2019年10月16日水曜日

新刊「捨てられた我らの父」18章◆キングスリポート10/12(土)2019

新刊「捨てられた我らの父」18章について。
イエス宣教の重大な転換点

Critical Turning Point in Jesus' Ministry 

The King's Report 10/12(土)2019

翻訳:英韓:李フエジョン 韓日:kuwano Akiko

おはようございます。 
2019年10月12日土曜日、天基10年9月14日キングスリポートへようこそ。 
2代王様の代わりのティムエルダーです。

今日がその日になりました。 ついに鉄の杖自由フェスティバルの日です。 数時間後にはオープニングがあり、人々が来る予定です。 それで、私たちのテクチームがフェスティバルの会場へ移動したので私のカメラで直接撮影しています。 そして、聖殿にもこのフェスティバルを準備してくださる方々がいます。

今日、天一宮の天気は現在華氏48度(9℃)です。67度(19℃)まで上がり、晴れあがったよい天気です。 雨の降る確率はありませんが、カバンの中にゴミ袋などを用意しておけばいいと思います。今夜は42度(5.5℃)まで下がりながら、降水確率は4%程度ですが、やはり雨が降らないようです。午前7時7分に夜が明け、午後6時23分に日が沈む予定で、日照時間は11時間16分間です。

今朝の聖書リマに行きます。
今日のリマのみ言は、マタイによる福音書17章です。

1 六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
3 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
4 ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
5 彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
6 弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。
7 イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。
8 彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
9 一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
10 弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。
11 答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。
12 しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。
13そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。(キングジェームズ・KJVマタイ福音17:1-13)

これはイエスの牧会で本当に重大な内容です。イエスは彼の3人の弟子たちベテロ、ヤゴブ、ヨハネを高い山に連れて行き、そこで3人の弟子たちは霊的な経験をするようになります。 彼らはここで肉体的ではなく霊的なイエスの姿に出会い、ここの聖書の一節では光で説明されています。 これは本当に驚きました。 そこで彼らは、イエスがモーセとエリヤについてお話しされているのを聞きました。(キングジェームズバージョンでは'Elias','エリヤ'と書いてあります) その後、彼らは神様の息子の声だと聞いて悟るようになります。これは洗礼ヨハネが聞いた声とも似ています。

真のお父様もこれについて、これはイエスの牧会におけるターニングポイントだったとおっしゃいました。イエス様が初めて来られた時、「私がメシアでここにいる、私を早く殺せ」としながら、「私が皆に救いを与えることができる」こうおっしゃってはいません。こう言われたのではなく、「悔い改めろ、神様の王国が近づいた。」 と、人々に「悔い改めなさい。」とおっしゃいました。

ここで私たちが問えることとして、もし人々が悔い改めていたらどうだったでしょうか? ニネベ(アッシリア王国の首都)でのように。 神様が悔い改めなさいとおっしゃって、王から人々まで皆悔い改めました。 それで、神様はその都市を滅亡させなければならないとおっしゃいましたが、滅亡させませんでした。このように悔い改められていたら、イエス様は十字架に釘付けになったでしょうか。そうではなかったでしょう。

つまり、イエスは彼の十字架に釘付けされないために、み言を伝えていらっしゃったのです。しかし、イエス様の牧会の後半では十字架に釘付けになることを語られ、ベテロがイエス様を防ごうとする時も「サタンよ、退け」と言われました。 このように、後半のある時点でターニングポイントがありました。 最初、彼がくださったみ言はイスラエル人に悔い改めろ、イエス様を受け入れろと言われました。 そうしていたのなら、十字架での釘付けではなく、他の結果を生んでいたはずです。

しかし、ある時そのターニングポイントを時点にして変わり、お父様はこの時点がここの聖書の部分で山でイエス様が変形されたことだとおっしゃっいました。 イエスは山に登ってモーセとエリヤと一緒に霊的な経験をします。 この出会いの瞬間がそのターニングポイントになったのでした。

初期にはイエス様があるメッセージを送られましたが、ある瞬間にそのミッションを変えるしかなく、これ以上イスラエルの人々がイエス様をメシアとして信じないことなので、プランBのような状況が必要だったのです。 もともとイエス様は霊的な救援だけをくださるために来ませんでした。 霊的救援と肉的救援を共にするために来られたのです。

私たちは神様の理想にはサタンの席はないということを明確に知らなければなりません。 神様が本来の計画された所にサタンの席はありません。それで、神様の理想がこの地に建てられる時にそこにサタンはないでしょう。現在のサタンは、神様の望みの目的に戻ることになります。それは僕の立場で人類を敬うことです。そして、霊的救援だけではこれを成し遂げることができません。

今日クリスチャンたちが救援を受けました。 はい、彼らは救援されました。 しかし、クリスチャン2人の男性と女性が子どもを産んだ時、その子も救援を受けなければならない状況なのです。これは神の本来の理想ではありませんでした。 アダムとエバが生まれた時、彼らは救援が必要でしたか。 そうではありません。 アダムとエバが初めて創造された時に彼らは救援が必要ではなかったです。 ところで、なぜ私たちの世界で生まれるすべての子どもたちは、生まれたら救援を受けなければなりませんか。それは神の本来の理想ではありませんでした。 それで神様の摂理は、この世で生まれた子供たちが救援を必要としない時期が必要なのです。 彼らがアダムとエバがこの世に生まれた時、罪なく生まれたように罪なく生まれ変わらなければならないのです。 その世の中が遠くはないのです。

しかし、これがイエス様が来られた理由でした。 その目標に向かっていけるようにするために来られたのです。 そして、彼の使命を全うされたなら、そのようにされたでしょう。そのために、イエス様が一番先に必要だったのが新婦を必要としました。 結婚し子供を生んでこの地に神様の血統を立てることでした。 そうすることで、すべての人類がこの地に神様の血統を相続されるはずでした。

そのため、イエス様がこの地にすべての人に悔い改めなさいとおっしゃったのです。 神様の王国が近づいた。 悔い改めなさいとおっしゃいました。 もし、人々がイエスのみ言に従って悔い改めイエス様をメシアとして受け入れたら、そうなったはずです。しかし、人々は悔い改められず、その使命を全うできなくなったのです。 だから、少なくとも霊的救援の使命でも果たすために十字架に釘づけされ、十字架を通じてイエス様を信じる人々は救われるようにされました。

ここで、2代王様の本であるOur Father Forsakenの内容のうち初期教会に対する内容をお伝えしたいと思います。
18章の内容です。 
この本は11月4日から販売され、現在注文をすることができます。

この本18章のタイトルは復活のイエスです。 その中の一部の内容を読みます。 初期のクリスチャンたちは、12人の弟子やマティア、エルサレムまで信仰心を持ってイエス様に侍ったガリリ人、イエス様が不明の病を治癒したマグダラのマリアを含む女性、そしてイエス様の母親だったマリアと初期の教会のリーダーになったヤゴブを含む彼の兄弟たちでした。 (使徒行伝1:14にあるように)彼らは聖殿で長い時間を送っており、ソロモンボルティコと呼ばれる東の壁によく集まりました。 彼らはイエスのみ言について話し合い、聞くすべての者たちにも福音を伝えるために一緒に集まって祈りました。

使徒行伝に示された福音のみ言は、最初に集まった信仰者のコミュニティの次のような宣言内容がありました。 イエス様がずっと待ち望んでいたメシアで、ユダヤ人の地上王国を回復させる方であり、預言者のイザヤが言ったようにダビデ王の子孫であり、洗礼ヨハネのように悔い改めと洗礼を通じ霊的な生まれ変わりについて述べました。 彼はまもなく来る王国を中心にしたお話をくださいました。 奇跡を起こし悪魔たちを退け、死者と復活と最後の審判の日について信じました。 非常に多くの群れを率いてイエスサレムに行かれましたが、犯罪者として逮捕され、カルバリで十字架に釘を刺されなければならなかったのです。 3日後、復活され彼の弟子たちの前に現れ天に上がられて神様の右手に座られました。

彼は栄光のうちに再び来られるはずであり、悪を審判し、新しいイスラエルを建設するでしょう。 イエスの再臨はすぐ起きるでしょう。 明日あるいは今日起きる可能性があります。すぐ一時間後に起こり得ることかもしれません。
そのため、初期のクリスチャンたちは、引き続き聖殿で過ごしながら、その栄光の日を待っていたのです。 しかし、いらっしゃいませんでした。

これがこの本18章の一部の内容です。 このビデオに本が買えるリンクを載せたと記憶していますが、また確認してみます。

イエス様は上の聖書の聖句にあるように、この山に登ってターニングポイントを迎えられます。また重要なことは、弟子たちが彼がモーセとエリヤと話すのを見たことです。これは真のお父様の教えを見せてくださっているのでとても重要です。 アダムとエバとその以後いた人々はずっと存在します。生と死についての内容は、聖書的には別の意味を持つのではないでしょうか。聖書では霊的な生と死があります。 霊的世界にいる多くの人々は霊的に死んだが、しかし彼らの霊は引き続き存在します。 そして、生きていた人なら誰でも霊的世界でずっと存在します。 アダムとエバ、モーセとエリヤを含めてです。

この聖句で彼らがイエス様に現われ、大きな変化が起こりました。 また、イエス様は一緒に行った3人の弟子たちがこの全てを直接目撃することを望まれました。 それで、具体的にこの目的のために山に彼らを連れて行きました。 そうしてこそ未来の人々がこれについて知ることができるからです。イエス様が復活した後、これが伝えられるようにするためだったと思います。 それを望まれました。

また、この場面はその弟子たちがイエス様がどんな方だったのか悟る場面でもあります。 彼らはその声を聞く前までイエス様が本当にメシアだったのか確信がなかったというのです。 その弟子たちさえ確信できなかったということです。 一番中心にいた3人の弟子たちです。イエスは本当にメシアなのかについて疑問を持っていたのです。 神様が本来イエスの弟子として準備してくださった人々が使命を全うできなかったことが本当に悲劇の内容でもあります。

特に、洗礼ヨハネの場合です。 お父様はベテロではない洗礼ヨハネが一番中心弟子でなければならなかったと言われました。 洗礼ヨハネは聖書について教育されておりユダヤ人のコミュニティで尊敬されていたので、イエス様と一緒に出て彼をメシアだと証していたら、イエス様の牧会において非常に大きな変化を起こしていたはずです。 そうしていたなら、このようなターニングポイントが実は必要ではなかったかもしれません。 充分な人々がイエスのメッセージに反応しメシアとして受け入れていれば、イエス様はその本来の目的を果たせたはずです。 それでマタイによる福音書17章はとても重要です。今日、このような貴重なマルスムを下さった神様に感謝します。

天聖経に行きます。 天聖経504ページです。 (英文天聖経)これは真の家庭についてのマルスムです。 天聖経[第9章真の子女教育]–5)愛の鞭

ヨハネの黙示録を見ると、冷たいなり、熱いなり、どちらかですべきで、温かくてはいけないのです。

愛の世界で生ぬるい態度はいけないのです。

今日は、鉄の杖自由フェスティバルが開かれます。 具体的な情報はないのですが、たぶん反対のデモする人がいると思います。 昨年、2月18日にあった生命書入籍祝福式の時にも同じでした。 ある方は西部からここまで来ました。 テディ ホームズという方だったと思います。 カメラチームを連れてきました。 彼は熱くはないし冷たいけど大丈夫です。 デモは論議を生み、論議はニュースを作り、ニュースは私たちのメッセージを伝えるのに役立つため、皆が怪我をしなければデモに来てもかまいません。

しかし、ヨハネの黙示録によると、冷たいか、熱いかですべきで、生ぬるい態度はいけないとおっしゃっています。 ほとんどの人は生ぬるい態度を見せます。 テディ ホームズのような人は実はそんな人たちよりずっとましです。 生ぬるい態度でただ日常生活を営み、毎日自らの生活に影響を及ぼすこと以外には何の関心もない人よりましです。

例えば、2代王様が編纂したOur Father Forsakenを読みながら、どんな人たちがこの本を買うのか考えてみた時、私はどんな宗教であれ自分の宗教において深刻な人が買うという考えに至りました。どんな方向であれ関心がなく、ただ気を使わず、他人のように「自分の暮らしだけをする」という、クレジットカードの借金に何がそんなに問題なのか、皆そうしないのか、ただ、私は良い家に住んで、良い職場と夫を持って他人と同じように暮らす、という人たちは生ぬるい態度の人たちです。 それがほとんどの人々に該当します。 毎日働きに行ってもそのことについてあまり気を使わず、家に帰ってきてテレビを見て寝ながら同じ一日を過ごすのです。

熱くて冷たいことにおいて、皆さんが違うかもしれません。 しかし、少なくとも冷たいなら、例えば神様の摂理に反対するとしてみましょう。バウロをご覧ください。 このような人たちは、ある瞬間に神様から導かれます。 なぜなら、関心を持って気を使うからです。 彼らのミッションについて関心を持って神様の摂理にどんなことが起きるのかに関心を持っているからです。サウル(パウロのユダヤ名)を見た時、彼はクリスチョンたちを圧迫し刑務所に閉じ込めました。ところで、イエスが彼に現れた時、彼に止めろと言われました。 それで、彼はある極端から違う極端に行きましたが、もしある人が冷たいのならその言葉は神様が彼と疎通できる可能性があるということです。 彼が世界にどんなことが起きるのか関心を持って気を使っているという事実のためです。

例えば、このスウェーデンでの青少年のような場合はどうでしょうか。 彼女は何人かの大人から気候終末論に関する内容を促進させるために使われましたが、ノーベル平和賞を受賞するという噂もありました。 ところでノーベル平和賞は他の人に贈られました。 ところが、彼女のような人もある瞬間にそんな経験をすることができるのです。 また、フロリダでデービッドボガーという人も銃規制を強く言う人もいます。

実は多くの共産主義者だった人々が統一教会に入りました。 少なくとも私が大学時代に左派運動をした多くの学生が統一教会に入りました。 なぜなら、私たちは世界にどんなことが起きるのかについて関心を持っているからです。 それで、神様がそれを使うことができたのです。それで、冷たいか熱いかですべきで、絶対に生ぬるい態度をとるなと言ったことは、確かに重要なことです。 今日の午前、このみ言を下さった神様に感謝します。

時事リポート
今日は私のカメラしかないので、すぐ記事に入ります。 
◆トランプ大統領が昨日ルイジアナにあるラリーに行きました。 今日はルイジアナで選挙もありますのでルイジアナに知り合いがいたらお知らせ下さい。 そこに行って保守主義者に投票するようにお伝え下さい。 現在、州知事のベル エドワードと2人の共和党候補たちがみな出馬します。 ルイジアナは別途の予備選挙がなく、出馬したい人は一度に選挙に出馬して誰かが50%以上を獲得すると、その人が当選されます。 50%にならない場合、2人の候補で決選投票をすることになります。 今日、現州知事のエドワーズを再び当選するか、他の人が当選します。 彼が50%を達成しなければ、決選投票を再度進行することです。 昨日トランプ大統領は、左派の民主党候補を変えるように投票するように言いました。

また、今日トランプ大統領は福音主義者グループに講演する予定です。 福音主義者のクリスチャンたちは現在、トランプ大統領がシリアに取るアクションが気に入らないと言います。

アメリカの大統領になれば大変で強靭な決定を下さなければなりません。 そして、トランプ大統領がこのような危険に対して知らなかったと思います。 しかし、いろんなことを考慮し正しいことをするようにしなければなりません。 福音主義者がそれを理解することを願います。 そして、このクリスチャンたちを保護したいなら、ヨーロッパに圧力をかけて、そのような役割ができることを願っています。トランプ大統領がツイッターでも触れたように、「この事案は欧州やロシア、そしてシリア人が協力しなければならない問題だ」と述べました。

◆この区域のクリスチャンのために祈らなければなりませんが、アメリカが彼らを無限に守ってくれることを彼らが正当に望むことは難しいと思います。ここのクリスチャンたちがセルフディフェンスできる能力を開発しなければなりません。 
天一国が建てられると、神様がどんなことを予見していらっしゃるかは全て知ることはできませんが、小さな国の形で始めることができます。 世界の他の勢力もあるでしょう。 しかし私たちは強いセルフディフェンスの哲学を持っているはずです。

このクリスチャンたちの哲学についてはよく知りませんが、もし彼らが私たちを保護してくれるだろう、トランプは憎悪だというような態度をとっていると、彼らが全滅しても文句が言えないのです。 防御できる能力がないのに私たちはクリスチャンだから神様が他のコミュニティを活用し私たちを守ると思うのはとてもエリート主義的な考えです。 他のコミュニティは私たちのために死ぬだろう、アメリカ人は私たちのために死ぬだろう、私たちが脅かされれば米国の若い人たちが来て私たちのために死ぬだろう、それはクリスチャンではありません。

このクルディスタンのクリスチャンたちに対して私がよく分からないから、彼らがこんなふうに言うのではありません. しかし、彼らがセルフディフェンスのための技術と道具を作っていくことを願います。 そして、その福音主義者がこのクリスチャンコミュニティを助けたければ、彼らのセルフディフェンスができる技術と能力をサポートするようにしなければなりません。

イエスは剣を買えと言いました。 そうですよね? イエス様は危険に直面した時、119を呼べとこんなふうにおっしゃらないでしょう。 イエスは服を売ってでも剣を買えと言いました。

NGO団体がシリア人とクルディスタン人に対する支援をしたという記事です。
普通、最大限多くの寄付金をもらうために左派たちがよくその数字をもっと大きく拡大操作します。 もし、正確な数字をレポートすれば、彼らの目的を達成するのは難しいでしょう。しかし、これからの状況はもっと見守らなければならないようです。 もちろん、ここにいるクリスチャンたちのために祈ります。 しかし、彼らがセルフディフェンスのための技術と道具を開発できることをお祈りします。 それが私たちがお祈りする内容です。 単にクリスチャンという理由だけで、無条件に他の人に頼り他人があなたを守ってくれるというのはとても利己的で、クリスチャン的ではありません。 クリスチャンだからこそ、誰よりも自分のセルフディフェンスに責任があることに気付かなければなりません。

2代王様が出版された本の中から例をあげると、統一メソディスト教会について語られた部分があります。 そのセクションを読みます。

最近、統一メソディストインサイトという出版社でブライアンシュナイダーの「イエス様のための銃はございません」(No Guns for Jesus Folk)という記事を載せました。 このタイトルだけでもどこに向かっているのかわかります。 彼はクリスチャンたちが自分を保護するために武器を使うのはイエスの教えに反すると非難しています。 キリスト教の教えによると、少なくとも神様の愛を信頼するクリスチャンの手には銃が使われるように意図されたことがないとしています。 これは統一メソディスト教会からの教えの内容です。 彼らはキリスト教教派の中で一番大きな教派の中の一つです。 もしも本の内容を続けると、あなたがセルフディフェンスのために銃を所持しているのなら、それは死ぬのが怖くて自分自身と家族を守るために殺さなければならないということを内包するとしています。

ある個人が選択することはできます。自分自身を保護するより大変だということです。 しかし、その周辺にいる人はどうですか。 あなたの子供たちは? 彼らは選択できますか。彼らの選択をあなたが代わりにすることですか。それはとても半クリスチャン的で利己的だと思います。私は妻を守るより強姦されて死ぬことを許します。(ということなのですか。)

スペイン系のレポーターがここに来てリサ王妃にインタビューする中、もし悪人が入ってきてあなたの妻を強姦し始めるとどうするつもりですかと聞いた時、そのリポーターの答えは、「私は警察に任せます」でした。どれ程、馬鹿げた答えですか。悪人が入ってきて妻を強姦しているが、そこにじっと立って911に電話をして私の妻が強姦されています、どのくらい早く来てもらえますか? 冗談を言わないでください。 そのリポーターが完全なる女性嫌悪者かどうか分かりませんが、一般的な男性は妻が強姦されるのを絶対見過ごすことはできないでしょう。 また、一般的な男性はただそこに立って、自分の家族が死んでいくのを見守ってはいないでしょう。

これは他の頬も向けなさいというイエスの教えに反することです。

これがまさに人々がよく使う実話です。しかし、2代王様もおっしゃるのと共に私たちは誰かが頬を殴ったとして銃を撃つことがありません。 もちろん私たちは片方の頬を打たれたら、もう片方まで打たれるということです。 銃はそのような状況で使われるものではありません。 銃は妥当な目前の一触即発の死の脅威がある状況に使われるものです。 瞬間すぐ迫る一触即発の脅威です。 そのため、頬を向けろという一節は、この状況に合った内容ではありません。

また、彼らがよく使うのが刀で栄えた者の刀で滅びるでしょう。 もう一度申し上げますが、その状況のコンテキスト、すなわちその状況の脈絡を見なければなりません。この言葉はイエス様がイエス様を逮捕しに来たローマ人に言った言葉です。 ローマ軍人の群れがオリーブ山にイエス様を逮捕し捕まえようと来た時の状況です。 この時、ペテロが刀を伸ばして、ある人の耳を切ります。 この瞬間にイエスがすぐその耳を付ける奇跡を起こさなかったらどうなったでしょうか。ぺテロは、何を考えていたのでしょうか。 もし彼が強力な専門軍隊の群れと戦闘を繰り広げようとしたら、大虐殺が起きたはずです。 そこにいたすべての弟子たちが皆死んだはずです。

それは一言で警察による自殺行為です。 もし、銀行強盗を捕まえようとする警察に強盗が武器を取り出してその警察の耳を切るならどうなるでしょうか。 そこにいるすべての警察たちによって一瞬で死んだはずです。 ペテロがここでしたことはとても馬鹿なことでした。 イエス様を危険にさらしただけでなく、自分を含め、そこにいたすべての人々を危険にさらしました。 その具体的な瞬間に刀に依存したからだ、それでここでイエスは刀で栄えた者の刀で滅びるとおっしゃったのです。 そんなふうに刀に頼るなら、お前自身を殺すことになるだろうとおっしゃってくださったのです。

ところで、私たちが知るべきことは、なぜベデロが最初にその刀を持つようになったのかです。

ルカによる福音書でイエスが弟子たちにセルフディフェンス、自分を防御するために剣を買えと言われました。彼らの服を売ってでも剣を買えと言われたのです。 セルフディフェンスのための道具を持つためです。 イエスはその刀を持って何をするか、その刀をなくせとおっしゃいませんでした。 そうしなかったです。 イエス様がおっしゃったのはそれで暮すなとおっしゃったことです。

そのため、ベータクリスチャンたちがその一節を使いながら、クリスチャンたちは刀を持ってはいけないと言うが、実は彼らが言っていることは私たちは他の人々に頼って私たちを保護するようにしなければならない、警察に頼って私たちを保護するようにしなければならないと言っているのです。 警察が彼らの生命を犠牲にして私たちの暮らしを守らなければならないと言っているのです。 これはクリスチャンではありません。

メソディスト教会は続いて、イエス様がなさったのは巨大な悪に対抗した非暴力的な抵抗だった、悪に向かって暴力を振るうのはまるで火炎装置に火をつけることだ、それは成功するかもしれないが周辺の人々にとって非常に危険だ、イエス様がおっしゃったように神様は愛であり神の本質は愛であるから、愛を完全に強力なものであり、銃でもない悪でもない愛が宇宙で一番強力な力である、それで私たちはもし悪に対抗したければそれを使った方が良いだろうとしています。

これは愛に対するとても誤った解釈です。

私は私のコミュニティを愛します。 そのため、悪に対抗してコミュニティのための安全と防御に参加します。 私は私の家庭を愛します。 そのため、家庭の安全に対する責任を負います。 そして、私は必要な状況なら、致命的な力を使って家族を守ります。 それが愛です。

愛はただ座って「私の神様」と言って歌を歌いながら、「私を撃て」と言うのではないです。 それは愛ではありません。

メソディスト教会はこのような立場を固守し、NRAが2016 General Conferenceでスポンサーをすることも撤回しました。 
今まで内容が王様が出版された本 Our Father Forsakenの一部でした。 アマゾンでこの本を買えるリンクが現在出ていますが、生放送を終えてもう一度確認してみます。

◆10月はハロウィンがあるため、ホラー映画が多く出ています。 去年の同じ時期にも申し上げましたが、私たちは必ず覚えておきましょう。霊的な世界は実際です。 そして、その霊的世界にはいろんな人がいます。 低い霊的世界では悪い人々もたくさん存在します。 そのような悪い霊たちが地上世界にいる人々とつながり、彼らの悪さを繋いでいくことができるようにするのです。

そしてハロウィンは、悪い霊たちが地上世界にいる人々とつながる通路になります。 多くの人々が「ああ、その日はただの意味のない休日」と言うけど、本当ではありません。 意味がありますね。 そして、その意味は良くありません。 非常に明確な異方神の文化です。10月31日前にすべての邪悪な精神が出て事を起こすとするが、これはいたずらがありません。 ただパーティーする時間ではありません。 これについて注意を払って、ハロウィンパーティーに参加しないでください。

私たちの聖殿で初期には、「反ハロウィン」イベントで聖霊のナイットを開いたんです。 数年間やってきましたが、それもしないほうがいいです。 ハロウィン自体を意識するよりは、そのままにしておいてください。 ただ最大限早くハロウィンが死ぬようにして置くのが一番良いでしょう。 私たちがクリスチャンとして参加するのは良くないです。

我々の祝祭でとても小さいのですがフリーゾーンを作っておきました。 そこが左派の安全な空間になるでしょう。 だから、左派の友達と一緒に行って、皆さんが歩き回りながら祭りを楽しんでいる時、彼らはその安全空間に立っているようにすればいいと思います。 ハハ。

はい、これで今日のキングスリポートの内容を終わらせていただきます。 今日と明日の内容はこれにして、月曜日に続く生命の書入籍の祝福式が成功するように祈ります。

今日も共にして下さり、感謝いたします。 

すべての映像装備がフェスティバルの会場に行くことになって、私の個人カメラで撮影することになり、映像が円滑でなかったこと、申し訳ございません。 月曜日に私たちは日程を終えてまた戻りますが、キングスレポートはない予定です。 
火曜日のキングスレポートから鉄の杖自由フェスティバルについてお伝えしたいと思います。 日曜日は聖殿では日曜礼拝がない予定です。 野外で進められる予定です。

視聴してくださりありがとうございます。 
神様の王国がこの地に早く成されるよう祈ります。
___________________________キリストのリバイバル、クリック感謝です。
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