Light Overcomes Darkness (Sunday, Jan. 24, 2016)
『暗闇に打ち勝つ光 』英語説教 <要点>
ヨナニムの証
今日は主人が讃美礼拝について証をしなさいということで少しお話 ししたいと思います。
なぜ気分が悪い時でも讃美礼拝をするべきか、 ということについての小さな証です。
私たち家族がペンシルベニアにやってきた時、 私の人生で最低の状況を味わっていました。
「私たちを理解するものは誰もいない」
どんどん否定的になっていったのです。もう降参でした。 私の力ではこの試練を超えることはできない。 でも一つだけ超えることができる力があることを知っていました。 神様なら超えられる、キリストなら超えることができる、 そう思いました。
母親、妻の仕事を放棄して一日中祈ればいいのか。そこで、何をし ている時でも、たとえば車を運転するときも、 食器を洗っている時も、洗濯をする時にも、できることがある。
それは神様を讃美することだと気づきました。
そこで私のお気に入りの讃美歌の歌詞をプリントアウトして、 キッチンや洗濯場の壁に貼り付けました。
世界の終わりのような思いの中、 否定的な気分になる時はいつでも讃美歌を歌いました。 自分の悲しみと主のよろこびとを交換したのです。
いまは最低の環境だけれど、必ず朝は来る。 そのときには主の栄光を讃えよう。そうやって生活を送りました。
たとえ私がその気でなくても、 神様との関係を決めるのは私の気分や私の置かれた環境などではな いのです。
神様のみ言が素晴らしく、その愛が素晴らしく、 神様ご自身が素晴らしいお方なのです。だから讃美するのです。
(亨進ニムの)説教で悟ったのですが、「神様の言葉を聞く」 ということは決して自己肥大化に通じるものではなく、 自分を謙遜にしてくれる、より良き自分に変えてくれるものなのだ 、そう思いました。
ある晩、神様の声を聴きました。
「クロゼットをみて見なさい。どれほど片付いていないか。」
「あなたの霊的生活はどうか。それも片付いていないのか。 それを整理しなさい。 そうしないと罪や悪いものが積みあがっていく。 そして自分がどこにいるのかも分からなくなってしまうだろう。」
私たち霊的生活を整理するとき、 そこに神様がはっきりと進むべき道を示してくださるでしょう。 神様はわたしたちの救いであり、 永遠の生命であり真実のお方です。
神様を讃美しましょう。すべての栄光と力にふさわしいお方です。
テモテヘの第二の手紙一章
み言は本当に強力です。
特に7節、「神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではない」 という箇所は重要です。というのも今、 艱難の時代が始まりました。 世界的な統計を見てもそれが分かります。シュミタ(安息年) およびその翌年に多くの戦争が起こって来ました。 とりわけ中東でそれがいえます。
今、私たちは世界経済崩壊の現場にいます。
これは過去3年間言い続けてきたことです。その時人々は「 頭がおかしくなったのではないか」といいました。「 荒野の裸の王子」とも。
今サタンがやりたかったことをしようとしています。 それは人類を支配する、世界的で巨大な中央集権・ 独裁権力の構築です。
堕落した、サタン的な国際連合が主導しています。
ヨーロッパでは過激なイスラムの流入が止まりません。
お父様が予言された通り、お母さまはお父様に背を向けました。
新たに堕落の四位基台を考案し、独生女理論を構築。
今や数々の公的な席上、 二千年キリスト教の歴史は再臨主である独生女を迎えるためのもの であったと公言してはばかることがないのです。
これは異端というよりもレズビアン神学です。
家庭連合の男たちはバイセクシャルになるのです。 なぜなら妻が女性と交わるのですから。 文字通りサタンの三位基台造成です。
再臨主は神の血統をもってこられます。 三日儀式と祝福は二千年のキリスト教神学が明らかにできなかった ことを見事に明かしています。
キリスト教神学では再臨主は「花婿」、「裁き主」、「王」、 この三つの位相をもってこられます。
私たちは皆、「キリストの花嫁」 の立場に立っていると言えるのです。
「キリストの花嫁」とは一体何であるのか。
三日儀式で明らかです。神様の祝福を受けた時点で、 女性は堕落エバの立場からキリストの花嫁、 復帰されたエバの立場に立ちます。キリストの花嫁が女性ですから 、これはごく正常なことでしょう。
一方で夫は偽りの種を与えた堕落天使長の立場から、 神様の種をもつ神の息子に帰るのです。こうすることで、 神様の体であるキリストと肉体的にも一つになることによって、 夫は神様の血統を持つ神の息子となり、妻は夫を通して神様から愛 されるべきキリストの花嫁となるのです。
地方分権、一極集中しない権力構造、 これらは一体どこからきたのでしょう。 神様との直接な関係を重要視するプロテスタントの伝統から起こっ たのです。
カトリックはこれまで、ファシストを支持し、 ヒットラーをさえ指示した歴史があります。なぜなら自分たちも中 央集権だからです。
艱難はキリストの来臨、神の国の到来の証です。
聖書は艱難の後キリストが来られる様子を描いた部分で、「 その着物にも、そのももにも、『王の王、主の主』 という名がしるされていた。(黙示録19:16)」 という箇所があります。
ももの内側は種に近いのです。神様の種です。
キリストの正体が「もも」に書かれていたというのです。
今週、国進兄さんが来たとき、 お父様のお写真を見ておもしろいことを言いました。
「写真を見てごらん。 お父様のももに三大王権の名前が書かれているではないか。」
この三代王権はお父様御自身が用意されたものです。 ここから自由と責任にもとづく天一国憲法も生まれました。
ますます悪化する国際情勢、迫害の激化、イスラム過激派の台頭、 すでにヨーロッパで起こりつつある文明間の衝突、 確かにこれらは現実に起きています。 しかし神様の栄光と王国の到来があることを忘れてはなりません。
キリストは死を滅ぼし、 福音によっていのちと不死とを光の下に示されたのである。
神様を讃美するとき超自然的世界に入って行く、 超自然圏に入って行く。 そこで神様と親しく交わることができるのです。
苦難の時こそ、真の信仰者、神様の息子、 娘にとって喜びと神様の御力を求める時です。これが重要です。世 界の崩壊が進んでいく中においても神様を讃え讃美歌を歌い続ける のです。
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