて、これは「王妃様:人口調査ですか?」
そう、人口調査です。census was take place(人口調査が実施された)。
「王妃様:戸籍も人口調査と似ています。」
なぜなら、(人口調査によって)税金を取るから。
「王妃様:はい」
さぁ

2:3人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。

2:4ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

2:5それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。

2:6ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、

2:7初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。


さあ、少し待ってください、5節を見ましょう。5節をもう一度読んでください。

2:5それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。

身重になっていた。キングジェームス(英語の)聖書ではどのようになっているかと言えば、「身重になっていた」だけでなく、マリアは「赤ちゃんと一緒に偉大になった(great with a child)」「赤ちゃんと一緒に偉大になった」このように出てきます。
2:5 To be taxed with Mary his espoused wife, being great with child.

今、現代においてフェミニズム、詐欺のサタン主義、快楽主義の宗教にいる悪い魔女たちが子供たちを殺したくて、自分の人生と自分勝手、利己的なな内容だけを追求し自分の快楽だけを追求したいし、よだれをたらすサタン主義の女がこのフェミニズムを広めるのですが、フェミニズムを通して妊娠自体が女の自由を奪い、女の人生を奪い、女の人生をより大変にして、これはすべてhow do you say liability? liability(責任、借金)が何?(王妃様:危険負担)危険負担だと言います。

実は、子供は最も大きな資産なのに、一番大きい。人類の資産であるだけでなく、子どもたち全体として言えば、子どもたちは人類の資産であるだけでなく、神様の孫です。子供たちは私たちの資産です、資産。

だからこの聖書に書かれていることは、マリアは「子供と一緒に偉大になったのだ」「偉大になった。」このように出てきます。妊娠した女性は、結婚の中で妊娠した女性は偉大だ。偉大。なぜ?生命を、次世代の生きている神様の形象どおりの存在を抱いています。

ですから私たちのコミュニティにいる若い王妃たちが、・・・イウンが来たね?イウンとキミヨ、今はその子たちが「赤ちゃんと一緒に偉大になったのである」という表現です。その子たちが今若い王妃たちとして偉大になったのです。赤ちゃんが自分のお腹の中に、・・・人です、赤ちゃんは人です。人、人、存在。人が大きくなっています、今。

今は自分の体の中に神様と一緒に奇跡を見ています。奇跡を、その内容を通して驚くべき人生が出てきます。生命が。

お互いが感謝する家庭生活

何と、昨日私たちはクリスマスに子供たちといっしょに、・・・みなさん、これ、かわいいでしょ?見えますか?キツネもいて、クリスマスキャンドルもあり、鉄の杖もサンタクロースの帽子を被っています。ところで、昨日子供たちとクリスマスの夕食を食べて、子供たちがお互いに3つの感謝な点を、それをお互いに話してくれました。やぁ、それをお互いに話してくれるので、その子たちも涙の海となって、その子たちも涙を流しながら、お互いに、どうして兄弟が、お兄さん、弟、何故お姉さん、妹が、3つの感謝を何故するのか、その内容をつくって交わしながら、泣きながら、喜びの涙を涙を流しながら、感謝の海、感謝の雰囲気、感謝の聖霊の恩恵の中で、そのような貴重な時間を過ごすことになりました。

 10:5533:52翻訳clean
ところで、あの子たちがただクリスマスにだけするのでなく、2代王様があの子たちを我が王妃と15年以上一対一の訓練を通じ、三つの感謝を訓練させたから、この文化文明圏に慣れているから子供たちが自然に、自然と、この三つの感謝する点を分かち合えます。 なんとまあ、どれだけ感動的だったか。 そうでしょ、オンマもたくさん泣いたよね? 一度証しを一度してみて。 はは、オンマも感動した。 「はい」え?「証しを代わりにしてくだされば」証し一度してごらん。 化粧してないからテレビ出ない? 「準備をしてません」  準備してないって。(じゃあ)話してみて。話で。ただ具体的にする必要なく、話でどうやって神様の恩恵を感じたのか。 


「(ヨナ王妃)はい、突然させられて、私がちょっと戸惑ったんですが。 えっと、子供達が各自、各自が、私が子供たちにしてあげることより、子供たちがお互いに話しながら自分たちが喧嘩したこと、惜しかったこと、そんなことがたくさんありましたね。 五人で、四人が男の子なので一緒に部屋を分けてお互いに腹が立った事、喧嘩した事、そんなことを謝って和解する姿が個人的に母親としてとても感謝しました。 
だから普通は暮らしながら、ご飯を毎日一緒に食べて、一緒に運動したり、礼拝したり、一緒に過ごしたりしても、そんな深い話をする機会があまりないでしょう。」
うん。
「(ヨナ王妃)でも、子供たちがこのように一緒に夕食を食べて、お互いについて話をし、一人の子供が何か話をした時、周りの子供たちが反応するのもとても面白かったです。 (ああ、それは余りにも違う、それはただの広報用の言葉だ)と。こんな風にも話して、あるいは共感する時は、一緒に大笑いして、そういうのも面白かったです。 ほぼ三時間ぐらいやりました。 お互いについて話し合うことを。」

だから考えてみなさい。そうした感謝の雰囲気、また、子供たちが15年間アッパ(お父さん)と一対一の訓練したから、あの子たちがこの文化に慣れている。 

「(ヨナ王妃)はい、とても自然にしてました。」

自然にお互いに感謝した点を考えながら分かち合える、そういうことがどんなに大切かわからない。 そんなことを見ながら、このような内容ほど感謝することはないでしょう。 この若い洗脳される政府の学校に通う奴隷達の教育だけ受ける快楽主義、利己主義、サタン主義、フェミニズムなど、社会主義、共産主義の内容を見ると、いつも女性に食いつくためにフェミニズムを敷きます。 

「(ヨナ王妃)子どもたちを寄生虫とも表現します。」
だから子どもたちを寄生虫と表現する。
「(ヨナ王妃)胎児たちは寄生虫だ。」
胎児、お腹にいる子を寄生虫と表現する。 どんなに悪いサタン女か分かりません。


しかし、そのような内容のために、妊娠自体、その「妊娠」の単語まで、女性の頭で否定的になってしまった。 
あまりにも多くの社会主義政府学校、奴隷勉強を洗脳され、妊娠そのものを否定的に考える。 

「聖書に出ているのは、妊娠は赤ん坊と偉大になった..」このようにでます。
だから母も偉大になり、お腹にいる赤ん坊も偉大な経験を、これから人生を始めるのです。 いやぁ、なんと驚くべきことだ。その表現が本当にいいだろう? 赤ん坊と共に偉大なり。そんなふうに赤ん坊たちがそのように。 
しかし赤ん坊を産むだけてはだめです。 赤ん坊を生み、神様とその子たちと訓練しながら一対一の訓練と、それぞれの子供たちとそれぞれの木に水をあげなければならりません。 要素も与え、栄養..

だから若い夫婦が少なくとも、少なくとも、五人の子供と一緒に偉大になることを神様の驚くべき恩恵で祈願します。 アジュー

少なくとも五人。三人だけ産んでも多くないだろう? 子供みんな大きくなったから。 そうじゃない?(あ、はい)三人だけ産むと少ない。実際。「はい」
五人産んだ時、豊かになる。豊か。 子供たちが生まれるだけではだめで、子供たちが知恵深き神様を愛し、尊敬するお父さん、お母さんの下で。
そのお父さん、お母さんは知恵がなければならない。 子供が理解できるように教育を合わせなければなりません。 

御言朗読は精誠ではない祈り理解しなさい。

イスラム教のように、子どもたちに訓読会の内容など理解できない時、ただ狂ったように聖書を読むとか、あるいはお父様の御言だけを訓読会のように、ただ読め、ただ読め、何も考えずに理解できない状態ですると、これは中東の子供たちがコーランを覚えるのと同じです。 子供たちが理解しなければならない。理解。 
これはイスラム教とキリスト教と仏教と別の宗教の違いです。 キリスト教の違い。なぜ?聖書の神様の御言葉を理解しなければいけない。読むだけではだめだ。 

私たち多くの東洋人が韓国、日本の食口たちが仏教と儒教の伝統から来たから。仏教でも「観世音菩薩普門品偈・・・(お経の様に唱えられる)」こんなことするじゃないですか。 ただ朗読だけするじゃないですか。 朗読そのものが精誠だ。 理解できなくても。そのような仏教徒たち、日本の食口たちが、特に浄土真宗から沢山来ました。 浄土真宗が何かというと、阿弥陀婆、阿弥陀仏の宗教です。 阿弥陀仏を祭る浄土真宗。ですから何ですか、how do you say the promised land in the in the 仏教?(仏教で約束された地は何と言うでしょうか)「極楽」と言うでしょう。極楽世界? 極楽世界が来れるように、阿弥陀婆を「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言うでしょう。 朗読だけするじゃないですか。 これは精誠だと言いながら。

聖書は違います。
聖書の朗読だけしても精誠になりません。聖書を理解しなければいけません。ただ朗読だけするのなら理解する必要がないではないですか。
神様のみ言葉を理解しなければいけません。深い心情世界。
情,知,義の世界を理解しなければならない. 理解しなければならない。 知恵が何か理解しなければなりません。 理解できなければ知恵も実践できません。 
神様の御言葉と共に生きることが仏教と儒教と違います。 朗読が一番重要なのではありません。 読みながらこれを理解すること。 心情と聖書の御言葉通り骨と骨髄まで入り込む神様の御言。 理解されますか? これがとても重要。 これが。 

だから神様の御言葉を読む時はゆっくり読まなければなりません。 良い方法は我が王妃がそんな事をここの王妃たちに教えてあげているが、何かと言えば神様の一節だけ読んでその次に祈るのです。 一節だけ読んで、あ、神様、この一節がどんな内容か考えながら祈ります。 簡単な考え 瞑想するのです。 次に次の句。 その次にまた止めてまた祈るのです。 神様は何とおっしゃっていらっしゃいますか。 と言いながら考えるのです。 こうしながら。 祈りの生活が疲れません。 祈りの生活がいつも新しく瞑想することで新しいことを発見します。 何故? ただ考えずにただダダダダと読むのではなく、読んで考え、読んで神様と対話するのです。
神様に良い指導と教えをもらおうとする、そのような姿勢で祈るのです。 神様の御言葉を。

ですからみ言と一緒に生きる事がそういうことです。み言葉と共に生きるのが... 考えてみてください。

私たちは夫婦生活、あるいは子供たちと一緒に暮らせば、いつも狂ったように早く早くしようとすると、多くの失敗を生むことになるでしょう。 ある時はゆっくり行かなければならないじゃないですか。  そんな言葉あるじゃないですか。 サバイバル訓練の時、非常状態でのサバイバル訓練の時、遅いのが速い事で、速いのが遅い事だ。 家を建てる時もそうです。 遅いのが速い、速いのが遅いのだ。 一度切る時に二度測らなければならない。こんなの出るじゃないですか。 家を造る時。 

そんな事のように神様の御言葉もゆっくりゆっくり読まなければなりません。 ゆっくり...一節一文を読んで、あ、神様、この単語、この単語自体がどういう意味ですか...と言いながら、その単語を一度ギリシア語で見て、ヘブライ語で見て、ゆっくり学者がこの経典を見るように。 ゆっくりと、ん?
そして神様がその内容を通して私たちは神様ともっと深い関係、もっと深い、「わあ神様が驚くべき御言をくださった」何も考えずにただダダダダと読んだ時、その単語があることも知らなかったが。 
これからは静かにゆっくり読んでみると、一文を読んで 神様、これはどんな内容ですか、と考えるから、祈りが新鮮で、祈りが面白く、祈りが生きた祈りになります。 神様と対話する時間になるのです。 これどれくらい重要か? 

瞬間、お父様との関係、お父様は聖書を基盤とされた。

皆さんは、お父様をただ行事の時にだけ見ていたから、家庭盟誓の朗読、訓読会朗読、こんな事だけ見たでしょう。 お父様と一緒に暮らしていないではないですか。 お父様の後継者、代身者、相続者、2代王としてお父様に直接仕えて、2年間付いて回っていたではないですか。 一緒に暮らしたではないですか。 お父様を行事で見る姿と一緒に暮らす姿。一緒に暮らした時に船に乗って静かに昼食を一緒に食べる瞬間、お父様の眼差しと小さな微笑みを下さる瞬間、瞬間。お父様が釣りをされている時に隣に座り、お父様の体温を感じながら、私の肩とお父様の肩が触れながらお父様の暖かい体温を感じ、お父様の手をしっかり握りながら、一緒に静かに波が動く海を眺めながら、カモメが飛び交うのを見ながら、お父様と一緒に暮らしたではないですか。 

カモメの翼の上に 詩を書いて浮かべる 若き日弾む胸抱き 
水平線まで駆け抜ける 帆を高く上げよう 
荒れた海を走れ 迎日湾の友よ 
ハハハ
みなさんこの歌知ってますか? この歌知ってる? 韓国人知ってるこの歌? お父様が好きな歌 「お父様からたくさん歌わされたでしょう」

カモメの翼の上に 詩を書いて浮かべる 若き日弾む胸抱き 
水平線まで駆け抜ける 帆を高く上げよう 
荒れた海を走れ 迎日湾の友よ  迎日湾の友よ 

わあ~!こんな歌も一緒に歌って。お父様はそういうことが、どれだけお好きでしたか。 


瞬間を見ながら瞬間 瞬間 感謝できる時間。 どれほど重要ですか。 お父様の性格、お父様のお好きな内容、お父様の雰囲気、お父様の恐ろしく偉大なパワーの存在。近づいて行きたいと思いながら、同じ瞬間にお父様を尊敬して恐れる、そのような美しさ。 

聖書の御言葉を読む時に、お父様と時間を過ごす事だと思います。 神様と。ゆっくり動かないと。 
神様を自分のスケジュールに合わせて、早く早くメッセージください。早く 早く返事をください。 早く早く、こんなふうに。「お前じっとしていろ こいつ」こんな風にして答えて下さらない。 何故か?賛美と尊敬。尊敬で来なければなりません。

 お父様の前にゆっくり。急がず、たくさん考えた状態で、たくさん祈って悔い改めた状態でお父様の前に来なければなりません。 
しかし悲しくて憂鬱で来たら駄目です。 肯定的に気分よく、感謝して楽しい気持ちで。しかし焦らない心で... 敏感ですね。鋭敏です。 バランス。バランス。

そのような態度とスピード。スピードで。神様と一緒に時間を過ごさなければいけません。 聖書と御言は神様から出たものではないですか。 だから、言葉も神様と一緒にいた、と出ているではないですか。 ヨハネによる福音書1章1節に。 

何故なら、人も考えてみると人の言葉は何ですか? 言葉は見えないでしょう。 今皆さん2代王の話を聞いていますが、この言葉が見えないではないですか。 聞けるのに見えないでしょう? しかしこの言葉は皆さんの言葉ではないでしょう。 私の口から出ているではないですか。 でしょう?
だからある面でこの言葉が私と一緒にいて、また同じ瞬間に私です。 私です。 見えない私。不思議でしょう? 皆さんも同じじゃないですか。 だから言葉が軽くてはいけません。 言葉に重みがなければ。 
特に父母が言葉に重みがなければなりません。 だから女性たちが小言をずっと言うから自分の言葉の重みがなくなります。 消えてしまう。 なぜ? 小言で言葉の重みを殺すから。

君たち、この若い女性たちがそれを知らなかっただろう? 
一度コメント見よう。 イウン。あと誰か来てる? コメントボックス見せなさい、テックチーム。 見えない。誰があと来たのか。 ノスク サモニムも来たね。 あ、ビクタームンも来たね。 何を言ってるかわかるか?この若いやつら。答えが出ないか。 この子たち寝ているのか!ただビデオだけつけて遊んでいるな。 あ、ユミがはいってきてるね。ここ イウンだ、ビクタームンは寝ていないね。 あの子も若い王になってしまったではないか。なんとまあ。アムも側に いるのか? アムに通訳している? ビクタームン? どこにいる? 出てこない。ビクタームン答え! ああOK 「アムも横にいます」 そうだね。(笑) 見たオンマ? 
 33:52-45:05 翻訳cham

だから私たち何を言ってたかな?・・・ オンマ、寝てたか? そう、そう、み言、 み言。み言が見えない「私」になってしまう。 そのように神様のみ言も見えない神様です。(見えない神様)から出ました。 だから、そのみ言と時間を過ごした時に、私たちの心の中にその種が植えられるだけでなく、私たちは神様と一緒に時間を過ごしているのです。 神様の性格、望まれ願われること。 

特に聖書をなぜ話すかというと、イスラエル民族がどのように神様を忘れたのか失敗したのか、それがたくさん出てきます。 特に旧約聖書で。それがとても重要だ。 どうして神様どう裏切ったのか、神様どう異邦(神)、いや、イスラエル民族が神様を忘れ、異邦神を侍るようになって、児童、赤ちゃんたちを殺し始め、赤ちゃんたちを売り出し、悪いサタン主義のやつらになってしまったか。 
そうしながら神様を捨てたから神様を... しかし、再び悔い改め、神様を探して、 ああ、これ、だめだと言いながら、もう自分にいる民族たち、いる民族たちに預言者が罰を与えるでしょ。 例えばモーセは3千人イスラエル民族殺したではないですか。 3千人。その金色の金色のえ、何? (金の子牛)金の子牛に侍っているから。 3千人殺したのだから。 罰があります。罰。 ただ許してくださるのではない、神はが。 あれほど大失敗をした時。 許すだけではありません。 許して3千人死にます。 大きな罰が出る、罰が来る。 それとともに、その3千人殺すのを、殺すことを見ながら「あ、私たちは神様に従わなければならない。」このように、この馬鹿達がこうなってしまいます、また。 神様にまた従うと言う人々。本当に惨めです。 

そのような内容がかなり多いです。 旧約聖書を見るようになれば、ところがそれはあまりにも重要だ、それを理解すること、どうして?私たちも異邦神に侍るようになるとそうなってしまいます。 韓氏オモニを見なさい。 韓氏オモニは完全に異邦神女神たち、今や作ろうとしているではないか。 これはサタン主義です。 それならば、おびただしい代価が来ます。え、ところが、凄まじく悪を追い求めながら、それが善だと言うのだろ。イザヤ54章(5章20節)に出てくるように、イザヤ書。 いやあ馬鹿たち見ると知恵がないです。どうして?聖書を知りません。 聖書の歴史を知りません。 

イザヤ書5章
5:20わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、
善を呼んで悪といい、
暗きを光とし、光を暗しとし、
苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。
5:21わざわいなるかな、彼らはおのれを見て、賢しとし、
みずから顧みて、さとしとする。

お父様のみ言と原理の柱・基盤は何か? 聖書、聖書。仏教ではありません。 儒教ではない。 道教ではない。 韓国の文化ではない。 聖書!(バンバンと机を叩かれる)聖書。 

それはお父様のみ言の基盤です。 イエス様のみ言の基盤が何でしたか。トーラー (モーセ五書)、旧約聖書。 イエス様はユダヤ人でしたが、それはイエスの基盤ではなかったし、何?旧約聖書がイエスの基盤だったのです。 旧約聖書のみ言葉。 そのようにお父様が韓国で生まれましたが、韓国、イエス様の時代にはローマ文明圏でしたね? イスラエルであっても、イスラエル民族がいても、ローマ文化文明圏。それがイエスの基盤ではなかったのです。 

韓国の文化文明圏はお父様の聖書基盤より大きくありません。 お父様の基盤は、お父様の聖書の基盤を通じてみ言が出るのです。神様のみ言。 
韓国文化文明圏は異邦神の内容が多いのです。 悪い内容が多い。
「沈清」見なさい「沈清」。「沈清」も子供の女を持って、その女子を児童売買するではないですか。 あ、何?海の神に投げて殺すではないですか。 殺人、殺人者。これは異邦神の宗教です、これは。 バアル神に自分の赤ちゃんを捧げるのと同じです。 悪い内容です、これは。キリスト教文明圏がこのような内容をなくしました、何故?これはサタンであるから。 だから神様文化文明圏は聖書中心、聖書。聖書中心。そのように重要なのです。

子羊たちが生まれる季節にお生まれになられた子羊イエス様

さあルカ福音書2章にまた行くことにしましょう、6節から、あ、5節、5節。妊娠した時、懐妊というが韓国の翻訳で、ところで良いキングジェームズ・翻訳ではどう出ているかというと、マリアは赤ちゃんと一緒に偉大だ、偉大になった、このように。
Luke 2:5 To be taxed with Mary his espoused wife, being great with child.

みなさんは 赤ちゃんができるとき、みなさんは偉大な.. (妊娠が)偉大なことだけでなく、皆さん偉大になっています。 ところでその偉大な基盤通じながら皆さんも発展して、また子供達と訓練しながら、子供たちも成長して行くにつれ、もっと偉大な神様の息子娘、もっと偉大な神様の祝福と恩恵、もっと偉大な神様の資産を拡大して大きく作ることができる、そのよう驚くべき人生を生きるようになるのです。
ところで、み言の基盤と同じ実践の基盤で訓練しなければなりません。 一緒に。神様を愛し、隣人を愛する平和軍警察の訓練。

さあ、さあ6節から行きましょう。 

ルカ福音書2章
2:6
ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、 
2:7
初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。 
2:8
さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。

ストップ。その羊飼い達が再び「この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。」ストップ。
「夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。」こう出ますね。 

だからその地域にいる羊飼い達が何をしていましたか。外で羊たちを守っていました。なぜ羊を守ってるの、外で?羊たちをどうして守っているのですか。 なぜなら羊たちが一年に一度、春、春から…冬が春になった時、その時に赤ちゃんを産むのです。 赤ちゃん産みます。 そうしながら子羊を産んだ時にオオカミたちが来てその子羊を捕まえて食べます。 だから羊飼い達がその時に一緒に羊たちと外で寝なければなりません。なぜ?オオカミが来るから。 
不思議だろ、オンマ。 
だから私たちは、イエス様は冬12月25日に生まれなかったということを確実に知ることができます、聖書から。イエス様は冬が春になる季節に生まれました。 春、春になる季節。 

エルサレムにその何?ある科学者たちが研究したが...。 エルサレムには今でも羊たちがいつ赤ちゃんを産むかというと3月4月、このように出ます。オンマ、ここ出るのだ。 ところで、ここにルカ福音8章で羊たちがその地域で、羊飼い達が羊たちをその地域で保護していたという話が出ます。 不思議でしょう。
小羊が生まれる季節にイエス、赤ちゃん羊が生まれました。 そうだろ、オンマ。
子羊たちが守られて生まれる季節に、赤ちゃんイエス様も子羊。 子羊の赤ちゃんイエス様もお生まれになったのです。 

すべての羊飼い達がその季節を知っているということなのです。 その季節を知っています、全ての羊飼い達が。全ての羊飼い達が、その季節にもっと子羊を保護しようとする心.. 何、心、保護心がもっと大きくなります。 同じ瞬間にすべての羊飼い達が緊張します。 何故ならオオカミたちが来るから。 オオカミを追い出す... 不思議でしょう?
その季節にすべてのエルサレムにいる羊飼い達が子羊たちを見守って生まれるのを待っているその日に、神様が子羊のイエスを送ってくださったのです。いやあ、驚いただろ。 冬ではなく、小羊達が生まれている時。
45:05-54:27 翻訳grazia
神様の王国は地上で成される王国

そうしながら、メシアが蕩減の道、苦痛の道、苦労の道を歩かねばならない。そのような目的でしょう。多くの苦労をしなければならないでしょう。しなければならないことが起こります。神様はイエス様を、死、死なせるために送ったのではありませんが、苦労を多くなさることは実際ご存知でした。神様、そのお父様の心を考えてみてください。お父様の心、独生子(独り子)、息子を、それ程までに大切な愛する息子を、世界、罪悪世界にお送りになり、その罪悪世界が、その息子を殺し血を流させた、お父様の心を考えてみてください。その息子が神様の王国の福音を持って、神様の王国を起こしていたのに。罪悪世界、罪悪、罪人たちがイエス様を背信して、その、オオカミたちが捕って食べようとしました。ですから、再臨、もう一度来ると約束をされたのです。神様の王国が実現できなかったから。霊的な救いの基盤を作ることはできたのですが、神様の王国は地上天国です。地上、地上にある天国。

それは、不思議ですね。不思議です。多くの宗教が地上が幻想だといいます。仏教、ヒンズー教、本当ではないと言うのです。そして多くの科学が好きな、アインシュタイン、特に科学が大好きな人達は、ヒンズー教のように、仏教のように、言います。この目に見える世界は幻想である。ところで、目に見える世界が幻想なら目に見える世界を所有することはできないではないですか。人間の所有権、所有権を奪っていくではないですか。明らかに、その内容を教える政府、その内容、イデオロギーを支持する政府が所有権が大好きです。
ところが、市民はそのようなイデオロギーを学びながら、何、この世界は幻想だ。このようなことを学びながら、所有権の権利に関する知識が無くなります。無くなってしまうのです。そうして、市民が、自分が、自分たちが、高い道徳をもって、道人の暮らしをしながら、政府、中央政府は好む奴隷になってしまうのです。所有できない奴隷。とても良い罠なのです、実は。「世界は幻想で、悟りを得ればこの幻想から抜け出すのだ。」というが、実は、実際には罠にはめられているではないですか。奴隷になってしまったので、所有権もなく、人権、権利もなく、何故?このすべてのことは幻想だから。このような相対主義の哲学を市民に植え付け、市民が、自分たちは高次元の道人だと信じながら、ところが、実は洗脳政府の馬鹿者になってしまったのです。政府は、面白く、すべての市民農業をすることができます。
ですから、神様のみ言葉が違います。神様のみ言葉と神様の約束は、神様の王国の約束は実体的なのです。その言葉は、この地球、地上が神様の息子娘(のもの)となることです。イスラムのものにはなりません。政府のものにはなりません。


神様の、天一国、神様の王国の市民(のものになることです)。世界が、詩編第2章にどのように出ていますか? 8節9節からどのように出ていますか? 

「ヨナ王妃:主の使者が共にあり、主の栄光が、彼らをあまねく映しだし大いに恐るるべし。」             
え? 「詩編?」 
詩編2章
「ヨナ王妃:あ、ルカの福音書2章ですね、申し訳ありません。」
詩編2章、
「はい、詩編2章で、ですね」
鉄杖について出てくるではないですか。

2:8わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、
地のはてまでもおまえの所有として与える。
お前の所有が地の果てまで至るであろう。それは、See see see (見えるだろ?) あ、ちょっと待って、その次に鉄の杖が出てきますね。

2:9おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。

おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。
ワオ!

その言葉は全く違います。その言葉は我々に見える地上世界は幻想ではありません。神様の約束の中で我々はこの地上を所有しなければなりません。所有。天一国憲法で全世界を、あ、全世界が天一国憲法の保護圏に入ってこなければなりません。その言葉は、市民が世界を所有しなければなりません。神様の王国の市民たちが、地の果てまで。
しかし、すべてのことが皆幻想ならば、土地もないではないですか。果てまでもないではないですか。全部幻想ではないですか。何故政府が、このような左派宗教を好むのか分かるでしょう? 皆さん。この政府が絶対にそのような内容は信じません。なに、世界が幻想だということを信じない。ところで市民が信じれば、自分たちの人生がはるかに楽になるでしょう。何故? 市民のすべての内容を盗んでいくことが出来るから。

ですから、この所有権がそれほど重要なのです、所有権。王家の王たちと奴隷の違い。奴隷は所有権について分かりません。所有権という権利もないではないですか。銃器所有は勿論、言葉の自由、勿論、宗教の自由も勿論なく、所有権もなく、人が物として暮らしているではないですか。それは、市民がそのようになってしまうのです。中央政府、政治サタン主義システムの中での社会主義、共産主義システム。

ところで、考えてみてください。
市民が聖書のみ言葉を理解し、神様の王国について理解し、所有権について理解し、神様の王国に天一国憲法の権利について知り、何故鉄の杖の所有、何故土地所有をしなければならないかを理解したら、あ、中央政府に多くの競争者が現れます。更に、天一国憲法を通して中央政府は土地を所有することが出来ないではないですか。
ですから、競争者もないでしょう。事実競争者ではないでしょう、中央政府が。中央政府は僕でしょう、僕!神様の息子娘が、アダムエバが、主人。
すなわち神様が我々を、何だって?王と祭司長、祭司長を立てられるのです。
我々が良くできるからではありません。神様の血と汗と涙の路程と苦痛の路程を通して我々が、もともと地獄へ行くべき罪人が神様の息子娘になり、神様の王の中の王になりながら、王の中の王の息子娘となって神様が我々を王と祭司長として立てられるのです。

その名称をいただいたのですから、あ、うまくやらなければなりませんか? 或いは、名称を受けたので終わってしまうのですか? うまくやらなければならないでししょう。その言葉は、私たちのお父様のみ言をもっと愛さなければいけないし共に生きなければいけないし、お父様の性格と、お父様が嫌がることや、好まれることを分かるようになって、神様の役事を、神様のみ言、旧約聖書、新約聖書、成約聖(書)、成約時代のみ言葉を祈りながら、ゆっくりと読みながら、瞑想しながら、お父様と共に時間を過ごして、真のご父母様と共に時間を過ごしながら、イエス様と共に時間を過ごしながら、我々の心も深まり、我々の背景をよく理解して、聖書の背景、選ばれた民族の背景をも理解しながら、神様に喜びをお返ししなければいけないでしょう。栄光をお返ししなければいけません。名称、名称をいただいたので、ただ眠って、怠惰な詐欺師になることが出来ますか? それでは、その名称が奪われていくではないですか。うまくやらなければいけないのです。

神様を愛し、隣人を愛するマタイの福音書22章に出てくる平和軍警察のモットー。み言中心の生き方、また、同時に、訓練、羊飼いと牧者になろうとする動機と実践がどれほど重要ですか。
このクリスマスの日に、我々は主の聖誕を考えながら、勿論今日ではなかったのですが、しかし、主の聖誕を考えながら、牧者が幼い羊を待つ、そのような心で主を愛し保護し、主の為に死ぬことが出来る、十字架にかかって死ぬことが出来る、そのような平和軍警察になって、神様の王国を護り、神様の王権を護り、神様にすべての栄光をお返しするメリークリスマスの日となりますよう祝願します。
アジュ、アジュ、アジュ

来週またお会いします。メリークリスマス!
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