2026年6月4日木曜日

天地創造神の「為に生きる自己中心」

 天地創造神の「為に生きる自己中心」


序文:公務「異端者爆発者・菅井グループ」警告啓蒙


菅井教祖は最近「私はお父様の聖霊を感知し、授受作用をしますから御父様と霊通していない」と主張することによって、御父様とこの菅井氏が授受作用する聖霊は、御父様とは霊通できない三位一体ではない別の霊、サタン聖霊であることを自白しました。

文亨進師は菅井教のようなお父様の聖霊を感知し、授受作用をしますお父様はこのように言っている」お父様はニ代王様には摂理を語るが、私には真理を語る」などと言う聖殿内部に入り込んだ反逆者たちに対して、「文亨進以外は異端者だ、爆破者だ」という審判と、「地獄に行く」「滅びる」という審判を下されています。



菅井グループ問題の相談の結果、上記公文のように、「そのような者は滅びる、放っておけ。しかし異端者、爆破者から目を覚ますよう警告や啓蒙をしなければならない」という指令を下されました。

この記事は彼らの救いと、この王様の指令による警告啓蒙公務の一環です。



「菅井教のお父様の聖霊」は韓国語と文鮮明師の漢字学にまったく無知な霊


今回は韓国語「위하다」を漢字を用いると「為하다」であるという視覚的にも実にシンプルな事実により菅井教の経典「真の父母様の本体論」が偽りであり、この「真の父母様の本体論」を菅井教祖の教えた聖霊は聖霊を名乗る悪霊であることを証明します。



韓国語の「하다」は日本語で言えば「する」です。

「위する」を漢字で表すと「為する」となるということです。

(自然な日本語は「為にする」ですが、明確にするため韓国語に当てはめ説明します)


最近は韓国語は漢字を使いませんが、1970年に漢字廃止宣言され1990年代初めまでは「위하다」は「爲하다」と新聞では表記していました。


問題になっている文鮮明先生の御言の韓国語は

「자기를 위하던 때로부터 상대를 위하는 때로 전개되는  것입니다.」

ですが、これを漢字を交えて表記すると

「自己를 하던 때로부터 相対를 하는 때로 展開되는  것입니다.」になります。

日本語直訳は

「自己の していた時から 相対のする時に展開されることです」となります。

(比較のため「に」を省き「爲」ではなく「爲」にしています。)

*注:「為」の旧漢字、韓国漢字は「爲」


https://kuruto.muragon.com/entry/412.html


しかし菅井教は

「自己를 優先하던 때로부터 相対를 優先하는 때로 展開되는  것입니다.」

「自己を 優先していた 時から 相対を優先する時に 展開されることです」

と訳すのが正しい御言の解釈であるから「真の父母様の本体論」を真理であるとします。


つまり菅井教の「真の父母様の本体論」は

文鮮明真の御父様の原文「自己를 하던 때로부터 相対를 하는 때로 展開되는  것입니다.」には「」という意味はない。「優先」が正しいとする神学です。

「優先」が正しいのであれば、菅井教は、「何」に対して「何」に比較して自己を優先したのか、その「何」を明確にしないといけません。


文鮮明真のお父様は論語なども極めた儒学漢字の達人でもありました。

そのお方がわざわざ「」という漢字を使う「위하다」を使われたことには「爲」に関する深い意味があります


ところが「菅井教のお父様の聖霊」は、

爲하다」の「」は「爲」ではない「優先」であると主張します。

つまり、この菅井教の聖霊は、「위하다」とは「爲하다」であることをまったく知らない霊です。

菅井教の聖霊は1990年代初めまでは新聞では「위하다」は「爲하다」と表記していたことも知らない無知な霊です。


このように「菅井教のお父様の聖霊」は、完全に韓国語と文鮮明師の儒学漢字東洋思想にまったく無知な霊です。

「菅井教のお父様の聖霊」は、これほど愚かな霊ですから、明らかに、この「菅井教の御父様の聖霊」は、御父様とはまったく関係の無い、お父様の聖霊を名乗る偽物のお父様の霊であり、悪霊であることが立証されました。


従って、

爲하다」の「」は「爲」ではない「優先」である。従って夜の神様にはもともと「為」という概念はなかった

とする菅井教とその経典「真の父母様の本体論」は完全に真の御父様とは関係のない偽物であることも立証されました。


以上、結論から先に述べましたが、長いですが、以下にその論証をします。



菅井教「真の父母様の本体論」崩壊の振り返り


その論証の前に、この「為に生きる」に関して既に、菅井教は自身の「為に生きる」の根本神学が破綻していることを自ら受け入れたストーリーを振り返ります。

詳細は「高キリスト論:神は自分の為の時があった」を参考にしてください。



菅井教は、

真の愛は「ため」に生きるところから生じる

愛の理想を探し求めてきた神様のこの宇宙創造の軸は、注入からです。

という文鮮明師の御言は、創造後の神様についての御言だと次のように断言しました。


天一聖殿さんが自分の主張を正当化するために用いたみ言は、「創造後の神様について語られたみ言」です。つまり、愛の対象となる人間と被造世界を創造するために、構想理想として立てられた神人愛一体理想の核心となるべき尊いみ言です。https://ameblo.jp/hosizoralove/entry-12913417180.html


このように、夜の神様は創造の前に「為に生きる」よりも先に「女性」を構想し、しかも「為に生きる」とは創造後の神様について語られたみ言』である定義していました。

つまり『女性」構想が創造前であり、「為に生きる」構想は創造後である』、これが菅井教「真の父母様の本体論」の根幹でした。


ところがこれを、「高キリスト論」から見る自己中心的神と四大心情圏によって、論破され、

次のように論を覆してきました。


菅井教:「真の父母様の本体論」は、そのことについて解説しています。つまり、「女性の構想」の前に、「為に生きる心情」への覚醒がありhttps://kuruto.muragon.com/entry/412.html

このように自ら為に生きる」構想は創造後ではなく創造前である』と見事に180度、「真の父母様の本体論」を自ら覆しました。

しかも「女性」構想の後ではなく、その前に「為に生きる」に覚醒したのだと、それまでの論を天宙ひっくり返すほど決定的に違う論をもって、それまでの論を自ら完全に覆したのです。


このように天地の差ほどの違いがあるのにも関わらず、このように菅井教は『「真の父母様の本体論」は、そのことについて解説しています。』と、知らなかったことがバレた子どもが「知っていたも~ん」とベロをだして弁明することと同じ、幼い見苦しい弁明をしてきました。このように見苦しい弁明ですが、為に生きる」は創造後ではなく創造前である』ことを認めたのです。


こうして、女性」構想が創造前であり、「為に生きる」構想は創造後である』という神学を根幹として体系化された「真の父母様の本体論」は菅井教祖自らの手によって見事に崩壊してしまったのです。


しかし、今度は、菅井教は文鮮明師が言われる自己를 하던 때」の意味は「自己の していた時ではなく、「自己를 優先하던 때(自己を 優先していた 時)」であるから、為に生きる思想はないと次のように主張します。

対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません。https://kuruto.muragon.com/entry/413.html


次に今回の本題、菅井教が主張するように「自己를 하던 때」の意味は本当に「自己를 優先하던 때(自己を 優先していた 時)」が正しいのかを論証していきます。



「위하다」翻訳論点レビュー


皆さん周知の通り韓国語は本来漢字を沢山使います。1990年代初めまでは韓国の新聞は漢字を多用していました。


今回は韓国語をハングルだけではなく漢字を用いるとどうなるか?

神は為に生きる思想が最初からあったのかなかったのか、

問題になっている文章のハングルを漢字を用いて検証します。


漢字で表すので、シンプルに一目瞭然で分かります。

漢字を用いて表せば白黒はっきりしてしまうので、数行で説明がつきます。

先ほど説明した結論で十分でありわざわざ論じることもない実にシンプル明確なのですが、長文になり申し訳ありませんが論証します。

問題になっているハングルは以下の文章です。

「자기를 위하던 때로부터 상대를 위하는 때로 전개되는  것입니다.」

その前後の文章は以下の通りです。


  • 問題になっている訳

그렇기 때문에 참된 하나님은 상대를 만드는 데 있어서 완전 투입함으로 말미암아 보다 가치적이고 이상적인 완전형을 전개한 것입니다. 하나님도 아담 해와를 지어 놓고는 아담 해와를 위해서 있겠다는 거라구요. 하나님을 위해서가 아니라구요. 자기를 위하던 때에서 상대를 위하는 때로 전개되는 것입니다. 이상적 존재라는 것은 자기를 위주하지 않습니다. 이상적 존재는 남을 위하는 데에, 대상을 위하는 데에 있는 것입니다. 이 원칙이 우주의 근본이라는 것을 확실히 알아야 되겠습니다. 이것을 알아야 되겠다구요.


参考直訳:だからこそ、真なる神様は相対を創造するにおいて、完全投入することによって、より価値的であり理想的な完全形を展開されたのです。神様もアダムとエバを造っておいては、アダムとエバのためにいようということです。神様のためではないというのです。自分の為であった時から、相手の為の時へと展開されるのです。理想的な存在とは、自分を主(中心、基準)にしません。理想的存在とは、他者のためにすることに、対象のためにすることにあるのです。この原則が宇宙の根本であることを、確実に知らなければなりません。これを知らなければならないのです。

文鮮明先生말씀選集 69 - 5. 인간에 대한 하나님의 소망 (1973.10.20)


ところが、菅井教は、

「자기를 위하던 때로부터 상대를 위하는 때로 전개되는  것입니다.」

この文の翻訳はDeeplの「위하다」の自動機械翻訳(翻訳B)が正しく、Googleの機械翻訳(翻訳A)を悪用していると主張します。


https://kuruto.muragon.com/entry/413.html


菅井教祖のこの反論を簡単に説明すると

  • 翻訳A(Google訳): 

     自分のためにいた時から相手のために展開されるのです。

  • 翻訳B(Deepl翻訳):

     自分を優先していた時期から、相手を優先する時期へと展開されるのです。


つまり「자기를 위하던 때로부터」の訳は、「自分のためにいた時から」という訳を使うのは悪用で、「自分を優先していた時期から」が正しいという菅井教の結論です。


この結論を元に、菅井氏は次のように「対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません」と、その菅井教の真髄を次のように説明します。


●菅井教祖:

「愛と理想という言葉は対象を置いて言う言葉です。」このように、「対象を置かなければ愛と理想は無い」と明確にされてから、一人で存在していた自己中心的な神様には、対象が存在していなかった事を明確にされています。対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません。https://kuruto.muragon.com/entry/413.html


このように結論付けて次のように菅井教は「自分のためにいた時から」という訳を悪用だと非難します。

菅井教:

三原氏は、「たった一人でおられた自己中心的な神様の時から、『為に生きる思想』をもち『四大心情圏の愛』を持っていた」と主張するために、真のお父様のみ言の意味をgoogle翻訳を悪用して違う意味にしてしまいました。 https://kuruto.muragon.com/entry/414.html




「위하다」は「爲하다」であり「優先하다」ではない

🙏 위하다 爲하다 

ではこのGoogle翻訳자기를 위하던 때로부터」の訳は、「自分のためにいた時から」は間違いであり、これを主張すると悪用になるのか、どのような漢字を使うのか検証します。


「위하던 」の「던」 は「した」という単純な過去形ではなく、過去に「していた」という意味を持ちます。

その詳しくは https://k-franc.com/blog/syudy/korean_kakorentai/ を見て下さい。

「위하던 」の原型は「위하다」です。


では韓国語の辞書では위하다」をどのように説明しているか見てみましょう。

からです。

https://ko.wiktionary.org/wiki/%EC%9C%84%ED%95%98%EB%8B%A4


重要な部分をクローズアップします。

어원は語源です。한자は漢字です。語源は: 위(漢字 ) + 하다 と説明しています。


つまり漢字で書くのなら

・위하다 = 爲 + 하다 = 爲하다

です。直訳なら、「ためにする」「為にする」です。


電子辞書Kpediaでも「위하다」とは「ためにする、大事に思う」と次のように説明しています。

https://www.kpedia.jp/w/14426

ある目的を成そうとするする



このように「위하다」は「爲하다」ですから「為にする」が基本となる本来の意味です。


以上から、この御言での訳を菅井教が正しいとする「優先する」というこのDeeplの意訳は、もはや誤訳であることは、いくら韓国語がまったく分からない人でも理解できます。


菅井教はDeepl機械翻訳は常に正しいと思い込んでいるようですが、基本、機械翻訳は間違えるという常識を菅井教には理解できないようです。


このように菅井氏は자기를 위하던 때로부터」のGoogle翻訳自分のためにいた時から」に対して「真のお父様のみ言の意味をgoogle翻訳を悪用して違う意味にしてしまいました。という菅井教の主張は語学的に学問的に完全に間違いであり、

事実は、むしろ菅井教の方が、機械翻訳を鵜呑みにして「真のお父様のみ言の意味をDeepl翻訳を悪用して違う意味にしてしまいました。これが真実であることが見事に証明されました。


」の旧漢字「」が「」の本来の漢字でありその意味なのですから、これは否定しようがありません。

菅井教が「하다」には「」という意味は無い「優先」が真実だ!

と、いくら叫んでも、「」という漢字を消すこと、この漢字の意味を消すことは出来ません。


菅井教はそれほど言い張るのであれば、菅井教のこの主張を韓国国語学会に納得させることが出来るのならやってみたらいいでしょう。

それができなければ菅井教の方がDeepl翻訳を悪用しているという真実は揺らぎません。むしろ菅井教は無学で愚かであることを証明するだけです。

つまり「菅井教の御父様の聖霊」は無学無知で愚かな霊であるという証明証拠です


「菅井教のお父様の聖霊」は、完全に韓国語と文鮮明師の漢字儒学東洋思想にこれほどまでにまったく無知無学なのですから「御父様の聖霊」であるはずがありません。天宙バカ霊、悪霊です。

このように「菅井教のお父様の聖霊」は簡単に、お父様の聖霊を名乗る偽物のお父様の霊であり、悪霊であることが実証できるのです。

菅井氏もこんな天宙バカ霊と授受作用するのは、やめた方が身のためです。



Deepl機械翻訳は単なるツール、真理ではない


菅井教はDeepl機械翻訳なら正しいと思い込んでいますが、Deepl翻訳は単なるツールであり間違って翻訳することは多々あります。

以前はDeepl翻訳が優れていましたが、最近はAi技術の差からGoogle翻訳の方がうまい、よく出来ていると思うことが多々あります。

韓国語が分かる方は、Deeplの方が間違っていることが分かるでしょう。

そもそも機械翻訳は参考、ツールであって菅井教のように正しいと思うことは根本的に間違っています。


ここでは単なるツールであることを証明します。

Deepl有料版には、このDeepl訳は間違っていると判断した時、選択できるようになっています。


Deepl機械翻訳でも「ための時代から」「為していた時から」と候補があがっています。

その他、かなりの意訳も候補に上がっています。

ここから翻訳者は一番的確な訳を選ぶのです。一番最初に来る訳が正しいということではありません。


Deepl自動翻訳も今回問題になった同じ説教の、他の部分では「神の爲ではない」というように「爲」と訳しています。

たまたま、この問題になった部分の訳は時間の移動表記があることから、Deeplのアルゴリズムは「優先」を自動選択して表記し、菅井教の意にかなう誤訳を自動機械翻訳してしまったということです。


このように菅井教は翻訳ツールをまったく理解出来ないでいます。

自分の都合のいい訳があれば、語学的に考えることもできず、それにしがみついてしまうほどの韓国語のセンスのなさは、あまりにも哀れというしかありません。


それ以前に、「菅井教の御父様の聖霊」を名乗る霊が悪霊、サタンであることが問題であり、

さらには文鮮明師の漢字儒学、東洋思想に関して、まったく知らないし、そのセンスがないことが菅井教の問題なのです。これでは悪霊も見抜けません。


このように韓国語センスの面からも、これほどまでにまったく無知無学なのですから「菅井教の御父様の聖霊」を名乗る霊は「御父様の聖霊」でないことがよく分かります。天宙バカ霊、悪霊です。

このように「菅井教のお父様の聖霊」は簡単に、お父様の聖霊を名乗る偽物のお父様の霊であり、悪霊であることが実証できるのです。

菅井氏もこんな天宙バカ霊と授受作用するのは、やめた方が身のためです。



「菅井教の御父様の聖霊」は悪霊、サタン神

🙏 위하다 爲하다

以上、「위하다(爲하다」)」における韓国語分析から

「自己를 하던 때로부터 相対를 하는 때로 展開되는  것입니다.」の訳を、

「自己を 優先していた 時から 相対を優先する時に 展開されることです」

と自動翻訳したこのDeepl機械翻訳は見事な誤訳であり、

「自己の 爲にしていた時から 相対の爲にする時に展開されることです」が正しい翻訳であることが証明されました。

Google訳の

自分の爲にいた時から相手の爲に展開されるのです。

この訳は、上記の直訳より自然ないい訳になっています。


この解釈は「神は、自分という対象しか知らない時があった」という解釈が正しいのです。

明らかに「自分という対象」のために「」という思想がこの自己中心な神にあるのです。


近年「自分の為に自分を対象化する」ことは心理学的スキルとして注目されていますが、菅井教は「自分を対象化する」という考えスキルがまったくありません。

また菅井教には「全ての自分以外の対象を無くして自分を対象化する」「自己対象化」という東洋哲学、禅仏教瞑想の感性感覚やスキルがまったくないので「」という漢字の意味がまったく理解できません。


文鮮明真の御父様は、この東洋哲学瞑想においても、漢字儒学においても達人でしたが、この分野においてまったく無学無知で、その感性感覚の無い菅井教に文鮮明真御父様のことや御言を理解できるはずもありません。


それだから「対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません。」としか解釈できないのです。

「自分自身を対象にする」「自己対象化」ということを思いつきもしないし理解することも出来ないのです。菅井教は自分を対象化して自分について考察したことが無いのでしょう。

菅井教の神は自分自身を対象化することもできない愚かな神のようです。


これが菅井教の真実です。


そしてここでも「菅井教のお父様の聖霊」は、韓国語と文鮮明師の漢字儒学東洋思想に関して、これほどまでに完璧にまったく無知無学な霊であることが証明されました。

これほど真の御父様の事に無知で分からない霊なのですから聖霊ではありません。「御父様の聖霊」であると自称していますが、この霊は明らかに悪霊です。

菅井氏もこんな天宙バカ霊と授受作用するのは、やめた方が身のためです。


御父様を文化暴力虐待する菅井教

しかし菅井教はそれでも、かって韓国、台湾、中国に日本の文化を押し付けて虐めたごく一部の、傲慢な悪い日本人たちのように、

文鮮明真の御父様に向かって、韓国人、朝鮮人に向かって、

あなたの御言「自己를 하던 때로부터 相対를 하는 때로 展開되는  것입니다.」ここにある『「爲하다意味は、漢字の「」ではない「優先」である。受け入れろ』

と文化侵略、文化弾圧を続けるでしょう。


なぜなら、神が創造前に「自分の爲」の時があったというこの御言を受入れてしまえば、今回、論を変えてせっかく新しく立てた、新しい菅井教の根本論、

対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません。https://kuruto.muragon.com/entry/413.html

という根幹をまた自ら完全否定しなければならなくなるからです。

それは「真の父母様の本体論」の完全なる崩壊を意味しますから絶対に受け入れられないでしょう。

(既に、自らの「為に生きるは創造後」を否定した時点で崩壊しています。)


だから菅井教は、実質上、

文鮮明よ、「爲하다」は「為にする」ではない。韓国語の日本語のと意味が違うのだ。韓国語の「為」の意味は「優先」なのだ!分かったか文鮮明!

と、このように文化暴力で

韓国人である文鮮明真の御父様の顔を殴り虐待する傲慢な悪い日本人で有り続けるしか道がないのです。


ですからこれからも自己を対象化することが出来ない菅井教は


「자기를 위하던 때로부터 상대를 위하는 때로 전개되는  것입니다.」は

「自己를 하던 때로부터 相対를 하는 때로 展開되는  것입니다.」ではありません。

真実は

「自己를 優先하던 때로부터 相対를 優先하는 때로 展開되는  것입니다.」です。

つまり、

「自己を 優先していた 時から 相対を優先する時に 展開されることです」

と訳すのが正しい御言の解釈であるから「真の父母様の本体論」は真理なのです。

それだから、

対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません

https://kuruto.muragon.com/entry/412.html

https://kuruto.muragon.com/entry/413.html


と傲慢に韓国の方の顔を、文化暴力で文鮮明真の御父様の顔を殴りつける文化侵略、文化弾圧をする悪い日本人で有り続けるでしょう。

菅井ブループは、本当に悪い日本人たちです。

そしてそれ程までに『対象が存在していないとき、神は「自己を優先」した』ということが正しいのであれば、菅井教は、

神はその対象が存在していないとき自分しか存在しないとき、神は「何」に対して「何」に比較して「自己を優先」したのか、その「何」を明確にしなければなりません。


このように韓国語センスの面からも、これほどまでにまったく無知無学で韓国文化侵略をし韓国人を虐待をする「菅井教の御父様の聖霊」を名乗る霊が「御父様の聖霊」ではありえないことがよく分かります。天宙バカ文化差別暴力霊、悪霊です。

このように「菅井教のお父様の聖霊」は簡単に、お父様の聖霊を名乗る偽物のお父様の霊であり、悪霊であることが実証できるのです。

菅井氏もこんな天宙バカ文化差別暴力霊と授受作用するのは、やめた方が身のためです。



神様は主体と対象の二性性相の中和的主体であるから

「為に生きる思想」も最初からあった


以下の文は、統一思想の観点から論考を頂いたものです。

ブログ掲載の許可を得ましたので紹介します。

「神は二性性相の中和的主体であるから最初から爲に生きる思想があった」という鋭い論考です。

上のタイトルはこちらで勝手ながらつけさせて頂きました。寄稿文、ありがとうございます。


<以下、寄稿文>_________________________________

●菅井氏のブログ記事より引用

「愛と理想という言葉は対象を置いて言う言葉です。」このように、「対象を置かなければ愛と理想は無い」と明確にされてから、一人で存在していた自己中心的な神様には、対象が存在していなかった事を明確にされています。対象の存在そのものが無い神様の心に、為に生きるという思想はまだありません。https://kuruto.muragon.com/entry/413.html


⇒菅井氏は、対象・相対が存在しなければ為に生きるという思想はないとして、(実体)創造前の神様の心には為に生きるという思想はなかったと主張しています。


しかし、そのあとに次のように主張しています。


●菅井氏のブログ記事より引用

そして考えなければならないのは、対象や相対と言っても、神様以外の何ものかが存在するわけではないのです。すべて神様の、思考と意識の中で展開している事なのです。つまり、神様の自体内の性相と形状の間で展開している出来事なのです。


⇒創造前の神様自体内に性相と形状があり、その間で展開していることとあります。神様の性相と形状は主体と対象の関係です。創造前の段階でも、神様自体内に対象である形状が存在しているのですから、為に生きる思想も存在可能なはずです。


神様は本性相と本形状の二性性相の中和的主体として存在しておられます。神様御自身の中に最初から主体と対象があり、「為に生きる思想」も最初からあったと思います。


成長ということについても、為に生きる対象が創造前は自分自身だった段階から、創造後は被造物へて発展していったことと考えます。


原理的な表現で言えば、創造前は自分=全体だったわけですから、全体目的と個体目的が一体になっていました。創造後からこの全体目的と個体目的の分離が始まり、全体目的が主体、個体目的が対象になりました。


堕落はこの個体目的が主体になってしまったことで、今の私たちが言う「自己中心」とはこのような状態、すなわち個体目的が主体、全体目的が対象になったことを意味します。


ですから、創造前の神様は自己中心的な神様だったという場合の「自己中心」とは意味が異なります。


・創造前の自己中心:全体目的と個体目的が一体

 ⇒創造前の神様


・創造後の自己中心:個体目的が主体、全体目的が対象

 ⇒堕落後のサタンと堕落人間



 我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は人間と宇宙とを創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れてきたのです。神は、今や、御自身のためではなく、その対象物のために生きるようになったのです。

(1973.10.20 ワシントン・リスナー講堂にて)


ここで言われている人間の「利己的な傾向」とは、個体目的を追求する創造本然の性質です。それをみ言では「自然なこと」と表現されているのだと思います。


本来、このような性質は神の為に生き、み旨の為に生きようとする全体目的に対して対象の立場でしたが、堕落の過程で、全体目的に対して主体の立場になり、神と同じ立場に立てない第一の堕落性本性が生じました。これが堕落後の人間の自己中心性です。


菅井氏は、「利己的な傾向」や「自己中心的」というみ言を、堕落後の堕落人間の自己中心性と同一視しているのではないでしょうか


創造前の神様が自己中心的でいらっしゃったことと堕落人間の自己中心性が同じはずがありません。もし同じなら、神様は堕落の状態(創造前は為に生きる思想がない状態)から本然の状態(創造後に為に生きる思想が生じた状態)へと復帰した神様になってしまいます。これは絶対にあり得ません。


このような考え方は、韓氏オモニが「真のお父様は原罪をもって生まれた」として、再臨主を堕落人間の位置に引き下げているのと同じく、神様を堕落人間の位置に引き下げる思考です。

菅井氏の主張が独生女論の別バージョンのようなものになってしまう理由は、こういうところにあるのではないでしょうか。

________________________________<以上、寄稿文>

貴重な寄稿、ありがとうございました。


<参考>

菅井教、菅井派に対する記事インデックス

リンク先、菅井教、菅井派に対する記事の一覧です。菅井教対策の資料としてお使い下さい。


___________________________

2026年6月3日水曜日

金色のボタンが子女伝道の要 ◆2026年5月14日台湾聖殿 韓国語木曜礼拝<10> 文亨進二代王

 金色のボタンが子女伝道の要

2026年5月14日台湾聖殿 韓国語木曜礼拝<10>

文亨進二代王

 監修:fanclub三原

文亨進牧師ー台湾聖殿韓国語木曜礼拝2026年5月14日

翻訳clean

(中略)


金色のボタンが子女伝道の要

(6:13:16)翻訳minion

金色のボタンはどこにある? 金色のボタンについても、たくさん話しましたね? 

自分の罪について考える時、お父さんにも罪があった。罪がある。

お父さん もこういう時、本当に罪人として悔い改めなければならない。分かち合わなければなりません。伝道対象なのだから。

どうして子供たちと分かち合わないのですか?どうして親はいつも完璧でなければならないのだ?この東洋の狂ったサイコたち。どうして親はいつも完璧でなければならないのだ?


自分が子供たちに「私も罪人だ」と言ってこそ、子供たちも自分が罪人だということが分かるではないか。この東洋人は本当にパリサイ人が多い。自分が罪人であるか、いうことができない。

いや、伝道者たちに自分が罪人だということができなければ、どうやって金色のボタンを押させることができるのですか?


統一教会の親たち、こういうこと自体なかったでしょ。

子供たちに「私は罪人だ」ということを分かち合わなければならない。これ自体なかったというのです。

「お父さんがどれだけ御父様の言葉をよく守ったか、お母さんがどれだけ訓読会をしたか、このような儀式をしたか、この30年間、御父様の献身生活をしなさいとか、事業をしなさいとか言われて、私がやった」。

これしかない、これしかない。

それを自慢にしてどうやって人を伝道するんだ?

自慢してどうやって人を伝道するのだ?本当に・・・。馬鹿者たち。


白帯、白帯ですらない。人に、人を伝道する時「私がどれだけ再臨主のために、20年間、事業もしたし、献身もした」とか、これは罪と何の関係があるの?

何ですか、これは?罪、金色のボタン、ボタン、ボタン、ボタン。これが罪と何の関係があるのか?そうですね?


子供たちをそれでは伝道できません。

自分がどれだけ罪人なのか、自分がどんな過ちがあったか、自分がどれだけ・・・、自分が子供の頃、したこと、自分が間違ったこと。

自分が生きてきて夫に間違ったこと、妻に足りなかった部分。

これを少し分かち合ってこそ、人と心情的に近づくのではないですか。違いますか?

伝道対象者、皆さんは信仰の子たちにこんなことを言うではないですか。

それならなぜ子供たちには言わないのですか?


どうして?子供たちを伝道対象者として見ていなかったからです。従業員として見ているのです。従業員。

同じ信仰者ではなく、従業員として。そうすれば失敗します。それでは、子供たちは地獄に行くでしょう。


東洋の親たちのプライドや傲慢さのために、子供たちが地獄に行くと言っている!。こうではいけません。

私たちはキリストの前で、自分が誰よりも先に、私は罪人だと言わなければなりません。

伝道対象者に、絶対に、自分がどれほど罪人だったか、これを話さなければ、伝道対象者はどのようにして心を動かすのでしょうか ?どのようにして 自分が自分の罪について正直に話しますか?それでは。

自分の信仰の父や母がその話をしなければ。

これは、伝道をしていない人です。

伝道を実体的に勝利を収めたのなら、自分が自分の罪について話さなければなりません。伝道対象に。


そして、自分が悔い改め、キリストを受け入れて、自分の人生がどれほど驚くほど変わったか。

これだけでも、これだけでも、少しでも認めなければなりません。


自分が御父様のためにどれほど献身生活を送ってきたか、原理を何回読んだのか、これと何の関係があるのですか。

これが、どのようにして御父様に対する関心がゼロの人に説得することができるのですか。


子供たちもそのような関心はありません。親がこれを知らなければ、子供たちは御父様に対して関心はゼロです。

金色のボタン!最も基本的な内容!罪、罪について、自分の罪について、自分のストーリーの中に、自分のストーリーの中にある罪が何であるか、子供たちに話さなければなりません。


自分のストーリー、お父さんのストーリー、お母さんのストーリーの中には、私たちが罪をどのように悔い改めたか、どのようにして私たちが宝血によって復活したのか、私の人生が、私が本来アルコール中毒だったこと、私が常に女について回っていたやつだったこと。

こういうことがあるではないですか。過去のこのようなことを話さなければなりません。


私がどれだけろくでなしだったか。子供の頃、これ、これ。

女性であるなら、私がどれだけ他の女性を嫉妬して、私が常に完璧でなければならなくて、このようなことを全て話さなければならない。

信仰の子供たちに話さなければならないのではないですか、これを。信仰の子供たちに、「ああ、私はいつも、御父様のためにこんなことをたくさんしたし、ああしたし、訓読会に何度かしたし」ああ、本当に誰も、一人として伝道することはできないでしょう、そのようにしては。


自分がどんなに悪い奴だったかを示さなければ、事実なのに。

自分は悪い奴だったけど、恩恵によって人になることができた、このようなことを見せなければ。それが根本、白帯です、白帯。

そうですか?そうではないですか?

信仰の根本です、これは。

そうですね?


だから、子供たちを伝道するなら、これをしなければなりません。しなければ。

子供たちが自分を、ああ、本当に子供たちが泣いて、「こんな罪を犯しました。」そのように言う時、どのようにして子供を癒やすつもりですか。神の恵みによって。

「お父さんもそんな罪があった。子供の頃に」。

これを分かち合わなければ。私たちが完璧ではないことも話してあげなければ。


それでも今はレベルが随分上がりましたね。子供たちがそれを、子供たちが私たちの伝道対象者として、これを学ぶことができます。特に10代は。このように小さな子たちでなければ。特に10代。


とても重要です、このような重要なこのような出会いが。実はそういうことをしてあげないと、子供たちはどんどん離れて行きます。心が離れて、親を信じません。


同じ家の中にいても、お父さんやお母さんの言うことを信じることができません。耳をふさぎます。耳をふさいでしまいます。

お母さんが馬鹿げた小言を言い始めようとして、お母さんが自分の自慢や、自分がどれだけ可哀想だったかという話をし始めると、「オーケー、オーケー」と、自動的に切ります。効果がなくなってしまいます。効果がなくなります。


だから、韓鶴子バビロンの淫婦の問題です。いつも自分が可哀想だと、いつもお父様のせい、いつも自分が被害者、被害者。これを、私たちが継続して聞きました。

そのようにして、どうして人を伝道するのですか?できません。


だから、伝道の仕方を知らなければなりません。伝道の訓練は、子供たちを伝道する訓練になります。

外の人たちを伝道することは、外の人たちにどのように話をして、どのように主について話して、この金色のボタンを押すのか、どのように信仰をするのか。これが練習で、子供たちを伝道する練習です。


だから、外の人たちを伝道することができるなら、そうすれば子供たちへの伝道の確率もぐんと上がります。

外の人を伝道できなければ、伝道の実がゼロであるなら、子供たちをおそらく伝道することはできないでしょう。

そうですね?

 私は子供たちにやらせました。子供たちに説得をしませんでした。

自分の問題、自分の罪を開かないで、同感もできず、お父さんがいつも「うーん、うーん」お母さんがいつも「あああ・・・。あああ・・・。」

このようでは、確率は低いです。成功の確率が。そうですか?そうではないですか?


ここから100%に上げることはできない。少しでも、確率を上げなければならない。確率をあげなければまらない。


だから、これは訓練が重要です。外の人を伝道することも、金色のボタンを説得、キリストの宝血、そうでしょう?罪、悔い改め、キリストの宝血。ここから、外の人々を伝道する、これらはすべて子供たちの練習です。


そして、見るでしょう。外の人を伝道しようとするなら、自分の罪について話さなければならない。外の人に。自分がどんな心情なのか、心情同感でもしなければ。そうですね。

自分がどれだけ優れているか、それなら外の人たちはみんな逃げていきます。そうでしょう?

自分のことについて少し話さなければ、自分のことを少し開かなければ、相手も聞きたくないだろう。

そうですか?そうではないですか?


子どもとは一対一訓練


子供たちも同じです。子供たちも、私たちの家で暮らしているけど、実は私たちを、親を一番熱心に見ている人たちです。

親のこと、実は親を一番厳しくチェックする奴らが、うちの子供たちです。そうでしょう?子供たちは親を一番、狂ったように厳しく見ている人たちです。

そうですね?


しかし、あの子たちも一緒にこのような部分を、関係を積みながら、信仰の話が出た時、その機会を捕まえて、一対一の訓練を通じて、機会を継続して作るのです。

一対一の訓練やデート訓練を通じて、カウンセリングの機会を継続して作り、特に10代に。

子供たちがほぼ毎月、自分の子供を再確認することができる重要な出会い、1対1。

だから、これは、毎月子供たちを確認することができます。子供たちが今どこでつまずいているのか、どこで上がってきたのか、これが見えるように。


普通の親はこれがゼロですね。ただグループタイムだけでは見えません。これが見えないのです。

2番目の子供が、3番目の子供が、1番目の子供の前で言いたくない話はできません、グループタイムでは。

一対一の日だけしかできません。その悩みや、どうすればいいかわからないこと。

自分の姉や弟、お姉さんの前では言うことができません。


しかし、親はただグループタイム、カルビチムやバーベキューばかりしていると、子供たちの悩みを解いてあげることができません。

だから、グループタイムは子供たちがいると、子供たちまで一緒に暮らしていると、子供たちと時間を過ごすことになります。一緒に住んでいるから家の中で。


しかし、最も重要なことは、1対1の時間。1対1の時間。1対1の時間。

その時に1対1の時間を、信頼をたくさん積んだら、子供たちはその時間に、自分だけの時間に、爆発的な内容を話してくれるようになります。

心臓が張り裂けるような、そんな驚くべき時間もあります。


しかし、グループタイムではできません。できない、できない。そうですね?だから、これは重要なことです。重要なこと。


今何時? ああ、ああ、ああ、何時だ?こいつら、だから時計をこんなに大きく設置したんだな。4時、4時!

訓師様と候補者と、ここの隣の店に行って、ステーキを食べに行かなければならないね。

分かったか?これ?


一対一訓練と金色ボタン


伝道する時、金色のボタンが一番重要です。

自分に対する罪について、正直に私たちの信仰の子供たちに伝えなければならない。

私に対するの罪、私に対するの悔い改め、 キリストの宝血がどのように私を救ったのか、この基本を話さなければ伝道できません。


どのようにして他の人を、御父様を愛するようにさせるのですか。それがなければ。

考えてみなさい。自分の信仰の父や母が、自分がどのような罪があったのか、どんな問題があったのか、どのように悔い改めたのか、御父様が自分をどのように救ったのか。それを話さなければ、信仰の子供たちは何を考えますか。本当に。付いてくると思いますか?

そうではないでしょう。


子供たちも同じです。子供たちも私たちの信仰の子供たち、東洋の情緒の中で、父はそういうことを話してはいけないのですが、私たちは東洋的な情緒ではありません。

私たちは天一国、私たちは魂を救う情緒です。


父さんの顔と東洋ではいつも男性のプライド、これは死んでも、私の子供たちが永遠の命を得ればそれでいい。

東洋の日本、韓国の男性はプライドがあまりにも強い。韓国の東洋の母親たちはあまりにも、常に被害者だ、自分が被害者だと、一番可哀想な人だと、継続してこのような狂ったことを。最も可哀想な人ではない。

そのようにして、どうして伝道を。伝道できません。そうですね?


子供たちを訓練する時も一対一の関係を重視して、子供たちと罪について討論して、瞑想して。

子供たちが10代の時、自分にこんな罪があったとお父さんお母さんに話すことができるなら、どれほど大きな信頼ですか、これは。大きな信頼です。お父さんお母さんを本当に信頼して話しているのです。


しかし、その時、大騒ぎしたら死にます。バイバイ、関係は死にました。

チャンスは一度しかありません。そのチャンスが10代に来た時、絶対にその信頼を殺してはいけません。

ものすごく、韓国のお母さんたちは本当に、東洋の親たちは大騒ぎします。子供たちが本当に勇気を出して、お父さんお母さんにこれを話しているのに、親が大騒ぎするのです。


それでは皆さん、バイバイです。バイバイ、バイバイ。

親にチャンスは一度しかありません。そのような状況、そのような緊急な状況なら。

一対一の関係をたくさんしていたら、チャンスはたくさんあります。


しかし、一度もしないで、子供たちが親に、10代だった時、そのようにした時、大騒ぎして泣いて叫んで、バイバイ、バイバイ。子供たちは二度と戻ってこない。

その時から「ああ、お父さんお母さんも信用できない」となります。


学校教育は親子分離させる政府共産主義システム


そうしながら、そのようになればどうするかわかりますか?友達や学校の先生たちが「よくやったね。こっちに来て。こっちに来て。お前の親は信用できないだろ。こっちに来なさい。あら、あなたは勇敢ね。あなたは勇敢な若者よ」。

このようにします。これが共産主義システムです。親子の葛藤を拡大させる政府の教育システムです、これは。

教授たちはこのように訓練を受けているのです。


だから、わざと親と子供の関係で問題を見つけ、拡大させます。この教授たちは、この先生たちは、そのように教育を受けています。

自分たちがどのように教育を受けているかといえば、この親たちが子供達の科学的に知っている、極端な宗教に溺れている、無科学的で無知な親たちから、その哀れな被害者である子供たちを私たちが解放すると、そのように教育を受けます。宗教です。宗教。


自分たちは科学を信じていると言うが、コロナ詐欺をやった時、その科学を信じてなかっただろ。本当の科学者ではありませんでした、これを、私たちはみんな見ました。


その前に二代王がこのようなことを言ったら、若いバカ者たちは「二代王様は知らないのだ」と考えたではないですか。バカみたいなやつが。コロナが起きた後、こいつらはみんな直接見ただろ。

この世俗的な教育を受けた教授、先生、こいつらは本当の科学を信じていない奴らだ。口先だけの科学だ。言葉だけ。


コロナが爆発した時、科学を信じなかっただろう、こいつらは。

皆、何を信じましたか?お金。製薬会社から金をもらうこと、人を殺して数億もらうことができること。そして、命令!共産党の奴らです。科学を重要視するやつらではない。


しかし、自分たちの宗教、自分たちがこの非科学的な伝統宗教にはまった、こうした非科学的で非知的な親たちの、私たちのかわいそうな被害者である子供たちを解放してやるんだと、こう教えています。こう考えているのです。


だから、親と子供の葛藤を拡大させるのです。良い現象だと考えています、こいつらは。政府の学校は。


どうしてこのような奴らに子供たちの魂を与えるのですか? 話にならないではないですか。

なぜあのような敵に子供たちを与えるのですか? 3万6千時間を過ごすように。


ホームスクーリング、家庭でも朝、金色ボタンを押す


ホームスクーリングをすれば、子供たちは毎日、1日3時間だけ勉強すればいいのに、お母さん、お父さんにとって3時間が不便でも、子供たちと3万6千時間を稼ぐことができるではないですか。

そして、子供たちを洗脳する悪い敵たちの手に渡らないではないですか。

確率はずっと高いではないですか。親が最も大きな影響を与える人になれるように。


そして、私たちの伝統ではセックスを通して教育もするではないですか。10代で絶対性について、ロマンスについて。

3万6000時間を、皆さんは家庭破壊を望む連中に渡すということだ。

いやあ・・・。それでは、滅びるしかないだろう。子供たちが変になるしかない。価値観が違うしかない。

そうですか?そうではないですか?。


今回の5月は、信俊の誕生日でしたね。信宮も誕生日、誕生日はいつだった? ああ、おじさんが、信宮と一緒にステーキを食べに行かなければならないね。

何時だ?何時?大きな時計で4時を指してるではないか。今何時だって?4時8分? 

私たちは何時から初めましてか?9時?

(「 9時半です。 6時間38分話されました。」)


どうして時間がこんなに早く過ぎたんだろう?

はい。さあ、分かりましたか?これが一番大事なことです。御父様へ私たちが実践しているか、この金色を拡大しなければなりません。


これは伝道するからではなく、私たちが訓練する時もこの金色のボタンを押さなければなりません。朝。

「御父様、今日私はどんな罪を犯したか、悔い改めはどうするのか、御父様に栄光と感謝を、宝血によって私は生かされている」。

それこそがパワーだ。そのパワーで、牧会は悲しいことではない。力だ。力!喜びだ。最も大きな福です。

そうですか?そうではないですか?。


そういう内容を金色のボタンの訓練を行いながら、そうした窓やこのような作品たち、窓にお父様のストーリー、足跡を通して、窓に映る御父様の物語を足跡として感じ、窓を感じて悔い改めることができる、そのような栄光と喜びを捧げたいと願う天一国の民、宗族の王と王妃、天一国の勝利者となりたければ、皆一緒に立ち上がってお父様に大きな感謝の拍手を送りながら、栄光をお捧げます。ハレルヤ。


さあ、億万歳